万里小路ヒサコは賭け事が生き甲斐だ。
ヒサコは心の底からそう思っているが、その表現で一般的に想像される人物像とヒサコのそれは著しく乖離していた。むしろ品行方正で常に隙がないその姿は賭け事とは真逆の存在に思われることも多い。
しかし、ヒサコは賭け事へのもう一つの関わり方としてはそれは正しい姿勢であると感じていた。それはつまり賭けにベットする側ではなくされる側、つまりは胴元としての態度であった。
賭け事の胴元には悪辣な印象が付きまとうものだが、ヒサコは悪質な騙し討ちで金を巻き上げたいわけではない。
その逆で、全ての情報を誠実に公開して心の底から楽しいと思える賭けを提供する。それがヒサコの胴元のポリシーだった。そして、そのためには緻密な計算と確率論が欠かせない。
絶妙に射幸心を煽って脳内物質の分泌を促し、一瞬の快楽に全てを支配させる。そのヒサコの妙技はしかし、無一文になるまで賭けを続けさせる悪魔的な魅力を放っていた。
そんなヒサコは常に賭けの対象を探すことに余念がなかった。賭けが成立するための最低条件は結果が客観的に明確に定まること。
その上で、結果の予想を困難にする適度な複雑性とランダム性、賭けに負けた時のための言い訳や諦めのための何かがあれば申し分ない。
これまでヒサコは多くのものをその対象にしてきた。
カジノのような単純なゲーム、競輪や競艇、野球にサッカーといった人が行う競技。馬、犬、鶏に果はコオロギまで動物を使った賭け事。さらには有力者の当落といった政治から企業の倒産といった経済に至るまでその対象は広がっていた。
そんなヒサコが最近始めたものが仮想通貨であった。
もともとはキヴォトスの外から流れてきた概念であったものを、ギャンブル性の高さからキヴォトスで流行させようと試みたのだ。
なにしろキヴォトスにはこんなものを規制する法律はない。投機性を極限まで高めた通貨だろうと無担保ステーブルコインだろうと好き勝手やり放題である。
こういうどういう価値があるかは不明だが、価値はありそうなものというものが究極の賭博たり得るものだとヒサコは確信していた。
そうして作り出されたのが擬似ステーブルコインの仮想通貨、MANESである。リリース直後から話題を集め、半信半疑とともに徐々に受け入れられたそれは徐々に加熱する。
レバレッジでリスクを極大化させたり大金を投じて大勝負に出るものも出てきて、高騰と暴落によって歓喜と阿鼻叫喚が轟いていた。
しかし、ヒサコの思う通りに順調に乱高下を繰り返す仮想通貨MANESにも暗雲が立ち込める。きっかけはナナコの運営するオンライン闇市場でのことだった。
謎の銀行強盗団によって闇銀行の安全性に疑問が出た顧客たちにとって、自治区に捕捉されにくい金銭のやり取りが出来ないことは死活問題であった。そう、不良たちは代替となる決済手段を求めたのだ。
それに対処していたナナコは妙案を思いつく。それが、ヒサコが作った仮想通貨での決済ができるようにすることだった。
そして、いまや裏での影響力を確固たるものとした闇市場が仮想通貨の取扱いを始めた影響は大きかった。
いわば現実の金銭価値に従属していた仮想通貨の価値は今や違法物品によって担保されるようになった。いつでも闇市場で銃や弾丸に変えることができる。それが価値を裏打ちしてその値段を安定させていた。
投機好きの中のさらに少数のアーリーアダプターしか参加していなかったからこその値動きは、不良にスケバン、ヘルメット団というボリューム層の前に文字通りテコでも動かなくなっていた。
激しい値動きで脳汁を出させるのが目的のヒサコとしては、安定した値段をつけられるのは面白くない。慌ててナナコに使用を停止させようとする。
しかし、事態はナナコやヒサコがどうこうすることが可能な範囲を遥かに超えていた。一度広まり切った手段は事実上標準化され、それより良いものが出ようが禁止されようが維持されてしまう。
使用制限をつけずかつ計算コストも小さい。よく設計された仮想通貨MANESはいつの間にか仕事の依頼からある種の小売店の決済まで様々なところに浸透していた。
キヴォトスで仮想通貨といえばMANESであり、MANESといえば自治区から把握されないために後ろ暗い連中が使う通貨になっていた。
ヒサコは面白みのない値動きを眺めながら小さく嘆息するのだった。
「これは、思ったより深刻ですね。ここにあるものでは到底足りません。古書館から資料を持ってこなくては」
シスターフッドの長たる歌住サクラコはもはや事態を静観する余裕を失っていた。
トリニティ総合学園が結成されたほどの昔、出来たばかりのトリニティと争った一派であるマネスの名前が再び確認されたのである。伝承によれば現在のトリニティに隣接する位置に勢力を誇ったというその学園は史料の少なさもあってあまりにもあやふやな存在だった。
もともとトリニティになるどこかの分校から分かれたとも、トリニティの分派から内部分裂して合流したものがいる等あやふやな情報だけが伝わっている。
どの史料でも確実なのは二つだ。カリスマ的な生徒会長に率いられて現在のアビドスからミレニアムのある地域までを支配下に置いたこと、そして、ある時を境に何処かに消え去ってしまったということである。
しかし、シスターフッドにはその後の長い暗闘の記録が残されている。それによると大方が消え去った後にも、各分派に潜伏してトリニティを脅かそうとしていたようだ。それも今は昔、暗闘の最後の記録からは幾星霜の年月が経過していた。
シスターフッドの長に代々伝わる伝承では、かの集団はマネスを崇めるがためにその活動では必ずその名を使うという。
そして、時を超えて現れた脅威は最新の技術を持って再びその牙を向けていた。闇の世界で増殖したその通貨はキヴォトス中の悪を束ねて今にもトリニティへその矛先を突きつけつつあったのである。
これに対してシスターフッドの動きは速かった。
表向きの自治区の政治軍事はティーパーティーが、異端への対処はシスターフッドがという古よりの取り決めに基づいて直ちに有事への備えを始めていた。暗闘のための装備を整え、それに必要な人員を組織する。歌住サクラコの確かな手腕によってシスターフッドは確実にその態勢を整えていた。
ティーパーティーが、そしてトリニティ全体が揺れ動こうとしている今、新たな脅威に対処するにはシスターフッドがやるしかないだろうという判断はしかり、傍目からは見えない敵と戦おうとしている自分たち自身が脅威と見なされる可能性を除けば適切な判断であるのだろう。
そう、歌住サクラコは気が付いていなかった。今のティーパーティーの目に何が写っているのかを。