これは、とある少女が背負った『憧れ』が終わるお話。
どこまでも広がっている青空と、浮かぶ雲。
世界の日常を象徴するような空模様。
その中のとある研究室、その一室のお話。
「それじゃあ行ってくるよ」
「はい、先輩」
部室から出ていった先輩と呼ばれた女性は、これからここではない場所で実験を行うところらしい。
部屋に1人残された少女は、女性の研究の内容が書かれた紙の束を片手に暖かい陽の光の中で眠りについた。
それから次に少女が起きたのは周りが暗くなってきた頃だった。先輩に対し、毛布の一つぐらいかけてくれてばいいのに、という少々傲慢なことを考えながらも研究室を出た彼女が聞いた最初の言葉。
「あそこの先輩、事故で死んだらしいよ」
「…!?」
そんな会話が耳に入ってきた。
あの人が、死んだ?そんなはずはない。尾鰭のついた、誇張された噂だ。
話をしていた子たちの胸ぐらを掴んででも聞き出したい思いを抑え、足早で自宅に帰る。
そのまま急ぎ連絡をとる。
メッセージを送るも、既読はつかない。電話をかけても『お呼びだししましたが、お繋ぎできません』という短い機械音声が何度も虚しく響くのみ。
そんなはずはない。あの人がそう簡単に死ぬはずがない。そう、そうだ。死なないんだ。あの人は。
ベッドに体を沈ませながらそう考えるも、頭の中に僅かに残った理性が否定する。
思考がぐるぐると回って眠れない。チクタクと壁掛け時計の針の音が現実を教えるかのよう日が昇るまで部屋に響いていた。
起床。
目を開いて周りを見ると、そこは自室であった。
研究室で目覚め、いつも通りの日常が始まるのではないか。先輩が死んだなんて噂も、連絡がつかないという事実も、全部悪夢だったらどれほど良かっただろうか。
重い体を動かして着替える。外行き用の服のまま眠ってしまったためか、服は皺だらけになっている。今度アイロンをかけなきゃ、なんてことを考えながら服をぐちゃぐちゃに重ねて、適当な服に着替えた。
メイクもせずに扉を開けばそこはいつも通りの青い空とビル街。
憂鬱そうに歩くサラリーマン、登校中の学生、散歩中のお年寄り…いつもは気にすることすらなかった『日常』が、いやでも目に映った。
研究室の前へ着く。きっとこの先には、いつも通り手を振って私を出迎える先輩が居る。いつも通りの日常が始まる。そう考えて、いつもに増して重い重い扉を開いた。
おはようございます、と口ずさみながら足を踏み入れる。ここまで重い一歩は、中学の職員室以来ではないだろうか。
そんな勇気とともに発された言葉に返事はない。おはよう、という快活な声は返ってこない。
あぁ、と口から声が漏れる。
脳が理解を拒んでいる。
心が信じたくないと悲鳴をあげる。
それでも、ここまで突きつけられれば、嫌でも認めなければならないのだ。
あの優しくて、優秀で、どこまでも私を気にかけてくれた先輩は、もう死んだのだと。もう居ないと。もう会えないと。
脚の力が抜けてぺたりと座り込む。手がだらりと落ちる。首がガクンと垂れる。
床に水滴が落ちると同時に、1人しか居ない研究室に嗚咽が響き始めた。
その数日後、先輩がテレビに載った。最初で最期だった。
世界は少女に無慈悲に示し続ける。
死人はもう二度と現れることは無いと。
とあるバー。寂れているというほどでもなく、繁盛しているわけでもない。そんないい塩梅の場所。
カウンターに座る女性に、ある1人の男が話しかけた。男は仕事帰りなのかスーツ姿だ。
「すまない、隣いいかい?」
「あぁ、問題ないよ。ただ…そうだね」
男性はカクテルを頼み、女性ももう一杯を注文する。
「私の自分語りを聞いてくれないか?背中を追いかけて続けて、追って、成し遂げて、そして止まってしまった。そんな愚かな女の話を」
女性は口角を上げた。男はため息を一つつき、聞く姿勢をとった。
夜は更ける。今日も空は澄んでいる。
日常は続くのだ。私達にどんなに辛い現実が突きつけられていようとも。