6年生に服従の呪文などかけるな
クィディッチ・ワールドカップ。
四年前はラジオ越しに試合内容を聞いていたが、今年はイギリス開催なので父上が席を取ってくださった。先日の聖マンゴへの寄付により、融通が利いたらしい。ドラコがニッコニコだった。
さてまァそれはいい。箒の小突き合いには十六年あまり生きてきて未だに意味を見出だせないが、試合内容ぐらいはなぞれるし、家族で行くならちょっとは楽しい。クィディッチの熱狂で混雑した環境であっても、特権階級には下々の方から道を開ける。
「げ、」
とドラコがちいさく呻いたのは、貴賓席までかなり近寄ったときのことだった。視線の先を辿る。赤毛の集団——ウワ、貴賓席にウィーズリーがいる。何故。
確かにウィーズリー家には、クィディッチに興味を持っている人間が多かった。そうでもなければ、たかだか学生時代のアマチュアといっても、寮のクィディッチ選手を何人も輩出したりはしないだろう。せっかくの自国開催だからと奮発したのだろうか。
彼らはファッジ大臣と話し込んでいたようだったが、大臣が私たちに気づいて(というより、父上に気づいて)朗らかに声を掛ける。遅れてウィーズリーたち——ポッターにグレンジャーもいるな?——もこちらに気づき、その全員に死ぬほど嫌そうな顔をされた。私も魔法大臣の前でなければその顔をしたい。
父上はファッジ大臣と和やかに挨拶をした。母上とドラコを紹介し(私はあいにくと裁判が初対面だったからな……)一年ぶりに顔を合わせた私としてもにこやかに挨拶をした。おや、ファッジ大臣の隣のお方はブルガリアの魔法大臣だ。新聞でお顔を拝見したことがある。
父上とアーサー・ウィーズリーの睨み合いなど知るものか。私を巻き込むな。せっかく家族団欒の外出で人と揉めるのを優先されるのですか、そうですか。左様でいらっしゃる。一昨年の反省はポーズだったのですかね。
べつに拗ねてない。
「〝Приятно ми е.〟——遠路はるばる、ようこそおいでくださいました』
ブルガリア語は〝初めまして〟以外ろくにわからないので手持ちが早速底を尽きたが——代わりにロシア語の語彙を引っ張り出して挨拶すると、ブルガリアの魔法大臣なだけあって通じたようで『これはご丁寧に。はじめまして、少年』うれしそうに返された。話したことが最低限相手に伝わっていて、相手の話が聞き取れる程度には、会話能力が身につけられているようだ。知識の習得と実践の確かな手応え。この楽しさがあるから学習はやめられないのである。
『君は……私の記憶が正しければ、マルフォイ家の子だとみたが、どうだろうか』
『はい。聖28一族のマルフォイが子息、レグルスと申します』
まァ訪問するにあたって有名どころは当然抑えているか。私個人は現状諸外国の外交には顔を出すような身分ではないが、当主たる父上に連れられていて、顔立ちも似通っているのだから、わかるだろう。
『ブルガリア語でなく申し訳ございません。なにぶんまだ挨拶ぐらいしか習得できておらず……』
『いやいや、どちらもスラブ系、なにより我が国は長年かの連邦と深い関わりがあるからね。それに、この国で挨拶だけでも母国語が聞けて嬉しいよ。よく勉強しているようだ』
褒められるのは素直に嬉しい。イギリスで暮らしている以上、他国語をあえて話すような場面はなかなかない。堅実な努力が実を結んでいる実感は良いものである。
『とはいえ、君にとっては異国語なのだから負担がかかるだろう。私は英語も話せるが、切り替えようか?』
『お気遣いくださりありがとうございます。ただ、大臣閣下の御言葉は非常に聞き取りやすいので――もしも大臣がよろしければ、のお話なのですが――若輩への手本として、このままロシア語で話していただけると私めとしてはありがたく存じます』
『もちろんかまわないよ。学習意欲が高いのはよいことだ』
我ながらかなりはしゃいでお話ししていたのだが「レグルス、レグルス? 会話が弾んでいるようだが行くぞ?」父上に困惑交じりに声をかけられた。なんだ。つまらない。もう少しウィーズリー氏と揉めていてくれてもよかったのだが。
……べつに拗ねてない。
『試合観戦、是非ともお楽しみください――もちろん、シャムロックこそが勝利の風を運ぶでしょうけれども』
『我が国の選手陣を甘く見てはいけないよ、若人。特にヴィクトール・クラムだとかね』
私の軽口に、ブルガリア魔法大臣はウィンクを返した。
「兄上、最後のあたりにヴィクトール・クラムの話をしていなかった?」
ドラコも多国語学習には手を出し始めていて、そもそも弟はクィディッチ好きなので、有名な選手の名前ぐらいはさすがに聞き取れたのだろう。
「ブルガリア選手も強いので油断するな、というようなことを仰られていたな。ユーモラスで親切な方だった」
「自分で自分の機嫌を取れたようで、良かったわ」
「なんのことやら……」
母上の言葉に全力でそらとぼけたものの「他にはなにを話したの?」そらとぼけた箇所は完全にスルーされた。
「ルシウスがウィーズリー如きにちょっかいをかけていたから、聞き逃してしまったのよね」
ちくりと刺す発言に父上が目を逸らした。
「ブルガリア魔法大臣は、私が名乗る前から、マルフォイの息子だと一目で言い当てていらっしゃった。純血貴族一覧は確実に抑えられていると思う。勉強熱心と褒められたけれど、あの人自身も勉強熱心だ」
母上のやり返しに溜飲が下がったので、素直に会話内容をご報告する。
「ロシア語を母語と遜色なく操れることは予期していたけれど、英語もかなり堪能なご様子だった。英語で話そうかとこちらを気遣ってくださって、私はロシア語を試したかったのでせっかくのお気遣いを断ってしまったけれど――」
「うん? 今の言葉は確かか?」
