姿現し試験の告知をじっと見つめていると「兄上、夏季休暇中に修得していたのでは?」ドラコが尋ねた。屋敷の中で黙々と練習していた(そのとき暇そうな大人を捕まえては、という註釈がつく。なにせ一人でばらけたときの対処が効かない)ので、たまにドラコの目の前に姿現しするなども行なっていた。
「修得はしたが免許は取れていない」
「……取ればいいじゃないか」
「私の記憶違いかもしれないのだが——」
「僕の経験則だと、兄上が記憶違いなときは大抵相手が間違ってるよ」
「——今年の試験、期末試験に被ってないか? つまり第三の課題当日ということだが」
私の絶望した声に、ドラコがよく掲示板を見た。
「……来年でも逃げないだろ」
ドラコに慰められるのはそうないことだった。今年の試験官はなにを考えていらっしゃるのだ。現在ホグワーツ生の大半が受けられないのだが。学生は横着していないで箒で飛べということか。
➤
……姿現しの試験に絶望していられたのは、あくまでも日常生活の一部だからで、現実逃避を兼ねていたからでもある。
昨日に起きた出来事——第三の課題の概要を伝えられた、その日の夜。ミミズクが寮室に飛び込んできた。
『バーテミウス・クラウチ氏がホグワーツを深夜に訪れた。今は聖マンゴに搬送されているが容態は未だ安定しない。君も気をつけるように』
「お待ちください」
ミミズクが伝えるだけ伝えて飛び立とうとするので引き留めた。この人どうしていつも言葉が足りない。
「さすがにもう少し説明していただいても?」
ミミズクは若干面倒そうにぐるぐると首を回した。本当に露骨に面倒がるな。どうにも我が従叔父上と来たら、長らくミミズク姿で人と会話していなかったせいか、人間体でも他の人と話すようになってからというもの、端折る言葉の数が指数関数的に増えている。もう今日はおしまいとばかりだが、私とて聞きたいことがあるのだ。
『遭遇したのがポッター゠ジュニア。ポッターの護衛につけられていた兄上とペティグリュー。それとクラムだ』
最後の一人はなに?
「……というか、もう一人足りなくないですか?」
『クィレルは宝探しがメインで護衛はついでだから同席していなかった。容姿も目立つしね』
またこの人、下僕に宝探しをさせている。クィレル教授は良いようにこき使われて問題ないのだろうか。そもそも宝探しとはなんだ。どう考えても隠語であるとは思うのだが。闇の帝王に対するための武器かなにかだろうか。私に話されないということは私の領分ではないのだろうが。
……容姿で言うならシリウス・ブラックもまあまあ目立つと思うものの(普通に容姿端麗ゆえに)とはいえレギュラスならば、兄に四六時中目くらまし呪文を使えと強制していてもおかしくはない。当たりが強いというか粗雑というか〝この人ならまァこのぐらい使っても壊れないだろう〟ぐらいの無茶を振っている気配がある。
『今何を考えたかな』
「なにも」
とぼけるとミミズクにじとりと睨まれていたが『……手短に済まそう、』と話を続けられた。命拾いをした。
『ポッターがクラムに……人間関係の相談をされて——』
人間関係の——ああ、なるほど、恋愛相談か。クラムがいた謎が解けた。
『——二人で人気のない方で話し合おうということになり、クラウチと鉢合わせたようだね。ダンブルドアに話したいことがあるとしきりに連呼していた。兄上がクラウチとクラムを保護しつつ、ポッターがペティグリューとともに校長室へ向かい、ダンブルドアを呼んできた——とはいえその時点でクラウチ氏の体力がつき、話すどころではなくなった。そのまま聖マンゴに搬送された、といった具合だ』
「容態というのは——」
『まずは栄養失調。ガリガリに痩せ細っていた。ろくに食事も取れていなかったのだろう。筋肉もずいぶんと衰えている。長い事監禁されていたとみていい。道中何度か姿現しを使ったらしく、あちこち
ずいぶんと穏やかではないラインナップだ。
『苦痛によって心を折る。すると呪文の効きが良くなる、苦痛から逃げるために自ら従順をさらけ出す。長期間も繰り返されたらやがて記憶も混線する。自己防衛のために……苦しいだけの事実を排斥し、望んで行なっていると自らに暗示をかけて、演技と現実の境目に区別がつかな——』
ミミズクの金眼がぱちりとまばたきして『——君に話すのはここまで』とキッパリと告げられた。
「……。申し訳ありません。読み過ぎました」
『そうだね。久々にコントロールが利かなくなっていたようだ。九歳以来かな』
なんと未就学児の頃である。父母は私たち息子をマグルの学校には頑として通わせなかったので、私やドラコが顔を合わせるとすれば、親族(つまり、アズカバン収監ないし戦死していない方々)や、スネイプ教授を筆頭とした父母の御友人、御屋敷づとめの
私の選択肢といえば、ドラコで遊ぶか、活字を読み耽るか、レギュラスと開心術を練習するぐらいしかなかった。ゆえにこそ幸運だったと言えるのかもしれない。当時ようやく多少コントロールできるようになったとはいえ、初対面の相手にうっかり開心術を行うリスクはまだ残っていた。
『非常事態の継続に心が落ち着かなくなるのは理解できる、が、なるだけ制御するように』
「理解しております……迂闊でした」
『必要な申し伝えは終えた。早く寝ることだね。適切な睡眠は精神を統制する』
ミミズクは再び羽ばたいて、寮室の天井から抜けていった。スリザリン寮は地下にあるので、梟たちは窓の代わりに、天井付近の専用通路を行き来する。
バーテミウス・クラウチ、か。杖を回してベッド周りのカーテンを引く。クィディッチ選手が二人(今期のクィディッチはないが、練習しなければ身体が鈍るとのことで、校外で練習自体は行なっている)と補習が二人(シンプルに変身術で居残りを食らった)なので今この場には私以外の誰もいない。ゆえにこそミミズクは私に申し伝えた。とはいえ思考するには隔離された場所の方が望ましい。余計な情報が入らない環境でじっくりと検討できるから。
長期間の服従の呪文——バーテミウス・クラウチが魔法省に顔を見せなくなったのは、クリスマスより少し前からのことである。ゆえにこそ
服従の呪文をかけられていたならば、何故監禁まで行う必要があったのか。おそらくはクラウチ氏がホグワーツにまでダンブルドアを訪問しに来たことと近似にある。隙を見て逃げ出そうとしたのか、服従の呪文自体を破りかけていたのか。過去に執行部の部長であった男が、後者の能力を持ち合わせていたとしても不思議はない——不思議はないのだが。
服従の呪文を長時間かけられていると破りやすくなる。意に沿わないことを何度も何度も繰り返していれば、疑問が生まれやすくなる。あくまでも比較的であり、容易という意味ではないが……それを踏まえて、さて、クラウチ氏が服従の呪文をかけられていたのは
ハロウィンの日、私は、クラウチ氏を間近で見た。彼は聞いていた評判のとおりに生真面目に職務をこなしていた。そのように見えた——ことによっては、あの日には、もしや、既に?
