三秒ほど見知らぬ顔と見つめ合ってしまった。
「——おはようございます」
悲鳴を上げられた。挨拶は大事だと思うのだが。
あとから、解呪に取り掛かってくれていた
えっ半年?
バジリスク時の記録が確か三ヶ月だったか。いやはや、軽々と更新してしまったな。
「少し前に呪いの効力が——わずかに弱まったんだ。もしやと思って注力していたのだけれど」
起床後の問診(当然と言うべきか、かなりの時間がかかった)を担当してくださった
「死の呪いの効力が弱まる——?」
「前例がないことで——本当にない上にあなたの事例については今後もないだろうから、なにも確かなことは言えないのだがね。〝生き残った男の子〟を呼んでくるぐらいせんと」
死の呪いはそもそも即効性かつ反対呪文もないので効力が弱まるもなにもない——はずなのだが、命の水による延命が聖マンゴ史にもない事例を生み出していた。ポッターは私が知る限り聖マンゴに運ばれたことはない。賢者の石が破壊された以上、再現性もないこともまた間違いない。
「単なる時間経過の臨界点を超えたのか、あるいは死の呪いの機序を考えると、術者の殺意がなにかの拍子に弱まったのか。そのあたりだ。とはいえこれ以上はなんとも言えんな」
「左様で……」
私は簡素に頷いた。下手人を確認しに行けるわけもなしか。現状、下手人が誰やも知らんが。従叔父上とか御存知だろうか。
問診結果は異常なしだそうだ。ここまで前代未聞が積み重なると、いっそ異常がないことこそ異常ともいえる。かもしれない。
「レグルス——は?」
「おはようございます」
廊下の慌ただしい足音すぐ、父母は病室に現れて、そして二人揃って絶句した。私は一度羊皮紙から顔を上げて御挨拶を申し上げた。挨拶は返ってこなかった。
「——なにを……」
「なにをとは。当然、読書です」
私は心外な心持ちを全面に出した。問診を終えたのち、暇だったので、ベッド脇に積み重ねられていた今年度の教科書——は先程読み終わってしまった、今年度に出た論文に手をかけるところだった——を読みふけっていた。
「優秀さに加えて勤勉な息子、素晴らしいじゃありませんか。是非とも誇ってください」
固まっていた母上が、つかつかと私に歩み寄った。なんだろう。不思議に思って見上げていると、母上が片手を上げた。振り下ろされた。
「イッッッタえっ母上!?」
予備動作全部見ていたのに予想外が過ぎてもろに頬に食らった。まさか母上に叩かれるとは——初の事象に、怒りや悲しみより困惑が来る。母上はもう片方のてのひらで口元を抑えていた。目元がひかる——
「この子は本当に……!」
——な、泣いてる。
母上が泣いているの私生まれて初めて見た。訂正。三歳からは確実に初めてだ。それ以前はわからない。母上は取り乱すことはあっても涙をこぼすことはない。化粧の武装が落ちてしまうから。
助けを求めて父上を見るとこちらも泣いていた。父上は二度目。初でも二度目だとしても親が泣いていると混乱する。そもそも私は何故叩かれたのでしょうか?
「本当に死んでしまったかと、死んでしまうかと」
「ご、ごめんなさい」
反射的に謝ってしまったが、私が死にかけたのは私が悪いわけではな——はい、あの、そう、すみません。申し訳ありません。もうしません。危険なことはいたしません。これ二年前も言った気が——いやあれはだって父上の策のせいで——違います言い訳じゃなくて、今度こそ本当、本当。
父母よりわずかに遅れて到着したレギュラスが、泣き崩れる従姉を見て、シンプルに涙ぐむ義従兄を見て、おろおろする私を見て、まず私の頭をしばいた。
「何故!?」
「元気にはしゃげるようでなにより」
レギュラスは私の疑問には全く触れずに流した。
ブラック家には瀕死の縁から快復した人間はひとまずはたくべきという掟でもあるのか?
「であればさっさと日常に戻れるように頑張ること。ひとまず補助なしでも動けるぐらいを目指しなさい。……直前まで寝たきりだった患者にロコモーターとは、聖マンゴ勤めの
「そこに書物が置いてあったので」
レギュラスの眼差しに明らかに呆れがにじんだ。
「呪文なしで動けるようになるまで読書は禁止」
「冷血漢! ひとでなし! ミミズク!」
「起きた途端に騒がしいね。半年近く黙っていた反動かな」
この人絶対、私の昏睡中も顔色ひとつ変えなかっただろ……!
「……ドラコはどうされたのですか」
しかしそう、私だけが騒がしい——不意に私は冷静になった。
一人欠けた家族について気にかかるのは当然だ。
「諸事情あって、今のホグワーツには下手な内容の梟便を送れないんだ」
つまりレギュラス本人が届けに行くセキュリティすら危ういと仰る。……大丈夫なのかあの子は。私のところに大人三人集っていて問題ないのか。
「もちろん、一月前の君と比較すれば百倍は元気だろうとも。それでも気になるというなら療養に専念して自分の目で確かめなさい」
「今しがた起きたばかりの甥に対して優しくしようという気概はないのですか」
「甥じゃなくて従甥」
手厳しい。
「それに、もう一生分優しくしているよ」
厳しい従叔父上はつめたく言い放ってさっさと病室をあとにした。一生分の優しさとやら、もう少しわかりやすく顕にしていただくことって可能でしょうか。
➤
着替えの途中に気づいたことだが、腹のあたりに焼印じみた傷跡が残っていた。傷物とはいつかにドラコがポッターを嘲った際の悪口だが、私もまた傷物になったというわけか。特に稲妻型でもないのでペアルックはかろうじて回避できたかな。
……さて、教科書類と論文が見舞品として積み重ねてあったことに異存はない。私の活字中毒はよく知られている。しかし、日刊予言者新聞が不自然なまでにない——本当に、一号もない——ことは留意点だ。たとえ書誌フリークでなくとも、半年間の情勢を知りたいという心境は理解されて然るはずで、いくら日刊予言者新聞の偏向報道が常にしても、新聞ほど適した媒体もないと思う——明らかに細工されたトーナメント、躊躇なく直撃した死の呪い、起きたら起きたでホグワーツ相手に梟通信の秘匿性が危うくなる事態。よりによってホグワーツだ。内部になにやら面倒な手合いがいることだけは確定、しかも校外のレギュラスが把握しているならば、それはつまりダンブルドア校長が把握していながらも抑えきれていないことを意味する。
純血貴族諸君からの見舞い品もなかった。マルフォイの子息が倒れたともなれば、表面上でもなにかしら取り繕うのが常のはずだが。
「……」
杖を振る。病室内の魔法はいくつか無効化されているようで——移動系呪文は全面的に禁止だな。直接的な加害を実現できる呪文は、一部の
「お、おはようございます」
「おはようございます、クィレル教授」
私の病室には何人かの人々がひっきりなしに出入りした。護衛なのやら、見張りなのやら、あるいは——そもそも聖マンゴに別の御用事でもあるのか。本日はクィレル教授だった。
私がじっと見つめると、彼はその火傷面をきょとんとまばたかせた。
「か、開心術はダメですよ」
普通に叱られた。
「き、君は現在入院中の患者という立場で、す、すなわち、部外者と接するリスクが限りなく高いですからね。い、いくら堅牢な要塞であってもリスクはゼロではなく、し、しかしやはりリスクの高低というものがあります。わ、わかりますね?」
その通りですね。
「く、加えて肉体と精神は密接にかかわりあっているからして、よ、弱った身体は心への侵入をも、ひ、比較的容易くします。む、無知は時と場合によっては有効で、い、一度刻まれた記憶はあらゆる意味で繊細で、ぼ、ぼ、忘却呪文でさえも完全には抹消できません。で、できるだけ情報を持たせたくないという判断は、り、理解できるでしょう」
なにもかもまことにご尤も。仕方がない、療養に専念いたしますとも。
「……とはいえ、君が起きたなら……あるいは……」
クィレル教授は突然なにやら検討し始めた。
「こ、これはたとえばの話ですが……セ、セブルスと、ポッターが、マンツーマンレッスンを行う状況を、き、君はどう思いますか?」
「……そのたとえば、とやらは核爆弾かなにかの暗喩ですか?」
「ふふふ……」
元マグル学教授ならば伝わるかと思って引き合いに出したが、それにしても乾いた笑いである。
「今年は宝探しはよろしいのですか」
あまりつつきたくなくて、ついでに気になったので、話を変えた。わりと頻繁に病室に顔を出されているように思うのだが。役目が変わったのだろうか。
「うーん……では、そうですね、ホ、ホグワーツ八階の壁の中に入る方法は、な、なにか思いつきますか?」
「バジリスクの移動方法の話ですか?」
「違いますねえ……」
「であればわかりかねますね……」
➤
私の病室を訪れるのはクィレル教授だけでもなかった。
「やっ、おはよう」
快活に女性は笑った。コバルトブルーの髪色は、白ばかりの病室ではよく目立つ。
「七変化が迷惑かけたね」
「今回ばかりは七変化ゆえの迷惑としては括りにくいものかと存じますが」
「じゃあ従妹かな」
「私のいとこでもありますね」
なるほど、〝レストレンジ〟がベラトリックスの子どもであることは裏が取れたらしい。
「ご無沙汰しております、ミズ・トンクス」
しかし卒業ぶりかな。彼女の卒業は私が二年次の年度であった。そろそろ五年近くは経過する。
簡易的に口上を述べた私に「堅いよ堅い」よいしょとトンクスはベッド脇の椅子に腰かけた。
「お貴族様って本当に堅いよね。肩凝ったりしない?」
「こういうものは慣れかと」
生まれたときからの日常に肩が凝るということはない。ミズ・トンクス——ニンファドーラ・トンクスは私にとってほぼ他人だが、身内間ではそこそこ羽目も外す。
無論ながら父上の羽目の外し方は見習ってはいけないものとして。
「慣れにもいろいろあるじゃない。シリウスはダメそうだし」
「まァ、あの人は向いていないでしょうね」
「たぶん私もダメ。在学中だってハッフルパフだったもの」
そういう問題かはわからないので肩をすくめるに留めた。想像がつかないというのは彼女もまたその通りである。
「マッド‐アイも来たがったんだけどね、死の呪いから蘇ったなんて——でもホラ、キミに対してはクラウチがいろいろとやらかしたらしいじゃない? だからまずは私が来たってわけ、家系図には載ってないけど親戚だし」
「私としては半分ほど初耳の情報ですが、私の耳に入れて問題ない範囲なので?」
「このへんはもともと世間にも知れ渡ってるから大丈夫」
……このへんは、とな。
世間的に知れ渡っていない部分が当然あるとしても、妙な表現だった。
「ん〜。キミが去年授業を受けていた〝マッド‐アイ・ムーディ〟は、実はアズカバンから脱獄して生き延びてたバーテミウス・クラウチ゠ジュニアが変装していたものだった——っていう話は知ってる?」
「なにもかも初耳ですね」
本当に初耳である。それはつまり、バーテミウス・クラウチ゠シニアの監禁実行犯は——うん? だとしてもクラウチ゠ジュニアが獄中死した、とされるのは十数年は前だ。時期が合わない。なにかろくでもない経緯が間に端折られている気配がするな。
……しかし、殺害計画を実行しなくて良かったのか悪かったのか。少なくとも元
「マ、ダンブルドアが見抜けないぐらい化けるのすっごく上手かったみたいだし、ってことは本物のマッド‐アイとキミを会わせたら普通にまずいかもってのはあるけどね」
「……」
ウーン。そうかあ。それは、なるだけ顔を合わせたくないな。
昨年度でつくづく実感したが、あらゆる事情に基づいて絶対に殺せない相手へ殺意を募らせるほど、不毛なこともなかなかない。ストレスフリーで生きていけることこそが理想である。
「キミ、中身クラウチのムーディに、学校で真正面から喧嘩売ったんだって?」
「先に喧嘩を売ったのはあちらでしたよ」
私はあくまでも穏やかに言った。「真正面から喧嘩買ったんだって?」即座に訂正された。どうしようかな。途端に否定できなくなってしまったな。
「マッド‐アイってわりあい小柄なのに、あの風貌と性格だから、圧あるだろ? 偽物ったって、よく真正面からいけたよね、もしかしたらグリフィンドール入れるよ」
「一般的な評価としては強面に分類されるやもしれませんが、風貌の美醜が重要視されるのはモデル業や役者業ぐらいでは?」
「キミみたいなやつが増えたらきっと私たちすごく困るな~」
ミズ・トンクスはからからと笑った。
「こっちがいっくら厳つい恰好してっても怯まなそう」
「それはもしかして、私が逮捕される側として想定されてませんかね?」
「おっと」
前にもドラコに似たようなことは言われたが、まったく、これほどまでに清廉潔白な男を捕まえて皆様揃いも揃って好きなように仰る。まだ人を殺めたことすらないんだが!
