【完結】獅子座α星が、ふたつ   作:初弦

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五十年前当時のマートルは泣いていたので眼鏡を外していた説派です。


秘密の部屋
4年生も石にはなりたくない


「ドビー、お茶を頼みたいのだが——」

 バチン、という音が聞こえない。つまり、姿現しの音が。

 私は十数秒待ってから、確かめるように呼んだ。

 

「……ドビー?」

 返事はない。

 

 書架の本を適当に読んで時間をつぶしつつ、十数分間隔で呼び出しを試みることしばらく。一時間後、五度目の試みとして「ドビー」と呼ぶと、バチン、とようやく音が聞こえた。

「御用でしょうか、レグルスお坊ちゃま——」

「ドビー、まずこれから十分はおまえは仕置きを絶対にしないこと」

 ドビーが弾かれたように私を見上げる。私は嘆息とともに、本を閉じ、両足を揃えた。

「私が最初に呼んでから一時間経過した。私は五度おまえを呼んだ」

「そ——ど、ドビーは悪い子——」

「仕置きはしない」

 ドビーの手が止まった。コツコツと肘掛けを指で叩く。

「……おまえにもかかりきりなことはあるだろう。それは構わないのだが最近数が多すぎる。そもそも、私が呼んで反応しないことはこれで四回、ドラコが一回、父上が三回、母上が二回」

「申し訳ございません——!」

「特に謝罪は求めていない」

 私は溜息混じりに述べた。本当に、謝罪は不要である。無意味なことを求めるつもりはない。

「家の外にかかずらっているのか?」

 重ねて問うとドビーは口ごもった。「呼んで、来ない。確認しても、おまえも呼ばれていたことを把握していた様子ではない。であれば、そもそも聞こえる場所にいないのだと思うのだが」私は言葉を続ける。

「……ドラコはおまえとほとんど関わる気がないのでいいとして、父上と母上を誤魔化すにも限度がある。そもそも、私の夏休みが明ければおまえを引きとめているという言い訳も効かない……」

「ど、ドビーは、レグルス坊ちゃまにご迷惑をおかけして……」

「不要な手間という意味では迷惑だが、繰り返そうか、私は、謝罪は求めていない。おまえがなにをしているのかを知るつもりもない」

 というか興味がない。屋敷妖精(House elf)は種族の本能として、仕えている家を裏切れないようにできている。裏切る例はなくもないが、よほどの精神力がなければ不可能で、ドビーは——私が見ている限り、正直そこまで有能な屋敷妖精(House elf)ではない。ドビーの紅茶は美味しいけれど。

「とにかく……やるなら、上手くやりなさい。それに私もそろそろ紅茶が飲みたい」

「ただちにお持ちいたします!」

「慌ててこぼすなよ」

 この間ティーセットをひっくり返しかけて父上に仕置きを命じられていた。事前に警告を行うと、ドビーはピッと震えて「畏まりました」恐れ入ったように頭を下げた。そこまでしてほしいわけでは。

 ……なかなかうまくいかない。私はそこまで高圧的だろうか。父上の影響が多分に大きいのだろうが、それにしても。

 椅子に身体を沈めると、ミミズクが右の肘掛けに止まった。無言で見つめると、ぐるりと頭が回転する。

「レギュラス……」

『君は君なりによくやっている』

「……あなたから慰めをいただくとは」

 あまり似合わない言動だったので、私は思わず笑ってしまった。従叔父上は私に良くしてくださるが、それはそれとして私に対してかなり厳しい。同じ名前を持つゆえか。愛しの兄上(皮肉である)シリウス・ブラックと私には似ているところがある、と常々評価されるが、それゆえかもしれない。

『昔の僕も、クリーチャーと仲を深めるには苦労した。なにせブラック家は使えなくなった屋敷妖精(House elf)の首を刎ねる慣習があるもので……』

「さすがにマルフォイでもそこまでしません」

 クリーチャーとはブラック家の屋敷妖精(House elf)である。ヴァルブルガ様が御健在のころは私も何度か顔を合わせた上、従叔父上の話にはかなり頻繁に出てくる名前なので、覚えてしまった。私が、ドビーに努めてやさしく接するようになった理由でもある。

 ……そのヴァルブルガ様も死去された。魔法使いにしては短命だが、もともと遺伝的疾患を持ち合わせた方だったので、意外ではなかった。ブラックの邸には今は魔法使いが誰ひとりいないわけだが——

「……クリーチャーはどうされているのですか?」

 気になって尋ねると『時折、僕も様子は見に行っていた』ミミズクは首を傾げた。

『今回の夏季休暇からは魔法使いをひとり寄越しているので、問題はなさそうだ』

「……。え?」

『混血のせいでしごかれているようで、頻繁に連絡が来るけれど。仲良くやっているようだよ』

 まさかどころではなく派遣されたのはどこぞのクィレル教授か?

 クリーチャーはさすがにブラック家に仕えるだけあって(純血よ、永遠なれ!)潔癖な純血主義だったので、混血たる彼は〝しごかれている〟どころではない気もするが。従叔父上もブラック家の教育が根深く染み込んでいるので、私から見ても、そのあたりの基準がずれているのだが。本当にそれは仲良くやっているのだろうか。

 疑うつもりでもないが訝しく見ると、ミミズクは小首を傾げた。

『闇の帝王よりマシだろう』

「それは……。……そうですね……」

 昨年度の出来事におおよそ見当はついていたが答え合わせはあえて避けていた。避けていたはずだったが今、ほぼ確定情報を与えられた気がする。

『休暇中に君たちが対面する機会はどこかで設けよう。その際、話は合わせるように』

「……はい」

 従叔父上はおそらく、私が気にかけていたからクィレル教授を救った。これもまた気遣いだろう。保身のマルフォイとしては正直あまり首を突っ込みたくもないが、不承不承の内心を隠して頷いた。厚意を跳ね除けられるほど冷血でもない。

 

   ➤

 

 夜の闇(ノクターン)横丁のボージン・アンド・バークスは父上の非常に良い取引相手である。アーサー・ウィーズリーの抜き打ち調査(情報が漏れている抜き打ちとは……)を避けるべく——大人同士の取引に早速飽きたドラコは、昨年度の出来事を愚痴りつつ、棚の呪われた品々を興味深げに眺めていた。

「兄上だって、そう思うだろ。ポッターもグレンジャーも……」

「はいはい」

 父上に何十回も訴えられているぶん、私も何十回も同意を求められている。さすがに面倒なので適当に流すと「兄上は、額に傷がある程度のやつと、マグル生まれの味方なの?」ドラコが拗ねた声を出した。

「どちらも非常にどうでもい——」

 不用意な発言をしたのは間違いなく私だが、父上は父上で〝ドラコのためになる話をしなさい〟とばかりの眼差しを送ってくる。ドラコはまだ十二だが、私もたかだか十五に差し掛かる程度の年齢だと、まさかお忘れではないか?

「——……ただ、生き残った男の子への世間的評判は好意的な見方が多く、同調しておく方が味方につけやすい。また、混血やマグル生まれの割合の方が最近は多いので、外では無難な発言をして損はないと思う」

「ここは外じゃなくて、中だ」

「家の外。屁理屈の自覚はあるだろう、ドラコ」

 そもそもボージン氏の存在を素で無視している。ボージン氏は愛想笑いを崩さないまま、媚びへつらうが如く、乾いた笑い声を立てた。全く面白くもなさそうだ。目利きは良いが演技は下手。

「兄上はいいな」

 ドラコはぼやきながら、呪われたネックレスの説明文に目を通している。

「同学年のウィーズリーは贔屓もされないような手合だ」

「まァあれらは普通に問題児だからな」

 昨年度は累計では百点ほど減点されていた。本当にポッターどもを後ろ指させる立場ではなかったと思う。ウィーズリーのダブルスタンダードなど心底どうでもいいので、私は指摘をしなかったし、彼らは彼らで勝手に反省していたが。

「とはいえ、器用な人間たちだと思うので、要するに使い所だろう。あいつらに髪をショッキングピンクに染められたときは興味深かった。この色だから普通は根元まで染まると落ちにくいのに、簡単に落とせたからな」

「レグルス。ウィーズリーを評価しているように取られかねない発言も、やめた方が無難だ」

「父上は私にどうせよと仰せですかね……」

 匙加減が難しいな。

「ディゴリーは劣等生の寮だし」

「そもそもクィディッチを並行している男に成績で負けるわけにはいかないだろうよ」

 かぶりを振ってふと、ドラコが熱心に見つめるネックレスの隣、キャビネット棚に視線を移す。——緑の瞳と目が合った。

「……」

 この色の目、見覚えがあるな。主にドラゴンの件で話を聞き出した(開心術をした、とも言い換えられる)眼鏡に稲妻傷の少年の目である。何故このようなところに……知りたくもないな。

「父上の言葉を繰り返すようだが、本当に触るなよ。自業自得でなにか呪われても助けられないからな」

「これには説明書に触れたら呪われるって書いてない——ネックレスにはある」

 キャビネットを開けようとしていたドラコが、私を見上げて文句を言った。ドラコと私の立ち位置の問題で、扉の間に見えている瞳には、弟はおそらく気づいてもいない。

「馬鹿正直にすべてに書いてくれるとでも? 店内で誰かが死んだ場合はさすがに事件だが、遅効性なら気づかれない。そもそもこれだけの数の道具が相互に影響しない保証もない」

 それらしい理屈を並べてやると、ドラコが手を引っ込めた。緑の瞳がキャビネット越しにぱちぱちとまばたきをした。

「ドラコ、レグルス、行くぞ」

 父上が私たちを振り返る。「そういえば、ドラコには箒を買うとして——レグルスはどうする」「四年生相当の防衛術の教本をいくつか要求しても?」「……それは教科書リストに載っているのでは?」理解不能とばかりに父上は眉をひそめた。

 私は教科書リストを振ってみせた。フローリッシュ・アンド・ブロッツ書店で各科目の教本を買うに必要だとして、個人的に、目を疑った記述が一部。

「ロックハートの蔵書目録は娯楽小説としては相応に評価しているが——防衛術の教本に相応しいとは、私は、絶対に、思わない」

 何故かドラコが無言で私を見つめ、父上が呆れたように首を振った。

「……新任の防衛術教授を辞職させるつもりなら、こちらから手を回すので、ひとりで動くのはやめなさい」

「まだ計画してない」

「まだ、か」

 言葉の綾である。私はなんだと思われているのか。

 

   ➤

 

『早急に一階に降りなさい』

 ミミズクが降りてきて言うので、私は不快に思って眉を上げた。

「ギルデロイ・ロックハートのサイン会で大賑わいの一階に?」

 ゆえにこそ知り合いもちらほら。なんならウィーズリー家もポッターもグレンジャーもいた——マグルらしき服装の彼らは、顔立ちが似通っていたので、グレンジャーの親だろう。

 切実にご遠慮願いたい。

『ルシウスとアーサー・ウィーズリーが乱闘騒ぎを起こしている』

「どうして」

 私は手に持っていた本をすぐさま元の棚に押し込んだ。ミミズクは私の腕に止まった。

『ルシウスが故意に煽ったんだよ。なにか意図はあるのだろうがそれ以上にあの惨状は目に余る』

「ああもう……」

 行儀は悪いが、書店の階段を駆け下りる。一階に駆け込むと森番が割って入って二人を引き剥がしていた——あの体格、本当に適材適所で役に立つものだな。

「父上!」

「ああ、レグルス——」

 目元に殴打痕を作った父上が私を見る——ごく一瞬、父上の頬が引き攣った。

「なにを——されて——いらっしゃるんですか」

「……くだらない話だ」

 父上は目を逸らした。ドラコを見ると「僕は手を出してない」弟は即座に答えた。ローブが身奇麗なのでそうであろうとは思ったが。

「全く……マグルと付き合うだけあって、魔法ではなく己の拳しか信用できないらしい」

「父上、私の見間違えでなければ、その手に持っているものは杖ではなく本のように見受けられますがね」

 あなたが言える立場か——私は努めて冷静に、言葉を丸めたつもりである。

「……セブルスに似たな……」

 父上は目を逸らしたままぼやいた。図星をつかれた自覚はあるようでなによりだが、回答がいただけない。話を逸らす物言い。「それがあなたのお答えならば——」私は怒りをできるだけ抑えるべく、ミミズクの羽を撫でた。

 どういう意図があるにしろ、いったいどのような理由があれば、公衆の面前で大の大人が取っ組み合いする羽目を正当化できるというのか。そもそもポッターをこき下ろすドラコに〝賢明ではない〟と諭したのは先だっての父上では? 似たようなことをして説得力を無に帰すにしても、あまりに早すぎるだろう。ドラコに説教している場合でもないとは。

「今日のことは母上にご報告いたしますので、どうぞ、父上は存分に母上に釈明してください」「レグルス」「帰ります。皆様お騒がせしました」「おまえの教本がまだ選び終わっていなかっただろう」

 私のご機嫌取りをしている場合か。

「私の教本は後日ドビーでも連れて買いに来ます」

「兄上、僕の箒だってまだだ!」

 ドラコが悲鳴を上げた。

「それとて後日でも構わないだろう」

 私はこめかみを抑えた。よりによって今日、ロックハートのサイン会が行われていたせいで、野次馬ばかりが集っている。未だに聞き耳を立ててヒソヒソとささやきあう者共が多すぎる。散れと思うが、騒動を起こしたのは不本意ながらこちらの方である。

「しかしおまえが、好奇の目を受けながら買い物をするのが好きだというなら、私は止めない。私は——私だって久々のショッピングを楽しみにしていたのに何故このようなことを言わねば、」

 

 ——刹那、奇妙な沈黙が下りた。

 

 咄嗟に己の発言を思い返し(本当に、下手なことを言ったな)私は強くかぶりを振った。

「もう行く」

「レグルス」

「ついて、来ないで、ください」

 身を翻すと、ミミズクが慰めるように頬を寄せてきた。本当になにが悲しくて、尊敬する父親に説教せねばならないのだ。久々に父上が付き添ってくださったのに。初めに闇の品を売り払ってそれから宿敵のウィーズリー氏と大乱闘。私のささやかな要望を叶えてくださるよりも、それらは優先されるべきことだったらしい。であれば存分に揉めていただこう、私がいないところで。

 ……なんだかいろいろ馬鹿らしくなった。

 ささくれだった気分でミミズクと目を合わせる。我が愛しの従叔父上からは、果たして、いかなる言葉をいただけるものかな。父上は確かに、大人の魔法使いとは思えない振る舞いだったが——私も私で、公衆の面前で感情的になり、あのような醜態を晒した。