……ぞっとしない想像である。既に服従の呪文をかけられていたとすれば、おそらく、術者はあのときもクラウチ氏の近くにいたのだろうから。
私や、ポッターの——もしかしたら、ドラコの、そばに。
➤
「これ」
と出された羊皮紙の束に目を瞬かせると「頼まれてたやつ」とデイビースは付け加えた。
「かなり遅くなっちゃったけどな」
「ああ——ありがとう」
受け取って通読する。興味を示したディゴリーが「それなに?」と尋ねた。
「代表選手に立候補していたホグワーツ生の総覧がほしいって言うから。全部かき集めてきた」
「ウェやばぜんぶ?」
「すげー、今度試作品の宣伝にロジャールート使おっかな」
「そうだとして、僕は君たちには借りがないから貸しひとつだぞ」
デイビースが飄々と言った。「借り?」「ダンス」「ああ……」心底からの納得をこめた相槌だった。私は本当によく働いたからな。そうだろう?
「試験勉強だのクィディッチの練習だのもあるけど、裏取りに時間かかったんだよな〜」
「ああ、ハッフルパフに聞きに来たの、レグルスからの依頼だったの」
真偽不確か八割、ぐらいを見込んでいたので正直なところ予想外に正確なものをいただいた。
ざっと通読。スリザリン寮生の立候補はかなり少なく、グリフィンドールが割合としては最も多い。各寮の気質を考えると意外ではない。
「……けど、なんでだ?」
「私の名前が入れられなければ誰が代表になっていたかを確認したかった」
「自分が蹴落としたやつを確認したいだなんて、いい趣味してんな……」
「……入れられなければ?」
やれやれと肩をすくめたウィーズリーの代わり、聞きとがめたのはディゴリーだ。
「ずいぶん他人事だね」
「……。言葉の綾だ」
杖を振って文字を浮かし、並び替える。各分野の実力を考慮して振り分けていく。
能力主義者と謗られるように、私は人々を観察し、彼らの各能力を評価し、振り分けることを好んでいる。その基準に則って、下から上まで。ゴブレットが私とは全く異なる基準を取る可能性もあるが、しかし、贔屓目なしに総合評価で選ぶならば——
——老け薬が効かなかったことは噂に聞いている。噂にというか、眼前の者どもが髭を生やしながら不平不満を垂れていた。同様にポリジュース薬を飲んだところで、未成年に年齢線は越えられなかったろう。魔術的な年齢判断とはそういうところにはない。逆転時計は学校側から支給するものであるからして、当然、想定の範疇として弾かれていたはずだ。
つまり——ウィーズリーどもとデイビースは元々、犯人としては除外されていた。共犯たる第三者と協力して行なった可能性も否定できなかったが、まず彼らは私の選出時に祝福しながらも悔しがっていたので——犯人ならば喜びそうなものだ——可能性は薄いものとして。
どうにも、ポッターのそれと私の選出は性質が異なるように感じられる。並行した別個の事象。私の署名は魔法史のレポートから盗まれた——できる限り他者に細工を悟られぬようと気を配る様子があった一方で、ポッターは疑いようもなく本人の署名ではなかったと聞いている。
焚火に集う者どもで、私以外で唯一成人済のディゴリーは——彼も本気で悔しがっていた(わりと真剣に根に持たれていた)ことを踏まえると、まあ、犯人の可能性はこれまた薄いと思ってはいたが。
——並び順、名簿に並んだ氏名のうちでも最も優れた者として、セドリック・ディゴリーの名が浮かぶ。……本来の代表は、もしかしたら、本当にディゴリーだったのかもしれないな。
「けっきょく何がしたかったんだい」
「ハハハ」
雑に笑って誤魔化しつつ、手早く【
「おまえたちにひとつ聞きたいことがある」
➤
代表選手の家族が招待されたことはスネイプ教授からお伝えいただいていた。朝食ののちに顔を出すと、母上が優雅に私を迎えた。
「怪我はしていないのね?」
もはや今年は顔を合わせるたびに毎回確認されている。クラウチ氏のこともあったので「なにもないよ。万全だ」と私が答えても全く信用されずにじっくり見られている。視線で穴が開くなら開いている。
「あなたはよく隠すから……」
お叱りのようにつぶやいて、満足できたのか、母上は離れた。ふとおっとりと頬に手を当てる。
「それにしても。どうして
デラクールの御家族やクラムの御両親は当然に招待されているとして——母上の言葉が指し示すのは、ウィーズリーの母親と長男のことだろう。つまり血を裏切る者である。「それもわたくしたちと同じ部屋だなんて、不相応だわ」純粋に不思議そうな物言いに、モリー・ウィーズリーの顔からすっと表情が消えた。そうもなろうな。ウィリアム・ウィーズリーが私たちを見て、曖昧に首を傾げる。しかし視線が冷たいのは隠しようもない。大人ですね。ハハハ。助けて。
母上は非常にしっかりされている方だが、それはそれとして、やはり元はブラックの御息女、純血主義を家訓にする家で生まれ育った御令嬢である。父上はそのような母上をとても好んでおり、また
母上がウィーズリーなぞに積極的に喧嘩を売ることはないが、これは穏健だから(私のようにな)ではなく、あれら下賤なものを何故私たちが構わなければならないのか、と本気で思っているからだ。であるからしてこのような発言が平然と出る。
父上どうして母上をひとりで向かわせたのですか。なにか思惑があるのでしょうけれど。私一人ではなんというか、些かその、無理があるのですが。
「……一処に強力な守りをかけるのと、分散するのとでは、やはり安全性は異なるかと。私としては、母上が危険に晒される可能性はできるだけ少ないと喜ばしい」
ひとまず私は適当に述べた。
「それに、代表選手の家族——ポッターが預けられている親戚はマグルで、あまり良い関係は築けていなかったはずだ。まさか招待するわけにもいかないだろうよ?」
「……ホグワーツは相変わらずのようね」
母上は憂いの溜息をついた。
「ルシウスと学生生活を過ごせた記憶は喜ばしいのだけれど、このような点はどうにも——あら、そうだわ、レグルスあなた恋はどうなの?