途中で父上が聞き返した。……私はなにかまずいことを述べただろうか。
「今の——どの言葉について?」
「あちらの魔法大臣は英語を話せるのか?」
奇妙な質問だった。魔法大臣にまで上り詰める人間が母語以外を話せたところで、なにも不思議はない。
「……御本人からのご提案だったので、たぶん、私のロシア語以上には話せるのではないかと。私に気遣って比較的平易な語句を選んでくださっていたから、私の聞き取りミスでもないと思う。そもそもわざわざ私に嘘をつく必要がない」
話せないなら余計なことを言う意味がない。ロシア語でそのまま話し続ければいいのだから。
私の(いまいち状況が理解できていないながらの)補足に、父上は額を抑え、母上はやれやれと肩をすくめている。何故。お叱りが飛んでこないあたり、私が失言したわけでもないようである。
訝っていると「兄上はブルガリア魔法大臣本人と盛り上がっていたから、思い切り聞き逃したんだろうだけど」ドラコが前置きした。
「ファッジは——」
「大臣」
「——ファッジ大臣は、ブルガリアの魔法大臣のことを、英語が通じないものとして扱っていたよ。どうせ言ってることなどなにもわからないのだから気にせずに、とね」
……私も額を抑えた。
ファッジ大臣は扱いやすくいい神輿ではあるのだが——これは、次はうちから推薦することはもはやなさそうだ。マルフォイの見る目が疑われかねない。もしかしたらば今も疑われているのかもしれない。なるべく穏便に、さっさと手を切らねば。
➤
クラムがスニッチを取ってアイルランドの勝利。
……なに言ってるのかわからないな。ともあれそういう試合内容ではあった。箒の小突き合いはよくわからない。ドラコは大はしゃぎしていたので面白い試合だったのだろう。
「まさか、クィディッチの観戦に来て、ヴィーラの魅了に引っ張られかけた息子たちを止めるので大忙しになるだなんてね」
母上にお手間をおかけしたことは大変申し訳ないのだが、あれは一種の
全科目
自棄である。
「……実際、対抗手段なんてあるのか? 性別転換薬だって効能は一時的だというのに」
「心に決めた相手がいるとかかりにくい」
同じく、なすすべなくかかったドラコのぼやきに、落ち着き払って答えたのは父上である。母上は女性なのでヴィーラの魅了の対象外だとして——父上は、多少はヴィーラを魅力的に感じたようだが、しかし我を忘れることはなかった。母上同様に私とドラコを抑え込む余裕まで見せた。つまりこれは惚気。これが息子に向けて惚気る親。
私たち兄弟は顔を見合わせて、同時に首を横に振った。まったく犬も食わない。
試合の興奮冷めやらぬ観客たち。喧騒は未だ続いている。魔法大臣たちはご帰還したが、私たちはまだ滞在の運びとなった。父上は近場に洒落たコテージを取ってくださったのだ。
マルフォイ同様、家ぐるみで観戦に来る貴族もちらほらと。父上も母上も、そちらの御友人方を招いて談笑されるようである。クラッブやゴイルといったいつものお友達もいたため、ドラコもそちら。私は——一通り挨拶をして義理は済ませたので、抜け出すことにした。
純血貴族であろうとも能無しはいなくもない。父母はウィーズリーやマグル生まれに顔をしかめるけれども、私に言わせれば、いくら文化レベルが同じでも低能に合わせて会話する方が苦痛である。家を維持する以上、有象無象との折衝も必要だとはわかっているけれど——やはり私には合わないな。監督生の件でもないが、ドラコが当主になるべきだと思う。
と、いう点と。
試合終了直後に飛んできた紙飛行機を開く。表記を見る限り、指定場所はここで合っているはずだが。
「やァマルフォイ!」
「ここで会ったが百年目!」
「五年目だが……?」
ウィーズリーどもと初めて顔を合わせたのはホグワーツ入学後のこと。夏季休暇の今、まだ六年目にはぎりぎり差し掛かっていない。そもそも私を呼び出したのはおまえたちの方だろうに。
訝しむ私にウィーズリーどもは輝かんばかりの笑顔だ。気色悪いほどの上機嫌だな。さっきの今だがやっぱり低能と会話する方が楽かもしれない。
「返済だ!」
掲げた腕、じゃらりと鳴った小袋に私は目を眇めた。受け取れとばかりにぐいぐいてのひらが押す。仕方なく手に取った。
「耳揃えて全額」
「しかもそれでもまだ余る」
「ぜんぜん余る」
「アイルランド万歳」
「クラム様々」
「「俺たちの幸運の女神!」」
「男だけどね!」
「男でも女神!」
興奮により支離滅裂な発言を聞き流して袋を開ける。案の定、ナイターライトに照らされて黄金がひかり輝いた。
ひとまず三枚手に取った。硬貨にありがちな複雑な凹凸が照明を反射した。
「……誰から押し付けられた?」
「バグマンと試合の賭けを——押し付けられた?」
嬉々として話し続けていたウィーズリーの片方(たぶんフレッド)がふと失速した。
「ガリオンとは音が異なる。加えて製造番号がどれも同じだ。大方レプラコーンの偽金貨だな」
鑑定と言うほどでもない同定。学校では習わない雑学、ひとつためになっただろうよ。
取り出した金貨を元通り袋にしまい、ウィーズリーの片方(たぶんジョージ)に持たせ直した。全く力を入れようとしないのでそのまま音を立てて落ちた。きちんと持てよ。一応消えるまではガリオンの質量ほぼ同等だというのに。地面に落ちたので事なきを得たが、もしも私の足の上に落ちたらば慰謝料を請求していた——診断書は金さえあれば作れる。これは豆知識。
「数時間で消える。いつもの悪戯の延長線だというつもりならば軽蔑するが……やはりそうでもなさそうだな」
彼らは商売計画に本気だ。悪ふざけのネタのつもりだったらば本当に失望するところだったが、まァ露骨にショックを受けている。先程までの上機嫌はどこへやら、茫然自失と呼ぶに相応しい。
「……偽金貨」
「ああ」
