3年生が命の水など持つべきではない
「兄上、聞いて! やっぱり〝生き残った男の子〟なんてろくなものじゃあない! 名前だけ、有名なだけ、鼻持ちならない高慢で物知らず——」
「なんの話だ」
兄上を驚かせてあげる——お気に入りの友人(友人のはず、きっと)ゴイルとクラッブを連れて、意気揚々とコンパートメントを出て行ったはずのドラコは、怒り心頭で帰ってきた。まくし立てるが如き弁舌に、私は弟の予言通りに驚いたがそれ以上に困惑した。
ゴイルは指を抑えてべそをかいている。クラッブは困ったような苛立ったようななんともいえない表情だ。つまり聞き出す対象として最悪。ミミズクは羽ばたいて廊下へと飛び去った。どこへ行く。この混沌に私だけ置いていかないでほしい。
いくらドラコが今年入学とはいえ、同級生たちと同じコンパートメントを断ったのは下策だったな……。
➤
ハリー・ポッター、生き残った男の子。確かに今年から入学とは噂に聞いていたが、ドラコ、会いに行ったのか。しかも会って早々揉めたのか。入学式を控えた状態で揉める余地、あるのか。あったからこうなっているわけだが。この世はまこと不思議に満ちている。
ちょうど通りがかった車内販売を呼び止め、かぼちゃジュースを購入、興奮しきりのドラコに与えて話を聞いてやる。
生き残った男の子がいるというので見物しに行った(……)生き残った男の子とは思えない貧乏くさい見た目はよく見るとマダム・マルキンの店で鉢合わせた無知な貧乏人で(……うん)しかもよりによってウィーズリーなんかとつるんでいるので(……。うん)人付き合いは選ぶべきだと忠告してやったのに(ええと……)厚顔にも手酷く断ったばかりか(どうしような……)ゴイルなんてウィーズリーのペットに噛みつかれた(彼の指の傷はそれか)——と。なるほど。
とりあえず話の最中にゴイルの傷を消毒、【
ところで本当にどうしような。人間関係初期のコミュニケーションとして限りなく致命的かと思うが。ここから入れる保険に心当たりがない。単なる庶民相手の下らない喧嘩ならばまだしも、よりによってハリー・ポッターなのがな。
生き残った男の子、魔法戦争終焉の象徴。マルフォイは戦争ではかなり闇の帝王寄りの立場だったので、禊として利用するには絶好の対象。……に、なるかもしれなかった人間。しかし手遅れだろうなこれは。
奇跡を起こして上手くリカバリできないか思案していると「兄上は絶対にお会いにならない方がいい。お会いしたとして、ろくな収穫も得られない」ドラコは語気荒く強調した。そうだな。あるかもしれなかった収穫も今し方ほぼ無に帰したことだしな。
……と、ストレートに言ってしまうとドラコはあれで素直に傷つくため、口には出さない。
「おーい、おまえの大好きなコオロギだぜ、出てこ——やあマルフォイ」
「どうもウィーズリー。帰れ」
「いやいや、もう特急は出発している」
朗らかに取り繕った双子のウィーズリーが揃ってニコリと笑う。背後でリー・ジョーダンがわざとらしく顔をしかめ、吐く真似をした。本当に帰れ。
勇敢なるグリフィンドールならば特急から飛び降りるぐらいお茶の子さいさいだろう。それとも私が手ずから特急から叩き落としてやろうか。まったく手間を掛けさせてくれるな。
「スリザリン一色のコンパートメントなんて興味ない、と言いたいところだが——ところでなんかミニマルフォイいないか?」
「……私の弟だ。ドラコ。今年入学」
「つまり本当にミニマルフォイかよ最悪だな」
「【
「どうどうマルフォイ、いくらなんでも弟クンの入学前に殺人事件はまずいだろ!?」
時速数百マイルで動く特急から突き落としたところで魔法使いは死なないだろ。脊髄ぐらいは折るかもしれないが。折ったところで魔法界ならば治る。……しかし確かに、ドラコの晴れ舞台を血で汚すのはよろしくない。
「……それで? なにか用なのだろう」
一旦叩き出すのは保留として尋ねると「それがだね」逆さになったまま神妙な表情でウィーズリーは言う。吊り下げられているせいで頭部に血流が集まっているのか、顔色が若干赤くなりつつある。
「リーが持ってきたタランチュラが逃げ出したんで今各コンパートメントを見て回ってる。ここにうっかり紛れ込んだりしてないか?」
「タラ……毒蜘蛛じゃないか!? いるはずないだろ!」
我が弟の至極常識的な反応。
しかしながら非常に遺憾なことに、この手の冗談を彼らは言わない。
「……【
「イデッ」
呪文を解くとウィーズリーが床に落ちた。そろそろ見分けがつき始めたのだが、常に余計な一言が多いのがフレッドで止めているのがジョージだな? 見分ける喫緊性もないので、以後この認識で固定しておこう。どうでもいい思考は置いておく。
「【
続いて唱えると、八脚のシルエットが浮かび上がった。これが家蜘蛛などイギリスに普遍的に棲息する蜘蛛なら、ホグワーツ特急に紛れ込んでいても不思議はない——が。
シルエットからでもわかりやすい。毛むくじゃらで、関節がはっきりと目立つ太った脚。
「本当にうっかり紛れ込んでいるな」
結論を下した私に、ドラコが甲高く悲鳴をあげた。
なおタランチュラの毒性はそこまで高くないので、二度三度と刺されない限りは基本的に人命に別状はない。複数回刺された場合はアナフィラキシーショックのリスクが発生するが、そんな状況に陥るとすれば、タランチュラの生息地たる赤道付近の国々いずれかへ移住・渡航したか、かの毒蜘蛛をペットとして飼育する奇特な人間ぐらいだろう。そこのジョーダンのようにな。
また逃げ出す前にさっさと回収していけ、とジョーダンを睨めば、陽気なクィディッチ実況者は肩をすぼめて粛々と探し始めた。なにより。素直な人間は好きだ。命令を下す際に手間が省けるから。
「……ドラコ、ゴイルとクラッブも。しばらくは別のコンパートメントに入れてもらいなさい。三つ左のコンパートメントのマーカス・フリントに私の名前を出せばおそらく受け入れてもらえる。失礼のないように」
「マーカス・フリント、ああ、フリント家の——わかった。けれど、兄上は?」
「私はこの馬鹿どもに少々用がある」
顎だけで示すと「少々? なんの?」コンパートメントの床から跳ね起きたウィーズリーがわざとらしく首をひねる。