『帰る前に、漏れ鍋でも寄っていくかい?』

 ……責めてくれた方が精神的に楽だった気もする。

 大きく息をついて、ミミズクの羽をもう一度撫でた。

「……あなた金銭支払えないでしょう」

 持ち合わせていたとしても取り出せない。この雑踏でヒトの姿に戻るリスクはあまりに高い。

『呼び出せるよ』

 呼び出せるよ・とは。

「……漏れ鍋じゃなくて、フローリアン・フォーテスキューがいいです」

『君は本当に甘いものが好きだね』

 ミミズクは首を回した。

 アイスクリーム・パーラーにはやはり夏ゆえにそこそこ人がいた。空席はないかなと探していると、手を挙げる男がひとり。顔中に広がるケロイドの跡が痛々しく——このような火傷痕の知り合いがいたら、私でなくとも忘れない——私は思わずまばたきした。

「マ、マ、マルフォイくん」

「……教授? お久しぶりです」

 咄嗟に名前を呼ばなかった私に、クィレル教授ははにかんだようだった。引き攣れた火傷痕が上下したので、たぶん、そうだった。

「お、お、お久しぶり」

 クィレル教授にアイスを奢っていただいた。持ち合わせぐらいはありますが、と見上げれば「き、君は気にしなくて大丈夫です」彼はきっぱりと言った。呼び出せるよ——意図はわかった。

「か、か、彼は、も、戻らないのですか」

 クィレル教授の言葉は具体性に乏しかったが、明らかにミミズクを見ていた。ミミズクは目を細めて鳴いた。

『今はまだその時ではない』

 仰々しい。「私とて、彼の本来のお姿を見たのはたった一、二度です」適当に解説しておく。

「教授は、今は彼の本邸の方に住まわれているということですが」

「え、ええ」

「居心地はどうでしょうか」

 お聞きしてから気になっていたことだった。私の問いかけに、クィレル教授は露骨に目を泳がせた。

「ひ、非常に……よくして……よく……?」

 疑問形である。

「……本当に大丈夫ですか?」

「て、帝王よりは、ず、ず、ずいぶんと」

 一介の屋敷妖精(House elf)が闇の帝王の貫禄を上回っていたら、もはやそれは化物のたぐいである。屋敷化物(House monster)。語感はあまりよろしくない。

「マ、マルフォイくんは——し、新学期の買い物に?」

「……そのつもりでした」

 私はふと思い出してアイスクリームを匙ですくった。甘い。甘ったるい。お手軽なお値段で購入できる庶民の食べ物らしく、些か味が強すぎる。菓子の砂糖を㎎単位で調節する屋敷妖精(House elf)の手際でもない。たまに摂取する程度がちょうどよい。

「少々——まァ、後日また買いに来ます」

「そ、そうですか」

 クィレル教授は一緒に買ったアイスをつついた。

「……か、彼には——た、助けていただきました」

「お聞きしてからずっと思っていたのですが……彼は、本当に〝助けた〟のですか?」

『人聞きが悪いね』

 ミミズクは不満げに私を見上げた。

「ど、どちらかというと、確かに、し、死ぬか、い、生き延びて下僕になるか、の、二択でしたが……」

 やっぱりあんまり助けてなくないか?

「けれど——私は、あそこで死ぬべき運命でした。既に呪われた身体でしたから、普通の手段では、死を免れない状態でした」

 クィレル教授はきっぱりと言った。いつもの吃音すら鳴りを潜めている。火傷で無残になった顔面で唯一そのままのもの、曇天に類似した印象の瞳が、アイスから私に移される。

「いただいた〝水〟は、あまりに貴重なもので……本来、私のような罪人に与えられるべきではないほどのものでした」

 それは——確かに、否めない。命の水の小瓶は未だ私が預かっている(何故……)が、小瓶半分で成人男性一人を瀕死から回復できるとは従叔父上の言である。クィレル教授に使わなければ、二人は救える分量が残っていたはずだった。

「で、で、ですから、だ、大丈夫です。——ぼ、防衛術もき、きちんと、真剣に、教えられるように、頑張ります」

 今の言い回しは聞いたことがあるような気がした——私が昨年、言った覚えがある。

「教授、」

 私が呼ぶよりも先に、クィレル教授は火傷だらけの顔をぱっと歪めて立ち上がった。

「そ! それでは! いずれ、また!」

「ええ、また——」

 深々と礼をして、走り去っていった。想定よりもずいぶんと足が速い。これはトロールもホグワーツ内に招き入れられるわけだ。

「——レグルス」

 代わりに降ってきた呼びかけを、私はちょっと無視をした。拗ねているので。

「……レグルス。……こちらを見なさい」

 十四歳でも拗ねるときは拗ねる。

「……見てくれ」

 ……お願い(Please)、は卑怯な気がする。眼差しだけを向けると、父上は複雑そうな顔で私を見下ろしていた。

「今の男は?」

「知人です」

 私は素気なく答えて「怪しいものではありません」付け加えた。

 ……いや、私がどのように弁明したところで、顔面全面火傷はどう考えても怪しいな。魔法界において治せない火傷は限りなく少ない。なにか変なことに手を出したのは見ればわかる。

「少なくともボージン氏よりはまだ怪しくはないかと」

「あの男より怪しい者の方が珍しい」

 父上は嘆息して椅子を引いた。「ドラコも」「僕はこっち」ドラコは勝手に私の隣に椅子を引っ張ってきた。

「兄上、僕にも一口」

 無言で匙ですくって口に突っ込んでやると「……うわ、甘……」ドラコがぼそりとつぶやいた。私もそこは同意見だが、だったら最初から要求しないでもらえるか?

「いくつか見繕ってきた。おまえが見ていたという本の中から……どれを選べばいいのかわからず」

 並べられた書籍はいずれも確かに私が見ていたものである。的確に、特に長考していたものがピックアップされている。

「……誰から聞きました?」

 父上は二階には上がってこなかったはずだが。なにせ上がってくる前にウィーズリーと揉めたので。書店員は本日、誰もがロックハートのサイン会にかかりきりで、会計以外ではほぼ常に行列を忙しなく整理していた。

 私の訝しむ声を受けて、父上は微妙に目を逸らした。……どういう。

 ドラコが私のローブを引く。頭を傾けると、横髪をさっと払って、耳打ちしてきた。

「ウィーズリーの双子」

「……。あー」

 見ていそうだなあいつらは。

「父上が選ぶのに困っていたら、いろいろ口出してきたんだ。兄上、あいつらと仲いいのか?」

「最悪だが?」

「ウィーズリーどもも同じこと言ってた」

 盛大に顔をしかめて不服を示す。最悪なのは間違いないのだが、意見がお揃いだなんて寒気が走る。ドラコは椅子に行儀よく座り直した。

 「それで——」父上は言葉を探しているようである。

「そうだな。おまえたちと出かけていたのに、おまえたちを優先しなかったのは、悪かった」

 心底気まずそうながら、謝罪の言葉を述べられた。「僕は別に」ドラコが言いながらも私を見上げた。

「……まァ、過ぎたことはどうしようもない。父上が時間を作ってくれたのはわかってる」

 私は素気なく言った。家族に対するにしては過剰な丁寧語は、とりあえず、父上に免じて取り払った。

「父上のことは嫌いじゃないし」

「そうか」

 父上の声が若干はねた。

「母上にはもうお伝えしたので」

「……。そうか」

 父上の声が若干しぼんだ。私の機嫌さえ取れば逃げられるとでも思っていたのかこのひとは。

 

   ➤

 

 がたんがたん、がたんがたん、汽車は時折汽笛を鳴らして、郊外ののどかな風景を突っ切ってゆく。変わりゆく、しかし変わり映えしない景色が連なっている。

 窓の外を眺めているうちに私は少しばかり眠っていた。空の中央、雲の狭間を浮かぶ水色の車、列車と並走している——夢ってとても支離滅裂だ。

「兄上、フクロウが来てる」

「ン。……ン」

 窓を開けるのに何度か失敗していると「クラッブ」嘆息混じりに指示が下り、窓が勝手に開いた——訂正、クラッブが開けてくれた。招き入れられたフクロウは日刊予言者新聞を咥えて、足元の小銭入れを差し出した。

「兄上、それはシックル硬貨。多すぎる」

「ンン」

 すべる指先でなんとかクヌートを掴み出して、一枚、小銭入れに落とす。新聞を私の手元にねじこんで、フクロウは羽ばたいていった。

「レギュラス……?」

 私はその姿を呼んだ。ドラコが大きく溜息をついた。

「あのフクロウは予言者新聞のフクロウで、兄上のミミズクじゃないだろ。……そういえば、レギュラス、どこに行った?」

 気持ちよく眠っていたところを中断されたので思考がふやけている。目をこすって新聞をめくる。

「夢がまだ続いてる」

「はあ?」

「空色の車が空を飛んでいた」

「兄上そろそろ起き……」

 うんざりしたドラコの声が途中で止まった。私の手から新聞が取り上げられる。

「……【空飛ぶフォード・アングリア、訝るマグル】?」

 ドラコが読み上げた。

「これ——目撃地が近い。兄上、車を見たというのは?」

「だいぶ上」

「だいぶ上って、どこ」

「私の……寄りかかっていた……」

 窓縁に寄りかかって眠っていたので、かなり上の方まで見上げられた。そんな夢を見た。思考のパッチワーク。知識と知識のはざまを無秩序にボンドでつなぐ。

「窓から乗り出した方が早そうだ」

「危ないのでやめなさい」

 目が覚めた。危険行為が今まさに目の前で行われている。ドラコのローブをつかんだものの、ドラコは構わず、むしろ私にすべての命綱を託すことにしたようだ——勘弁してくれ。

 より身を乗り出し、上体を反転させて、上空を見上げた。

「……本当に飛んでいる! あんな奇妙なマグルかぶれの物品作るやつ、ウィーズリーしかいない!」

 完全にマグルの製品たる車を、諸々の機能を維持したまま飛ばせるのはまあまあすごいのだが(違法ではある)評論している場合ではない。

「ドラコ、危ない。本当に。車内販売の魔女が変身してしまう」

「あいつらきっと退学——車内販売の魔女が変身ってなに? それも夢?」

「おまえがホグワーツの歴史を読んでいないことはよくわかった」

「あんなの読むの、兄上かグレンジャーぐらいだろうさ」

 失敬な。パーシー・ウィーズリーも読んでいたと聞いたことがある。あの魔女は本当に怖いので、ウィーズリーどもを列車から叩き落とすにはちょっとした工夫が必要なのだ。

 ……実際に見た経験?

 ……ない、ことにしてある。

 

   ➤

 

 ロックハートが教壇に立つ、までは私も特にコメントはなかった。ロックハートの熱狂的ファンならばまだしも、数々の著書を記した彼本人が教鞭を執るのであれば、あの娯楽小説もどうにかこねくり回して役に立つのだろう、と考えることができた。

「ギルデロイ・ロックハート。勲三等マーリン勲章、闇の力に対する防衛術名誉会員、【週刊魔女】五回連続【チャーミング・スマイル】受賞——」

 まァこれも流した。

「最初にちょっとミニテストをやろうと思います。心配ご無用——君たちがどれくらい私の本を読んでいるか、どのくらい私の本を覚えているか、チェックするだけですからね」

 ペーパーテストの内容には言及しないとして、知っている範囲はきちんと埋めた。拝読していない範囲は空けていたので、確実に、満点は取れなかった。おそらくホグワーツで授業を受けて以来、初めてのことだった。

「それでは、そうですね、本当ならば恐ろしい妖精の脅威を見せたかったところですが——ともあれ、幸いなことに、君たちのお手元には私の本がある。この素晴らしい体験記がね」

 ロックハートの初授業、グリフィンドール二年生のクラスで、数多のピクシー妖精が解き放たれた件は噂に聞いている。

 そうして残りの時間じっくり、雪男とゆっくり山歩きの朗読劇(ときに、同級生を指名し、身振り手振りを加えて)が行われた。

 授業終了のベルが鳴った瞬間、生徒たちはほとんどが即座に退室した——何人かは居残って、ロックハートにいろいろと質問をしていた。ほとんどはロックハートのファンだろう。女子生徒が多いが男子生徒も混じっている。

 ロックハートが彼らに笑顔で対応するのを確認してから、私は目くらまし呪文を解いた。

「おい! 君、〝マルフォイ〟のくせにやけに指名されないと思ったらそんなずるを——」

「私は、ロックハートの授業は、次回から最終回まで私用の腹痛で欠席する」

 きゃんと吠える同級生に私は告げた。同級生は口をつぐんで、私をじっと見た。

「……君」

「なにか」

「……。出席が著しく悪ければ、成績は落とされる」

「防衛術は必修だから、どのような成績を取ろうとも、来年度も履修に迫られる」

 私は鞄を抱え直した。早足の私に追いつかんと同級生も足を速めた。

「O.W.L.で(O)さえ取れば問題ない。私のO.W.L.は来年で、今年じゃない。それにどうせロックハートも一年持たない」

 防衛術教授のジンクスこそが現在の唯一の救いである。ダンブルドアはなにを企んでいる? まさか本当に耄碌したとでも言うつもりか?

「君——君、一年生のときのあいつでさえ、ちゃんと真面目に授業を受けていたのに」

「あれはほとんど崩壊していたが、防衛術の体裁は保っていた」

 一年生であれども判別をつけるだけの能力は持ち合わせている。最悪は更新された——いや、されていないかもな。私にとって〝防衛術〟としての最悪は相変わらず、一年生のときの講師である。よくもまあ当時の私はあの授業に耐え続けたものだ。

「しかし私は、お遊戯会の科目を取った覚えはないな」

 ロックハートのアレは防衛術とは呼ばない。

「……レグルス・マルフォイ、もしかして、怒っている?」

 どこか慎重な尋ね方だった。私は鼻を鳴らした。

「評価するためと言い訳して一時間無駄にしてしまった。これ以上一秒も割けない」

「怒ってるな?」

「幸いにして、防衛術の授業に真剣に臨んでくれる方に心当たりがある。おまえはよく私のお願いを聞いてくれるから、少しぐらい便宜を図ろうか。どうする?」

「……まァ腹痛なら仕方ないものな! あ、鞄持つよ」

 至極わかりやすい。わかりやすい方が付き合いやすい。笑顔で包められた空虚なおままごとに付き合い続ける意味がない——あの男、よくもまあ、今までハリボテを保っていられたな。

 たかだか十五歳如きに開心術を使われて、気づきもしない防衛術の講師。ハハ。笑える。勲三等マーリン勲章、闇の力に対する防衛術名誉会員——あの数々の称号って、もしかして、折り紙で作られた児戯だったりするのかな?