「母上、父上との思い出の場所などございませんか。ぜひともご案内していただきたいのですが。ドラコとも顔を合わせるおつもりは?」
「都合の悪いことを聞かれると突然丁寧になって話を逸らすのは小さい時から変わらないのね」
か、勘弁してくれ。もともと私は未だに母上に勝てた試しがないのに。
「シシー、レグルスが困っているよ」
見るに見かねたらしく私の肩に留まっていたミミズクがヒト型に変じた。従叔父上に良心が残されていたことをこれほどまでにありがたく思ったことはない。「ドラコは試験中かな——ルシウスがよくデートしていたのは確か」「ご存知なのですか? 一度もお聞きした覚えがありませんが?」「なんだ、知りたかったの?」両親の惚気は犬も食わないが、しかし馴れ初めなら正直なところ興味はなくもない。
入口のところで微妙に足踏みしているポッターと出くわしたので「おまえの血縁者ではないことだけは保証しておく」と述べておくと、間抜けた顔を晒された。今の状況で、あの校長がよりによって自衛手段を持たない非魔法族を招くなどと、まさか本気で思っていたわけでもないだろう。……ないよな?
「——ルシウスが来ないのは——」
「ホグワーツは姿現しもできませんからね。そのような観点から見るならば、安全とも——脱出困難とも」
レギュラスの確認じみた問いかけに、母上はゆるく首を横に振った。
「どちらかは残り、どちらかは行くべきでした。家の外の雑事がわたくしに回ってくることはそうありませんから、必然として、わたくしが出向くことが適切でしょう」
そういう無茶をしてほしいとは全く思っていないのだが——しかし、まあ、私は家督を継いだわけでもなく、息子かつ学生の意見よりは親であり家の主の意見が通る。ドラコの身の安全を踏まえると、母上がおそばについてくださっている方がありがたい。
……それはそれとして。
「……従叔父上、ホグワーツには当然マグル生まれはごまんとおりますが」
「……。シシーとて、学生時代はホグワーツの校内で過ごしていたんだよ」
「どこでお過ごしになられていたのですか」
「半分は寮だけれども」
極限まで声を抑えて話しかけると、レギュラスが若干目を逸らした。
「加えて現在、この城にはムーディもいますが。すなわちドラコを問答無用でケナガイタチにした暴力教師かつ
「……セブルス呼んでこようかな」
「あいにくと魔法薬学は必修ゆえに八割授業中、防衛術も同じく必修なので空きコマが被ることはそうありません」
「……そうだったね。……頑張ろうか」
父上助けて。今すぐこの場に姿現しして。ホグワーツの守りぐらいマルフォイなんだからなんとかしてください。
➤
所詮は戯れ。気を紛らわすいい機会ではあったが、時は止められず、巻き戻しには制限がついて回り、けっきょくのところいつかは足を進めるしかない。万全の準備が万全であったことはそうはなく、同様に、何事も無傷で済むならばそれはけっこうなことだが、現実は往々にして都合よくは行かない。
第三の課題が幕を開ける。最終課題と同義である。私にアリアドネはいないがゆえに、手探りでも進むしか道はない。
➤
——しかし誰だクラムなぞけしかけてきたのは。帝王の手先か。本当にどこに潜んでいる。
「げほ、ごほッ、おえ」
「大丈夫? ……大丈夫じゃなさそうだね」
服従の呪文は散々っぱら授業でかけられたので抵抗のコツは掴んだ——要するにムーディか闇の帝王への殺意を抱けばよいとして——だが磔の呪文への耐性はない。今しがた経験した身としては、あれを耐性つけられるほど何度もかけられ続けたくはない。
苦痛は過ぎ去ったと頭では理解していても、心身はまるで噛み合わず、胃の腑が奇妙に痙攣している。あっと思ったころには胃液が食道を焼いていて、中身が軒並み吐き戻された。
「ッあ゙ー……」
クソ。つい一時間前に食べたばかりの夕食がすべて芝生に食われた。胃酸まみれなれば草木の栄養にさえもならんだろう。
「ふざけるなよ本当に……どうかしている……他国の学生同士……国際問題なんだよ……」
「国際問題もいいけど、君はもうちょっと自分が磔の呪文かけられたことに怒った方がいいよ」
「見えづらいと思ったがどこかに眼鏡落としたな……最悪だ……父上からいただいたのに……【
「また買ってもらいなよ。君のパパ、賭けてもいいけど、眼鏡無くしたことなんて絶対怒らないよ」
もう二度ほど咳き込んで、【
「助かった、ポッター」
「……どういたしまして」
杖を片手にポッターが奇妙な表情を浮かべている。今しがたクラムに対して失神光線を放ったばかりの杖である。
「……前から思ってたんだけど、レグルス、君はお礼を欠かさないね」
「家の外の慣習でも評価できるものは取り入れている。特に挨拶と礼はローコストハイリターン、人間関係を円滑に回すにあたってきわめて利便な手段だ」
「この人常になんか変……」
左様でいらっしゃる。
私は気にせず、口元をハンカチで抑えてもう何度か咳をした。どうでもよい他人の評価は窒素に等しい。なければさすがに手段を講じる必要があれど、多少増減したところで呼吸にさして影響しない。
「はァ……クソ。業腹だが……クラムは加えてクィディッチの有名選手か。捨てていくこともできない」
「……たとえクィディッチの有名選手じゃなくて、他国の代表選手じゃなくても、スクリュートに食われるのは寝覚めが悪いと思わない?」
「……」
クラムの杖で赤い火花を上げておいた。
未だ犯人の目的は明確ではない。
「……フラーは……フラーもクラムがやったんだろうか」
「どうだろう。この迷路には危険が多すぎる」
全員の課題開始からしばらく経って、甲高い悲鳴が上がったのは私も耳にしている。あいにくと霧にまみれた迷路で捜し出すのは至難の業だ。自らの現在位置ですら曖昧なのだから。それでなくとも私は先程スクリュートとマンティコアに立て続けに遭遇している。親子で揃って出てくるんじゃない。……親子なのだろうか。スクリュートがそろそろ次世代を作り始めていてもなにも驚かないけれど。
ハグリッド教授の魔法生物育成手腕については置いておこう。
「おまえはこれまで迷路内でなにに遭遇した?」
「ここに来るまでってこと?」
ポッターは眉をひそめて、それから指折り数えた。
「ボガート、天地がひっくり返るトラップ、スクリュート——あとは、さっきのクラム」
「平和だな」
「平和かな?」