「数時間で、消える」
「そうだな。アイルランド勝利記念のゴールドシャワーだとしても、そろそろ二時間は経つ——」
地面に落ちた袋を拾い上げると、少し前までとは異なり、まるですかすかだった。逆さに持って振る。空である。「ちょうど消えたな」私がつぶやくと同時に双子がその場に崩折れた。
「「……おれたちのありがね……」」
「うわ……」
押し付けられたどころか、本物の金銭まで根こそぎ騙し取られたらしい。ウィーズリーは所詮ウィーズリー、貧乏に金運など存在しないのだな。
唇をなめる。袋を軽くはたいて砂ぼこりを払った。手近な方のシャツの襟を引いて袋を間にねじ込む。
「試合の賭けと言ったが、有り金は胴元にやったのか? クィディッチの公式賭博でレプラコーン金貨の支払いを行うとは到底思えないが」
「……ルード・バグマンと賭けたんだ。僕たち、ブルガリアがスニッチを取ってアイルランドが勝つのに賭けて……」
「何故そのような色物予想に全額賭けてしかもピンポイントで当たるんだ……」
手持ち全額つぎ込むような予想ではないだろ。ふつう帰ってこないだろ。後先考えずに面白さに命懸けていることは知っていたが、限度がある。そして何故当たる。おまえたちに
つくづく思うのだが、引きは強いのだよな、こいつら。わかりやすい結果には微塵も結びつかないだけで。
「バグマンか……あれは現役時代の名残で金遣いが荒いとは噂に聞いている」
純血貴族内でも、ドラコのようにクィディッチを好む魔法使いは多く、あちこちで歓待されていた——のも十年近く前のこと。いくら伝説的選手といえども、引退してからの方が長ければ新鮮な話題とはいえない。流行りは流行りに乗ってこそである。十数年ものの人間如き、ヴィンテージとすら呼べない。純血内には金を貸してやる人間など残っていないだろう。貴族の道楽でなければ——さて。個人間の借金で収まる範囲であればよいな。
「しかし、今日中に捕まえられたらば少なくとも元手は取り返せるはずだ。アイルランドの勝利に浮かれて財布の紐が緩むにも限度がある」
「人探しに使える魔法ってあるか!?」
途端に元気になったな。
「おまえたちは未成年。私も成人まであと一月。……ドビーがいたらば誤魔化せたがいないことだし」
父上はドビーの件に辟易して、
「虱潰しだろうな」
結論を締め括ったところでガシッと手を掴まれた。どちらからもだ。澄んだ目である。手を離せ暑苦しい。
「手伝ってくれ」
「何故私が」
心底理解しかねる。ウィーズリーはやはり狂人なのか?
「バグマンは元プロなだけあって有名人だ。誰か見かけてるかもしれない」
なにも理由になってない。
「君、試合前にブルガリア大臣と話してたろ。外国人に話しかけるなら言葉が通じる方がいい。君は猫を被るのが得意だし」
「おまえたちの問題だろうが! レプラコーンの偽金貨を教えてやっただけありがたいと思え!」
「それはほんとにありがとう!」
素直さは美徳だが手は離れない。ニッコリ笑ったウィーズリーどもだが目が笑っていない。本気で焦っている。有り金つぎ込んだのは嘘ではないのだろう。とはいえ私がご親切に世話をしてやる義理などどこにも——
「ここで僕たちの計画が頓挫して本当にいいのかな〜スペシャルサンクススポンサーマルフォイ?」
「——なるほどこれが殺意か」
今なら死の呪文でも撃てそうだ。夏季休暇中で、私がかろうじて未成年で、試合終了後のキャンプ場に大勢の第三者がいる(つまり目撃者候補が数多にいる)——スペシャルサンクスなどと世迷い言をほざいてないで、こんなにも幸運な現状そのものに彼らは誠心誠意感謝するべきである。
➤
「バグマン? さっきそこでファイアウィスキーを買ってたな——」
「初めて紙面越しじゃなく見たけど、現役時代のクィディッチユニフォームはもう入らなそうだね——」
『親切な人だ。値段が読めなくて困っていたら奢ってくれたんだ——』
『サインを書いてもらった! みてこれ——』
「みんなでアイルランドの勝利に乾杯ってね、まさかルード・バグマンにも会えるだなんて——」
「万華鏡おひとつどうですか——」
売れ残りのセールスを躱しつつ、テントの隙間を抜けていく。庶民の創意工夫には感心するが——どこもかしこも混み合っていて狭苦しい。やはりおとなしくコテージに残って、のんびりチョコレートでもなめているべきだったか。私が頃合いを見計らって抜け出すのはいつものことなので、父上と母上も、気づいたとして探しにもこないだろう。なんなら私が一人を満喫していたとドラコに恨み言を言われる可能性すらある。私は私でひどい目に遭っているのに……。
……冗談さておき、この間、ウィーズリーどもの顔はどんどんと険しくなっていた。ルドヴィッチ・バグマンの目撃情報はいろいろとあったがいまだ本人そのものは見つからず、ついでに高確率で散財の証言が取れているので——なんというかな。有金とやらがいくらか知らないが、バグマンが他にも賭けをして詐欺まがいで騙し取っていたとしても、元手が残っているのかすらもそろそろ怪しくなってきた。
「最悪身ぐるみ剥ぐ」
ウィーズリーが唸った。
「けっこうなご宣言だ。私が立ち去ったあとに存分にどうぞ」
この期に及んで追い剥ぎの共犯まで巻き添えにされたらば、いよいよたまったものじゃあない。嘆息した私に「あれ——マルフォイ?」声がした方を見ると、デイビースが目を丸くしていた。
「このへんは一般エリアだぜ?」
いるにしても一般ではないだろと思われている。事実だが。
「そこの馬鹿どもに付き合わされている」
「フレッジョじゃないか。なんだってまた」
「ロジャー! やあやあお久しぶりところでバグマン知らないか!?」
挨拶もそこそこに食い気味にこられて、さすがのレイブンクローのプレイボーイも若干の困惑を浮かべている。