➤
話題の人——マッド‐アイ・ムーディは、そのとき、二つ名の由来たる青き義眼を四方八方にぐるぐると動かしていた。
「さて——」
無事な方の瞳は眼前の男を睨みつけていた。
「——半年ぶりだな? クラウチよ」
もう一人の話題の人、バーテミウス・クラウチ゠ジュニアは鼻で笑った。
「ようやく全快か、マッド‐アイ」
「いやいや、無論のこと、とうに動けるようになっていたとも。しかし後輩どもが揃いも揃って——今の法では、貴様に許されざる呪文を使ってはならん、少なくとも冷静になるまでは引き合わせられんと」
ムーディは呆れたように片目をぐるりと回した。代わりに義眼はクラウチ゠ジュニアを睨んだ。
「まったく、信じられるか?
「魔法省はずいぶんと人道的になったな」
「ああ、貴様の父親が退陣してからはめっきりだ」
クラウチ゠ジュニアの頬がかすかに動いた。
「今更何の用だ? アズカバンに収監することもなく、釈放することもなく、こんな狭苦しい部屋に押し込んで——」
「うん? 少なくともわしのトランクよりは広いぞ?」
ムーディは揶揄うように眉を上げてみせた。
「——たびたび
クラウチ゠ジュニアは無視した。
「聞きたいことは全部まとめて聞き出しやがったと思ったんだがな。裁判手続きだってとっくに終わる期間だ。それとも、帝王への捕虜だとでも?」
「それこそありえんな」
ムーディは冷静に反駁する。
「たとえどれだけの忠義者であろうと、彼奴への人質にはなりえまい」
「真っ当な判断だな。俺もそう思うぜ」
クラウチ゠ジュニアもまた、冷静に同意する。その事実はクラウチ゠ジュニアの信仰を揺るがすものではなく、動揺させるものですらない。
「あの方は我らが部下を正しく評価する。一方で、けして、情なぞには流されない」
「ゆえにこそ貴様は彼奴に心酔したのだものな。息子に情を持たず、正しく評価もしない父親に、貴様は嫌気が差していたからだ」
元
「いやァ、服従の呪文をかけられていたところで、記憶は残るものだ。おかげでわしは貴様の恨み言をすっかり覚えてしまったよ」
「——なにが、言いたい?」
「はて、そうだ、ここがどこだか知りたいか? 貴様が何故、今の今までアズカバン送りどころか裁判すら行われなかったか、知りたいか?」
ムーディはそらとぼけるように話をすり変えた。
「実のところ、魔法省の拘置所などではないぞ。でなければ
歴戦の
「貴様は長年服従の呪文をかけられていた。支配下から解き放たれて、快復に専念できる期間があったとしても、たかだか半月か。そこから長期間にわたってポリジュース薬の服用。これは、わしの監禁期間と同様におよそ九ヶ月。ともあれ、それはな、ダンブルドアに言わせれば——すべての罪を詳らかにする前に、まずは十二分な療養に値するのだそうだ」
「まさか——ここは、聖マンゴか?」
クラウチ゠ジュニアの喉から、甲高く、笑い声が漏れた。嘲笑に近しい色合いを含んでいた。
「正気じゃあないな。凶悪犯と、傷病人どもが、同じ一つ屋根の下!」
「ほう、わしと同意見だな」
クラウチ゠ジュニアが舌打ちをこぼす。
「まァダンブルドアはそもそもつくづくイカれているが、彼奴の策は悪いことばかりでもない。まずは
かんかんと義足が床をたたく。
「しかし貴様の現状把握は的確だったが、厳密ではなかったな。ここは聖マンゴだ。では聖マンゴの具体的にどこか、といえば——たとえば、バーテミウス・クラウチ。ああ、貴様のことではないぞ。父親の方だ」
バーテミウス・クラウチ゠シニアは——本来五月に息子の手で殺されるはずだった男は、分岐と偶然の果て、
「クラウチ゠シニアは、今、わしらと同じ棟にいる。ヤヌス・シッキー棟——多くの場合、快復がとうてい望めない患者がこの棟に押し込められる」
たとえばロングボトム夫妻。度重なるむごたらしい拷問の果てに正気を失った。
たとえば先だってまでのレグルス・マルフォイ。死の呪いからの生存は原則としてありえない。
たとえば——
「ゆえにこそ、貴様のような極悪犯を拘束するに足る部屋というものも存在するのだ」
この小さな個室——病室——に押し込められる患者には、あらゆる魔法使用に制限がかけられる。錯乱して暴れられた際に呪文を乱射されれば、
人権問題を語る場合はあまりよろしくないが、魔法界に人権意識はもともとそこまで浸透していない。
「ところで、そのクラウチ゠シニアに対し、ある若造がなかなか面白い試みをした。齢は貴様とさして変わらんか——名前ぐらいは聞いたことがあるんじゃあないか? 其奴は、レギュラス・ブラックという」
「——」
クラウチ゠ジュニアは、その名前に覚えがあった。学生時代の記憶。グリフィンドール〝じゃない方〟のブラック。同じく
——生きていた、と、聞いたのは一昨年のことだ。生存していたピーター・ペティグリュー、冤罪かもしれなかったシリウス・ブラック、彼らの名前とともに日刊予言者新聞に掲載された。父は動揺していたのか、服従の呪文による支配がわずかに甘くなった。クラウチ゠ジュニアは久しぶりに心の底から高笑いして、それから、心底軽蔑した。
下僕でありながら帝王を裏切った男。
若くして帝王に認められたくせに。——俺のように。
しかしその忠誠はまるではりぼてだった。——俺とは違って。
「魂とはなんであるか。それは今になっても上手く解明されとらん。しかしいくつか——わかっていることがある。たとえば、魂の状態は器へ影響し、伝染する。欠損し、ねじ曲がった魂は、やがて器たる肉体を人ならざる形へと変える。周囲の者共をも歪ませ、誘う」
彼が作成した
「黒魔術を学ぶことが何故禁じられているか、敵を的確に滅ぼすためには、まず敵を知るべきであろうにな——しかしあれらは往々にして、ただ
防衛術講師の任を請われていただけあって——授業こそついぞ行うことはなかったが——ムーディの語り口は慣れたように滑らかだった。
「一方で、だ。魂がこそげ、ねじ曲がり、果てに抜き取られようとも、息の根が止められぬ限り、人は生き続ける。魂は器に影響を及ぼすが、しかし、命の存続には器こそが重要なのだ——たとえ黒魔術の奥秘であれどもだ」
ヴォルデモートが何故霞のままであっても生き延びたか。その他の魂の断片は器に守られていたからである。
何故
「ところで——記憶は魂と器、どちらに紐づくと思う? 魂か? 多くの輩はそう答えるのだ。なに、わからんでもない。開心術は記憶をも閲覧する。精神は数多の経験の積み重ねで構築される。そのようにも考えられるだろう」
ムーディは杖を振った。
「しかしな、実のところ、記憶が紐づけられる先は、器なのだよ」
杖の動きに合わせて、ことん、と、虚空から、小机の上に一本の瓶が落ちた。
「魂の揺れ動きは、流動的で、リアルタイムだ。魂こそが常に、我々のもっとも未来を——現在を生き続けている。シナプスはその一瞬一瞬を記録し、焼き付けて、保持し続ける。器は常に魂よりも過去にある。過去が積み重なることで、生命の存在が確立されるのだ」
小さな瓶の中に銀色の流体が漂っている。クラウチ゠ジュニアはそれがどういうものであるか知識として知っていた。それが本質的には
「魂が抜き取られようと、生ける屍になろうと、しかしそれは生きている。生きているならば——記憶の扱いにずいぶんと長けた若造がいてな。やかましい九官鳥の如き男だが、しかし技術は確かだった。正しきものを選り分けて、消していく。すなわちそれは残すものを選り分けることにも通じる。彼奴はあくまでも〝慈善事業の手伝い〟と認識していたようだが——さて、もうわかっただろうな。これが、貴様の父親の記憶だ。そして、」
ごとん、と、小机の上に盆が置かれた。
「これが
唇を引き結び、黙り込むクラウチ゠ジュニアの前で、瓶のコルクが引き抜かれた。白銀の流体が、何重もの弧を描いて、螺旋を描いて、盆の中へと落ちていった。
やがて立ち昇る。まるでモノクロの映画を上映するように、しかし、それにしては途切れ途切れだった。
——若い女が赤子を抱き上げている。あやされる赤子が無邪気に笑っている。骨ばった手のひらが伸びて、額を撫でた。慣れていないようなぎこちない手つきだ。子どもはとたんに泣き出した。
——つかまり立ちをして、必死に机の上に手を伸ばす幼児。自らの頭部の重みで今にもひっくり返りそうである。どこからともなくクッションがぽんと出現し、その後ろに転々と並べられた。
——おもちゃの箒にまたがって目を輝かせる様子を、どこか近くから見下ろしているようだ。庭の芝生の上をくるくると舞う子どもを、
——「あなたもあの子を面と向かって褒めてあげればよいのに」
——「男親は少し厳しいぐらいがちょうどよいのだ」
——フクロウが封筒を届ける。【Bartemius Crouch】と記されている。ペーパーナイフが慎重に封筒を開けて、便箋に目を通す。羽根ペンで綴られた文面を指先が何度かなぞった。やがて便箋を封筒に元通り戻して、机脇に置かれた文箱を開けて、封筒を入れた。文箱にはいくつもの封筒が積み重なっている。
——「御子息がO.W.L.試験を十二科目でパスされたそうで——」
——「ああ、まったく満足だよ。鼻が高い。自慢の息子だ——」
——日刊予言者新聞の大見出し【闇の印、またしても魔法省は後手に】——
——監督生バッジを胸につけて、バーテミウス・クラウチ゠ジュニアがぎこちなく微笑んでいる写真。ときどき、風に吹かれて乱れた髪を押さえる仕草。小さな写真立てに飾られている。
「もうたくさんだ」
クラウチ゠ジュニアは言った。奇妙に引き攣った笑みを浮かべている。記憶に映る子どもが己の幼少期であることぐらい、簡単に理解できた。父親が実のところ己を鑑みていたことを今更知った。
それがなんだ?
