【完結】獅子座α星が、ふたつ   作:初弦

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2年生にそこまで期待するな

「素晴らしい成績だった。おめでとう」

 父上は稀に見るほどの上機嫌だ。実際昨年度、私の成績に勝る同級生はいなかった。このままならば首席も悠々と取れる。

「なにか記念のプレゼントでもやろう。そういえば、そのミミズクも十年近くの付き合いだな……新しいペットだとかでも良いかもしれない」

 父母曰く、いつからか、幼き私を見守るかの如く、窓の外をずっとうろうろしていたミミズク。多少追い払っても逃げる様子は見せず、魔法は器用に避けるので、どこぞの梟便ブリーダーから逃げ出したのではないか、というのが我が家での有力な説だ。魔法省に登録された動物変化(Animagus)にミミズクはいない。動物変化(Animagus)の成功者は実のところそう少なくなく、ただ未登録であちこちに隠れ潜んでいるだけなのかもしれない、と私が勘ぐっている原因でもある。

 なお、俎上に挙げられた彼は今は私の頭の上にてんと乗っている。頭が重いのでできれば退いてほしい。退いてくれないままの頭を揺らさないよう位置を維持しつつ、しばし考える。やがて考えもまとまったので「ペットはべつに……けれど、検知不可能拡大呪文がかかった鞄はほしい」と要求した。

「このままでは蔵書が入らない」

「……お前が望むなら用意するが、私はホグワーツにまで付き添えるわけではない。ホグワーツの忌々しい規則のため、我が邸の屋敷妖精(House elf)をつけることもできない。多量の本を格納したとして、軽量化にも限度があり、城内で運ぶのはお前だということは自覚しているな?」

「……。頑張ります」

 なんか、こう、どうにかして。なんかいっぱいどうにかして。「新型のニンバスだとかをねだってもいいのでは」ドラコが尋ねるので「それはおまえがねだりなさい」私は流した。べつに私は新しい箒はほしくない。動くならそれで。

 この間、ミミズクは私の頭の上でくるくると首を回していた。今し方ペット扱いされ、更に処分されかけていた(父上のことは私は好きだが、しかし〝古くなり、不要となった〟と烙印を押した動物の世話や行き先を考慮するとは思えない。マルフォイにお下がりという文化はない)とは思えない呑気さである。ペットについては私が断るとわかっていたのだろうが、それにしても。

「……レギュラスは、正体を明かしたりはしないのですか」

 存命の親子ですらJr.ないしSr.とつけることはあるけれど、この名を口にすると、己を呼んでいるようでどうにも不思議な感覚に陥る。

『ルシウス殿も、シシー……ナルシッサ嬢も、確かに旧知だけれどね。知らない方が何かと役に立つこともある』

 ミミズクはてんと肩に降りて、私の頬に寄り添った。少なくとも正体を知っていたらば、口が裂けても〝新しいペット〟などという提案は父上は行わなかっただろうに。

 一度従叔父上の現存する写真を見せていただいたことがある。今の私と同じ、スリザリンのローブを身にまとい、はにかんだ笑みを浮かべていた。選手仲間に肘でつつかれて、唇を尖らせ、つつき返すじゃれ合い。写真はかつての記憶をそのままに繰り返す。お前の名前は彼から取ったのだ、と述べる父上はその瞳に間違いなく寂寥を滲ませていた。母上は従姉弟であるからして無論のこと、そして父上も、貴族同士のパーティー等で顔見知りの遠縁の親戚、同寮に入り、戦争でも()()()()についた少年を、気にかけていたらしい。闇の帝王を裏切り、死に至るまで。……死に至っても、なお。

 当の本人生きていてなんならそこにおりますが——とその場で指摘できるほど、私はそのとき、愚かにはなれなかった。しかし、生きていると知らない限り、彼らが語る従叔父上の物語は常に過去形で、そして悲しみがにじんでいる。人間に戻った従叔父上は、写真の面影を残しながらも、より落ち着いて大人びた顔つきに変化していた。そろそろ十年を数える付き合いで、私ですら、一度しか見たことがない。

