死に行く世界:1999年6月17日(旧題 異常性癖:“理解・捕食”)   作:廃棄された提言

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第一項:第6保全区域、命の溢れる繁殖欲

「2006年に発足した退魔師管理局はアズマ国内における異能者を統括し治安回復に努めた組織であり同時に実質的な暫定政府として―――」

 

 前田トシヤは教壇に立つ大人の講義を聞き流しつつ、自分が今この瞬間怪異に襲われたならどんな対処をするだろうかという妄想を脳内でシュミレーションするこの世界では至極一般的な男子高校生だった。

 

 13年前までであれば、彼らのような少年が思い浮かべるイメージにおける非日常はテロリストの姿をしていただろう。

 

 だが今や、彼のみが例外ではなく彼の年代の子供はその多くがかつて存在したどんな映画監督が生み出したものよりもセンセーショナルでリアルな怪物の姿を思い描くことが出来る。

 突然この教室に押し入って来たそれらに他の生徒たちが悲鳴を上げて逃げ惑う中で、不思議な力に覚醒して怪物に立ち向かう自分は妄想の中では最強の主人公だった。

 

 この世界において、ライオンは既に絶滅している。

 

 ライオンだけでなく、カバやゾウやキリンといった、かつての動物園における主役のような哺乳動物の姿を今時(・・)の子供たちは間接的な姿でしか知らなかった。

 

 

 それは翼の生えた、尾を蛇とした魔法を放つ獅子、

 

 それは背中に大地を背負い、その行く手の全ての足元を踏み均す巨獣、

 

 それは眼球を持たない、六本の余計な鼻孔を備え別々の有害物質を吐き散らす野獣、

 

 それはキリンと同じ名を持つ神の化身、雲に乗って天空を駆け回る姿を時折目撃されることがあった。

 

 

 かつての世界であれば明らかに架空の存在だろうと見做されていた筈のそれらは、今の世の中では人々にとって台風よりも身近で、そして切実な問題だった。

 

 それら、異常と非常識と旧非科学的根拠で満たされたフレームワークで構成された存在たちは実在している。その多くが人類に対して敵対的であり、積極的にその安全を脅かそうとすることを考えれば、それは台風よりも遥かに質の悪いものだった。

 

 かつて正常だったものの多くは別の異常な何かに滅ぼされ、人類はその世界で正気を保って存続している数少ないものの一つだった。

 

 そうやって狂った存在が跋扈する世界の姿を、子供たちは記録映像やノンフィクションのドキュメンタリー番組の中で見た。そうやって育った子供たちの想像力が生み出す怪物がリアリティに富むのは必然だった。

 

「1999年6月17日、13年前の今日は人類史上最悪の日の一つに数えられています」

 

 ―――中央暦1999年6月17日

 

 表立ってその日に起きた明確な悲劇を述べるなら、それは一つの国の首都が壊滅したことであり、―――更に付け加えるなら、それは初めて公的に超常の実在が認められた瞬間でありその脅威が世界に知れ渡った瞬間でもあった。

 

 トシヤは自分たちが今でも暮らしている国土にかつて何があったか、正確なところを知らない。現在15歳の彼は比較的家庭が裕福だった当時(別に今もそうだが)、避難の連続の中でそういった危険から遠ざけられていた。

 

 それは大人たちの類稀なる努力の結果だった。幼かった少年は恵まれていて、守られていた。それを行う大人たちの背中に憧れてもいた。

 

「かつてこの国の首都であったアマハラは正体不明の怪異により一夜で壊滅し、直接的な被害による800万人の犠牲者の中には当時の主要な政府関係者の全員が含まれていました。間接的な犠牲者は総数不明です。それは正に国家崩壊の危機であり、我々がこうして君たちを教え、君たちが教わることが出来るまでに社会構造を回復させることに成功したのも全ては退魔師管理局あってこそで―――」

 

 トシヤたちが未知で不可解なモノで満たされた今の世の中にあって、前時代とあまり変わらずに過ごせている理由は彼らのいる学校を含めた都市全域が“保全区域”だからだ。

 

 かつての人類は貴重な野生動物の生き残っている地域を保護区として指定し個体数を守ろうとしたらしい。

 今のトシヤらが置かれている状況はそれと同じことだ。退魔師管理局は残された貴重な人類を幾つかのグループに分け個別に隔離し、人類の生存に適さない超常蔓延る地獄となってしまった“郊外”の“それら”から守り抜く。

 

 

 退魔師は今の世の中で最も必要とされ、最も危険で、最も人気のある職業だ。

 

 中学生から授業のカリキュラムの中には“自衛”が含まれるようになる。剣術、拳術、銃の操作―――とにかく一つでも戦う方法と力を早期に身に付けることが求められていた。

 

 そこで周囲との良い意味での差を自覚し、自信を持った子供の何人かは管理局の入局試験をその業務の危険性を知りながら受けに行く。

 

 トシヤも卒業後はそうするつもりだった。

 

 彼は15歳だが、今年高校を卒業する。飛び級ではなく、この世界ではあらゆる年齢制限がかつてのものより引き下げられ、16歳が成人と見做される。高校と中学は2年に短縮され、小学校は5年、累計9年で彼らは就学課程を修了し、希望者はより実践的で特化した知識を得るため大学へ行くことになる。

 

 彼が退魔師を志すのは、別に正義感などではなかった。

 

 彼はあまり真面目に授業を聞く生徒ではなかったが、それでも教師たちが口にするプロパガンダは浸透していた。

 

 『退魔師は尊敬されるべき名誉ある職業である』

 

 それは決して嘘では無かったし、トシヤはただ周囲の言葉に流されていくほど愚かでもない。

 

 けれど単純ではあった。力が有ればよく、それで立場と金を得られる。そういうシンプルな構造は彼にとって好ましいものだった。

 

 ………ただ、彼は結局退魔師管理局が率先して退魔師の身分を守ろうとするその真意を最期まで知ることは無かった。

 

「きゃぁああああああッ!!!」

 

 少年の妄想が現実となって、絹を裂くような悲鳴が同じフロアの別教室から響き渡った時も、トシヤは最初こそ呆然としたがすぐにメラメラとした闘志が腹の底から湧き上がるのを感じた。

 

 携行が許可されている自衛用の折り畳み式の刀と拳銃を荷物の中から取り出して握った彼の脳内は、アドレナリンの分泌により心地よい興奮に満たされる。

 

「君たちは教室で待機!!」

 

 さっきまで教壇の上でどこか形式めいた言葉を発していた教師が血相を変えて、教室の前の扉から廊下に飛び出して行く。自動で閉まったその扉は同じく自動で施錠された。見掛けに依らず旧時代の銀行の金庫扉よりも頑丈なその封鎖を解除する権利は生徒にはない。

 

 発生した“問題”が教員たちで鎮圧可能なモノならば、このまま生徒たちを隔離し安全を確保した上で全ては完了し、この保全区域を管理する退魔師管理局の支部職員たちの手によって後が引き継がれるだろう。どこにも生徒の出番はない。

 

 ―――だが、もし発生した“異常”が教師たちには対処不可能だったなら。

 

「逃げろッ!!!!」

 

 そう叫ぶ大人の声と共に、教室の扉のロックが解除される。すぐさまそこから外へ飛び出すのは同じだったが、トシヤは悲鳴を上げて逃げて行く他の生徒とは逆方向へ――教師が走って向かっていった方へ駆け出す。

 

 そこに若さ故の愚かさが含まれていたことは認める。だが、少年の中には若干の合理性が存在した。

 

 トシヤは体格に恵まれていて、更には才能があった。自衛訓練に於いて、彼は何度か教師に土を付けることさえ出来ていた。

 

 彼の明確な死因を決めるなら――そう、

 

