「ずっと考えていた。アイの言う通りにアンタを救う方法を。だけど、もう手遅れだったんだな」
開口一番、アクアはそう言い放った。
「カミキヒカル。お前は自分の為だけに嘘を重ねてきた醜悪な嘘吐きだ」
「なんの事?」
静かに怒るアクアに対して僕は笑顔で答える。
「僕は悪くない」と心から信じる人間の浮かべる無邪気な笑みは、利害関係で対立する相手から見ればさぞ邪悪な笑顔に映ることだろう。幸か不幸か僕はそういう笑い方をするのには慣れていた。
「僕が何をした?人を刺した?突き落とした?してないじゃないか、そんな事」
僕に関わって死んでいった人たちの
勝手に期待して勝手に貢いで自分から転がり落ちていったのに、未練がましく言い寄ってきて僕に罵倒を浴びせるホストクラブの客をあしらうのと同じように。
悪くない気分だ。
母親の仇と対峙する主人公と、その怨敵。
役者として日の目を見ることのなかった僕には過ぎた配役だ。
不満があるとすれば、僕の最初にして最後の大舞台を見届けてくれる観客がいないことぐらいか。
…ああ、そういえば一人だけ僕を見ている子がいるな。
僕は薄ら笑いを浮かべるフェレスの顔を思い出して、ほんの少しだけ心が和んだ。
「ニノくんもリョースケくんも向こうから近づいてきたんだよ。友人だと思ってたんだよ。二人とも良い人だったからさ。
知らなかったのさ。二人があんなにアイに執着してるだなんて」
――アンタ、アイと付き合ってるの!?
僕はニノとリョースケに初めて出会った日のことを思い出しながら、語る。
嘘は言ってない。
ニノとリョースケが向こうから近づいてきたというのも、二人を友人だと思ってたということも、全部本当のことだ。
アイのスキャンダルを求めてわざわざ高千穂の病院までストーカーするほどニノが追い詰められていたなんて、そのときは知る由もなかった。
「だから自分の情けない失恋話を語ったりした。彼女が宮崎の病院で子供を産もうとしてるから、会いに行くべきか迷っているって話も」
嘘は言ってない。
「そこで何が起きたかなんて、僕は知らなかった」
全部本当の話だ。
「アイの死んだ日もそうさ。僕はまだアイに会う勇気がなかったから彼に花束を届けに行ってもらっただけ。誰かを害するつもりなんて無かった」
リョースケたちが破滅したのは僕のせいじゃないと言外に主張しながら、僕は無邪気に、そして露悪的に振る舞う。
どうせ
ここまで僕が意図的に隠した真実は「花束にナイフを隠しておいた」の一点だけ。
人を会話で騙すには、9割の真実に1割の「嘘」を混ぜるのが定石。そうすれば話を聞いた人は勝手にバイアスを広げて、自分の信じるストーリーを勝手に作りあげる。そこに人を騙す眼も、嘘を真実だと思わせる演技力も必要ない。
ただ僕の場合は、その1割の嘘が致命的だったというだけの話だ。
「…それも嘘なんだろ」
9割の真実に1割の嘘を混ぜるテクニックもあれば、相手の1割の嘘を100倍に膨らませて9割の真実をすべて否定するやり方もある。俗にいう陰謀論というものだ。
だが、僕はそれを殊更に否定するつもりはない。
僕のせいで、アイが死んだ。
どんなに否定してもそれは決して変えることが出来ない僕の罪だ。
その事実の前には9割の真実なんて何の価値もないのだから。
「俺にとってはお前が娘を守らなかった事が全てだ」
ああ、羨ましいなぁ。
「ニノの精神状況を理解していながら何の対策も取らず傍観していた事が全てなんだよ」
アクアには命を懸けて愛せる妹が傍にいて。
ルビーには身体を張って愛してくれる兄が傍にいて。
「……殺そうとしたな、実の娘を」
必死に妹を守護ろうとするアクアの姿が眩しくて、微笑ましくて、羨ましくて、妬ましくて。
――嗤うのを、我慢できなかった。
「意図的に他人の心を燻り、弱った者に狂気の炎を灯し、自分の都合の為に殺す者と殺される者を生み出し続けた。
自分の手は一切汚さない教唆犯にして下劣で利己的な嘘吐き。それがお前だ、カミキヒカル。
……お前は人殺しよりも醜悪な怪物だよ」
全部
結局アクアは考えることを止めて、安易で安直な結論に逃げた。
自分に都合のいい妄想を真実だと信じる愚かな有象無象と同じように。
「……ああそうか。君も同じなんだね」
慌てて僕は悪役の仮面を被り直す。弱音は今の
「君は僕と同じ目をしている。人を信じさせる説得力を持ち、スター性と呼ぶべきカリスマを放ち、そして人を騙し従わせる『噓吐きの瞳』だ」
同じ穴の狢。
僕はアクアをそう評価して、嘲笑う。
「君も僕と同じように何人もの人を扇動してきたんだろう?自分の目的の為に何人の人を騙してきた?自分の才能が他人の人生に影響を与えるのは心地よかっただろう?」
騙した相手を使い捨てるか、捨てないか。僕とアクアの違いなんてそのぐらいだ。