「闇の帝王も既に居られないのに?」

『……何事も用心し過ぎるということはない。ところで、課題は順調かな』

 露骨に話を切り替えられた。「全く問題ありません」もはや話の続きはないと悟り、私は事実だけを述べた。

 実際、指示された課題のうち、未消化のものは残りわずかだ。計画よりも少し前倒しに進められたので、想定よりも長い時間、天文学の星空観察に割けるかもしれない。なにぶん天候に左右されるため、余裕を持って取り組めるに越したことはない。

 ラジオ越しにはクィディッチワールドカップの歓声が響いている。イングランドチームが得点したらしい。興奮する実況の声に耳を傾けながら、紅茶をゆっくりと口に含む。目をつむる。空調の効いた室内で、小鳥のさえずりが時折響き渡っていた。

「テレビを導入してはいけないのかな……」

『そういう言葉、外で堂々と言ってないだろうね』

「そこまで迂闊ではありませんよ。……本当ですってば。信じてください叔父上、可愛い甥っ子のこの澄んだ目を見て」

『従叔父上で従甥』

「可愛いことは否定されないのですね、よかった。従叔父上に可愛がっていただけて嬉しいです」

『……。僕としては君の成長が思いやられる。どうか、兄上の如く心ない軽薄な言葉を並べ立てる人間にはなってほしくないものだ……』

 ミミズクが冷めた目で私を見下ろした。私は微笑んで、さりげなく目を逸らした。

 実際、マルフォイの名前でマグル製品を出す愚かさは、重々承知している。マルフォイのやり口はもはや我が家の伝統だがしかし間違いなく純血貴族だ。体裁というものがある。

 それはそれとして、印刷技術もラジオもマグル発祥なのにテレビはまだってどういうことだ? ラジオと発明時期もそう大差ないのに? 他国まで現地観戦しに行くほどの興味はないにしても(ドラコは観たがっていたが、父上の商談の都合で今回はなしとなった)しかし、できれば映像で観戦したいという願いは、そう珍しくものではなく、難しいものでもないだろうに。

 不服を感じながら紅茶をまた口に含んだ。ドビーの淹れた紅茶は芳しく味わい深い。白湯の味気なさに慣れた身に沁みる。ホグワーツで提供されるお茶とも異なる舌触り。

 

   ➤

 

「マグル学のクィリナス・クィレル教授は本人たっての希望により、今年一年間は研究旅行で不在となる。というわけで、今年のマグル学はチャリティ・バーベッジ教授が——」

 クィレル教授——私は思い返す。マグル学はただでさえ純血主義には見下されがちな学問だ。マグルと関わらない限り不要だからな。実際、現場の人間はマグルとの折衝が必須で(魔法界人口と比較してマグルの人口がどれだけだと思っている)魔法省上層部となるとそれはそれでマグルと関わらないわけがないのだが、中間層は実に幅広く、大半を占めている。魔法界もマグルの社会もその点は変わりない。

 クィレル教授の吃音はおそらくその傾向——つまり、軽やかな見下し——に、拍車をかけていた。気がする。人は日頃の言動で無意識に他者を評価する。外観に気を取られる者はあまりに多い。私とてその一人だ。容認発音(Queens English)と、相応の仕草が育ちの階級を示している。示しているというように取られる。まァ今年不在であればそこを気にかけることもないだろう。

 週末には時折焚き火をする。アッシュワインダーが顔を出す。炎から身を乗り出して、頭をもたげ、私を見つめてちろちろと舌先が揺れる。肉を焦がして差し出してやれば待ってましたとばかりに食いついた。アッシュワインダーの生態を考えれば、間違いなく別の個体のはずだが……まるで学習でもしているようだ。

 焚火を熾す際はべつに誰に言うでもなく、なんなら時間帯もまちまちなのだが、いつの間にか必ずウィーズリーどもが寄ってきて、そこにたまにディゴリーも顔を出す。デイビースも、これまたたまに。後者二人はともかくウィーズリーの双子はなにをどうやって毎回突き止めているんだ。私の位置がわかる魔法でもかけているのか。そうだとすれば気色悪過ぎるし気づけぬのは忸怩たる思いだ。呪いがかけられている様子はないとはミミズクの言葉だが。

