【完結】獅子座α星が、ふたつ   作:初弦

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外伝︰いるか座

「母上——ああ、こんなに細くなってしまわれて」

 デルフィーニの惜しむような声音に「すぐに良くなる」ベラトリックスは血色の失せた顔色で微笑んだ。長年の監獄生活により、かつての美貌は薄れ、あまりにも窶れていた。しかしその目の輝きは失われていなかった。

「あの方のためによく尽くしていたと聞いた」

 デルフィーニは頷いた。

「こちらへ来て——よく顔を見せて」

 デルフィーニの頬をベラトリックスのてのひらが撫でた。

「ずいぶんと大きくなったね」

 ()()()デルフィーニが知っていた母は、ホグワーツの戦いで命を落とした。今からおよそ二年後の話だ。()()のデルフィーニは生まれてすぐにロウルの家に預けられ、会話した記憶もなかった。父もまた同様である。話に聞く〝例のあの人〟〝闇の帝王〟〝ヴォルデモート〟が実父であると知ったのはずいぶんとあとの話だった。彼らの死を誰もが喜んでいた。デルフィーニは無関心に聞いていた——当時の己の無関心を後悔したのはやはりずいぶんとあとだった。

 成長を祝われたことはなかった——ロウルの人々は金に熱心で、デルフィーニの生死には興味はあれど、デルフィーニ個人には興味がなかった。デルフィーニは親らしい親の記憶を持たない——持たなかった。持たないままにアズカバンにて朽ちた。

 ヴォルデモートを救うことはできなかった——ベラトリックスも——デルフィーニは〝オーグリー様〟になる未来を知っているが、しかし、自ら体験していない。スコーピウスからの伝聞でしか知らない。どうして彼はそんなにも素晴らしい世界を嫌悪してしまったのだろう? 〝間違いなく純血〟でヴォルデモートの側近たるマルフォイ家は、なかなか良い生活を送っていただろう。蠍王(Scorpion King)——いい響きだと思う、オーグリー様には劣るけれど——

 ——かつてのデルフィーニは、そのようなことを考えていた。そうしてアズカバンで長年過ごしてひとり孤独に死んでいった。父も母も誰もいなかった。既に死んでいたからだ。実父と実母が誰なのかを知ったときには、既に。

「あんなに小さかったのが嘘のようだ……」

 ふたたび生まれたとき、デルフィーニは、はじめ夢だと思っていた。若々しいベラトリックスがデルフィーニの頬を撫でていた。あたたかく大きなてのひら——表向きデルフィーニは死産として扱われ、ベラトリックスはたびたびデルフィーニに会いに来た。愛おしい子、とよく抱きしめられた。ついぞ知らなかった、知る由もなかった、母のぬくもり——

 ——このときもまた()はヴォルデモートであったようだ。こそげた蛇の如き異形の面はデルフィーニは少しも気にならなかった。二歳半の娘が、まるで戯れのように、部屋を這う蜘蛛にタップダンスを踊らせる様を見て、ヴォルデモートは満足げな顔をしていた。父もまた、幼少期から服従の呪文を無意識に扱える子供だったそうだ。研鑽を言い渡して彼は去っていった。その一度だけだった。間もなく、ヴォルデモートは敗れたのだ——デルフィーニはそれを止められなかった。父と顔を合わせたそのときが一九八一年の四月だったと知らなかったからだ。

 レストレンジ家の屋敷妖精(House elf)たちはデルフィーニにきわめて従順だった。純血主義と帝王への忠誠を骨の髄まで叩き込まれた彼らは、屋敷の夫人の娘であり、なにより帝王の娘であるデルフィーニを主として仰いだ。尋常な齢三歳では、たとえ屋敷妖精(House elf)の忠誠があろうとも、どうにもできなかったかもしれないが、幸いなことに、デルフィーニは()()()三歳児ではなかった。

 やり直す機会が降ってきた。まるで設えられたかの如く。もう一度、今度こそ——

「母上……」

 デルフィーニはベラトリックスの手を握る。骨と皮ばかりの感触を確かめる。今にも折れそうだ。この頃のアズカバンはとりわけ囚人へ不寛容だと聞いていたが、ひどい仕打ちに胸が痛む。