「―――え……?」

 

 立ち尽くす少年の目の前で、つい数秒前までは生きて叫んでいた教師の死体が床に倒れ込む。それは頭を爆発させて死んでいた。飛び散った脳髄とも血とも付かない赤黒いものがトシヤの顔面に降り注ぐ。

 

 ―――少年の死因の一つは、彼が未だ本気で命を奪う状況にも理不尽に奪われる状況にも遭遇していなかったことだ。

 

 

 脳が沸騰する。それは怒りでも恐怖でもなく、驚くべきことにこの瞬間においては生理的な反応だった。

 

 倒すべき怪物の姿は無い。

 

 ぐらつく頭を抱えて原因だろう血に染まった隣の教室の中をトシヤは覗き込むことが出来た。そこには死体だけで、切り裂いて銃弾を撃ち込むべき明確な敵の姿は無かった。

 

 ―――少年の死因の二つ目がこれだ。彼が今回対峙したものは、単純な暴力の成績の良さが意味をなさない異常だった。

 

 

 この状況に置かれた15歳の少年にその判断を煽るのは酷かもしれないが、方法はあった。

 

 彼にはまだ手足がマトモに機能する内に銃口を自分の頭に向けて、授業で何度も繰り返した動作で引き金を引いてそれをぶっ放すという選択肢がまだ残っていた。

 

 その行動を思い付いて覚悟を決め完了する為に運命が用意した貴重な14秒を、彼は廊下を自分の口から出た吐瀉物で汚すことで無駄にした。

 

 タイムリミット。

 

「ぶ……え……お、あついあついあついあついあついあつい――!!!?」

 

 楽な死に方を選べなかった少年に、地獄の死に際が訪れる。壁に手をついて胃の内容物を撒き散らす行為に耽っていた彼はあらゆる感覚を塗り潰す“熱さ”に思わず叫んだ。

 

 具体的にその感覚を表現するなら頭へ向かう血管に血液の代わりに熱湯を通し、それを脳の内側で高速回転させる感じといったところだろうか。

 

「た―――ず―――け―――て―――ぇ―――」

 

 短期間の内に意識が気絶と覚醒を繰り返す。明らかな膨張を感じる。トシヤは自分の頭蓋骨に亀裂が入る音を聞いた。

 

 痛みと困惑と恐怖、彼が最期に覚えていたのはこれだけ。

 

 パァンと、水風船が割れるのに近い音を立てて血肉と骨の断片が周囲に撒き散らされる。最後まで思考らしきものを行っていた脳髄の一部は天井に張り付いたが、大半は壁や床にまき散らされた。

 

 最後に統制を失った首無しの身体が床へと倒れ込む。

 

 使われることの無かった刀と銃が副葬品のように寄り添って、15歳の少年の人生はとある2012年の初夏に終わりを告げた。

 

 

 

 

 当然のことだが、事態はそれで終わらない。

 

「あ、あ、あ、あ、やだやだやだやだ―――!!!??」

 

「あつい」

 

「たすけて……ねぇ、たすけてよ!!?」

 

 ジリリリリと誰かが鳴らした非常警報が施設全体を包み込むが、それを掻き消すほどの勢いで響き渡る怒号と悲鳴、そして破裂音。

 

「うっ」 [破裂音]

 

「あっ」 [破裂音]

 

「ぎっ」 [破裂音]

 

 

 姿の見えない殺人者による正体の分からない惨劇はまだまだ始まったばかりだった。

 

 

――――

――――――――

――――――――――――

 

「開けて開けて開けて開けろ開けろ開けろあけろあけろあぁあああああああッ!!!!????―――えぎっ」 [破裂音]

 

 九条カンナは14歳で、学年的な理由で“これ”が始まった時には発生した教室のあるフロアの一つ下の階層にいた。

 

 まず悲鳴が上がって、非常ベルが鳴って、血塗れの上級生が階段を駆け下りてきた。

 

 訓練は何度も繰り返した筈なのに、大勢が互いに押し潰し合ってそこで何の異常な原因も無い事故死を起こしてしまった。

 

 それを見てエレベーターのある方へ走った同級生は、そこで血塗れの籠に乗って送られてきた首の無い4人の死体を見て吐く羽目になった。

 

 それでも何とか邪魔な死体をどかしてエレベーターを使えるようにしようとして、何人かはその努力を手伝おうともした。―――関わった5人くらいの同級生は、1分も作業に時間をかけない内に全員が頭を破裂させて死んだ。

 

 沢山の人が泣いていたし、漏らしていたし、壊れてしまったらしい人は笑い続けた。

 

 皆死んだ。泣いても漏らしても笑っても関係なかった。頭が膨らんで、耐え切れなくなって破裂して死んだ。血と肉と骨の混ざった残骸が撒き散らされた。

 

「うっ…うっ…うぅっ…」

 

 目の前で友達が沢山死んで、それを前に泣くことしか出来ないカンナが生存しているのは彼女が強いからではなく、弱くて臆病だったからだ。

 

 エレベーターの惨状を見て、真っ先に教室に駆け戻った彼女は内側から扉を手動で施錠した。遅れて戻って来た同じクラスメイトたちが外から扉を皮膚が裂けるほどの勢いで叩き叫んでも、扉はカタログスペック通りビクともしなかったし彼女は決して扉を開放しなかった。

 

「ごめん……なさい…」

 

 やっとその言葉をカンナが呟くことが出来たのは、最後の破裂音と共に扉の向こうで声が途切れて叩かれる気配も無くなってからだった。

 

 それまで彼女はただ耳を塞いで、目を閉じて、閉じた目から嗚咽と共に涙を溢していた。

 

 聞く者がいなくなってから謝罪を口にしたのは、自覚のある後ろめたさと罪悪感に裏打ちされた、せめてもの自己保身だ。責められたくなかった、これ以上。

 

 だが、彼女の選択は非難されるべきものだろうか?

 

 扉の外に居た者は全員が死んだが、ただ一人扉を開かなかったことで少女は生き延びることに成功した。

 

 階下ではまだ喧噪が続いていたし、まだ非常警報は鳴り続けていたが、カンナはもう何があっても扉のロックを解除するつもりは無かった。

 

「ごめんなさい……ごめんなさい……」

 

 少し身体を起こして、廊下に面した教室の防護ガラスの窓から外を見れば、そこには14歳の少女の正しさと罪の功績が広がっている。

 

 だが決してそれらと向き合うことはせず、カンナは虚ろな瞳で教室の床を見つめてただ謝罪を繰り返すだけの存在になった。

 

 

――――

――――――――

――――――――――――

 

「血から離れろ!! 死体に触れるな!!!」

 

 “これ”が犠牲者から感染する性質に実は早い段階で教師たちは気付いた。この世界で大人と呼べる存在は、例外なく退魔師も保全区域も存在しなかった暗黒期を乗り越えた者達である。

 

 ほんの少しの見落としと若干の気後れ、そして想像力の欠如が死に直結することを実体験を通して大人たちは知っていた。

 

「うわぁあああああッ!!!??」

 

「せんせい…血が…血が付いちゃいました…」

 

 ―――問題は、取れる距離の限られた屋内でその事実が発覚したところで対処法もまた限られていたことだった。

 

 仕掛けが分かっても、あまり犠牲者は減らなかった。パニック状態の生徒たちが正常に忠告を聞けていたかも怪しい。

 

 若い命は次々に弾けた。

 

 防護服はあるが、生徒全員分は無い。そもそも誰が既に“感染”してしまったのか、それすら明確には分からない。

 

 ―――これは教師(自分たち)の手には負えない。

 

 そうと思い知ったからには、大人たちの行動は早かった。非常ベルが鳴らされ既に此方に向かっているだろう、区域を管理する退魔師管理局支部へ追加で連絡を入れる。

 