「我がレイブンクローに新しい女の子が入ってね、東洋系の——」

「チョウ・チャンか」

 今年レイブンクローに入った東洋系の女性は一人しかいなかった。

「……本当に入学式こっきりで覚えるんだな」

 デイビースの若干引き気味の笑いを無視して、私は火の加減を調整した。ホグワーツ入学よりしばらく経ってから気づいたことだが——それまで、私の周囲の同年代の子どもといえば、貴族のパーティでまれに顔を合わせる以外は、ドラコしかいなかった——私の記憶力は高い方らしい。確かに、幼児健忘以降、物事を失念することはあっても、真に忘れることはそうはない。

「ああ……あの子か。かわいいよね」

「ヒュー! もう唾つけてるのか?」

「真面目な顔して手が早いなディゴリー」

「そういうのじゃないってば! ……僕も今年の入学式は注意して聞いていたのに、半分も覚えられなかった」

「体質と傾向というものがある。向き不向きも」

 ディゴリーはあいまいに笑った。「君って人に気遣えたんだな」「失礼には失礼を返すだけだが。おまえたち相手のように」「あ?」ウィーズリーの片方が笑顔で杖を構える一方で「フレッド、フレッド、クールに行こう」もう片方が抑え込もうと必死だ。なかなか愉快な見世物である。クラウンとピエロの装いがきっとよく似合うだろうな。将来はそちらに進んだらばどうだ?

「ともかく——」

 デイビースが強引に話を戻す。

「箒の飛びっぷりが、一年生の中で群を抜いて優れている。きっと来年にはチェイサーだ。スリザリンの栄光は去年だけかもな」

「なんだ自慢か」

「それも皮算用の自慢だ」

「とはいえ、スリザリンの栄光が去年だけというのは事実だろうね。なにせ今年の優勝杯はハッフルパフがいただくから」

「言うじゃないかセドリック!」

 そういえば、この場に揃う顔ぶれは、私以外の全員が今年度からクィディッチ選手に選ばれていた。上級生と競り合って勝ち抜ける実力があり、実力を培った興味と努力があるのだろう。……ここで万一にも箒の小突き合いに興味はないとか言った場合、三方から袋叩きにされかねない。余計な口は叩かぬよう口をつぐむ。

「——ほう、これはこれは。立派な四寮会合じゃの。わしも参加しても?」

 自寮の新入生の豊作具合を自慢していたデイビースが飛び上がり、ディゴリーさえもさすがに、お得意の優等生じみた笑みが若干凍りついた。「「ダンブルドア!?」」とユニゾンが響く横で私はアッシュワインダーに焦がした肉を差し出す。

「グリフィンドール色が濃くなりますね……ウィーズリー、どちらか去れ」

「俺たちを引き剥がすって言うのか?」

「マーリンの髭! 最低で冷徹だ」

「両方でも構わないぞ」

「お貴族様は全くこれだから」

「自分が動くという発想がないんだものな」

 大袈裟に嘆く片方、呆れたように首を振るもう片方。つくづく彼ら、好き勝手喋らせると本当に騒がしい。ダンブルドアは興味深げに双子のパフォーマンスを見守っている。どうせならこれらを引き取ってくれやしないか。

「とはいえしかしだ」

「君の理屈も認めてやろう」

「焚火を維持しているのは間違いなく、マルフォイ、君の魔法だ」

「けれどなマルフォイ、よく考えてみるべきだ」

 辟易と眼差しだけを向けると、ツインズは瓜二つの笑みを浮かべて菓子の袋を振る。悪童の笑み。

「今日マシュマロに加えてチョコレートとクッキーを持ってきてやったのは、いったい誰だと思っているんだい?」

 ……頼んだわけではないが、普段はマシュマロだけをお供にする焚火の集いで、別種の菓子まで大量に掻っ払ってきたのは確かにウィーズリーども。そして焼いたスモアは美味しかった。使える下々に報奨をやるのは上に立つ者として当然で——困った、今回はウィーズリーに理があるな。「全く」唇を舐めて嘆息する。