「
「まあ、まあ、最後まで見ろ」
ムーディはつまらなそうにつぶやいた。
「わしはあの冷血が家庭でどういう不器用であったのかなど、まるで興味もないがな」
——「あの子がどうして、どうして——これはなにかの間違いじゃ——」
——「お父さん、お父さん僕はやっていない! やっていないんだ、はめられたんだ——」
——若きクラウチ゠ジュニアの泣きわめく顔に、正気を失ったフランク・ロングボトムの顔が重なった。
——
——取り出された記憶の中、裁判所では泣きわめいていた青年が、笑っていた。甲高く笑いながら磔の呪文を放っていた。何度も。何度も何度も。指が輪切りにされる。皮膚が千々に引き裂かれる。骨を割られる。腹が捌かれて内臓をじかに潰される。それらすべてが何度も治されて何度も壊された。弄ぶが如く。
——金切り声の如き悲鳴が、断続的に重なる。ロングボトム夫妻の声だと推察できる。悲鳴はやがてしおれていく。声はかすれ、喘鳴になり、それすらもほとんど聞こえなくなった。
——ロドルファスがまるでよくやったとでも褒めるように、クラウチ゠ジュニアの肩を叩いた。「当然の報いだ」誇らしげに答える声はまだ幼さが残っていた。「けれどどうしようね、こいつら、本当にあの方の居場所は知らないみたいだ……」ベラトリックスが残念そうに小首を傾げた。
——場面は裁判所に戻った。
——「お父さん」
——「私に息子などいない」
ムーディはやはりつまらなそうな顔だ。小机に頬杖をついている。
「あの男が、息子は潔白だと主張しなかった理由は何故か? 貴様を信用していなかったからか? 貴様への愛や情などなかったからか? 当時がそういう時世だったからか? いずれも違う——確たる証拠があった。少なくとも貴様の場合はな」
ギィと椅子の脚が鳴った。
クラウチ゠ジュニアは無表情に黙り込んでいた。
「このようなスプラッタ・ムービー、裁判所で上映できるはずもあるまい。陪審の半数が吐くだけで済めばいいな」
——病床から手を伸ばした女が泣いている。「最期のお願いを聞いて」
——
——服従の呪文の支配下、虚ろな瞳の中に、バーテミウス・クラウチ゠シニアの顔が映り込んでいた。あらゆる感情をないまぜにして閉じ込めた無表情。「寝室に行け」と無感情な声色が告げる。背中を向け、自室へと足を運ばせる、その一挙一動すらクラウチ゠シニアの支配下にある。
——杖が半ばまで上がった。
——「アバダ——」
——呪文は最後まで続けられることはなかった。しばし間を置いて、やがて杖は下ろされた。クラウチ゠ジュニアは術者の意のままに、粛々と、廊下の扉を開けてその向こうへと消えた。途端、嗚咽のような声が響いた。目線がずっと下へ落ちて、床に固定される。
——記憶の中のクラウチ゠シニアは膝から床に丸まって泣いていた。
ムーディは渦巻く銀色を杖先で持ち上げて、瓶の中に戻した。
「わしとしては、是非とも、貴様のような真正の下衆など、アズカバン送りにしたいところであったが……」
歴戦の猛者、隠居生活から引きずり出された老人は「……今はそういうわけには行かぬらしい」首を横に振る。
「マ、ある意味では僥倖、ダンブルドアのイカれも捨てたものではないな? と、いうわけで時間はそれこそたっぷりとある。貴様は言ったな、既に散々と情報を絞り取ったであろう、と、実際にその通りだ。ゆえに——ここからは、わしの暇潰しに付き合わせる。手始めがこれというだけだ」
青い義眼も、残った方の眼も、いずれもクラウチ゠ジュニアを見据えていた。狂気を冠するくせにずいぶんと静かな口調だった。
「……うむ、やはり、効きはいいらしいな?」
➤
教科書、ローブ、トランク、魔法薬キットに大鍋、箒はまァいいとして、【HEAD BOY】と記されたバッジ——私が
微妙な心地を抱えつつ、レギュラスとの付き添い姿くらましを繰り返し——姿現し試験、今年こそ受けさせてくれ——私たちはホグワーツに到着した。日もとうに暮れていた。
「僕はここまで。……門に入る瞬間に攫われたりしないようにね」
門まで五インチもないのだが。
「門の取っ手が優勝杯よろしく
レギュラスが杖を振って念入りに調べ始めた。ジョークだったのに。
問題なかったのでそのまま入校した。しばらくサクサク歩いていたが、ふと振り返ると、レギュラスは未だに門の外に佇んで、こちらを眺めていた。風に煽られて黒髪が揺れる。私の誘拐の可能性なぞ懸念していたが、私からすれば、それこそあなたの方が夜闇に攫われそうな容貌だと思う。
「……早く行きなさい」
レギュラスがしっしと手を振った。
従叔父上が私に対して一から十まで雑。
じきに消灯だ、もはや城外を彷徨いている人がいるとも思えない——思えなかったのだが、意外や意外、城の玄関が見えてきたころ、第一村人に出くわした。
「ダンブルドア校長。お久しぶりです」
ダンブルドア校長は驚いたように目を見開いて、それから頷いた。
「久しぶりじゃの。よくぞ戻ってきた」
「もはや卒業まで残り数ヶ月といったところですが」
私は肩をすくめた。
「ふむ」と彼は無事な方の腕でひげを触る。ダンブルドア校長を蝕む呪いの侵食は、最後に見たときよりも、明らかに悪化していた。せいぜい数ヶ月——本当にいったいなにをやらかしたのだか。今更ちゃちなトラップに引っかかるような御仁でもあるまいよ。
「もう少し在籍していたいかね? 君の欠席日数を踏まえて、そのように取り計らってもよいが」
「御配慮痛み入ります、が」
N.E.W.T.レベルの学力ならば私は元々持ち合わせている。専門家のもとで体系的に学問を習得する機会は貴重で、ゆえにこそホグワーツの授業に私は価値を見出しているが、しかしどうしてもと食い下がるつもりはない。学問以外の価値もホグワーツは持ち合わせていて、やはり私はそれらの価値を評価しているけれど、とはいえ在籍し続けなければいけない、などの強迫観念には結びつかない。
「学び舎はいずれ去りゆくからこその学び舎ですよ。教職として就職するならばまた別としても……停滞が水さえも腐らせるなぞ、子どもにも分かる理屈でしょう」
ダンブルドア校長が不意に目を伏せた。
「まさしく、道理じゃな。……ああ、そうだとも、子どもにも分かる理屈だろうて」
一瞬どこかに思いを馳せたダンブルドア校長——と代わるが如く、黄金の毛並みを持ち合わせたケンタウルスが「君は——」と、つぶやく。
「——そう、一時期、星の巡りが見えなくなっていた。しかし、であれば——命は不必要に失われるべきではない。おかえりなさい、ホグワーツへ」
「ありがとうございます——ええと——?」
「私はフィレンツェ」
ケンタウルス——フィレンツェ——は端的に名乗った。
「フィレンツェ。私はレグルス・マルフォイです。どうぞよしなに」
礼には礼を返すべきである。私は軽く挨拶した。
「彼は普段は森で暮らしておるのだが。今後しばらく、占い学の非常勤講師を担当していただこうと思うてな」
「それは——素晴らしい試みでいらっしゃいますね!」
ダンブルドア校長の説明に、うっかり声が跳ね上がってしまった。
ケンタウルスの叡智は数多の文献にて言及があるものの、しかし彼らはめったに人々と交流しない。群れの知恵も文字ではなく口伝によって伝わるため、ほとんど外部が触れられる機会はなく、私としてもいずれなんらかの方法で一端にでも触れたいと興味を惹かれていた——
「——しかし、そうなると、トレローニー教授はお辞めになられたのですか?」
なんということでしょう。玄関ホールで驚きの大惨事——トレローニー教授、まさかまさかとは思うが、これは階段上から突き落とされたのか?
「私の休学中に、ずいぶんと——ホグワーツに敷かれた秩序はなかなか様変わりしたようで。あるいは、闇の帝王の御所業でしょうか?」
「まこと哀しむべきことに、この件については、彼奴は全く関わりはない」
ダンブルドア教授が首を横に振る。「嘆かわしい」私の知らぬ間に魔法界の人権意識は一世紀ほど後退したようだ。ただでさえ遅遅とした進みのくせにな。私は鼻で笑って、人混みをかき分けた。ぶつかった一人が舌打ちして振り返り、文句を言おうとしたのか口を開いて——そのまま唖然と私を見た。どうも、ノット。無論私には見覚えがあるだろうとも。ちょうどいいのでおまえが固まっている隙に通していただこうかな。
トレローニー教授の隣に二つ並んだトランクはうちひとつがファスナーが壊れかけていて、中身の衣類がこぼれていた。杖を振ってトランクを修繕、衣類はかき集めてひとまず各個畳んで浮かせておく。
「こちらいかがいたしましょうか」
「そうですね、ひとまずそこに置いてよろしい。私が北棟に——」
言葉を切ったマクゴナガル教授がぱちんと瞬きした。ついで首をぐいっとひねってこちらに向けた。首筋を痛めかねない動きはやめた方がよろしいかと、もうそこそこにお年でしょうに。
「——ミスター・マルフォイ?」
「挨拶を失念しておりましたね」
ハハハ。まるで動いて喋る死人でも見たような顔つきだな、かの厳格な副校長殿が、珍しい。
「レグルス・マルフォイただいま帰還いたしました。昨年ぶりですね、マクゴナガル教授」
「まあ——」
マクゴナガル教授はふと眉を寄せた。
「……本当に昏睡していたのですよね?」
「何故疑われているのですか?」
「冗談です、快復おめでとう」
マクゴナガル教授は今度は眉ひとつ動かさなかった。
「ありがとうございます」
手早く簡潔に礼をして「とはいえ喫緊ならば私のことよりは、トレローニー教授でしょうとも」すぐに言葉を続ける。
「お怪我はございませんか」
「ええ——いえ——わ、私、私は——もはや教授などでは——」
トレローニー教授が大きく嗚咽した。まるで哀れだ。彼女は悲観的な予言を好まれるので、私も何度か死の宣告をされたことがあったりなかったりしなくもなくもないが、しかし彼女の予言の才能は本物だ。解釈が間違っていることはあれど(なにせ彼女は本当に悲観的な予言を好まれる。私は他人の好悪には言及する気はない)見た未来そのものは基本間違えない。優れた才を持つ占い学教授に相応しい方である。有能な人間が冷遇されているなど、心が痛む。
「あら——ミスター・マルフォイ」
上から聞き覚えのない声が降ってきた。
振り仰ぐ——「
業務ではきわめて敏腕。特に、人の弱みを握り、強かに利用し、懐に潜り込む点にかけて。しかしマグルや狼人間、ゴブリンやケンタウルスといった、およそ一般的な魔法使いとはいえない人々すべてを毛嫌いし、彼らを排斥する策を好む、混血——矛盾を内包したある種の純血主義者だ。各代の魔法大臣に近づく挙動が特徴的で、私が最後に目にした情報だと、ファッジ付きの上級次官だったか。
……何故ホグワーツに?
「しかしあなたが復学されるというお話は、わたくし、耳にしておりませんでしたけれど……」
私の復学については、校長と寮監から回復次第ホグワーツに戻って良しとの保証を受けているので、もとより何も問題はない。
……のだがそれ以前に、高官といっても魔法省の一役人に教える必要がどこに? 私は学生で、なによりマルフォイだが?