 

   ➤

 

 スリザリンの監督生候補、全十二科目皆勤賞のレグルス・マルフォイが、防衛術を腹痛で欠席した。

 次の回も欠席した。

 次の次の回も欠席した。

 同日に行われた、変身術、占い学、魔法薬学は、出席していた。これらは未だに皆勤賞である。

 スリザリン寮の四年生は、ロックハートの授業においてのみ、空席が目立ち始めているようだ。私が関与するところではない。

「兄上、あの男からどうやって逃げてるんだ?」

 ドラコがぼやいた。スリザリンの選手服に身を包み、新しい箒をかついでいる。

「僕はもう三回も雪男の役をやらされた」

「可哀想に」

 私は嘯いた。マルフォイの名前はあの目立ちたがりは気に入らないだろうし、つまり、()()()()()に仕立て上げられるだろうと思っていたが、案の定だ。

 ドラコが睨むので肩をすくめる。

「父上に透明マントでも取り寄せてもらおうか」

 デミガイズの毛皮から織られた透明マントはきわめて貴重な物品である。父上ならば、劣化していない製品を取り寄せられるだろう。

「……さすがにすぐわかるだろ。ロックハート、あの男、仮にも教授だもの」

「あいにくとそうでもないんだなこれが……」

 目くらまし呪文程度で誤魔化されるロックハートを防衛術講師とは認めない。教授どころか講師とすら認めない。絶対に。あの男の娯楽小説をノンフィクションと呼ぶ気もない。フィクションとしては……面白い。そこは認めよう。

「あの野郎が教職につけたことこそが奇跡だというのは、同意見だとして——」

 私たち兄弟の和やかな会話に、フリントがうんざりとつぶやいた。

「——苛ついてんのはおまえの勝手だ。競技場につくまでに自分の機嫌は自分で取っとけよ、おまえはあくまで見学なんだからな」

「もちろん」

 私は肩をすくめた。クィディッチボールの収納箱をひょいと真正面に浮かす。

 ドラコがスリザリンのクィディッチ選手の選抜に参加し、そして見事、レギュラーかつシーカーへと抜擢された。そして、父上はお祝いとして箒を選手全員分配布してくださった。……なに? 圧力? 知らないな。どういうことだろうな。ドラコがシーカーへ抜擢されたのはシンプルに実力である。実力ということになっている。その()()に目に見えぬ忖度があったかどうか——私が知るものかよ。なにせ箒の小突き合いには疎くてな。

 しかし箒の小突き合いには疎いものの、ドラコの初練習と言われれば興味も惹かれる。私の見学は一も二もなく了承された——ドラコの兄ということはすなわち箒をくださった父上の息子でもある。そういうこと。スネイプ教授は、ドラコのために、わざわざクィディッチのピッチを貸切にする申請を出してくださったのだそうだ。

「兄上。……本当に見るの?」

 ドラコの嫌そうな顔。居心地が悪いし兄上にクィディッチの良さがわかるわけがない(そこはそうだな)と強めに抵抗していたところを、私が強引に押し切った形だ。いまだに抵抗している。まったくうちの弟は可愛いな。

「当たり前だろう」

 私は笑顔で答えた。我ながらわりと珍しい、満面の笑みである。

「なにより、その顔が見たかった。撮ってもいいか?」

「シーカーの権限で追い出したい」

 ドラコが縋るような目でフリントを見た。

「父上と母上に写真を撮ってこいとも命じられている」

 父母にいただいた魔法界のカメラ(三脚付き、杖で叩くと勝手に伸び縮みしてピントが合う)を私が掲げれば、フリントはドラコに向けて首を横に振った。私だけならばまだしも、箒を寄付したルシウス・マルフォイに、まさかたかだかキャプテンごときが——そして、キャプテンだからこそ——逆らえるわけがないものな?

 ドラコは舌打ちした。行儀が悪い。

 選手陣から離れ、しばらく三脚を立てる位置を探していた。しばらくのことだ。……不穏なざわめきに眉を寄せる。

「なにが起き——……本当に、なにが起きた?」

 ピッチの中央でナメクジが大量発生している。【消えよ(Evanesco)】の連続使用でなんとか芝生の害獣は消し去ったが、いるはずもない真紅と金の選手服の集団が、緑と銀の選手服の集団と睨み合っていた。かろうじてだ。ウィーズリーの双子なんぞ、抑え込まれていなければきっと暴れ出している。

「マルフォイ!」

 暴れ出しかけていたウィーズリーのうちひとりが私を見つけた。もうひとりも私を睨んだ。お目にかかったことのない大激怒だ。

「……なにか?」

 さすがに私も困惑した。「なにか、なんざ、よくも——」「本当に経緯を知らないのだが」「おまえの家が腐っているのは俺たちもうとっくに、よーくご存知だけどな」勢い余ったにしてもあまりな言い草である。反駁する前に、ウィーズリーの片方が苛立たしげに私に歩み寄り(双子のウィーズリーはビーターを担当するだけあって体格が優れている。プライドがなければ私も一歩くらいは下がっていたかもしれない)胸ぐらを掴まれた。

「おまえの家の教育は——人に対して、穢れた血(Mud blood)と呼ばわることを、当然とするのか?」

 ……。

 なるほど。

 言ったのは、文脈から察するに、ドラコ。私は視線を走らせる——グリフィンドール選手が一部を除き揃っている。ハリー・ポッターがいない。彼は父親が純血で、マグル生まれではない。しかし、ポッターがつるんでいる友人にマグル生まれの少女がいた。彼女もまた不在である。ナメクジは消え去ったが、ナメクジを吐く呪いというものがあった。……これはロナルド・ウィーズリーもいたかな。

「【放せ(Relashio)】」

「てめ」

 唱えると自動的に手が離れる。魔法による身体掌握。場面によっては侮辱にも等しいだろう、今この時とか。

 蒼白になったウィーズリーが目の前で拳を握り、

「申し訳ないことをした」

 私は頭を下げた。

 息を呑む音が複数。

 拳が振り切られる気配はない。

「ドラコにはよく言って聞かせる」

「——なん……」

 ウィーズリーの拳が、力なく、下がった。

「……俺じゃなく、ハーマイオニーに、言え……」

「やはりグレンジャーが言われたのだな。彼女にも改めて謝罪を申し出る」

 言い切って、私は頭を上げた。

 ピッチを見渡す。スリザリンもグリフィンドールも呆然としている。まさかあのマルフォイがここまで殊勝な態度を取るとは思わなかったろう。私もここまで条件が揃っていなければ、このような振る舞いは行わなかった。

 

「——兄上!」

 しかし、案の定、ドラコが爆発した。

 

「どうしてそんな、なん——あの女が僕を、僕たちを侮辱したんだ!」

 今度はドラコが私に憤然と詰め寄った。

「金で買ったポジション、才能で選ばれてないみたいに! 僕は、僕は事実を言っただけだ! なんで、」

「言って良いことと悪いことというものがある」

 私はドラコを見下ろした。その拳が震えていて、その瞳が震えているのを見た。

「おまえが言ってしまったのは〝悪いこと〟だ」

「どこが!? あいつは実際に下賤な生まれで——」

「ドラコ」

 言葉はあえて遮った。ドラコは唇を噛みしめた。

「……兄上は、僕に本当に味方してくれたことなんて一度もない。いつもそうだ、いつも——レグルスなんて嫌いだ。あなたと兄弟なのが恥だ」

 泣いているなと思ったが指摘する気力はなかった。ドラコが目元を拭いながらピッチから走り去るので「……誰か、あいつを追いかけてやってくれないか」私は言いながらその場に座り込んだ。言われると予測していた罵倒の範疇であったが——普通に、真剣に、傷ついた。

「……大丈夫か?」

「大丈夫に見えるならその目はどうかしている」

「そうだな」

 憎まれ口を叩いたのに、ウィーズリーは真面目に相槌を打った。私に掴みかからなかった方である。おまえ、だからウィーズリーから脱出できないのだ、そこは空気を読め。冗談を入れろ。いつもの如く。

 文句の代わりに舌打ちをこぼす。

 ……もちろん、差別用語はシンプルに外聞が悪い。家の中であれば外聞もなにもないが、外にてその言葉を発するならその悪評を背負わされる。あとたぶんポジションを金で買ったのは一部は間違いなく正しい。ドラコには実力があるが、昨年度まで現役シーカーだったヒッグスを押しのけてまで、あるいは他のシーカー候補を退けてまで選ばれる実力があったのか、と尋ねられると……フリントは言葉を濁すだろう。そもそもたぶんドラコが最初に挑発している。なんならグリフィンドールと練習時間を被せたのは誰かの故意だろう。

 それは前提として。

 あそこで、うまくなあなあに収めることはできなくもなかった。しかし、それは、許されなかった。

 何故か。

 今回、スリザリンにピッチの使用許可を出したのはスネイプ教授だ。新人シーカー、ドラコの教育のためである。

 我が寮監、スネイプ教授。基本的にスリザリンに利のある振る舞いをし、グリフィンドールに微妙に当たりが強く、とりわけポッターにはかなり当たりが強い。しかし——スリザリンが掲げるような、真正の純血主義者ではない。たったひとつだけ、あの人が絶対に許さない語句がある。おそらくたいていの生徒は気づいていない。当人さえも自覚しているのか怪しい。あの人は、その言葉を吐いた者を厳しく見つめる。さながら憎悪の如く。開心術を使うまでもない。あの色は見間違えようもない。

 〝穢れた血(Mud blood)

 ……誰に言えるものかよ。ドラコにさえも。あれはあのひとの地雷だ。特大の。

 この件、実は、かなり大騒動だ。コリン・クリービーが写真を撮っていたので証拠も残っている。この場で確実に収められなければ、寮監に報告される。そのとき——スネイプ教授はどう思うだろう。父上に世話になっているとしても、それで私たちの振る舞いが他の生徒よりも幅広く許されるとしても、けっきょくあのひととて人間だ。限度というものがある。

 理屈をなにひとつ説明できないから、私が、頭を下げなければならなかった。価値あるマルフォイの、滅多にない真剣な謝罪で、免じてもらうしかなかった。おかげで……ドラコに、弟に、嫌われた。

 

 夏季休暇明け早々に抱く感想として、我ながら、どうかと思うが——けっこう本気で家に帰りたい。

 

   ➤

 

「——兄弟喧嘩したって?」

 焚火の前で、ディゴリーは朗らかに微笑んだ。すぐさま立ち上がった私に「カラースプレー」袋を差し出した。かつてダンブルドア校長が用意した袋よりも二周りは小さい。もはや一昨年度前のことであるのに、学習している。

「……」

 私は焚火の前に座り直した。

「なんでもそつなくこなすレグルス・マルフォイが初めて盛大に揉めたのが、弟ってな」

 デイビースの言葉にもう一度立ち上がるか迷ってやめた。もう疲れた。私は疲れている。談話室はドラコと鉢合わせかねないしかといって寮室はルームメイトたちが無駄に気を遣ってくる。だからひとりで火を焚きに来たのだ。迅速にひとりではなくなったが。放っておいてくれたりしないのか。彼らは愚かではないと思っていたのだが、空気が読めないほど馬鹿だったのか。

「……ウィーズリーとはとっくに揉めてる」

「揉めてるな。けど君たちのあれは〝本気〟じゃない」

 デイビースは断言した。笑わせてくれる、なにを根拠に。

「今ここに双子のウィーズリーが来ても君は立ち去らないけれど、ドラコ・マルフォイが訪れたら火を消す手間も惜しんで逃げる」

 ……私は火加減を少しだけ強くした。アッシュワインダーが案の定顔を出した。ちろちろと舌が見える。常々思っていたが、私が焚いた炎である。魔法生物が勝手に住み着くんじゃない。

「一月も喋ってないって?」

「どころか顔を合わせてないんだよ、彼ら。レグルスはスリザリンのテーブルにすらいない——そういえば、君って最近どこで食べてるんだい?」

「厨房」

「ああ、梨の」

「なんだ梨って」

 ピンときていないデイビースに、ディゴリーが厨房の入り方を丁寧に説明する。私は手持無沙汰に炭をついている。焚火はいい。炎がきれいだ。音も素敵だ。それで、なんでも燃やしてくれる。……父母からそれぞれ届いた心配の手紙(兄弟喧嘩には不自然なほど言及されていなかった。どうせ知っているだろうにな……)がどうにも読み返せず、初めて、手紙箱に入れるのではなく、焼いた。罪悪感が喉元を這い上がる。

「実際、マルフォイ——ああ、これはレグルスの方な——は悪くないだろ。穢れ(Mud)……言うのも嫌だな。とにかく、誰がどう考えてもあんなことを言うのが悪い」

 デイビースは吐き捨てた。

「どうかな」

 ディゴリーは疑念を呈した。

「どうかなって」

「もともとレグルスの愛情表現はけっこう屈折しているから。僕から見ても、普段のマルフォイ兄弟は、明らかに兄から弟への意地悪でコミュニケーションを取っていたしね」

「それは……まあそう」

 マシュマロを無言で焼く。私は返事をしない。

「それに、レグルス、これは僕の勘だけど——君、家の中なら普通に()()()()を使ってるんだろ?」

 私はなにも口にしなかった。肯定はしなかった。否定も、しなかった。

 穢れた血(Mud blood)——まァ差別用語である。間違いなく。しかし純血主義を冠する人間たちにとっては、なめらかに口に出す言葉でもある。同じ用語を共有することで、いびつな連帯感を養成する。その善悪は私は語らない。語る言葉を持たない。外では使わない分別程度は大抵持ち合わせているが、その()()は、純血主義でない者たちにとって、欺瞞であり詭弁であり偽善である。

「だからドラコ・マルフォイはなおさら混乱したんだろう。普段から普通に使っているのに、事実を事実として述べただけなのに、今だけ怒られて、兄はマグル贔屓ぶって謝罪している——僕だけを悪者に仕立て上げて、とか?」

 デイビースは——形容しがたい表情を浮かべて、私を見た。私は声を絞り出した。

「……あのときの経緯、どこまで流出してるんだ」

「だいたい全部かな。コリンは……ちょっと困った子だね」

 写真をどうこうとか考える前に、あのマグル生まれ当人から黙らせるべきだったやもしれん。だがマグル生まれにマルフォイの権威は効かない。どうするべきか……いや、既に広まっているならもはや無意味か。どうしてこんな。

「なんなら寮内では普段から言ってたりするんじゃないかな? 君の弟に限らずね。それで、君も今まで咎めたことはなかった」

 忌々しいことに、ディゴリーの推測はおおよそ正鵠を突いている。ドラコが爆発すると私が確信していた理由もそこにある。あまりに唐突な裏切りに思えただろう。そこに日頃の不満も蓄積して、あの言い様である。……家に帰りたい。

「それで、君が、あのとき頭を下げた理由は——そこだけがわからないね。フレッドとジョージは沸騰していたようだけど、君たち元々そんなに仲良くないから、あまり弁明する意味もなさそうだ」

「あれらが理由ではない。そして、つつくな。絶対に」

 ようやく私は明確な言葉を述べた。拒絶の文言に「……そう」ディゴリーは相槌を打った。それから小さくつぶやいた。

「スネイプ先生かな」

 今のでわかるものかよ?