「……卒業後ならセーフじゃないかな?」

 と、提言したのはディゴリーだ。

「先生だって、今から組分け帽子を被ったら、もしかしたらグリフィンドールではない寮を呼ばれるかもしれない」

「おお確かに、組分けは公平だとしても絶対ではない」

 ダンブルドア校長は訳知り顔で頷いた。そもそも誰もここに集まれとは言ってないわけだが。……初めにお好きにと述べたのは私か。なるほど言葉には気をつけるべきだ。このようにして人は教訓を得る。

 好々爺の顔をした老人が三歩近寄ると、アッシュワインダーはぬるりと炭の間を這ったのち、焚火の中に隠れた。

「おや、怯えさせてしまったか……」

 ダンブルドア校長は悄然と顔を曇らせた。

「人の気配が寄ってくると逃げるんです。すぐに顔を出しますよ」

「なんと、なるほど。それでは待たせていただこうかの。ありがとう、ロジャー」

 あなたほどの魔法使いが魔法生物の生態を知らぬわけもあるまいに、と、内心思う。口には出さない。まァホグワーツ理事にして元死喰い人(Death eater)、の息子が各寮同級生と集まっていたらば気にもなるか。誰も集まれとは言ってないわけだが。強調、ふたたび。

 私は杖を振り、マシュマロとチョコレートをクッキーで挟む。生徒の様子を視察しに来た校長よりはおやつの方が重要である。私には後ろ暗いことも特にない。父上には……あるやもしれないが、私はその現場を真に目撃したことはなく、確たる証拠すら持ち合わせていない。「今度はカラースプレーチョコレートを持ってくるかな……」独り言つと横にパッと袋が現れた。レインボーのカラースプレーチョコレート。校長を見遣るとウィンクされた。

「……ご厚意は大変ありがたいのですが、ここまでの量は使えませんし放置していると炎で溶けてしまうので、大部分は元の場所へ戻していただけると……」

「すまぬ」

 親しみを覚えさせるためのわざとか本当に細かいところが雑なのかどちらだ。今回ばかりは後者な気もするが。

 

   ➤

 

 闇の魔術に対する防衛術は年によって当たり外れが激しい、とは父母からも耳にしていた話である。単純な理屈で、ここ半世紀ほど、防衛術の教授は同じ人間が一年続いた試しがないからだ。誰がどう担当しようとも一年保たない。たとえ緻密にカリキュラムを組もうとも、あるいはその場しのぎに適当に授業を執り行おうとも、平等に一年保たない。ああなんたる不平等。不平等の代表例たる純血貴族に生まれておきながら私は心底そう思う。もはや防衛術の講師職はなにかしら呪われているのでは? そのような与太話すら蔓延るほどだ——さて、堅牢なるホグワーツに呪いをかけられる魔術師とは。たった一職、一点特化にしても、アルバス・ダンブルドアの守りを貫通する呪いである。ゲラート・グリンデルワルトか闇の帝王か、実現可能性がない。実現可能性のある二人はホグワーツ職にわざわざこだわることもないだろう。

 与太話は置いておく。

「今年は当たりだけど、いつまで持つかねえ」

「さてな」

 ぼやく同級生(同寮:スリザリン)に私は肩をすくめた。今回の授業で取り扱われたのは、武装解除呪文だった。初歩の初歩であるが、しかし武器の奪取は戦闘において間違いなく重要な要素だ。教科書に則った理論の指導、詠唱におけるスペルや杖の振り方、発音の修正。的を用意した上での実践。なんとも手堅い教え方である。物足りないと思わなくもない——が、昨年度に比べれば十二分にマシだ。

 翻って、比較される昨年度はどうだったのか?