「——失礼、ミズ・アンブリッジ。私としたことが、貴女へ御挨拶を申し上げ損ねるなど」
脳裏を過った警鐘に従って、私は愛想笑いを張り直した。
「貴女のお噂はかねがね伺っております、魔法省きっての敏腕とのこと。しかし貴女はファッジ大臣に重用されているとの認識でした。ホグワーツに御用事でしょうか? 無知な私にご教示いただけますと幸いです」
滑らかに(適当に)弁舌を並べ立てる最中、マクゴナガル教授が庇うように私の腕を引いた。……ずいぶん警戒されているな。グリフィンドール寮監は——クィディッチ以外では——職務に忠実だ。ゆえに、彼女が学生を庇う姿勢を見せるのは、大抵、理不尽に直面した際の挙動である。
「ええ——そうですね、確かに、教えることこそが
アンブリッジ女史は微笑んで、頷いた。教職——そういえば防衛術教員はまた空席になったのか——それ以外か? しかしいくら敏腕とはいえ、真正の差別主義者を教職に配備するとは、ダンブルドア校長の采配とは思えない。
「あなたが不幸な
アンブリッジ女史はまた一歩一歩と階段を下りる。「たとえば、名門ホグワーツに務めるにはそぐわぬ、無能な教師——」トレローニー教授が大きく身を震わせた。マクゴナガル教授が、トレローニー教授をかき抱く腕に力を込めた。
「——己の知名度を笠に着て、嘘八百を喧伝する生徒——」
ちらと端で動きがあった。人垣の中でポッターがアンブリッジ女史を強く睨みつけたようだ。隣にはスネイプ教授——いや待てそれはそれでどういう組み合わせだ。核爆弾がそこにある。かすかに身じろいだスネイプ教授が私を見た。相変わらずの仏頂面に普段にないほつれが垣間見える。
「——それら混沌を容認し、放置し、あまつさえ扇動する校長」
ダンブルドア校長は——まだ静観か。
「ホグワーツの内部体制から改革し、管理を行う人員が必要だと、ファッジはそのように結論付けたのです。わたくしは初代高等尋問官として——また防衛術教員として、魔法大臣の命によってここにおりますの」
アンブリッジ女史が最後の一段を踏んで玄関ホールに降り立った。私に向けて微笑む。
「あなたは優秀な生徒だと魔法大臣からも聞き及んでおりましたわ。残念ながら……あなたの御両親は、あなたに起こった不幸な
「——」
「——もちろん、わたくしは理解しておりますのよ。
……なんともわかりやすいご説明だ。噂通り有能なことで、アンブリッジ。
「ご丁寧な教示、深く拝謝致します」
ともあれ概略は理解した。すなわち、私が昏睡している間に、我が父とファッジの仲が断裂し、ダンブルドア校長とも対立が起きた——ということだ。結果的に発生した事象が、ホグワーツへの魔法省の介入、校長を飛び越えて教授を解雇できる程度の強権つき。であれば、同程度には生徒への干渉も行っていると見てよい。
言論弾圧とはこれまた半世紀ほど時代遅れなことだが——ポッターが主張し、ダンブルドアが扇動し、私の父母が虜になったという〝愚かな思想〟——挙がる名前が名前だ、闇の帝王の関連話題を指すだろうか。なんだろうな。魔法省従来の体制として純血貴族におもねりつつも、ファッジはあれだけダンブルドア贔屓だった。そんな彼が拒絶反応を示す内容。あの御仁、まさかそれこそ復活でもしたか? 予言者新聞は見舞品には一切紛れ込んでいなかった——私の昏睡さえもプロパガンダに利用されていたら、それこそお笑い草だが、果たして。
……まあいい。この茶番が終わればいくらでも、知る機会はあるだろう。
「ところで、高等尋問官殿」
ひとまずは目下の件。
「トレローニー教授が落下されたのはいったいどのような経緯でしょうか? 高所からご覧になりえる位置取りで、最も発言の信憑性が高い御方は、貴女のようにお見受けいたします」
「彼女は——転びましたの」
アンブリッジは微笑んでいる。
トレローニー教授が首をかすかに横に振った。
「転んだ」
私は繰り返した。
「解雇されたのだから、城から出ていきなさいと通達したのだけれど。彼女はあまりにも頑固で……仕方なくわたくし、彼女の荷造りをお手伝いいたしましたわ。けれど——お酒をあんまり飲むだなんて、よくないものですね? 階段を何段か踏み外して」
トレローニー教授が激しく首を横に振った。マクゴナガル教授の手のひらに血管が浮いている——おそらく、加齢とは明確に異なる理由で——「
「まるで——どなたかから突き落とされたでもしたのか、という様相でしたから。そうではないのですね」
「勝手に転んだ程度よ。あまりに大袈裟でしょう?」
「なによりです」
笑みは保ったまま。わざわざご丁寧に内心を反映する必要はない。
「愚かな私めとしては、私がうっかり寝過ごしている間に——
アンブリッジの笑みは変わらない。
この程度でボロを出す役者でもあるまいよ。
「……ミスター・マルフォイ、そのような——まるで有り得ない妄想に——思い至った理由を、聞かせてくれるかしら?」
「高等尋問官殿に私めのような若輩がご説明など、あまりに不躾かと存じますが……」
心にもないことを述べながら、改めて、目視で状況を確認する。階段一段目から最下段まで直線の高さでいえば、目測およそ四ヤードといったところか?
「通常の解雇において、いくら解雇対象者が抵抗しようと、四ヤードの高所から突き落とすなどといった
一年と数ヶ月ほど前、ムーディ=クラウチの体罰をマクゴナガル教授は叱り飛ばした。彼女の行いは人道的かつ道徳的な理由を前提としている。
しかし、そもそも何故それらが〝人道的〟かつ〝道徳的〟すなわち常識であり、人としての前提であり、尊ばれるべきだ、と定義されるのか——多少頭が回るならば理解できるだろう。
「従来のホグワーツではまずありえないことです。であれば、もしかしたらば、今しがた貴女が仰った魔法省の教育改革による一端か——と愚考いたしました。
やはり笑みは崩れないな。それだけの強欲さと隠せぬほどの差別意識でなお、後ろ盾も持たずに、上役にまでのし上がっただけあるか。よっぽどの純血の出身でもなければ、早々に良識的な方々に排除されていてもおかしくないのに。
在学時代は監督生でも首席でもなかったと話には聞いているが、しかしつくづく有能なご様子だ。このような御対面でなければ是非とも仲良くしていただきたかった。
「
「当たり前です——あなたは弟君のように賢いと思っていたのだけれど、あまりにごく当然の確認をするのね」
面の皮はずいぶん厚いようだが閉心術の能力は並程度か? 魔法省が人道的で命拾いしたな? 闇の帝王などはむしろ気に入りそうな人材だ。使いようによっては楽しいだろうと容易に想像がつく——が、彼女は現状、マルフォイとは対立している。加えて父母を侮辱した。引き合いに出されたドラコもなんらかの害を被っているだろう。いやはや誠に残念ですね。
「失礼いたしました」
このあたりで矛を収めておくべきかな、ひとまずは。
「レグルス、君の回復は誠に喜ばしいことじゃが、アンブリッジ先生が実に勤勉にお仕事をなさっていることは君もよく理解できたじゃろう。過ぎた誤解に基づく発言は控えるように」
ようやくダンブルドア校長が口を開かれた——意訳・起きたばかりなので見逃したが、現在敵対中の魔法省職員筆頭が彼女ということはもはや承知できたはずだ。以後積極的に喧嘩を売りに行くな。
ダンブルドア校長に対しては開心術を使ったわけでもないのに、副音声が何故だかバッチリ聞こえる。不思議ですね。
「反省しておりますとも」
なにか知らんが致命傷の呪いを背負った身で言えたことでしょうかね。
内心をまったく包み隠さず、ダンブルドア校長に向かって微笑むと、一瞬目を眇められた。いい加減本気で叱られそうだ。大人しくしておくか。
「……さて、シビル。君がこの城を追い出されることにはなるまい」
ようやく場を収めに動いたダンブルドア校長に、アンブリッジの眼差しが逸れる——この隙に撤退——人垣に紛れた途端、バシッ、と背中を(おそらく平手で)叩かれ、よろけかけた。誰だ——不躾な輩を睨みかけて、私は、ついで目を丸くした。
「——おや、ドラコ。久しぶり。見ないうちに背が伸びたな? うかうかしていると越されるかもな」
返答はなく、代わりにもう一度はたかれた。拗ねているのかな。どうどうと宥めつつ、胸元のバッジに目が留まる。緑と銀のPREFECT——思わず顔がほころぶ。
「やはりおまえは監督生に選ばれたのだな、兄として誇らし——痛い、けっこう痛い。ドラコ。なにが気に障っ——おまえ泣いて、誰に泣かされ——イタッ、ダッ、痛い痛い。本当に痛い。待て、もしかして私のせいか? ご、ごめん。ごめんってば」
「見ろよ、マルフォイがまともに謝ってるぜ」
「わあ。初めて見た」
「僕たち二度目だ」
「六年以上の付き合いで一、二度かあ……」
➤
翌朝にはおおよその情勢が把握できていた。
大量にストックされていた予言者新聞(うちの弟、つくづく可愛いな)と、一冊のザ・クィブラー——だけでなく、補助線もあった。なにせ量が量だ、私は談話室で堂々とそれらを積み上げて読み漁っていた——が、その間も、寮生は一切近寄っては来なかった。近寄りがたい、等の理由ではなく、たとえばドラコの傍らにいつも控えていたゴイルとクラッブもいない。なんなら、ルームメイトは帰還したその日の就寝時にばっちり目が合ったが、そそくさと逃げ去った。ふーん。直接的な嫌がらせはなしか、意外と控えめだな。私の知らぬ間に我が寮には腑抜けが増えたか?