「私はスクリュートとマンティコアがセット、エルンペント、催眠香、怪物的なトラバサミ、ついでに先ほどのクラムだ」
「多くないか!?」
「その通り、
迷路に入るのは得点順だった。各課題で好成績を取り続けていたポッター、安定して得点していたクラム、第二の課題で挽回したものの第一の課題の得点が大幅に足を引っ張った私、第二の課題をクリアできなかったフラーである。
「選んだ道が別だったにしても、先頭のおまえの遭遇率と比較しておかしい。真っ当に考えれば、一番手たるおまえこそが障害物に最もよく遭遇するはずだ」
ポッターは目を瞬かせた。「——それは、道理だ」
「クラムが使ったものが磔の呪文であることも気にかかるな。彼が操られていたならまだわかりやすいが——」
「操られていたほうがまだわかりやすい……ってそんなことはなくないか? 優勝したかったからとかじゃあないのかい」
「で、あれば失神呪文で済んだはずだ。手段を選ばないなら死の呪文か? 磔の呪文は術者がかけ続けなければ意味がないのだよ——手が塞がる」
少なくとも、磔の呪文と併用して別途他の魔法を使える術者はだいぶん限られる。それこそ闇の帝王だとかそのたぐいだろう。
「先程のクラムは、ろくに迷路を踏破する気もなく私への拷問を優先したことになる。優勝を目指しているなら矛盾きわまりない」
ポッターが足を止めたので見遣ると、若干引いた表情を浮かべていた。
「……君さっきそのクラムから拷問の呪文を受けて胃液まで吐いてたんだよね?」
私は眉を上げる。
「自作自演だとでも?」
「全く思わないから困惑してる……」
その表情はドラコにもよく浮かべられるな。
とはいえポッターは、私への困惑よりは現況の考察と踏破こそを優先するつもりになったらしい。また歩き出しつつ、私の言葉を吟味していた。
「……君を長く迷路に閉じ込めてようとしている?」
「あるいは、おまえを優勝させようとしている」
デラクールがおそらく脱落し、クラムが私とともに迷路に取り残されることになれば、自由な選手はただ一人である。
私だけが邪魔されたのか、ポッターだけが簡単な難易度なのか、他二人に尋ねれば絞り込めたかもしれないが、既に聞き取りようもない。デラクールの居所はわからず、クラムは回復させたところでまた襲ってくるだろう。二度も三度もあの苦痛はごめんだ。
「……毎年不思議なことばかりだけど、今年は本当にずっと妙だ」
「同感だ」
唇を舐める。
「——棄権という選択肢もある。そも、巻き込まれた者同士で今更争い合う意味がない」
「……確かに。考えたことなかったな」
「グリフィンドールはこれだから……」
「争い合う意味がないって言った直後だろ……」
ポッターはげんなりと私を見たあと、首を横に振った。
「国際協力だっけ」
「……ああ、焚火会のときの」
自習サークルで認識の共有を行なった際に、私が口に出した言葉ではある。
「優勝者が誰もいないトーナメント——伝統復活とは言えないんじゃないか」
……あのときの私は、ずいぶんと余計なことを言ってしまったのかもしれない。別段私は、ポッターにまで覚悟を決めろと強要するつもりはなかった。あれはあくまでも私が出場し続けた理屈であり、そうでしかない。私にとって彼がどうでもいいように——生き残った男の子、マグル出身のグリフィンドール、私の理屈なぞどうでもよいと切り捨てればよかったものを。
ドラコと犬猿の仲のハリー・ポッター。弟と同学年、未だ十五にも満たぬ少年。
「……であれば——」
私は嘆息した。
「——進もうか。いずれにせよ、どちらが優勝したところでホグワーツの勝利に変わりはない」
ポッターは頷いた。ついで、その目があどけなく瞬く。
「そういえば、去年から気になってたんだけど——テット・ド・ウォーってなに?」
「去年から気になっていたのか?」
思わず私は頓狂に聞き返してしまった。凡人は私ほど記憶力がよくないのだから、限りあるメモリは有効活用するべきだと思う。
「子牛の頭を使った料理だ。脳味噌を含めて調理する」
「……貴族が食べるものはわからないな」
「かつてドラコが暴露した通りだが、私は好かない」
道中はそのまま、普段の食生活の話をしていた。ライバルもいないので急く必要もなく、障害物も不思議なほどに登場しなかった。私があれだけ疲弊したのはいったいなんだったのか——
——優勝杯が金色の光をあたりに散らしている。ガリオンにもない不可思議な発光だ。
「あれからの妨害は——スフィンクスだけか」
魔法省が用意したものなので安心、と言いたいところだがあいにくとそうであったなら私もポッターも代表には選ばれていない。
杖を振って、優勝杯や台座の周りを入念にチェックした。特に呪いはかけられていない。
「楽なものだったな」
「気味が悪いほどにね」
「そうだろうとも。……異常なし」
舌打ちをこぼす。
「つくづく意図がわからない。本当にこのまま優勝してしまうぞ——それとも、表彰式で事を仕掛けるつもりか?」
理解不能が過ぎて不快である。私のぼやきに「表彰式なら、ダンブルドアがいる」ポッターは反論した。
「そう簡単に誰も傷つけさせやしない。ヴォルデモートだって、ダンブルドアを警戒しているからこんな遠回りな手段をとっているんだろ」
「その遠回りの手段を取った上で、やることというのが、ダンブルドア校長のもとにみすみす帰す? ご丁寧に優勝杯までおまけにつけて? 帝王は霞として生きる間に痴呆でも始まったのか?」
「レグルス、君……全方位にまあまあ言うよね。君がヴォルデモートを帝王と呼んでいることが意外だよ」
「それは慣れ」
かつての戦争では、純血貴族の九割九分が闇の帝王派についた。闇の帝王の主張、純血主義の啓蒙は、マグル生まれや混血であふれた今の社会の中では、純血貴族の権威を再興するのにちょうどよかったからだ……旧態依然と批判されるべき点であることは、否めない。そしてそれだけでは済まない過激さを増していったころには、我に返ったところで、抜け出そうなどと言えるはずもなかったのだろう——ともあれそういうわけで親戚陣は大半が闇の帝王をそのように呼んでいる。レギュラスでさえも抜けない癖だ。私の呼称もそれに倣う。
帝王の呼び方なぞどうでもよろしい。
「ひとまず……優勝杯を持って出よう」
悪意的な魔法がかけられていたとしても、これだけ調べて出てこないものならば、私の実力では判別がつかない。あきらめて決断を下す。
