超天才清楚系病弱美少女   作:川上はるか

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前編

「ヒマリ……そこにいるの?」

 

「はい」

 

「手……握って欲しい」

 

「……握っています」

 

「そうなんだ…………ごめんね。せっかく来てくれたのに。ちょっと眠い」

 

「構いませんよ。また起きるまで側にいます。だから、安心して眠ってください」

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 先生が倒れて、精密検査をして、どうやらもうすぐ死ぬらしいと知ってからまだ二か月しか経過していない。

 倒れた時、先生はミレニアムを訪れていた。そこで盛大に喀血して、血だまりの中に倒れた。尋常じゃない出血量に、冷静に対処できた者はいなかった。ヒマリも、その時のことを殆ど記憶できていない。騒ぎになっていることに、何があったのだろうかとドローンをハッキングして、その目に映った光景だけは鮮明に。それ以外の、当時の自分がどんな行動を取ったのか、何を感じたのかは、完全に記憶から欠落している。

 

 ある種の防衛本能からかもしれない。

 

 今でも、ヒマリの体調は優れない。吐き気や、過労に似た症状を感じて、呼吸も苦しかった。胸が痛くてたまらない。目の奥が熱くて、気が付けば涙がとめどなく溢れてくる。

 

 

「せんせぃ…………」

 

 握った手は、骨と皮だけになっていた。肉の弾力は存在せずに、ただ硬さと弛んだ皮膚のずれる感覚だけ。まだ温かいこの手から、宣告通りならばあと一週間で熱が失われる。その事を意識すれば、呼吸が出来なくなりそうな程に怖かった。

 

 体中から管が伸び、モニターが暗い病室で光り、電子音が響く。生きているというよりも、生かされているという印象。

 彼の最期に、明星ヒマリが付き添うことになった。これは、先生の意志だ。

 ヒマリとしては、複雑だった。

 先生に対して、恋慕の情を持ち、先生が最期共に過ごす相手に「ヒマリが良い」と言った時は驚きと共に喜びがあったことも確かだ。

 ただ、不安もある。自分に対して自信を持ち、かつそれを正当な評価だと自負しているヒマリであっても、優れた能力があることと恋愛とに何ら関連性がないことは理解していた。つまりは、本当に先生に愛されているのが自分でいいのだろうかという、贅沢なようで、乙女な悩み。

 

 それに加えて、自分が選ばれたという優越感が卑しくも僅かに心を占めて。

 

 けれどそれを、もっと先生との未来を空想できる状況で話して欲しかった。馬鹿みたいな将来設計を話して、先生に呆れられたり、苦笑されたり、照れたり、逆に赤面させてやりたかった。

 

 ただ、先生の性格を考えると、このような、本当におのれの死が決まった状態でなければヒマリへの好意を露わにしなかっただろうこともうかがえる。

 

 本当に薄汚い、ここどこかの悍ましい自己中心的な部分が、そのことを喜んでいる気がして。ヘドロのように不潔で、けれど心の底に積もって消えない。

 

 

 

 ヒマリは端末上に表示された、先生のカルテを睨む。そこに記された病名に、最早何の感情も持たなくなった。恨み続けられないほどに見慣れて、常に考え続けていたから。

 今この瞬間も、大勢の生徒たちが先生を救うために奔走している。自治区の垣根を越えて、大勢が協力し合っているのだ。

 研究をつづけたところで、限界はある。それに、先生の病気について研究すると言うのは、この残酷な現実に向き合う必要もあった。今は、どういう状況だろうか。途中で精神的に限界を迎えた生徒も多く、ヒマリもその一人だ。

 

 

 

「ヒマリ……いる?」

「っ、もちろんいますよ。先生。目を覚まされたのですね」

 

 先生は思ったよりも早く起きた。近頃はずっとこんな感じだ。時折限界が来たように眠っては、またすぐ目を覚ますのだ。

 

 

「はぁ……何か……お話ししようか? 退屈、じゃない?」

「いいえ。無理はなさらないでください」

 

 先生は、小さく頷いた。

 握っている先生の手は汗でぐっしょりと湿っていた。呼吸も、鼻息が荒い。

 

「先生……その……私を選んでくださってありがとうございます。ですが、いえ……ですから。私の前ではちゃんと苦しんでください。無理して、平気に振る舞わないでください……」

 

 先生は、ヒマリの言葉にしばらく考えている様子だった。ヒマリの両手に包み込まれた指先が、かすかに震えて、それから「はぁはぁ」と苦しそうに呼吸し始めた。

 昨日確認した血液検査の数値から、多臓器に渡って不調が出ていることが分かっている。病巣は肺から広がっていったものだが、腎機能も大きく低下していて、非常に気持ちが悪いのだと思う。

 