まァつまりだ。結論。
「私とどこぞのロードは復活バースデーが同じということだな」
「君マジで弟の方のマルフォイに謝った方がいいぜ」
「本ッ当に謝った方がいいぜ」
「あいつホント可哀想」
「嫌な奴とかいう以前に可哀想」
ドラコには既に謝ったのだが。いただろおまえたち、騒いでいただろ、なんなら。
「……それでこれは、なに?」
「「借金返済」」
朝食の席でわざわざスリザリンテーブルまでやってきた双子。差し出されたガリオンの袋——今度こそレプラコーンの偽金貨ではないご様子である。持ち上げた際の重量を鑑みて、百枚は下らない。そこまで貸した覚えはない。利息を含めてもここまではいかない。
「ついでに快気祝いで色つけてる」
「俗物的だな」
「要らないならかーえせ」
「気持ちはありがたく貰っておこう。余計な額は本当に不要だ。おまえたちに危ぶまれる懐でもない」
マルフォイ家の影響力がいくら衰えようとも、我々は先祖代々積み重ねてきた資産がある。よほどウィーズリーの方がひもじいだろうに。
しかしひもじいウィーズリーにしては出し惜しみもなくぽんと出してきたな。ようやくバグマンから取り立てられたのかな、と、思いながら私は一度袋を叩いた。
「——なにをしているのかしら」
これはこれは、高等尋問官殿ではございませんか。
「おはようございます、ミズ・アンブリッジ。素敵な朝ですね」
この時期には珍しい快晴だ。大広間の天井に反映された空は、雲さえも時折流れてくる程度、陽の光があたたかく差し込んでいる。
「そうですね」
私の軽口にアンブリッジは微笑みを崩さない。
「それで、今しがたあなたたちが渡したものは、いったいなあに?」
生徒間の物の受け渡しにも口を出すとは検閲どころの域ではないな。大広間端だぞ? 教員テーブルからは最も遠い。よくもまあ目敏く見ていたものだな。
「どうぞ」
素直に差し出して、私はカトラリーナイフを握った。揃いも揃って、私にはプディングを食べる時間をも寄越されないとでも。久しぶりのホグワーツでの朝食ぐらいゆっくりさせてほしい。
空の袋をアンブリッジが振っているのをよそに何切れか切り分ける。
「なあおいどれだけ食うんだ? それはプディングであってステーキじゃない」
「ずっと思っていたけれど、やっぱ君の身体って糖でできてるんじゃないか……」
素知らぬ顔でプディングを咀嚼。まだ胃腸が本調子ではないので、しっかり噛まなければ、消化の負担に耐えきれずにそっくりそのままトイレにリリースすることになる。
「この袋の中身は、どこへ?」
「ありませんよ、ジョークグッズですから。以前海外のそれが見たいとタカられたので貸していたものです。一応私物ですので、お返しいただいても?」
プディングを咀嚼していたせいで少し返答がくぐもってしまったかもしれない。てのひらで口元を抑える私をアンブリッジは見下ろした。
「学業に無関係なものは校内持ち込み禁止です。ミスター・ウィーズリーズ、ミスター・マルフォイ、各五点減点」
四つに並んだ寮の砂時計。大粒のルビーがひとつ、小粒のエメラルドがいつつ、上へ跳ね上がった。
「こちら預からせていただきますわ」
「……どうぞ?」
ショッキングピンクのローブが去っていく。無言でその背を見送って——朝食を終えていたらしい、彼女はそのまま大広間を出ていった。とりわけたプディングと、遠くの方にヌガーがまだ余っているのが見えたので、私は食事続行。
「ウィーズリーども、ローブのポケットをご確認あれ」
じゃらじゃらと、ウィーズリーには見合わぬガリオンがローブのポケットからあふれて転がった。
「グリフィンドール十点、スリザリン五点」
飄々とハッフルパフカラーが大広間を横切り、私の後ろに立つ。大粒のルビーがひとつ、小粒のエメラルドがいつつ、砂時計の底へ落ちた。
「加点理由はなんだ?」
「うーん、快気祝い?」
ディゴリーの回答は心底適当だった。私の快気祝いにウィーズリーズは無関係だろ。もう少し取り繕えよ。
「とにかくレグルス、君は今年度の首席なんだから、次の週ミーティングまでに仕事を覚えてもらうよ」
「イエス、マイ・ロード」
私は言葉少なに答えて、プディングの残りを口の中に押し込んだ。「ロードは辞めて、本当に」心底嫌そうな声とともに、ディゴリーが私の背をはたいた。
「おかえり」
口に中身が入っている状態で喋ると失礼なんだよな。思いながら私は頷いた。返答は飲み込むまで少し待て。
➤
「ここしばらく、アンブリッジの体罰が収まってるみたいだな」
半年ぶりに焚火を囲んだ面々、うち、デイビースが言った。
「代わりに権利制限の罰則が強まってるっぽいけど」
「つくづく可愛らしいよな、彼女」
火をつつきながらつらりと言うと、正気を疑う目を向けられた。そこまで露骨に表情に出すか、おまえたち。私が寝ていた間にずいぶんとまあ虐げられたようで。
「行政と福祉、弱者支援、他者の権利を軽んじて取り上げる輩の思うことはおおよそ二分される。自らは彼らの立場に回らないと無根拠に確信する愚者か——他者に恨まれ謗られ隙を窺われている自覚があるからこそ、先んじてその牙をもぐ小心者か。アンブリッジは後者だ。毛を逆立てた猫の威嚇、なんとも可愛らしいじゃないか、なあ?」
「マルフォイ家って先祖に悪魔いたりする?」
「いない」
たぶん。
とはいえ暴力による支配がきわめて有効である点については私としても否定しない。その果てに帰結するものは、たとえば聖マンゴに幽閉されたロングボトム夫妻で、あるいは闇の帝王のもとに率先して馳せ参じた人々で、もしくはかつて我が家に仕えていたみずぼらしい
要するに使い所と程度の話である。磔の呪文を躊躇いなく放てるほどでもなければ——心意気のこと——人の心は意外と折れないもので、半端な抑圧はむしろ反感を養成するだけでしかない。しかし法と秩序を名乗る以上は、そこまで振り切ることもできなかった。ファッジは良くも悪くも大きなことはできない性質だ。わかりやすく目に見える成果を上げることができない一方で、突出した悪事には踏み切れず、このようにちゃちな嫌がらせ程度で収まっている。ゆえにこそ面倒とも言える。いっそやらかしてくれたらば話はもっと簡単なのだが——しかし、そこまで理性を失うほど愚かでもなさそうだ。
「私の授業では杖をしまいなさいと何度も言い聞かせてあげたというのに——あなたにはご親切に苦言を呈してくれるお友達はいないようね。可哀想に」
「ええ、可哀想でしょう? 哀れんでくださって構いませんよ」
「スリザリン二十点減点」
ハイスピードで減らされていく点数を脳内でカウントしながら、そんなことを考えている。まァアンブリッジの尽力こそ可愛らしいことだと評価しているものの、この六年ほどで私が稼いだ寮点には到底届かない。これでも首席に選ばれる程度には私は有能なので。スリザリン寮内では、もとより昏睡の最中にいつの間にやら爪弾き者だ。今更寮の点数をザックザク減らしたところでなにが変わるようにも思えない。
この二週間で、アンブリッジの性格はおおよそ理解した。
従順な人間を猫可愛がりし、反抗的な人間には少々過剰なほどの罰を下す。従順な態度をとる生徒が好きなのかといえばたぶんそうでもない。彼女はつまり〝周囲に従順な態度を取らせている自分〟が好きなのだ。対象が古くからある名家であればあるほどなお良し。スリザリン寮生に比較的好意的な理由は、グリフィンドール寮のポッターと敵対しやすい土壌の他、そこにもあるだろう。同様の理由からか、マグル生まれのことは好かないらしく、基本的に当たりが強い。
マグルを毛嫌いし、そのような政策を打ち出すのは元からの特徴——彼女の父親、オーフォード・アンブリッジは、かつては魔法ビル部に勤めていた。既に退職したが、二十年近く前の名簿には彼の名が記載されている。これまた読んだのかと聞かれると、当然、読んだ。すべての書誌は最低限一度は私の目が通されるべきだと固く信じている。私の活字狂いは度を超えているのでほとんど悪癖として認定されているが、たとえばこのように、意外なところで役に立つ。アンブリッジ家自体は魔法族の家柄に当たるものの、オーフォードはマグルの女性と結婚し、そして離婚していた。彼らの間に生まれた子供がアンブリッジと——もうひとり、息子はスクイブで、こちらはマグルの方に引き取られたようだ。
……純血主義思想、魔法族至上主義思想、ダンブルドア校長がそういう思想をなるだけ和らげたいと願っていることは知っている。まあ私もアンブリッジのような実例を見ると、ダンブルドア校長の試行錯誤に同意したい心情と、その困難さと、思うことは半々だ。
魔法族同士で掛け合わせる純血の思想は、実のところ、魔法力およびその他才能の良し悪しにおいてはまるで意味をなさない。マグル生まれの魔法使いがいるように、純血名家とてスクイブが生まれるときは生まれる。そも、近しい血を掛け合わせ続けることはそれはそれでリスクだ。極東に数多植わっているある木などは、もともと持ち合わせていた自家不和合性に加えて接木を繰り返した結果、同じ株から生まれたクローンのようなものしか残っておらず、病気が流行ったらば全滅するらしい。極端な事例だがそういうことでもある。停滞が水をも腐らせるように、多様性の損失はやがて全体の破滅をもたらすのだ。実際、純血名家の多くはスリザリンにばかり入寮する——ほら、既に、私たちには奇妙な偏りが生まれている。かのスリザリンと交友を深めたならば、グリフィンドールも、レイブンクローも、ハッフルパフも、彼らはきっと純血だったはずだ。その子孫が何故スリザリンにしか入寮しないのか。何故他三寮の素質を持ち合わせている人々が極端に少ないのか。考えたことはあるだろうか。誰かはきっとあるのだろう。そして不都合な真実を隠蔽しただろう。
家の知識と資産、人脈の継承は有用で、ブランドの維持は相応の意味を有する。であるからして、私は純血思想にもある種の価値を認めている——しかし、メリットとデメリットを冷静に判別するならば、デメリットの方が大きい。
話を戻す。純血主義の功罪が生み出したものが、たとえば、奇妙な自己矛盾を抱えたドローレス・アンブリッジである。
「レグルス」
そして眼前のスネイプ教授、我がスリザリン寮監である。混血たる彼が何故
教育令第二十七号により、授業に無関係な範囲の無闇な接触は寮監でさえも制限される——のだが復帰早々の私の行いが些か目に余ったらしい。人目を避けて捕獲されていま教授室というわけだ。いやはや申し訳ありませんね、やんちゃで。復帰したばかりなので見逃してください。無理ですか。はい。
「波風立てぬように振る舞う能力ぐらいは持ち合わせているもの、と思い込んでいたが。どうやら私の買いかぶりだったようだな。それとも長い寝坊の間に喪失したか?」
いきなり飛ばしてくるな。
「しかしポッターばかりに集まっていた負担は、これで充分に分散されたでしょう?」
しらっと言ってのければ、これ以上ないほどの渋面が返ってきた。御迷惑をおかけしている自覚はもちろんありますが、なにも私とて、アンブリッジの観測気球のためのみで暴れることはない。効率が悪いじゃあないですか、ねえ?
「私が見る限り、と注釈をつける必要はございますが——ファッジはダンブルドア校長を仮想敵として祀り上げ、その手駒としてポッターを据えているようですね。アンブリッジはそれに倣ってポッターおよびグリフィンドールを冷遇し、ポッターと対立しがちなスリザリンを擁する方針。まァ妥当な振る舞いでしょう。敵の敵を取り込むことはごく初歩的な戦術です」
いずれ——近いうちにでも、お気に入りの一部の生徒に特権でも与えられたら、いよいよ完成かな。厚遇することでアンブリッジにおもねる利を見出させ、積極的に媚を売る、情報を渡す、献上品を差し出そうと目を皿のようにする、ホグワーツにとっては獅子身中の虫を生み出す。教授からすれば学生は排斥もしようもない、それでひとまずは派閥の完成だ。一年目の足固めとしては上出来だろう。あとはゆっくりと削っていくだけ。
「ポッターは、こちらはどうも、世間的な風当たり以外の理由でも情緒不安定な様子がうかがえますね。もとより彼はたびたび感情的にこそなりますが、そこまでの癇癪持ちではないという印象でした。アンブリッジが挑発しているだけにしても、ここまで四六時中とはいささか奇妙です。第二次性徴期によるホルモンバランスの乱れにしても——まあこちらはなにかあるのでしょうね?」
視線が明らかに鋭くなったのでこれ以上つつくのはやめておく。私の領分でもないのだろう。ハハハ、これまた闇の帝王の策だとか言い出されたらどうしような……。
「とはいえ、このまま放置しているといずれ爆発しかねないので、対症療法ぐらいは打っておくべきでしょう。……初手でやらかした私に耳目が集まっているうちに、もう少しだけ目立ってみた理由については、これにてご理解いただけたものかと存じます」
「君が処理することではない」
「あなたこそ処理できる立場でもありますまい、スリザリン寮監:セブルス・スネイプ教授」
揶揄混じりに切り返すと、スネイプ教授が苦々しげに唇を歪めた。
「マクゴナガル教授はもはや完全にダンブルドア校長派として認識されているご様子だ。フリットウィック教授やスプラウト教授は中立として一貫しているため、生徒を守りやすい立場ではあるとしても、ゆえにこそ普段から物申すには遠すぎる。寮監以外の教授陣は比較的自由に動ける半面、生徒に対する強い権限を持ち合わせていない。先のトレローニー教授がいい例ですね」
トレローニー教授はかろうじて城からは追い出されず、北塔の先端でシェリー酒をすすっている。
「表面上アンブリッジの味方じみた振る舞いをすることで、毒を含んだ甘言を囁けるのはあなただけだ。あなたがひとたび睨まれればいよいよ誰もコントロールできません——そういうことですよね?」
沈黙は肯定。
「スリザリン寮生でありながら本件の当事者、加えて、もう数ヶ月で学舎を去る私ぐらいがちょうどよい」
次のスネイプ教授の言葉は予想がつく——
「ドラコはどうなる」
——ほら。
「ゆえにこそです」
眼前の教授に苦言を呈したのは既に六年も前の話になるが、まさか、忘れたわけでもないはずだ。
「スリザリン寮がアンブリッジに贔屓されるとは、他寮から大なり小なり恨みを買いやすい立場に立たされることにも等しい。これを放置している方がドラコの学生生活に支障が出ます——そもそも、私の弟はもとより寮内で孤立していたようにお見受けしますが、寮監殿」
別にスネイプ教授が手出しできなかった点について私の異存はない。先に述べたように彼には彼の役割があった。今の情勢を鑑みれば、裏切りのマルフォイ家に下手に大々的に味方するわけにもいかないだろう。ただ同様に——私への口出しも不要であるという話だ。それだけでしかない。
「君は常々、君の父親に似ていると思っていたが、訂正する。やり口はレギュラスに似てきたな」
「お褒めくださりありがとうございます」
私は肩をすくめた。まるで褒められていないことはよくわかっていた。
「と、言ってもあくまで対症療法です。私も矢面に立つのは得意ではないので——なるようにしますとも。そろそろね」
➤
『——はいどうも皆さんこんばんは、お馴染みホグワーツ放送のお時間です。一回目だけど。ラジオホストはわたくし、リバーが務めます。なあところでちょっとこれ堅くないか? もうちょっとラフじゃだめか?』
『一回目ぐらいはね、と思ったけどもう手遅れかもね。ハァイ、お馴染みホグワーツ放送のお時間です。ゲストの……そうね、シーカーって呼んで。今シーズンのクィディッチ杯はきっと大鷲が獲っていくわ』
『おーっとこれは全校への宣戦布告! ……ところで君のボーイフレンドがこれを聞いてどんな顔をするか、おおよそ想像がつかないか?』
『恋人にも手加減しないなんて最高のハニーでしょ? さて、アイスブレイクはこれぐらいに。本日の校内ニュースをお送りいたしましょう——』
『堂に入った司会進行だけどホストは僕だぞ〜!?』
「なァ、僕もあれやりたい。なあ相棒」
「わかるぜ相棒、リーとチョウ、ま〜じでうらやましい……」
「既に目をつけられてる阿呆どもをまさか使えるわけがあるまいよ。ウィーズリー・ウィザード・ウィーズのCMを入れることで同意に至ったよな?」
「けどさあ——」
「ちょっとくらい——」
「と、いうかおまえたちは世迷言を吐いてないでさっさと操作を覚えろ貴族たる私を働かせてばかりで挙句に不平不満を垂れ流すとはウィーズリーにはもしや恥という概念がないのか?」
「こいつ嫌い」
「こういうとこが特に嫌い」
「わかったわかった、君たちの相性があんまりよくないのはもう十二分にわかってるからせめて収録中に揉めないでくれるかな」
➤
発端はスネイプ教授に声をかけられるより、一週間ほど前に遡る。
ザ・クィブラーと、それを持って焚火の集いにやってきたリー・ジョーダンである——ウィーズリーどもは私を諸々の面倒ごとの横流し先に設定していないか?