「……それともおまえが取るか?」
「僕を優勝させたがっている説を提示したのは君じゃあなかったかな……」
じとりと睨む緑の瞳に肩をすくめてみせる。
「二人で取ろう。どうせ君も僕も優勝にこだわりはないんだ」
ポッターは優勝杯の右に回り、私は左に回った。両手で掴み——
——世界は回り出した。
勢い余って投げ出された優勝杯=
着地に失敗し、滑って転んだ際にうっかり食ってしまった雑草を吐く。
苛立ち混じりに立ち上がって、砂ぼこりを払う。あたりを見回した。
だだっ広い墓地のようである。
「……これも……課題の続きかな?」
ポッターは、転がった私と異なり、上手く着地したようだ。さすがクィディッチ選手とでも言うべきか。言い出したくせに自信がない様子で、視線は周囲をつぶさに観察している。
「私が知る限り、ホグワーツ校内に墓はない」
杖を握り直す。ついでに、浮遊呪文で優勝杯を浮かし、傍らにまで引き寄せておく。またぞろ、これ以上に面倒なものが仕込まれていて、視界外でなにか起きても困る。
「ただ、だとすれば——私たちはホグワーツ内から出てしまったことになり、それはつまり、ホグワーツの守りの外であることを意味する」
人気のない墓地である。夜間に人気がある墓地もなかなか妙なものだが。
薄ら寒い雰囲気。具体的にどこかもわからぬ景色。緊張のせいか、先程吐いたせいか、喉が渇いていた。渇きを癒す足しにもならないが、とりあえず、手元の水を飲み干す。瓶のコルク栓を閉め直したところで私は「おい」とポッターを咎めた。
「あまり私の前に出ないように」
(慎重な素振りだったが)一歩踏み出しかけていたポッターには「僕は君の弟じゃあないんだよ」若干、刺々しく返された。
「それに僕だって——不本意とはいえ——トーナメントを戦ってきた代表選手だ」
「しかしおまえはドラコよりも歳が下で、私よりも呪文の腕が下手だ。足手まといはつべこべ言わずに大人しくしていろ」
「……君ってどうしてそう喧嘩を売るんだ!」
「悪かったね、おまえは弟ではないから愛想よく諭してやらな」
「——余計なやつは殺せ」
緑の閃光が轟いた。
➤
父の骨、知らぬ間に与えられん
下僕の肉、喜んで差し出されん
敵の血、力ずくにより奪われん
ある古い魔術である。三点の肉体に保存された対象の情報を読み取り、再構築させる。黒魔術のさらに深奥に触れた者しか知らぬような、きわめて悪質な魔術でもある。黒魔術を学ぶことそのものが精神を蝕んでいく。その魔術もまた禁術にされて久しく、あまりに久しいがゆえに忘れ去られていた。
魔法薬という予想は全く外れていたが、しかし、ある種的を射ていたのかもしれない。
➤
杖の繋がり——不可思議な現象によって命を救われたハリーは、父親の影の言葉に従って、繫がりを切るや否や遮二無二逃げ出した。
「木霊の分際で」
激昂したヴォルデモートが杖を振り上げる。
「——【
閃光はヴォルデモートの
ヴォルデモートは振り返った。猫に類似した赤い虹彩、その中央で瞳孔が見開かれている。
「ルシウス貴様——」
「私にかかずらっていてよろしいのですかな」
ルシウスに向けられた光線は虚空を貫いた。姿くらまし——横から閃光が飛ぶ。着弾を確認することもなくまたも姿くらましで消えた。
「ポッターが逃げますぞ」
紅き瞳孔が仇敵をきつく睨んだ瞬間、ふたたび呪文がほとばしる。避けられたそれは無辜の墓石に衝突して砕け散った。
「〝マルフォイ〟が善人ぶったとて、今更なにを得られる? のうのうとした平和も飽いたのだろう、ゆえにこそのワールドカップだ。表層をどれだけ取り繕おうが本性は隠せぬ——」
繰り返されるゲリラ的な攻撃の隙に、ハリーは、優勝杯のもとに辿り着いていた。ヴォルデモートは全く心当たりもないようだが、しかし、ハリーは薄々分かっていた。
ルシウス、すなわち、ルシウス・マルフォイだ。彼には息子が二人いる——ハリーはどちらの息子のことも知っている——
「それともまさか、金蔓のマグルが惜しくなったとでも言うつもりか?」
「あなた様には、一生、理解できますまい」
——ハリーのすぐ隣に現れた
「レグルス——」
ホグワーツのクィディッチ・ピッチ——ルシウスはすぐさま跳ね起きた。
仮面が音を立てて転がるのも構わず、どころか夜露に濡れた芝生に膝をつくのも構わず、ハリーを突き飛ばし、息子の肩を抱え起こそうとした。「【
「レグルス——レグルス起きてくれ、起きて——【
杖が光る。呪文は確かに成功していた。ただの失神ならばこれで回復するだろう。レグルスの手はだらりと力なく下がっている。
「起きてくれ」
三度閃光が走る。なにも起きない。誰も起きない。眠るように目を閉じたままだった。ただでさえマルフォイの人間は、誰も彼も血の気の通っていないように蒼白いものだったが、しかし今のレグルスはいっそう蒼白であった。
「レグルス」
ルシウスは息子の肩を強く揺さぶった。
「起きてくれ——起きてくれ! 【
ハリーは知っていた。彼の身体のそばに屈んだとき、呼吸の音さえ聞こえなかったことを知っていた。脈拍の感触さえもなかった。しかし口にもできなかった。「ポッター」いつの間にか近寄っていたムーディが、突き飛ばされたままだったハリーを助け起こす。
「離れてやろう……全く、ずいぶんと息子思いな父親だ」
ローブの人影が、ハリーとムーディの横を駆け抜けていく。ナルシッサとドラコであった。「兄上」——ドラコ・マルフォイのそんな声音を聞いたことはハリーはほとんどなかった。もしかしたら一度もないと思って——かつてを思い出す。バジリスク。スリザリンの継承者に襲われた兄と、彼が知っていたことを把握して、取り乱した少年。
「これはいったい、」
ファッジは混乱を隠そうともせず、大股に歩み寄った。
「ルシウス、何故君がハリーと——それにレグルスは、いや、ダンブルドアこれは——」
老年の魔法大臣が振り返る。ダンブルドアもまたいつになく険しい表情で、クィディッチのピッチを足早に抜けた。
「ダンブルドア!」
ルシウスははっとしたようにホグワーツ校長の名を呼んだ。かつて彼もその元で学び、そしてその敵の配下となり、平和な時代でも未だ政敵として対立していた。その名を縋るように呼ぶのはおそらく初めてだった。
「あなたは、あなたならば——ああ、そうだ、私が知っていることならすべて話そう。あなたの言葉に殉じよう、破れぬ誓いを結んだっていい、だから、だから——だから助けてくれ、」