「素敵で愉快なドッキリを提供したお礼か? ガリオンで構わないぜ」
「【
「冗談だろ〜!」
危機感がないのか? 喋ってないと死ぬのか? スネイプ教授からお聞きした便利な呪文が大活躍している現状を悲観しつつ、ドラコに手を振った。早く行きなさい。こんな馬鹿に構っている時間こそが無駄だ。
「……で、ホントになんだ? 俺たち今年度はまだやらかしてないだろ」
ドラコたちの背を眺めていたウィーズリー(逆さに吊るされてない方である)がこちらに眼差しを戻す。〝まだ〟という物言いに私は遠くを見つめたくなった。しかも一連の発言は〝やらかしてない〟範疇に入るらしい。基準が致命的に狂っている。頭は悪くないのだからいい加減学習してくれないか。それとも学習した上で無視しているのか。
……まァウィーズリーどもの頭の良し悪しなどどうでもよろしい。
「おまえたちの末の弟も今日でホグワーツ入学だったか」
「ロニー坊やのことならまァそうだな。……知ってたのか?」
「知らなかったが、今しがたドラコが〝ウィーズリー〟と揉めたらしいのでおそらくそうだろうと」
「なにがあったんだよ」
「俺たちと君だって入学初日で揉めやしなかったろ」
私が聞きたい。本当に私が聞きたい。おおよそ経緯は聞いたがどう考えても要所がそこそこ端折られている。ドラコはそういうことをするかどうかでいうとかなりする。あの子はわりとよく都合の悪いことをしらっと隠す。
「伝聞と推測でしかないが、おそらくドラコがずいぶん失礼なことを言った、と思われる。おまえたちもまがりなりにも兄なのだろう、彼が気にしていた場合はフォローしてやれ。以上」
双子双方に無言でまじまじと見られる状況が不快で「なにか言いたいことでも」と尋ねると、吊るされている方のウィーズリーは真顔で言った。
「君って人の心あったんだな」
……。
「さすがに杖取られて【
「マルフォイマルフォイどうどうどう、落ち着けよクールになろうぜ」
「タランチュラ見つかったけどこの状況なんだよ!?」
ミミズクが戻ってきて私の顔の周りを飛び回ったので、仕方なく、ウィーズリーツインズのシングル化計画は取りやめとなった。ウィーズリーどもは、我が従叔父上と、なにより私の忍耐強さに感謝してほしい。きっとハッフルパフにも入れる。
➤
クィレル教授は一年の研究旅行を終え、その間なにがあったのか、吃音はさらにひどくなっていた。彼はマグル学ではなく防衛術のポジションに復帰し、そのため、マグル学はチャリティ・バーベッジ教授が続投することとなった。
訝しむ気持ちはなくもないがまァいろいろあるのだろう。おそらくな。
「君さっき図書室にいなかったか?」
「幻覚では?」
「水曜日は占い学の教室とマグル学の教室に同時にいたって噂だけど」
「噂話を真に受ける愚かさと言ったらないな」
「実際俺たちちょくちょく別の場所で同時に君を見かけてるけど」
「さては夏季休暇中に拾い食いで当たったのか、ウィーズリー? 食用とそうでないものを見分けられない節穴が場当たり的に行動するべきではないと思うが」
「はははこの毒舌お坊ちゃんが【
防御が一歩間に合わず空中に逆さに吊り下げられてしまったが、自己申告通り制御に苦労しているらしく、かなり不安定に左右に振れる。焚火の上に落とされてローブを焦がされてはたまらないので、杖を振って事前に消火。
「おーしおしおしよしよし、こうか、こうだな!? カンペキに安定、どうだ相棒」
「イケてるぜ相棒。目コピ完了、悪戯完了」
「あァ全くお上手なことだな。【
「あっ」
たった二度使ってみせた程度で完全に模倣するあたり、つくづく器用だが、魔法使いの自由を奪いたいなら前提として杖を奪取するべきだ。
解除魔法ですとんと降り立って、ローブの裾を整える。ついでに焚火を付け直した。炭の間からアッシュワインダーが顔を出してシャーッと抗議をした。魔法火に勝手に湧いてきた分際で一丁前である。
なお先の話は、ウィーズリーが拾い食いをして幻覚を見たわけではなく、普通に十二科目履修するために支給された
「ところで分裂可能なマルフォイ」
「通常で分裂しているおまえたちに言われるとはな」
「言い得て妙だな」
「俺たちは生まれたときから分裂してる」
「分裂してるから楽しいこと二倍、悪戯も二倍」
「反省文は半分」
それも二倍であるべきだろうが。
「そんな俺たちも今から人一倍に真面目な話をします」
……騙し討ちだと断じたいのは山々だが、真面目な話でないときにこういう物言いはしない。ホリデーを差っ引いて二年にも満たない付き合いだが、しかし二年の付き合いはそこそこの人格を知るに足る期間でもある。この手合いを無視できるほど私は図太くもなかった。なにせ繊細な温室育ちなのでな。
ひとまず焚火の前に座り直す。
「それで?」
「まず……そう、ホグワーツ特急でロニー坊やと君の弟が揉めただろ」
「ああ」
既に半月は前の話である。相槌を打ちつつ杖を振る。火の勢いがどうにも弱いので炭の位置を変える。
「あれってハリーとも揉めてたか?」
「むしろドラコの主題はそちらだったのだろうな」
弟君が仲良くなったのであれば、遅かれ早かれ経緯は割れただろう。私は肩をすくめた。
「仲良くなりたかった相手が、先にウィーズリーと仲良くしているので、機嫌を損ねていくつか八つ当たりしたらしい」
「ロンから聞いた話だと、機嫌を損ねた末の八つ当たりとかいう次元じゃなかったがね」
まァ彼らからすればそうだろうよ。血を裏切る者:ウィーズリーに対して悪態などいくらでも思いつく。加えて、
「ドラコは私よりも純血貴族らしいからな」
「そうだよな……この上から目線で暴言ばかりのクソ我儘な傲慢お坊ちゃんですら貴族としちゃ穏健派なんだよな……」
「お望みならば今すぐ純血貴族
「話を戻すと」
いつも歯止めをかける方のウィーズリー、すっと箱を動かすジェスチャー。毎度の如く余計なことを言った方のウィーズリーはしらっと目を逸らしている。こちらとしてはなんなら話を無視して今すぐ校舎に戻っても構わないのだが。血を裏切る者:ウィーズリーをまともに相手取る義理がないのは私も同義だ。ただの愚者ではないとわかっているので、耳を傾ける余地を残しているだけだ。
傲慢?