「今月号もハリーの特集がされてる」
スキーターによるポッターの独占インタビューが掲載されたのは先月号だった。私の部屋に積み上げられていた日刊予言者新聞、の横に置いてあったザ・クィブラーの号数と同一でもある。ごくごく一部のニッチな層の人気で細々と生き永らえていた魔法界オカルト雑誌は、桁が二つ三つ違う売り上げを見て、ちょっとした路線変更をするつもりになったようだ。
「実際、あんな感じだったのか?」
「死んでいる合間のことまで把握できていたら私はいよいよ人外だな?」
「君ってば、知るかよ、の一言で済む話を長々と言うのが好きだよな」
ウィーズリーを焚火の上に吊り上げる。パチパチと火花散る頭上で「タスケテー……」とか細い声が響いた。素知らぬ顔でベーコンを焦がして、久しぶりに顔を出したアッシュワインダーに差し出してやった。相変わらず美味しそうに食らうものである。同じ個体でもないはずなのに。
「やかましいインテリアが増えたところで——」
「ここ外な上に趣味の悪いインテリア過ぎないか?」
もう一人インテリアを吊るした。「「タスケテー……」」と唱和するウィーズリーツインズから不自然に顔を逸らし「わりといつもだから、あんま突っ込むなよ」デイビースがジョーダンを諭した。
「——……何の用?」
「あー……そう、よく考えたら、こういう発信方法があるんだなと思って」
ジョーダンが我に返ったように首を振って、ザ・クィブラーの表紙を叩いた。表紙に写ったポッターはちょっとムッとした顔になり、
「ハーマイオニーはすっげえよ。僕、どうにかしてあいつに噛みつくことしか考えてなかったんだ」
二学年下の才女を語る口調は悔しげだが、誇らしげでもある。
「外側を叩ける方法があるなんて思いつきもしなかったね、本当に……梟便も検閲が入るけど、家で文句言ってたって外には信じてもらえないけど、確かに、やりようはあった——そう、手段さえあればなんとかなるって気づいたんだ」
ジョーダンは雑誌を掲げた。
「僕、ラジオホストになりたいんだ。クィディッチ実況をずっとやってて、思ってきたことだ——魔法界ラジオをジャックする方法を知らないか?」
私を頼れと言い出したのは今しがた吊るされた馬鹿どもかな。今までなんとかしてきてしまったぶんのつけが回ってきた——信頼されてしまった、とも言えるだろう。
「放送ジャックなぞすれば犯罪だろ。それこそあちらに口実を与える」
つぶやく。
「わざわざ違法に走らず、正当に枠を貸し切ればいい。……なんとかしてくれそうな人には心当たりがある」
「それって、ミスター・ブラック?」
「
「梟便は検閲が入るよ」
そのようなことは百も承知だ。
ホグワーツに戻る前、レギュラスには、両面鏡を貸し与えられていた。諸々を伝えて、ゆえに梟便の代筆をお頼みできませんかと申し上げると『君、そういうことに首を突っ込むたちだったかな』レギュラスは呆れたようにつぶやいた。
「そうでもありませんけれど。目くらましにはちょうどよいのと——」
髪先を気まぐれにいじる。以前から伸ばしていた髪は、昏睡中に、背中の中ほどを覆うまでになっていた。しようと思えば編み込みもできるだろう。そうしながら考える。私の手の甲はきれいなものだ。傷ひとつない。貴族ですのでね。
雑誌を叩いた際にちらりと見えたジョーダンの手の甲。奇妙な傷が刻まれていた。まるで文章じみた傷跡だ。僕は揚げ足取りをしてはならない——ジョーダンの実況の才能については私も認めている。縦横無尽に飛び交う選手たちを的確に見分けて、プレーを評論し、ポイントをカウントし、その上で彼は観客を飽きさせないトークが可能だ。反面、そのトーク力を駆使して、不意に混ぜっ返してしまう特徴が多々見受けられる。スネイプ教授などはそれでよく罰則を命じていた。スネイプ教授とて傷跡が残るような罰則を命じたことはない。彼はホグワーツ内の規則を正しく遵守する。規則に定められてないことは最大限己の裁量をかけるけれど。
——〝貴女が生徒および教員に対する暴力を容認したこと、まして暴力をふるったことはございませんね?〟
——〝当たり前です〟
ハハ、あの女、本当——面の皮が厚いことで。
「——些か、目に余ると思いませんか?」
にっこりと微笑むと、レギュラスは少し目を逸らした。
『こうなったの、僕の影響かなあ……』
「なにがです?」
『こちらの話』
昏睡状態の最中、純血名家からはただの一人もお見舞いの手紙などもらえなかったが——ブルガリア魔法大臣には、私を慮るカードをいただいていた。ありがたいことである。たった一回会っただけの私を覚えていただなんて——と目を通してある一節に頬がうっかり引き攣ったのは、もはや、二月半も前のことに値する。
【 孫娘を助けてくれた青年が君とは—— 】
……
一枠抑えられた。知名度と権力って偉大だ。
ラジオホストはジョーダン。初回ゲストはディゴリーが連れてきた。
「彼がたまにホグワーツのどこからもいなくなるのって、あなたたちと浮気していたからなのね」
「冤罪」
「有罪」
「僕たちは惚気のダシにされたわけか?」
「デートスポットのつもりなら北塔に行くべきだ。湖およびその向こうの山峰を一望できるスポットがある」
「いいこと聞いた。そうじゃなくてね」
本音出てるぞ。
「人前で喋り慣れておくのって、絶対に得だと思うの」
チャンはけろりと言った。レイブンクローの賢女、東洋系の整った顔立ち、クィディッチのシーカー——ディゴリーが付き合い始めた時には男女問わず各方面から怨嗟が飛んだ(同じぐらい祝福も飛んだ)人気者。
「惚れちゃダメだよ」
「王子様は惚気に来ただけなら本当に帰れよ」
「ちゃんと働くってば」
ディゴリーは苦笑した。
「ちなみに、アンブリッジに許可とか取れたのか? ほら、二十四号」
デイビースが今更尋ねた。教育令の存在は私ももちろん把握している。生徒によって結成された三人以上の集まりは、すべて高等尋問官の承認を得る必要がある。
「取っているはずがないに決まっているよな」
取りに行ったらどう考えても理屈をつけて止められる。
「ダンブルドア軍団についでの秘密結社か……」
「ん?」
私は首を傾げた。どうも認識に食い違いがあるな。
「そもそも、今回は取る必要もないだろ。あれが適用されるのは定例的に集まる三人以上の団体だ。つまり
皆が私を見た。
「放送はあらかじめ収録、場所も毎回変える。固定で喋るのはジョーダンのみ。これはオーディエンスにキャラクターを周知させて親しみを持たせるためだ——けれど、ゲストを連れてきたとしてもあくまでも一人で、それも同じ人を二度は採用しない。同時に三人以上喋らせることもなし。固定されたメンバーで定例的に集まることなどなんらしておりません。体裁としてはそういうふうに徹底し、彼女の指示に従っている素振りを見せる——それでも彼女はいずれ難癖をつけるだろう。いざというときは、これだ」
ブルガリア魔法大臣直筆の推薦書を振った。
「教育令が指定したのは生徒
「へ、屁理屈……」
「そうだとも、屁理屈だ。しかしながら巻き込んだ相手の肩書が肩書だ。たかだか上級次官
アンブリッジが初手から磔の呪文を躊躇いもなく放てなかった理由だ。私の挑発で彼女の体罰とやらがなりをひそめた理由も——ファッジはダンブルドアが危険思想を吹き込み、学生らを軍団に仕立て上げようとしている、そのような妄想に囚われている。アンブリッジはファッジの忠実なる部下である。そういうふうに振る舞っている。
ゆえにこそ、彼女は、あくまで止める側でなければならない。あくまでも自らこそが体制側であり、正義の側でなければならない。彼女は大義名分を失えない。それなりに賢いがゆえに、自らが権威を持ち合わせていなければ、淘汰される側に陥ってしまうと理解している。数多の教育令を出して自らの行動の正当性を担保している理由もそこだ。〝正しい私〟という体裁を手放せない。マグルを嫌い、マグル生まれを嫌っていても、闇の帝王がイギリス魔法界を支配しない限りは、
「おまえたちはもう少し〝狡猾〟について学ぶべきだ。法の穴をかいくぐるとは本来このように行うのだよ」
「君なに? 悪徳政治家とかしたことある?」
「
「イヤウン狡猾、イイよな! スゴイ! サイコー!」
今度こそ室内に吊るしたのでインテリアということで問題ないと思う。そうだろう?
