卒業生も分霊箱は手に負えない
レストレンジ家——デルフィーニの生家は、本当ならば家主がいない十余年の歳月で荒廃して使えなくなっていた……はずだったが、レストレンジの血を一滴も受け継がない〝レストレンジ〟の指揮のもと、
ドラコは視線だけでドローイング・ルームの作りを眺めた。大小様々なソファが並べられ、壁には肖像画が連なっている。純血貴族としての教育を受けていれば、それらがレストレンジ家の当主たちであることは一目で分かる。
「——へえ、兄貴の方じゃあないのか」
ぶしつけなつぶやきが降ってきた。
眼差しを向ければ、クラウチ゠ジュニアが無表情にドラコを眺めていた。ドラコは鼻を鳴らした。
「イタチの方で悪かったな。アー、ジュニアの方?」
「強気だことで」
クラウチ゠ジュニアが口角をつり上げる。
「兄貴の陰に隠れてぷるぷる震えてた可愛い子ちゃんはお休みか?」
「あなたこそ、一年近くもしっかりお休まれたようだな。独房はそんなに寝心地がよかったのか?」
「あらおまえたち、遊んでるの? わたしも混ぜて」
ニコニコと入ってきたデルフィーニ(ナチュラルに肩に腕を回されたドラコはさすがに体を強張らせた)は「お姫様は大人しくしていてくれませんかね」「遊びに見えますかこれが」集中砲火を食らって唇を尖らせた。
「ええ、そう、仲間外れってわけね。男の子っていつもそうだわ」
〝レストレンジ〟として十数年男のように振る舞ってきたものの、デルフィーニは女性の自我を確固に持っていた。まるで〝男の子〟に仲間外れにされた経験でもあるかのような物言いだ。〝レストレンジ〟の立ち回りは非常に周到だったため、ドラコは彼(彼女)が爪弾きにされているところなど見たことがない。
「そもそも、
「ロードの娘」
クラウチ゠ジュニアが気のない声で言った。
「それなら
「
「……確かにそうね、父上は
真剣に検討し始めたデルフィーニに、クラウチ゠ジュニアは肩をすくめるに留めた。会話の間にも肩に回された腕は外れず、なんなら指先が頬をつつき出したので「ちょっと……」ドラコはいい加減引き剥がそうと躍起になっていた。
「レグルスがよく言ってたのよね。可愛い弟って。わたしは
「ない、ないです。兄上だけでも我儘で大変なのに」
「あはは、言われてるわね、レグルス。いい気味」
デルフィーニは機嫌よく喉を鳴らして、離れていった。気まぐれな性質は猫に近いようで、その内情が知れないからこそ警戒は解けない。背筋が逆立つような奇妙な感覚は慣れぬものだった。怯えと恐怖であるとドラコは知っていた。
「その兄貴が逃亡中でよくもまあ来られたな?」
「……オーグリー様はむしろお喜びだったよ」
揶揄まじりの言葉に、ドラコは無感情に返す。
「帝王が正当に評価され、恐怖されている。正しい世界だとね」
ドラコの交渉を真に知らなければ、デルフィーニのホグワーツ潜入を真に知らなければ、レグルスの行動は正しくいつもの彼である。弟に目を向けさせぬために勝手に囮を買って出る悪癖は、べつに今に始まったことでもない。そういうふうに誤認させられる。
「は、確かにな」
おとこは薄く笑って相槌を打った。狂気的な様相は鳴りを潜め、アンニュイにも見える表情に、しかし、かすかにべつのかおりが漂っている。ひとはそれを冷酷の気配とでも呼ぶのかもしれない。
「じきに案内が来るとして——おまえは末席だ。いくらオーグリーに気に入られていようとも」
「そうだろうさ」
「……本当に小生意気だな。確かに、適度な反駁は必要だ。我らはおもねる弱者を弱者としか見倣さない」
予備動作もなく喉元に突きつけられた杖先。
「けれど——過ぎた虚勢は反感を買う。程度は弁えろよ」
クラウチ゠ジュニアは無感情に言って、身を翻した。喉仏をさすりながら——つい今しがた狙いを定められた箇所——ドラコはじっとりと背に汗ばむ感触を自覚した。冷や汗だ。
クラウチ゠ジュニアの言葉通りに、案内はすぐに来た。
「よく集まった、我が同胞よ」
ダイニング・ルームには、角張ったテーブルの周囲にアームチェアが整然と並べられていた。ヴォルデモートはまるで邸の主が如く、ダイニングテーブルの右端の席についている。
「まずはこの集まりに大きく寄与した各員を讃えよう」
ヴォルデモートは厳かに述べた。
「バーティ。おまえの帰還と活躍を喜ばしく思う」
「過分なほどの御言葉です。我が君」
ヴォルデモートの右手席にて、クラウチ゠ジュニアは頭を下げた。
「失態を晒した私めを寛大にも受け入れて下さった」
「おまえはポッターをダンブルドアの手から騙し取り、さらには団員どもの隙をついて脱出し、あの老いぼれを不意打った。予言が入手できたこともおまえの尽力が大いに役立っている。褒めこそすれど、どうして謗ると思う?」
「ありがたき幸せ」
クラウチ゠ジュニアは堅く礼をした。ヴォルデモートは続いて、テーブル左端のベラトリックスに目を向ける。
「ベラトリックス。魔法省での健闘ぶり、見事であった」
「我が君……」
ベラトリックスは感極まったように喉を詰まらせた。
「アズカバンでの屈辱は聞きしに勝る……助け出せた時のおまえはずいぶんと弱っていた。しかし研鑽を怠らず、ここまでの力を養成した。励むと良い」
「身に余る光栄にございます。貴方様のためにふたたび杖を取れることがどんなにも素晴らしいことか……」
心酔した様子のベラトリックスに、ヴォルデモートは鷹揚に頷いた。
「デルフィーニ」
「は」
デルフィーニはベラトリックスの右手席に腰を下ろしている。彼女は畏まった様子で短く答えた。
「おまえは数多の面で私に貢献した。長年ホグワーツに潜伏し、情報を集め続けたこと……私を探し出したこと……復活に大きく寄与したこと……
「ありがたく存じます」
デルフィーニは堅く述べた。
「貴方様に仕えられることこそが史上の喜びでございます」
「まこと誇らしい」
かすかにデルフィーニがはにかんだ。すぐに表情を引き締めた。
「さて……先日、魔法省から予言を回収した。ついでにいろいろと雑事も済ませたが——そこは滞りなく、良しとしよう」
虚空から水晶玉に似た透明な球が取り出される。ヴォルデモートは指でこつんとそれをついた。
「——〝敗北した私〟がついぞ知り得なかったことだ。予言の後半とやらはどのような内容か……おまえたちにも見せるとしよう」
おぼろげな姿が水晶玉から浮かび上がる。亡霊のごとき半透明。過去の記憶が今に投影され、再生される。
より若きころのシビル・トレローニー。目線はうつろで、どこを見ているとも知れない。
➤
——闇の帝王を打ち破る力を持った者が近づいている。七つ目の月が死ぬとき、帝王に三度抗った者たちに生まれる。
——そして闇の帝王は、その者を自分に比肩する者として印すであろう。しかし……彼は闇の帝王の知らぬ力を持つであろう。
——一方が他方の手にかかって死なねばならぬ。なんとなれば……一方が生きる限り双方は生きられぬ。
——闇の帝王を打ち破る力を持った者が七つ目の月が死ぬ時に生まれるであろう。
➤
補講の題材にしても最悪だなとぼんやり思った。頭を悩ませるにはある種ちょうどよいのやもしれんが。
水盆の上でゆらゆらと、若きトレローニー教授の姿が揺れている。さざ波のごとく奇妙に波打っている。ダンブルドア元校長が遺した記憶は過去をそのままに繰り返した。
七つ目の月が死ぬ時、帝王に三度抗った者たちに生まれる。——三度帝王と対峙した者たちの中で七月末に生まれる子ども。およそ十六年前に唱えられた予言だというなら、現時点で十五歳。他にも候補はいたのかもしれない、が——〝その者を自分に比肩する者として印す〟と来ればもはやただひとりだ。
「——それが僕だって?」
ポッターの表情はもはや蒼白である。
「けれど——ヴォルデモートが知らぬ力? そんなもの……」
そこまで言って、口をつぐむ。終いまで言わずとも誰にも伝わった。今しがた記憶を見終えた誰もが思っていたことだからだ。ヴォルデモートが知らぬ力。そんなものがあるか? あったとして、たった十五、六の子どもに備わっているものか?
「……第一節は、ある種有名な話でもある」
口を開いた私を皆が見た。
「とはいえ、等号で予言を指すわけでもないが……ポッター家の件があってから今まで、実しやかに囁かれていた憶測だ。ただの赤子が帝王を打ち破れるはずがない。ということはつまり、帝王をも凌ぐ能力を持ち合わせているのだと——」
「そんなもの僕にはない」
「——そこは見ていればわかるとおりだな。防衛術と箒の実力以外は並程度と言って差し支えない。私でも縊るのは簡単そうだ」
「ないと言ったのは僕だけど、殺害する前提で話すのはさすがにやめてくれないか」
ポッターに苦言を呈され、ディゴリーにはかなり強めに小突かれた。おまえ、常識ぶってるけれどな。一昨年序盤のポッターへの敵視を私は忘れていないからな。
「ともあれ、おまえがホグワーツに入学するまでの十年間は、そのようなことは誰も知る由もない。マグル界の少年をつぶさに観察する機会もないわけだ。ゆえにこそ、父上はかつてハリー・ポッターにご執心であった。帝王が敗れた以上、次代の〝
そして、その説を信じていたのは父上だけでもない——とうに過日たるスリザリンの継承者の事件にて、ポッターは後継者じゃあないかと噂になっていた。根拠を補強したのはポッター本人が目をつけられていたことも
継承者との風説はまったく荒唐無稽だったが、しかし、ポッターがマグル界に匿われていたころでいえば、彼が強大な力を有する可能性は否定しきれなかった。なにせ実力を推し量ろうにも本人はそもそもどこにいるとも知れなかった。ポッターの所業として知れ渡っていたのはたったひとつ、闇の帝王が吹き飛んだ前科だ。
「……なにかの間違い……だとかはないんですね?」
ディゴリーは気を取り直したように話を戻した。
「当時は複数人の候補がいたが、闇の帝王が襲撃を計画した対象はポッター家のみにとどまった。神秘部およびダンブルドアとしては、一九八一年の襲撃が発生し、闇の帝王が実際にお隠れになった時点で、そういうことであるという判断が下りた。台座には闇の帝王とポッターの名が記されていただろうな」
スネイプ教授の口ぶりは淡々としている。
「少なくとも——印は刻まれた。予言の一部は実現した」
ポッターの額には稲妻型の傷が癒えることなく居座っている。
「闇の帝王を弑すとすればただ一人なのだとダンブルドアは確信していた。選ばれし者——」
無感情な語り部に私はかすかに笑った。
「選ばれし者とは、まるでアーサー王伝説ですね。ダンブルドアはさしずめ今世紀のマーリン? 水底に剣を返還しなければ」
「……君にしてはやけにダンブルドアに当たりが強いのはなにかあったのかね?」
「……べつになにも?」
嘘だな、と言わんばかりの表情を向けられたが本当に何もなかった。せいぜいが面倒なお使いをひとつ頼まれたくらいでしかない。……これはなにかあった括りに入るのか? 私があの人に当たりが強いのはべつにそのせいでもない。言ったところで通じやしないだろう。この話はこれで終わり。
「——〝一方が他方の手にかかって死なねばならぬ〟」
予言の一節を復唱する。「〝一方が生きる限り双方は生きられぬ〟——」ポッターがあとに続いた。唇を噛む。
「……百歩譲って、予言が記したのが僕だとしても……あいつは霞の状態でさえも生きていたのに? もう一度死の呪文が当たったとして今度こそ死んでくれる保証もない」
「……ダンブルドアは、そのからくりは
スネイプ教授が淡々と述べた。
「諸君は知る由もないので説明すると——殺人を用いて自らの魂を引き裂き、別の物品に収納する、黒魔術の奥秘だ。梱包され、隔離された魂と器が無事である限り、自らの肉体がどのような状態へと化そうとも生き続ける。たとえ肉体ごと滅び、魂だけの存在になろうとも」
その具体例が、跳ね返った死の呪文により肉体が朽ち、しかし生き延びてしまったかつての帝王だと。
「破壊には相応の能力を必要とする。正式な記録ではひとつ作成した程度がせいぜいだったが——現在帝王の
「——リドルの日記はそれ四年前の……」
「——魔法薬学にもその物覚えを発揮できていたらマシだったものをな、ポッター? その通り、二年の貴様が破壊した」
何故僕は今嫌味を言われたんだ? と言わんばかりの顔でポッターがこちらを見た。知るわけがない。ディゴリーが慰めるようにポッターの背中を叩いた。まったく公明正大な卒業生殿である。卒業してからも監督生業務は続投するつもりか?