 ……記憶領域に割くべき出来事と忘れ去るべき出来事というものがある。昨年度の防衛術教師は後者に当たる。ゴーストたるビンズ教授はできれば早急にクビにしていただきたいというのは私の紛うことなき本音だが、しかし真っ当に授業をするだけずいぶんとマシなのだ。

 昨年度の防衛術授業について、難点を論うならきりもないが、大人しく教室で授業を受けていただけ、私もまだ忍耐を有していたといえる。一年で代替わりが保証されるなれば、余程のことでもない限り、反発やボイコットは行うだけ無駄だ。辛抱の耐久レース。結局のところ昨年は、実家を継ぐとのことで穏便に退職となったらしい。どうか二度と——せめて教職として出会わないことを祈る。

「教室に突然マンティコアが突っ込んできて後遺症、だとかでも驚かない自信があるぜ」

「ハハ。……勘弁してくれ」

 ギリシャ原産、魔法省分類XXXXXの超危険生物がイギリスの魔法学校の一教室に突っ込んでくるものか——しかし悲しいかな、ホグワーツならば有り得るのが怖いところである。

 二学年上のマーカス・フリントから聞いた話だが、一昨年の防衛術教授は、夏季休暇直前(つまり、私が入学する数ヶ月前のことだ)禁じられた森で衰弱死しかけていたところを発見されたのだそうだ。なにが起きたのかは誰も知らない。今年がそうならないとも限らない。

『平和なことだね』

「平和ですか……?」

 同級生がクィディッチの練習に別れたタイミングで、ミミズクが私の肩に降りる。従叔父上、ホグワーツに来てこの方梟小屋で見かけた覚えがないのだが、普段どこで過ごしていらっしゃるのだろうか。

『僕の在学時期に最も酷かった代の教授は……そうだね、死喰い人(Death eater)闇祓い(Aurur)に殺された件と、騎士団員が闇の帝王に消された件で同率だったかな』

「まるで参考にならない」

『とはいえ、あの頃は防衛術だけでなく、他の教授職も似たり寄ったりではあったよ』

 まるで参考にならない上にそもそも戦争時代の最悪例なぞ参考になってほしくはない。呪われていると噂される立場の最悪例が似たり寄ったりに頻発してたまるか。

 しかし実際にそのようであったのだから、魔法戦争は二度と繰り返してはならないと言わしめる。

 

   ➤

 

 スリザリン寮のリード、今年も未だ変わらず。

 スネイプ教授の贔屓は、私が嘆願した箇所については控えめとなった。控えめとはつまり未だあるということだ。スリザリンにだけもたらされる知識。丁寧な指導。劣等生へのフォロー。寮監としての務めを果たしているとも言える。すなわち私が口を出す範囲外である。

 身内贔屓はそもそもスリザリン寮の特徴のひとつだ。コネクションの重要性を理解している。ごまをすり便宜を図るのも狡猾の一種だ。ハハ。……五年連続の寮杯獲得などしていなければ、ここまでのアウェーは養成されなかったろうに。千年も続く歴史の狭間にたった数年、四分の一の確率分布の偶然としては、十二分に有り得る事態だ。だからなんだというのだ。私やドラコが在学する時期に被ったことが問題なのである。

 おそらくスリザリンは今年もこのまま寮杯を取る。であれば、他寮からのヘイトをなるべく減らせるかたちに、優勝の際に嫌々の拍手などとならないように。……ああ面倒だ、誰だってこんなことで骨を折りたくもないはずだ。七年は長いが、しかし七年所属するだけでしかない。必ず去りゆく仮宿に、誰が手間暇を割きたいと思うだろう? 外部を無視できる神経があるならどうでもよく、無視できなければ折れるだけ。自然淘汰の末、在り方がねじ曲がったところで、大半の人間には差し迫った実感は湧かない。私とて本当は興味がない。

「Noblesse oblige——高貴なるものには、高貴なるものに生まれただけの務めがある。純血を継ぎ、その生まれを誇るのであれば、下々に手を差し伸べ、導くこともまた責務だ。我らの高貴なる生まれは、我らの先祖の存在と功績こそが、その高貴さを保証する。敬われるまでには経緯があり、その経緯を蔑ろにしてはならない」