➤
週一、ラジオ放送。三十分。ゲストは毎回異なる。念の為に誰もが本名を名乗らない。声や会話内容でおおよそ誰かわかるにしてもな。放送内容は、ホグワーツの日常をニュース形式でお送りするかたち。体外的には〝ホグワーツの広報〟だ。寮ごとの特色。教授たちの性格、性質。学業模様。クィディッチの試合模様。昨今のニュース。選択科目の内容。筆無精な生徒は少なくなく、知りたがる保護者はちらほらと。
その間に——雑談の体として。
『我が校きっての監督生クン、そういや、N.E.W.T.の自信は?』
『おおむね、そこそこ。どうしても防衛術の実践ができないのがちょっと不安だけどね』
『教科書をよく読み込んでいれば、一度も使ったことがなくても問題ない——』
『——もちろん、アンブリッジ先生のおっしゃるとおり、暗記はしたともさ。もうページ数を言ってもらえるだけで暗唱できるよ』
閉鎖的なコミュニティにおける独裁、その体制批判を行う際には少々コツが必要だ。批判的なことを表立って言わないこと。あくまでも彼らの行動を肯定すること。何ら文句はありませんよ、私たちは従っていますよ、とアピールする。表立った反抗は内部で潰される。一見は取り繕わなければならない。その上で——
——魔法省がどれだけ言い繕ったところで、一、二年生ではなく、七年生にまでなって防衛術で実習がないことはまずない。一度も使ったことのない呪文を理論だけ完璧に履修したところで、本番で使えるとは限らない。当然である。初歩の初歩、一年生がウィンターホリデー前に習うただの浮遊呪文でさえ、杖の動きと発音をしくじれば発動しないのだ。慣れてくれば無言呪文ないし杖振りさえも省略できるとしても、それはあくまでも慣れてしまえばの話であり、一度目に慣れるもなにもない。
『進路相談したいんだけど、ほら、フリットウィック先生は呪文学の担当だから、厳密には僕の進路には関わりないだろ? 話せなくなっちゃったからさ』
『
『彼女はきっと
重要な選択ですら、厳密に仕事内容に関わることではないなら教授に相談することはできない。当然、普通はそのようなことはありえない。教師と生徒間の世間話とて、親しみを覚えさせて心を許させることで、会話のハードルを下げ、共有される情報を増やし、日々の業務の能率を良くする副次効果がある。雑談が仕事に齎す効果は馬鹿にはできない。
『ゴブストーン・サークルの申請は通らなかったから、今は爆発スナップ部に入ってるんだ』
『けっこうサークル数も減っちゃったからな〜。焚火会とかも潰れちゃったし』
『自習サークルだっけ? つぶれちゃってたんだ、一回行ってみたけど楽しかったのにな……』
『マ通らなかったものは仕方がない、仕方がない。グリフィンドールのクィディッチチームだって三回却下されたんだぜ? なにも不思議じゃあないさ』
生徒は抑圧に反発しているが、しかしすっかりと慣れてしまった。理不尽が法を名乗る現状に。今一度——初心に立ち返ろう。
ドローレス・アンブリッジ。魔法省から派遣された防衛術教員にして、高等尋問官殿。当然ながら彼女の言っていること、強要していることは、そもそも普通に筋が通っていない。ただ学内で押し通す権力を持ち合わせているからこそ成し遂げた所業だ。
それで——筋が通っていないことを無邪気に信じる生徒。うん、それは——とても怖くないか?
ましてイギリス魔法界在住の魔法使いのほとんどにとって、ホグワーツは母校であり、もしかしたらば自分の子供を通わせている学校であり、これから通わせる学校なのだ。
「席に着け。授業を始める。本日の防衛術は私が代行する」
教卓についたスネイプ教授の仏頂面が、私を捉えた。明らかに確信を持った瞳に、私は微笑んだ。
「ミズ・アンブリッジはお休みでしょうか」
「発言時は挙手するように、マルフォイ」
スネイプ教授は冷たく言った。
「ミズ・アンブリッジは、本日は一時的に魔法省にお戻りになられた。明日には出勤なさるだろう——諸君、教本の五七二ページを開け」
へえ、当日に呼び出し食らうだなんて高等尋問官って大変なんですね。同情しちゃうなあ。
➤
「あれ、兄上の策だろ」
マシュマロを焼いていたらばドラコがやってきた。ウィンナーの袋を片手に抱えている。
「ジョーダンにはラジオ放送の枠を取れるつてがない。技術を持ち合わせていたとしても、せいぜいゲリラ的な放送ジャックだ」
「なんのことやらわからないがゲストに出席したいのか? 通しておこうか? なんのことやらわからないが」
「絶対嫌だ」
明確に拒絶を示したドラコがちらつく炎から目を離し、私をじとりと睨んだ。非難と、疲労がにじんでいる。
「僕ばかりアンブリッジの生贄にして」
「あの人本当に可愛らしいよなあ。今度は何を言われたかな? 貴族としての義務すら忘れてしまった恥晒し? 純血のプライドをかなぐり捨てた血を裏切る者——はこの間か」
この一月ほどで教えられたネガティブキャンペーンを思い出して内容を類推。ドラコの眼差しにはより疲労がにじんだ。
「……首席に選ばれたのはダンブルドアの依怙贔屓……」
「いいなそれ、次から使うか。校長に贔屓されなければ首席にもなれなかった愚物が私めでありましょう。ましてあなたを貶めるなどといった難しい企てなどできるはずもありません!」
手を叩いて笑うとドラコが大きく溜息をついた。
「あなたの笑いどころが理解できない」
そのまま寄りかかられた。俊敏さが持て囃されるシーカーでも、クィディッチ選手ならばそれなりに鍛えている。成長期も相まってすっかり重たくなった。私の筋肉は昏睡中にすっかり落ちてしまったこともあるだろう。
「……ようやく復学したかと思えば仲悪いふりなんて……」
ちょっと拗ねたような声色。
「おまえがなにも反抗していなくて助かったよ。こういうものは積み重ねた信頼がどうしてもものを言うからな、当事者にあたる私ではなかなか難しい」
スリザリン寮のほとんどはマルフォイたるドラコを排斥する姿勢だった。何人かは未だにドラコを気にかけているが、とはいえ、表立って接触できているのはドラコと同学年の監督生たるパーキンソンぐらいだ。
そんな中、アンブリッジはドラコに優しく声をかけて、気を遣っている素振りを見せていた。マルフォイ家はもともと純血、闇の帝王の復活を主張したのは父上でありドラコではない。ポッターと対比しつつ〝陰謀論に侵された毒親を持った不憫な子どもを気にかけている私〟を演出できる。加えて……子息を懐かせてしまえば、ルシウス・マルフォイを追い落としたあと、改めてドラコをマルフォイ家当主に据えることで、もしかしたら純血諸君でさえも間接的にコントロールできるかもしれない——と、思ってもまァ不思議はないな?
実際、彼女は私にも似たような方針をもとに振る舞おうとしていた。初対面で釘を深めに刺したせいで目をつけられたが——何事も使いよう、有効活用していこう。アンブリッジの生贄はこのままドラコに続行してもらうとして。
スリザリン寮諸君、よく考えてみたまえよ。もっと都合よく〝裏切者のマルフォイ〟らしい奴がいるだろう。ここに。
もともとのおまえたちの旗頭、未だに味方になりえそうな子どもを、わざわざ排斥する理由がどこにある?
「身内の悪口は聞いているだけでも疲れるんだ」
「おかしな妄想にとりつかれた父母や兄についていけない不憫な少年。いいじゃないか。他にも盛るか。なにがいい?」
平手でしばかれた。
「本当に僕に謝ってほしい」
「ごめんねドラコ」
「心を込めてほしい……」
「申し訳ないな。もうちょっと頑張れ」
ぐりぐりと額を押し付けられた。おや、この癖、いつぶりだ? そろそろ四年?
「本当に嫌だ……どいつもこいつも嘘ばかりだ」
ドラコは私がいない間にすっかり人間不信に陥ったらしい。大広間でも談話室でも話さないように気をつけている反動か、さらに体重がかけられる。本当に重い。おまえはいつまで私の方が二回りも三回りも大きいものだと思っているの。二歳半差は幼い子供には大きなもので、私とドラコはかなり体格が違っていたのだが、ティーンエイジャーも後半にさしかかると差異はどんどんと狭まっている。
「クラッブなんか調子に乗ってる……人を侍らせて、父親が
「昔のおまえだな」
かなり強めにつねられた。気にしていたのかよ。
「ゴイルは未だに無駄な気を遣ってくる……ノットは逆に距離を取ってくる、あれは絶対に兄上もまとめて警戒されてる」
「あの子、勘が良いものな。収録間隔もずらすか……」
ノット家は元よりいろいろと妙なことをしている。聖28一族をまとめたのも彼の祖先だ。父上に以前とんでもない性能の
「……アンブリッジはダンブルドア軍団を摘発する方向で動いてるぞ」
「意外ではないな。そろそろ形振り構わなくなってきただろ」
ポッターたちの団体については把握している。ドラコに加えてディゴリーからも教えられた。ホグワーツ八階に必要なときにのみ現れる部屋かあ。へえ。……レギュラスには速攻で上申したのでそろそろ〝宝探し〟の進捗が更新されるかもしれない。
「どうするかな、成果として餌にしてやるには些か大き過ぎる魚だが——」
——ダンブルドア軍団ねえ。まったくもって、絶好の付け入る隙だ。ファッジの妄想を完成させてしまう最後の一ピース。
グリフィンドールどもはやはり少しばかり狡猾が足りない。わざわざ堂々と規則を破るから面倒なことになる。たとえば大広間はいわゆる〝三人以上の生徒が定例的に人が集まる場〟だが、誰がそれを一個の集団とみなすだろう? 教室で執り行われる授業は? 寮の談話室は? ——せめてポッター以外に表面上のリーダーを別に立てて〝呪文の練習なんて行なっていませんよ〟の顔をすればよいのに、危険な橋を渡るなど。……理解はできないが、それだけ腹に据えかねていたのだろう。
ジョーダンの手の甲に刻まれていた傷跡はごく薄く、読み取るには苦労したが、一方でポッターの手の甲に刻まれたそれは、あまりに明確に文字が読み取れた。すれ違っただけでも簡単に読み取れたほどだ。何度も何度も。まるで石筆で刻むが如く。刻まれた傷を見るたびに痛みと屈辱を何度も思い出すだろう。あまりに悪意的だ。
「……かの校長が口を出さないならそういうことだろうな」
放置していてもよい。最悪は——
「おまえは今のように上手く振る舞いなさい。おおよそ——なるようになる」
プラチナブロンドを触る。柔らかく癖のない髪触り、は、既に昔のこと。成長につれて少し太く、わずかに色の濃さも増した。
「おまえには迷惑をかけるね」
「別に……」
ドラコがウィンナーをかじった。私もマシュマロを頬張った。焚火は風に吹かれて揺らめいている。
次に口を開いたのはドラコで、ごく小さな声だった。
「……だから、もう起きないだなんてやめてくれ」
喉をくすぐると迅速に距離を取られて威嚇された。見てこれ、うちの弟。とても可愛い。
➤
『自習サークルが摘発されちまったんだって?』
『教育令に反したことが悪かったのはわかってるんだ。でも、ようやく
『
➤
「……君の焚火はどうして摘発されないんだ? 生徒だけで定例的に、三人以上」
「厨房から勝手に持ち出した菓子でパーティしている学生どもを、今まで用務員が摘発できていない理由をおまえたちはもっとよく考えた方がいいな」
「嫌味言わないと喋れないのは変わってないんだな」
「お城にお帰りか? どうぞどうぞ」
笑顔で城を手で示してやったのに、ポッター、ウィーズリー(六男)、グレンジャーの三人揃って首を横に振られた。透明マントを畳んだ三人に「おまえたちも兄上も僕を梟の代わりだと思ってる」ドラコは嘆きながら帰った。もちろんそんなことはないさ。かわいい弟だと思っているとも。