言葉とは裏腹に、ルシウスの腕は、誰にも渡さぬとばかりに息子を強く抱え込んだ。されるがままに、まるでただの物体のごとく、レグルスの体が揺れた。
ただならぬ様相。不可測の事態にざわめいていた競技場だったが、だんだんと、不自然な沈黙が広まり始めていた。
「レグルスを、私の息子を——私の息子が息をしていないんだ! 私は——」
靴先で踏んだ仮面が割れた。白い陶器の真中に罅が入った。
「——息子を助けてくれ!」
絶叫の如く。
静まり返ったピッチに響き渡る。
——死の呪文に反対呪文は存在しない。死は不可逆であり、覆せない事象である。
ハリー・ポッターが生き残ったのは古代魔法による護りゆえ、母たるリリーの死を前提とした何よりも強い防護が、息子への害意を跳ね返した。死を経た上での蘇りではない。
跳ね返った死の呪文が直撃してなおヴォルデモートが生き延びたからくりは、事前に作成していた
蘇りの石が呼び出すもの、双子杖の奇跡がもたらすもの、いずれもただの木霊であり、亡霊ですらない。
死の呪文から真に蘇った者は一人もいない。
いまだ、誰一人も、いない。
ダンブルドアは言葉もないようであった。今世紀最も偉大なる英雄は、しかし、できないことも数多くあった。死者を蘇らせる行為はそのひとつだ。ダンブルドアは、何度か口を開閉した。
「彼は——」
ようやく紡がれた言葉が途中で止まる。強く揺らされた拍子にか——レグルスのローブの隙間から、チェーンネックレスがこぼれていた。彼の身分に見合わない簡素な鎖だ。振り子のように揺れている——鎖の先につけられた小瓶の重みで揺れている。
空の小瓶だ。
細い線が、小瓶の中程を一周している。長らく液体が入っていたようである。
ダンブルドアはその小瓶を
賢者の石は破壊された。フラメル夫妻は死んだ。
現存する最後の命の水——不老不死の源——が、入っていたはずの小瓶。
空である。
今しがた中身を使い果たしたが如き小瓶。
「レグルス」
見えぬ迷路の空をずうっと旋回していたミミズクが、人の姿へと変化し、ピッチに降り立った。マルフォイ一家へと歩み寄る。
「君の家族が泣いている。君はそれを蔑ろにできない」
懐から取り出された杖が真っ直ぐに従甥を狙った。
「【
➤
「ごぽ」
➤
脳天から突き抜けるが如き頭痛。三半規管の酩酊は上下前後さえも示さない。
全身に襲い来るとんでもない不快感に、身をよじって抜け出す。ここで吐いてはいけない——こことは、どこを——地面に蹲って、這いつくばり、何度かえずく。嘔吐反射が喉の奥を開くくせして胃液ぐらいしか出なかった。先程も吐いた気がする。先程というのが具体的にいつかも曖昧だが。気持ちが悪い。脳内で延々と世界が回っている。全身が重く、関節が妙に軋んだ。何倍もの重力を課せられているようだった。
私の身体が引っ張られた。誰かの手で起こされたのだろう。今の私は——ろくにものを吐けなかったが——しかし胃液まみれでさぞかし汚いはずだ。払い除けたかったが、腕に力が入らない。焦点は上手く定まらない。
何度かまばたきして、そういえば、今はいただいた眼鏡をかけていないのだと思い当たる。
「——めがね、おとしました……」
「そんなことはいいから」
どこか怒ったような声だった。いただいたものだというのになにがそんなこと——反駁は形にならず、喉に力はなく、唇をほんのわずかに動かしただけで終わった。目元をてのひらで塞がれて、思わず目をつむる——すみやかに意識は落ちた。
ほんとうはもう一刻も起きていられなかった。正直、一頻り吐き戻したあとは、もうずっと眠っていたかった。目を開けたくもなかった。
けれど、起きないと家族が泣いているというから——目を開けたけれどよく見えなかった。確かめられなかった。
もう泣いていないとよいのだけど。
➤
死の呪文に反対呪文は存在しない。死は不可逆であり、覆せない事象である。たとえばそれは魔法でさえも。
しかしハリー・ポッターは死の呪文を受けて生き延びたのち、生き残った男の子と呼ばれた。
推論。
死の呪文は——事前の対策次第では防ぐことはできる。
命を止めきれなかった呪いが、突き刺さり、拮抗している。やはりフィニート程度では最後まで取り除けない。加害ばかりを学んできた身では止めきれない。
呪いの内容を俯瞰したレギュラスが魔法大臣を振り返る。
「聖マンゴに病床の空きはありますね?」
「それは——いやもちろんあるだろうとも」
ファッジはごく一瞬だけ言い淀んだが、すぐさま頷いた。マルフォイ家は昨年夏に聖マンゴへ多額の寄付を行なっていた。
➤
バーテミウス・クラウチ゠ジュニアは奇妙にはっきりとした意識で椅子に座っていた。口元には笑みが浮かんでいた。
彼は闇の帝王に最も貢献したしもべのひとりとして評価される。
ダンブルドアらはクラウチ゠ジュニアからいろいろと情報を聞き出したが、しかし、もはや意味もないことばかりを聞いてきた。
扉が開く。クラウチ゠ジュニアは眼差しを上げて——飛び退こうとした。彼を縛る拘束がガタガタと椅子ごと揺らしたのみに留まった。アズカバンの囚人らが最も恐怖した存在。
——
「其奴は重罪人だ。アズカバンに終身刑が妥当だ。
ずいぶんと——小柄に見えた。磔の呪文で痛めつけ、服従の呪文で従えて、クラウチ゠ジュニアが最後に見たときにはもうすっかり正気を失った男だった。様子はあまり変わらないようだ。ホグワーツに辿り着くも、話を聞き出すどころの容態ではなく、聖マンゴに搬送されたと聞いている——どうやって抜け出してきたのか、男は未だ病院着だった。あれから一月も経っていない。ほとんど一年にのぼる監禁と拷問の日々は男の精神をずいぶんと削ったはずだ。
クラウチ゠シニアは
「今更——」
クラウチ゠ジュニアは言った。嘲笑う意図を込めていた。
「俺を庇うのか? 監禁生活で精神が歪んだか……それとも親子の情ってやつか?」
「私に息子などいない」
かつて法廷で怒鳴りつけられた言葉だ。リフレイン。脳裏に恐怖と絶望が蘇り、消滅する。怒りがふつふつと湧き上がり続けている。
「そうやって罪を切り捨てて見なかったことにするのさ……おまえも罪人のくせに。知っているぜ、裁判すらせずに送り込んだシリウス・ブラック……冤罪を作った……それに俺を脱獄させた、おまえが言う重罪人を——」
「そうだ」