「……とにかく、そうだね、いい加減仲直りしたら? 僕たちも見ていて気まずいんだ。君たちなんだかんだでけっこうべったりだったしね」

 私が心底肝を冷やしたのはおそらく気づいていない。ディゴリーはさらりと話を切り替えた。「噂になってるよ」デイビースも頷く。

「純血貴族のマルフォイは普通に有名だしな。派閥形成もマルフォイの喧嘩の余波でなんだかごたついてる」

「ロジャー君けっこう詳しいね」

「レイブンクロー内に派閥の一部がかかってる。うちは……さすがにスリザリンほどではないけれど、グリフィンドールやハッフルパフに比べて、純血貴族が入りやすいから」

「ああ……」

 さて、仲直り。仲直りねえ。

 焼いたマシュマロにカラースプレーを振りかけて、余熱で溶けかけたチョコレートごとかじる。ゆるりと垂れた甘ったるい液体を舐める。

「仲直り、ねえ」

 そうしながら無感情に繰り返す。私に急かされる仲直り、つまり、それは——私から謝れということかな?

「私は、間違ったことなどなにひとつ言っていないのに?」

 ディゴリーとデイビースは揃って同じような表情を浮かべた。不快になり、開心術を使うか検討している間に、彼らはお互いに顔を見合わせた。

「……とはいえ、喧嘩が長引いてもあまり支障はないのは事実だね」

「ごたついてるのはスリザリンが主だし、スリザリンはマルフォイが強めに統制してるし」

 彼らの内心はさっさと解決されたらしく「ちなみに話は変わるんだけど」とディゴリーが切り出した。

「防衛術の自習、もうちょっと規模を広げる気はない? 具体的には寮の垣根を超えて」

「ああそうそう、それはレイブンクローにもほしいな。いくらロックハートが大先輩と言っても……あれは、なあ?」

「おまえたちが恩恵を提供できるというなら、考える」

 どこか除け者にされた気分で、私はぶっきらぼうにつぶやいた。

「四年生になってくると、防衛術は対人訓練も必須だろ。景気よく吹っ飛ばせる的はきっと君がお望みのものだ」

 ディゴリーは軽快に答えた。薄々思っていたけれどこいつわりと良い性格をしているな。性格が良いのではなく良い性格だ。

 ウィーズリーたちは珍しく来なかった。私としてもその方が都合がいい。

 

   ➤

 

 ドラコと絶対に顔を合わせないために、ハロウィン・パーティーの今日ですらも厨房にこもっていた——ら、青筋立てたスネイプ教授に首根っこを引っ掴まれた。私は猫の子でもないのだが。

「兄弟喧嘩は構わんが、食事ぐらい大広間で取れ! 屋敷妖精(House elf)に迷惑をかけるとは、マルフォイの令息とは思えん無様だ!」

 なんならかなり強めに叱られた。ホグワーツ在籍四年目にして、一番きつく叱られた日だったかもしれない。

 普通に悲しくなって悄然としていると「そこまで仰らずとも」厨房に集っていた屋敷妖精(House elf)たちが次々にフォローをくれた。

「坊ちゃまはわたくしたちにもよくしてくださいますよ」

「迷惑などとんでもない」

「大人しくていらっしゃるので手もかからなくて」

「お土産もくださるのです。忙しくてなかなか外を出歩けないでしょうと。優しい子ですね」

「最近は落ち込んでいらっしゃってめっきり口数も減ってしまいましたので、むしろ心配で」

「お食事もすぐに残してしまいますし」

 そんなに参ってたのか? と言わんばかりの顔をされた。開心術がなくてもわかる。

「ドラコが謝るとも思えん。君が折れるのが早かろう」

「私は間違ったことは一言も述べておりませんが。どこで折れろと仰られる」

 ディゴリーといいデイビースといいスネイプ教授といい、何故揃いも揃ってそのような顔を。

「……とにかく、食事のときは大広間にいなさい。一人だけ行方が知れないとなると、このようなときに非常に困る」

「……このようなとき?」

 厳しく怒られたことにも理由があったようだ。

 

【 秘密の部屋は開かれたり

 継承者の敵よ、気をつけよ 】

 

 文面の真下、ミセス・ノリスは石化して吊り下げられていた。まるで生贄の如く。

 加えて、ドラコが嬉々としてマグル生まれを脅かす言葉を言い放ったものだから、生徒全体に動揺を生んだ。らしい。

 

 あの子の最近の趣味は私に反抗することなのか?

 

「此奴は夕食時はここにいたのか?」

 スネイプ教授は話の最中にようやく私を捕獲する手を離した。教授が厨房を見渡すと、屋敷妖精(House elf)たちは揃って頷いた。

「どころか、授業後はずっとこちらにいらっしゃいましたよ」

「五時限目が終わってすぐでしょうか、顔を出されて」

「夕方頃でした」

「ここ最近はいつもそうですからね」

「レグルス坊ちゃまは甘いものがお好きですから、お菓子をご用意いたしました」

「もちろんお夕飯もお出ししました」

 マルフォイ邸の屋敷妖精(House elf)も普段ここまで世話を焼いてはくれない。好待遇すぎて私の方が困惑していた。まァおかげで、人間よりよほど魔法に長けた生物に見張られていた、という副産物ができたわけだが——

「——とはいえアリバイとしては、私には十二科目を受けられる特典があるので、無意味やもしれません」

 今の確認はたぶんそういうことだろうと思い、逆転時計(Time-Turner)についても付け加えると「いや、それは構わん。回答の体裁が必要なだけだ」スネイプ教授は眉間を揉んだ。

「そもそもマルフォイはここまで過激な手段を取らんだろう。唆すことはありうるが、基本的にのらりくらりと躱して利を上手く取っていく」

「よく御存知で……」

「君の父君にはその件いろいろと世話になったのでな」

 父上とスネイプ教授の関係は世話をした方とされた方、という認識だったが、これは父上もかなり世話をかけたのかもしれない。

 

   ➤

 

 降りしきる雨の中、初試合に敗北したドラコが悪態をついている。フリントがつかつかとドラコに近寄り、スリザリンのベンチまで引っ張っていくと、怒鳴りつけた。かすかに観客席にも聞こえてくる。

 私は天を見上げた。雨はまだやみそうにない。カメラのシャッター音がうるさくて、杖を掲げて振った。【耳塞ぎ(Muffliato)】——己にかけた呪文が、怒鳴り声も、シャッター音も、雨音も、なにもかもを誤魔化していく。

 

   ➤

 

 その日の夜、コリン・クリービーが石と化した。

 

   ➤

 

 コリン・クリービーに引き続き、ジャスティン・フィンチ゠フレッチリーも石と化した。

 決闘クラブではポッターが蛇語(Parcel Tongue)を披露したらしく(私は参加しなかった。ロックハート主催の決闘クラブで、なにより、ドラコも参加していた)彼がスリザリンの継承者という説も囁かれている。スリザリンの継承者ならスリザリン寮に組み分けされるべきだろうが。

「継承者ってマルフォイだったりするのか?」

 ところで——周囲に薄々疑念を抱かれていたのは知っていたが、それにしても、合同授業後に堂々と聞いてくる馬鹿がいるものかよ。あァここにいたな。

 魔法薬学終了後の鍋を洗う列は長い。ちらほらとこちらの様子を窺う視線、それ以上に聞き耳は立てられていることだろう。

「だったらよかったな」

 ウィーズリーの双子を見比べて、私は冷たく言った。

「違うとでも?」

「私にあれだけ本格的な石化を施せる能力があったら、まずはおまえたちのその小うるさい口にかけている。絶対に」

「確かに」

 もったいぶった様子で片方が頷いた。

「けれど、君本人が能力を持つ必要はない。秘密の部屋の怪物とやらが、その能力を持っていれば——」

「——なるほど、ホグワーツの歴史を読む人間はそれなりにいるとは思っていたが、おまえたちにあれだけの文章を解する能力があったのか」

「なあ今馬鹿にしたよな?」

「まさか! 本当に感心したとも」

 感心したのは本音である。

 それはそれとして、どうにも思考が足りてないな。努力不足というよりは、得意不得意の問題に思うが。

「怪物の存在を前提とするなら、私がもしも継承者だったらば、その怪物の頭を落として殺すのが先だ。怪物はどうも継承者の命令を忠実に聞いていないようだからな」

「聞いていない?」

 ウィーズリーは怪訝に尋ねた。

「今まで襲われたのはマグル生まればかりだ」

「用務員の猫はマグル生まれだったのか。それは初耳だな」

 そらとぼけた声で私は返した。継承者が、たとえばニーズルしか認めない過激派であるならば、全生徒の猫とついでにマクゴナガル教授も石になって然る。

「そもそも、スクイブを狙ったつもりなら、猫ではなく用務員本人を石化させるべきだ。ターゲットを外している時点でちゃんちゃらおかしい」

 千年も閉じ込められてすっかり耄碌してしまったのか。あるいは、そもそも、そこまでコントロールの効かないいきものなのか。どちらにせよ、私がもしスリザリンの継承者だとするならば、感想としてはひとつである。

「飼い主にも牙を剥きかねない馬鹿なペットなぞ、私だったら飼いたくない。殺して魔法薬の材料にしてやった方がまだためになる」

 

 あるいは、あえて用務員ではなく猫を狙ったのだとして——それはそれで、馬鹿馬鹿しい。無意味で無益な思考である。

 

   ➤

 

 クリスマス休暇に帰るかどうか迷って、やめた。ドラコが帰らないならまるで私だけが逃げたみたいだ。

 クリスマスプレゼントの返礼がてら、手紙をミミズクに渡す。

『そろそろ仲良くしたら。兄弟だろう』

「私はなにも間違ったことは述べておりません」

 ミミズクの問いかけを私は突っぱねた。

「あいつが意地を張っているだけです」

『君もだろう。穢れた血(Mud blood)——よくある悪態だ。許されざる呪文をかけないだけ、可愛いものだよ』

 元死喰い人(Death eater)の基準、ひどすぎる。私はじとりとミミズクを睨んだ。

「そもそも、あなたが言えたことですか」

 兄弟仲が致命的なのはべつに私に限った話ではない。かつて騎士団員だったシリウス・ブラックは未だアズカバンに収容されている。

 ミミズクはしばし考えているようだった。八つ当たりをしてしまった己を自覚して、私は早速後悔した。

『……君の言葉にも一理ある』

「……ごめんなさい……」

『なんだい。間違ったことは言ってないだろう』

 先に述べた言葉を引用された。なにも思いつく反論はなく、ほぞを噛んでいると、ミミズクはぐるりと頭を回した。

『子どもであるべきだ。子どもでいられるうちはね』

 あなたは大人のようにそう述べる。実際にあなたの年齢は大人だろう、けれど——あなたが子どもでいられた時期は、いったい、どれだけあったんですか。

 問いかけを飲み込んだ。

 

 スリザリン寮に戻る道すがら、クラッブとゴイルに体当たりされた——わりと痛い。さすがに文句を言うべきかとさすりながら振り返ると、もはやスリザリンのローブの二人は遥か遠くに走り去っていた。

 道中歩いていくと——クラッブとゴイルがとぼとぼと歩いていた。目を疑った。逆転時計(Time-Turner)を支給されるほど彼らは成績はよろしくなく、なにより、まだ二年生だ。

 

 先ほどすれ違ったのは、では、あれはいったい誰だったのか?

 

   ➤

 

 なんとも素敵なバレンタイン・デーだ! ……嫌味。

 ロックハートの影響で、ピンク色に染まった大広間だけでも辟易していたというのに、歌を立て続けに個別に三件歌われたあたりで「せめて歌なしで渡してくれないか?」私は尋ねた。このままでは変身術の授業に遅刻する。

「読み上げるまでが仕事です」

 小人は任務にきわめて忠実で、あまりに頑迷だった。庭小人でも洗脳したのか?

 知る限りの抜け道を使ってショートカットしてまで教室に駆け込んだものの「では、さっそく本日の——」マクゴナガル教授の授業は始まっていた。息せき切って教室の扉を開けた私に、彼女を含め、皆が注目した。なるほど、つまり、そうか、間に合わなかったな。私の無遅刻無欠席記録(お遊戯会を、除く)は破られた。今更時計によるカバーも効かない。

 ローブの乱れを整えて、ネクタイを締め直し、私は深呼吸をした。よし、冷静になった。

「あの野郎殺してきます」

「今日の遅刻は特別に免除としますので落ち着きなさい」

 私はこんなにも冷静だというのに。

「大丈夫です、必ず成功させます」

「マルフォイ」

 マクゴナガル教授は厳しく言った。

「よく考えると殺すのはやりすぎでしたね」

 私はもう少し冷静になって、考えを改めた。

「しばらく湖に閉じ込めるぐらいがベターでしょうか。元スミス教授あたりが生かしてくださるでしょうとも。父上に進言して新しい講師を臨時で派遣していただきますので、カリキュラムの妨げにはならないかと」

「それはなんとも魅力——」

 言いかけた言葉を無理やり切って、マクゴナガル教授はわざとらしく咳払いをした。

「……ミスター・マルフォイ。席に着きなさい。授業を始めますから」

 宥める声音に、私は渋々、ようやく空席を探した。「鞄、持ってきといた」同級生が私を呼ぶ。今度は何を写されたかな。数占い学かな。

 

 散々の二月十四日は、日付が変わるまで続いた。スリザリン寮に戻ると、ドラコが「あんな方法でバレンタインカードを貰うだなんて! 本当に恥だね」笑い転げていた。ポッターが私と似たような方法でバレンタインカードを貰ったらしい。その場に鉢合わせたのだろう。ドラコは丁寧に現場を再現した。

「〝あなたの目は緑色、青いカエルの新漬のよう……♪〟」

 スリザリンローブを褒め称える歌詞で似たようなものがあったな。

 

   ドン!