「……あー、ルード・バグマン選手だよな? 元プロの。ちょい前にこのへん通ったけど、」
「「どこに行った!?」」
「あっち——これ説明するより僕が案内した方が早いな」
ごみごみとしたテントの森では確かに指差しだけではわかりづらい。
「ていうか、なにかあったのか? あったんだよな? なければ君らわざわざ揃って行動しないもんな」
「ハハハ」
道中で手短に説明すると「それは……ええ……うわ……バグマンってそういうやつだったんだ……」デイビースの声音は露骨にトーンが落ちた。ナチュラルに選手呼びも消えた。
「私はそろそろ帰りたい」
「それはなんかうん。大変だな君も」
「ロジャー、君ブルガリア語話せるか?」
「ロシア語でもいいぜ」
「ポルトガル語もいたな」
「中国語でもありだ」
「どれも無理だよ」
「続投よろしくマルフォイ」
私の不機嫌が加速したことを見て悟ったらしいロジャーが「……セドリックなら話せたりしないか?」提案した。
「彼も来ているはず、観客席で見かけたから」
「ああ……セドちゃんは確かに僕たちと同じ
「でもまだいたのか、てっきり、優等生クンは帰ったものかと」
「僕の悪口かな?」
「「まっさかーダーリン♡」」
調子のいいことである。「ダーリン、ロシア語話せるか?」「話せないけど……」ちょうどよいタイミングで現れたハッフルパフの好青年も困惑のご様子。ダーリン呼びはスルーの方向らしい。
「そも、もう深夜だが。なにをしに?」
「僕の台詞だけどねそれは。バタービールの瓶を返却しに来たんだよ、父さんと——」
「セドリック、お友達か?」
これまたタイミングよく、眼鏡の男性がディゴリーに声をかけた——ああ、魔法生物規制管理部のエイモス・ディゴリー。魔法省の名簿リストは暇つぶしの読書に最適である。省内の派閥争いも読み取りやすい。なにより年中刷新されるので読書の充てに尽きない。
彼は私たちを見て「君たちはウィーズリーの——他は——」と、首を傾げた。
「レグルスとロジャーだよ。友達の」
「お初にお目にかかります」
「どうも初めまして」
「ああ! 学年首位の子と、レイブンクローの凄腕プレイヤー——とはいえどちらも、シーカーでも監督生でもないとも聞いているがね。うちのセドとは違って——」
「ミスター。バグマンを見かけられませんでしたか?」
私が微笑んで尋ねると「バグマン?」エイモス・ディゴリーが訝った。
「彼のファンかね? まったく熱心なものだ……先ほどもゴブリンに追いかけられていたのを見たな。あちらの方に行った」
「ありがとうございます」
ゴブリン、な。グリンゴッツの行員としても有名だが、彼らは財物への欲望がきわめて忠実ゆえに、金銭トラブルで最もよく名前が出る種族でもある。高利貸しが多いのだ。
行くぞと目で合図し(本当にそろそろ解放されたい)ディゴリー一家に別れを告げた。
なぜか監督生のディゴリーはついてきた。
「——……父さんがごめん」
「僕がクィディッチの花形じゃないのは事実だしな?」
気まずそうな謝罪に、デイビースは明るく茶化した。
「私が父上に言いつけようとするほど狭量でなくてよかったな」
私は素気なく言い捨てた。言いつけるほど狭量ではないがデイビースほど優しくはない。
マルフォイの名前は高名だが悪名でもあり、ゆえにあえて伏せていたのだろう——知っていてなおあの反応であれば、魔法省職員として迂闊が過ぎる。とくに魔法生物規制管理部は父上の手がかなり入っていて、昨年のバッグビーク処刑要望が罷り通った理由の大半もそこにある。
「本当にごめん」
「マルフォイが言うと洒落にならないんだよな……」
「息子に友人と紹介されておきながらあの物言い、私でなくとも眉をひそめる」
「父さんは悪い人じゃあないんだよ」
ディゴリーが弁明した。「悪い人では」「ないだろうな?」ウィーズリーどもが目を見交わして、肩をすくめた。彼らも彼らでなにかあったのか。行きの
「……ところで本当になにをしているのかな?」
「賭けの代金をレプラコーンの金貨で支払われたどこぞの馬鹿どもの尻拭い」
「ルード・バグマンと賭けをしちゃならないぜセドリック。僕たちみたいになる」
「本人確保して最低限回収したいんだよ、全貯金だぞ!? 苦節十六年の結晶!」
「僕もさっき成り行きで付き添うことになってね……」
「……。ロシア語は話せないけどフランス語とスペイン語ならできるよ」
しかしバグマン探しはその後三十分もしないうちに頓挫した。
「……なにか、におわないか?」
キャンプ場の端から火の手が上がっていた。
➤
ただの火事——いや、と私はすぐに考えを改めた。立ち上る煙は小火にしては規模が大きく、炎特有のちらつきに加えて、時折、赤や青の閃光が反射している。【
さざめきがどよめきとなり、動揺が広がっていく。
「全員、杖は」
ディゴリーがこわばった声でつぶやいた。彼本人も引き抜いた杖を両手で保持する。
「あるよ」
「「もちろん」」
「当然」
ホグワーツ六年目に差し掛かる頃合いで今更杖を忘れる方が奇特である。
「とりあえず大人たちと合流——セドリックのパパのところに一度戻るか?」
「いや、父さんは魔法省勤めだから、もう駆り出されてるかもしれない。緊急事態に部署は関係ないからね」
「どちらにせよ既に距離がある。今更再合流は難し、ッイタ」
どん! と腰元になにかがぶつかってうっかりふらついた。なんだ突然。魔法力の加害ではないため初動を感知できていなかった。
『さ、さっきのお兄ちゃん——』
涙声で喋るのは幼い子供だった。泣きっ面でぐちゃぐちゃだが、見覚えがある——バグマンの件で聞き込みをしたひとりだ。流暢に中国語を話していた。発話される言語に合わせて無意識にも言語中枢が切り替わる。