それはクラウチ゠シニアのおとがいをつかんだ。
「貴様は重罪人で——私もまた罪人だ」
クラウチ゠シニアは、
そもそも正気を取り戻したかも定かではなかった。ただ偶然それらしい返答をしていただけで、噛み合った会話を交わせていると、思い込んでいただけだったのかもしれない。
「罪人は然るべき罰を受けねばならない。私はそうするべきだった。ずっとそうするべきだったのだ」
クラウチ゠ジュニアは不意に我に返った。夢心地から叩き起こされたような気分だった。「おい——」ガタガタと再度椅子を揺らす。
「お前ら、俺を罰しに来たんじゃないのか——帝王に認められた俺を——そいつは魔法省高官の——」
あいにくクラウチ゠シニアは息子の件で左遷され、高官とは言えなくなってしまった。
「これは——ファッジ、あなた!」
トラネコの
しかしクラウチ゠シニアは倒れ伏したままである。
「おい、クラウチ。バーティ。バーテミウス・クラウチ——」
同じ名前を呼ぶ。忌々しく大嫌いな名前である。一度も好きだったことなんてない。自らの手で殺したとしても、きっとせいせいするぐらいであったろう。
「魔法法執行部部長、国際魔法協力部部長、なあ、おい——」
いずれの肩書もクラウチ゠シニアが有していたものだった。新旧の違いはあれども確かに彼を指すものだった。
「——お父さん」
いずれの呼びかけにも、クラウチ゠シニアの返答はついぞなかった。彼の魂はうつろにのまれた。
クラウチ゠ジュニアはこのようにして取り残された。その魂は
➤
今年度の顛末はこのようにして——
——もうちょっと、続く。
➤
「——やあ、レストレンジ。おかえり?」
セドリックは、スリザリン寮の入口前の柱に寄りかかっていた。ハッフルパフの好青年、現在六年生の監督生。
「……どーも?」
同学年のスリザリン寮の監督生、レストレンジはそのように返した。同学年の監督生である以上たまに言葉こそ交わすものの、私的な交流はなかった。それこそレグルス・マルフォイの方がよほどやり取りをしていただろう。能力主義者はセドリック・ディゴリーという全方位万能優等生をかなり気に入っていた。
「素敵な朝帰りだね。どこに行っていたのかな」
「それを聞くのは野暮ってもんじゃないか?」
「そうかもね、なら、第三の課題の勝敗は知ってる? 優勝者はハリーとレグルスだった」
レストレンジは目を開いて、それから破顔した。
「やっぱあいつはそうであるべきだよ! マルフォイなんだから——」
「——純血の彼が単独優勝じゃなくても、喜べるんだ? 第一の課題でずいぶんお説教をしたと聞いているけれど」
セドリックは静かに尋ねた。
「……嫌味な言い方だなあ」
レストレンジは唇を尖らせた。
「レグルスと仲良かったから? あいつはそういうことはこすらないやつだと思うんだけど」
「そうだね。彼はわりあい認知が歪んでいるから、純血を引き合いに出されて非難されたらそれは素直に受け入れる」
「なら君が非難するのはお門違いじゃないか」
「レストレンジ、もう一度聞くよ。君は昨夜どこにいたの——期末試験が終わって、第三の課題の最中。そのあとも」
「……一人で厨房の酒かっくらって天文台で寝てましたー! これで満足?」
廊下の松明が揺らめいている。セドリックとレストレンジの姿を照らしている。影は炎に合わせてやはり揺らめいていた。
「だってあいつ、なんでもできて、当然ですみたいな顔してさ。たぶん今回も勝つだろうし。だったら見なくてもいいかなって」
「墓場にいたんじゃないのかい」
ぱちぱちとレストレンジは瞬きをした。
「なんの話だ? 本当に心当たりがないよ」
「レグルス、彼、記憶力がいいだろう。大抵のことは覚えていて、ほとんど全校生徒の名前を記憶している」
突然話の内容が変化した。レストレンジは怪訝そうに眉を寄せたが、構わず、セドリックは淡々と言葉を連ねる。
「有能な人が好きだから、そういう人の名前をよく覚えている——なのに君は監督生になるまで名前を呼ばれなかったんだってね?」
「あいつはそういうやつだよ。知らなかった? 興味のないことまるで無視。慣れた様子で僕に荷物を押しつけるんだ、昔っから」
「それで彼は気づいたらしい——レストレンジのファーストネームを
一月ほど前の話になる。レグルスの言う、ひとつ聞きたいこととやら——〝レストレンジのファーストネームを誰か知らないか?〟との問いかけに、焚火に集う者たちは顔を見合わせた。どういう意図だか全くわからなかったが(スリザリンの監督生ともっとも近くにいるのはレグルスである)素直に知らないと答えて——全員が——レグルスは頷いた。
〝私も知らない。ホグワーツ入学前から親戚たちのパーティで顔を合わせているのに、知らないんだ。……あいつ、誰だと思う?〟
「君が監督生になったころから、レグルスは、君にめっきり荷物を押しつけなくなったとか聞いたけど。それが何故だか君は知ってた?」
レストレンジは口を開かず、ただ、小首をかしげた。
「君は七変化なんだってね」
セドリックは話を続けた。
「
ニンファドーラの母親はアンドロメダ・トンクス——アンドロメダ・ブラックはマグルの男と結婚したため、ブラックの家系図から抹消された。突然変異の可能性は無論否めないとして、遺伝だった場合を考慮しよう。マグルの血筋からの遺伝とはそうそう思えない。アンドロメダは三姉妹の次女で、妹にナルシッサがいる。姉は——かつてはベラトリックス・ブラック。ロドルファス・レストレンジと結婚して、ベラトリックス・レストレンジに名前を変えた。
ヴォルデモートの忠実なる部下たちの筆頭として、レストレンジはしばしば名指しされた。忠実な下僕、加えて女、という特徴を並べられて、真っ先に上がるとしたらベラトリックスだった。しかし彼女は、夫や義弟とともに、未だアズカバンに収監されている。ヴォルデモートも彼らについては、アズカバンから出獄した際に報奨を与えると述べた。
その他に皆心当たりはなかった。それほどまでの過激派は揃いも揃ってアズカバン送りだった。
「例のあの人の——忠実な下僕たちが今回の件に手を貸した。ひとりは昨日捕まった。ひとりは長年ホグワーツに潜入していて、おそらく、女性。それで——七変化はどこまで変えられるのかな? 容姿? 声も変えられるの? それとも
セドリックは微笑んでいる。
微笑みながら、しかし、怒っている。
彼は本当に怒っている。
「レグルスの署名をゴブレットに入れた