この焚火の周辺にかける魔法は——忠誠の術というほどではないが、まァ、学生程度の実力では、教えられるか、招かれなければ入れない。マグル避けの応用である。たとえばルーピン教授だとか、それこそあとはダンブルドア校長などは、まるでないものかのようにぬるっと入ってきたが。アンブリッジは今のところ破ってはいないようだ。実力がないのか泳がされているのかは不明。どちらであろうと私としては大差もない。
「それで、何用かな? ダンブルドア校長が停職になった件? アンブリッジが校長になった件? 彼女宛の保護者の手紙なら一部をここで閲覧できる。風当たりが日々強まっていることがうかがえる。保護者からの手紙なぞ下手に燃やせないものなあ」
こっそり複写した手紙をひらひらと振ると「狡猾がそういうのかどうかは知らないけど……」ロナルド・ウィーズリーがしみじみと言った。
「少なくとも、泥棒か
「どちらも貴族の仕事ではないな」
ぱちんと指を鳴らして複写をまとめて元の場所に入れ直した。読む気がないなら戻しておこう。証拠など手元に持っておくべきではない。一度見つかればすぐさま疑われてしまう。
「やっぱり仲悪いのは嘘なんだ」
「ドラコはよくやっている。摘発にも加わったそうで……」
ぬるくしめった春の風が髪を抜けてそよぐ。
「……表立った反抗ばかりが策ではないよ。あの子はアンブリッジの信頼を勝ち取った。ゆえにこそ、できることがいろいろとある」
「ドビーを寄越したのはあなたですか、ミスター・マルフォイ?」
「ドビーが?」
怪訝な復唱。
「心当たりがないな。本当に偶然か、そうでなければダンブルドアの指示だ。私は常日頃、ドビーに会わないように充分に気を配って過ごしている。……ウィンナーはいる?」
「ケチャップがあるなら」
「ローン?」
杖を振ってケチャップも用意した。
ポッターたちが焚火を囲んだ。クッキーでマシュマロとチョコレートを挟んで炙ればスモアの完成である。
「密告者はマリエッタ・エッジコムだった」
「聞いたよ。ディゴリーがチャンと大喧嘩したので、ついでに」
仲の良いカップルで、ディゴリーはもとより温厚な男、チャンもさっぱりした性格なので、あそこまで揉めたのは私もさすがに驚いた。焚火に訪れたときには身も世もなく落ち込んでいたが、謝らないのかと尋ねると、きっぱり首を横に振られた。〝僕はチョウのことは好きだ。彼女本人がD.A.を密告したわけじゃないこともわかってる。彼女の、友達を大切にして、案じる性格も、美点だと思ってる。その上で——譲っちゃいけないことがある〟……まァ私の関与するところではない。左様でいらっしゃる、という感じだ。
「エッジコムの親御さんは——さして階級が高いわけではない。怯えるのもさもありなん」
「魔法省勤めの親がいる人は、他にもたくさんいた」
「そうだな。そして誰も彼も、親の職を失うリスクを背負ってまで反抗し続けられるわけではないのだ。私はそのように思ったので、おまえたちの集まりを把握していながら加わらない道を選んだ。そこを論じたいのか?」
眉を上げてみせると、ポッターは何度か口を開閉した。
「……焚火会の人たちも多かったんだよ」
「知っているよ。……ラヴグッドは楽しそうだったか?」
「……自由人だったかな。この間
「それはよかった。あの子は焚火会を気に入っていたようだから——おまえの行いを否定するつもりはない。良い試みだったと思う」
規則のかいくぐり方はあまりに下手だったが、しかし、戦うための手段を持つことは悪いことではない。戦いを選ばなくともよい。倒せないとしても、時間稼ぎができる、その能力がある、わずかな成功体験は、いずれ来たるとき、立ち上がる足に力を込める理由になる。選択肢の幅は生きるための力をくれる。自らを、あるいは誰かを、守るためのかすかな希望。
「くべられた薪はけして無駄にはならないだろう。いずれ炎はふたたび燃え上がり、掲げられる。たとえ今でなくとも」
沈黙のうちにスモアを咀嚼する。
「……フレッドとジョージの花火事件は?」
「特に私が指示したわけではない。あいつらはせせこましい抵抗にはいい加減飽いている様子だった。ちょうどよかったのだろう——鼻血ヌルヌルヌガーやゲーゲートローチの件で聖マンゴにも紹介してやったから、最悪退学してもなんら問題はないだろう。既に収入のあてはいくらでもある。ホグワーツ卒業の肩書は貴重だが、しかし、彼らは学位や権威を持ち合わせることでより上を目指す、という気質にも思えない。学業を修める方法はいくらでもある」
私は推奨したいとは思わないが、その選択を咎める理由はない。
グレンジャーがぱちぱちと目を瞬かせた。別の部分に引っかかったようだ。
「聖マンゴ、って……」
「任意のタイミングで自由に嘔吐をさせられる。出血箇所を内部から指定し、出血量も調整できる。いずれの特徴もある領域において実に優れていて、使い道が思いつく。そうは考えられないか?」
ポッターとウィーズリーはあまりピンときていない顔だが、グレンジャーははっとした顔になった。
「毒が入った傷を、器具を使ったり、あるいは人が吸い出す必要がなくなります! それにたとえば食べてはいけないものを食べてしまったときに、吐き出させるのは至難の業で——私、彼らが販売するものをずっとジョークグッズだとしか思っていなかったわ……」
本当によく頭が回るな。私も商品の話を聞いてから、思いつくまでに数日は要したのだが。
「あいつら本人らは、もちろんのこと、すべてジョークグッズのつもりだったろう。しかし視点を変えれば——道具とはなにも説明書通りに使うばかりでもない」
抜けているところはそれはもうあまりに限りなく数え切れないほどだとして——つくづく有能だよ。もっとも、そのまま医療用に転用するにはいくつかの基準をクリアしていないにしても、そのあたりは
「質疑応答はこれで終いか?」
ポッターが若干目を泳がせた。
「あー……そうだな……その、君は、閉心術が得意な人に心当たりはある?」
また妙な話を。
「ダンブルドア校長——は今は無理か。……スネイプ教授か?」
「そ——スネイプは本当に閉心術が得意なんだ?」
ずいぶんと愕然とした顔をするな。
「私が知る限り最も優れている——次点で父上、母上、レギュラス……こちらは誰も学校外か。それから私、ドラコ」
「
ウィーズリーが食いついた。
「そもそもうちは代々得意だよ」
「スリザリンだから……?」
「どうだろうな。検証した人はいないはずだが」
確かに、狡猾であることは心を閉ざすコツに思い至る理由になりえるかもな。ドラコの場合は私がちょっと幼少期に遊んでたせいもあるかもしれないが。
「なら——開心術が得意な人は?」
「……何故そのようなことを気にする? 人の心を覗き見る術はあまり褒められたものではない。得意と公言する人間はそうはいない」
ポッターがうなだれた。
「本当は言っちゃあいけないんだけど」
今からでも聞かなかったことにできるか? 無理か? そうか。
「クリスマス明けから、スネイプに閉心術を習っていて」
ブラックジョークだと信じたい。
「……あー。……とにかく、いろいろあってもうスネイプからは教われなくなったんだ」
思わず天を仰ぐ。
いろいろあったんだと。なにがあったのだかな。つつきたくもないな。
「……出来は?」
「エー」
「正直に言えよ」
「あまり……ほとんどできてないかも」
グレンジャーが信じられないと言わんばかりの顔でポッターを見た。
「進んでるってあなた言ったじゃない!」
ポッターはサッと顔ごと逸らした。「気持ちはわかるぜ、ハリー」ウィーズリーが親友の肩を叩いた。まァわからなくもない。私も都合の悪いことはしばしば隠したくなる。ましてポッターとスネイプ教授の相性はお世辞にも良いとは言えない。……ただ今回ばかりはそれですまないような対象なだけで。閉心術? しかも、よりによってスネイプ教授からのレッスン? 人間関係の相性を無視した技量のみによる選出。まるでポッターが——今すぐにでも——とんでもない技量の開心術者に襲われる、そのリスクが懸念されると言わんばかりだ。アンブリッジはそこまででもない。この間、彼女が
……深く呼吸をして、唇をなめる。
「そもそも、何故習うことになったのか聞いても?」
「夢を見せないようにしたいらしくて——去年、君に、ヴォルデモートに仕える女性の下僕に心当たりがないか、って話をしただろ? あれは僕、夢で見たんだ。ヴォルデモートの視点から——」
今私はどう考えても最悪の相談を持ちかけられている気がする。
まさか——危惧されているもの、闇の帝王がポッターに開心術をかけるリスクがあると?
「今は……神秘部の夢を見るようになった」
魔法省最大の厄ネタじゃあないか。
「……そのことを、ダンブルドア校長は——」
「もちろん、知ってるよ、というか、ダンブルドアの提案なんだ——先生は、僕がヴォルデモートに死の呪いを放たれた時に、僕たちにできた繋がりなんだと言っていた。必ず傷跡が痛むのもそういうことで……だから閉心術の授業を、スネイプとやれって」
——いろいろなことをすんでで飲み込んだ。
あの爺、なんの思惑だか知らんがいろいろなことを端折っている——私の傷跡が痛んだことは、少なくとも、昏睡から回復してから一度もない。ザ・クィブラーに載せられたポッターのインタビュー記事曰く、私を殺したのは〝レストレンジ〟だったそうだが、しかしその脳内ないし見ている光景を覗き見たことはない。できないからだ。そのような不可思議な繋がりは私たちにはない。つまり、死の呪いが間接的に関わっていたとしても、それはけして原因と等号ではない。別の要因がある。
何故端折っているのか。それはまあ、知らないが。……閉心術を学ばせているのはそれもあるのか? まだなにも話せないから?
「……騎士団と連絡を取る手段はあるか? 当然、梟以外だ。暖炉もなし」
「ンン」
ポッターがきゅっと眉を寄せた。
「……シリウスが〝スネイプに困ったら私に知らせる方法〟って言ってたものなら」
「中身がなんだか知らんがあの人らの相性を踏まえるとろくでもなさそうだな……」
使わないが吉か。
「……私から知らせておく。お叱りのひとつふたつは覚悟しておけ」
ポッターがさらにしおれた。……スネイプ教授に対して反骨心旺盛だった覚えがあるが、今の彼は、やけに自罰的で自責に満ちているな。
「まだなにか?」
「レグルスは——」
ポッターはなにかを言おうとして、口をつぐみ、やがて首をふった。
「——……やっぱり、なんでもない」
➤
神秘部の扉の向こう。97列目の奥深く。
癖っ毛の黒髪、眼鏡、額の傷は稲妻型。少年の幼さから脱しつつある顔立ちが、水晶球を見つめる。台座にはメッセージが彫り込まれている。
【 S.P.T.からA.P.W.B.D.へ 闇の帝王そして(?)ハリー・ポッター 】
水晶球に指先が伸びる。透明な表面に指が触れる。
訂正、触れられない。かすめて消える。
ふ、と息を吐く音。
「——ははあ、呼吸音。十数人。手練もそこそこ。マッド‐アイの鬼の訓練もこうしてみるとつくづく実戦用——逃げるの? いいよ、逃げられると思うならね」
生き残った少年——の、ような顔をしたひと——がけらけらと笑う。背が少しだけ低くなり、目鼻立ちのはっきりした女性の顔つきへ。髪が波打って色鮮やかなカナリアイエローに変化する。
「いやァ、ホントーにハリーに予言を取らせようとしてたなんてねえ? 魔法省まで遥々ようこそ、脱獄囚ども、歓迎するよ——なにも七変化はキミたちのご令嬢の専売特許じゃあなくってね」
いくつも音が弾ける。空間が歪み、その隙間から姿を現す人々。黒いローブの人間らがじりと足を引いた。
「十代の子どもにお使いをさせるだなんて、例のあの人とやらはずいぶん臆病になったものだな」
「今回ばかりは同意ですね。まったくもって、直々に取りに来いという話ですよ」
せせら笑った兄弟が杖を構えた。