「ペベレルの指輪——かつては帝王の祖父のものだった。こちらはダンブルドアが破壊した。スリザリンのロケットペンダント——レギュラス・ブラックが潰した。そしてレイブンクローの髪飾り——これは現状、
スネイプ教授の眼差しが明確にこちらを見た。私は肩をすくめるに留めた。黒魔術の奥秘——なるほど、悪霊の火を初手高火力で叩き込んだ判断はやはり正しかったといえる。二度とやりたくない。
「残りは、ダンブルドアの推測では……三つだ。ハッフルパフのカップ。かつての所有者から帝王が強盗し、現在はグリンゴッツのレストレンジ家金庫に収納されていると判明している。グリフィンドールの剣。現在所在知れず……」
……どうするかな。
……ひとまずは伏せておくか。現状では情報源が明確過ぎて、これが万一割れた時にはドラコがすぐさま殺されかねない。
「そして、帝王が愛でる大蛇、ナギニ。これですべてだ」
一段落ついた隙に手を挙げる。「なにか?」教授がこちらを見た。
「疑問が三つほど」
「ふむ」
「ひとつめですが、
「明確な根拠はない。しかしまず、帝王の縁の品および帝王が執着したホグワーツに縁ある代物はそれぐらいであることが挙げられる。あの方が自らの魂を収容するにあたって量産品で妥協するとは思えん」
スネイプ教授はよどみなく答えられた。
「次に、帝王はかつて
他者とは。帝王が命綱をわざわざ尋ねる相手とやらがいらっしゃったのか。
……まァここで述べられぬあたりは重要な問題でもないのだろう。
「七は魔術的にも重要な数字だ。完璧主義のあの方がこだわった可能性はきわめて高い。そして……魔術の仕組みを単なる数量で語ることは愚かだが、単純化するなれば……魂を七つに引き裂くというのは、単に七等分を指すわけではない。一度の儀式で作れる
「
先程のたとえで言えば一二八の一になる。
「指輪、スリザリンのロケット、レイブンクローの髪飾りは、いずれも人目の届かぬところで破壊されている一方、リドルの日記破壊の件は特別功労賞とともに知れ渡った。〝オーグリー〟が当該件を報告していないとも思えん。欠けた
「理解しました」
私は顎を引いて頷いた。ひとまず理屈は通っている。他の
「ではふたつめに、大蛇の件について。それこそ帝王の縁の品や、ホグワーツ創設者の物品と比べて、些か唐突なように思えますが」
そもそも、
「その点は明瞭な根拠がある。君が昏睡していた時期のことだが——神秘部を見張っていたアーサー・ウィーズリーがナギニによって襲撃された。このとき、ポッターは夢で
ポッターに眼差しを振る。怪訝な顔で彼は頷いた。
「けれどそれが——」
「……得心致しました」
「なにを!?」
べつにポッターの疑問を解消する義理は——と思ったが、ディゴリーに肩を叩かれた。優しくしてやれと。私が。……十二分に優しくしてないか? まだ足りないとでも?
「……おまえの傷とやらが帝王と繋がっていたとして、では帝王が飼育する蛇とも繋がる根拠はなにかという話だ。他の生物の視界を覗き見たことがあるならさておき。それとも
「ないけど。……ないな、確かに。他の生き物の視点からは見たことない……ナギニのときだけだ」
死の呪いを受けたポッターと帝王には、不可視の繋がりが生まれた。これがポッターが生き延びた理由(つまり、命の水ではない所以に基づく死の呪い回避方法)による現象か、予言によるのか、はたまたなにか別の要因があるのか、私には判断がつかないが——ともあれ、そこにペットの蛇はまるで無関係だろう。ポッター家の襲撃に付き添っていたとしても、帝王のように霞になったわけではない。ポッターとの縁が作られたはずもない。
しかしポッターは蛇の中から光景を目撃した。普段の彼は、闇の帝王が見る光景を覗き見たり、感情を共有することもあるものの、その奇妙な現象が闇の帝王以外の対象と発生したことはない。
であれば、だ。
「闇の帝王と蛇にも、繋がりが生まれている。それも強く深い結びつき——彼は今肉体があるのだから、クィレル教授に行なったように、他の生き物に乗り移るなぞは、そう簡単にはできなくなっている。だというのに大蛇に乗り移ることができた理由……蛇の中に闇の帝王の魂が格納されたとすれば、それすなわち、魔術的には自らの肉体と同義でもある」
「……だからあのときダンブルドアは、僕が傍から見ていたのか、蛇の中から見ていたのかを確認した……?」
その話は私は知らない案件なので存分にひとりで検討してほしい。
考え込んだポッターを他所に「最後に、ですが……」と私は疑問点三つ目を切り出した。
「——けっきょくのところ、何故私たちも同席することに?」
ここにいるメンバーを改めて並べよう。
スネイプ教授。ポッター。ディゴリー。私。
以上。
各員揃って一回別室に呼び出されて、スネイプ教授から当該説明を受けている状況。
「ポッターと闇の帝王の因縁とやらは存分に理解できましたが、現状お伺いした内容を踏まえても、そこにレグルス・マルフォイもセドリック・ディゴリーも関わっているようには思えません」
魔法界の命運を双肩にかけられている張本人はそりゃあ聞く必要もあるだろう。聞かなければみすみす殺されかねない。……というか、今までよくもまあ本人に伏せた状態で守りきったものだな。危ういこともしばしばあったろうに。スネイプ教授がお話されるのは、ダンブルドア元校長はそれほど教授を信頼されていたのかそこまで大きな弱みでも握っていたのか、と思うぐらいでこちらも異論はない。
とはいえ、だ。
私とディゴリーは闇の陣営に狙われる理由こそあるが——片や直々に
スネイプ教授は苦々しくくちもとをひん曲げた。
「私とポッターの緩衝材というのがひとつ」
これ笑っていいやつか?
「もうひとつ——
スネイプ教授が水盆を揺らした。再生された記憶、若きトレローニー教授の御姿が激しく揺らめいた。嗄れ声がふたたび喋り出す。
——……そして……さだめを捻じ曲げた代償は、牙をむく。篝火は異なる人を示して消える。余計者は差し替えられ、ゆえに、ありえぬひとは荷を負うさだめ。
——死すべきときに死ねぬ、おお、なんと哀れか。ありえぬひとよ。既に死霊を三度寿いだひとよ。いずれ代償を支払うことになろう……。
——逆向いた剣が終わりを告げる。ありえぬひとともに弔鐘を鳴らすであろう。代償はようやく支払われる。
……なるほど。唇をなめる。
これは——
「闇の帝王への言及はなかった。ゆえにこれは誰を指したかわからぬ予言として、神秘部に別途保管された——神秘部が崩落した以上、現存する記録はこれのみに限られる。つまり君たちを同席させた理由でもある」
スネイプ教授が言葉を切った。思考整理の時間を設けていただけるとはね。
ディゴリーを見ると、彼もこちらに視線をよこしていた。当惑は見受けられるが、予言の内容は解釈できたのか、面持ちはむしろ険しい。
「死霊を三度寿いだ人——」
認識をすり合わせるために口火を切った。
「——ハロウィンを指すとみてよさそうだな」
「ハリーが生まれる直前に紡がれた予言だから、そこから三回分のハロウィン……一九七六年の十一月から一九七七年の十月の間に生まれたことになる。それだけだと候補が多すぎるけれど、」
「異なる人を示した篝火とやらは炎のゴブレット。差し替えられた余計者……私が帝王に余計なやつと呼ばれた件か? と、なればこのあたりに関係する人間はかなり絞られる」
「ハリーは当然、予言のときにはまだ生まれてもいない。クラウチ゠ジュニアの歳じゃあ、どうあがいても、このときにはハロウィンを四度以上越えている。となれば……僕か君か、デルフィーニ」
残った三人の候補は、いずれも〝死すべきときに死ねぬ、ありえぬひと〟という点にも合致する。
最終試練で死ぬはずだったというセドリック・ディゴリー。死の呪いを受けて生き延びた、そしてそもそも生まれなかったはずの私。およそ二十年早くに生まれてしまった——死期は少なくとも
「死すべきときに死ぬべきだったとでも言いたげだ。あまり、いい気はしないね」
「やあ、本来の余計者」
強めにどつかれた。
真面目に話すか。
「代償とやらが具体的になんであるかはひとまず保留としても、現状、まだ支払われていないように見受けられますね」
口調を丁寧に戻す。スネイプ教授が眉をひそめた。「根拠は?」
「後半部が実現しておりません。剣というのは、グリフィンドールの剣を指すものかと……あれが〝弔鐘〟とやらを奏でた様子は現状確認されていない」
ゴブリンがきたえた剣は自らを強化するものだけを吸収する——その特徴を悪用して黒魔術で汚染された剣。
騎士団の把握としては行方知れず、ドラコ曰く、今は〝レストレンジ〟のもとにあるわけだが、しかし〝弔鐘〟を鳴らした様子はない。
➤
「……ルーナ? なにしてるの?」
「気をつけて取り扱うなら調べてもいいんだって」
予言に関する密談が行われる一方——ルーナは、両手にうすい手袋をつけて、黒ずんで半分に割れた冠を熱心にいじくり回していた。「なんだそれ」末妹の質問に、ロンも興味を惹かれて身体を起こす。
「……本当になんだそれ?」
はたから見れば、煤けたがらくたをいじくっているようにしか見えない。
「ティアラみたいな……? でも割れてるし、かなり煤けてる」
「夏休みの宿題がほとんど終わっちゃったから——」
「嘘だろ? 僕らここ来て数日だぜ? 終わったの? 次五年生ってことはたっぷり出たんだよな? さすがレイブンクロー、マーリンの髭……」
「——暇つぶしがないか聞いたらレグルスがくれた」
ルーナはロンの感嘆のほぼほぼを無視した。
ロンはまじまじと、もう一度ルーナの手元の冠を見た。それからおそるおそるつぶやいた。
「……もしかして闇の魔術の品だったりしないか?」
「ロン!」
読書に熱中していたハーマイオニーからさすがに叱責が飛んだ。
なお、レイブンクローの髪飾りとはいえ、
「だってあいつ一番うっかり持ってそうだろ! なんか! 親戚が持ってた興味深い物品とか言って!」
血縁関係を辿るなら義伯父となったヴォルデモート、が持っていた興味深い物品たるレイブンクローの髪飾り。
これまたほぼ正解なあたりこそが如何ともしがたい。
「うん、正直、触らない方がいいんだと思う。絶対に被るな、危険を感じたらすぐに知らせろ、万一話しかけられても返事をするな……」
「その注意事項、本当に黒魔術の品じゃないか? なんでそんなもの持ってるんだ?」
戦々恐々とするロンを他所に、刷毛で焦げを梳いて、ルーナはティアラの内側を覗き込んだ。若干溶けていて読み取り難いが、文が刻まれているのが確認できる。
「〝計り知れぬ〟……なんだろう、えーと……〝叡智こそ〟かな。それで〝我らが〟……最も……最……〝我らが最大の宝なり〟……」
「……それって、ロウェナ・レイブンクローの言葉じゃあない? ほら、魔法史でビンズ先生が仰っていた——」
ハーマイオニーも本を閉じて、ルーナの手元を覗き込む。
