エルキドゥが木刀を黄金の波紋へ戻す。
波紋は静かに消えた。
数秒。
誰も喋らなかった。
そして――
「先生すごいですーーーーーーー!!!」
最初に飛びついてきたのはノノミだった。
「え、ちょっ、ノノミ先輩!?」
「だってすごかったじゃないですか〜!映画みたいでした!」
「いやそこ!? ツッコむところそこなの!?」
セリカが頭を抱える。
アヤネも未だに信じられないという顔でエルキドゥを見ていた。
「先生……本当に人間なの?」
「うーん、難しい質問だね」
「否定してよ!?」
「ん、でも助かった」
シロコが静かに近づき、エルキドゥを見上げる。
「ありがとう、先生」
「礼には及ばないよ。僕は君たちを助けに来たんだから」
その言葉に、アヤネたちが少しだけ目を見開く。
シャーレの先生。
それは“連邦生徒会長が認めた大人”。
だが、彼女たちはまだ半信半疑だった。
本当に信用できるのか。
本当に味方なのか。
この荒廃したアビドスでは、善意など簡単に信じられない。
だが。
目の前の存在は、危険なほど強い力を持ちながら、誰一人傷つけすぎなかった。
その事実は、少なくともホシノには伝わっていた。
「……先生さぁ」
ホシノがゆっくり口を開く。
「どうして、そこまでできるの?」
「ん?」
ホシノの瞳が細められる。
眠たげな雰囲気は消え、鋭い視線だけが残っていた。
エルキドゥは少しだけ空を見上げた。
青空。
砂塵。
乾いた風。
かつて自分が生まれた時代とは、まるで違う世界。
「……昔、友達と旅をしてね」
静かな声だった。
「その人が、人を守ろうとしていたから。だから僕も、そうありたいと思ったんだ」
「友達、ねぇ」
ホシノは少しだけ目を細める。
その言葉に嘘はない。
少なくとも彼女にはそう感じられた。
「……そっか」
ホシノはふっと笑った。
「なら、おじさんは歓迎するよ〜。ようこそアビドスへ、先生」
ホシノの歓迎の言葉が、張り詰めていた砂漠の空気をふっと和ませた。
「……ふふ、ありがとう。おじさん、って言うにはまだ若すぎる気がするけどね」
エルキドゥが穏やかに微笑み返すと、ノノミが「そうですよね~!」とさらに距離を詰めてくる。
「じゃあ、一旦対策委員会(部室)に戻ろうか。先生も、あんな派手なことした後じゃ喉乾いたでしょ?」
ホシノが手招きし、一行は砂に埋もれた校舎へと歩き出す。エルキドゥはその後に続きながら、ふと自分の掌を見つめた。
かつて、荒野を友と歩いた感覚。
銃火器が飛び交い、少女たちが重荷を背負うこの奇妙な学園都市に、彼はどこか似たような「熱」を感じていた。
「先生、遅れないでくださいね!」
アヤネが振り返って声をかける。その瞳には、まだ警戒心が残っているものの、先ほどまでの絶望の色は薄れていた。
「ああ、今行くよ」
エルキドゥは風に揺れる長髪をかき上げ、少女たちの背中を追う。
黄金の波紋は消えても、彼がこの地にもたらした波紋は、アビドスの砂漠にゆっくりと広がり始めていた。
「……さて、まずはこの子たちの『日常』を、修復するところからかな」
独り言のように呟いた言葉は、乾いた風に乗って、高く青い空へと溶けていった。
砂塵の舞う外とは打って変わり、対策委員会の部室は使い込まれた家具と、どこか生活感のある静けさに包まれていた。
だが、エルキドゥが差し出されたお茶を一口啜った瞬間、その静寂は「尋問」へと変貌する。
「さて、先生。まずは……というか全部説明してもらいましょうか!」
セリカが机をバン!と叩いて身を乗り出した。その横ではアヤネがタブレットを構え、記録の準備を整えている。
「弾丸を掻い潜る反射神経、木刀を虚空から出し入れする謎の技術、そしてその浮世離れした美貌……。連邦生徒会からは『優秀な指揮官』としか聞いてませんけど、明らかに規格外です」
「ん。先生、人間じゃない」
「おじさんも気になるかな。先生の正体?」
ホシノはシロコをエルキドゥから引き離し、ソファに深く腰掛けながらも、その瞳は逃さずエルキドゥを観察している。
エルキドゥは困ったように眉を下げ、カップを置いた。
「正体、と言われても困るね。僕は僕だよ。強いて言うなら……『意志を持つ泥』から作られた、古い兵器かな」
「へいき……? 先生、サイボーグなんですか!?」
ノノミが目を輝かせる。
「うーん、機械とは少し違うかな。神様に作られた、と言えばいいのかな。でも、今の僕はシャーレの先生だ。君たちの味方であり、その……『大人』という役割を全うしに来たんだよ」
「神様って……そんなの、どこの御伽噺話よ……」
セリカが呆れたように溜息をつく。とはいえみんな、一応納得しくれたのでエルキドゥは気になっていたことを口にした。
「この学校には君たちしか生徒がいないのかい?」
「うん、そうだね。私達5人が全校生徒だねー」