《はい、こちら退魔師管理局第6支部です》

 

「異常事態発生中の第6保全区域第三教育棟の教務課長、栗原です。異常の詳細について報告します」

 

 栗原タイゾウは努めて冷静に、余計な物事は挟まず一方で伝えそびれる事実の無いよう言葉を発する。

 

 

 まず、この異常が校舎の最上階である4階、高校2年生の最上級生が集うフロアで始まったこと。

 

 犠牲者がその頭部の破裂によって撒き散らす血を浴びるか、死体に接触することによって異常が“感染”すること。

 

 既に感染者の総数は不明で、生存者の中の誰が感染者であるかも分からないこと。

 

 この場に急行する管理局支部局員は化学防護服の着用が必須であり、学校からの全ての脱出者は厳重に隔離しなければならないことも強く言い含めた。

 

 

 男は言い切って、何か見落としが無いか記憶の中を探った。僅かな違和感ですら見逃さなかった。

 

 ……すっきりとした晴れやかな達成感を覚えるほどに、言いそびれたことは無かった。

 

 そして男は最後の職務を終えた。

 

《分かりました。以上ですね?》

 

「……はい」

 

 終始冷静だった受け手の問いに答え、通話を切る。

 

 タイゾウは自身の足に付着した血痕を見た。それは微かな、だが決定的な間違いだった。廊下の両端を挟まれて前後の人間が破裂したのだ。これでも上手く避けた方だった。

 

 職員室にはもう、彼一人しかいない。他の教員は既にこの場を離れたか死んでいる。

 

 男は愛用の上着と一体化してもう違和感を覚えなくなった、それが無いことの方が違和感を覚えるほどに人生の一部となった胸元の膨らみと僅かな重量を意識する。

 

 ―――かつてこの国の警察組織で運用されていた一般的な回転式拳銃がそこにはある。

 

 何の加護も術式も刻まれていない拳銃弾はこの状況の解決策にはならないだろうし、男のこれまでの人生の多くの場面で実際にそれは役に立たなかった。

 

 それでも、ジャンク品同然の値段でいつかの闇市で仕入れたそれを、男は何時如何なる場面でも手放さなかった。

 

 

 

 男には妻がいた。男にまだ若さが宿っていた頃、避難所を襲った顔の無い化け物の透明な腹の中で男の妻は死んだ。生きながら溶けて死んだ。『殺してくれ』と叫んでいるのが男には理解出来たのに、彼には何も出来なかった。

 

 男は満腹になって消化に専念する化け物の腹を殴って、近場の物をぶつけた。何とかその中から妻を取り戻そうとした。

 

 全身の皮膚が溶けた妻が、眼や内臓や筋肉が溶解していく痛みに悶える姿を男は見ていることしか出来なかった。化け物の腹には他にも大勢が囚われて藻掻いていたが、タイゾウには妻しか見えなかった。彼女は剥き出しになった神経を酸で炙られて死んだ。直接の負傷や窒息も併せて、痛みによるショックがタイゾウの妻の死因の大半だった。

 

 妻が死んで、骨になって、骨すら無くなっても彼はただ茫然とそこに立ち尽くしていただけだった。

 

 腹の満ち足りた化け物は無力な男に何ら興味を示さず、現れた時と同じように避難所の壁を壊して出て行った。それを追いかける気力すら、男には無くなっていた。

 

 

 

 栗原タイゾウの脳裏には、愛していた妻の苦悶と絶望に満ちた死に顔がずっとこびり付いていた。

 

 だから彼はとっくの昔に決めていた。この狂った世界の悍ましいモノ共に自分の死を委ねることだけは決してしないと。

 

 彼は悟っていた、死のみが人類に許された自由であることを。それを理解しながら今日まで生き続けた理由は、単に『生きたかったから』では不足だろうか。

 

 別に男は死にたくはない。死ぬのは怖い。ただ、死ぬしかない時に手段を選べず最悪の結末を迎えることの方が恐ろしかった。

 

「……」

 

 無言で頭にタオルを巻く。犠牲者の血が感染源になることは分かり切っている。それは周囲に男のそれが飛散しないようにするための措置だった。

 

 『感染していないのでは?』という僅かな希望は急速に熱を帯び始めた男自身の体の感覚と異常な発汗量によって否定される。感情とは無関係に動悸が込み上げ、拍動が加速する音が彼の耳にはっきりと届いていた。

 

「……俺は、お前らによって死ぬんじゃない。俺は俺の意志で死ぬ」

 

 銃口を布越しに自分の頭に突き付ける。それは勝利宣言と呼ぶにはあまりにも非生産的で後ろ向きな台詞だったが、少なくとも彼は運命に蹂躙されるのではなく降伏することを自分で選択した。

 

 引き金を引くことに躊躇は無かった。ただ、その間際に走馬灯のように加速した思考が自問自答を繰り返す。

 

 

 自分が生きたことに意味はあったか? 生まれたことに意味はあったか? どうしてこんな世界に? なんでおれがしななきゃ―――

 

 

 頭蓋と脳が内側から弾ける水気を帯びたそれとは違う、乾いた破裂音が木霊する。

 

 栗原タイゾウ、享年41歳だった。

 

 

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 野中ハジメがあっという間に地獄と化した校舎からの脱出に成功したのは、単に彼が出口に近い場所にいたからだ。

 

 偶々トイレに行く為に教室を離れていて、用を足して教室に戻る途中で警報が鳴った。その時、彼は校舎から校庭に出る為の出入り口に一番近い場所にいた。警報と共に出入口が自動で解錠され、施設からの避難を促す自動アナウンスが鳴り響く。

 

 避難手順については幾つか訓練されていたが、何が起きているのか分からなくてどう行動すればいいか彼は僅かに迷った。迷う程度の余裕が彼には許されていた。

 

 ハジメは取り敢えず校庭に出て、遠くから校舎の中で何が起きているのか確認しようとして、絶句した。

 

 建物の四階、高校2年生がいるフロアの廊下側の窓が血に染まっているのが地上からでもはっきりと分かった。逃げて行く人の動きに合わせて窓に張り付く血も移動し、その残酷なレイアウトは下の階層へ、ハジメがいる地上へと着実に広がって近づいていた。

 

 その迫り来る得体の知れない恐怖に、ハジメはこの場に居続けてはいけないことを本能で理解した。

 

 彼も出て来た出入口から、血に染まった生存者が現れるより早く少年は校門から外へ飛び出して自宅のある方向へ全速力で走り出していた。

 

 とにかく両親に会いたかった。少年は安心を得たかった。

 

 

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「は…ぁ……はぁ…はぁ…はぁ……」

 

 膝を着いて、息を整える。

 

 木下アザミは死体の巣窟と化した学園の、既に汚染された区域から無傷で脱出することに成功した稀有な例外だった。

 

 校庭には彼女以外にも何人かの姿がある―――それはこの校舎に収まっていた人数の一割にも満たない、その気になればすぐに数えることの出来る程度のものだった。

 

 彼女は具体的な人数を数えてみることをしなかった。気が滅入るだけだったから。

 

 鼓膜の内側で破裂音が木霊している。クラスメイトの断末魔と、凡そ人のものとは思えない死に様が脳裏に焼き付いて色褪せない。

 

〈全員互いに距離を取って!! 今は我々と合流しないでください!! こちらは退魔師管理局第6支部です!! 繰り返します! 生存者の皆さんは―――〉

 

 全身を包む宇宙服のようなスーツにガスマスクを装着した管理局の支援職員が拡声器で呼び掛け、校門から生存者を引き離していることも今の彼女からすればどうでも良かった。

 

 校舎を出るまで、彼女は生き残ることしか考えていなかった。だが、脱出に成功した今は嫌な虚無感に襲われていた。

 