「……レイブンクローの大ファンの冠ってこと?」
ジニーのつぶやきに、ルーナはうーんともふーんともつかぬ声をこぼした。
「嵌ってるサファイアが……」
「……真ん中で割れてるこれ? 大きいね」
「すっごく金持ちのアクセサリだ……うちの家が建つな」
「なんなら十個ぐらい建つかもね」
「……この大きさって、鉱脈が発見されたばかりの時代だと思うんだ……だからたぶん千年とかそのぐらい前の……」
思考整理の如く途切れ途切れに話すルーナに、へぇ~と純粋に感心するウィーズリー兄妹。その横で、ハーマイオニーが眉をひそめた。
先に述べたように、彼女は魔法史でも居眠りなどほとんどしたことがなく、カスパード・ビンズの言葉をほぼ一言一句覚えている。
「……千年前? それは……」
「うちの寮ってレイブンクローの像があるんだけど……レイブンクローの冠に、すごく似てるんだよね」
ルーナの声音はいつもの如く夢現な一方で、ハーマイオニーの表情からどんどんと血の気が引いていく。
「……つまり、それって、いわゆる〝失われた髪飾り〟よね? レプリカだとしても、当時の本物をかなり精巧に真似て作られたものでしょうし、とても貴重な史料だわ。割れてるけれど……」
「それで……たぶんこれを割ったのはレグルスだと思うんだけど」
「あの人なにをしているの? いえ、黒魔術がかかった品なら……それにしてもなにをしているの?」
「断面が真新しいんだよ。溶けて固まったばかりなんだ。せいぜい二月とかそのぐらいだと思う」
「あら本当……」
指し示された箇所は確かにルーナの言う特徴を兼ね備えていた。ハーマイオニーは一旦なにもかも諦めた。
「レグルスは……黒魔術がかかってるぐらいじゃあ、歴史的価値の方を優先すると思うんだ。対処法を探して触れないで置いておくぐらいで済ませるよ。だってその方が賢いもの……」
ルーナは喋りながらも割れたティアラを様々な角度に傾けて観察している。
「だからこれは、そうじゃなくて、壊さなきゃならなかった」
「……なんで?」
「うーん。……なんだろう。例のあの人が使うかもしれなかったとか?」
扉が開く音に気づいて、ルーナは振り返った。割れたティアラはテーブルに置いた。
「レグルス、どう?」
「中らずといえども遠からず」
なにやら密談も終了、四人がたむろするテーブルにレグルスが歩み寄った。彼の指先が戯れのように煤けた冠(ルーナが丹念に刷毛で掃いたのでちょっときれいになった)をついた。
「なにか収穫はあったか?」
「残ってる効果はもうまるっきりないと思う。でもところどころ、痕跡が……これって再現してもいいやつ?」
「ものによる。ろくでもない部分は潰したままにしておきたい。研究材料として申し分ないなら確認したい心情は理解できる」
「ウーン」
レグルスの言葉を受けて、ルーナはじっと冠と睨み合った。
「選り分けて……引っ張り出す……いけると思う。でも絶対に何ヶ月かはかかる」
「預けようか」
「いいの?」
「その物品に関する私の目的は達成できている。レイブンクロー生が持っている方が元の持ち主も喜ぶだろう」
「なあそれ結局なんなの……?」
「うん? レイブンクローのティアラのレプリカ。面倒な呪いもかかっていたからそのあたりはついでに処分したんだ」
いけしゃあしゃあとのたまうレグルスに、ハリーとセドリックは視線を交わした。続いてスネイプに眼差しを向ければ、彼は非常に頭が痛いとばかりにこめかみを抑えていた。
嫌味ったらしく偏見まみれでアカデミック・ハラスメントフル活用の最悪教師相手でも、たまには同情心が湧いてくることもある。たとえばこのように。教授業ってなんか大変なんですね、絶対なりたくないな。ハリーとセドリックの心境は奇しくもぴったり一致した。
➤
選ばれし者、ハリー・ポッターについての詳細な対策は、侃々諤々とした議論の末、さらに次回に持ち越される。彼らはごく真剣に予言の内容を検討していた。ハリー・ポッターはドラコとは異なり、路傍の石ではなく、むしろ強大な障壁として取り扱うべき対象だった。
報告会には
宴もたけなわ。ドラコはひとり手洗いに向かった。用を足したのち、手を洗う。磨き抜かれた鏡に反射した自らとしばし見つめ合った。鏡の中のドラコはひどく青白い顔色をしていた。マルフォイ家の血色はもともとあまり目立たない方だが、それにしても、血の気の失せた顔つきだった。
報告会で——
生まれ損ないの
——従わない純血は無残に死んでも良しとする。血を裏切る者は死んでも良しとする。その対象に自らの家族が一度は含まれた。匙加減ひとつでまたもそのようになる。〝指導者とは指導内容だけでなくその一挙一動が生徒への手本を示します〟——差別をする者には二種類存在する。自らが差別される可能性には全く無頓着な人間。そうなるはずもないと信じていること。あるいはかつて差別される側であった人間。二度と誰かに謗られぬため、無辜の誰かを蹴落とすことに固執している。それ以外で自らの立場を守る方法を知らない。
額をぬぐう。じっとりと汗ばんでいた。季節は七月でイギリスは夏真っ盛りだが、空調の効いた室内で汗ばむなれば、それは気温由来ではないことぐらい、ドラコだって知っていた。
知っていたはずだった。
「レグルスとの仲違いはこのためか?」
手洗いからの帰路を辿っていたドラコ——会場に辿り着く直前、待ち構えていたのか、廊下にてセオドールが詰め寄った。マルフォイ家とノット家はもとより懇意で、ドラコとセオドールは同年齢であるからして例に及ばず、幼少からも交流があった。ルシウスのコレクションの一部はノット家から融通してもらったものも含まれている。
「君の家の過保護どもが許すわけない。ルシウス殿とナルシッサ殿は撒いたのか?」
「やり方はいろいろあるだろ」
ドラコはネクタイの位置を直した。意図的に視線を合わせることは避けた。
「昔、おまえとクラッブと一緒に
「別行動開始五分で君の家の梟に見つかったことを撒いたと言うならな。そもそもあれは、元はと言えば君が——」
セオドールは言葉を切って、眉をひそめた。ほとんど無表情が多いこの青年にしては珍しい仕草だった。
「——今回は子どもの冒険程度じゃ済まない。我々がなにをしているのか……それとも理解できないのか?」
「……ノット、それは、どういう意図で言ってる?」
訝しむようにドラコはつぶやいた。セオドールに眼差しを戻す。うすい青がまじまじと馴染を見つめた。
「帝王のもとに仕えることこそがもっとも名誉で、加えて安全だ。そうだろう?」
ノット家は揃いも揃って細身の顔立ちが特徴的だ。ふたつの眼球が照明を反射して奇妙に光り輝く。セオドールの瞳が、言葉を探すようにわずかに泳ぐ——そして足を引いた。彼はドラコの背後を見ていた。
ドラコが振り返ると——いつの間に忍び寄っていたのか——クラウチ゠ジュニアがかくんと首を傾げた。
「どうぞ、続けてくれていいぜ? 出し物は終わりか?」
「——」
セオドールの喉が奇妙な音を立てた。彼はすぐさま頭を下げると、ドラコを追い越していった。トイレに逃げ込んだなとドラコは頭の隅で考えた。他人のテリトリーだとしても、簡素な鍵が襲撃にはまるで無意味だと知っていても、鍵がかけられる個室は安心感を齎す。
「すこーし目を離すとちょっかいを出されるのね。人気者?」
宴の席に戻れば、デルフィーニは彼らを見比べて楽しそうに尋ねた。「もうムーディに化ける予定もない、子守は仕事じゃあないんだが」ぼやくクラウチ゠ジュニアに「言うこと聞いてよ。わたしたち、お父様の復活のために一緒に頑張った仲じゃあない」デルフィーニが揶揄するように言った。
「どんなお話をしていたの?」
ドラコが口を開く暇もなく、クラウチ゠ジュニアが最初から最後まですべて話した。いつから聞かれていたのかは定かではない。いつから見られていたのかも定かではない。
「実際、疑われてしかる。目を盗んだ方法には俺としても興味が湧くね」
「そう? 今は彼ら、逃げ遅れた団員の保護に夢中なんじゃないかしら」
クラウチ゠ジュニアが呈した疑念に、一方で、デルフィーニはのんびりと言った。
「マルフォイ家のいつものやり口を考えれば、せいぜいが情報提供程度で、戦闘の前面には出ないでしょうけれど。数合わせの肉壁だろうといるに越したことはないもの。その数も少ないなら、いずれ恩返しをしてくれると信じて、手厚く支援しなくちゃあね。レッドリストの保護って重要でしょう? それでその間は、どうしても他は手薄になってしまう。だから息子のことは安全なところに置いて、良い子だから動かないようにと命じるの。それで保護できていると信じ込んでいるのよ」
そこまでつらつらと語った彼女は、ドラコの表情を見て「気を悪くしたかしら?」と目を瞬かせた。
「おまえは家族が大好きだものね——でも事実だわ。おまえが兄の目を盗んでわたしに不相応に交渉を持ちかけたことも、おまえが御両親の目を盗んでここを訪れたことも。わたしたちと会っているだなんて知れたら、あのひとたち、心臓発作でも起こしてしまうかも」
死の呪文は、外傷ひとつ残すことなく、人々を死に至らしめる。マグルの医師からすれば急性心不全——別名:死因不明——と変わりない。
「——秘密にしましょうね?」
デルフィーニは唇の前に人差し指を立てて微笑んだ。
死神はきっと彼女のような笑い方をする。
「……つくづくと我が君に似ておられる」
他の
「恐怖とカリスマは紙一重だ。信仰はこのように構築される……」
——過ぎた恐れは畏敬が芽吹く前の種だ。
ドラコの脳裏をちらりと直近の記憶が過る。兄は最後まで気も進まない様子だったが(自らの行いを顧みてほしいとドラコは心底から思っている)しかし、最後には折れた。ドラコの主張が強硬で理に適っていたこともあっただろう。いざとなったらどうにかしてブルガリアに逃げ込んで魔法省にこれを渡すように——と封をした手紙を預けられた。ブルガリア魔法大臣直筆の亡命のお誘いだった。兄のことを理解する努力はとうの昔に放棄したが、それにしても、この人なにがどうなったら他国の魔法大臣とここまで交友を深めることになるんだろうとドラコは訝しんだ。話が弾んだ程度じゃ亡命枠は確保してもらえないと思う。閑話休題。レグルスはドラコの兄だがUMAでもあるため、思考回路は意味不明だとして。能力主義者の人間観察は限りなく正確である。
——他人を信用こそしないが、優位性を確信すると、鷹揚になり、気を緩める傾向がある。
——闇の帝王の復活、ベラトリックス伯母上の脱獄、〝レストレンジ〟が目指したことはおよそ上手く行っている。多少怪しかったとしても泳がせるだろうな。寛容とはまた異なる。気まぐれに野放しにして反応を楽しむ。
——長らく潜伏していたがゆえに実力を振るう機会がなかったからか、それ以前の経験に基づくのか、自らが上位に立っていることを定期的に確かめる癖が見受けられる。安心でもするのだろうかね?