貴族に謙譲を期待する方が愚かである。
「それで、君の御父君とスネイプは仲良し♡だろ」
「気色の悪い言い方を……」
「否定はしないな?」
父上とスネイプ教授に交流があるのは事実であり、特に秘匿すべき内容でもない。先程の口調は誰がどう聞いてもきっと気色悪い。
「一年のときの君でさえ、スネイプにちょーっと物申すぐらいの力があった」
「あれは物申したというよりは配慮と利害の一致に近いが……」
「で、たとえばだ。——君の家の力をもってすれば、スネイプにハリー虐めをしろ、と言って、そのとおりに聞かせられたりするのか?」
……さて。唇を舐める。
「……八つ当たりが勢い余る可能性は否定しないが、進言したところで実現に至らないと思う」
「何故?」
「何故、って……スネイプ教授の方に利がないだろう。いくら家柄が上等にしても所詮は十一の子どもの我儘、正当な根拠無しに通るものかよ」
「君のオトウサマは?」
「今更〝生き残った男の子〟に加害したところで全く得がない」
闇の帝王が君臨していた時代ならさておき。
とまでは付け加えなかったが、意図は伝わるだろう。双子は赤毛にソバカスの瓜二つの顔をどちらも難しく歪め、顔を見合わせた。
「じゃあ、それ以外でスネイプがハリーいじめをするに足る〝利〟って、なんだ?」
……。
まさかとは、思ったが……。
「……一応、あの人はもともと、スリザリン以外の劣等生からは容赦なく点を差っ引くが」
「一年生の、それも授業初回で、生ける屍の水薬の調合方法を知らなくて減点された前例は俺たちは聞いたこともない。ペアですらない同級生の調合ミスの責任を問われた例もな。君はどうだ?」
我が寮監は夏季休暇中に錯乱呪文でも受けたのか?
かろうじて頭を抱えることは堪えたが、無言で腕組みをした私に「君でさえもその反応か」「やっぱりなんか変だよな」「スネイプはいつだって性悪だがここまでじゃあない」「グリフィンドール相手にしても限度がある」得心したように双子も頷いた。着々と理解されているような態度は心底気分が悪いが、とはいえ原因が明白な気分の悪さよりは、目下謎の言動を執り行っている我が寮監の方が気にかかる。
「……私的事項な、気が、する……それもかなりの爆弾……」
「嫌そうな顔してら」
「顔に出るの珍しいな」
「触れたくない……触れたくないが〝生き残った男の子〟に妙な態度を取る我が寮監……シンプルに外聞が悪い……」
「胃痛始まってそうな顔だ」
「君もなんだかんだでけっこう苦労性だよな」
ピーチクパーチクやかましい。やはり特急で窓から叩き落としておくべきだったか。しかし叩き落とせていたらこの話が回ってくるのはさらに遅くなっていたことだろう、ああ、人生とは儘ならぬものよ。
正直今すぐ父上に上申して全部投げたい。
➤
「レギュラスは……スネイプ教授と御年齢が近しいですよね。親しかったことはありますか」
父上に上申する前に別の人に当たることにした。なにが悲しくて我が寮監の謎の醜態を親に相談せねばならんのだ。父上とて昔馴染の謎の醜態を相談されたくはないはずだ。
『……。何故?』
「ハリー・ポッターにやけに当たりが強いらしく、なにぶん私にはなにも見当がつかないため、なにか心当たりがあればお聞きしたいのです」
『……放っておけばよいのでは?』
「ははは」
さすが魔法界の王族を自称できるブラック本家の御子息でいらっしゃる。冗談がお上手だ。
「十一歳になったばかりのホグワーツ新入生に、理由もなくきつく当たる教師。この時点で外聞が悪いにもほどがありますが我が従叔父上は放っておけと仰られる」
『ずいぶんご機嫌斜めだ』
斜めにもなろうよ。
余計な肩書を抜いて事実を並べるだけでも教職として有り得ない上に、よりによって相手が〝生き残った男の子〟だ。つまり魔法戦争終焉の契機、平和の時代の立役者にして象徴である。それに対して類を見ない逆贔屓。さらに重ねてスネイプ教授は元
このように、悪い方向に意味を見出そうと思えばいくらでも思いつく。政治的な意図も含めて。私でさえ思いつくのだから、魔法戦争を経験したお歴々ならば尚更だろう。
たとえばハリー・ポッターその人が、彼の知名度を鼻にかけた性悪ならば、まだ指導の範囲で通ったかもしれない。しかし評判を探る限りそうでもない。原因さえわかればカバーできるかもしれないが、原因不明な現状、擁護のしようがない。
「加えて、無関係などこぞの科目ならまだしも、よりによって、私とドラコの所属寮の寮監で、父上とも懇意ですからね。放っておける理由が逆にあるならば、どうぞ愚かな私めにご教示願いたいものです」
『保身のマルフォイ家……』
「なにか仰いましたか」
『僕に八つ当たりをされてもね』
ウィーズリーどもは話を上げるだけ上げて関与しないことを決め込んだらしい。けっこうなことだ。どうせ彼らとて、弟君や弟君の御友人(つまりハリー・ポッター)の憂いを見かねてわざわざ私に話を回してきた次第だ。話を聞いた私がこの態度なので投げられると思い、手を引いただけだ。私をなんだと思っている。
ウィーズリーが血を裏切る者と冠されてさえいなければ、景気よく巻き込めたものを、彼らはあいにく先祖の御大層な宣言により庶民へと成り下がったため、貴族同士家同士の探り合いの機微など全くわからんだろう。なんならアーサー・ウィーズリーとモリー・プルウェットは確か駆け落ちだったので尚更疎いはずだ。つくづく良い御身分だな?