 生きる為に、助けを求める声は全て無視した。何も出来ないし、してはいけないことぐらいはすぐに気付くことが出来た。

 

「……ユウ…コ…」

 

 泣き喚く親友の姿を無視して走り出した時、少女の中で躊躇が消えた。全ての情緒が麻痺した。

 

「うっ……おぇっ…」

 

 アザミは地面に向けて嘔吐した。それは凄惨な光景がフラッシュバックしたからではない。飛び散る友人の脳漿を思い出してしまったからではない。

 

 それらに一切心を乱されることなく、淡々とここまで逃げ延びたさっきまでの自分の行動と意識に宿る非人間性への悍ましさからだった。

 

 極限状態において発揮された少女のその才能は、退魔師となるに相応しいものである。望んで身に付けられるものではない、天性のものだ。この世界では活躍の機会を多く与えられる才能だろう。

 

 しかし少女は自分の“本性”がどれほどの人でなしであるのかを、これ以上なく正確に突き付けられていた。それは望んだものではなかった。少女は自分の中にそんな部分があることさえ知らなかった。

 

 それは理解し難い物だった。

 

 自分自身という覆しようのない存在の根底に根付く異物感。その異質さとこれまでの比較的平穏な人生の中で培ってきた常識的な価値観との間で発生する、不快感を火花として散らす摩擦。

 

 運に依らず実力で生命を勝ち取った少女は、けれども不幸だった。

 

 程なくして彼女たちの頭上を光壁が包み込んだ。

 

 

――――

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 活動の目的は早期に被害者の救助ではなく現場の封鎖と原因の究明に焦点を当てられた。

 

 第三教育棟は壊滅状態だった。別館であった小学校校舎への被害は軽微だったが、中高合同校舎はその建物自体が血に染まっているかのような錯覚を覚えるほどの状況だった。

 

 何人かの生徒は階段を諦めて窓から地面へ飛び下りた。階段を使おうとした生徒たちよりは生存率の高い試みだった。

 

 現場に駆け付けた管理局支部職員がしなくてはならなかったのは、その数少ない生存者を外に連れ出すことではなく何よりも第一にこの場を隔離することだった。

 

 空間に超常的な意味合いを持つ幾何学文様が浮かび上がり、第三教育棟の敷地全体をドーム状の光膜が包み込んだ。この防衛設備は本来、中にいる大勢を外の脅威から守るためのものだ。大規模災害に際して学校施設が緊急の避難所として機能するというセオリーは13年前から変わっていない。

 

 しかし今や、光壁は中にいるものを大気の移動すら不可能にする徹底さで封じ込めるものになっていた。

 

 チームは校舎周辺における魔力濃度の不穏な上昇とその範囲の拡大を見逃していなかった。

 

「助けてください!!」

 

 彼らは耳を塞がなければならなかった。

 

「私たちは感染してません!! 血に触ってません!!」

 

 責任を押し付けられる上司に彼らは連絡した。提案は却下され、現場をそのまま維持し続けるよう変わらない命令が下った。

 

「どうして…?」

 

 彼らは答えられない。

 

「たすけて、わたしたちをたすけてください…!」

 

 代表して現れた幼い声は危険な罠だった。被害の少なかった小学校校舎は大勢が生き残っていて、円らな瞳が外で作業する彼らを見て不安に揺れていた。

 

 何人かは泣きじゃくっていた。

 

 それは彼らが職務を放棄したくなる理由としては十分だったが、彼らが自分たちの背後に残したもっと大勢の第6保全区域の住人の安全を確保することの重要性を見失うには不十分だった。

 

 

 

 

「これより内部探査を開始する」

 

 現場指揮官の声と共に5基のドローンが起動する。第三教育棟を覆い続ける結界の設定は変更が加えられ、今は侵入が許可されるようになっていた―――出ることは出来ない。

 

 結界を通過したドローンのカメラはまず、校庭に集った生存者たちの姿を捉えた。大人の姿は少なく、その大半は子供だった。それでも、そこに集う人々の数は本来在るべき数を遥かに下回っている。彼らは皆一様に打ちひしがれているか興奮状態で、何人かはバリアの内側に入って来たドローンに注目し反応していた。

 

 ドローンに備え付けられた計測器が周辺大気の魔力反応に異常を検知する。センサーのノイズを拡大し、詳細にスキャンするとそれは大気中にばら撒かれた魔力を有した微粒子だった。

 

 内部の教員の一人が決死の思いで管理局に連絡した一節が局員の脳裏を過る。

 

 ―――この異常は感染(・・)する。

 

「……あぁ」

 

 彼らの職業において、個人の戦闘能力とは別に重要視される項目がある。“想像力”だ。現場の退魔師とその支援を行う人員は、日常的に未知の脅威と不可解に対峙し続けることになる。

 

 初見の状況に遭遇したなら、得られた少ない材料を繋ぎ合わせて正解に近い像を編んで正体を掴まなくてはならない。

 

 その能力が現場の人間にとっては自身の破滅を遠ざける命綱となり、指示などを行う後方職員は彼らを殺さずに済む選択肢を作り上げることに繋がる。

 

「「「「細菌/ウイルス/胞子」」」」

 

 ドローンから送信された観測結果を確認した管理局支部職員の言葉を発するタイミングと(およ)その意味が重なる。

 

 彼らはその時にはもう、今はまだ正常に見える校庭の生存者たちが既に不可逆な死の運命の中にいることを悟っていた。

 

 彼らの仕事とその行動が間違っていることを誰もが望んでいた。校庭の人々は連れ出しても問題なく、閉じ込めることに意味は無かったのだと。

 

 ……その願いはこんなにも序盤で潰えた。彼らの仕事ではよくあることだった。

 

「……合同校舎4階を目指せ」

 

 沈鬱な気配を含みながらも、現場指揮官は指示を出した。

 

 校庭の様子を記録し続ける2基のドローンを残して、3基が悲劇の起こった校舎内への侵入を試みる。

 

 1基は1階の出入り口から、1基は屋外に設置された非常階段の出入り口から、1基は生徒が身を投げた4階の開け放たれた窓に直接侵入した。

 

 屋内の魔力濃度―――無遠慮に大気を満たす異常の根源である微粒子の密度は急激に跳ね上がった。

 

 ドローンの操作者は築き上げられたばかりの鮮烈な地獄の痕跡を間近に見ながら、その全てを辿らなくてはならなかった。

 

 死体の多くは学生服を身に付けていて、その多くに頭部が存在しなかった。中途半端に下顎のみを残したものや、胸あたりまでの上半身の一部を失ったものもいた。

 

 頭部が無事なものは避難の際に発生した事故で押し潰され、苦悶のままに息絶えていた。

 

 ―――生存者はいなかった。

 

 たった一人だけ、比較的綺麗な教室内部で頭を破裂させて死んだ生徒の姿があった。内側から鍵が掛かっていて、教室の扉を開いて中の詳細を確認することは出来なかった。

 

 彼女を閉じ込めたか、あるいは彼女が閉じ籠った扉の前には特に大勢の死体が積み上がっていた。

 

 何にせよ、全ては手遅れだった。

 

 

 

 全てのドローンは異常が起爆したとされる中高合同校舎の4階を念入りに調べ上げていた。空間内の微粒子の濃度もこのフロアが最も濃い。それは肉眼では捉えることの出来ない、致死的な要素を含んだ濃霧だった。

 

 ドローンは慎重に進む。管理局はここから何か特別なものを見出すことを期待していた。言うなればそれは分かり易い“元凶”であり、漏れ出すガスの元栓だ。

 