——過ぎた恐れは畏敬が芽吹く前の種だ。そういうものを利用して信仰心に摩り替えるのが得意であれば……怯える他者に憐れみを抱くことはあっても、そこに怒りはないだろうな。恐怖し身がすくむ弱者は敵ではないからだ。そういう者たちとしか接してこなかった。
——あちらが優位であると上手に思わせ続けていれば、少なくともその間は危害は加えられない。
現状デルフィーニおよびヴォルデモートの言動をほぼ正確に当てているあたり、兄上は彼らの同類の可能性がある、とドラコは危惧している。能力主義者にとって殺戮はむしろ忌避すべき行為なので(有能な者は多様性と裾野の広さから生まれるのだと彼は主張する)たとえば世界征服などをしたところで、書物をすべて持ってこいとのたまう程度だろうが。書籍集めで世界征服するタイプの魔王、まあまあ嫌かもしれない。
「今回、何故セブルスが呼ばれなかったか——」
クラウチ゠ジュニアがまたふたたび、口を開いた。若干逃避に浸っていたドラコの意識は、ほとんど反射的に我に返り、ふたたび神経を張り詰めさせる。
「——オーグリー様の知る〝過去〟は正確だ。きわめて正確だ。あのひとは闇の帝王の潜伏場所を明確に絞った。知っていたからだ。俺が父に監禁されていることを当てられた。知っていたからだ。すべてを知っている……ゆえにこそセブルスは排斥された。あいつは勘づいているのか、ここのところ、自らの所在を掴ませない……」
言葉はとりとめもなく落ちていく。ドラコはクラウチ゠ジュニアを盗み見た。かつて非道なことを散々に行なった男。明確に二人の人間を廃人にした男。父親に長年監禁されていた男。ドラコをイタチに変えて散々にいたぶった男。レグルスは彼をひどく嫌っていた。ドラコの件に加えて、ルシウスを貶されたこと、それでいてレグルスには感心と和解の態度を示されたことが嫌悪の理由に含まれていた。今思い返せば、
クラウチ゠ジュニアは、壁に寄りかかり、ぼうと宴を眺めている。片手にはワイングラスを揺らしている。
「オーグリー様が知る〝過去〟は正確だが、しかし、差異がある。レギュラスは既に死んでいるはずだった。代表選手にはセドリック・ディゴリーが選ばれるはずだった。父はとうに死んでいるはずだった。ダンブルドアが死ぬのはもう少し遅かったはずだった……」
彼はワイングラスを回した。
「……つまり……差異はあり……それでいて正確であり……それは……父が死んでいたとすれば——」
眼差しはぼうと宴を見ている。
「あのとき
立食式のパーティ、
「……無論、闇の帝王のためなればこの命すらも捧げられる。それは当然のことだ」
パチパチと瞬きをするとクラウチ゠ジュニアは不意に壁から身を起こした。急に動いたものだから、ドラコはわずかに身動ぎした。普通にびっくりした。
「子どものために褒めずに厳しく接した親をどう思う?」
——さっきから本当になんの話だよ?
これはドラコの本音。唖然と見上げていると、クラウチ゠ジュニアの顔がぐりんとドラコを見下ろした。明確にドラコに対して問いかけていたらしい。
「……あー。……うちの両親への嫌味かなにかか?」
ここで肯定されたらば、足の小指をクローゼットの角にぶつけるように誠心誠意祈ろうとドラコは思った。実力行使するほどの度胸はない。普通に磔の呪文が飛んできそうだ。
「この件にルシウスやナルシッサは一切関係ない」
「へえ」
祈る必要はなくなったが、であれば、それはそれでドラコに振られた理由は不明だ。子どものために褒めずに厳しく接した親。果たしてなにを示すのだか、ドラコにはさっぱりわからない。例えにしても妙である。
「……普通に虐待だと思う」
ドラコはシンプルに自らの考えを述べることにした。
「子どものために、子どもへの愛が由来だとしても?」
「どこぞの誰か曰く〝褒めない親もひどい〟らしい」
これはそれこそ、マルフォイ家のいびつな教育に関する痛烈な指摘、その派生で行われただけの言及だが。
「僕もそう思う。由来がなんだろうが言わないなら伝わらない。言っていたとしても態度が態度じゃ伝わらない。伝わらないものは、要するに、ないも同じだろ」
クラウチ゠ジュニアのまばたきはずいぶんと無機質に見えた。照明の加減のせいかもしれない。テーブルに整然と並べられた燭台の明かりは、炎であるからして揺らめいている。
「そのとおりだな」
クラウチ゠ジュニアの眼差しが逸れた。彼は茫洋と虚空を見つめている。
「そのとおりだ」
その言葉のあと、さらに小さな声で彼はつぶやいた。すぐに誤魔化すようにドラコの頭を雑にてのひらで揺すって(頭蓋骨を握り潰されるかとドラコは肝を冷やした)クラウチ゠ジュニアは
さながら人型の天災——呆然と見つめて、ドラコは、思い出したように自らの髪型を整えた。そうしながらクラウチ゠ジュニアの言葉を思い返す。
〝ないと同じはずだったんだ〟
なんの話だったのかは結局よくわからなかった。
➤
「これはシミュレーションの話だけど」
「どうぞ」
「彼女は何故僕を生かそうとしたのだと思う?」
私は胡乱にディゴリーを見遣った。
思いの外真面目な顔で見返されたのでちと面食らった。
「……情報が不足しすぎている」
「そうだね。その上でだ。彼女は何故僕を生かそうとしたのか——何故、彼女は僕を勧誘しようと考えたのか?」
スコーンを噛み砕く。甘味は思考を回すには適切で、マグルの家の蔵書も読み尽くした以上は、ただ閉所に留まっているだけではあまりに手持ち無沙汰だった。出来に関しては概ね好評な一方、君なにができないんだ? と末弟のウィーズリーには引かれた。褒めるならまだしも引くやつがあるか。レシピ本も書誌の一種で、文字によって記されているのだから、当然読むし記憶する。……身につくまで練習した回数は伏せた。
ひとしきり咀嚼し、飲み込む。
「……失礼なことを言うかもしれないが、構わないな?」
「君に聞いたからにはそうだろうね」
オブラートに包むぐらいはできるのだが。一応。少しは。
「以前のおまえは——無意識やもしれないが——ポッターをライバル視していた。それとも、自覚はあるか?」
ディゴリーは答えなかった。
「頭から洗っていこう。ポッター入学最初の年だ。彼は一年生にしてシーカーに抜擢された。グリフィンドール対ハッフルパフの試合で、おまえは試合開始から五分もたたずにスニッチを奪われた」
ウィーズリーの双子がしばらく有頂天だったことをよく覚えている。箒の小突き合い程度によくもまあ盛り上がるなと感心したものだ。
「次の年。グリフィンドール対ハッフルパフの試合は、バジリスクの件により中止となった。私たちのO.W.L.、ようやく実現した再戦は……」
「いろいろあってハリーは箒が吹っ飛んでスニッチを取るどころじゃなかった」
「あれはけっきょくなにがあったんだ?」
「ホントにいろいろあった」
ろくでもなさそうな気配しかしない。
「おまえは……クィディッチの選手、シーカーとしては、ポッターに明確に勝てた経験がなかった」
話を戻す。
「むろん、いくら熱中しているとしても、たかだかスポーツだ。それだけで人間の良し悪しが区別されるわけでもあるまい。とはいえ——二学年下の子どもに、一度もまともに勝てたことがない、その事実を揶揄する人間もいただろう。おまえの場合は、勝利は勝利であると気を遣われた方がむしろ堪えたかもしれないな」
スコーンを入れた皿を差し出すと、ディゴリーは無言でひとつ拾い上げた。端のほうを小さくかじって咀嚼する。その様子を横目に、同時に、私は記憶を想起する。
「……さて、一昨年度。寮対抗クィディッチはそもそも行われなかった。
ディゴリーはもうひとつスコーンをとった。
「ポッターは——チャンに惹かれているようだったな。そして、チャンも悪い気はしていないように見えた。
「君、ホグワーツでも不特定多数と行動している様子はなかったのに、やけに知ってるよね……」
「——そういうおまえも、私が言わずとも、彼らのやりとりを把握していたようだが? チャンに教えられたか?」
「ロジャー」
「なるほど」
焚火を介した四寮交流は奇妙な縁をもたらした。それまで各々、合同授業以外ではろくに話したこともなかった。寮が異なる生徒間では、人間関係はどうしても希薄になりやすい。ありえるはずのない交流、ありえなかったやり取り——私は生まれるはずがなかったのだという。
「ともかく、だ。羨望とまでは言わない。嫉妬とまでは言わない。けれど——あくまで私の意見だ。一昨年度までのおまえは、ポッターに対してなにか思うところがあるようにうかがえた」
否定できるポイントは何箇所か作っておいた。本人の見解がどうあれ、そこを突いて否定するならべつにそれでいいのだが。
「……
自覚はあったらしい。ディゴリーは強く目をつむった。
「——そして、僕が代表に選ばれていたとして。……ホグワーツ内で行われた課題はどれも審査員たちが逐次安全をチェックしていた。それでも死ぬとすれば——」
……ホグワーツから遠く離れた、リトル・ハングルトンの墓場。命の水がなければ私とて死んでいた。あるべきだった世界のディゴリーは——優勝杯に辿り着くのがポッターより早かったのか。まさか同時に触れる奇跡に再現性があるとも思えない。
ディゴリーを生かしたかったと〝レストレンジ〟は言ったらしい。私を殺すことはあくまでも副次的、当たればラッキー。その程度。
では、彼女がディゴリーを生かすメリットとはなんであるか——の前に、生かす方法を考えよう。そもそも私が生まれなかったとして、ホグワーツの立候補者にはディゴリーより優れた生徒はいなかった。ディゴリーの選出はおそらく阻止できない。死の呪文への対抗措置はほとんどない。レギュラスが生き延びなかった世界で命の水のストックが存在するだろうか。可能性は低く、ディゴリーが手に入れている可能性は、より低い。
「第一の課題、第二の課題、そこで妨害を行う——なにをすればいいかな。私なら薬でも盛るかもしれないが……。点を叩き落として、迷路の出発をできるだけ遅らせる……」
唇の違和感に触れるとスコーンの粉がついていた。拭い取る。
「おまえが生き延びる。それは同時に、
屈辱ではないかと〝レストレンジ〟はディゴリーに尋ねたそうだ。見当違いの言葉をディゴリーは否定した。ディゴリーが私に対して屈辱に思うことはそうないだろう。親しく長い付き合いだから、とかではなく、自覚はあるのだが私はいくつかの長所を有する一方、主に人格面で明確な短所を持ち合わせている。クィディッチにも興味を示さないのでディゴリーのフィールドで相対することは早々ない。テストの成績は常勝だが——こちらはこちらで、具体的には十二科目取り始めたあたりから〝そういうもの〟として認識されている。
ポッターは——二学年下の生き残った男の子。生まれながらの英雄。成績は、平均よりは上だがその程度。良くも悪くも普通で、だからこそ、人に好かれやすい人柄である。箒の才は優れているものの、それが直結で代表としての素質になりうるかはきわめてあやしい。実際、ポッターの課題踏破は闇の帝王の意思が大きく関わっていて、サポートがきわめて手厚かったわけだが、外部からすればそうは見えない。加えてリータ・スキーターの記事の数々。ポッターのインタビューは大々的に取り上げられた一方で、他の代表選手のことは名前程度、私のことはちらとも記されなかった。グレンジャーをめぐった三角関係——あの記事を真に受けるなれば、チャンへの想いを〝キープ〟と捉えることもできる。目立ちたがり屋の男の子。
さて、本当に、ディゴリーが選ばれていたら。
「屈辱を感じたと、思うか?」
「——……わからない」
ディゴリーはすっかりとソファに沈んでいた。
「絶対に感じなかった、とは、言えない……」
……質問者張本人の私は、実のところ、あまりそうは思わないのだけれど。ディゴリーは確かにポッターに対抗心を燃やしていたが、上手く煽れるかどうかは——かなり賭けの部類にあたる。実際に〝レストレンジ〟は失敗した。ディゴリーの本質はそこにはない。あくまでも彼が傾く、かもしれない、その程度。
とはいえ、本人は気にかかっていた。ゆえに私に問うた。自らの推論と私の言葉を照らし合わせて、ありうると認めた。〝レストレンジ〟の言葉を下敷きにしたにしても、心当たりはあった。であれば、彼女がディゴリーを生かそうとした理由はそこだろう。屈辱的だと思った果てに——ディゴリーは、道を踏み外す可能性があった。
さて、ここまでは前提だ。
「——〝レストレンジ〟出生のからくりについて……彼女の物言いを踏まえると、本来あるはずの世界で、彼女は少なくとも二種の未来を知っている。おまえが死んでいる世界——おまえが生きている世界」
指を二本立てる。
「〝レストレンジ〟の言葉では、おまえが死んでいる世界の方があるべきである、といった様相だったと聞いている。そもそも〝レストレンジ〟の潜伏期間自体、闇の帝王の没落から復活まで、実に十四年。いささか慎重過ぎる。つまり〝レストレンジ〟が生きた未来では、帝王は、おそらく本当に死んでいた」
これは諸事情により入手した情報、〝敗北した私〟という物言いも含む——今口に出せる範疇にはない。
「……決定された過去を一度は覆した……〝レストレンジ〟は
私はその是非を論じるつもりはない。
「——数多の魂が影響を受けただろう。その応報は、たかだかひと一人の人生を全うした程度で、賄いきれるものか……」