 と、まァ、ひとまずはこんなところか。

 急場しのぎにはちょうどよい名目。傲慢なる慈悲だとしても、高慢と傲然に基づく無邪気な暴虐よりは、いくぶん体裁としては良いであろう。

 まずは近場の意識改革から、と丁寧に刷り込んでいたら、呼び出された。スリザリンの寮監、セブルス・スネイプ教授。

「君を見ていると君の父君を思い出す」

「ありがとうございます」

 褒められているのだかは不明だが、褒められていると解釈した方がなにかとやりやすい。「そのような物言いも含めて」スネイプ教授は少し肩をすくめて、私の肩を叩いた。

「君の懸念は理解している。しかしながら、私もまた必要であってこのような言動をしている」

「闇の魔法使いを輩出するスリザリン、先の戦争における敗北者にして加害者を数多く擁した寮。自罰的な空気を和らげるには、寮生たちの自己肯定と寮への愛着の養成が必要だったから?」

「……」

 魔法薬学教授に渡される自室。隅の試験管がコポコポと気泡を吐き続けている。教材や調合器具は数多に雑多に積み重なりながらも、スネイプ教授のごく私的な物品はあまり見受けられない。ように見えた。

「配慮には感謝を。しかしながらスネイプ教授、水をやりすぎた植物は根から腐るのです」

「そうとは限らない」

 明確な否定。

 スネイプ教授は出しっぱなしだった本——毒草と薬草の差異、正しい知識と活用法——を手に取り、杖を振る。本棚が開いて勝手に空きを作り、そこに教本が挿入される。

「愛着は安心感を生み、安心感は信頼を生む。周囲の誰をも信頼できない人間は、ときに間違ったものを信ずるのだ。反感こそが人を凶行に駆り立てた。闇の帝王は彼らの心に巧みに付け入った」

「……私はかつての争乱を知りませんが、しかし戦争は十年近く前に終わりました。個々人の最悪の可能性が、寮全体よりも優先されるほど重要なのですか?」

「レグルス・マルフォイ、ゆえに君は戦争を知らない子どもなのだ」

 切り捨てる物言い。見上げた私の予想に反して、スネイプ教授の瞳には強い憂いがにじんでいた。

「もとよりあんなものは知るべきではないので、そのままでいてほしいところでもある。……そう、それと、あまり夜更かしはしないように。君の目元のその隈、御両親は必ず心配する」

 とはいえ——私の急ごしらえの理屈は特に咎められることなく、スリザリン寮に浸透した。鼻で笑う誰かがいた一方で、律儀に実践する誰かもいる。これだけでどうにかなるとも思えないが、他寮を貶し謗る者は減少した。反感に反感を返すだけでは憎悪が募るばかりである。同様に、反感を柳に風と流されることで毒気も抜かれる場合がある。

 野心旺盛にして狡猾なるスリザリン。どうかその美徳よ、淘汰されてくれるな。

 

   ➤

 

 寮杯はやはりスリザリンが獲得した。他寮生の表情を観察する。昨年とほとんど変わりない反応は、停滞と呼ぶべきか、食い止めていると評するべきか。

『もう少し食べなさい』

 今年度最後のホグワーツの晩餐、私の肩にミミズクが止まる。渡された手紙は母上からのものだった。向上心が高いのは良いことです、無理だけはしないように——十二科目にチェックを入れた私への心配の御言葉だ。少しわらって手紙を畳む。無理をしたことはない。無理をするような環境に置かれたこともない。

「レギュラスこそ食べるべきでは? フクロウフーズだけで足りるとは到底思えないのですが。好物だとか」

 キャロットケーキを取ると『君が取るものは甘いものが多い……』ミミズクはしみじみと言った。元の皿に戻した。人の親切をこのミミズクは。

『僕を気にすることはないよ、本当に』

 そうだと言うなら、そう思うなら、私が気にすることのない環境を作ってほしい。父上や母上とヒトの姿で会ってあげてほしい。あなたのことを本当に大切に思っていた人々のことをあなただって知っているはずだ。

 ……と、言ってなにか変わるとも思えなかった。既知の事実を突きつけたところでという話である。甘いものは窘められたので、ステーキを切り分けて一口口に含む。咀嚼。

 彼らはなにかを恐れている。なにかを恐れて身構えている。私はその恐怖の根源をなにも知らない。

 嘆息の代わりに噛み砕いたステーキを飲み込んで、ふと、違和感を捉えた。教員テーブルに視線を走らせる。防衛術の教員席には普段はスミス教授(今年度の防衛術教員だ)が着席しているが、今日は不在だ。学年末パーティで欠席?