 どれだけ厄介でもそれを叩き潰せば状況が改善されるというので有れば、彼らはやってやるつもりだった。化学防護服を身に付けてバリアの内側に突入し、銃でも火炎放射器でも護符でも何でも携えてそのクソッタレ(・・・・・)に然るべき報いを与える気概はあった。

 

 それに少しでも意味があるなら、彼らは挑戦することを諦めない。だが、意味の無い犠牲を重ねることは決して許されなかった。

 

 極僅かな可能性において、校庭でまだ生きている人々がその後も生存できる線があるならここだった。

 

 ―――第三教育棟4階、講義室2-3

 

「………」

 

 そこには他と変わらぬ景色が広がっていた(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)

 

 頭を無くした死体の群れの多くは、血みどろで教室内からの脱出に成功していなかった。教室の周辺には一人の教師と、簡易式の退魔武装を床に転がらせた一人の生徒の死体が転がっている。

 

 大勢がこの教室から逃れるように動いたため、意外なことに周辺廊下に転がる死体はその二つだけだ。

 

 チームはドローンを使って教室内を更に隈なく調査する。

 

 授業で使用されていたスクリーンの画面は静止し、教壇の近くで教師がスライドを操作するリモコンポインターを持ったまま頭を破裂させて事切れていた。彼の飛び散った脳漿は、ちょうど彼の身長と合致する高さでスクリーンの白い下地をピンク色に彩っている。

 

 生徒全員の死体はそこから逃れるように遠ざかって存在した。

 

 状況が、最初の感染者がその教師であったことを告げる。

 

「………クソ」

 

 その教師の死体は、何らかの形で感染を積極的に推し進めるような根源的な異常を孕んでいなかった。

 

 それは元凶であってもそれを押さえれば状況が改善するような元栓ではなかった。それは道中で見た物と同じ、単なる犠牲者だった。

 

 分かり易い問題があれば、それに対処することで状況を解決出来たかもしれなかった。だが、それはもう叶わない。

 

 悪足掻きのように、無人調査チームはそこで得られる情報を欠かさず入手した。

 

 “発症”以前の教師の行動履歴を洗い出す為に必要な死体の身元を特定した。廊下に落ちている近隣2体の死体の内、教師の方が密閉されていた教室のロックを解除したことが分かった。

 

 監視カメラの映像記録から、教師が地獄の蓋を開いた時点で生存者が存在しなかったことも分かった。

 

 監視カメラには映っていない範囲に何かがあることを期待したチームの試みは実らなかった。

 

《―――黒部隊長、応答してください》

 

「……はい」

 

 現場指揮官――黒部セキに退魔師管理局第6支部の上層部、つまりは彼の上司からの連絡が入る。最悪になった現場の空気を全く慮る様子の無い冷酷な声音には怒りを覚えるが、それを吐き出したところで相手には一切響かないことを知っている。無意味だ。得られる物があったとして、それは現場指揮官の降格と交代である。そしてそれを獲得することすら、実のところ困難だとセキは知っていた。

 

 だから彼は全てを呑み込んで、努めて平静を装ってそれに応対した。そして彼は、これから起きることも何となく理解していた。

 

《間もなく実行部隊(・・・・)が到着します。現場を彼らに引き継いでください》

 

「…分かりました」

 

 上司の言葉が意味するところを、セキは理解している。燃焼材を満載にしたタンカーと、放水車と呼ぶには無骨な姿をした装甲車両の接近が作戦テントの外に見えていた。

 

 自分たち先遣部隊が集めた情報を整理し、最適な対処を行える実行部隊を組織するのは上層部の仕事だ。

 

 この短時間でそこまで漕ぎ付けられたことには電話口の相手の確かな優秀さが伺える。同時にその成功率が自分たちの仕事の正確さによって左右されることも良く理解しているつもりだ。

 

《―――それでは、失礼します》

 

「………」

 

 こちらの沈黙を無視して、通話は向こうから一方的に切られた。

 

 分かっている。上層部は現場の合理なら兎も角、感情を一々拾えるほど暇ではないということを。

 

 彼らの役割は自分たちの担当する保全区域を正常に保つだけでなく、保全区域周辺の郊外を掃討し緩衝地域として目に見える異常のない一定の領域を常時維持しなくてはならない。都市の全てを管理する―――否、それ以上のことを求められる彼らに無駄は許されない。

 

 だが、それでも―――

 

「……諸君、ご苦労だった」

 

 沈黙が支配する作戦テントの全員に向け、その場のリーダーであるセキは何とか絞り出した労いの言葉を掛けた。誰も喜ばしくなんて無かった。達成感は無かった。敗北感だけがあった。

 

 自分たちの仕事がこの結果に結びつくことを、彼らは予見していても欠片だって期待しちゃいなかった。

 

 

――――

――――――――

――――――――――――

 

 先遣部隊が収集した情報から異常の根源である微粒子の主成分がタンパク質であり、高温による失活が可能であることが示唆された。

 

 大規模な火炎放射車両部隊とでも言うべき退魔師管理局第6支部が用意した“実行部隊”は既に放棄されている(・・・・・・・・)第三教育棟のバリアを包囲するように配置されていて、その銃口を結界の内側に向けていた。

 

 校庭に見えている生存者の生命は既に存続を期待することが不可能な状態にあり、死者と同義であると見做されていたが人道上の配慮(・・・・・・)と追加の検証の必要性から浄化作戦の実行命令は未だ下っていなかった。

 

 先遣部隊が使用したものより特化したセンサーを積んだドローン群がバリア内の生存者の状態の変化を確認している。

 

 ―――センサーは生存者たちの代謝機能の有意に過剰な活性化と大気中の異常微粒子の濃度上昇に正の相関があることを捉えていた。

 

 咳込み、額に熱を持ち始める、多くは10歳にも満たない子供の生存者たち。

 

 その命を最後に無断利用し、異常の解明に努めようとする上層部の意志に疑問を抱く者は今の現場にはいない。そういう人員を、黒部セキの上司は集めた。

 

 また、これは保全区域に居住することを選択した住民全てが書類上において実のところ同意している事項でもあった。

 

 退魔師管理局は保全区域内の人々を全力で守るが、その死が避けられないものとなった時、その全てを有効に活用し“次”に生かす協力を住民らはその瞬間の本人の意志に依らずしなくてはならない。

 

 ―――治癒不可能なウイルスに感染した場合は、その後に治療を可能とするための実験動物(モルモット)になることを同意していると言えば分かり易いか。

 

「あ……あついあついあついあついあつい!!!」

 

 遂に感染発症の兆候を肉眼でも明らかにした一人の生存者が叫ぶ。周囲の人々はそれに反応して離れるように動こうとしたが、既に大勢の意識が朦朧とした段階に入っていて上手く行った者は少なかった。

 

 無機質なドローンのセンサーは6歳の少年の代謝機能が破滅的に活発化し、魔力と血流が頭蓋に集中、体温が急上昇し彼の頭蓋の内側で高い魔力反応が膨れ上がる貴重な瞬間を記録した。

 

「マ―――マ―――しにたく」 [破裂音]

 

 そして元来の頭蓋骨の形状を破壊しながら膨張した6歳の脳が破裂し、その内側から大気中に充満しているものと同じ微粒子が大量に散布される。

 

「やだやだやだやだぁあああああッ!!!」 [破裂音]

 

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめ」 [破裂音]

 

「大丈夫大丈夫みんな落ち着いて大丈夫だか」 [破裂音]

 

 やはり感染の本質は四散する血ではなく、血と共に周囲に発散される微粒子の方であるようだった。

 

 連鎖的に少年の周囲で爆発を起こした人々も勿論感染者だったが、再度かつ大量の曝露が症状を加速させる要因に成り得るらしい。

 

 送風機能を持ったドローンが風上に浮いて風を作り、意図的に生存者に向けて濃度の高い微粒子を含んだ大気の流れを作り出す。

 