庶民の身分を羨ましくなることもごくまれにある。まれで、明らかに気の迷いである。
『私的事項という君の推測は、半分は当たっているだろうとして』
可能性は高いと思っていたが本当に保証されてしまった。辟易を飲み下す。
『もう半分は、パフォーマンスだろう』
「……誰への?」
『君は外聞が悪いと口にするけれど——それこそ
背筋に寒気が走った。無自覚に行われた経験則からの類推、思考に満たない直感が、警鐘を鳴らしている。
「……元、では?」
闇の帝王がいない時代に
ミミズクがしばし私を見下ろした。
『君は……そういえば、この間十四になったね』
「三年生ですからね」
ホグワーツに飛び級はない。
『僕が闇の印をいただいたのは、学生時代、そして未成年の頃だった。君はじきに当時の僕の齢を越す』
私の従叔父上、レギュラス・アークタルス・ブラックは、若かりし頃に闇の印を授けられ、
『ホグワーツ内でヒトに戻ることは、できうる限り避けたい……では、ルシウス殿の左腕を見たことはあるかな?』
「……父上の闇の印は、もはや判別しがたいほど薄いですけれども」
『しかし消えてはいない。そうだね?』
闇の印は、闇の帝王の配下に齎される証で、帝王直々に刻印される。ゆえに
それにしても。私の解釈が間違っていない、なら——あまりにも、とんでもない話をされなかったか?
「……闇の帝王は既にいらっしゃらないのでしょう?」
『なにせ
「……死の暗喩ではなく、それは、本当に、文字通りの意味で?」
ミミズクはばさりと羽ばたいた。
『何事も、用心するに越したことはない』
質問は無視する形、意図的な無回答だ。ほとんど答えたも同然に思えるが、あえて言及を控える態度こそが、危険性を示している。彼らが未だ危ぶむもの——もしや、それ、か?
『そうでなくとも……君の体質、未就学児の頃より動物化した
過去にも述べられた言葉でもあった。私が、ミミズクをミミズクではないと知るに至った原因。
発現した魔法力をうまくコントロールできず、誰彼構わず開心術を行う危うい癖は、付きっきりで従叔父上に指導していただき、矯正された。今は従叔父上の他に父母やドビーぐらいしか知らない。私も従叔父上とのコミュニケーション以外ではめっきり行わなくなった。人に無遠慮にかけるものではないのだ、あの術は——それに、いくら天賦の才だとしても、十四の子どもの開心術は大人には大抵見破られる。
『これからは、セブルス・スネイプの言動に首を突っ込もうとするのはやめなさい。彼は彼で厄介で、難儀だ。いろいろと』
「とはいえ放置もできない、という話をしていたのですが……」
『周囲をうまく動かしなさい。君はそういうのが得意だろう』
……御冗談を。
『それに君の場合、セブルス・スネイプにかかずらう以上に喫緊の問題が、ごく近場にあるだろう』
ミミズクは意味深に述べて飛び立った。どこへ行くのやら。
➤
「禁止されていたくせに、勝手に箒に乗って飛び回った! 挙句の果てに夜中に抜け出すだなんて! ハハ! 一日にこれだけやらかせば、今度こそポッターは退学だ!」
なるほどこれはだいぶまずい。
「……彼は夜間外出禁止令を破ったのか?」
いろいろひとまず置いておいて、どうにもどこからも聞いた覚えがない。尋ねると「これから破る!」とドラコは胸を張った。
「真夜中にトロフィー室に来るんでね、馬鹿なことに、僕と決闘できると思い込んでいる——きっと明日には荷物をまとめて出ていくことになるね、今から楽しみだ! 退学を言い渡されるさまを間近で見物できないのだけが残念だね」
つまりおまえが誘い出したわけだな。
「証拠は残していないな?」
「なにも! 口頭で伝えたんだもの、なんならポッターとウィーズリーしか知らない」
この場合のウィーズリーは、末弟、六男のロナルド・ウィーズリーという解釈で正しいだろう。
「ウィーズリーは介添人としてポッターと一緒にいるはずで、現場を抑えられたらどちらも言い訳にしか聞こえない」
「賢い方法だ。今自供しなければより賢かった」
ドラコは数瞬黙ったのち「——兄上から聞いてきたのに!?」ぷんぷん怒り始めた。談話室のそこかしこから、堪えきれないが如く、くすくすと笑い声がこぼれている。ほらご覧、場所が場所なので聞かれている。学びになったな。「詰めが甘いよ」と私は言い置いて、自室へと足を向けた。
詰めは甘いが、この調子でいずれ政敵も自滅させられるように、というのがマルフォイ家に望まれる当主像である。長男は私だが、父母の方針としては〝本人が望むことをさせたい〟なので、私とドラコのどちらにも可能性はある。私は当主よりは補佐の方が向いている気もするので特に文句もない。弟が成長していてなによりだ。
……お相手が渦中のハリー・ポッターでなければ、もっと、よかった。どうするかな本当に。
「何故面倒事が立て続けに……」
検討していたのは一晩のこと。翌朝「寮監が規則をねじ曲げるだなんて、許されると思う!?」憤慨するドラコが私に不満を訴えてきたので(許されないとは思うが、たぶん、それ以上に我がスリザリン寮監の態度の方が本来許されない)睡眠不足から生じる頭痛と同時に、天啓の如く、解決策が閃いた。
——魔法界の英雄でありながら、幼くして二親を失い、親戚からも良い扱いを受けていない少年。彼のあまりな境遇を不憫に思って、親切をはたらく教師陣と、周囲におもねることなく、自らの信ずるものに従って厳しくしつけるスネイプ教授。
真相はまるで違うにしても悪人がいない。職権濫用は含まれているがホグワーツで職権濫用はわりと今更だ。スネイプ教授の事情もきれいに誤魔化せている。我ながら天才じゃないか——私の安寧のために各員スケープゴートになっていただこう。
「それとドラコ、これに懲りたらば、策を練るなら最低限詰めること。おまえの目論見が成功したとしても、彼らは退学にはならなかったろうから」
「そん……え?」
ことの算段も済んだのでついでに付け加えると、ドラコは愕然とした。
「禁止指示を無視して、箒で飛び回り、夜間に外出する——ぐらいでは、最悪でも数十点の減点はされるかもしれないが退学にはならない。その程度で退学になるのであれば、卒業までに退学になる人数は一学年十人じゃあ効かない」
なんならどこぞの双子のウィーズリーだとかは年五回は固い。二人で年五回ではなく一人頭だ。怪我人ぐらい出すと悪くて停学にはなるが、それだけだ。骨折程度を恐れ慄いていたらクィディッチすらもできやしない。
逆に私が知る限り、退学になった例は、魔法省の警告を無視して学外で二度以上魔法を行使したか、生徒間で死者を出したか——前者は実際に、一昨年に四学年上でひとりいた。
「だったら、昨日のうちに教えてくれたって……」
「詰めが甘いと言ったろう」
「あれは……あれだけじゃわかるはずないでしょう!?」
「前例を調べる、言葉の裏を読む、なかなか良い教訓になったな? それでは私はこれにて失礼」
角を曲がったところ、佇む石像の腕を杖先で叩くと壁が割れて通路ができる。滑り込むと、壁の向こうからくぐもった不平が聞こえてきた——抜け道に入り込むには間一髪、遅かったようだ。足取りも軽く魔法史の教室へと向かう。
よく吠える弟は可愛い。揶揄い甲斐があるので。
➤
トロールとかいう意味不明な侵入者が発生して終わったのが今年のハロウィーンである。十年目の終戦記念日がとんだ大惨事だ。翌日には、ハリー・ポッターがトロールを倒したという噂が蔓延っていたので、さすがに思わず笑ってしまった。十一歳の子どもがトロールを倒せたらいよいよ超人だろうよ。……え? ……本当に?