 

 うっかり手が滑り、放り投げる形になった鞄が、とんでもない音を立てた。十二科目の教科書に加えて図書館から借りた本を数冊、邸から持ってきた私物も入れていれば、それはそれは重い。

 談話室は静まり返った。

「……なにか乱暴な音がしたね?」

 ドラコは皮肉げに言った。私の方を頑として見ない。

「私が寝つくまで誰かそこの馬鹿を黙らせておいてくれ。最近寝不足なんだ、今日ぐらいはゆっくり寝たい」

 私は言いながら談話室を横切った。「まだ揉めてんのかそこの兄弟は」呻いたヒッグスの横に落ちた鞄を拾い上げる。

「談話室での声まで貫通するなんて、もしかして、壁が薄い寮室を割り当てられたのかな? 身の程に相応しいね、マグルどもに与するだけある」

 

「——おまえは以前、私と、兄弟であることを恥だと言ったが」

 

 顔を合わせないように振る舞っていたのはなにも周囲への気遣い故ではない。私は——普段は寛容と嘯いているが——わりと短気な方で、煽られると軽率に怒ってしまう傾向が認められる。自覚は、さすがに、している。

 今日の私はかなり苛立っていた。無能な教師が我が物顔でホグワーツを支配し、おかげでいくつかの授業には遅刻し、担当教諭たちのお情けにより見逃された。我ながらつくづく許しがたい醜態だ。

 ドラコの言葉は、いつもよりちょっと言葉が強いだけの、喧嘩中の悪態でしかなかったが——とどめになった。

 

「私も愚者と兄弟など恥だ。よかったな、意見が一致した。金輪際私に話しかけるな」

 

 部屋に戻り、着替えもせずにベッドに飛び込んで(マルフォイどうした? 既に部屋にいた同室メンバーが覗き込んできた。らしくない振る舞いなのは重々承知だ)枕を握った。

 言い過ぎた。やり過ぎた。致命的だ。……最悪だ。

「いえにかえりたい」

「ホームシックにしては絶望がすごい」

「レグルス、あれはさすがに言い過ぎ——思ったよりしっかり落ち込んでるな。だから僕たち、意地を張るなと言っただろう……」

「なにがあったんだ」

「兄弟喧嘩がますます派手になったんだよ。談話室降りてみれば? この世の終わりみたいな顔したドラコを総出で慰めてる」

「見物ってことか?」

「さすがに可哀想で笑いも出ない」

「重症じゃないか」

 

 いいから私も慰めろよ。

 

   ➤

 

 仲直りの端緒も掴めないまま、イースター休暇をも超えてしまった。さすがに母上からはお叱りが届き、父上からは心配のお言葉が届いた。普段は逆なのだが、事態が深刻化すると彼らの役回りは逆転する。つまり——深刻化している、と捉えられている。……私が悪いのか? 確かに悪化させたのは私が悪いのだが。もとはといえば、不用意な言葉を述べたドラコに責があると思う。……知らない。私は悪くない。たぶん。

『僕はもうなにも言わないよ』

 ミミズクを見上げると的確に返答が下された。そうだろうとも。あなたはなにも仰らないでしょう。自らの兄弟仲に言及されて以来、彼は静観を選んだようで、そして忙しそうであった。

 本日はクィディッチ日和、グリフィンドール対ハッフルパフの試合である。箒の小突き合いには興味を持てない。スリザリンが出ているなら別として。……べつにドラコの出場有無はそこには関与しない。さすがにスリザリンが出場する試合は義務的に見に行っている。カメラは——だって父母からいただいたのだ、活用しない理由がないだろう。

「あ——あの——ミスター・マルフォイ——」

 眉を上げた。グレンジャーである。肩を上下させて、いかにも今し方廊下を走ってきて図書室に駆け込みました、と言わんばかりの様相。よくもまあマダム・ピンスに叩き出されなかったものだ。……ああ、そういえば、彼女も試合を見に行っていたな。

「その本」

 私は今【最も恐ろしい怪物たち】を手に取っていた。

「貸していただけませんか」

「……どうぞ」

 本を渡す。開いたまま。

 当惑しながら受け取ったグレンジャーが目を瞬かせた。

「……それと、不躾なのですが」

「今更だな」

「手鏡をお持ちですか」

「貸してあげよう」

 銀製のコンパクトミラーだ。クリスマスプレゼントにねだったらば、母上からいただいた。もともと持っていた手鏡は、今しがた遭遇した、ペネロピー・クリアウォーターに渡してしまった。

 一方で、私は、鞄から取り出した眼鏡をかけた。細身のフレームレスだ。こちらは父上からクリスマスプレゼントにいただいた。最近夜間に文章とにらめっこしすぎて視力が下がってしまった、と手紙に綴ったのを覚えていらっしゃったらしい。魔法界の眼鏡なので、持ち主に合わせて勝手に度が調整される。

 今まで人前でかけたことはない。だからたぶん、誰も知らない。

「……知っていたんですか?」

「いくつかはな」

「あなたは——あなたは知っていて黙っていたんですか?」

「諸事情により」

「でも何故今」

「グレンジャー、私は純血貴族なので、純血主義者が考えることはよくわかる」

 勢いづくグレンジャーの言葉をあえて遮った。

「本当の純血主義者が嫌うものは、マグル生まれと、混血と、それに、もうひとつだ」

 近視用に調節されたレンズの向こうで、グレンジャーが途方に暮れたように見上げている。

 

 わかりやすく言えば、ウィーズリーの一族が何故血を裏切る者と呼ばれるのか、という話だ。

「——マグル生まれに味方する純血だよ。正真正銘、箔が付いているとなお悪い」

 

 本棚の向こうから、床を這いずる音が響いている。

「まァ不運だったとでも思ってくれ」

 

   ➤

 

 生徒が石になった。ペネロピー・クリアウォーター、ハーマイオニー・グレンジャー——レグルス・マルフォイ。

「マルフォイは正真正銘の純血だぞ!? スリザリンの継承者はいったいなにを考えているんだ!?」

 取り乱すスリザリン寮生の言葉が最奥のベッド横から響いていた。レグルスは最奥のベッドに寝かされている。ハリーとロンは、ハーマイオニーの見開いた目と見つめ合った——一方的に、だ。石になった生徒が周囲を認識できるはずもない。

 ハリーの肩に誰かが乱暴にぶつかった。スリザリン寮生のローブ——振り返ると、見覚えのあるプラチナブロンドが医務室から歩き去るところだった。

「マルフォイ、あいつ本当に——」

 ロンを制して、ハリーは自らのローブのポケットに手を突っ込んだ。かさりと羊皮紙が指に触れる。ドラコの手際はきわめて雑だった。

 グリフィンドール寮までマクゴナガル先生が引率する。厳格なる寮監の背後で、彼らはこっそりと、ドラコがポケットに突っ込んできた羊皮紙の切れ端を開いた。

 

【 真夜中 スリザリン寮 合言葉はクリスマスと同じ 】

 二人は顔を見合わせた。

 

「一時間の遅刻だ」

 スリザリン寮の談話室で、ドラコは苛立たしげに言った。肩にはミミズクが止まっていて、ハリーとロンを順繰りに眺める——レグルスがたまに連れていたミミズクだ。ドラゴンのことでハーマイオニーとともに詰められた際にも、連れていた。

 ドラコが言う通り、確かに時計の針は深夜一時を指していたが、しかし、それまでドラコが待ち続けていたのも意外なことだった。

「先にハグリッドのところに——ファッジと、ダンブルドア、ああそうだ、それにマルフォイ、おまえの父親もいた」

 透明マントから抜け出したロンはドラコをきつく睨んだ。

「学校を閉鎖すべきだって、強く——あと、ハグリッドをアズカバンに放り込むべきだってね」

「森番を?」

 ドラコは胡乱げに聞き返した。

「前に秘密の部屋を開けたのはハグリッドだったんだ」

 ハリーは透明マントを畳んだ。

「あの図体ばかりでかいウスノロが開けられるわけないだろ。偉大なるサラザール・スリザリンが残した叡智だぞ!」

 言葉が強すぎる。

 ハリーとロンはそれぞれ反駁しようとしたが「それにしても本当に、あのときのクラッブとゴイルがおまえたちだったなんて」ドラコは神経質に爪を噛んでいて、気づいていないようだ。

「レグルスは……兄上は、我が寮の侵入者に気づいておきながら突き出さない。馬鹿じゃないのか? ポリジュース薬の密造なんてそれだけで退学にできたのに」

「……レグルス・マルフォイが僕たちに気づいていたの?」

「ほとんど解けかけのところに遭遇したって日記に書いてあった」

 日記、との言葉に、ハリーとロンはぎくりとなった。しかしドラコの言う日記はトム・リドルの日記でもなさそうだ。

「二人にしては様子が妙、容姿も変、呪文による変化は術者の技量が求められるとして、手順さえ合っていれば作れるのがポリジュース薬——」

 だいたい合ってる。

「……それで、スネイプにも言いつけなかったって? マルフォイが?」

「兄上は興味関心の差異が激しいんだ。どうでもいいもの全部無視」

 ハリーとロン(それに、ハーマイオニー)の魔法薬密造はどうでもいいもの分類だったらしい。それはそれでどうなの。昨年度のドラゴンの件もどうでもいいなどと言い放っていたが、あれはその場限りの弁明ではなく、正しく本音だったのかもしれない。

 ミミズクが羽ばたいて、談話室のテーブルに止まる。手帳のようなものが机の上に置かれていた。「読め」ほとんど脅すような言葉にぱらぱらとめくる。手帳のようなものどころではなく、普通に手帳だった。八月始まりだ。

 

 ドビーが呼んでもこない。これで三回目。

 

 特徴的な筆記体。覚えのある屋敷妖精(House elf)の名前から記述は始まった。

 

 ——夕食後、ドラコに経緯を詳しく聞いてみたが、やはりあの大乱闘は、父上がアーサー・ウィーズリーを強めに煽ったところから始まったようだ。同伴者のマグルまでを公然と罵倒、外でなさる言動として些か強すぎる。乱闘に持ち込むのが目的だった?

 父上も応戦している時点で、アーサー・ウィーズリーを暴行の加害者として引っ立てる、あるいは名誉毀損するには、少し弱い。

 父上はなにをしようとしたのだろう。

 

 またしてもドビーが呼んでもこない。私が庇える範囲にも限度があると話したはずなのだが。あの子は学習能力が若干乏しい。困ったものだ。

 

 夏季休暇が終わる。

 

 目くらまし呪文も見抜けない防衛術教授。教授職はいったいいつからお飾りの称号に成り下がったのでしょうね。勲三等マーリン勲章が口先だけで簡単に取れるのであれば、ダンブルドア校長の勲一等も疑わしいな。

 

「おいダンブルドアを侮辱してるぞ!?」

「無能が取れる称号の信憑性が疑わしいのは当たり前だろ!」

 

 ドラコと喧嘩した。

 

 ハリーとロンはその場に居合わせなかったが、あとから聞いた話である。ここからしばらく、マルフォイ兄弟はかなり険悪な様子だった。最近は——険悪を通り越して絶縁じみた状態を維持していた。

 

 眠れなくて城を徘徊していたら、ドビーがポッターと話していた。耳を疑ったが幻聴でもないようだ。なるほど夏季休暇中に呼んでも来なかったのは[インクの痕跡]

 つまり、ドビーは、夏季休暇中から、ポッターに対して警告を繰り返していたのか? 秘密の部屋が開けられる前から、開けられることを予期していたということか?

 何故予期できる。一介の屋敷妖精(House elf)が。彼らに予知能力はない。

 [インクの痕跡]

 [インクの痕跡]

 [インクの痕跡]

 父上

 

 犠牲者二人目。猫を入れて三例目。いずれも石化、回復可能な範疇である。五十年前は死人が出たのに。

 猫。猫だ。なぜ猫を。猫はマグル生まれではない。

 スリザリンの継承者は、本当に、怪物を完全に制御できているのか? あるいは、スリザリンの継承者は、マグル生まれさえ殺せるなら、その途中に生まれた犠牲はどうでもよいのか?

 そこに純血の犠牲が混じらないと言い切れるのか? 私は——ドラコは——

 [インクの痕跡]

 

 やはり、五十年前の事件は新聞にも掲載されていた。ルビウス・ハグリッド退学。飼育していた怪物は逃亡、種類不明——トム・リドルはホグワーツ特別功労賞受賞。

 あの森番が? どう考えても出身寮グリフィンドールの猪突猛進直情男が? スリザリンの継承者? まさか当時の教授は間抜け揃いだったのか? もう少し真面目にやれ。飼育していたのが蛇だというならまだ検討の余地がある。

 

 この少年、しっかりマルフォイなだけあって、些か傲慢な上に口が悪い——そして、ハリーとロンは顔を見合わせた。

 おそらくハグリッドが飼育していたのは、蜘蛛の化け物である。仔細は不明だが。

 

 犯人を突き止めたのがただ一人で、その犯人とやらが実のところ冤罪ならば、真犯人第一候補には、御大層な探偵役こそが真っ先に挙がる。

 しかし、トム・リドル、聞き覚えがない家名……

 名簿を当たるべきか。

 

 ポッター。蛇語(Parcel Tongue)を話した程度で疑われているのかと思いきや、犠牲者二人ともポッターと揉めていたようだ。用務員もポッターと揉めていたらしい。あの用務員と揉めていない生徒の方が珍しい。

 だとしてもポッターが本当に犯人なら、もはや芸術的だが。現場から逃げる脳もないというのか? きっと六歳児の方がマシな動きをする。

 わざとらしく孤立させ、特定の個人に害を被らせる。遠回しに犯人探しを唆す蛇の手口。とはいえ広範囲に漠然とした恐怖を撒くのではなく——やけにポッターに執着している。

 であれば、もっとも襲撃されるべき人間がまだだ。

 

 トム・リドル在学時期の名簿が綺麗に消えている。睡眠時間は非効率にも著しく削られたが、ともあれ、収穫はあった。

 知らない家名。消えた名簿。逆に、ほとんど特定できたようなものだ。一連の事件が父上の細工の結果ならば尚更に。

 

 ここまで来るとハリーは、トム・リドルの日記がそろそろ恐ろしくなってきた。

 あれはいったいなんだったのだろう? ハグリッドに罪を着せ、一方で自らの在学記録のほとんどを一掃していた、何者かの日記——。

 

 先程衝突したクラッブとゴイルは、よく考えると、ウィーズリーとポッターだったのではないか。なにかしら悪戯呪文でもかけられたのかと思ったが、変化しかけていた赤毛と癖毛の黒髪は覚えがあった。そもそも私と衝突したら彼らが本当のゴイルとクラッブであれば、どんなに急いでいても私に謝る。

 呪文による変化は術者の技量が求められる。二年生が手出し可能な範囲なら魔法薬が妥当。手順さえ合っていれば作成可能な難易度、ポリジュース薬か——

 

「ここさっき君が言ってたな?」

「もう少し飛ばせ」

 

 ——ドラコと鉢合わせたくなかったので早朝に回収していたクリスマスプレゼント、ようやく開封。夜になってしまった。手紙に記されていた通り、母上から手鏡と、父上から眼鏡をいただいた。

 最悪はこれでなんとかなるだろう。なんとかなると信じている。信じなければやっていられるか。

 

 ハリーは一文をなぞった。

「なんとかなると信じている……」

「兄上は発見された際、眼鏡をかけていた」

 ドラコは無感情に述べた。

「マルフォイ、この鏡……銀製?」

「……」

「ハーマイオニーが持ってた」

 きつく拳が握りしめられた。あまりに強く握るものだから、ただでさえ血色の薄い肌は、ほとんど白く染まっている。

 

 ロックハート、本当にクビにしてもらいたい。私の一日は散々で——最後に、散々にトドメを刺したのは私だ。ドラコと……ドラコにひどいことを……

 [インクの痕跡]

 あの子、もう、許してくれないかもしれない。

 

 若干文字がにじんでいる。

「君の兄貴……その……君のこと結構好きだね?」

「うるさい早く読め」

 

 ……ともかく。

 私はドラコにひどいことを言ったが、同時に、あの子とは決別した、ように見えたはずだ。マグル生まれに加担する純血はマルフォイそのものではなく、私の独断だ。少なくともそのように見える。襲撃されるとしても、私だけだ。

 私がもしも襲撃されたら、父上は——父上、賢い選択をしてください、あなたが招いた事態であれば[インクの痕跡]

 政敵を貶めるのって、私たちの安全より、大事なことだったのですか? そうではないと信じていますよ。

 [インクの痕跡]

 私は——

 [インクの痕跡]

 私も死にたくないな。

 

 ここしばらく襲撃が止まっている。休暇中は帰省していた可能性もあるとして——指示役と実行犯が引き剥がされた?