『ママどっか行っちゃって、誰もみんな言葉わかんなくて、お、お兄ちゃんパパとママ知らない?』
『知るわけがな——ああ泣くな!』
異国で言葉が通じることは確かに親近感を齎すだろうが、私は子供が懐く相手として決定的に間違っている。自覚はある。かろうじて舌打ちをこらえていると「迷子……だよな? ほーら怖かったなよしよし、このお兄ちゃん子供ウケ悪いから」「やかましい」デイビースが子供の前にしゃがんで、言葉が通じないながらもあやし始めた。
「親とはぐれたのだと」
「避難者が増え始めているね。この人混みではぐれるのも無理はない。……とはいえちょっとまずいな、パニックを起こしかけている」
「英語を話せる僕たちですらろくに状況把握できてないからな……なにが起きてるんだか」
「……ちょっ、と待てフレッド」
ウィーズリーの片方(おそらくジョージ)がこわばった声でもう片方を制した。
「もしかして火が上がってる方——僕たちのテントもある方向じゃないか?」
嫌な沈黙が数秒。
『——おまえ。あちらの方から走ってきたな。なにがあったか知っているか?』
この場で唯一情報源になりうる者に尋ねる。
デイビースの必死のあやしの甲斐があったのか、ぐずぐずと鼻を鳴らす程度に収まった子供。涙に濡れた目が私を見上げた。
『よくわかんな、でも——ママ、早く逃げないとって……危ないから』
『どうして危ないかは? おまえはなにか見たか?』
『危ないもの、なにか——ええと、黒い服の、仮面をつけた人たちがいっぱい、テントをいっぱい壊したり……それに、キャンプの、受付? してたひとが、つ、吊るされてた』
『仮面? ……もしやそれは、白くて、細かな模様が入っていたりする?』
『そう、そう! なんだか、蛇みたいな模様の——』
非常に心当たりがある。具体的には父上が見せてくださった仮面の意匠に酷似している。なんの仮面かは言わぬが花であろう。しいていえば闇の帝王は蛇をこよなく好んでいらっしゃったため、下僕にもその意匠を身にまとうよう命じていたのだとか。ほぼ答え? そうだな。
加えて——クィディッチ・ワールドカップ開催にあたり、本来マグル:イギリスのキャンプ場であるこの場所を、魔法省が特別に貸し切った。マグル除けは当然張ってあるが、そもそもキャンプ場の管理人がマグル一家なので、忘却呪文によりいろいろと誤魔化されている——
『情報提供感謝する』
言いながら私は額を抑えた。おかしいな、なんだか頭痛がしてきた。
「……ウィーズリー、おまえたち家族は、こと一昨年までならさておき今はおそらく問題ない。ディゴリーも大丈夫だろう、魔法省勤めならば相応の魔法使いだ。顔も知れている。デイビースは、確かご両親も兄君も魔法が使えたな? であれば目立つ行動をとらない限り、狙われることはないはずだ。ガールフレンドなどご同伴ならばそれは私の把握範囲外だが——」
「おい……おい、まさかとは思うが」
ウィーズリーの声が露骨に引き攣っている。私の声はきっと露骨に辟易している。
バジリスクの借りがなければ〝血を裏切る者〟なぞどうなっていたかはわからないが、こと今においてはたぶん問題ないだろう。たぶんな。クソ。父上がいないことを祈りたかったが、なにせ私がコテージを抜け出した理由の半分は〝旧知のご友人たち〟が招かれていたからだ。望み薄である。羽目の外し方が最悪極まりない。母上は
ともあれ——これにて全員察しただろう。マルフォイの名前は高名だが悪名高い、具体的な実例である。ディゴリーなどはあまりに物言いたげな顔をしていたが「……この子を親御さんのところに送り届けよう」と、話を変えた。賢明だな。
「最低限でも魔法省管轄の誰かに預ければ探してくれるはずだ。そろそろ避難所がどこかに……避難者たちが集まりやすい方に開設されているはず。大多数へのスペースを確保できるエリア——少し先に行くと開けた河原があったはずだから、とりあえずそこを目指すべきだと僕は思う——君たちはどう?」
異論は誰からも出なかった。
「レグルスは今の話をその子に通訳してくれると助かる」
異論を出さなかったせいで仕事が増えた。……出しても増えたか。そもそも、よりによって今の私に抵抗の余地はない。
移動中にそこそこ大所帯になった。今までバグマン探しでだいぶん広範囲を聞き込みをしていたせいで、ロシア語/中国語/ポルトガル語/イタリア語/フランス語/スペイン語を話せるあの子、という扱いで外国人がわらわら集まったのだ。三分の一はディゴリーが引き取るべきだろと思わないでもなかったが、大人しく通訳に徹した。有象無象を取りまとめる才能としては、間違いなくディゴリーに分があった——これが監督生に選ばれた方と選ばれなかった方の差というやつか。人々の気を逸らす役はウィーズリーどもが請け負った。悪ふざけの経験が非常事態に生きること、あるのだな。ついでに発明品の宣伝まで兼ねていた。転んでもただでは起きないな。
避難所はディゴリーが言い当てた通りの場所にあった。避難者たちを然るべき場所に誘導し、取りまとめた情報を簡潔に話す優等生を尻目に、杖を振って、ティーポットとカップも作り出す。茶葉は家から転移。用途は緊急ではないが、そもそも事態が緊急なので、いちいち未成年者の魔法使用を検知をしている暇もないはずだ。
「うちの親と兄貴もここに避難してたよ、やっぱり
戻ってきたデイビースに呆れの表情を浮かべられた。そのまま家族と合流しても誰も咎めなかったろうに、律儀なことで。
「いるか?」
「……貰うよ」
デイビースにカップを渡し、無言で主張してくるウィーズリーども(器用だな……)と、説明を終えたディゴリーにも渡す。働きには相応の報奨が与えられるべきである。……身内の不始末の一部を請け負われたようなものだしな。
「ありがとう」