……昨今の魔法使いは人間離れが著しいようで。
「スニッチは飲み込むものじゃなくて手でキャッチするものだ」
「五度目だな」
ところでクィディッチ初戦を終えたのは今日のことである。グリフィンドール対スリザリン、スリザリンの敗北はグリフィンドールの奇跡のシーカーへの拍手をもって迎えられた——敗北は遺憾なり。それはそれとしてドラコのこの文句は五度目である。「だって」膨れる弟に、私は羽根ペンを置いて頬杖をついた。数占いのレポートを多少後回しにした方が、集中して片付けられるだろう。
「ドラコならばどうする?」
「僕? 僕なら——僕なら……」
私の弟の可愛げとは、人をこき下ろすときは得意げなわり、自らの実力をわかっているところなどにもある。ポッターの箒さばきは、箒の才能がない私ですら、素直に感心できるものだった。いわんやクィディッチに熱を上げるドラコは。
「……兄上」
「なにか」
「意地が悪い」
「今更だな?」
小首をかしげてみせると、肩のあたりにグリグリと額を押し付けられた——珍しい、本当に甘えただ。久しく見なかった癖まで出てきている。私がホグワーツに通っていたから観測されなかっただけなのかもしれないが。
「……悔しい」
とても小さい声だったが、この距離であれば聞こえないこともそうはない。
私と同じプラチナブロンドの毛先を指で持ち上げて、その耳にかける。喉をくすぐったらさすがに逃げられた。こちらを睨んで威嚇してくるドラコに微笑んで、羽根ペンをふたたび取った。さて、休憩終わり。課題は逃げないが課題の締め切りは逃げる。
「そこの兄弟? ここはマルフォイ邸のリビングでもないんだが」
「たまには許せよ」
「ったく……」
私と同級生の会話で、ドラコはここが家ではないことにようやく気づいたらしい。顔がサッと朱で染まり、自室へと足早に去っていった。よし、これで快適に課題ができる。
——ところで、話題のポッター、途中ひどく振り回されていたのはいったいどういう理屈だったのだろう。箒はあれでいてかなり複雑な魔法具なので、才能のない乗り手ならばさておき、クィディッチ選手に選ばれる実力者を乗せておいてあれだけ振り回されることはそうないはずだ。……錯乱の呪文でもかけられない限りは。
錯乱の呪文は高難易度の魔法だ。扱える学生はそうはいない——高難易度の魔法を扱えるような学生は、そもそも、乗り手が死にかねないような魔法をかけるリスクを早々取らない。グリフィンドールのシーカーを潰して、代償に自分は停学か退学を食らうというのか? そこまで賭けた目論見さえも、再試合の日程が組まれてしまえばほとんど無意味である。
グリフィンドールの今のシーカーは〝生き残った男の子〟という肩書が付随している——〝生き残った男の子〟を今更殺したところで得はない。魔法戦争を再開させたいのか、彼個人に恨みがあるか、その両方でもなければ。その両方の動機を併せ持つとしたら。
羽根ペンが羊皮紙を掻く感触を確かめながら、私はちいさく息を吐く。慎重に。
闇の帝王。十年前のハロウィーンでお隠れになった、既にいない者。純血主義者たちの指導者。もしかしたらば神にも等しかったひと——ああ、全く、本当に戻ってくるとでもいうのか? マグルの逸話を信用するつもりはないが、これでは、いよいよキリストじみている。救世主は十字架に磔にされ、しかし蘇った。魔法界の救世主とでもいうのか。……くだらない。
マルフォイにとって良い取引相手のマグルを、上手く使うならばまだしも、滅ぼしたところで損害こそが莫大だ。日和見のマルフォイ。保身のマルフォイ。ああそのとおりだ。私たちは旗頭の機嫌をうかがい、敵対者にさえ擦り寄り、すべての利を蝙蝠のごとく掠め取って私腹を肥やしてきた。そのようにして魔法戦争も生き延びた。
しかし、本当に、蘇るというなら——危険な魔法使い相手の、すれすれの駆け引きは、果たして、二度も三度も通用するのだろうか。
➤
「ホグワーツで兄上がずっと意地悪してくる!」
「母上に言いつけるのは卑怯では!?」
「僕も狡猾なるスリザリンなので!」
「楽しそうだこと。ホグワーツではどのような日々を過ごしたのかしら」
「それが兄上は——」
「私の話は私がするが!?」
「ええ、レグルス、あなたは自分の経験を過不足なく話して、
「……そんなことは」
「あるでしょうとも。いったい誰に似たのかしら」
「シシー?」
クリスマス休暇中の私たちの兄弟喧嘩(それと夫婦間の若干の諍い)に『仲が良いね』ミミズクは感想を述べた。私はミミズクをきつく睨んでから紅茶を口にした。
紅茶の味だけは変わらずに美味しい。ドビーはホグワーツには連れていけないので、家で存分に味わうしかない。
➤
「マ、マ、マ——マルフォイくん、」
クィレル教授に呼び止められたのは、休暇明け、闇の魔術に対する防衛術の授業後のことだった。
二年前に鉢合わせた時には巻いていなかったターバンと、漂うニンニク臭。授業の内容はごくまともだったが、なにぶん吃音が悪化しており、加えて常にびくびくと怯えて震える振る舞いに、生徒たちからは失望が漂っていた。極めつけはハロウィーンの件だったろう、闇の魔術に対する防衛術講師でありながら、トロールに失神する、対峙したわけでもない伝言役で——すなわち、無能では?