レストレンジはしばらく黙っていた。松明の光が——奇妙に——ちかちかとまたたいた。
「——……セドリック・ディゴリー。あなたは昨日死ぬ
やがて不意に口を開く。
セドリックは怪訝に眉を寄せた。
「クラウチ゠シニアは五月末には死んでいる
「なんの話を——」
「——
予言にしては過去の話で、妄言にしては強い断言だった。「どうしてだと思う?」レストレンジを名乗る者は、いつの間にか取り出した杖をくるくると回す。
「って言っても、はっきりしてるんだけど。わたしは母の脱獄後に生まれる
黒髪が波打った。まずはどんどんと色が薄くなり、シルバーに近づいていく。そこに時折、青色が重ねられていく。
「ただ——生まれたわたしは、どう見てもロドルファスには似てなかった。父の娘なんて——もちろん気づかれるへまを冒すはずがないのだけれど——万が一露見したときには、あの時代、どこで襲われるかもわからなかった。だから母の出産は、表向きは死産ってことになった」
セドリックの目の前で骨格が華奢に変わり、身長が少し伸びる。ずいぶんと軽々しい口調は少し高く、ハスキーに変わった。
「ナルシッサはそれが負担になったのかしら……予定日よりずいぶん早く……でも彼女が生んだ子供は、死ななかったし、健やかに育てられたわ。代表選手になれるぐらい——うーん、わたしに言わせれば、すこし過保護かも。ナルシッサ、今も彼を母に会わせないんですって? 負い目に感じているのかしら。そんなものなんの意味ないのに」
度々話に出る〝母〟はベラトリックスのようだが、しかし〝父〟はおそらくロドルファスではないのだろう。セドリックはきわめて冷静に推し量り、事前に伝えられていた推論と照らし合わせる。
レグルスは一月前、つらつらと前提情報とそれから成る推論を述べたのち、課題当日はおそらくそれどころではないから、と主にセドリックにすべてを押し付けていった。焚火に集う彼らとて期末試験がきっちりあったのだがろくに身が入らなかった。きっと傲慢とマイペースを乗算するとあんなふうになるのだろう。本当にあの男誰かどうにかした方がいい。
……どうにかされた結果が聖マンゴ送りだ。ゆえにセドリックはここに立っていた。
「いろいろヒントも出してあげたのに、本当に気づいた様子がないから、最後の方はどこまでやったら気づくんだろうって思ってた。あーあ。二年も前に気づいてたんだ、話してくれればよかったのに。もう聞けないじゃない、ねえ?」
死んだことを前提に話している。やはり彼は——彼女は——第三の課題の観戦席にはいなかった。
「君は誰」
「オーグリー様で構わないわ」
レストレンジを名乗る者——オーグリーと呼ばれる者——は、セドリックをふと見つめた。彼らの目線はほとんど同じ高さだった。
「デルフィーニ様でもいいかも。新鮮。レストレンジも気に入ってるけど、とはいえ、わたしに
デルフィーニは悪戯っぽく微笑んだ。まるで魅力的な笑みに見えた。
「君は——レグルスを殺したかったのかい」
「わたしは
セドリックの問いに、デルフィーニは素直に答えた。
「腰巾着として振る舞えば誰も注目しない、そういう隠れ蓑としては、確かにちょうどよかったけれど——彼って、生まれるはずがなかったくせに、なんでも持ってたもの」
言葉はやはり軽々しいくせに、どこか冷え切った物言いだった。
「血筋でしょ。傍で甘やかす御両親でしょ。才能でしょ。傲慢に胡座をかいても許される。マルフォイだから。まァそれだけならよかったわ。
指折り数えてああやれやれと首を横に振る。ランチタイムにこぼすちょっとした愚痴じみていた。あいつってそういうところ気に食わないよね、そう思わない?
同意の問いは簡潔で、言外に同調を強要する。
「いつも傲慢で毒舌ばかりで嫌なやつだったわ。自分は常に誰かを評価する側だと思い上がっていたわ。他人のことなんてどうでもいいくせ、自らを弁えた常識人のように思い込んでいたわ」
それらは度々レグルスが指摘されていた悪癖である。
「そんな彼が選ばれるだなんて——誰もを差し置いて選ばれて、しかも、自分の選出が不正ってことは都合よく隠して——そんなの、
セドリック・ディゴリーは代表選手に選ばれるはずだった。その名誉を手に入れるはずだった。特段やる気のない同級生が代わりに選ばれた。
よって彼は死にかけた。
「——本気で言ってる?」
セドリックは死ぬはずだったという。
であれば、レグルスがかろうじて命をつなぎとめたのは、やはり奇跡的なことだったのだろう。未だ予断を許さない。死の呪いは十四年経ってなおハリーを蝕んでいる。前例から考えても——服用した命の水とて、ごく少量で、製造から時間も経っている。呪文の直撃を受けたレグルスは、聖マンゴに搬送されたとてどのような経過を辿るかもわからない。
殺したかったのかもしれないとデルフィーニは肯定した。未必の故意とて殺意と呼ばれる。
「……なかなか上手くいかないものね。やっぱり代表選手にしてから邪魔した方がよかったのかも。アルバスはそうしたようだったし——」
デルフィーニは己の策を検討し「これからを考えるべきでしょう。最悪は——補填が効く」すぐに首を横に振った。
ついでの如く杖が振られる。緑の閃光が走る。
セドリックは既にその場にはいなかった。虚空をみどりが駆けて、傍らの松明が砕け散った。
「——あいにくと、友達を殺そうとする人間なんて、一人で詰められるわけがないだろ」
シリウス・ブラックが手痛い失敗を冒したのは十四年前のこと。彼の失敗は、証拠不十分の釈放とともに世間に知れ渡った。誰しもが過去から学んでいる。味方も——敵も。
「逃げられるとでもと思ったのかね」
ダンブルドアが姿を現す。ブルーの瞳は高温の炎が燃え盛るようであった。
デルフィーニはにこりと微笑んだ。ダンブルドアは、デルフィーニにとって
「逃げるわ。父が待っているもの。父はわたしに寛容なの……去年は初めて褒めてくださった……」
頬が喜色に彩られて、ふと、デルフィーニは瞬きをした。
「……必要であれば、お祝いの言葉だってくださるわ。きっと。だったら、たかだか級友からの言葉なんてもう要らない——どうでもいい。そうでしょう。そうでなければならないの。他人の評判は単なる窒素、血縁よりも優先すべきことなんて、ないわ」
そうしてスリザリンの監督生:レストレンジはいなくなった。そもそも最初から存在しなかった。