受け取ったディゴリーが思い出したように「バグマンはいた?」と尋ねた。ウィーズリーどもは揃って首を横に振った。私も同様に否定を返す。この混乱ではもはや見つかるとも思えない。どうしたものかね。
立ちながら飲むのもなんである。杖をもう一度振って椅子を五脚出した。「君無言呪文も使えたのか」「ムカデの大群を出現させたときに初めて使った」「なにがあったらそんなことになるんだよ」人生いろいろあるのだ。父上の如く伸ばし始めた髪を少女のようと揶揄されたりな。
「怒涛の一日だな……」
ほうと一息ついたデイビースがふと目を瞬かせる。
「なんだあのマーク」
「マーク?」
「あれ——空に上がってる」
騒ぎの方向とは微妙に逸れている。なんだろうと全員が振り返った。
がたんと音を立て、椅子が倒れた。私が蹴倒した。
空に上がった、毒々しく輝く髑髏。舌の代わりに伸びる蛇。過去の新聞で、あるいは父上の腕に薄く残った文様——闇の印だ。
嘘だろう。
「おいおい待て待て待てどこ行くつもりだマルフォイ」
駆け出しかけた私のローブのフードを掴む手。煩わしい。ローブを切り裂いたものの「なに、どうした!?」「本当に待ちなよ、今からわざわざはぐれるつもりかい!?」今度は腕ごと羽交い締めにされた。邪魔だ。
「この坊ちゃん今身体強化魔法使ってるな!? 異様に力が強い! もやしっ子のくせに!」
「落ち着けよ突然なんだ!? 無事だろうって保証したのはさっきの君だろ!?」
ああ無事だろうと思っていた。無事なはずだった。父上とその御友人らが悪趣味なお遊びをされている程度ではマルフォイの誰も傷つかない。マルフォイ以外でもせいぜい後を引かぬ程度の軽い怪我、死人は出ない。さすがにそのラインを超えると大規模な捜査が行われる。後片付けが面倒になる。父上とて単なる悪ふざけを大事にするつもりはないだろう。あくまでも
闇の印。闇の帝王が掲げた印。かつてその凶行の証明として掲げられた証。——死人が出た? 誰だ? ただのマグルか? マグル生まれや混血は、咄嗟には見分けがつかない。服装で一目でわかるとしたら——だめだ違う、今回の会場はマグルのキャンプ場を貸し切っている。ほとんどの魔法使いはマグルに扮してやってきた。扮装が下手な人間や既にローブに着替えた人間もいるが多くは区別がつかない。
闇の帝王の従順なる下僕、過激な純血主義者、彼らが真に嫌うもの。マグル。マグル生まれ。混血。血を裏切る者。——落ち目の帝王に見切りをつけ、のうのうと今を謳歌するかつての下僕。
黒のローブにかつての仮面。あまりに見分けやすい。
あまりに、殺しやすい、的。
マルフォイの名前は知れ渡っている。顔も知れ渡っている。父上が裁判所で弁明した内容も知る人ぞ知ることだ。母上は元ブラック家でもあるからそちらからでも判別可能だろう。私もドラコも父上によく似ている。他人ならともかく、それこそかつての
——行かないと、
「落ち着きなさい。みっともない」
ばさりと頭から布がかぶせられる。「レギュラス——」「ルシウスとは連絡が取れた」頭を覆った布を引っ張る。手が震えていてなかなか上手くいかない。三度目の試行でようやく外れた。グレーのマントだった。ヒト型のレギュラス——最近ようやく見慣れてきた——がよく身にまとっている。
黒髪の男はいつもの落ち着いた表情で私を見ていた。
「妻子共々、無事だそうだ」
ぶじ。無事。……無事。
「——……」
無意識のうちに全身に行き渡っていた魔法力が溶けていく。
「むしろ別行動の君の安否こそが気がかりだった。……怪我はなさそうだね」
「……はい」
答えのついでに空咳も出た。呼吸を忘れていたようだ。
「……あんた、そう、レギュラス・ブラックだ。俺たちの——僕たちの家族の行方を知らないか」
「ウィーズリーなら、上の兄弟は魔法省に助力していたのを見かけた。下の子たちは先程クラウチやウィーズリーが率いる班と合流していたよ、ポッターとグレンジャーも君たちの連れかな? そろそろ避難所に到着するだろうとも。僕が知る限り、彼らの安否はいずれも問題ない」
「僕の父は——あの、僕はディゴリーです。父はエイモス・ディゴリー」
「アーサー・ウィーズリーらと組んでいた。あの班に被害が出たとは聞いていない。……君も聞くか?」
「あー、僕は避難所内に家族がいました。大丈夫です。マルフォイの方を気遣ってやってください」
「この子もそろそろ落ち着くだろう」
拘束されていたことを思い出して、手を払う仕草をすると、ようやくウィーズリーらの腕が離れた。先程ローブを破いてしまったので、修復呪文を使う。服装を整える。これで……何事もなかったように見えるはずだ。心配をかけるのは本意ではない。
「……あれを打ち上げたのは?」
空に輝く闇の印が不気味な緑の燐光を撒いている。我が物顔で居座っている。夜のとばりに人工色はひときわ目立つ。我が従叔父上の普段グレーの虹彩にも、頭上の光が反射して、映り込んでいる。
彼は目を瞬かせ、ついでつぶやいた。
「少なくとも僕ではない」
➤
なまじ双子は私同様に(私が彼らに巻き込まれた側だが……)別行動をとっていたから、親御さんや御兄弟にはずいぶんと気を揉まれたようである。避難所でもみくちゃにされる双子を傍観していると「レグルス!」悲鳴じみた呼び声とともに母上に抱き着かれた。
ウィーズリーをとやかく言ってる場合ではなかったな。
「無事でよかった……顔を見せて。ああこんなに煤けて」
たぶんそれは煤けたのではなく月明かりによる木漏れ日のせいです。とはさすがに混ぜっ返せない。全身確認されているので大人しく身を任せる。御心配をおかけしてしまったのは事実なので。
……とはいえ、この件、父上とその御友人方が羽目を外さなければよかった話では? ……というか父上は避難所にいて問題ないのか?