「彼になにか用ですか? 次の授業が控えているのですが」
控えめな笑みを浮かべて割って入ろうとする同級生を制する。「先に行っていてほしい。遅刻はしない」「……君がそう言うなら」私の言葉に彼は肩をすくめて「荷物は運んどくよ」「助かる」私の手から鞄を受け取り、教室から去っていった。
なお、彼は彼で、マルフォイの家名に擦り寄りたいひとりである。スリザリン寮には珍しくない存在だ。なにかあれば私の前に立ち、待てを言い渡せば引き下がる。扱いやすいところは美徳なので、私のそばにつくことを容認し、様々な事柄を黙認している。荷物持ちを買って出るついでに、終わってない課題をこっそり写したり、とかも含め。
「改めて、何用でしょうか」
私としては……警戒の意図が強い。きついニンニク臭。吸血鬼を追い払うためだって? 馬鹿馬鹿しい、そんなものはホグワーツには入り込めない。せいぜい禁じられた森まで。許可を得ているとすればそもそも教授や生徒には手を出せない。ハロウィーンのトロールこそがそれこそ例外である。
そう、ハロウィーンのトロール——トロールの侵入経路を誰も知らない。そして未だわかっていない。クィレル教授はトロールの侵入を知らせて倒れた。
では、何故、このひとはハロウィーンの日に食卓につかず、城内を出歩いていたのか?
そもそも、入り込んだトロールに気づいて知らせるだけならば
無意味なニンニク臭に話を戻す。クィレル教授がまとうそれはずいぶんと臭いが強く、いくらニンニクが好きでも、顔をしかめるほどだ。教室内に充満して換気が必要になる。だから他のにおいが混じっていたとしても気づきがたい。……なんのにおいを隠している? そもそも、なにを隠している?
「き、き、き、きみの成績は、す、素晴らしいものです。こ、この調子なら、ぼ、ぼ、防衛術では少なくとも、さ、最優秀の成績を収められる、でしょう」
「……それは——ありがとうございます」
「ほ、他の先生方も、あ、あ、あなたを褒めています。ゆ、ゆ、優秀で、謙虚で、ま、真面目であると」
「過分なお言葉ですね。ちなみにビンズ教授はその〝先生方〟に含まれていますか?」
「か、か、か、彼は——そうですね、た、確かに、ビンズ教授以外は」
クィレル教授は言いながらもかすかに笑った。ホグワーツ出身なら、あのゴースト教授が、生徒の名前すらろくに覚えていないことを知っている。私の目標の一つが、卒業までになんとしてでもあの教授に私個人を認識させることだ。今までに父上に言いつけて解雇させてない忍耐の原動力はそこにある。
それはそれとして一刻でも早くクビになれとは思っている。
「それで——私は、優秀な人間は、他よりも注目されるべきだと思っています。たとえば相手が生徒ならば、学ぶ機会をより多く与えるべきで、教師はその機会を惜しみなく提供するべきだと。実際、我が校でもその試みは行われています。たとえば、禁書閲覧許可のサインは優秀な生徒に渡されますね。また、十二科目を受講しようとすれば特別な道具を必要とする——これについては、きみはよく知っていそうだ。そして、それ以外にも、教授という立場はなにかと
なるほど、知恵を尊ぶレイブンクロー寮出身らしい発言である。優秀な生徒をお気に入りとして便宜を図る教授は珍しくもない。
吃音が消えたことを除けば。
「……私に便宜を図っていただけるのですか?」
「きみが望むのであれば」
「では、授業をもっと真剣に執り行っていただけませんか」
クィレル教授はわずかに首を傾げた。
「真剣に?」
「あなたの授業は防衛術の授業として確かに間違っていません。スミス教授の如く手堅く堅実に学習要項に則って指導されています。……言い換えればそれだけです」
加えて——私の印象では、クィレル教授の教え方は、どこか投げやりにも見えた。このような事項を教え込んだところで、実際に実戦でできる対処はたかが知れていて、生徒ならば尚更。確かにそのとおりだろう。
クィレル教授は、一年の研究旅行で、吸血鬼と盛大に揉めたとの噂である。彼の失敗経験が今の授業を形作ったのだろうかと推測もした。
……そうだとして、それがどうした。
「一昨年まではそうではなかったと聞き及んでおります。私は、当時は一年生だったのでマグル学を受けられませんでした。けれど、あなたの授業は、受講者にはかなり評判が良かったと」
「……ま——マグル学に興味があったのですか? じゅ、純血貴族の、きみが?」
吃音が若干戻ってきた。心外な物言いに私は眉をひそめた。純血主義はマグルを蔑視している、とか、それ以前の問題だ。
「優秀な人間はひとよりも注目されるべきだと述べられたのはあなたでしょう。研究対象によって、その優秀さが棄損されることは、ありえない」
私はクィレル教授の授業をひそかに楽しみにしていた。選択科目の噂は低学年にも回ってくるもので、クィレル教授の講義は、それなりに面白そうだったからだ。
復帰した今年からは、マグル学ではなく、防衛術へと担当は転じた。
「チャリティ・バーベッジ教授も……優秀な方ですが、一昨年のあなたほどでもない。その損失を生じさせてまで防衛術を担当されるのであれば、一昨年までに準ずる質か、それ以上の授業が提供されて然ると……」
——クィレル教授の表情から笑みが消えている。
「……勝手に考えていました」
今更ながら——きわめて今更だ——目を合わせないよう視線をずらして、私は微笑んだ。
「けれど、そうですね、言葉にすることで整理できました。私の思考は筋違いにして的外れでしょう。若輩の見当違いの戯言です。私は、クィレル教授が期待されているほど優秀ではないのだと思います。便宜を取り計らってくださるならば、是非とも、他の方に、どうぞ」
早口にまくし立てて「失礼します」私は頭を下げて、退室した。本当に失礼な振る舞いのはずだったが、クィレル教授は私のことを呼び止めなかった。
……クィレル教授に述べた言葉は、嘘ではない。最後の、退室のためのおべんちゃらを除いて。
私は確かに彼の授業を受けることを待ち望んでいた。無能ではないと思っていたからだ。ハンデを打ち消すだけの才能と努力があったと考えていたからだ。そうでなければ、いくら呪文の実験体を欲していたにしても、上級生に睨まれてまであのとき助ける意味などない。優れた教授は好きだ、私の糧になるから。……期待は外れた。失望した。
私の判断が間違っていたならば、それは仕方がないことである。しかし、クィレル教授の場合は、一年の間に、誰かが手を加えて、変質した。明確に。先程の会話で確信した——私が期待していた授業はきっと二度と受けられない。ハハ。クソ。私が先に目をつけていたのに。
憤懣は腹の底に沈められる。私が喚いたところでなにも変わらない。闇の帝王の影響だと言うなら——尚更、たかだかホグワーツの一生徒が、果たしてなにを変えられるというのだろう?
