正直内容が内容なだけに低評価が先行している状況ですが、見捨てないでいただけると嬉しいです。
愛梨さんが僕の里親になってから、3年が経った。
愛梨さんは男の子を出産した。名前は大輝くん。愛梨さんに似た黒々とした髪の毛を生やした赤ちゃんだった。
その点、父親である清十郎さんの特徴は大輝くんの容貌にはあまり遺伝していないようであった。まだ赤子だから父親から受け継いだ個性が姿形に現れていないのだろう。
「
愛梨さんが優しい声で僕にそう言った。
愛梨さんがわざわざ「貴方の家族」と表現したところに少しひっかかりを感じたが、僕はその違和感について深く考えないことにした。
この三年間で、僕は愛梨さんに身体を求められることに、慣れてしまった。
…むしろ「諦めた」と言ったほうが正しいのかもしれない。
愛梨さん曰く、「豚や牛の世話をしていると思えば感情がフラットになる」と言っていた。
ベッドの上で聞いた彼女の体験談だ。
家畜の世話をしているのだから、汚れて当然、臭くて当然。仕事を終えて、身体を洗えばすべてチャラ。それが当時の愛梨さんが大人たちと付き合うときに自分の中で決めたルールだったらしい。
その話を聞いた僕は、「僕は恵まれているんですね」と笑いながら答えておいた。
…実際、僕は恵まれているのだろう。
欲を貪るのが目的で「買われた」愛梨さんと違って、少なくとも僕は愛梨さんに愛されている。
愛されている――はずだ。
この三年間で、僕の演技力はかなり向上した。
役者として舞台に立たせて貰えるようになり、僅かながらも給料を貰える立場になった。
一般的な社会人でも、働き始めて3年目ともなれば仕事に慣れてきて業務量が増える頃であり「新人」の肩書が無くなる時期だ。後輩の指導や育成、チームのマネジメントなど、より責任のある役割が求められるようになる。
そして僕は、劇団ララライが主催しているワークショップでとある女の子の指導役を務めることになった。
それが、僕達の運命の出会い。
――美しくも残酷な、悲しい物語の始まり。
僕が中学二年生のときの出来事だった。
「今日初めての子だよね。どうだった?ワークショップ」
「難しくて全然わかりませんでした!」
「そっかそっか。どの辺が難しかったとかある?」
その日はワークショップに新顔が入っていた。そしてそのニューカマーの女の子の講師役となった清十郎さんが、彼女に丁寧に指導をしている。
彼女は売り出し中の地下アイドルグループのメンバーで将来的にドラマや映画への出演を見越しての参加だという話だったが、僕はアイドル活動に興味がなかったのでその子の顔も名前も全く知らなかった。
第一印象は大量生産された安物の服を着た普通の女の子、というイメージ。着飾れば映えるポテンシャルはあるのだろうが、あまりパッとしない感じであった。
「ちょっと清十郎、妻子の前でナンパなんて肝が据わってるのね」
「人聞きが悪いな!!!講師としての役割果たしてるだけだからな!?」
そこに愛梨さんが、彼女の息子である大輝くんを抱いて現れた。
自分の妻に揶揄われて引き攣った笑顔を浮かべる清十郎さんと、見知らぬ人が現れてきょとんとしている女の子。愛梨さんが出す女優としてのオーラと清十郎さんの芝居がかった仕草が合わさって、何だか映画のワンシーンのように見えた。
「姫川愛梨よ。よろしくね。それとこの子は息子の大輝」
「俺の自慢の妻と息子だ」
「演劇一家だー」
愛梨さんの家族を見て女の子が屈託なく笑う。どうやら夫婦仲が良いところが気に入ったらしい。
「えっと、君は中学三年か。だったらこの子はお前が教えてやれ」
ぐいっ、と清十郎さんに学生服の襟首を引っ張られる。
そうやって僕は、このパッとしない駆け出しアイドルの女の子――アイの正面に立たされた。
「ぼ……僕がですか?」
「歳も近いし丁度いいだろ」
「でも僕なんかが…」
劇団ララライに入って3年経つが、他人に指導した経験はまだなかった。人に媚びるための演技には自信があるが、役者としての演技の技術はまだまだ先輩たちには及ばない。
そんな未熟な僕が、果たしてこんな女の子に演技について教えてもいいのだろうか?