 

 トム・リドルがあの人であれば、ポッターに執着する理由はわからないでもないが、しかしポッターの周辺の話を聞き出すには、それ相応の交友関係が必要だ。

 父上が細工したのが本当にウィーズリーであれば——今年度、学校にいるウィーズリー。実行犯候補。パーシー、フレッド、ジョージ、ロナルド、ジネブラ——

 ロナルド・ウィーズリー——ポッターとグレンジャーと、ハロウィンの日には共に行動していた。除外。

 双子は——私の認識としては、彼らは違うように思えるが——しかし証拠もない。確証もない。その程度の根拠ではなにも動かせない。

 パーシー・ウィーズリーとジネブラ・ウィーズリー——私は彼らに詳しくない。

 絞りきれない。情報が足りない。

 

 本当の犠牲者が出る前に、死人が出る前に、覚悟を決めるべきだろうか。

 蜘蛛は逃げ出し続けている。雄鶏は魔法の守りを掻い潜ってまで殺されている。ミセス・ノリスがいた廊下には水たまりが広がり、クリービーのカメラのレンズは溶けていて、フィンチは首無しニック越しに犠牲となった。直視しなければきっと。

 父上も私が犠牲になれば、原因を叩き潰してくれるはずで、そうでなくともせめて学校閉鎖、ドラコくらいは連れ帰ってくれるはずで、

 [インクの痕跡]

 そうであると信じている。

 

 手帳の記述はここで終わった。グリフィンドール対ハッフルパフの試合が予定されていた——立ち消えた——日付が記されていた。

 

   ➤

 

 読み終わった二人は、同時に顔を上げた。

「ポッター、おまえのガールフレンドと——」

 ドラコの声は若干震えていた。

「——グリフィンドールの忌々しく喧しい監督生、それに、悪戯ばかりの問題児、そのうち、誰かだ——」

「ッ君の父親のせいだろ!?」

 ロンはたまらず大声を上げた。手帳を指差し、まくし立てる。

「君の御立派な兄貴が推理した通りなら、この原因は、一連の事件は、そもそもルシウス・マルフォイのせいだ! それで——それで、君の兄貴が狙われたのは、君が言った最低最悪な言葉を尻拭いしたからだ!」

「ああそうだとも!」

 ドラコは勢いよく怒鳴り返した。ロンはうっかり怯んだ。

 普段鼻につく傲慢さを隠そうともしない少年が、頭を抱えるようにして、首を振る。ミミズクが羽ばたいて、ドラコの周りをうろうろと飛んだ。

「僕のせいで、父上のせいで——だって兄上はそんなこと一言も——僕にどうしろっていうんだ……」

 プラチナブロンドをぐしゃりと両手でつかんで、ドラコはその場にしゃがみ込んだ。

「レギュラスが持ってきたんだ、それで、それを読む限り、おまえたちは絶対に違った。だったら……おまえたちに聞くしかないだろ……」

 ——ハリーは突然閃いた。

 リドルの日記が盗難に遭ったのは、グリフィンドールチームが、ハッフルパフ戦に備えて最後に行なったその練習中だった。そしてその翌日、日付としてはもう昨日、生徒が三人襲撃された。

 レグルスは明確にトム・リドルを疑っていた。手帳にはその決定打となる根拠は記されていなかった(あまりに自明だったから? それとも、真犯人をそれほどまでに恐れていたから?)——けれど、トム・リドルのすべてを疑ってかかるならば、ハリーが持ち合わせている今までの情報からも、見えてくるものがある。

「指示していたのは——トム・リドルの日記で、取り返しに来たのかもしれない。そして、だから襲撃が起きたのかもしれない」

「トム・リドルの日記?」

 ドラコは胡乱げに言った。しゃがみ込んだ状態からハリーを見上げている。

「誰かが捨ててた。しばらく僕が持ってたんだ、それで、僕は日記と会話して——」

「日記と会話!?」

 ドラコの声はひっくり返った。

「書き込むとトム・リドルが返事するんだ。あの日記は……僕が秘密の部屋について聞いたら、五十年前、ハグリッドを捕まえるときの記憶を再放送した」

「あ、怪しすぎるだろ! うちのコレクションでも早々ない——」

 焦りすぎて口が勢いよく滑っている。

「なんでそんなもの、先生に渡さなかったんだ!」

 そこを突かれるとハリーとしても弱い。ハグリッドの弱みを掘り返したくない、というハリーたちの意見には、ドラコ・マルフォイは絶対に同意しない。

「クリスマスの休暇明けから少しした頃に拾って——ほら、襲撃がなかった期間と同じだ」

 ハリーは強引に話を進めた。手帳のページをめくり直し、お目当てのページを指で開くと【指示役と実行犯が引き剥がされた?】を指さす。

「本当に引き剥がされていたんだ。僕が持ってたから。たぶん、君が言うように、持ち主は怪しいと思って捨てた——でも探し直した。理由はわからないけれど……」

「パーシーだったら、きっとすぐに先生に突き出す」

 ロンは考えるように顎をこすった。

「あいつは堅物だから。実際、見るからに怪しいのはそのとおりだし、ていうか人の日記帳を見るなんて言語道断とか言い出しそうだし……フレッドと、ジョージと、ジニーは——兄貴たちは面白がりそうだけど……」

「いや、フレッドとジョージはそれこそ絶対にないよ」

 ハリーは即座に否定した。彼らへの信頼、交友関係、というだけでもなく、確かな根拠をもとにした否定だ。

「だって、日記が盗まれたのは僕がクィディッチの練習から帰ってきて——フレッドとジョージはビーターだ。レギュラー。僕たち、一緒にウッドにしごかれてた。盗んでる時間がない」

 しかし、となると——ジニー、ジネブラ・ウィーズリー。まだ一年生の、引っ込み思案な少女。ハリーは彼女についてそのように受け取っている。

 ……あんな小さな女の子が、一連の襲撃事件の実行犯だとでも?

 しばらく、沈黙がその場を支配していた。

「……ハーマイオニーがなにかに気づいてた」

 ロンが顎をこする指を止めた。

「僕たち、だからあのとき、ハーマイオニーと別行動になったんだ。図書室に行くって——そういえばクィディッチの試合があるのに、レグルス・マルフォイはなんで図書室なんかに?」

「兄上はいつもスリザリンの試合しか見ない。クィディッチには興味がないから、寮の付き合いで観てる」

 興味関心の振れ幅がいっそ清々しい。

「……だからきっと、狙うなら絶好のタイミングだった」

 ドラコはちいさく付け加えた。

「図書室内で襲われたなら——ハーマイオニーが調べていた本がわからないかな。場所は——」

「場所はわからないけれど、本はたぶん【最も恐ろしい怪物たち】だ。兄上とグレンジャーが襲われた場所は近くて……僕は本の心当たりを聞かれたけど、兄上が持っていたんじゃないだろうとは言った。あの人がわざわざあの本を今更図書室で読む意味がない」

「なんで?」

「私物で持ってるし、なんなら家から持ってきた蔵書はいつも鞄に入れてる。僕は時々、兄上は文字を食べて生き延びる生き物になるつもりじゃないかと思う」

「ハーマイオニーかよ」

 ロンがぼそりとつぶやいた言葉に、ドラコは死ぬほど嫌そうな顔をした。

「ただ——ページが破けていた。襲われたときに取り落として、その拍子に破けたんじゃないか、って話だ」

「襲われたときに取り落とした……」

 ハリーは繰り返した。

「……破けた方のページは見つかってないのかな? 見つかってないなら、握ってたりしない?」

 ——まさか透明マントにドラコ・マルフォイを入れる日が来ようとは。ハリーはしみじみと思った。三人入れると姿勢的に少ししんどい。

 抜き足差し足忍び足で、彼らは保健室に忍び込んだ。深夜二時に差し掛かっていた。マダム・ポンフリーも、今はさすがに眠っているようだった。

 石化したハーマイオニーのそのてのひらに、確かに、ページが握り込まれていた。くしゃくしゃになっている。襲われた拍子に固く握りしめてしまったのだろうか。杖明かりを頼りに四苦八苦しながらページを抜き取った。

 バジリスクの記述。蛇の王、雄鶏のときをつくる声が天敵で、蜘蛛はバジリスクから逃げようと試みる——そして、端には走り書きがあった。この二年近くですっかり見慣れてしまった、ハーマイオニーの字だ。

 

 【 パイプ 】

 

   ➤

 

 秘密の部屋の怪物はバジリスク。城中のパイプの内部を這って移動していたから、ハリーは姿なき奇妙な声を聞く羽目になった。

「だとしても、秘密の部屋の場所はわからない。バジリスクはまだそこに眠ってる——」

「リドルの日記を探し出して、黒魔術がかかった品として先生に突き出せば終わりだ」

 並べ立てられる懸念点を遮って、ドラコはきっぱり言った。

「実行犯も、操られていただけなら二度と開けようとも思わないだろう」

「それ、つまり……グリフィンドールの女子寮を漁れって? 昼間の先生たちの見張りは厳しくなっちゃったし、夜はみんなが部屋で寝てる。ガサゴソ探す間にどうか起きませんようにってこと?」

 ハリーがうんざりと反論した。

「怪物はバジリスクだと僕も思う——けど、レグルスの推理が全部正しいとも限らない。君のパパの細工じゃなくて、ジニーが犯人じゃなきゃ、振り出しに戻るしかない。先生に伝えるとか……」

「先生に? ポッター、君は正気か?」

 ドラコの頬が奇妙に上がる。笑みを作ろうとしたようだった。

「兄上があそこまで辿り着いておいて、なんで誰にも報告しなかったと思う。……僕たちを慮ったからだ」

「僕()()!? 君と君の父親だろ、それこそ僕たちには無関係だ!」

「その通りだが、それだけとも言いきれない」

 声を荒げかけたロンに、ドラコはいっそ冷たく反駁した。

「兄上は、ウィーズリーの誰かに命令しているのがトム・リドルだと……何故か……確信していたけれど、その方法には確信がないようだった」

 ドラコの見解は、手帳の記述から読み取れる内容として確かに正しい。

「父上や僕の立場()()を考えるなら、ウィーズリーどものいずれかが怪しい、そういう話を、たとえばスネイプ先生にでも耳打ちすればいい。あの人はそういうことを信じさせるのが上手くて、そうすれば——秘密の部屋を開けた犯人が捕まる。命令した人間は、誰にも知られないままにね」

 得体のしれない五十年前の優等生、トム・リドルが真犯人とは、ふたたび誰も知らないまま。ウィーズリーの子供だけが捕まり、マルフォイの地位は未だ盤石となる。

「兄上は——()()を野放しにできなかったんだ。ウィーズリーでもない誰かに渡ったらそれこそ追いきれない。むしろ次の実行犯が、今度は嬉々として継承者に加担して——どころか、もっと盛大に、混血も純血も余計なやつは全員皆殺しにする可能性だってある。そうしないために、方法を確実に潰すために、父上なら、仕掛けた人なら、確実に知っていると賭けたんだ」

 それは間違いなく自己保身である。自らの身と、弟の身を、これ以上の危険に晒さぬための手段である。

 同時に、取り返しのつかない被害者を——死者をこれから先、絶対に出さないことを大前提としている。

「とはいえ父上が乗り出すなら、つまり仕掛け人が片を付けるということだ。君たちが思うような結果になるとは限らないぞ」

「マルフォイ、君にとっては……その方が都合がいいんじゃないか」

 不意にロンは冷静になって尋ねた。

 ルシウス・マルフォイが都合の良いように。息子たるドラコ・マルフォイにとってもそれは都合が良いだろう。レグルスもまた、死者が出ないように立ち回りながらも、ルシウスに望んでいた点は変わらない。

 ドラコはふと目を瞬かせた。

「……そうだな。そうだけど——兄上は秘密の部屋の怪物の正体はわかっていたくせに、秘密の部屋の場所も、犯人の手段も、わかっていなかった。それで——あなたは馬鹿だって言ってやる……」

 語尾が若干震えた。

「僕でもわかることをわかってなかったくせに、不確実なことのために、自分の身ごと投げ出して、そんなの、そんなの本当に馬鹿だ。あなたが一番嫌いな愚か者で……僕は自分の兄にそんなこと、これっぽっちも、望んじゃいなかったって……」

 鼻声とともに目元をこするので、ロンは思わず目を逸らした。ハリーは石にされたハーマイオニーにふたたび目を向けていた。

「——リドルの日記は、僕たちじゃどうしようもない」

 ハリーは思考を整理する。

「実際、ジニーが持っているっていうのも、持っているかもしれないのレベルだ。一個一個の部屋を家探しなんて、透明マントを使っても、無茶だ。だからそっちは無理……でも、そう、秘密の部屋はどこかにあって、既に開かれてて、バジリスクがいなければ、ただの日記なんかに事件は起こせない」