➤
グリフィンドールの寮点が一夜にして一五〇点も失われていた。ポッターが深夜外出を行った結果らしい。気に食わないスリザリン生、ドラコ・マルフォイを深夜に誘い出すため、ドラゴンがいるだなんて嘘をついた——
「……嘘……?」
ドラコ、あの子、生まれたてのドラゴンについてけっこう具体的に語ってきたが……?
見た目だけならさておき、表現に具体的な仕草やサイズまで伴うと、信憑性はかなり高い。図鑑には成体のドラゴンの描写は多くとも、赤子のドラゴンについての言及はあまりない。研究文献のいくつかには記されているが、一年生の範囲ではなく、ドラコはそういうものには興味がなさそうだった。
兄上だって見たことないでしょうと自慢げだったので「非常に貴重な体験で羨ましいことこの上ないが、野生であれば通報し、野生でなければ近寄るのは絶対にやめなさい。ドラゴンの飼育は法律違反だ」と釘を刺しておいた。なんならそれも一月近く前の話である。夜間外出の件で一緒に減点されたドラコは、全く堪えた様子もなく、たかだか二十点でポッターを貶められたことに有頂天になっていた。弟が楽しそうでなによりである。
とはいえドラゴンの飼育など一年生の手に負えるものではない。そもそも彼らとて授業があるはずだ。なんならウィーズリーの末弟は先週から医務室送りになっており——そうだなそういえば医務室送りになっていたな? しかも入院沙汰だ。マダム・ポンフリーが一瞬にして治せないほどの病状だった?
このホグワーツで?
「……」
週末、森の脇でいつものように焚火をしていると、案の定ウィーズリーが寄ってきたので(本当になんで毎回わかる?)私はさっそく用件を切り出した。
「諸事情によりポッターと顔を合わせたい。呼び出してくれるなら適当な課題の転写は許可しよう」
「へえ……君のお使いで、よりによってシーカーと話せって? 課題一つじゃ割に合わない」
私が言えたことでないのは重々承知だが、グリフィンドールって、たまにとっても陰湿だと思う。スリザリン的にもドン引き。
「おまえたちの末弟でも構わないが」
「……なんの用?」
ここまで言うとようやく怪訝そうな顔をされた。
「ただの確認事項。気にかかるなら適当に目くらまし呪文でもかけて見ていればいい」
私は聞かれたところで問題ない。相手は——私が気を遣う必要、あるか?
呼び出されたのは六男のウィーズリーだけのようだったが、指定場所には、ポッターと、グレンジャーもいた。マグル生まれにして成績優秀な少女についても噂に聞き及んでいる。たぶん彼女は今年のドラコの成績を確実に超すので、そういう意味でも注目している。彼ら三人がつるんでいることもようよう聞いている。主にドラコから、悪口付きで。
「僕たちに用だって聞いた。マルフォイの兄貴が」
「ドラゴンはまだホグワーツ敷地内にいるのか?」
虚勢の威嚇を無視して単刀直入に尋ねると、一年生たちは揃って肩を震わせた。反感と怯え、警戒。表情と態度から読み取れる感情に構わず、目を合わせる——ああ、この件は森番も絡んでいて、それに、既に引き取られたのか。ならば用は済んだ。
「いないなら構わない。どうせ証拠は既に残っていないのだろう」
「どう——ミスター・マルフォイ、何故、そんなことを確かめに来られたんですか? みんな……ホグワーツにドラゴンなんていないって知っています」
踵を返そうとした私に、グレンジャーがかろうじて取り繕った態度で尋ねた。まァ一年生にしては、ついでにマグル生まれにしては、上等な振る舞いであると思う。
「野に逃していた場合は普通に危険なので、父上に上申して討伐隊を組んでいただく必要があった」
「……ドラゴンはもともといません。僕たちがついた嘘だから」
健気なことである。あるいは初手で信じてもらえなかったがゆえの諦観か。マクゴナガル教授も、まさかドラゴンを学内で飼育する馬鹿がいるとは思わないはずだ。あのひとはきわめて常識的である——クィディッチへの熱狂を除く。
「おまえたちが好き好んで針の筵になっている件は、私は全く興味がないのでどうでもいい」
興味があるのは私やドラコに危険があるかどうかだけである。まだどこぞでひっそり飼われているなら突き出したが、そうではなかったので、どうでもいい。ポッターどもの行動を弁明して彼の好感度を稼ぐには、既にドラコの態度によるマイナス効果が致命的だった。つまり本当にどうでもいい。
「森番もあれで役に立っている。根回しもなく勝手に職を失われた方が後々面倒だ」
「ハグリッドのことまで僕たち言ってない! ハグリッドはなんにも関係ない!」
ほとんど悲鳴じみた反駁(実質の自白)に「そうか? では私の勘違いだな」私は言った。この点についてはドラコからも聞いていないので、下手に追及されると開心術に関する弁明が効かない。前述の通りの理由でリスクを取ってまでつつく旨味が私にもない。
「二度とこのような対面の機会がないことを祈るよ」
私は本心からそのように告げた。違法なドラゴン飼育に関わる機会など本気で不要だ。ドラコがこれで興味を持った場合は父上にドラゴン保護区にでも連れて行ってもらえば良く、現状そんな素振りもない。
……その後、しいて言うなら、双子のウィーズリーのポッターたちに対する態度が微妙に軟化していた。本当に隠れ潜んで見ていたらしい。一応弟を気にかけているなら、普段からもう少し優しくしてやればいいのに。私みたいに。
「ところでドラコ、罰則で漏らしたって?」
「漏らしてない! 兄上はどうしてそういつも!」
はて。誠に遺憾である。私はこんなにも優しくしてやっているじゃないか。ねえ従叔父上。
『君を見ているとつくづく僕の兄上を思い出す』
「それあなたにとって最上級の罵倒では。……聞こえないふりをしないでください」
罰則でドラコ(と、ポッター)が遭遇した人影。ユニコーンの血を貪るもの。呪われてでも生き延びようとするもの。そうでもなければ延命できないもの。……おおよそ想像はつく。そして私の想像は当たっているだろう。従叔父上に正誤を問うことはなかった。
弟は単に巻き込まれただけで、そして無事だったというのに、他に問うべきことがあるだろうか?
