――なんにもない僕が、誰かに愛されるためにすべきことはこれで合ってますか?
僕はちゃんと可愛いですか?
なんにも分かってない純粋な少年って、こんな感じですよね?
僕がつくべき嘘は、これで正しいですか?
この嘘は一度だってバレたことがない。皆綺麗に騙されてくれる。
今でも、きっとこれからも。
「――それも嘘?」
アイが放ったその言葉を聞いて、僕の意識は空想から現実に戻される。
「分かるよ。私とおんなじだもん。
――噓つきの目。人を騙すのが得意な目」
アイの視線が、僕を射抜く。僕もアイの目をじっと見つめた。
指摘されて、ようやく気付いた。
アイも、僕と同じ嘘吐きの目をしている。
マトモじゃない人間が、マトモな人間のフリをしている。人とは違うから周りを観察して、世の中に順応しようとしている人間特有の目だ。
必死に人の表情や仕草を分析して、その人の感情を読んで、その人が僕に対して好意的になるように最適解を選ぶ。そうやって僕は今まで生きてきた。アイの目――正確に言えば、アイの視線は、僕と同じく静かに人を観察するようなものだった。
しかしアイの場合はそうやって知り得た情報を
何故彼女がそんな風に振る舞うのか、僕には理解出来なかった。
理解出来ないことに、恐怖を感じた。
「僕と君とは違う!僕と同じというならば、どうして大人たちに媚びようとしないんだ!!?どうして『愛されよう』としないんだ!!」
「出来なかったから」
僕の問いかけに対して、アイの答えは簡潔なものだった。
――愛されようと努力した結果が、まさか父親に色目を使われる結果になろうとは誰が想像出来ただろうか。それを知ることが出来たのは、きっと神だけだ。
「私なりに頑張ったつもりだったんだけどね。駄目だった。結局、私は失敗してお母さんに捨てられたの」
そういって、アイは笑う。
彼女の表情を見ただけならば、それが自虐の笑みだと分からないぐらいに完璧な笑顔だった。
…演技は下手なのに、「嘘」で感情を隠すことだけは上手い。
僕はそのアイの笑顔を見て、同族嫌悪に似た不快な感情を覚えた。
「ねぇヒカル。キミは今、誰かに『愛されている』の?」
「当然だ。僕は、愛されている」
「それも嘘」
僕の返答に対して、アイは即座に否定する。
「本当に『愛されている』と信じているなら、そんな泣きそうな顔なんてしないよ」
…どうして、君はそんな酷いことを言うんだ。
「というわけで、今から私が貴方のことを推します!!」
アイの情け容赦ない言葉に打ちひしがれていた僕だったが、その次に彼女が突然立ち上がって言い出した言葉の意味が一瞬理解出来ず僕は唖然とした。
…理解と感情が全く追い付かない。この子は、まるでジェットコースターみたいな女の子だ。
「『あなたの人生、B小町が推します!』というのが私たちのコンセプト!少しでも辛い思いをしている誰かを元気にしてあげたり、悲しんでる誰の背中を押したりしてあげるのが私のアイドルとしてのスタイルなの!『愛されるよりも、愛したいマジで』ってね!!」
「いやそれ別のアイドルグループの曲だから!!!?」
ちょっと待ってツッコミが追い付かない!
「これは私が一番好きな曲!『推しに願いを』!!キミの心に届けます!!!」
困惑する僕の都合を気にすることなくアイはCDプレイヤーを操作してカラオケ用の音楽を部屋に流し、それに合わせていきなり歌い出した。
ファンなら垂涎ものの、自分のためだけに歌ってくれるソロライブ。その価値もわからないまま、僕はなし崩し的にアイの歌を聞かされることになった。
『♪――人生なんて山あり谷あり 楽ちんライフはそうそうムリ
泣きたくなっちゃう夜もあるけど イヤホン片手に星を見上げて
どんなときでも前を見つめる 満面ピースのキミに夢中』
僕が歌っているアイから目を逸らすと、アイは僕の正面に立つように移動して僕の視界に入ってくる。僕が俯くと、アイは僕の顔を持ち上げて強引に目を合わせてくる。
…女の子に顎クイされるなんて、初めての体験だ。
『♪――辛いときには背中を推すよ それが私のハッピーだから
頑張れ頑張れ大丈夫!キミは絶対大丈夫!!
らしく輝くキミが見たいよ 私の推しは最高だから!』
…僕にはアイが歌っている曲の良さがわからなかった。
「頑張れ」という無責任な言葉を連呼して、元気になることを強要する歌。歌詞だけを見た感想だと、はっきりいって嫌いな部類だ。
それなのに、今の僕はアイに「嘘」を暴かれたときよりも随分と心が軽くなっていることを感じていた。
『♪――フレフレ人類 フレフレ地球!セカイに届けこのメロディー
推しへの願いが未来を変える! 頑張れ頑張れ大丈夫!キミは絶対大丈夫!!