 焦点はそこである。トム・リドルの日記は危険極まりない品だが、しかしただの日記であり、実質文通でしかやり取りができない。間接的な共犯と凶器が必要となる。この場合、凶器に当たるのがバジリスクで——それさえ無力化ができれば事件は起こせない。

「ハグリッドは……蜘蛛を追うことで手がかりが見つかるって言ったね。ハグリッドは犯人じゃないから怪物の正体なんて知らないはずなのに——ハグリッドは当時学校にいたんだから、僕たちとは違う情報を本当に持ってたんじゃないか?」

「ううん……でも、蜘蛛なんてもうとっくにぜんぶ逃げてるんじゃないか?」

「まだいるよ。たとえばそこに」

 ハーマイオニーの寝かされたベッドの脇をかさかさと這いずる蜘蛛を指せば、ロンは飛び上がった。ドラコも三歩後ずさった。

 

 ——結論から言うと。

「人食い蜘蛛に会わせて、深夜のおやつにするのが!? ウスノロには精一杯の冴えた解決策だとでも!?」

 成果はこんなかんじ。

 

「あの用無しの森番——木偶の坊が——絶対に——今度会ったら——」

「マルフォイ、それ以上ハグリッドを侮辱するなら車から叩き出すぞ! ……アラゴグに怒るのはわかるけど!」

 まァ散々であった。人喰い蜘蛛に遭遇させに行かせる森番がどこにいるという話だ。残念ながらここにいた。しかもペット、親しげにアラゴグと呼ぶ御友人——御友蜘蛛。繁殖まで成功させている。学校の敷地内で。どうかと思うよ。

「城で人喰い蜘蛛を丁寧に育ててたって? ドラゴン以前に捕まれ。あんなの、退学どころかアズカバンも妥当だ!」

 一頻り悪態をついて、自らのローブ——蜘蛛の体液と、砂埃と、逃げる際にあちこち引っ掛けてぐちゃぐちゃになった——を確認して、ドラコはがっくりと項垂れた。

「ほつれを直す魔法なんて知らない」

「僕たちも知らない」

「綺麗にする魔法は……なんだっけな……ママがよく唱えてるの……うぷ」

「吐くなら窓を開けて外に吐け!」

 三人ともそういう呪文には疎かった。呪文学の勉強がちょっと足りない。

「……車、父上に買ってもらおうかな。意外と便利かもしれない」

 ドラコがフォード・アングリアの窓を雑にノックした。野生化した車はブゥンとエンジンを鳴らした。意図は不明。

 ロンは青ざめた顔で、未だ震えるファングを宥めるように撫でていた。自分の吐き気も一緒に宥めようと奮闘している。

「……それにしても、けっきょく、新しい情報なんてほとんどないじゃないか。森番はスリザリンの継承者じゃなかった。怪物はバジリスクで決まり」

 ハリーたちがバジリスクの名を出した瞬間、アラゴグたちは何故知っているとばかりに恐慌に陥った。フォード・アングリアが隙をつけたのもそのためだ。

「五十年前に死んだのは女子生徒、現場はトイレ。こんな情報が、いったい、何の役に立つ?」

「……トイレ」

「君がトイレを求めてるのはよーくわかったさ、ウィーズリー。あいにくこんな森の中に上等な文明の利器はない」

 ロンの譫言に、ドラコは嫌味たっぷりに返した。

「トイレ……トイレ?」

 ハリーも繰り返した。

「死んだ女子生徒は——まさかレイブンクローだったりするのかな?」

「……なに?」

 

「嘆きのマートル——彼女はホグワーツの制服を着ていて、トイレに住んでいて、ずっと前から——五十年前から、そこにいる? つまり、自分が死んだ場所に」

 

 時刻三時半。

 夜明けはまだ遠く、ゆえに、深夜の冒険は未だ終わらず。

 

   ➤

 

 嘆きのマートルの死因を一通り聞いたのち、指差された蛇口を調べると、蛇の意匠が彫ってあった。

『開け』

 シャーシャーと蛇の威嚇に似た音——秘密の部屋の入り口が開く。

 この先にスリザリンの怪物がいる。バジリスクが眠っている。継承者の指示を待っている。……さすがに三人とも躊躇って、視線を交わした。

 そこにミミズクがふいっと飛んできて、トンネルに入り込んだ。

「レギュラス!?」

 慌ててドラコが後を追って「あっ」トンネルを滑っていった。ちょっと間抜けだった。

「……そういえばマルフォイ、あいつ、兄貴の名前をペットにつけてるのか?」

「……あのミミズク飼ってるのはレグルスの方じゃないかな」

「つまりレグルス・マルフォイは自分の名前をペットに……?」

 どういうナルシストなんだろう。もしかしてロックハートを嫌っていたのは同族嫌悪だったりするんだろうか。微妙な気持ちで二人もあとを追った。

「いたた……」

「大丈夫?」

「……ちょっと打っただけだ。こんなのなんでもない」

 何故意地を張るのか。ドラコは立ち上がり、腰をさすりながら辺りを見回した。

「……秘密の部屋っぽいな」

「ええ……君、これ見てテンション上がるのかよ……」

 ロンの声がちょっと引いている。ハリーもドラコの心境はよくわからない。

「グリフィンドールにはこの良さが理解できないのか。哀れだね」

「スリザリン生ってみんなこの雰囲気にはしゃぐのかな……」

 ドラコの頭の上に止まったミミズクが強めに鳴いた。何故か抗議の声のようにも聞こえた。

「脱け殻だ」

「つまり、これより大きな蛇が——」

 ドラコははしゃいだ声で言いかけて、口をつぐんだ。これから自分たちがその〝蛇〟に対峙することを、今更思い出したようだ。

 それからずっと黙したまま、彼らは進んでいった。不気味な空気感である。杖明かりでもなければ真っ暗闇のトンネルで、小動物の骨が時折転がっている。〝蛇〟は——これらのいきもので小腹を満たしてきたのだろうか。そうして、ずっと、お腹が空いていた? ……生徒は石になるばかりだ。バジリスクの腹を寸分も満たせていないだろう。

 大きな扉の前に立った。二匹の蛇が絡まって、こちらをじっと見つめている。ハリーはふたたび蛇語(Parcel Tongue)を使って、扉を開けた。

「さあ、バジリスクを——」

 ハリーは振り返る。思わず一歩足を引いた。

 ロンと、ドラコと——そこにはもうひとり立っていた。

「〝ハリー〟」

 ジニーは微笑んだ。血の気の引いた顔色だ。青褪める、を通り越して、まるで死人の如き土気色である。

「〝初めまして、いや、久しぶりかな、それで——〟」

 彼女は杖を突きつけた。

「〝とりあえず、他の奴らは、邪魔だね〟」

 緑の閃光が炸裂した。

 

   ➤

 

「——……よ、呼び寄せ呪文は、基本的に、む、無生物に効かせるもので、に、人間を動かすのは、た、た、大変でして……本当に……」

 聞き覚えのある声だった。ハリーたちはいつの間にか、薄暗くじめじめとした通路の端、折り重なっていた。ハリーは杖をしっかりと握りしめて、その場に転がった。ロンとドラコの様子を窺う——二人とも、信じられないとばかりに眼前の大人を見つめていた。

 ターバンは巻かれていない。

「〝君は……ふむ、誰だろうね。この小娘も覚えがないみたいだ〟」

「そ、その子は、わ、私の授業を受けたことは、な、な、ないかと。つ、つまり、君は、私のことを知るすべがない……」

 だんだんと声音は落ち着き払ってくる。ハリーはたった一度だけ聞いた、吃音の取れた口調だ。

 男の顔面の全体に火傷痕が残っている。ハリーは去年、彼の顔面に己の手を押し付けた。ヴォルデモート卿が取り憑いていた彼はそれだけで悲鳴を上げた。ハリーに触れるだけで苦痛を感じていたひと、闇に堕ちたひと——

「はあ……〝あの人〟を目の前にすると、どうしてもこうなる。切り替えなければやっていけないのだ、あの方は。つまり、それほどまでに強大で、ひとつのミスもお許しにはならなかった……」

「〝……僕はお前を知らないが——お前は、僕を知っているな?〟」

「トム・リドル。トム・マールヴォロ・リドル——ロード・ヴォルデモート。例のあの人。闇の帝王。あなたを指し示す名前は他にもいろいろとある。しかし……」

 クィリナス・クィレルは杖を振った。飛んできた光線がねじ曲がって、あらぬ方向を抉った。

「……赤子に負けて、霞以下となって、それでもあの人の方が、記憶の塊よりはまだ怖かったな? 挙句、ちいちゃな女の子の手を借りないと動けないだなんて……やはり五十年前はあの人とはいえどもそれほどでもないのか……」

『——バジリスク。彼らを皆殺しにしろ』

 蛇語(Parcel Tongue)が囁いた。ゾッとするほど冷たい声だ。

 バジリスク以外で、その指示を唯一聞き取れたいきもの、ハリーの顔から血の気が引いた。

「バジリスクが呼ばれた——僕たちを皆殺しにしろって」

「で、で、では、き、君たち、頑張ってください」

 クィレルはもとのように気弱な声音に戻った。

「あ、あ、煽ったので、か、彼は私にかかりきりになってくれると思います、が——た、た、たぶんそれで手一杯です。へ、蛇までは、ちょっと」

「スリザリンの怪物を二年生三人でなんとかしろって!?」

 ロンの絶叫。

 クィレルは首を傾げた。傾げながらも呪文を弾いては避けている。防衛術の教授——ヴォルデモートの手駒として選ばれるだけはあったようた。

「も、も、もともとそういう計画だったのでしょう? だ、だから君たち、ここに、三人で来たのですよね?」

 それはそうなのだが。ただここまで殺意いっぱいのバジリスクを相手するつもりはなく。

「そもそもあなたはなんでここに——僕たちを——いつから——」

「せ、せ、説明は、こ、この場を、切り抜けてから。えーと、こ、今回はちゃんと味方です」

 そうでなければ困る。

 轟音とともに真正面の壁が粉砕された。咄嗟にハリーたちは目をつむり——蛇の絶叫が響き渡る。

「レギュラス! 無茶するな!」

 ドラコが叫んだ。

「おまえが死んだら兄上になんと言ってお詫びすれば——」

「ペットに構ってる場合じゃないだろ! 見たら死ぬ怪物だぞ、目を閉じろよ!」

 ロンが怒鳴り返す。

「君も死んだら僕らが君のパパに殺されるからな!?」

「君たちと僕は不本意ながら似たようなものだろうが今回ばかりは!」

 ミミズクの無茶とは果たしてなんだったのか——すぐに判明した。ハリーが瓦礫の隙間からこっそり様子を窺うと、蛇の両目は、どうやら完全に潰されていた。即死の邪眼は無効化された。

 ミミズクはドラコの声を聞いているのかいないのか(聞いた上で無視しているのか)とぼけた顔で、柱の合間をうろちょろと飛び回っている。柱の陰に隠れて、三人は呼吸を整える。

「バジリスクの天敵——」

 ロンがつぶやく。脳裏に蘇るのは、ハーマイオニーが裂いたページ。【最も恐ろしい怪物たち】におけるバジリスクの記述だ。

「雄鶏のときをつくる声——いない」

「鳴き真似は——」

「無意味だろう、魔術的要素だ。たぶん」

 ドラコが足元の瓦礫に目を留める。

「……誰か、変身術で雄鶏を作れるやつは?」

 ハリーもロンも同時に首を横に振った。ドラコは舌打ちした。

「使えない」

「そう言う君は!?」

「できるわけないだろ!」

 開き直った。責めている時間も惜しい。

「蛇なら——バジリスクだっていきものだ。頭を刺して——」

「どうやって?」

「……蛇語(Parcel Tongue)で命令——」

 できたら苦労しない。

「聞いてる様子が全くないよ!」

 ひとまず試してみたものの、すぐにハリーは首を横に振った。そもそもスリザリンの怪物だというのであれば、継承者の命令しか聞かない可能性は高い。

 次の瞬間、三人とも咄嗟に柱から飛び出て逃げ出した。間髪入れず、バジリスクの尾が柱をなぎ倒した。

 一方クィレルは——有り体に言えば、困っていた。

「〝威勢は良かったわりに、なにもしないな? できないのか?〟」

 少女のなりをしたトム・リドルが甲高く笑い声を立てる。杖を振りつつ「言うじゃないか」クィレルは嘯いた。

 トム・リドルの実力は——正直そこまでではない。おそらく、今拝借中の体がジニー・ウィーズリー、つまり一年生のカリキュラムさえもまだ終えていないような女の子である点に由来している。一年生ではありえない強力な呪文が連発されるが、しかし、史上最強の黒魔法使いの威力には届かない。

 そして——ゆえに、クィレルは困っていた。相手はトム・リドルだが、しかしその体はジニー・ウィーズリーである。まだ十代前半のふつうの少女で、魂を長期間吸われて、死にかけている。

 呪文は、術者の技量の他、対象の状態でも効きが異なる。たとえば巨人やドラゴン相手に失神呪文をいくつも放っても無意味で——逆に相手が瀕死の場合、下手をすると、武装解除呪文一発でも命を落とす。

 

   ➤

 

「クィレルは——去年、僕のことなんて簡単にやっつけた。たぶん、あの状態のジニーも、もう少してこずったとしても、簡単に……でも、できないんだと思う。さっき一瞬見たジニーの顔色……下手に呪文が当たるだけでも、たぶん、本当に死んじゃう」

 少年たちはトンネルの陰に隠れていた。バジリスクは見当違いの方をうろうろと探しており、ジニー=トム・リドルはクィレルに夢中である。

 ハリーの分析は確かに的を射ていた。妹の危機的状況に、ロンの顔色はアラゴグと対峙した時よりも青褪めていて、一方で「なるほど、なら、クィレルが学生時代の闇の帝王を片付けてバジリスクもやっつける——とかは、期待できない」ドラコは苦々しい顔でつぶやいた。

「……女のウィーズリーが操られてる原因は、闇の帝王の日記だ。それで——つまり、たぶん、日記さえどうにかできれば、あのウィーズリーは解放されるし、司令塔は死ぬ。バジリスクも多少マシになるはずだ……問題は、どこにあるのか全然わからないことだけど」

「離れてる間はリドルのやつも命令できなかった。だったら今はジニーが持ってる」

 青褪めながらもロンが提言した。

 ドラコはさらに渋い顔になった。

「……いくら体は一年でも、中身は闇の帝王なんだろ。近づけるか? 近づけたとして、隙を見て盗み取れるか? あいつだってこうなったら、なんとしてでも本体は奪われたくないはずだ」

 そしてもうひとつ。

「バジリスクは、多少マシになったとしても、明らかに危険だ。図体だけでもな。この調子で暴れ回られると下手するとホグワーツ城ごと崩れるぞ」

 スリザリンの秘密の部屋は地下にあった。当然地盤沈下は建築物にとって致命的だ。魔法界でも変わりはない。

「ああもう、兄上はこういうときに限って頼れな——ドビー、ドビー!」

 ドラコが突然我に返り、屋敷妖精(House elf)の名前を呼んだ。

   バチン!