➤
ハリー・ポッターと仲間たちが賢者の石を狙う輩を打ち倒した——そんな秘密がホグワーツ中を駆け巡った。ああ、四階の廊下はそれか。……闇の帝王が狙っていたのも、それか。
クィレル教授は教職席にいない。防衛術の教師の座はまたもや空席になるそうだ。張り出された点数で私は学年一位だった。闇の魔術に対する防衛術でも一位だった。クィレル教授は賢者の石の入手に臨む前に、試験を採点していったのだろうか。律儀なことだ。
いずれにせよ、同じ立場にはもう戻れやしないとわかっていたろうに。
『機嫌が悪いね』
「……スリザリンの優勝を覆されたのですから、当然では?」
『それこそ昨年度の君が望んでいたことだろう?』
今年のスリザリンの優勝も盤石——かに思われたが、グリフィンドール寮が学期末パーティで大量得点をして、全てをひっくり返していった。事前に得点を与えずにぬか喜びさせた部分以外は、確かに、私の望む展開だった。
六年連続で寮杯を獲得しているスリザリン。我が寮へ醸成された反感は、我が寮以外が優勝することで解消されるべきだった。ぬか喜びさせた点は性格悪いなと思うが、それだけだ。事態の大きさを考えれば、全校に対して然るべき声明は必要で、とはいえ明言できる範囲というものもある。立ち回りの一環として容認可能である。ポッターに大々的に実績を与えたい等の思惑も含まれていそうだ。中身も推察できなくもないが……どちらにせよ、私の怒りはそこにはない。
『クィレルがそんなに惜しい? あれは己の承認欲求に支配されて、闇の帝王に屈した男だ』
「……闇の帝王に屈した点は、我が家も大差はないとして。……惜しいとまでは。ただ、気になっていただけです」
逃した魚を大きいと思うのは世の中の常で、私の忸怩たる内心もその程度のものである。所詮私は、たった一回こっきり、生徒のいじめにちょっとだけ意趣返しをした程度だ。保身のマルフォイ、日和見のマルフォイ、ハハハ。馬鹿馬鹿しい。ここに家名は無関係で、ただ私があまりに微力で、加えて出遅れただけだ。
最近苛立つ私を同級生たちは遠巻きにして(そもそも学期末に私が苛ついているのは残念ながら例年のこととなりつつある)ドラコにも若干距離を取られた。おかげさまでミミズクと気兼ねなく話ができる。まったく、おかげさまでな。
『構わないけれどね』
ことんとミミズクが置いた小瓶を私は怪訝に見た。小瓶の半分ほど、半透明な液体が入っている。……なんだこれ。魔法薬だろうか。ずいぶん特徴的な色合いをしているが、私の知識に合致するものがない。
『あげるよ。僕はもう必要がない。この量で、たかだか瀕死程度の成人男性一人は回復できるってことは、検証できた』
待て。
「……なん、ですかこれ」
『ポッター゠ジュニアではないけれど、僕もちょっとした冒険をしてね』
「なんですかこれ」
『君のことだ、見当はついているだろう』
ミミズクの表情は全く読み取れないが(ミミズクに表情なんてあるのか?)ただ愉快がっていることだけはわかる。従甥で遊ぶな。
『賢者の石は破壊されるまでに猶予があったんだ』
「レギュラスあなたなにしてきたんですか」
完全に正体が確定して私の声はうっかり震えた。
『ちょっとした冒険』
ミミズクは繰り返した。答える気がないのはよくわかった。小瓶は変わらず照明を反射してきらめいている、中の液体も——見た目の美しさを評論している場合でもない。とんでもない爆弾だ。賢者の石が破壊されたことは日刊予言者新聞が既に報じていた。フラメル夫妻の貯蓄を除き、最後の命の水がここにある。そんなことある?
そして、たかだか瀕死程度の成人男性一人。闇の帝王がいくら実のところ生き延びていたとしても、ここまで音沙汰がないのであれば〝たかだか瀕死程度〟とすらも言えない状況のはずで、そもそも現在の従叔父上は(なにがあったか不明だが)失踪前にとっていたスタンスとは大幅に異なり、闇の帝王を嫌っている。きっと助力はしない。
では——命の水の効能、その検証対象に選ばれたのは。
『ちなみに、家庭教師はほしいかな? 具体的には、教授レベルにマグル学に詳しい人は』
「隠す気ありますか」
『防衛術も教え込んでいただこう。最初は自業自得と思っていたから捨て置くつもりだったけれど。なかなか便利な手駒を手に入れたよ』
便利とは。
「そもそもあなた、ホグワーツで普段どこにいるんですか」
『今は、まだ秘密』
ミミズクはくるくると頭を回転させる。