「教えることで気づくこともある、これも経験。なぁ愛梨?」
「ええ、まぁそうね…いいんじゃないかしら?」
「愛梨さんまで……」
僕が尻込みしていると、清十郎さんの提案に愛梨さんも賛同してきた。尤もこちらは「好きにすればいいんじゃないの?」といった感じの興味なさそうな返事であったが。
「よろしくね」
「……はい」
結局僕は清十郎さんたちに押し切られる形で、アイに演技を教える指導役になった。
まずは発声練習。アナウンサーの新人がよく言わされている「あめんぼ赤いなアイウエオ」というアレだ。
僕が見本を見せて、アイがそれを聞いて真似をする。
「ねぇ、これなんて読むの?」
「蛞蝓(なめくじ)」
「じゃあこっちは?」
「蝸牛(かたつむり)。この場合の読み方はマイマイだね」
「へー。キミ私より年下なのに頭いいね!!」
「これぐらい普通だよ…」
読めない漢字を一つ一つ教えてあげながら、彼女のやる気を削がないように出来るだけ褒めて伸ばす指導を行うように努める。
…何故か僕のほうが褒められることが多かったけど。
次は滑舌訓練、つまり早口言葉だ。
「手術中」
「しゅじゅちゅちゅう!」
「摘出手術の手術中」
「てきしゅつしゅじゅちゅのしゅじゅちゅちゅう!!」
「全然出来てないじゃん!?」
あまりのお粗末さに二人で爆笑した。
「どうやったら上手く言えるのー!?」
「舌を動かすスピードを意識して、全力で速く動かすのがコツかな」
「なるほど!」
コツを教えてあげるとアイはすぐに早口言葉が言えるようになった。少し抜けているところはある子だけど、僕が思っていたよりもスジがいいのかもしれない。
「バスが酢爆発バスが酢爆発バスが酢爆発!」
…一部、イントネーションが怪しい言葉があったけど。
最後に
アイの演技の出来は……うん、ノーコメント。「今後の成長に期待」とだけ言わせてもらおう。
ズブの素人であるアイへの演技指導は大変だったけど、とても充実した時間だった。
こういうのも…案外、悪くない。
「楽しそうね。私みたいな人妻より若くて可愛い子のほうがいいのかしら」
ワークショップの時間が終わって帰宅の準備をしていたら、愛梨さんに声をかけられた。
どうやら愛梨さんは、ずっと僕達の様子を気にしてくれていたようだ。
「いえ、愛梨さんのほうが綺麗ですから」
「ふふ、ありがと」
僕は愛梨さんを持ち上げるような返事をする。
確かにアイのルックスは同年代の女の子の中では上澄みの部類に入るのかもしれないが、それは芸能界で大成するための前提条件でしかない。愛梨さんの言葉を借りるならば、「そんなアイドルはごまんといる」といったところだ。自分の身なりにあまり気を使わないアイには愛梨さんのような人の視線を引き付ける魅力はそこまで感じられなかった。
学校のクラスで一番可愛い女の子。それが僕がアイに抱くイメージだった。
「貴方は本当に可愛いわね」
ぞわり、と僕の身体に悪寒が走った。
愛梨さんが、僕のシャツの中に手を入れていた。
愛梨さんは僕の背中から脇腹の辺りをゆっくりと撫でまわした後、後ろから手を回して乳首を摘まみ上げてくる。僕は必死に声を出すのを我慢した。
「ずっとそのままの貴方でいてね」
「…はい」
これはグルーミングだ。愛梨さんなりの愛情表現だ。
馬が人間を噛むのは愛情表現だというのと同じで、噛まれる側がその意図と行動を理解しなくてはいけない行為だ。
愛を拒絶するのは駄目だ。それは間違っている。
僕は恵まれている。愛梨さんに愛されているから。
愛梨さんと違って、汚物に塗れて家畜の世話をする必要はないのだから。
愛梨さんに撫でまわされている間、僕はそうやってずっと自分に言い聞かせ続けていた。
――このときの僕は、グルーミングとは「性的虐待」のことを指す隠語だということを知らなかった。