海が見える公園で転落防止柵にもたれかかりながら、僕は一人佇む。
何故こんな寒い場所で海を眺めているのかというと、アクアとここで待ち合わせをしているからだ。
昼過ぎ、アクアから連絡が入った。
彼から呼び出された場所が、ここだ。
呼び出された理由は聞かなかったが、きっとアクアたちに僕とニノの共犯関係がバレたのだろう。もうすぐB小町のライブが始まる時間なのにルビーが襲われたというニュースが流れていないということは、つまりニノのルビー襲撃は失敗したということだ。
「――ここまでは、計画通り」
独り言ちる僕の顔に、冬の冷たい風が吹きつけた。
僕はスマホでB小町のライブ配信の様子を見る。
国立競技場で開催されているB小町のライブは予定通りの時間に始まっていた。
当然、ルビーの姿もそこにある。
僕が殺したかったのはルビーじゃない。
僕自身だ。
ニノの破滅と、僕の死をもって星野アイの物語を終わらせるのが僕の本当の目的。
ニノにルビーを嗾けた相手が僕だと知れば、アクアも斉藤一護も僕を生かしてはおけないと考えると思ってこの事件を計画した。
アクアの反応を見る限り、どうやら僕の目論見は成功したようだ。
今回のルビー襲撃事件はどうせ死ぬならリョースケみたいに寂しい死に方ではなくアイのようなドラマチックな死に方をしたいと願った僕のエゴで起こした事件だった。
ニノを道連れにしたことにほんの少しだけ胸が痛んだが、彼女は僕の共犯だ。最後に行き着く先は僕と同じ地獄の底と決まっている。どうせ僕が背中を押さなくてもどこかで暴発して破滅したことだろう。
最後に残った一片の良心と共にニノへの関心を意識の外に追いやり、人気の全くないクリスマスの公園で一人寂しくB小町のライブの様子を眺め続ける。そうしていると、背後で小さな足音がこちらに近づいてくるのが聞こえてきた。
約束の時間にはまだ早いなと思いつつ、ちらりと後ろを見て足音の主を確認すると、
「やあ。【推しの子】の物語を終わらせる覚悟は決まったかい?」
アクアではなく、銀髪の少女がそこに立っていた。
「君も一緒に観るかい?ライブ配信」
「遠慮しておくよ。これが最後の会合になるんだから、もっと別の話題がいい」
そう言いつつ少女が僕の隣に来て海を眺めようとするが、板が打ち付けてある転落防止柵の上から海を眺めるには少し身長が足りなかった。そこで彼女は転落防止柵にぴょこんと飛び乗り、猫が木の枝にぶら下がるような恰好で身を乗り出す。
「ここが君の終着点の景色さ。思い残すことはないかい?」
「後悔だらけだよ」
少女が叩いた軽口に僕はおどけながら答える。
この子のことだ。僕がニノを焚き付けてルビーを襲わせたことも、その企みがアクアにバレてこれから彼が僕を殺しにくるということも全部知っているのだろう。説明がいらないのは話が早くていい。
「出来ればもう少し生きたかった」
「……へぇ?」
僕の言葉を聞いて、意外そうな表情を少女が浮かべる。
「――死ぬ前に、ウマ娘にアーモンドアイが登場するのを見て見たかったなぁ」
「……は?」
少女は僕が何を言ったのか一瞬理解出来なくてきょとんとした表情を浮かべたが、少し遅れて「ルビーのライブを一緒に観るよりも美少女ゲームの話をしようぜ!」と言われたことに気づいて苦笑した。
「まさか君がそんなサブカルチャーに詳しかったとはね」
「お目当てのキャラがいなかったからすぐにアンインストールしたけどね」
「ダメじゃん」
少女は楽しげに僕の話に乗ってくる。
僕はこの「君のやることはすべてお見通しだよ」という態度を取り続ける少女の意表を突けたことに満足しながらそのままゲームの話を続けた。