 両手で、母の指先をこするように温める。体温を少しでも分け与えたかった。屈辱と苦痛を耐え忍んだ母に。

「母上、あなたにお話したいことがたくさんあったの、ずっと、この十五年——」

 父が滅びかけ、母は監獄へ押し込まれた。屋敷妖精(House elf)は所詮下賤でデルフィーニにはそぐわぬ身分で、周囲の人々は彼女を〝デルフィーニ〟であるとすら知らなかった。父母の帰還を待ち望んでいた。彼女こそが最も待ち望んでいた。

「——けれど、母上、まずはあなたの英気を養いましょう。父上もそれを望んでいます」

 ホグワーツに入学するにあたって最大の問題は名簿だったが、これは簡単だった。表向き死産として扱われた〝レストレンジ夫妻の子ども〟の情報をベースに周囲の認識を改竄した。()はなかった七変化の技能を利用して、聖28一族のパーティにも〝レストレンジ〟として出席するようになった。近づくべき人々に幻惑をかける。〝エイモス・ディゴリーの姪〟として振る舞ったときと同じ要領だ。

 賢者の石の件で父親に接触しようとしたが、不発に終わった。ホグワーツにいる間のデルフィーニは〝レストレンジ〟の皮をかぶっていたから、仕方のないことだった。

 秘密の部屋の件は、バジリスクを操ってしまおうかと考えた。しかしトム・リドルは五十年前の記憶で、デルフィーニを知らない。父と戦うことは避けたかった。

 ピーター・ペティグリューの件——大きな誤算が芽生えたのはここだ。父を助けるはずのペティグリューが()()されてしまった。デルフィーニは魔法省の未成年魔法使用検知をかいくぐる方法を探した。怪しまれないようにホリデーを使った——ホグワーツの学生という身分は捨てがたいものだった。城内にいたとしてもなんらおかしくない身分だ。これは後々様々な工作に使えるとデルフィーニは確信していた。加えて、デルフィーニはホグワーツには一度も通ったことがなかった。良い子にしていた代わりに手に入れた監督生バッジ——父と同じ!——

 クィディッチ・ワールドカップを経て、クラウチ゠ジュニアの協力を得た。学校に戻るときは、あまりに名残惜しいが、父の世話は屋敷妖精(House elf)に任せた。このまま父を——そうだ、そういえば、今年はセドリック・ディゴリーが死ぬ年だ、デルフィーニは思い出した。彼が生き延びた結果として〝オーグリー様〟は誕生した、父は生き延びた——

 代わりの生贄は、ひとりしか思いつかなかった。いるはずもなかった男。レグルス・マルフォイ。存在しないはずなのに大きな顔で当然の態度で振る舞う、純血貴族のくせして穢れた血(Mud blood)と呼ばわることを咎め、血を裏切る者共とつるんだ、あまりにどうしようもないひと。

 

〝——おめでとう〟

 もう要らない!

 

「わたしたち、きっと次は勝つのですから。何事も万全を期しましょう」

 デルフィーニは微笑んだ。今こそ、今度こそ、絶対に失敗してはならない。きっと失敗しない。だって賢しらに正義のふりをした彼らは、口を揃えて言うのだ、愛に勝る力はない——そうしてデルフィーニの両親を殺した——だったらきっと、()()から熟成されたデルフィーニの愛に勝るものはない。

 まずは、そう、予言を手に入れるところから。デルフィーニは、予言が確実でないことを知っているけれど、しかしその重要性をも知っている——予言のとおりに〝余計なやつ〟を排除して、彼女はあと一歩のところで成功しかけていた——シビル・トレローニーが遺した予言は、成就後の後世にはほとんど伝わらなかった。ハリー・ポッターが選ばれし者と呼ばれる理由をデルフィーニは知りたかった。

 ——ねえ、ハリー・ポッター、アルバスのお父さんになるかもしれないひと、私、あなたを殺したいの。()()で父を殺して父を騙ったあなたを。

 ——愛を知る人。血の護りで命を繋いだ人。許してくれるでしょう? だってそうしないと、私の父と母が死んでしまうんですもの。

 

 ——だから、もう要らないの。それ以外はなんにも要らない。

 ——生きてほしいから、もう、なんにも要らない。

 

 何も知らない人間と、何も知らない顔をして、ふざけ合った日々。脳裏を焦げ付くようにかすめて消える。かつて同じことを繰り返してきたように、今回も繰り返すだけ。

 ともだちなんて、もはや必要もない幻想だ。最初から存在しなかった。捨てたってなんの問題もないに決まっていた。

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