「なんで」 [破裂音]

 

「嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘」 [破裂音]

 

「あはは…」 [破裂音]

 

 やはりそうだった。操縦者が納得で満たされると共にドローンからの送風が止まる。

 

 校庭の生存者たちは退魔師管理局のロゴが掘られたドローンから離れようと動きを見せる。しかし、既にドローンは一定の間隔を取って生存者を包囲するように浮いていた。

 

 生存者たちは結局一ヶ所に留まるしかなかった。

 

 ドローンの操縦者は渡された検証リストの中で、既に観察で判明している何項目かをチェックする。

 

 しかしリストはまだ半分も埋まっていなかった。

 

 ラジコンのようなリモコンを動かす。

 

「死ねよ」

 

 操縦者の見ているモニターから、ドローンのマイクを通じてそんな声が聞こえた。それでも彼の思考は一切揺らがない。

 

 操縦者は、例えこの“実験”を生き抜いても結界の内側は全て炎で満たされることを知っていた。内部の全てが炭か灰になるまで火焔の流入は止まらない。

 

 死ぬまで、死んでも焼かれ続けて死ぬより頭が破裂して死んだ方が痛みが少なくて済むだろうと操縦者は本気で思っていた。

 

 それは傲慢でも悪意でもなく、彼にとっては単なる事実でこの判断はせめてもの配慮ですらあった。

 

[破裂音]

 

 モニター越しに彼を睨みつけていた13歳の少女の頭部が、ドローンのカメラを睨み続けたまま膨らんで弾けた。

 

 

 

 

 

 

 木下アザミは見知った顔が文字通りに無くなっていくのをどこか冷めた眼で見ていた。彼女は未だ生きていて、大気に満ちる致死的な微粒子による症状も軽かった。

 

 不思議なことに周囲の悲鳴が濃く、状況が悲惨になっていく毎に彼女の心に立つ波は静かになって行っていた。アザミの常識的な部分が暗く深い水底に沈んで、代わりに何かが浮き上がるのを感じた。

 

 彼女の心が死にゆくほどに、その何かは鮮やかになりつつあった。

 

 常識に囚われた心は一連の出来事により朽ちて、活動を止めていたが“それ”は違った。

 

 非人間性を多く内包した、あるいは人間性の欠落したアザミは冷静に、この状況が終点であると捉えていた。

 

 全域に張り巡らされた結界の破壊は出来ない。要となる部分はあるだろうが、それは内外から破壊されないよう厳重に管理されているだろう。結界の操作権限は学校側にも存在するだろうが、単純に退魔師管理局の方が権限レベルが上だ。操作方法が分かったところで、それを受け付けるとは思えない。結界のバリア部分の直接破壊は、それが近隣の建物の倒壊といった事象も無傷で乗り越えられる頑丈さを持っていることを理解していない者の戯言だ。

 

 出来ることが無かった。精々が空気の軽い方へ移動し、今この瞬間にも体内から彼女を侵している毒の影響を遅らせる程度しかない。

 

 

 もう何をしても意味がない。

 

 

 

 ―――本当に?

 

 ふと、アザミは世界がどうしてこんなにもイカレているのかという根源的な疑問を呈した。それは逆転して、どうして人類はイカレた世界で狂うことが出来ず、正常に固執しているのかとも思った。

 

 自身の身体の内側、何よりも身近に今や“異常”を感じられるのに、人類だけが世界に置いて行かれているというのは不自然ではないのか?

 

 囁き声が█い███ら█た。

 

 

 ―――そして彼女の思考は奇妙な場所に辿り着いた。あるいはずっとそこにあった何かに気付いた。

 

 …………█れが本当に█████は、誰にも██████。ただ、あくまで少女の███おいてはそれは事実████に思██。

 

 それは█なら███████いるが██ることの出█ない█で、また多くが██存█に█付く██も█かった。しかし█女はその█在に気██た█で、自身が███となれることにもま██付いていた。

 

 その█在██来なら█想に█く、██そのもの█。現███かが反█され███はな█。―――ただ、彼█は偶██も██例外██に位置████。

 

 

 脱█。███████、█████。████████。

 

 

 視界がクリアになる。蛹から羽化したような気分だ。何かが食い違っていて、それでも以前より今のほうがしっくりきた。

 

 気付けば彼女以外の全ての生存者は本当の意味で死者になっていて、無機質なドローンから向けられた銃口が残った彼女を捉えていた。装填されているのは鉛玉ではなくダーツで、幾つかのパターンで異常微粒子の弱毒化を試みられた試作ワクチンの内の一つが内蔵されていた。

 

 その銃口がアザミ以外に向けられた時の結果は言うまでもない。生存者はもう残っていない。それらは失敗という成果を積み上げた。

 

 圧縮空気が瞬時に膨張してダーツを押し出す。銃弾よりはずっと遅い弾速のダーツはそれでも常人の身体能力では避け切れないスピードで彼女の首筋に迫った。

 

 

 ―――幾何学文様の描かれた障壁(・・・・・・・・・・・・)がダーツを弾く。

 

 

 避けられない、なら防げば良かった。そういう対処法における最善のお手本は、ずっと視界の中でそこに刻まれた意味を露わにして浮いていた。

 

「………」

 

 ドローンたちが静止する。その裏ではその操縦者たちが変化した状況に対して、作戦中初めてとなる動揺を見せていた。

 

 しかし驚いていたのはアザミ本人もであった。彼女は自分のしたことを確かめるように、針が折れて地面に落ちたダーツを拾ってまじまじとそれを観察した。次いで、自分の前に掲げられた半円状の障壁を見た。

 

 

 これは夢? でも、自分は起きている。

 

 幻覚? 幻覚は現実の物体に作用したりなんてしない。

 

 一番あり得そうなのは、自分がもう死んでいて死後の世界で生前の願望を形にしていること。

 

 でも、何だか違う気がした。はっきりとそう思った根拠はない。

 

 

 ―――根拠なんて、初めから必要ない気がした。

 

 

「あはははは」

 

 腕を振るった。それに連動して爆風のような衝撃はが発生してドローンをもみくちゃにしながら遠くへ押し流していく。地面に横たわっていた、元から酷かった人々の残骸もそのついでに更に酷い見た目になった。

 

「ははははは」

 

 漠然と、彼女は自分が飛べることを思い出した。翼はなくとも、自分は空中に存在出来るのだと。

 

 生き残っていたドローンのカメラが彼女の姿を捉えていた。アザミはその本来一方的であるべき観測を遡って、操縦者の姿を見つけることが出来た。あれ? 何だかすぐにでも触れることが出来そうだ。

 

 思い付いて、彼女は見つけたドローンの操縦者の頭を潰してみることにした。プチッと。―――上手く行った。破裂するのとは真逆の筈なのに、結果はよく似ていた。

 

 

 彼らの思考が感じられる。『覚醒者』『暴走』『敵対的』というワードが少し気に掛かったが、すぐに少女の興味は別のものに移った。より広く、より深いものに。

 

 彼らがどういう命令を受けてここにいるのか、アザミは理解した。彼らがどういう集団なのか、アザミは理解した。彼らの受けている命令に変更が生じ、ここは即座に焼野原になることを理解した。

 

 

 炎の津波が犠牲者と校舎とドローンを一様に呑み込んで巻き上げながら彼女に迫る。アザミはそれに脅威ではなく、ただ違和感を覚えた。

 

「んー…?」

 

 彼女の知っている“火”は、もっと血を連想させるほどに赤く一様で沁み入るように緩やかで、だが唐突に零れては確実に広がるものだった気がする。

 

 それをどこで見知ったのか思い出せない内に、炎の波は彼女を避けるように直前で二手に割けた。

 