有象無象の家畜はいくらでもやってくるのに、本当に愛して欲しかった人たちはみんな非業の死を遂げていなくなってしまう僕にはその取捨選択の自由すらほとんどなかった。
それに欲望に塗れた家畜の世話ばかりしてきた僕に言わせれば、騙されることすら受け入れて優しく愛してくれる相手を袖にするなんて贅沢な悩みにしか聞こえなくて正直に言って腹立たしい気分だった。
「……確かに僕らは自分の為に人の心を動かし騙し従わせる醜い存在だ。
けれどルビーは僕らとは違う。今もルビーは愛を歌っている。聞いたものが信じれば救われるような愛の歌を。あの目は人を騙すためのものじゃない」
僕の嘲りの言葉を聞いたアクアは、その言葉を一部肯定しながらも静かに僕を睨み付ける。
その目は憎しみに濁った瞳ではなく、大切な人を守る決意をした瞳だった。
「会った事もない誰かに。今孤独でいる誰かに。愛を求める誰かに愛を伝えるための、誰かを愛したいと願う者の愛の瞳だ」
そしてアクアは懐からナイフを抜き出して、僕に突き付けてくる。
「アンタはここで消えてくれ。ルビーの未来のために」
愛する者と過ごす幸せに満ちた未来を捨ててまで僕を排除しようとするアクアの姿は、それを望んで得られなかった僕には悲しいほどに滑稽に見えた。
「……僕を殺すのかい?そのナイフで」
行き当たりばったりの
「それも良い。それでこそ星野アイの物語を締めくくるのに相応しい結末だ」
僕は最初からアクアに殺されるつもりでここに来た。
すべて順調に進んでいる。
それなのに。
「でも本当に良いのかな?」
何故か僕は、余計なことを口走っていた。
「非力な僕を殺す事は簡単だろう。だけどその後は?
人殺しの妹として、君の大事なルビーはアイドルとしての高みを目指せるのかな?」
言わなくていいことを言っている自覚はある。
だが言わずにはいられない。
今更になって命が惜しくなった?
違う。
今の僕を動かしているこの感情は、怒りだ。
「人を殺した君の妹という『記号』は世間にとって絶好の玩具だろうね。
『殺人者の家族がのうのうとアイドルをしてるなんて間違ってる』。そんな嫌悪感を正義感と偽る偽善者たちが群れを成して尊厳と仕事を奪うだろう」
あの日死んだアイを辱めた群衆への怒りが。
あの日殺したリョースケを辱めた群衆への怒りが。
かつて感じた怒りと悲しみと屈辱が沸々と蘇ってくる。
「そうやって、ニノは葬られた」
「いじめは犯罪」と言いながら
「メディアや世間は真実を求めない」
人々は、正義の味方よりも正義の鉄拳を振るうための悪役を求めている。
そこに悪役がいなければ、悪役を作り出してでも攻撃しようとする人間ばかり溢れかえっている。
自分が勝手に作り上げた被害妄想を、世界の真実だと妄信して敵を作り続けようとする。
考えることを止めて、永遠にドーパミンを求め続けようとする。
何十年経っても。
何百年経っても。
魔女狩りが行われていた時代から、いつまで経っても人は進歩しようとしない。
「賢い君なら分かるだろう。僕の命と、君と君の妹の幸せな未来が本当に釣り合うかどうかを」
言葉が止まらない。
「君はもう生きたい理由がたくさんあるはずだ」
物語が壊れていく。
「夢を叶え、恋愛をして、友人と遊び、大切な人に恩を返し、妹がアイドルの道を突き進む姿を最後まで見届けたい。違うかな?」
ああ、そうか。
それが僕の、望みだったんだ。
大切な人に恩を返したかった。
姫川愛梨。
芸能界の闇に触れたことがきっかけで少年性愛主義に走ってしまったが、彼女なりの方法で僕を愛そうとしてくれた。
でも、僕のせいで死んだ。
役者になる夢を叶えたかった。
上原清十郎。
売れない役者で少し頼りないところもある人だったが、僕の役者の先輩として、そして義父として僕を導こうとしてくれた。
でも、僕のせいで死んだ。
友人と遊びたかった。
菅野良介。
そそっかしい性格だったが身内と認めた相手には情が深く、最期まで僕の味方をしてくれた唯一無二の親友だった。
でも、僕のせいで死んだ。
恋愛をしたかった。
大好きな人がアイドルの道を突き進む姿を最後まで見届けたかった。
星野アイ。
かつての完璧で究極のアイドルにして、僕の最愛の人。
でも、僕のせいで死んだ。
みんな、僕が殺したんだ。
自分が出来なかったことを、
そしてそんな幸せな未来を投げ捨てようとするアクアに対して怒っていたことに気づいて。
情けなくて、涙が出そうになる。
泣くな。
笑え。
演じろ。
もっと邪悪に。
人を食らい、血の味に酔う悪鬼のように。
たとえその姿が、
その嘘の仮面がひび割れていたとしても。
逃げることだけは、許されない。
足が震える。
ならば、それは寒さのせいだと言い張れ。
最後まで、世界を騙し切れ。
それがこの物語の悪役としての