 そこへ、ついっ、と白銀の魚が大広間に入り込む——守護霊(Patronus)だ。優雅に空中を泳ぎ、ダンブルドア校長のもとに降り立った。校長の微笑みが苦笑いに変わる。……ダンブルドア校長が苦笑い? 近場のマクゴナガル教授が目を瞑って首を振っていた。冷静沈着な彼女にしては珍しい仕草だ。ケトルバーン教授が悔しげに顔を歪め、地団駄を踏んでいる。何故?

 既にスピーチを終えたはずの校長が、立ち上がり、咳払いをした。

「——それと防衛術のスミス教授について、今しがた連絡があった。水中人(Merpeople)との交流の末……うむ、今後は湖の底で暮らすことになったとのことじゃ。つまり、残念ながらホグワーツ教員としては引退ということに」

 私とミミズクは、思わず、お互いに顔を見合わせた。異種族交流と異文化理解の極地ということ、だろうか。あるいは……いくら魔法使いといえども水中人(Merpeople)に水中でかなうとも思えない。もしかしたらば誘拐? 今のは生徒たち向けに限りなく簡略化された発表だったりしないか?

 ……どちらにせよ、闇の魔術に対する防衛術のポストは、やはり今年も一年保たなかった。

 

   ➤

 

 ホグワーツの屋敷妖精(House elf)にも協力してもらったが、今年も、同じ味の茶はついぞ飲めなかった。似たような味のものは見つかったので、おそらく同一の茶葉を用いているはずだが、淹れ方のどこかに差異があるのだろう。一℃の違いが味の違いを生み出す。グラデーションの境の判別はきわめて難しい。

 ふと吐息をこぼす。記憶通りの味だ。眼前で深々と頭を下げる屋敷妖精(House elf)が淹れたものだ。

「いつもありがとう、ドビー」

「ど、ドビーにはもったいないお言葉です、坊っちゃま」

 今日は茶を運んできたところを捕まえることができた。私の礼に、ドビーは吃りながらも深々と頭を下げる。怯えのように震える肩。父上は未だドビーを鞭打つのだろうか。鞭打っているのだろうな。そして謝礼のひとつもないのだろう。仕草の端々を眺めて考える。口に出すことはない。ひとつも。

 父上が屋敷妖精(House elf)を躾ける際、ミミズクは見ていられないとばかりに飛び立ち、どこかへといなくなる。かつての私はそこに疑問を持たなかった。鞭打つ音に怯える動物は少なくない。今は——私にも、好きな時に好きなように飛び立てる翼があれば、いくぶん良かったのにと思う。

 べつにどこまでも羽ばたいて逃げ出したいわけでもない。ただ。……父上のことは好きだ。本当に。愛している。母上のことも、ドラコのことも。ドビーのことは好きだが愛しているというほどではない。オーブンで両手を焦がすにおいを好める気は絶対にしないが、やめるようにと申しつけたところで、どうせ他の手段を用いるだけだ。父上に対しても同様に、鈍臭い屋敷妖精(House elf)のしつけ方にたとえば私が嫌悪を示したとして、私が見ていないところで同じことが行われる。無意味で無益だ。自己満足にさえも届かない。自らの罪悪感から逃れるためのその場しのぎ。であれば現実を直視し続けた方がまだ良いだろう、と、内心で弁解している。

 父上は優しい人だ。私やドラコに手を上げたことは一度たりとてない。母上も——私たちが生まれる前については私は見ていないので、憶測となるが——父上に傷つけられたことはないだろう。たとえば私たちが誰かに害されたとして、父上は父上の全力をもってその誰かに報復を行うだろう。父上は……ルシウス・マルフォイは、優しい人だ。身内には、と注釈がつく。

 父上の優しさは、鈍臭い屋敷妖精(House elf)には渡されない。一オンスたりとも。

 幼い頃、なんの疑問も持たない頃、ミミズクが喋ると知らなかった頃のように、全部を当然として、好きでいられたらよかったのに。夢想を打ち消した。無知の幸福と知の不幸を比較したところで、得られるものなどなにもない。賢しらを装ったところで愚者なる根底は覆せない。

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