「レギュラス、あなたが保護してくれていたの?」
「僕が着いた時には既にお友達といましたよ」
母上をなんとか宥めて父上からも安否確認を受け(御心配はありがたいのだがほぼ二度手間だ)「……兄上はどうして、危険な時に限って別行動をしているんだ」「私の関知するところではない……」ドラコにじとっと非難された。声が少しだけ震えていたのでハグしてやると逃げられた。弟の反抗期継続中。
この間、ディゴリーにものすごく生ぬるい目で見られていた。彼は一足先にエイモス・ディゴリーとの感動の再会を終えていた。
「愛されてるね」
「……」
事実なのでなんとも返し難い。事実なのは間違いない。嘆息し、ローブの衿を整える。
ウィーズリーどもは未だ揉みくちゃの最中で(なにぶんあの家は人数が多いからな)傍らでは、ポッターとグレンジャーがシリウス・ブラックと会話している——レギュラスがいたあたり、ありうるとは思っていたが、あちらもあちらでいても良いのか? どうせ冤罪なのだろうが、一応世間体としては嫌疑自体は残ったままだろうに。……そういえばシリウス・ブラックはマグル側でも犯罪者扱いだったが、証拠不十分による釈放は、そのあたり変動したのか?
「有志の避難誘導について執行部の方々が褒めていたけれど、まさかうちのセドリックだったとはね」
「みんなが協力してくれたので。そうだろうレグルス」
唐突な会話のパスの横流しにより、思考は中断された。親子のやり取りをこちらに振るな。
「おまえがまとめたのだからおまえの手柄だろうよ」
「ほうらセド。お友達もこのように言っている」
エイモス・ディゴリーは実に満足げだ。出来の良い息子を持てたことが誇らしいのだろう。まあ実際、パニック間際の愚鈍と話して落ち着かせて指示を聞かせる一連、あれほど手際よくできる人間はそうはいない。
そもそも騒動の元凶のひとりが私の父上なので、どう考えても私が取れる手柄ではない。マッチポンプは私の好みではない。
「億劫がっていないで親子で
「手厳しい」
苦笑したディゴリーが「また学校でね」と言った。適当に手を振り「帰るのか? またな」「ああ」デイビースが振り返った。礼には礼を返すのが染みついているので端的であろうと反射的に返答してしまうのだが、この状況ならば挨拶ぐらいカットしてもよくないか?
「おいちょっマルフォイ!」
「まだ僕ら借りを返せて——」
二人の反応に気づいてか、なにやら喚くウィーズリー。
レプラコーンの支払いはノーカウント、バグマンは未だ捕獲できていない。借用書も破り捨てていない。契約を破棄するつもりもない。私は本日ひたすら通訳を課せられた。半分はディゴリーのせいだとして、そもそも、私が多国語を話せることが知れ渡っていた原因は前段のバグマン探し。
揉みくちゃの馬鹿どもにも見えるよう、ご丁寧に三本、指を立ててみせる。
「三ガリオン、加算」
「「てめっ」」
充分穏便な対応だろうよ。私も悪魔ではないので、無一文に免じて今回は無利子としてやる。
「ではこれにて」
一礼をして家族のもとに戻ると「ウィーズリーとなにを?」とドラコに尋ねられた。私は肩をすくめた。
「茶番」
➤
薙ぎ倒されたテントの損害。避難時の負傷者が十数名。標的にされたマグルはカウンセリングと強めの忘却呪文で処置。父上はこの件、ロックハートを駆り出したらしい。適材適所だな。
死者は出なかった。奇跡的に。
「父上、犯人に心当たりなどは?」
当然ながらこの問いは、
「見当もつかん。あの頃の過激派は、私が知る限りでは全員がとうにアズカバン入りだ。既に獄中死した人間も何人かいる」
父上は渋い表情である。テーブルに広げられた新聞を畳んだ。
アズカバンの劣悪な環境は本当に洒落にはならず、長年虜囚だったシリウス・ブラックがあれだけ正気なことの方が異常である。
「レギュラスやペティグリューのような例外がいる、と仮定しても……あそこで行動するならば、それこそ、今まで沈黙していた理由がない」
それもまた妥当である。わざわざ冷や水を浴びせる過激派であれば——嫌な想像になるが——父上の無罪判決の時点で暴れ出して然る。
「……我が屋敷にいる限りは問題ない。ホグワーツも——癪だが。あの老いぼれは、長々と居座り続ける程度の働きはする」
まァダンブルドアの腕については疑うべくもなく。今世紀最大の英雄と呼ばれし称号はやはり伊達ではない。父上同様、私もあの顔だけ好々爺とはまるで気が合うとは思えないが、しかし彼が生徒の安全に細心の注意を払っていることも事実である。……細心の注意を払った上で、賢者の石を校内保管だのロックハート雇用だの人喰い蜘蛛放置だの(アラゴグについてドラコから聞いたときはさすがに正気を疑った。人肉を好む巨大蜘蛛といえばアクロマンチュラだが、魔法省分類XXXXXでマンティコアと張る危険度だ)意味不明さが気が合わないというのはそうなのだが。なまじご老体のくせしてなんでもできるせいで、生徒に被害を出さないラインが広すぎる。退任時にはなんとかしていけよ本当に。
「はしゃいで羽目を外さなければ問題ない、というだけの話です」
母上が落ち着き払って答えた。視線はじとりと父上を睨んでいる。「ともあれ」父上は露骨に話題の変更を試みた。
このひと結局、あの大はしゃぎ集団には参加していたんだろうか。できれば参加していてほしくないのだが。年甲斐もなく羽目を外す親、ふつうに嫌である。デイビースの両親は真っ当に避難していたし、エイモス・ディゴリーどころかアーサー・ウィーズリーでさえきちんと働いていたので、尚更である。
お暇なのでしたら鹿狩りでもしてくださいよ。害獣駆除で褒められて一石二鳥ではありませんか。
「ともあれ——」
強調してきたな。掘り返されたくないらしい。
……これは参加していたのだろうなあ。
「——三大魔法学校対抗試合についてだが」
「なにです?」
うっかり変な文法を使ってしまった。口元を抑えて「失敬」咳払いをした私に、母上がふと笑う。
「そういえば、レグルスは早々にコテージを抜け出していたものね。なんの悪巧みだったのやら」
「悪……違います」
ウィーズリーとの密談なので合っているといえば合っているのかも。
「まさか兄上がデート?」
「いくらドラコとはいえ言っていいことと悪いことがあるからな!?」
「なんだウィーズリーか」
何故バレた。
今度は呆れ顔になった母上が「あれら下賤とつるむのも程々になさい。……此度のルシウスと比べれば可愛いものだとしても」小言のついでに父上を刺していった。
「あなたが抜け出した後に出た話題よ。三大魔法学校対抗試合——レグルスは知っていそうね」
「ホグワーツ、ボーバトン、ダームストラングの、ヨーロッパ三大魔法学校から各校の代表を選出して競うシステム……のはずだと思う。ただ、あれは死者が続出したがゆえに二百年近く前に中止されたと記憶しているけれど」
少なくともホグワーツの歴史にはそのように記されていた。ダンブルドア校長の管理も大概だが、中世の魔法学校はずば抜けて人命が軽視されていたことがしみじみと実感させられる。そんな時代でも中止される死者数、相当である。
「復活させるそうよ」
正気の沙汰ではない。
「厳格な安全管理のもとに、とのことですけれど」
母上はそのように付け加えるが。
「少なくとも私の在籍中にホグワーツの安全管理が厳格だったことは未だかつてない」
「あら、わたくしの在籍時代と然程変わらないのね」
絶賛在籍中の生徒としては、せめて魔法戦争時代よりはマシであってほしいですね。
……マシだよな?