 自らの手の内に収まった光壁は、最早少女を阻むものではなくなっていた。

 

 

――――

――――――――

――――――――――――

 

 状況は完全に誰も予想していなかった、つまりは対策していなかった方向へ暴走を開始していた。

 

 それが想定通りなら何万人が死のうと一切動揺せず、その死の意味を最大限に引き出そうとさえする冷徹さで知られる退魔師管理局第6支部の責任者、澤樹トウコはその表情こそ変えなかったが、一筋の汗が彼女の頬を伝って顎からテーブルに落ちることを止めることは出来なかった。

 

 トウコがいるのは彼女以上にその中身について理解している者はこの世に存在しない彼女の執務室だ。一つしかない出入口の向こうには警護と応対を兼任する部下が2人、室内には彼女が適格度のみで選んだ者が更に4人いた。室内の備品と机の上に並べられた道具の配置は危機感すら覚えるほどの合理性の上での配置を徹底されていて、彼女の仕事が1秒でも遅延しないよう助けている。

 

 トウコは年齢こそ25と比較的若いが、その人生の多くを地獄色で染め上げられそこから生還してきた経験を持つ、現場を知るエキスパートでもあった。

 

 その部屋、ひいては管理局第6支部の長である彼女は現在、幾つかの回線を試して現場の状況を直接把握しようと試みていた。彼女が用意した精鋭の実行部隊の大半は既に死んでいて、何人かは狂っていて、残りは聞き知らぬ少女の笑い声がスピーカーから鳴った。

 

 何が起きているか誰にも分からなかった。現場の状況を映せるドローンと監視カメラの映像は第三教育棟に解放された火焔流によってその接続を失いロストしている。現場の人員に直接繋げてみたが、結果はご覧の有様である。

 

 仕方なくトウコは考慮に値する危険性を孕んだ任務を与えることになる命令を飛ばした。

 

「後発部隊の装備をE(殲滅型)に変更、実行部隊及び現場の状況の確認を急がせてください」

 

「……」

 

 返事はない。普段なら二つ返事で正確に動き出す彼女の部下たちは、それが動いて呼吸をしている―――要は生きているシグナルさえ発さない存在へと今や変貌していた。

 

「…ッ!!」

 

 その事に気付いた彼女は即座に引き出しから取り出した拳銃を狙いを付けず頭上へ発砲した。

 

 視界の中身はいつの間にか死んでいた部下たちだけで、死の原因は存在しなかった。あるとすれば視界の外、背後か真上―――トウコは真上を敵の位置だと判断した。背後を選ばなかったのはただの勘だ。

 

 ただ、『常識とかけ離れた出来事が起きた時は、常識外れな位置に異常が潜伏していることが多い』というのは彼女の知り合いでもある退魔師管理局本部責任者の言だった。退魔師業界のトップに立つその人とトウコはあまり言葉を交わす仲ではないが、その言葉だけは妙に記憶に残っていた。

 

 この状況に直面したのがトウコ以外のかつ常識的な感性を持った人間であったなら、支部とはいえ管理局の施設の厳重なセキュリティが突破されて攻撃を受けている事実を受け入れられず動揺に時間を費やしていただろう。あるいは単に、もう何をしても“死”以外の状態へ移行することのない部下の傍に駆け寄って意味の無い努力を重ねたかもしれない。

 

 彼女は違う。彼女は違った。彼女は正しい。

 

 デスクワークが主な人間とは思えないほど、日々欠かさない訓練と実戦経験に裏打ちされたその射撃はいっそ鮮やかですらあった。

 

「あれぇ…?」

 

 頭上から響く少女の声。

 

 問題があったとすれば単に、銃の威力が低すぎたことだった。

 

 最早立つために地面を必要としない学生服姿の少女は宙を泳ぐようにクルクルと舞って、自分に向けて放たれた弾丸を細い指で触って弄っていた。

 

 弾丸はそこだけ時間を止められたように空中に静止しており、撃ち込まれた対象を概念的に殺害する呪いも効力を発揮していなかった。

 

 かつて木下アザミと呼ばれ、今やその非人間的要素を急激に肥大化・成長させたことで“人間”という括りからも逸脱しつつある少女は自分に向けて発射された弾丸の意味を読み解いていた。

 

 弾頭に詰められていたのは無作為な形式で惨たらしく死んだ人間の遺灰だった。この世の全てを恨んで死んだ複数の誰かの残骸だった。弾丸にはそれに指向性を持たせて現実世界に影響を齎すことを可能とする超常的な技巧が加えられていた。

 

 ―――ただ、その素材と組み立ての理念のほとんど、あるいは全てがこじつけに近いものであるようだと“アザミ”は感じた。

 

「あなたは誰ですか? こちらの言葉が理解できますか?」

 

 考え得る限り最悪な状況だったが、自分がまだ死んでいないことを加味すればマシな状況だとトウコは認識していた。銃が意味を為さない以上、彼女が少女に対して行える干渉は言葉によるコミュニケーションの他、周到な彼女には似つかわしくないほど限られたものだけになっていた。

 

 少女はすぐには答えない。

 

「うーん…」

 

 やがて興味を失った弾丸を少女は手放した(・・・・)。物理法則の中に回帰したそれは元々あるべき運動エネルギーを取り戻してトウコの執務室の天井を破壊する。

 

 やっと齎された概念的な殺害効果によって、天井はその機会が訪れるなら修復困難、あるいは不可能な状態に置かれた。

 

「あはっ」

 

 塵状に崩れた瓦礫が降り注ぐ中、少女はにこやかにトウコに微笑みかける。良くない意味で、望ましくない理由で少女が自分に興味を向けたことを悟り、トウコはすぐ様その場から逃走を図った。

 

 ―――彼女は論理的思考から足を動かすのではなく銃口を自身の頭に向けることを選択し、生きてこの場を離れるという結果を掴み取る為の合理的な手段として引き金を引くことを選択した。

 

 概念的な殺害効果が澤樹トウコの頭蓋を灰にして消し飛ばす。彼女は最後まで自分の中で幾つかのフォーマットを組まれた思考形態を少女に盗み出され、好き勝手にその中身を入れ替えられて戻されていたことに気付けなかった。

 

「~♪」

 

 口笛を吹きながら、最早姿だけが“人間”を保っている少女は支部の中にいる他の職員の下へ向かう。彼女には壁越しにもその存在が感じられたし、施錠された扉は幽霊のようにすり抜けて通過することが出来た。

 

 支部局長執務室の前の見張りの2人は、既に互いの身体を継ぎ目なく接着し繋ぎ合わせた奇々怪々なオブジェと化していた。組み込まれた内の1人は死んでいて、もう1人はまだ生きていた。

 

 少女はそれらにはもう興味が無かった。

 

 

 

 正常な人間には理解し難いことかもしれないが、彼女はこれらの所業を悪意でも復讐でもなく善意から成し遂げていた。

 

「やっほ!」

 

「迎撃開始!!」

 

 重要箇所にいた人員を失い、穴だらけになって混乱する指揮系統の中で、何とか生き残った人々を纏め上げた黒部セキの号令に合わせて15歳の少女の姿をしたモノに向けて火器が一斉に火を噴く。

 

 弾丸は少女の身体を貫通したが、傷を残したわけではなかった。物理障壁とエネルギー障壁と儀式障壁が彼女の進行を阻むことを試みたが、全て上手くいかなかった。

 

 戦う力を持たない一般職員や退魔師の区別なく、“アザミ”は彼女の認識する領域での話において“掌握”した存在を弄り回す作業に忙しかった。

 

「………?」

 

「隊長ォオオッ!!!?」

 

 黒部セキは首の上に乗った頭が上下逆さであること、その他にも全身に幾つか部分的な反転が生じていることに気づくことなく、それらが原因となって死亡した。

 

