時は流れて8月の最後の週。
ついに「15年の嘘」の撮影が終わった。
「海だーっ!」
映画が早めにクランクアップしたことで予定が空いたルビーたちは、その降って湧いた休暇を使って海に訪れていた。
「海……休みの象徴……あの地獄のスケジュールからやっと解放されたんだーーーー!」
「まあ、主演は流石にね」
ここ一年の間、平均睡眠時間2~3時間のデスマーチが続いていたルビーはコバルトブルーに輝く海を見つめながら涙を流す。
その様子を見た彼女の友人たちは、自分たちも似たようなデスマーチを経験したことがあることを思い出して心の底から喜んでいるルビーに向けて同情の視線を送っていた。
「ほら、ボサっとしてないで男子どもはクーラーボックス運べ!あと浮き輪とボート膨らませとけ!パラソルとシートも忘れんなよ!!」
労働からの解放と休暇というこの世の幸福を噛み締めているルビーたちを急かすように、五反田が指示を出す。
自前で所持しているワンボックスカーに目を付けられて運転手として駆り出された五反田であったが、ウキウキとした表情で車から荷物を取り出す彼の姿はこの日帰り旅行を心から楽しんでいる様子だった。
そこから30分ほど着替えやパラソル等の設置に時間を費やした後、ルビーや寿みなみの水着姿に男連中が鼻の下を伸ばしたり、有馬かなと黒川あかねがぎゃあぎゃあと騒ぎながらサンオイルを塗り合ったりしているのと同じ頃合いのこと。
「シュコーッ、シュコーッ」
露出が極端に少ないウェットスーツを着込んだ不知火フリルが、シュノーケルを咥えて海へと向かっていた。
不知火フリルのセクシー水着姿を夢想していた鳴島メルトが死んだ魚のような目で彼女を見つめていたが、それはさておいて。
「コーホー、コーホー」
同じくごっつい水中ゴーグルを装備したスク水+ライフジャケット姿の銀髪の少女が、不知火フリルの後ろをペンギンの子供のようにぺちぺちと足音を立てながら歩いていた。
「どういう組み合わせだよ」
「いつ知り合いが海に沈んで溺れるかわからない物騒な世の中だからね。そうなる前に海流のある場所で泳ぐのに慣れておこうと日頃から準備してるのさ」
「どんな状況を想定しているんだお前は」
シュノーケルを口から外して腕に巻くタイプの小型酸素ボンベを見せつけながら返事をするフェレスに呆れた表情をしながらアクアが言う。
冷めた視線を寄越すアクアにフェレスは「わかってないなぁ」と言いたげに肩をすくめた。
「あんまり沖には行くなよ。誰も助けてやれないからな」
「君に言われなくともわかってるよ」
海難事故を起こさないように忠告するアクア相手に軽口を叩きながら、フェレスは不知火フリルと手を繋いで海へと飛び込む。
勝手気ままに海を楽しむ二人の姿をじっと見ていたアクアだったが、やがて興味をなくして姫川大輝たちのグループに合流して去っていった。
小一時間後。
「――やあ、楽しんでるかい?」
シュノーケリングを一通り楽しんで陸に上がってきたフェレスが、遊び疲れて砂浜で休憩している有馬かなの隣に座った。
「あんたに心配されなくても楽しんでるわよ。ていうか、この映画の撮影で知り合ったばかりなのに距離の詰め方が極端すぎるのよ、あんた」
「最初に言っただろう?ずっと前から君のファンだったって」
「ふん、どうだか」
ファンというよりも長年の友人のような顔をして話しかけてくるフェレスにかなは悪態をつく。
かなはフェレスのことを嫌っているわけではないが、その態度に年上への敬意が全く感じられないフェレスをアクアやルビーがまるで近所の悪ガキをあしらうように接しているのを見て彼女も同じように雑な扱いでフェレスに対応することを決めていた。
初対面のときに起こしたサイン騒動のせいで、遠慮がなくなったともいう。
というわけで映画の撮影をしている間もずっと塩対応をされていたフェレスだったが、彼女はそんな有馬かなの態度を嫌がるそぶりもなくニコニコとしながら受け入れている。今の関係をちょうどいい距離感だと思っている雰囲気であった。
「それはそうと、あんたの本名って『つきみや みこと』っていうのね」
「その名前すら自称だけどね。『月宮御子』なら烏の魂が宿って、『月宮美琴』なら悪魔の魂が宿る。
「……親切心で忠告してあげるけど、大人になる前にその中二病は治したほうがいいわよ?マジで」
世間話としてフェレスのスク水に書かれた名前を読み上げた有馬かなだったが、その後に返ってきたフェレスの話についていけず頭痛を堪えるような渋い顔をする。
彼女はフェレスがこの先友達が出来るのか本気で心配をしていたのだが、それを口に出してフェレスに言ったら「大丈夫?ブーメラン飛んできてない?」と煽り返されてまた喧嘩になっていたかもしれない。ある意味では似た者同士の二人であった。
「……かなちゃんは今、幸せかい?」
「何よいきなり。宗教勧誘なら間に合ってるわよ」
「真面目な話のつもりなんだけどなー」
フェレスにいきなり突拍子もない話題を振られて身構える有馬かなだったが、フェレスはやれやれといった表情をしながら頭の後ろで手を組んで話を続ける。
「君は今まで苦労してきたんだから、次は君が幸せになる番だよ。君はこの物語の主人公になれる才能がある。それこそ黒川あかねよりも、ずっとね」
「アンタに私の何がわかるって言うのよ」
「君のことはそれなりに分かってるつもりだよ。ずっと見て来たからね。
……君は星野ルビーの引き立て役Aで終わる存在じゃない」
太陽の光を反射して燦燦と輝く海を見つめながらフェレスが言う。
「――君なら星野アクアを助けられる。自ら破滅しようとしている彼を引き留められる。
君が彼の帰る場所になるべきなんだ」
「ふん」
フェレスのその言葉を聞いた有馬かなはスッと立ち上がり、そこから立ち去ろうとする。
「今理解した。私、あんたのその態度嫌いだわ。
なんだか賢ぶってるけど、結局のところあんたはテレビやスマホの向こう側から偉そうに批評しているだけの厄介ファンと同じじゃない。私たちが自分の思い通りに動かないから文句言ってるだけよ。あんたのやってることは」
「かなちゃんの『嫌い』は好きの裏返しだからなー」
「人をツンデレヒロイン扱いするな」
捨て台詞を吐いてフェレスに向かってべっと舌を出した後、有馬かなはビニールボールでビーチバレーをやっているMEMたちに合流した。
フェレスはMEMたちと一緒にぽんぽんとトス回しを繰り返す有馬かなの姿を見つめながら、他者への共感力が強く圧しに弱い有馬かなが臆面もなく悪態をつくほどに自分が「信頼」されていることに満足して笑みを浮かべる。
「……かなちゃんのために、
青春を満喫する自分の「推し」を見つめながら、誰にも聞こえないほどの小さな声でフェレスはそっと呟いた。