代償は支払われるべきなのだそうだ。予言曰く。
ディゴリーは黙ったままだった。ティーポット内の茶葉を捨てて、新しく入れ直し、薬缶からポットにお湯を注ぐ。
蒸らした紅茶がカップに注がれて、私直々に配膳して、ようやくディゴリーはふたたび口を開いた。
「……デルフィーニは……何故僕を救うことに重点を置いたのだろう。いや、つまり——より確率が高いと見込める行いは、他にもあったはずだ」
「……一理はあるだろう」
実際に今生き延びさせたところで、ディゴリーはおそらく、デルフィーニが思う通りには動いていない。確実な手を取れたはずだ。しかしそうはならなかった。
「そもそも、デルフィーニが本来僕たちと同い年のはずがなかったとして、だったら、何故彼女の行いを織り込んだ予言があるのだと思う? 本当はないはずの予言——前は、単純に存在しなかったのか? それとも——」
「——これまた二十年先で、詠まれるはずだった、と?」
ディゴリーは首肯した。
「それも、そうだな……僕を救えば、その派生で、例のあの人はハリーを殺せてしまう、とかいうたぐいの予言が……あったのかもしれない」
あったのかもしれない。あるいはなかったのかもしれない。ディゴリーがむざむざと殺された世界、ないしは、ただの好青年ではいられなかった世界があったのかもしれない。実現しなかった。未来は破棄された。
「……つまり、おまえが気にしているのは、そこか? 自らが生き延びた結果——帝王の生存が盤石になったとでも?」
感情的な声色は努めて抑えたつもりだったが——「もちろん、そうだと言い切るつもりはないよ」ディゴリーは私をチラと見て、言った。
「言い切るもなにもあるか。仮定に仮定を重ねた仮説の上で罪悪感を味わうのは勝手だがな、誰もおまえにそのような内省は求めていない」
「それ、君が言うのかい?」
……。
ティーカップをとってのどを湿らせる。答える義務はないだろう。
「あいにくと僕は内省しているわけでもなくてね。ただ……デルフィーニが知っていた僕が、なにをしたのかを考えていた。……なんの決定打を踏んだのか?」
面持ちはすと伏せられて、ディゴリーもまた、紅茶のカップを手に取った。
➤
七月も半ばに差し掛かった。在学生どもの夏季休暇は残り一月半である。予言者新聞の一面に【ホグワーツ新体制実践】の見出しが躍ったのは昨日のことだった。アンブリッジが笑みを浮かべてヤックスリーと握手を交わしていた。〝魔法省は昨年度のホグワーツ教育改革の成功を踏まえて、より実践的なアプローチに踏み込むこととした——〟あれを成功と呼ぶならばそうであろうよ。
アンブリッジが校長据え置き。マクゴナガル教授はグリフィンドール寮監の席にはかろうじてとどまったが副校長権限は剥奪された。副校長にはクラウチ゠ジュニア就任。魔法薬学教授とスリザリン寮監を兼任。ホグワーツにおけるポジションを暗に奪い取られたスネイプ教授はまあまあの罵詈雑言を吐いた。……教授としてそぐわぬ罵詈雑言はさておいて、あまりに露骨である。明確なダンブルドア元校長派だったマクゴナガル教授よりも、スネイプ教授の排斥は優先された。諜報活動が割れているかもしれない、との懸念はおそらくただの事実と化していた。
「げほ、ごほ、ひ、ひどい目に遭っ……あ、お、お、お久しぶりです」
「……お久しぶりです。クィレル教授」
暖炉から現れたひとに、ひとまず私は挨拶した。クィレル教授はケロイドをゆがめて、たぶんはにかんだ。「た、頼まれていたものはこちらです」「ありがとうございます。早いですね」「げ、げ、現実逃避にちょうどよくて……」若干反応しづらいな。
「手も足りないので、ひとまずウィーズリー家ならグレンジャー夫妻と合わせても構わないだろうと……思って……ま、間違いでした……あ、あ、アーサー・ウィーズリーのマグルフリークを、あ、侮っていました……」
なんの報告?
「父さんは……いったいなにをしたの?」
「え、ええと……まあ……そ、そ、そんな些細なことはさておき……」
露骨に濁されて本当になにを察したのだか、ウィーズリー兄妹が揃って顔を覆った。「あー。……そういうこともあるわよね」グレンジャーがどっちつかずの表情で曖昧に笑った。どういうことが起きたのか本人も理解していない顔ではある。
「はしゃいで羽目を外すような父親を持つと苦労するよな」
「君のお父さんの件はちょっとそのベクトルで語っちゃだめだと思うよ」
姦しいぞポッター。
「ひ、避難者たちの状況をとりまとめて……保護できた団員と行方不明になった団員を照らし合わせ……さ、幸い、いくつかの国から助力が見込めるので——み、み、みなさんには選択肢があります」
クィレル教授は思い出したようにローブの煤を払った。
指を二本立てる。
「ひ、ひとつは、こ、国外へ亡命する選択です」
「国外——?」
「げ、現状、フランスとブルガリアが、な、難民の受け入れ意思を表明しています」
フランスとブルガリア——私もブルガリア魔法大臣個人からお誘いは受け取った。それはそれとして、つまり、各国はボーバトンとダームストラングに縁が深い国でもある。外交戦略だとしても、ダンブルドア元校長が
「も、もうひとつは、こ、このまま隠れ潜む選択肢です。さ、さ、さすがに一処に集まっているとリスクが高すぎるため、あ、ある程度、ぶ、分散する必要があります。い、い、いずれも、忠誠の術で守られています」
けっきょくのところ、守人の選出さえしくじらなければあれほど堅牢な術もそうはない。帝王ですらペティグリューの心を折って屈服させた。それ以外の方法ではポッター家の居場所を割れなかったのだ。
「い、以上、ふたつです」
「ホグワーツへは戻れない?」
「……も、戻ると言うならその意思を尊重はしますが……あ、安全は保証できません。し、シビルと、フィレンツェと、ちゃ、チャリティが行方不明になった件についてはご存知ですか?」
何故か複数名が私を見た。
確かに予言者新聞には毎回真っ先に目を通しているが。
「……占い学は廃止、マグル学にはアレクト・カローが就任していましたね。前任についての言及はありませんでしたが、トレローニー教授は——
私の他、予言について把握している二名がぎくりと肩を強張らせた。
「つ、付け加えると、フィレンツェは生死不明、チャリティは先日
……趣味が悪いな。
「パパとママは……どう言ってるの? ビルは? チャーリーは? フレッドとジョージも……」
「せ、選択を尊重するとの言伝を、あ、預かっています」
双子については先日ラジオ周波のジャック方法を尋ねられたので教えておいた。少なくとも外国に逃げるつもりはなさそうだ。クィレル教授はそこまで口にしなかったので私も伏せることとした。
「……パーシーはまだ魔法省にいるわけ?」
クィレル教授が答えをためらった。いるのだろうな。
「うちのパパはなんて言ってる?」
「ラヴグッド氏は——こ、国内よりは、こ、こ、国外の方が安全だろうとのことです」
道理である。聞かなくていいのかとディゴリーに目を向ければ、彼は肩をすくめてみせた。ふうん。まァ私が関与するところではない。
「——ゆ、猶予はあまり長くありません。は、は、早めに結論を出していただけると、た、助かります」
クィレル教授はひとまず亡命についての話題を締め括った。
「……戦うのってだめな感じかな」
羊皮紙の中身を確認しているとラヴグッドが寄ってきた。
「騎士団の入団要件のひとつには成人済の魔法使いという項目があったはずだ」
「あたしけっこーやるよ」
「へえ、驚きだな。十五にして、私よりもか? それはそれは素晴らしい腕前だことで」
ラヴグッドは露骨に拗ねた。
歳の近い従兄ぐらいの扱いされている気がする。
「どちらにせよ——魔法省が抑えられている以上、未成年者は明示に不利だ。〝におい〟が取れないから魔法を使えば詰む」
「レグルスでもどうにもできないんだ」
「私は超人ではないよ」
私の気のない返答に、ラヴグッドは目をまたたかせた。彼女の瞳はうすく明るい色をしている。虹彩は、端の方と真ん中の方で色が明白に異なる。
「でも、なにか企んでるよね?」
賢い少女が純粋に知的好奇心を示しているので「ティアラで我慢するように」と諭しておいた。羊皮紙は私の背後から覗き込んでも見えなかったろう。世の中には覗き見防止呪文というものがあってな。
日をまたぐことなく、皆々、国内での潜伏を選択した。隠れ家移動は半月後という予定になった。くしくもポッターの誕生日でもあった。十六歳。成人まで残り一年となる。
➤
「……眠らないのかね?」
コンロの炎から眼差しを外す。スラグホーン氏がリビングルームに顔を出したところだった。目の前にかけられた薬缶を示す。
「白湯を飲んだらば寝ますよ」
数日前のグレンジャーに〝眠れないなら、紅茶は避けた方がいいと思いますよ。少量ですけれどもカフェインが入っています〟とアドバイスを賜ったので、大人しく夜間は白湯に切り替えた。才女だとしても大して親しくもない人間に見抜かれていたのはシンプルに恥である。精進せねばなるまい。
「ミスターもいかがでしょうか」
「ありがとう。しかし私はブランデーの方が好みでね」
「なるほど」
ありがちなことだ。適度な酒精が齎す酩酊は感情を麻痺させるのに向いている。むろん、体質それぞれ、人それぞれでもあろう。私は酒精は付き合いでしか摂取しないことに決めている。頭がぼやける感覚はあまり好ましくない。
私が白湯をちみちみと舐める一方で、スラグホーン氏はブランデーをグラスにそそいだ。
「今年の卒業生の首席は君だったとか」
「監督生は取り逃がしましたがね」
ドラコは監督生に選ばれたが。兄弟合わせて完璧やもしれんな。
「とはいえ、加えて十二科目だろう? 監督生業務もしていれば手も負えないよ、むしろ、君の御家族はさぞ鼻が高かったろう——アブラクサスも生きていれば、同様に、そう考えたはずだ」
「そうであることを願っていますよ」
祖父は有能な御人だったと聞いている。しかし私は彼と話す機会はほとんどなかった。確かめられるほど交流を重ねる前に逝ってしまわれた。歳月は平等に過ぎてゆく。幸と不幸の数は常に不平等だ。
「君は、寮はスリザリンだったね」
「ええ。寮監のスネイプ教授にはよくしていただきました」
「セブルスか。学生時代はあまり目立たない、おとなしい子だったのだが……人は変わるな。うん、後任がよくやっているようでなによりだ」
スネイプ教授が寮監の責任をよくやっているかどうかについては議論の余地がある。主に他寮への態度だとか。自寮の依怙贔屓だとか。お気に入りの生徒への過剰な優遇だとか。いくら理があろうがちょっとまずい領域かなとそこはかとなく思わないでもない。これでも改善された方ではありますけれども。その点はなにもかも私は黙して微笑んだ。余計な火種を蒔く趣味はない。私がよくしていただいているのは事実だ。あまりにご迷惑をおかけしすぎたせいか、最近、扱いが雑だけど。
「……かつて、きわめて優れた生徒がいた。私の寮に……」
スラグホーン氏はふとつぶやいた。目線は私を見ているようで見ていなかった。私が所持した肩書(卒業したので、過去、と注釈をつける必要はあるだろう)そのいくつかは彼の記憶を掘り起こしたようだ。
「彼もO.W.L.までは君のように十二科目を履修していた。君のように首席でもあった。監督生でもあった……」
私は自分のマグカップを両手で包んで、白湯のぬくもりで、てのひらをあたためた。じっと黙っていた。
スラグホーン氏は私の相槌を求めていなかった。彼の瞳は私を通して過去を彷徨っている。
「如才なく、分け隔てなく、親切で……驕ることなく謙虚だった。それでいて茶目っ気もあった。私の寮からこのような傑物が現れたことが私の自慢だった。もしかしたらば次代のマーリン……」
マーリンがスリザリン寮の出であることは有名な話だ。偉大なるマーリン。我が先達よ。アーサー王伝説に一役買ったひと——もっとも、マグルの方の伝承は、伝聞に伝聞を重ねた結果、ずいぶんとねじ曲がってしまったようだけれども。しかし貴君の名前は今も息づいている。彼の軌跡は、たとえば少し前の世代の慣用句、あるいは勲章のかたちをしている。イギリス魔法界では長らく親しまれてきた。
「私だけではなく……生徒も教師も夢中だった。ディペットは特にあの子に甘かった。あの子は不遇でもあった……完璧ではなく、だからこそ完璧な子だった。人を惹きつける魅力があった。
白湯をすこし口に含んでのどを湿らせる。その手法はよく知っている。父上がしばしば用いている——欠けはうまく演出さえすれば魅力に転じる。私もやろうと思えばできる。後始末が面倒なので控えている。あとはなけなしの良識というやつ。
「……今なら、その驕りが、
アーマンド・ディペットが校長の時代はとうに過ぎ去った。我が父母が在学していた時期ですら既にアルバス・ダンブルドアが校長として就任していた。ディペット氏が校長の時代に、スリザリン寮で、監督生で、首席で、O.W.L.十二科目——評価はすべて
彼はマーリンの如く名を馳せた。マーリンのように途方も無いことを成し遂げた。しかし、彼はマーリンのように——少なくとも、彼の力は〝善〟を齎すことはないだろう。きっとこれからも。
「……私と彼は似ていますか?」
尋ねると、スラグホーン氏は目を細めた。
「……それがだね。実のところ、全く似ていないのだよ」
でしょうね。