 この業界では珍しく自己より他者を優先する人格者の気のある彼は、悲鳴を上げる部下たちの前で何故そんな人材が退魔師業界において稀有なのかという理由を証明して倒れた。

 

 そういう人間は、人を盾に使うのではなく率先して盾になろうとするから死にやすいのだ。

 

「うわぁああああっ!!!」

 

「やめろやめろやめろやめろやめろやめろ!!!」

 

 統制を喪った集団が食い破られ、瓦解するのは早かった。

 

 少女の手に掛かった人員は内面や外面といった差はあれど、以前とはかけ離れた姿に生まれ変わることを余儀なくされた。その多くは肉体や精神に致命的な齟齬を露わにし、その後に存続することが出来なかった。生き残った僅かな例外もマトモに機能するわけでは無かった。

 

「あはははっ!!」

 

 それでも彼女は楽しかった。心から笑った。

 

 生命を初めて創造した神がいたとして、それはきっとこんな気分ではなかっただろうか。無論、彼女が作り出そうとしているものは生命では無かったけれど。

 

 欲しいものがあった。辿り着きたい結果、証明がある。その為に失敗作を無限に積み上げていく。

 

 “アザミ”にとって、それはたった一回の成功で良かった。

 

「ん?」

 

 しかし、彼女の挑戦は誰も想像しなかった形で終わりを告げる。

 

[破裂音]

 

「んん~?」

 

 覚えているだろうか。何の力も特別性もなく、ただ運が良かっただけで第三教育棟そのものからの脱出に成功した唯一の生徒のことを。

 

 “アザミ”というイレギュラーの出現によって、本来なら気付けていた筈の管理局の対応が遅れに遅れ、致命的な影響が露わになった今でさえ誰も注目していない少年のことを。

 

 第三教育棟高等部2年3組の担任教師が風邪気味であることに気付きつつ、重大な事実ではないと思って教師と廊下をすれ違っていた少年のことを。

 

 

 

 第三教育棟を管理局が封鎖した時にはもう結界外に出てしまっていた生存者、野中ハジメはこの事件の根本的な原因である生物性異常微粒子の感染者である。

 

 

――――

――――――――

――――――――――――

 

 野中ハジメの両親は、今回の状況では悪いことに小賢しかった。彼らは息子が泣き付いて話した内容から、今ここに息子が帰って来てしまっているという事実を退魔師管理局に知られると厄介なことになると察してしまった。

 

 ―――ここで彼らが考えた『厄介』の範囲は、よく分からない施設の中で2~3ヶ月に渡って息子と引き離され隔離される程度のことである。

 

 彼らは息子の身を案じてその存在を隠し通すことに決めた。自室は近所からもすぐにバレてしまうと考えたから、使っていない押し入れを簡易的に改装してそこに息子を暫く住まわせることに決めた。

 

 

 第三教育棟で発生した生物性の異常微粒子は、曝露した濃度によって最終的な結末に行き着くまでの猶予が変化する。だが、最終的な結末は変わらない。

 

 破裂を間近にしたわけではなく、潜伏感染者の咳に含まれる微粒子を浴びた程度だったハジメの症状の進行は比較的緩やかだった。両親たちはその初期症状を、悲劇の元凶となってしまった2年3組担任教師がそうだと思い込んだように単なる風邪と誤解した。

 

 当然、それは致命的な結果を齎した。

 

「ハジメちゃん、おかゆよー」

 

[破裂音]

 

「え……? あ、あれ…ハジメちゃん…? ハジメちゃん!? あなた!!ハジメちゃん―――が―――ぁ―――?」

 

[破裂音]

 

 その後は駆け付けた父親もその場の空気で呼吸し、変わり果てた妻と息子の姿に直接手で触れてしまったことで急激に感染が進行、破裂した。

 

 一家全滅した野中家だったが、悪いことに風邪だと思っていた息子の存在から窓を開けて換気を実施していた。

 

 野中ハジメの潜伏場所は外部からは見えない位置にあり、一家の異常も周辺では叫び声以外認知されなかった。

 

 “アザミ”が管理局支部施設内で直接暴れたことによって、彼らは周辺住民が異変に気付いて通報を開始した段階になっても初期対応に動くことが出来なかった。

 

 結果、空気の流れに乗って遮る物のない第6保全区域の大気に溶け込んだ異常微粒子は、その犠牲者と共に分布を広げながら遂には区域全域を汚染するに至った。

 

 “アザミ”の活動によって半壊しつつあった退魔師管理局第6支部はこれにより全滅し、感染爆発(アウトブレイク)の封じ込めに失敗した。

 

 

――――

――――――――

――――――――――――

 

「むう~」

 

 生存者が規定人口割合を下回ったと退魔師管理局第6支部の管理システムが判断、保全区域の放棄及び緊急浄化プロトコルが人間の手を経ることなく自動的に採択され施設内の戦略兵器が可及的速やかに点火された。

 

 人工の太陽、出現した極大の熱質量に耐えられる物質を少なくとも人類は開発出来ていない。人類がそれを防ぐ盾を持たない究極の矛は、都市を瞬時に蒸発させる。

 

 当然、それは彼らがそれを正確に認知していたかは兎も角、住人達は保全区域へ居住申請を出す際に書類上で全員がそのリスクを許容することを同意した事項だった。

 

 解放された莫大な熱エネルギーは辛うじて生存していた人々ごと、そこに存在した人類の痕跡を根こそぎに呑み込んで消し去った。既に恐怖と苦痛の中にあった彼らだが、追い打ちのように新たな痛みや恐怖を感じる暇はなかっただろう。

 

 大地――郊外に開いた単なる大穴、高熱により生じた不均衡な結晶鉱物が表面を覆うクレーターとなってしまったかつての都市のあった場所で、“アザミ”は不満げに鼻を鳴らしていた。

 

 実際、彼女は不満だった。順調に進んでいた(少なくとも彼女の視点からはそう見えていた)作業に急な横槍を入れられ、材料が全て無くなってしまったという状況だった。

 

 尚、超至近距離で高温高圧の爆発を食らっても、当然のように少女は無傷であった。身に付けた学生服が乱れた様子すらない。

 

 当然、第6保全区域壊滅の直接的な要因となった異常微粒子は最早彼女自身にとっては何ら不都合を齎すものではなくなっていた。

 

「うぅ~」

 

 しかし彼女は不満だった。満たされていなかった。何かが決定的に欠けていた。

 

 

 ―――アザミ、お願い、待って…いかないで…

 

 

「んう?」

 

 それは“アザミ”に残った微かな人間性に纏わる部分が齎す衝動だった。彼女が学生服に拘るのも、単純に直近で着ていたものだからではないのかもしれない。

 

 その脳裏を過る感覚に従って少女の姿をした“異常”は暫くグルグルとクレーターの周囲を浮遊していたが、どこかへと飛び去っていった。そこで何かを見出すことを諦めたのか、あるいはもう忘れてしまったのか。

 

 

 

 公的には一連の事件による生存者はいないものとされている。木下アザミの名も、その後事件による死者のリストに加えられた。






作者のコメント:
 流石に修正してみたらこんなに変わるとは思ってなかった。いや、安易にネタバレし過ぎたかなと思って配役を変えようとしただけなんです。

木下アザミ:
 無から生えて主人公レベルの超重要人物の座を搔っ攫っていった今話のMVP

野中ハジメ:
 ストーリーにオチを齎した影のMVP

澤樹トウコ:
 管理局は本当に惜しい人を亡くしたと思う

生物性異常微粒子:
 致死率100%のめちゃくちゃヤバいウイルスみたいなものだと思えばOK
 サブタイトルを鑑みれば主役……の筈
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