 大きな音が響いて「な、なんでしょう、ドラコお坊っちゃま!」こわごわとドビーがドラコを見「ハリー・ポッター!?」目を丸くした。

「本当にホグワーツ内にいた!? おまえはつくづく職務怠慢を——」

 ドラコが勢いよく説教しかけて、今の状況を思い出し、「——父上がウィーズリーに渡した日記帳、あれをここに持ってこい!」指令を下した。

「それに、僕たちあの日記を壊したいんだ!」

 ハリーも身を乗り出した。

「どうやったら壊せる!? その方法をドビーは知ってる!? 知ってたら、教えてほしい!」

「ドビーは——はい、持って来られます。けれども壊す方法は——」

 ドビーは震えながら辺りを見回して「ドビーは悪い子——」命令の矛盾に混乱しかけた屋敷妖精(House elf)を「いいか、日記帳でなにかをするより、壊すのが優先だ!」ドラコが強い口調で現実に引き戻した。

「僕も主人だろうが! 主人の言うことは聞け!」

「君そんな乱暴な……」

「あ、あれは、破いたりしても意味はありません、けれど——バジリスクの牙の毒は、あのおぞましい品をもきっと壊せます」

 バジリスクを倒すためにはトム・リドルを無力化したい。しかし、トム・リドルを無力化するためにはバジリスクの毒牙が必要——話がループし始めた。

 少年たちは頭を抱えてウンウン唸り——やがて結論は出た。ロンが腕まくりをして、杖を構えた。

「僕がやる」

「僕の杖使っていいよ」

 スペロテープを巻かれた杖の逆噴射率はきわめて高い。ハリーは親友の手に自分の杖を押し付けた。

 ミミズクが飛び立つ。バジリスクの鼻先をふらふらと舞い、引きつける。目は潰れたが嗅覚は未だ生きている。バジリスクが大口を開けて飲み込もうとして——パッとミミズクは躱した。外れた。

 柱と柱の間を大きな頭が横切る。食いつく際の勢い余って、体勢を崩したバジリスクが倒れ込んだ。

「【浮遊せよ(Wingardium Leviosa)】!」

 ロンが唱えた呪文で、今し方倒壊した柱の瓦礫が浮遊。人間大サイズ。瓦礫は、ほとんど真っ暗な部屋の天井付近まで移動して、バジリスクの頭上で制御を失う——落下する。

 それはトマトがつぶれたときの音に似ていた。

 蛇の甲高い断末魔が部屋中に響き渡る。

「う」

 グロテスクな惨状に、ドラコが顔をしかめて目をそらす一方、すかさず走り込んだのはハリーだ。グリフィンドール寮最年少にしてシーカーに選ばれた少年、その運動神経は伊達ではない。

 とき同じくして、奪われた日記帳をジニー=トム・リドルが探す——ドビーから半ば投げられた日記帳をハリーは正確にキャッチした。

 死んだ蛇の口蓋を上下の毒牙が貫いていた。下顎の牙、鼻先を貫通して、ぽたぽたと謎の液体が滴る牙——その先端に日記帳の表紙が押し付けられる。裏表紙が突き破られる。

 

 ジニー=トム・リドルは絶叫し、そして、倒れた。

 

   ➤

 

 起きたらドラコに頬を殴られて縋り付いて泣かれた。私がなにをしたと言うのか。頬普通に痛いのだが治していいか。だめか。そうか。

「兄上は——二度と——二度と絶対に——」

「……。ええと」

「兄上が一番馬鹿だ!」

 私ほど有能な同年齢は早々いないが?

 弟の小生意気な発言に反発しかけて、さすがにやめた。泣いているところに追い打ちをかけたら、いよいよ非情である。

「……一連の事件はどうなった?」

 ドラコが落ち着いてきたところで(ハンカチを差し出しつつ)尋ねる。私はドラコの目がハンカチで塞がっている隙にこっそり頬の打撲を癒した。痛いのは前提として、これが腫れて長引くとたぶんドラコはそれはそれで気に病む。そのへんこの子はちょっと繊細なので。

「バジリスクは殺して、トム・リドルの日記も壊して、ウィーズリー……女のウィーズリーは死ぬほど怒られて、僕とポッターとウィーズリーは二百点と特別功労賞をもらった」

 ハンカチで目元を拭いながら、ドラコは答えた。

 これは、つまり——ドラコはかなり深く真相に関与したらしい。あれだけ仲の悪いポッターとウィーズリーとも行動を共にしたとは。保身のマルフォイの名は私で終いだろうか。

「兄上……クィレルをいつから雇っていたんだ。ダイアゴン横丁で話していたのは彼だろう」

「そうだな」

 クィレル教授も来たのか。首を突っ込むドラコを見かねて、従叔父上が呼びつけた、あたりか?

「もともとクィレル教授の辞職の際、個人的な連絡先を確保していたのだが……」

 経緯はそういうことになっている。

「ロックハートの初回授業の日に改めて連絡を取って、そこから自習の面倒を見てもらっていたかな」

 このくだりは単なる事実だ。実質、クィリナス・クィレル教授防衛術講師続投だった。昨年よりも真剣に教えてくれたので、素直に助かった他、私の満足度も高かった。自習対象は、主にスリザリン四年生。途中からディゴリーが連れてきたハッフルパフ、それに、デイビースが引っ張ってきたレイブンクローも増えた。どこから嗅ぎつけたのか、双子にもせっつかれたので、グリフィンドールも受け入れた。

 同時に——自習メンバーは、クィレル教授の正体にさすがに誰もが気づいたが(なにせ今の四年生は、マグル学のクィレル教授も防衛術のクィレル教授も知っている)誰も追及しなかった。

 うん? ロックハートのお遊戯会をボイコットしてまで、ちゃんとした防衛術を教えてもらいたいのだよな?

 それで?

 私が用意した教授になにか文句でも?

「そもそもあいつ生きてたのか?」

「そもそもというか、まず、死んだとは誰も一言も……」

 ダンブルドアも昨年はクィレルの生死には言及しなかったのに、大抵の生徒間で死亡扱いになっていた。なんとも可哀想なことだ。私も従叔父上から教えていただけなければ、賢者の石の件のついでに死んだと思っていただろうが。

「あと父上が理事を外されてドビーがうちを辞めた」

「……あの子辞めたのか。それは……まァ」

「ポッターが辞めさせた」

「……。そう」

 家の部外者が? どうやって? と思うが、まァ辞めた方がドビーのためではあるだろう。父上もこれに懲りて、屋敷妖精(House elf)にもう少しまともな待遇を取ってくださるとよいのだが。

「兄上——その——……」

「……」

「僕は……僕はべつに兄上が兄上じゃないと思ったことはなくて……あれは……なんというか物の弾みで……」

 ふと天啓が舞い降りた。最悪の方向での天啓である。私はローブの胸元に触れた。……胸ポケットに入れていたはずの手帳が消えている。

「おまえちなみに、私の手帳を読んだりはしていないよな?」

 すぐさまドラコがベッドから降りようとするのでさすがに捕獲した。

 おい。読んだのか。あれを。私の恥を。

「父上も読んだ」

 いっそ殺してほしい。

「父上の、理事としての最後の権限で、ロックハートは解雇されるみたいだ」

「それはよかった」

 あっさり機嫌が直った私をドラコは半眼で見つめた。ロックハート解雇の一報はたいへん喜ばしい。スリザリンの怪物と二極で今年の私の頭痛の種だった。あれは市井にいるのを遠目でたまに見物するぐらいが充分だ。接触などは切実にご遠慮願おう。

 医務室から出ると、複雑そうな顔をした父上が私たちを待っていた。

「……レグルス」

「はい」

「……来なさい」

 私はドラコを見て(早く行けと目で急かされた。私が兄だが? 遠慮が消えてないか?)それから父上に近寄る。抱きしめられた。抱きしめられた?

「生きているな」

「はい」

「……生きている」

 そういえば——今年の流れを振り返る。私は、過程としてはけっこう故意的に狙われに行ったわけだが、それはそれとして結果だけ見ると父上の策の巻き添えで死にかけたようなものだったな。

 まァホグワーツで学んでいればそういうこともあるのだろう。

「生きている……」

 若干鼻声の父上。たぶんこれは泣いている。私は遠くを見つめた。それほど後悔するならばそもそも実行しないでほしかった、とは、さすがに申し上げないが思うぐらいは許されるだろう。私は今学期、私やドラコを殺しかねない化物が元気に学内を這い回っていると気づいてからというものの、ほとんどろくに眠れていなかったのだ。石化は正直、良い休養になった。

 ……できるだけ遠くに意識を飛ばそうとしていたせいで、廊下の奥、ダンブルドア校長がこちらを見つめていることに気がついてしまった。ダンブルドア校長はブルーの瞳をゆるめて、なんとも微笑ましげに私たちを眺めていたが、私の視線に気がつくと、にっこり笑って手を振った。

 私としては見物客は帰ってほしいなと思う。

 ミミズクが父上の頭に止まったことで、父上は我に返り、ようやく私は抱擁から解放された。ミミズクは羽ばたいて、私の左肩に止まり……もう一度羽ばたいてから、右肩に止まり直した。どうした。

 左肩を見るとかなり濡れていた。父上はわりとしっかり号泣していた。杖で叩いて乾かした。

 

   ➤

 

 父上はお忙しい中を縫って、私の石化解除のタイミングに立ち会ってくださったようだ。名残惜しそうだったが忙しなくご帰宅なさった。

 私とドラコは、父上を見送ったその足で、学期末パーティに参加した。

 パーティ中に発表されたこと。たとえば今年は、期末試験は取りやめとなった。私は石化時期が遅かったこともあり、石にされている最中の遅れぐらいは取り戻せる自信があったが、気持ちはありがたく受け取っておく。

 また、ロックハートのお遊戯会はキャンセルとなったので、成績は一律全生徒がつけられないらしい。最高である。ともすれば小躍りしそうな足を落ち着かせて、代わりに糖蜜パイを頬張った。ロックハートのお遊戯会を〝私用の腹痛〟で欠席し続けたのは私の選択だが、しかしあのお遊戯会如きで私の成績に汚点がつくのは、それはそれで忸怩たる思いだった。

 ドラコとも仲直りした上、今年の私は学期末のわりに機嫌が悪くない(そもそも、私が例年学期末パーティで機嫌が悪いのは、学期末だからではない)。今日は並んでパーティのご馳走を食べていた。

「——スキャバーズ!」

 つまるところ私はご機嫌だった。

 というわけで、グリフィンドールのテーブルから悲鳴が上がったな、は情報として認識してはいたが聞き流していた。どうでもよいので。

 ミミズクが目の前に降り立ったので——何用かな、父上はさすがにさっきの今で手紙を送ってくるとも思えないが、母上からの手紙だろうか——その足元を確認し。

 二度見した。

 ミミズクはネズミをガッチリ捕獲していた。

「えっ?」

 従叔父上、どうしました? あまりにもミミズク姿で居すぎて、野生の本能にでも目覚められましたか?

 逃げ出さんと身を捩るネズミを、鉤爪がしっかりと押さえ込んでいる。

「レギュラス——?」

『今から説明する呪文をこのネズミと僕にかけなさい』

「は?」

『早く』

 このひといつも説明が足りない、どうして。グリフィンドールのテーブルからは、見覚えのある赤毛の少年が憤然と近づいてきており「ウィーズリーのペットでは?」怪訝に眉をひそめて、ドラコが私を見る。これは猶予がない。

 とりあえず、説明通りの呪文を使用——青白い光が輝く——ネズミとミミズクの姿が、一瞬、強くねじれたように見えた。やがてネズミの頭が巨大化して——ミミズクの翼が細く伸びて——胴体が膨らみ——足がテーブルの天板につく。ご馳走が押しのけられてあたりに飛散した。一切れ食べたばかりの糖蜜パイが床にぶちまけられる。勿体ない。勿体ないとか言っている暇は実はない。

 私は、唖然とテーブルを見つめるしかなかった。私以外の人々もそうであったろう。

「行儀が悪いね。一回降りようか」

 レギュラス・アークタルス・ブラック(ヒト型)が、大広間のテーブルの上、見知らぬ小太りの男を引っ掴んでいた。

 彼は私に眼差しを向けて「レグルス」と柔和に言った。

「一旦どいてくれるかな。すぐ座り直していいから」

 この空気で座り直せるわけがないなと思いながら、私は立って、従叔父上がテーブルから降りられるよう、場所を開けた。ドラコも反射的にか立ち上がり、私の後ろに回って引っ付いた。ちらりと確認した顔は明らかに引き攣っている。理解不能過ぎて怖いようだ。それはそう。

「レギュラス!?」

 教員テーブルで裏返ったような声が上がった——スネイプ教授だ。

 従叔父上は、その端正な顔立ちをうつくしく笑みに直して「はいセブルス。僕ですとも。皆様は——ほとんどの方々は、初めまして。教授の方々は、何人かはお久しぶりです」周囲を見回した。

「レギュラス・ブラックと申します。一度死人と化した身として、退こうとは思っていたのですが、少し考え直す機会がありまして。ひとまず、我が兄上の冤罪を晴らそうかなと」

 レギュラスは笑んだまま、乱雑に、小太りの男を持ち上げた。男の顔はレギュラスとは異なり、笑みなどなく、怯えの色がきわめて濃い。

 

「手始めに、兄上の事件の真犯人——こちらのピーター・ペティグリューを手土産としてお届けに参りました」

 

 大広間は蜂の巣をつついたが如き大騒ぎになった。




 ホグワーツ城の底、秘密の部屋、ぬかるんだ床。
 蛇の死体の傍らに【S】のマークを施されたロケットペンダントが転がっていた。開いたロケットペンダントは亀裂に沿って二つに割れている。
 切断された牙——断面はなめらかで、まるで魔法で切り落としたのかのよう——が、ロケットペンダントの中央に突き刺さっている。
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