「先生、先生が眠れるように、円周率を唱えて差し上げたこともありましたね……」

「うん…………」

「今度は、もっと何か、意味のあることをお話ししていても良いですか? お辛いでしょうから、返事はしなくても大丈夫ですから」

 

 こくりと頷いたのを見て、ヒマリはしっとりとほほ笑む。

 難しい話もした。好きな食べ物の話もして、最近のミレニアムの様子についても語った。

 昨晩見た夢の話をして、そこでは回復した先生と一緒に買い物に出かけているのだった。これは本当に昨日見て、今朝の占いの結果も良かったから、きっと正夢になりますよと語る。

 

 

 

 

 それが、ヒマリと先生の最後の会話であった。

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

「部長……ちょっといい?」

「なんですかエイミ。それに、私はもう部長ではありませんよ?」

「部長が卒業するまでは、そう呼ばせてよ」

「仕方ありませんね」

 

 ヒマリはエイミに微笑んで見せた。エイミも同じように笑っていたから、きっと自然に笑えているのだと思う。

 

 

 先生が死んで、もっと世界は滅茶苦茶になると思っていた。

 治安は変わらず、文化も変わらず。雨が降った時に、外が暗くて部屋の窓に自分の顔が映りこむそんな時に、なぜだか先生のことを思い出すのだ。決まって、酷い顔をしていた。

 

 先生の死は決して軽いものではない。キヴォトス中は深い悲しみの中に沈み、ヒマリのように未だに立ち直れていない生徒も少なくない。

 ミレニアムで言うと、セミナーの二人。早瀬ユウカと生塩ノア。以前に比べてずっと暗くなった。

 

 それでも、半年もすれば先生がいないことに慣れてくる。悲しみが癒えると言うのとは少し違う。時間が徐々に心の傷を癒してくれるなんて言葉はまやかしだ。

 

 まずは仕事がある。自分にしかできない仕事があって、それに取り掛からなければならない。

 気になっていた漫画の続きが出る。どれだけ悲しみの中にいても、楽しみだと思ってしまう。

 食欲がないように思えても、お腹が減るのだ。

 私は、生きている。今この瞬間、今日、明日、明後日も。

 

 乱暴な言い方ではあるが、人は既に死んだ人間に引きずられ続けるわけにはいかない。

 

「それが……私にも分かっています」

 

 誰もいない教室で一人、ヒマリはあの日のことを思い出す。

 

 ヒマリは未だに、本当に立ち直れていないのだ。音楽を聴いても気分は変わらず、人と話しても楽しくならない。

 

 先生が死んだと聞いて駆けつけて、ヒマリは先生の手を握った。その時は涙はなかった。

 まだ暖かくて、その前に触れた時と変わらず皮膚の感触が伝わって。機械が先生の死をあらゆるデータで主張していたとしても、まだ信じられない気持ちの方が大きかった。

 ぼんやりと、先生がもう二度と動かないことをかみ砕く。

 

 

 駆けつけて来た各学校の有力者たちが、わんわん泣いているのを、病室の外でやっぱりぼんやりと待っていた。この時間がいつまで続くのだろうかと、ちょっと面倒くさくなった。

 

 先生を病室から移動させるとき、ヒマリはまた先生の病室の中に戻って、再び先生の手を取った。

 

 

 その時の衝撃を今でも忘れられない。

 あり得ないほどに冷たかった。あるいは人間の身体は暖かいと言う先入観によるものかもしれないが、氷のように冷たくなっていた。柔らかかった皮膚もがちがちに硬くなっていて、ああ、死んだんだ。これはもはや、物になったんだ。先生は、死んだんだ。

 

 ヒマリは、声をあげて泣いた。

 

 

 

 ヒマリの心は、未だあの日の中にある。半年前のあの日。今日までの月日が地層のように積み重なって、最早取り出せない位置に埋もれている。少なくとも、ヒマリはそうであることを願っていた。

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

「こんにちは、明星ヒマリです」

 

 特異現象捜査部に人員が補充された。ヒマリは部長の座をエイミに譲っているが、まだヒマリにしか出来ない仕事も残っている。

 それらの引継ぎが必要であったのだ。

 

 困ったもので、人間は死ぬまで生き続けなければならないのだ。どれだけ心をすり減らしてでも。

 

 あの日以来、ヒマリは自らを「超天才清楚系病弱美少女」と呼ぶのをやめた。

 そのすべてが当てはまらない。

 

 愛しい人を救えずに天才は名乗れない。

 愛されたときに自らの醜さを思い知った。

 病弱ではあっても、それをステータスにはもうできない。

 やつれて、隈が酷く、とても美少女とは名乗れない。

 

 

 今のヒマリは、ただの、明星ヒマリであった。




続けられそうなら続きます。
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