魔法生物学には収斂進化という定義がある。進化の過程ではまったく別の道筋を辿ったというのに、偶然にも、そっくりな見目や機能を備えることになる例を指す。イルカとサメだとか。ペガサスとヒポグリフだとか。私が出力する成果や考察はたびたび帝王と似通っていることがあるが、しかしけして、帝王と私の本質が同一であるといった結論には結びつかない。彼と私にはおそらく決定的な断絶が存在していた。〝レストレンジ〟とも同様に。
スラグホーン氏はブランデーをゆっくりと味わったあと、自室へと引き上げていった。彼は気の良いご老人のように見える。それでいてやはり老成していて、その間の積み重ねを忘れ去ることもできないひとである。ダンブルドア元校長と旧知の仲というのはやはり正しく、見合った能力を持ち合わせていた。開心術をかける隙さえも全くなかった。
何故あの人が私たちに隠れ家を提供したのかは未だわからないままである。しかし一端はそこにあるのかもしれない。すなわち、気を許されているという優越感——そこに起因する後悔があった。詳細は掴めない。掴んだところで、という話でもある。
➤
「ポッターが隠れ家から移動するとの情報を掴みました。あいつは未成年だから姿くらましを使って居場所を検知させるつもりはないでしょう。
「大移動になるということね?」
「僕の予想では箒を使うと思います。あいつは箒の腕だけはまァ……マシなので」
➤
「四人のポッター作戦です」
「「ひっさしぶり~、坊やと嬢ちゃん、元気してたか?」」
その物言いはさすがに殴られるだろ、と思ったら案の定殴られていた。「まったく素直じゃないんだから」「無事で安心して泣いたって?」彼らは口々に言う。怒られても知らないからな。
「レグルス・マルフォイ! 君フレッドとジョージに何言ったんだ!?」
「私に飛び火するのかよ……」
馬鹿共の諍いについては省略。構っていられるか。
双子の次に現れたチャールズ・ウィーズリーには「トーナメントのとき言えなかったね、スウェーデン・ショート・スナウト種討伐手腕お見事」「……ありがとうございます」ニコニコと話しかけられた。それ今する話か? ウィーズリーってもしかして全員おおよそ〝こう〟なのか?
「ポ、ポッターくん以外の方々は、
クィレル教授が説明する。
「なんでハリーだけそんな危険な——」
「
クィレル教授が頭をかしげた。吃りが消えて、瞳が無機質に瞬いた。
「帝王のご意向次第では、たとえば君たちを人質に取るだとか拷問して情報を聞き出す可能性はありますが。一方でポッターが捕獲されたらばそこには躊躇する理由すらありません。
久々の〝帝王のしもべ〟モードに私はこっそり嘆息した。あまりの物言いにウィーズリーツインズでさえ若干引いている。
「……暖炉を経由する方が当然確実だろう。とはいえ、いざ戦闘になった場合は、狭い暖炉内や身動きの取れないパス内よりは、屋外の方がある程度動きやすいはずだ。ポッターには箒の腕もあるしな」
「……事情はわかった。けど、囮役っていうのは——だって騎士団員の人たちって今ほとんど」
ポッターが言葉を切った。
クィレル教授と双子を順繰りに見る。信じられないとばかりに目が見開く。続いてずっとだんまりのスネイプ教授に視線を移した。
「まさか……」
「私は暖炉組の引率だ」
彼はぶっきらぼうに言った。事実である。
「ホラスにはここの守りを任せる必要がある」
しかしポッターは逆に確信を得たらしい。
「——フレッドとジョージが!?」
双子はおどけてVサインを示した。
「俺たち成人済み魔法使い」
「学校を脱走したその日に本部には入団届も出しに寄ったんだぜ」
「ムーディには呆れられた」
「学生は入れねえっつったのはそっちだってのにな」
「ともあれ、期せずしてってやつだ」
私としては立候補などつくづくと正気を疑うわけだが。
「でも、けれど——三組?」
「ああ、それは僕とレグルスだね」
ディゴリーがさらりと言った。「僕はチャーリーとペアだ。レグルスは、ミスター・マルフォイとだって」まァ父上が同伴してくださる以上、私の素性に関しては、いくらポリジュース薬服用後だろうがほぼノータイムで割れる。その点は伏せておくとして。
「ハリーの煮出し汁をじっくり味わえるだなんて羨ましいぜ」
「まかせろ相棒、じっくり食レポするつもりだ」
「危なすぎる! そんなの——いや誰でも危ないけど——」
「護衛はつくよ」
「だとしてもだ!」
囮だというなら、万全を期すのであれば二桁、そうでなくとも七人ぐらいは欲しかったところだが、純粋に人員が足りない。
「そこの阿呆どもがどういう意図かは知らないが——」
「スペシャルサンクススポンサー? 久々の再会早々手厳しくないか?」
「これだからお貴族様は。一度死んでも変わらないんだもんな」
「——勝算もなく、命など賭けるものかよ。グリフィンドールでもあるまい」
今となれば日和見はやりづらいが保身は有効だ。なるようになる。なるようにする。根回しと事前準備こそが物を言う。「他人に心を煩わせるのは趣味か? いい加減に自分の心配をしたらどうだ?」ポッターははくはくと口を開閉したあとうなだれた。
「……マルフォイがいないとき、毎回、僕に対して兄みたいな振る舞いするのやめてくれないか?」
「ではお望み通り、闇の帝王の代わりにここで殺してやろう」
ウィーズリーツインズに即座に羽交い締めにされた。喧嘩売ってきたのはあいつだろう私は悪くない。むしろこんなにも優しくて寛容だ。痛いのはつらいだろうから一撃で苦しませない自信があるのに。
「お父さんに見られたいの。やめな」
ひ、卑怯……。
➤
セストラル——本当になにも見えないが触ってみればいきものの感触がした。ふうんと思い、生肉をぶら下げてみると、わし……と音を立てて一部がごっそり消えた。ハグリッド教授の授業で見た光景が今ふたたび。
「妙なところでお前は……」
呆れた物言いの父上、その眼差しは虚空に固定されて、時折釣られるように動いている。見えているらしい。まァこのひとは魔法戦争の時代に現役の
「私の所在が見つかれば〝レストレンジ〟は確実に来るよ」
「……。好かれているな」
「好かれては……だったら殺そうとしないだろう」
生ぬるい感触にてのひらをさすられている。たぶん舌だ。
「女の心は複雑怪奇だ。経験が少ないとなかなか理解しがたいやもしれんが」
軽口を叩こうとして失敗するのがうちの父上である。特に私に対しては。
「……父上は母上との仲を深まれるまでに少なくない経験を積まれたので?」
「そんなことはない、そんなことはない、誤解しないでくれ。レグルス」
なんでも度々恋愛相談を受けていたのだとか。そういえば父上は在学時期は監督生だったな。私は監督生ではない上に書誌狂いなので、妙な相談事はたびたび舞い込んでくる一方、学生同士の人間関係の機微についてはとんと聞かれたことがない。疎いものと思われていた可能性は高い。そこまで疎くはない。人を動かすなら抑えておいて損はないのだ。さておき。
黄金に変化したポリジュース薬をぐいと飲む。味は——文献通りだ、飲むものではない。魔法薬の味ってどうにかならないのかな。泡立つ皮膚を眺めて嘆息する。……癪だが、私よりもポッターの方が微妙に背が高いのだよな。磔の呪文よりは痛くなかった。あんなものは一度たりとて食らうものでもないのだ。
ディゴリーたちの組が箒で飛び立った。次である。いまだに手を執拗に舐められているので、おおよその体躯と位置に見当をつけて、鼻面をさする。当たりかなこれは。湿った鼻がふんふんとにおいを嗅いで、大きく身体を動かした。擦り付けられた感触からして胴体——背中まで誘導された。鐙はないな。……まァなんとかなるか。
「行きましょうか」
振り返ると父上はなにかに耐えるような頓狂な顔をしていた。
「……その顔で丁寧な言葉が出ると……ポッターは本当に顔は父親似なのだな……」
父上をちょっと蹴ってからセストラルに飛び乗った。父上もおとなしく、別の一頭に乗った。大地を蹴る力強い一撃、ぐんと加重がかかり、風切音を立てて浮かび上がる——いやうん乗り心地を評価するならさすがに箒の方が断然いい。視覚的な安定感が全く異なる。
まともに飛行を評価していられた時間は十分にも満たなかった。
黒い影が宙を舞い、私たちに杖を向ける——武装解除でひとり落とすと「マルフォイの方だ!」と叫ばれた。
露見するだろうとは思っていたが早すぎる。
「ハローレグルス。一年とちょっとぶり? あらお父さんが付き添いなのね。相変わらず過保護だこと」
こちらはセストラルつき、手下どもとて箒に乗っているくせに、彼女は生身で空を飛んでいた。果たしていかなる理屈であるのか——ぐるりと視界が回転。髪先を呪文がかすめて散った。
「武装解除呪文を使ったあたりは物真似のつもりぐらいはあったのね? でもひとつ言っておくと、ポッターはまだ無言呪文を習得できていないのよ」
ダンブルドア元校長の墓を訪れた時に並べ立てる文句候補がまたひとつ増えた。帝王と戦わせることを想定していたなら、技術程度は最低限叩き込んでおくべきだろうが。
「親切にどうも。次から気をつけよう」
「うわあ、あなたの口調がポッターの顔と声から飛び出してくるの、すごーくヘン」
知らない声が親しげに話しかけてくる。銀髪に青のメッシュ。聞いていた通りの容姿だ——〝レストレンジ〟はまるで教室で話しかけるときのようだった。有象無象どものちょっかいは気にするまでもないが——問題なのは彼女と。
「帝王は嘆かれているよ、ルシウス! シシーもだ。私の残った妹が裏切者に転じてしまうなんて……私は信じたくもなかった……」
……付き添いの母御の方である。授業参観はお互い様だろう。
もっとも、彼女は偽者のポッター(私)には目をくれることなく——父上の眼前で火花が散った。飛び回る最中に盾の呪文は不向きだ。呪文に呪文を当ててはたき落とす。高精度のコントロールを要求する。
「ルシウス、おまえはどのような甘言を用いてナルシッサをそそのかしたんだ?」
「まるで私がシシーを誑かしたような言い様だ」
「あの子が私を裏切るなぞありえなかったんだよ!」
黒髪をたなびかせてベラトリックスは父上に肉薄した。閃光がいくつも散って弾けている。高頻度の連射には魔法検知で反応はできても動体視力が追いつかない。
「——何故裏切った!」
「ねえレグルス。あなたとやりあったことって、一度もなかったわね?」
「ッ」
眼差しを引き剥がす。金縛り呪文を弾き返して踊らせ呪文は相殺する。簡易な呪文とて組み合わせると時として最悪の効能を発揮する。たとえば先の二つの呪文が同時に当たれば矛盾した命令に四肢が裂ける。
「学友とやり合うこともそうはないだろ。防衛術の実習ぐらいか?」
「対人実習は四年からよ、忘れたの?」
まあ確かに。
「ロックハートのときはろくでもなかったし、自習では、あなたは双子と遊んでた。よくやるわよね。後半は石になってベッドの住人だった。その次の年からは——」
「——私がおまえと組むような状況を避けたな」
「やっぱり? そんなに警戒した?」
「能ある鷹が爪を隠すのは存外と難しい」
空中で火花がいくつも散った。錯乱で逸らして散らす。ゴブレットほどの魔道具を誤魔化すのは無理でも、人間程度ならなんとかなる。箒同士が衝突して眼下の樹林へと落ちていく。
「ましてや子どもは。相応の自制心を持たないか、そもそも平均を知らない。けれどおまえはそのようにしていた」
「だから驚いちゃった? 最高。怖がってくれた? 手札をなるだけ晒したくないほど? そうだといいわね」
幾重もの呪いが私を追尾する。両脇から風圧が何度か、そして加速——セストラルの飛行の仕組みは魔法力によるもので、彼らは自らの翼を用いて飛ぶわけでもないが、加速・減速時にはまるで風力で操作するが如く羽ばたくらしい。
「あなたがどうしてわたしをすぐに追及しなかったのか、そうでなくても、あなたがわたしをなぜ避けなかったのか、考えてたの。もちろん秘密裏に探りを入れる目的もあったでしょうけど。らしくないわ、ロックハート相手だって初回で堪忍袋の緒が切れた。あなたは短気だわ、だというのに、わざわざどうして手元で泳がせた——」
〝レストレンジ〟は並走しながらもころころと笑った。彼女とは顔も声もまったく似ても似つかない黒髪の青年は、チェスゲームで勝つたびにそういう笑い方をした。存在しない人間だった。呪文を躱すたびに銀髪が靡いている。
「自己犠牲なんて一番嫌うたちでしょ。弟くんに近寄らないように目を光らせたかったの? それともまさか、ポッターに情が湧いた? ダンブルドアに気を遣った? 寮じゃあの人のこといつまでも居座っている老いぼれとか言ってたくせにね」
喋りながら失神呪文を連発するのは辞めていただきたい。こちとら見えないセストラルを守る必要があるのに。……死の呪文が一度も飛んでこない。ドラコは上手くやっているご様子だ。
「私はよくよく見られていたようで」
「正解はあった?」
「どうだろうな」
「つれないわね」
ルートから逸れつつある。マグルに見つけられるやもしれん。父上と示し合わせて修正したいのだがさすがにその余裕もない。
間に合うとよいのだが。
「おまえは裏切った、何故裏切った! 帝王には探さぬ不義理さえも許されたというのに!」
ベラトリックスは明らかに激昂していた。裏切者を追い詰めるためだけでもなく——他の
「息子がやられたから、たかがそれだけか!?