死ぬ前の最後の会話がこんな話題なのはなんというか、僕達らしいというべきだろうか。
まあ、悪い気はしない。
「アーモンドアイが女の子になったらどんな姿になると思う?」
「決まってるさ。星野アイのような輝く瞳を持った最強で無敵のウマ娘になるよ、きっと」
一日遊んでアンインストールした程度のさしたる情熱も持っていないゲームの話題に花を咲かせる。
思った以上に話が弾んだ。
どんな手段であっても、どんな畑違いのジャンルであっても星野アイが存在した記憶と爪痕が残るのならそれは僕にとって望外の幸せだ。新しく生まれた星に役割を奪われて、少しずつ人々の記憶から薄れていって忘れ去られて最後に消えるよりもずっといい。
……その行く末を僕が見届けることはもう叶わないけれど。
「そろそろアクアが来る頃合いだ。君達が演じる最後の舞台の開幕……いや、閉幕の時間だ」
会話が途切れたタイミングで少女は話を切り上げ、転落防止柵から飛び降りて僕と向き合う。
そしてポケットから小さな箱を取り出して、それを僕に差し出してきた。
「持っていくといい。きっと役に立つよ」
少女が僕に差し出したのは、手のひらサイズの小さなジュエリーケース。
少女に促されるまま、深く考えずに僕はそれを受け取った。
「開けてもいいかい?」
「勿論」
僕はジュエリーケースの蓋を開ける。
中に入っていたのは、小さな宝石のついた指輪。
婚約指輪だった。
まさかと思って指輪の内側を確認すると、ご丁寧に「H☆A」というイニシャルが刻みこまれていた。
「……ふふっ」
指輪に刻まれたイニシャルを見てこの贈り物に込められた意図を理解した僕は、この余りにも遠慮のないブラックジョークに思わず笑いが溢れてしまった。
文字通り、冥土の土産だ。
「どうせ死ぬならこれを持ってあの世でアイにプロポーズしてこい」というかなり悪趣味な揶揄だが、死んだ後は地獄行きだと思っていた僕にとってこれは最高の励ましとなった。
死んだ後にアイに会える可能性はゼロではない。
ならば、ここで心優しき実の息子に殺されて
そんな諦めと負け惜しみの混ざった戯言を本当に信じてみたくなる最高の贈り物だった。
ああ、本当に。
死ぬには最高の日だ。
「ありがとう、フェレス」
最後の最後で、僕は初めて彼女の名前を呼んだ。
「君がお節介を焼いてくれたおかげで、僕はここまでこれたよ。
君はずっとアイの話をしてくれた。
君のおかげで僕はアイのことを忘れずにいられた。
――それだけで、僕は狂わずにいられたんだ」
「――カミキさんは『何もしてない』よ
いつもアイの話をしてくれただけ
アイの事を忘れさせてくれなかっただけ
それだけで十分、私達は壊れることが出来たんだと思う」
僕は心からの感謝をフェレスに送る。
ニノがどんな思いでルビーを殺しに行ったのかも知らずに。
それを聞いたフェレスは憐憫の混じった少し寂しそうな笑顔を浮かべた。
「――バイバイ、
願わくば、次の世界で君達の魂が救われることを祈ってるよ」
そう言い残して、フェレスはこの場を去ろうとする。
おっと、これだけは伝えておかないと。
「遺書はオフィスの僕の机の中に入ってる。後は任せたよ」
僕が投げかけた言葉を聞いて、フェレスはひらひらと手を振りながら去っていった。
フェレスの姿が見えなくなった後、ほどなくして彼女と入れ替わるように強い決意を瞳に宿らせたアクアが現れる。
その瞳には敵意も憎しみもない。
ただ、やるべきことをやると決めた人間の目をしていた。
さあ、これが僕の最後の舞台だ。
僕の人生で最高の演技をしようじゃないか。