「砂漠化の影響で他の生徒はみなアビドスを去ってしまって…」
「ん…他にも転校したり退学したり。事情は人それぞれ」
「学校がこんなありさまだから、カタカタヘルメット団みたいな三流のチンピラにも舐められてる訳。本当に腹が立つったら」
「現状、私たちだけでは学校の防衛は完全には難しくて…。そんな状態を変えるために有志が集まった部活が、このアビドス廃校対策委員会です」
「おじさんがいいんちょーだよー。3年生だからねー」
「ん…副は決まってない。強いて言えばノノミ」
「じゃあみんなで、ここをなんとかして復旧しようとしてるんだね」
「あー…そうですね…本来はその辺りを優先するべきなんですよね」
「これがむずかしぃくてつまらない問題があってねー」
「え…ホシノ先輩それ言っちゃうの?」
「いいんじゃない?隠すようなことでもないし」
「何かあるのかい?」
尋ねるエルキドゥに重苦しい声でアヤネが言う。
「実はうちの高校には、借金があるんです。その額は9億6235万です…」
「……9億、6235万」
エルキドゥはその数字をなぞるように呟いた。
アヤネの発した桁の多い無機質な数字。それは、少女たちの未来を、喉元で締め上げる鎖の重さだ。
「これは・・かなりまずい状況じゃないのかい?」
「はい…これが返済出来ないと学校は終わり。銀行に権利が渡って、廃校手続きをしなきゃいけません」
部室に、しばし沈黙が落ちた。
窓の外では、乾いた風が校舎の壁を擦っている。
エルキドゥは少女たちの顔を順番に見渡した。
誰も冗談を言っている顔ではない。
ノノミですら笑みを引っ込めていた。
「……なるほど」
彼は静かに頷く。
「つまり君たちは、学校を守るために戦いながら、同時に莫大な借金まで返しているわけか」
「そーいうこと」
ホシノが気怠げに答える。
だが、その声の奥には疲労が滲んでいた。
「銀行からの催促も厳しくてね〜。まぁ、おじさんたちなりに頑張ってはいるんだけど」
「アルバイト、依頼、便利屋仕事、賞金首の確保……できることは一通りやってます」
アヤネが指を折りながら説明する。
「でも焼け石に水なのよ。返しても返しても利子が増えるし」
「ん。効率悪い」
シロコが淡々と呟いた。
「銀行、爆破する?」
「しないからね!?」
セリカが即座にツッコむ。
エルキドゥは思わず小さく吹き出した。
「ふふ……仲がいいんだね」
「どこ見てそう思ったのよ!」
「でも、少なくとも一人で抱え込んでいる空気ではない。それは良いことだ」
エルキドゥの声は柔らかかった。
その言葉に、ホシノが少しだけ目を細める。
「……先生って、変なとこで鋭いよねぇ」
「人の顔色を見る機会が多くてね」
するとセリカが「ごほん」と関をして、
「まあ、先生は気にしなくていいわよ」
セリカはぷいっと顔を背け、腕を組んで早口にまくしたてた。
「これはアビドスの、私たちの問題なんだから。いくらシャーレの先生だからって、外から来た人にこんな借金の話まで背負わせるわけにいかないでしょ。だいたい、まだ完全に信用したわけじゃないんだからね!」
「あ、コラ、セリカちゃん!」
ノノミが止めるのも聞かず、セリカはパイプ椅子から勢いよく立ち上がった。
「私、バイトの時間だから行くわ! 先生も、あんまりこのおじさんたちに甘やかされないようにね!」
吐き捨てるようにそう言うと、セリカは部室の扉を乱暴に開け、足早に廊下へと飛び出していってしまった。バタン、と大きな音が響き、部室に気まずい沈黙が流れる。
「……あちゃー、行っちゃった。ごめんね、先生。あの子、本当はすごく真面目で、誰よりもこの学校のことを心配してるだけなんだけどね~」
ホシノが困ったように頭を掻きながらフォローを入れる。アヤネも申し訳なさそうにペコリと頭を下げた。
「すみません、先生。セリカちゃん、毎日いくつもバイトを掛け持ちしていて、心に余裕がなくなっちゃってて……」
「いや、謝る必要はないよ」
エルキドゥは気にした様子もなく、穏やかに首を振った。むしろ、その眼差しには先ほどよりも深い温かみが宿っている。
「自分の足で立ち、自分の力で問題を解決しようとするのは、とても気高く美しいことだ。彼女が必死にこの場所を守ろうとしている証拠だからね。……でも、少し根を詰めすぎているようだ」
エルキドゥは窓の外、砂塵の向こうへと消えていくセリカの気配をそっと探るように見つめた。
「ん。セリカ、最近働きすぎ。心配」
シロコが小さく呟き、マフラーをきゅっと締め直す。
「そうだね。少し様子を見てこようか」
エルキドゥは立ち上がり、少女たちに向かって微笑んで告げる。
「せっかく『大人』としてここに呼ばれたんだ。生徒が一人で無理をしているなら、声をかけに行くのが僕の役目だろう?」と。
読んでくれる方々に感謝を