ルシウスはニレの杖を握り直した。ここ一年で取り戻しつつあった戦闘の勘が、今に至って、急激に活性化している。
「あの方はいずれ死をも克服するとおまえとて信じていただろうに! だから私はあの子をおまえに託した——おまえを同志だと思っていた——あの御方は死の淵からも蘇った、いずれは死者をも蘇らせるだろう! であれば、その間の死など些事に過ぎぬ! 死はあの方の審判を待ち望む些細な猶予期間でしかない——おまえはかつて同意したゆえに仮面を賜った!」
これらはベラトリックスの狂信ゆえの認識——でもない。ゆえにこそ彼らは〝
「過去はそうだった」
ルシウスは言った。頭は妙に冴えていた。
「しかしベラトリックス。おまえも親であるなれば——」
「——親であるなれば? まさかおまえの不義理に同意できると?」
ベラトリックスはせせら笑った。
「我が子が帝王の名のもとに殉ずる。もっとも名誉なことだ!」
「塵芥虫のように手で払われてそれを名誉と呼ぶのか? 子どもの命がただの踏み台にされてそれを名誉と呼ぶのか?」
仕組まれた選出。レグルスは命乞いの余地さえもなく死の呪文に射られた。そこにいたのが誰であってもなにも変わらなかったはずだ。自らさえ上手く立ち回れば——ルシウスの慢心は、あるべきだった未来よりも早期に破られた。
「親であるなれば——おまえはドラコを誇るべきだろうね」
「ドラ——なに?」
ルシウスの杖捌きがわずかに乱れる。末息子の名前が今出てくる根拠がわからなかった。長男のことがあってからというもの、ドラコはきわめて聞き分けよく慎重になった。
「そして親であるなれば、帝王に我が子を捧げられることを喜ぶべきだ!」
ルシウスが義姉の言葉を吟味している暇はなかった。ベラトリックスはさらに高く声を張り上げた。
「
「——は?」
「デルフィーニ……愛しい我が子——名誉なことだ。あの方の生のため——」
ルシウスは絶句し、言葉を詰まらせた。なにをしたのか——明確な言葉はなかったが、彼は、今までの情報とベラトリックスへの理解、自らの直感から、悟った。
己が血を分けた子供を喜んで贄の如く——ルシウスには全く理解できない思考回路だ。いくらデルフィーニが不思議な記憶を持ち合わせていたとしても、いくら優秀だとしても、たかだか成人になったばかりだ。もちろん、それを当然のように
「……狂っている……」
「おまえこそ狂ってしまった」
ベラトリックスはいよいよ、憐れむが如く冷たく言った。振り上げた杖——彼女のもとに
『引き上げろベラトリックス』
——ヴォルデモート。
ベラトリックスは目を見開いて「しかし我が君——」と言った。ヴォルデモートは忠実なる下僕の返事を聞くつもりはなかった。彼の声は明らかに苛立って、動揺していた。
『グリンゴッツで民衆の暴動が起きているとの報告が上がった。規模が大きすぎる、貴重な魔法使いの血を減らせん。鎮圧に手を貸せ』
➤
——遡ること半月前。
「グリンゴッツ侵入はつまり至難の業ということになりますか」
羊皮紙の内容をあらためた上での再確認。私の問いに「そ、そうですね」クィレル教授は頷いた。
「ぜ、前科者としても、て、て、帝王の補助がなければど、ど、ど、どうにもならなかった、という結論でした」
有識者がいらっしゃると便利ですね。
グリンゴッツ侵入の有識者がなにかといえば、そりゃあグリンゴッツ強盗の前科者だ。
「し、し、侵入者を検知した時点で、ぬ、盗人落としの滝が発動します。あ、あ、あらゆる魔法効果を強制解除するため、め、めくらましやポリジュース薬も、む、無意味です。く、加えてドラゴン——」
マルフォイ家の金庫を訪問する際に見たことがある。盲のドラゴン。痛々しい傷痕がいくつも残っていた。
「な、な、なによりも、か、鍵が問題です。正式な鍵以外では、ぐ、グリンゴッツ勤めのゴブリンでなければ解けません」
「ちなみにクィレル教授はどのように突破されたのでしょうか」
「ふ、服従の呪文でゴブリンを操りました」
まァ妥当か。
「そ、そ、そもそも七一三番金庫は当時、せ、セキュリティがきわめて手薄でしたので、侵入しやすかったこともあるでしょう。な、なにせ、中のものがなかったので……してやられ……わ、我が主には散々とお叱りを受け……」
言いながらクィレル教授は落ち込み始めた。そこで成功されていたら今は既に帝王の完全勝利、統治の時代だったろうから、それで良いとして。
「そ、そもそもレストレンジ家の金庫の場所もわからない——まァ、ともあれ、こ、こ、これらの障害によって、き、騎士団側でも頓挫した次第です」
「魔法省経由で押収を命じるのは難しかったのでしょうか。囚人の財宝となれば、なにかと適当な理由を付けられそうなものですが」
「案にはありましたが——な、なにせ、く、クラウチ゠ジュニアの証言で判明した事実でしたので……」
「ああ……」
つまりファッジ決別後か。ならば難しかったろうな。
行方不明扱いのグリフィンドールの剣、八階の壁に埋まっていた——必要の部屋に隠されていたレイブンクローの冠と比べ、ハッフルパフのカップは場所が完全に判明している
「……
そこまで堅牢なセキュリティとなると、金庫の鍵を持つ本人でもなければ取れないだろう。ゴブリンには私も個人的な伝手はない。鍵を持ち合わせているのは、ロドルファス、ラバスタン、ベラトリックス……〝レストレンジ〟も含まれるか。
「
「だ、だ、ダメでしたね。一人どころか、一匹たりとも侵入させない……」
やはり試したことはある口ぶりだ。——ふむ。
「——侵入者が検知できる体制が機能していなければよいのでは? あるいは、検知できたとしても対処している暇がないか」
一見何の変哲もない羊皮紙こそが、焚火の者共への連絡手段である。
『君らが無事だったのは良いんだけどところで僕今すぐこれ燃やしてもいいかな?』
羊皮紙越しにデイビースがなにやら喚くので「問題ないと思うなら」と口にすれば、その通りに文字列が浮かぶ。すぐに『だめなやつだ……』と絶望しきりの筆記が返ってきた。
問題ないと思うなら構わないよ。
本当に問題ないと思うならな。
「グリンゴッツ侵入について話し合う日が来るだなんて思ってもみなかったな……」
『なんだセドリック、初めてなのか? 経験が足りないなあ』
『俺たち三度目だぜ。マジで実行する前提なのは初めてだけど』
「逆になんで君たちは話し合い自体は初めてじゃないんだ。レグルスは前々から君たちとこの件を話していたのかな?」
「クィレル教授としか話していないが?」
「本当になんで話し合ったことがあるんだい?」
何故だろうな……。
「……意図していることとしては……」
話を戻す。
「ガリオン、シックル、クヌート、これら従来の通貨手段が廃止される、という噂を流す。それに伴い、グリンゴッツが閉鎖される——あくまでも断言はしないにしても——」
戦時下に従来の通貨が使えなくなる事例はそこかしこにある。帝王の威光をたたえて新たな通貨を作るとかなんとか適当をほざいておこう。リテラシーが高ければ疑うだろうが、重要なのは〝ありえるかもしれない〟と一瞬でも、一人でも多く思わせることである。
魔法界に明確な名称はないが、マグル界ではたびたび見られる現象——不況、不祥事、経営悪化、ネガティブキャンペーン、諸々により銀行の信用が落ちることがある。自らの預金の喪失を恐れた利用者たちは、先んじて預金を引き出そうと銀行に殺到し——結果的に有金すべて引き出された銀行が倒産の時期を早めることもある。俗に取付騒動と呼ばれている。それらの中で興味深いものがあった——私が生まれる何年か前、一九七〇年代に極東で起きた事例だ。ある銀行が倒産する
魔法界は狭い世界だ。ホグワーツの学生なら親戚伝いに話が伝わって〝ああ、あの子ね〟で通じたりする。魔法省員ならば日ごろから顔見知りの可能性も高い。たとえばディゴリー家とウィーズリー家が顔見知りのように。ウィーズリーは特に髪の毛と顔立ちでほぼ一目瞭然、長男がグリンゴッツの呪い破りなこともわりと有名である。今は雲隠れしているがゆえにこそ信憑性がある。エイモス・ディゴリーはまァ私は好かないが彼の人柄は良い方で、方方からも慕われている。デイビースの交友関係は純粋に私とて感心している。彼の就職先はクィディッチ雑誌記者である。同学年でもほぼ真っ先に内定していた——コネクションを駆使して第一志望にポジション作ってねじ込んでいた。手際が良すぎる。貴族か?