らしく輝くキミが見たいよ 私の推しは最高だから!』
曲は好きじゃないのに、何故か彼女の歌を聞いていると、癒される。
その説明のつかない不思議な感覚に、僕は身を委ねていた。
…結局その日は演技の練習にならず、僕はアイの歌を聞くだけ聞いてお開きになった。
「あなた、しばらくワークショップの講師をやらなくていいわよ」
その数日後、僕は愛梨さんからそんなことを言われた。
「…そんな」
「ああ、別に叱っているわけじゃないのよ。劇団ララライのOBの鏑木プロデューサーに口利きして、彼が企画しているドラマに貴方が出演できるようにねじ込んであげたの」
講師をクビにされたのだと解釈して見るからに消沈している僕の姿を見て、愛梨さんが訂正するように言った。
「役者はとにかく製作側の人間に顔と名前を覚えてもらわないと生き残れない商売よ。たとえ主人公に蹴散らされるだけの下っ端戦闘員であっても、軽んじていい役なんて存在しない。だから、これは一期一会のチャンスだと思って
アイに演技を教える仕事を些事と言われて少しだけ腹が立ったけど、確かにこれは僕の将来を左右するかもしれない出来事だ。
「遊び」ではなく「真剣」に。演技を楽しむのではなく、完璧を目指す。それが、僕に課せられた責任。
最高の演技をするためには、不純物は取り除かなくてはいけない。
僕はアイに連絡し、しばらくワークショップに参加出来ないことを伝えた。
これで僕はもう、アイの講師ではない。僕の胸の中に、どんよりとした重い感情が広がっていく。
アイの家を訪ねる理由と口実がなくなってしまったことに、僕は自分が思っていた以上にショックを受けていた。
それから、一週間後のこと。
僕はワークショップを欠席してドラマのロケ現場に来ている。アイとの演技の稽古は僕にとって些事ではないが、私事ではある。
仕事をしにきているのに、そんなことでいつまでもくよくよしているわけにはいかない。
最初に僕は初めて会う役者やスタッフたちに挨拶回りをした。ネットスラングでも「挨拶は大事だ、古事記にもそう書かれている」とよく言われているように、どんな仕事でもコミュニケーション能力に問題がある人間は大成しないのがこの世の常識だ。「年功序列」という言葉を持ち出すまでもなく、ここでは僕が一番の新参なので立場を弁えて行動する。
何も持たない僕にとって、言葉は最高の武器だ。
挨拶回りを終えた後、撮影が始まった。ドラマの収録は特にトラブルもなく順調に進んでいく。
しかし僕が登場するシーンの撮影が終わって次の出番を待っているとき、ロケ現場に入ろうとしてスタッフに止められている一般人がいることに気づいた。
「…は?」
そのスタッフを困らせている傍迷惑な一般人の顔を見て、僕の目が点になった。
どこからどうみても、アイだった。
どうしてこんなところにお前がいるんだ!?
僕は軽くパニックになりながら、慌ててアイのところに駆け寄った。
「やっほー」
「どうしてこんなところに来たんだよ」
困った顔で通せんぼしているスタッフを無視してアイが僕に軽い挨拶をしてくるので、その悪びれることのない彼女の態度を見て僕は思わずぞんざいな口調になってしまった。
なんなんだこの状況は!僕にどうしろというんだ!?
「応援しにきたの。『あなたを推す』って、こないだ言ったでしょ?」
…思い立ったら行動しないと気が済まない性格なのか?君は?
「というわけで、入れて?」
「…全く、君って娘は」
結局僕はアイを止めることは出来ず、撮影現場の見学の許可を貰うためにプロデューサーのところに彼女を連れて行く羽目になった。
「ふうん。で、君は何を思って彼女を止めずにここまで連れてきたんだい?」
現場に部外者が入って来た事情を僕から聴いた鏑木さんは笑っていたが、その目だけは全く笑っていなかった。視線だけで「ここでつまらないことを言ったらお前は見捨てるぞ?」と雄弁に語っている。少し怖い。
まあ当然の反応だろう。部外者にロケを邪魔されているのだから。
「…彼女が、僕の『最初のファン』だからです」
なので僕は、思ったことをそのまま伝えることにした。
「なんにもない僕を、アイは応援するって言ってくれました。僕の目をしっかりと見て、『私はあなたをちゃんと見ている。だから、頑張れ!』って励ましてくれて。
…だから、僕の初めての舞台を彼女に見てもらいたいんです」
「そのワガママで、僕たちの機嫌を損ねると思わなかったのかな?君は」
鏑木さんの追求は終わらない。だから、僕の本心をぶつける。
「これでダメって言われるようなら、まあ仕方ないかなって。こんな馬鹿な真似をしてまで僕を見に来てくれた人がいるのに、最初の最初で『演劇をやりたい、役者になりたい』って思った初心を捨てるのは、なんか違うかな、って」
…嘘ばかり吐いてる僕だけど、この言葉は嘘じゃない。
僕が役者を目指した最初の理由。それは何も持たない、みじめな自分を変えたかったという変身願望からだ。
僕は人から愛される人間になりたかった。アイの「あなたを推す」という言葉は、愛というには程遠いものなのかもしれないけど、それでも僕はその言葉を聞いて胸の中に温かなものを感じたのは確かだ。
――僕はこの感情に、嘘は吐きたくない。
鏑木さんの顔を見ると視線が少しだけ柔らかくなっていた。
もう一押し、かな。
「僕は人から応援される…『愛される』人間になりたい。彼女がいてくれるなら、僕は『頑張れ』ます」
「若いねぇ。わかった。いいよ、見学していっても」
「本当ですか!?ありがとうございます!!」
僕は鏑木さんに勢い良く頭を下げた。
「おお。今日のヒカル、なんかカッコいい」
「はいはい。アイの気持ちは伝わったから、これからは行動する前に一言連絡してね」
「はーい」
「…ありがとう」
僕はアイに聞こえないように、小さくお礼の言葉を言った。アイの顔を見ると、なんだか胸がドキドキしてくる。
「僕のことを、ちゃんと見てくれていた」と意識しただけで恋に落ちるなんて誰かに知られたらチョロい奴だと思われるかもしれないけど、仕方ないじゃないか。こういうのは制御できるものじゃない。…僕も今さっき知ったところだけど。
――なんだ、こんな僕でも人を好きになれるじゃないか。
僕は応援してくれるアイにカッコいいところを見せるために、張り切って演技をした。
…僕の役が、情けない悪役の取り巻きじゃなければ最高だったんだけど。