「——上手く焚き付ければパニックを誘発できる。ポッター移動の当日に調整すれば——
ディゴリーが眉をひそめた。
「僕はあまりいい手だとは思わない。人を巻き込みすぎる——パニックは怖いんだよ。混乱した民衆に
「取れないな」
「だったら」
「だからそこまでは私が起こさないようにする」
私はさらりと言った。
「君の計画では当日君は移動中だろう」
ディゴリーはさらに厳しく言った。追及はごもっとも。頷いて、胸元にかけたチェーンネックレスを引き出す。
「
最終課題の時にはペンダントトップ代わりに命の水を引っさげていたが——ローブの隙間から現れた
「なんであるんだい? 神秘部は崩壊して今ある在庫は全部なくなったはずだ。君の家の——?」
「うちのはなくもないがちょっとおいそれと出せない。遡れる期間が些か長すぎる」
「いや普通のそれもおいそれと出しちゃダメだよ。普通の?」
「ただの生身で十二科目馬鹿正直に受けられるわけないだろ。私はプラナリアでもウィーズリーでもない」
『なんでナチュラルに僕たちへの暴言が入るんだろうなこいつは』
『構ってほしいんだろ、察してやれよ相棒』
紙面上なのを良いことに言いたい放題である。
「——学校の支給品ってことかい!? 全科目履修者ってそんな無茶を——そうだとして君それはホグワーツに返すべきだろ!?」
「それはな、普通に忘れてた」
「君が!?」
私とて身内が行方不明で焦っていたら普通にやるべきことを失念することもある。スネイプ教授から突っつかれてないあたり、神秘部崩落でどうせ魔法省も把握できていないのだから持っていろ、との意図なのか——案外彼も忘れているのかもしれない。
『坊っちゃん今度はなにやらかしたの』
『セドちゃん今度胃薬贈ってあげような』
「ありがとう! 要らない!」
多方面から徐々に流していく。たらればの憶測を広めていく。最初の三日は笑い飛ばす者の方が多かったとのこと——次の三日は少し真剣に聞き始める者が増え——次の三日は流してない範囲の噂も始まった、グリンゴッツさえ
——当日が訪れる。
「——デルフィー! 中止だ! 撤退する!」
「え? でも——」
〝レストレンジ〟は当惑の表情でベラトリックス伯母上を振り返った——私はセストラルの首筋を軽く叩いて、方向転換を促した。父上の傍に回り込む(ついでに一人撃ち落とした)。念の為杖を構えていたが、黒い影たちは次々に逃げ去っていく。ベラトリックス伯母上に耳打ちされた〝レストレンジ〟は表情を強張らせて、こちらも消えた。
「……行きましょう。彼らが戻ってこないとも限らない」
「——ああ」
父上はひどく動揺されているようだった。杖を握り直し、彼は虚空を——たぶんセストラルの脇腹を——軽く蹴った。父上が前に出て、私はあとに続いた。
その後空の旅では一言も話すことはなかった。
「ただいま戻りました」
聖マンゴ入院時期を含めておよそ一年ぶり——体感半年ぶりの我が家である。「おかえりなさい」記憶よりも母上は若干やつれたようであった。
「兄上……不在中にW.W.W.とかいうところから荷物が届いていたから、自室に置かせておいたけど」
「は? あの阿呆ども……ありがとうドラコ」
送り主を察して露骨に〝うわ……〟と言わんばかりの顔をするのをやめなさい。
自室に上がって——本当にある、開けたくない、というかこれがあるなら何故わざわざ盾の帽子なぞ送ってきたのやら——ともあれ。時計を回す。四時間ほどでいいはずだ。
姿くらましでダイアゴン横丁へ。目くらましで姿を消す。
「金庫からあるだけの財産を出すようにと旦那様から指示を承っております」
クリーチャーは嗄れ声で言った。私は別に旦那様でもないがちょっと盛ってもらった。ゴブリンはさっと鍵を眺めて顔をしかめた。
「こちらは——ご利用できません」
ブラック本家の金庫は、遺産継承者として登録された魔法使いが直々に訪れなければ開けられない。これはブラックに限らず、貴族本家で大抵利用される対策だ。個人の所有資産ならまだしも、本家のそれとなるとたまにとんでもない呪いの品だの家宝だのが混じっている。
「しかし旦那様からの御命令なのです」
「できないものはできません」
受付のゴブリンは、これだから
「——引き出せないって?
さてまァ貴族に生まれたならば当然のルール——だがこれを一般庶民が知るはずもない。予め敷いていた噂のこともあり、ホールにはいつも以上に人がいた。噂に踊らされてグリンゴッツを確かめに来る不安性ばかりが集まっていた。
「やっぱり、もう引き出せるものがないんじゃないか?」
私は言った。大きな声で——グリンゴッツのホール全体に響き渡るように。
パニックは引き起こされた。じつに予定通りに。
➤
グリンゴッツにおける暴動——デルフィーニの知識では、一九九〇年代にそのような出来事は
しかしダンブルドアは一年早く死んだ——なにか手を打っていたとしたら。
「まさかね……」
デルフィーニは首を横に振る。ダンブルドア、あの老いぼれ、父に勝るとも劣らぬ秘密主義者が、ポッターならばまだしも、他の誰に虎の子を明かせているとも思えない。実際、
愚昧たちを宥めるのはそう難しいことでもなかった。そもそもが根拠のない噂話だ。立て続けの異常事態で不安感を募らせていたところに自然発生したのか、あるいは、騎士団側のプロパガンダか——とはいえこの手の方法は彼らは好かないだろう。まるで御伽噺の英雄の如く、無辜の人々の犠牲を好まない。だから死ぬんじゃないかしらとデルフィーニは他人事のように考えた。正しく他人事だったので。
ハリー・ポッターは殺せなかった。レグルス・マルフォイも取り逃がしてしまった。とはいえ、今回ばかりはお咎めもないだろう。他のどこぞ、たとえば魔法省内で何事か起きた程度ならまだしも、場所が場所だ。デルフィーニは父の懸念を尊重した。彼女自身も不安になったぐらいだ。
「レストレンジ家の金庫を確認したいのだけど」
「ご案内いたします。少々お待ちください」
鳴子を取りに行くゴブリンを眺めて、ベラトリックスは呆れたように嘆息していた。
「
「仕方ない、仕方ない。下の尻拭いは上の務めですから」
「デルフィー、あなたは優しすぎるよ。叱ってやるのも上の務めだとも」
ベラトリックスは優しくデルフィーニを窘めた。
「でも悲鳴って耳障りですよ。甲高くて」
「あれの良さが分からないあたりはまだ子どもだねえ」
デルフィーニは肩をすくめた。殺すなら死の呪文、生け捕りだとしても失神呪文の方が彼女は好きだった。磔の呪文は必要であれば行うがあまり好きではない。悲鳴が煩いこともあるが、なにせ拷問中の人間はのたうち回って邪魔くさいし、吐いたりみっともなく泣いたりするので部屋も汚れる。
トロッコはグリンゴッツ内部を縦横無尽に走った。ドラゴンを横目に金庫を開け、中身を確認する。ハッフルパフのカップは金銀財宝の上に鎮座していた。
「よかった……! 問題ないようだ」
ベラトリックスはたいへん安堵した。「リストも——大丈夫そうですね」デルフィーニは金庫の目録と中身を照らし合わせて、確かめた。
金庫の扉が音立てて閉められる。地下深くの暗がり、光も音も訪れぬ金属製の箱の中で「【
「……つまり、これがかの〝カップ〟かな。というか金庫内の財宝……双子の呪い……なんだ他は、灼熱の呪いか? 盗人対策に余念のない」
溜息をついたレグルスは杖を振った。呼び寄せ呪文も、浮遊呪文も無効化されていることを確認。杖をしまって、脇の
「クリーチャー。これ運べるか?」
「可能です」
「さすが。ちなみに姿現しは?」
「なにも問題ございません」
「あまりに有能だ。レギュラス叔父上が羨ましいな……」
しみじみと言ったレグルスに「これは内密にすべきお話なのですが……」クリーチャーは声をひそめた。
「レギュラス坊ちゃまは、レグルス坊ちゃまがいないところでは貴方様のことを〝甥っ子〟とお呼びですよ」
「起きたら絶対それで揶揄います」
「揶揄うのはおやめになられてください」
「はい」
クリーチャーは指を鳴らした。彼ら二人の姿は金庫内から消え去った。ハッフルパフのカップもレストレンジの金庫から消えた。
➤
思いの外時間がかかってしまった。姿現しで自室に戻り、消音呪文を解除すると、すぐにノック音が響いた。
「父上と母上が、落ち着いたならば一度降りてくるようにと」
「わかった」
ローブを一通り清潔にしてから扉を開ける。ドローイング・ルームに降りると、父上と母上がいかめしい顔で席についていた。
「レグルス」
「はい」
「座りなさい」
嫌な予感がするものの大人しく座った。「ドラコも」と示されて、ドラコが私を見る。目線で促せば座った。
「——どちらが言い出したことだ?」
——バレた。
目的語はなかったがなくてもわかる。反射的に立つと「座りなさい」と(今度は強めに)言われた。
座り直した。斬首される直前の罪人の気分である。我が親相手に一月はむしろ持った方か。
「……私が入れ知恵しました」
観念して白状した。
「発案は僕です」
ドラコが食い気味に言った。「兄上には最後まで反対されました」当たり前だろと喉から出かけてすんでのところで飲み込んだ。手土産を持たせたこととて苦肉の策だ。露見しなければむしろ安全だが——露見したとき、そこに命の保証はない。
「スパイごっこではないんだ、ドラコ!? 遊びでは済まされない——帝王は捕虜よりも裏切者によほど手厳しい」
「だからこそだろ!?」
ドラコは強く反駁した。
「知らないはずないだろ父上、スネイプ先生はいよいよホグワーツから排除された! 今度こそ
ドラコは小生意気だが、家族を尊敬している。文句や我儘を言うことはあっても、本気の叱責に反論することはそうはなかった。ここまで強く噛み付くことは尚更だ。
「帝王が
ドラコが天板を叩く。マホガニーのテーブルはびくともしなかった。
「兄上は土台無理だった。父上だって堂々と裏切った。母上が向かったら帝王の前にそもそもベラトリックスが——僕しかいないだろ!」
「
父上が大声を出したのは久々のことである。左肘の内側を押さえた。ドラコは一瞬ひるんだ。この子もまた左腕に手が伸びる。
「焼け付く痛みに怯え続けることになる。私は——私はもはやお前を庇えない。どうして……どうして危険なことばかり……」
嘆く父上の横で、母上が天井を振り仰いだ。私もつられて天井を見上げる。シャンデリアは絢爛に、壮厳に、私たちを照らしている。
母上は——眩しさを振り払うように首を振った。
「……既に……どうしようもありません」
うすい色の瞳がドラコに戻される。
「……露見してはいないのね?」
「それは、もちろん」
ドラコは短く頷いた。
「細心の注意を払っているのと——たぶん彼らはそもそも手段に気づけません」
「手段?」
ドラコが懐を探り、ことんとテーブルに置いた。薄い箱じみた物体に母上が眉をひそめた。
「これは……」
「兄上からいただいた
「
私は溜息混じりに訂正した。マグル学を取らない弊害はこういうところにある。
「マグルの物品で、魔法を使わなくても遠くの人に音を届けられる代物なんだ。ごく最近開発されたので帝王も把握していないと思う」
母上は珍妙な表情を浮かべた。
これを渡したときのドラコも同じ表情をしていた。
「……何故そのようなものを持っていたの?」
「使えるかどうかは評価すべきで、使えるものは確保しておくべきだと思う」
「あなたは本当に……」
「アーサー・ウィーズリーのマグル趣味も使い所かと存じますよ。一度確認してみては」
頭を抱えられた。
「……それで、レグルス、グリンゴッツに仕込みを行なったのはお前だな?」
「……。どこからわかりましたか?」
「お前のやり口が私にわからないはずがあるか」
なるほど。もっと隠蔽力を上げねば。
「
ドラコと母上がいるからか、なるだけぼかした物言いの父上に「まあ」と曖昧に頷く。
「……まさか盗んだりは——」
観念して両手を挙げると「じっとしていられないのかお前は」父上が呻いた。じっとはしていられるのですが。
「いや……いい。その件だ。確証はないが——おそらくデルフィーニが
一瞬、なにを言われているのか理解できなかった。内容を吟味する。同じ存在。カップと同じ存在とはつまり。
私は言葉を絞り出した。
「帝王は気が狂っておいでで?」