「そういうこともあり、レギュラスが理事権限で正式にホグワーツに顔を見せる。なにかあれば彼に頼るように」
父上が強引に話の主導権を握りなおした。
「それと、シリウス・ブラックとペティグリューも……こちらは警備要員らしいな。二世紀ぶりの伝統の復活だ、野犬どころかドブネズミの手も借りたいのか。この二人にはできるだけ近寄らぬよう」
「どちらも?」
と問うたのがドラコ。
「どちらも」
父上が頷いた。
「証拠不十分による釈放など、実質の執行猶予でしかない。疑われるような隙でも見せれば次こそ永遠の監獄送りだ。双方こちらにおもねることはない」
私としても父上の見解に異論はない。シリウス・ブラックにとってはおそらくもとより無意味な釘で、ペティグリューはそれこそ、下手な行動は取れない。
「他に現状把握している人員だと……そうだな……クラウチは、とはいえ生徒に手を出す男ではないか。あれは典型的な生真面目にして堅物だ。ちょっかいをかけなければ問題はない」
「バーテミウス・クラウチ? ああなるほど、ボーバトンとダームストラングが関わるなら国際魔法協力部は必須か」
「そういうことだな。……そうだ、それで思い出した。カルカロフ」
父上が最後に上げた名前。覚えのある響きに記憶を攫う。
「ダームストラングの校長の——? ……もしや裁判記録のイゴール・カルカロフと彼は、同姓同名の別人ではない?」
「その通りだがレグルス、おまえはなにをどこまで読み漁っているのだ。さすがに教えた覚えがないのだが」
できれば死ぬまでに全世界の書物を読みたいと思って日夜励んでおりますね。
「まァおまえの活字狂いは今更か……」
父上は何故だか諦めの様相である。研鑽を怠らぬ素晴らしい息子を持てて幸せでしょうに、全く不思議な反応だ。
「カルカロフはかつて
「……。はい」
それはつまり父上の同類では? と思ったものの、言わない程度の理性は私も兼ね備えていた。
ドラコも似たような顔をしていたが「わかった」と従順な返答にとどめていた。
➤
ラヴグッドが取るコンパートメントは、たいてい人がいなくて快適である。
「今年も焚火会はやるの?」
「どうだろう、今年はどうにも忙しいようだしな。ディゴリーの匙加減次第じゃないか」
「楽しかったから」
「それはなにより。他メンバーにも伝えておこう」
ラヴグッドはかすかに口角を上げて、またザ・クィブラーに視線を戻した。大雨の中を列車はひた走る。打ち付けられる大粒の雨が窓を濡らしていた。
➤
本日の天気は暴風雨、ところにより水風船。ピーブズは今宵も元気なことで、と眺めていると、ポルターガイストがこちらに気づいた。
「意地悪マルフォイ、性悪マルフォイ、お高く止まったお坊ちゃん——」
「詳しいな。しかし保身と日和見が抜けてる」
「そォんなお貴族様にもプレゼントでェェェェす!」
きれいなフォームで投擲された水風船を【
「……男爵、こちら放置しても大丈夫でしょうか」
「早く大広間に行け」
ちょうど壁から現れた男爵はそのように唸って、ピーブズに目を向けた。天敵の登場に、半透明の男は半透明でもわかるほど青褪めた。
うちの寮付きのゴーストはご親切でありがたい。さっさか列に戻る。
「新学期早々ピーブズに絡まれてたな」
「あのポルターガイスト、目くらまし呪文も効果が薄いのだよなあ」
レストレンジの揶揄まじりの物言いに、私はのんびりと返した。
「やはりゴーストやポルターガイストは理屈としてヒトとは異なるいきものなのか?」
ああいう手の呪文は動物には効きづらく、たとえばミセス・ノリスは目くらまし呪文をかけていようがだいたいじとっとこちらを睨んでくるわけだが、ポルターガイストの視界はまさか猫と同義でもあるまい。
「解剖でもできたらよいのに」
「本気?」
「さて」
方法を見つけるところから、なんて、あまりにも面倒なのでやらない。笑い交じりに誤魔化しておく。レストレンジは肩をすくめて、そういえば、と切り出した。
「レグルス、きっと君も聞いただろ?」
「なにを」
「トーナメント」
「いくら制度が改善されたにしてもね、名誉のために命を懸けるなぞ、グリフィンドールあたりで、どうぞ、ご勝手に?」
「スリザリンは野心の寮だのに?」
「狡猾の寮でもある」
家の付き合いだの帝王のあれこれだので手一杯だ。闇の印ひとつであれほど取り乱す温室育ちが勝ち残れるとも思えない。そうでなくとも私には読書という崇高な使命があるのに。
「うちの寮から代表選手が出たらば素晴らしいことだろうに」
レストレンジは残念そうな顔をしたが「それならおまえが立候補するべきだ」「僕はちょっと」自分に水を向けられると迅速にてのひらを返した。ほら見ろ。鼻で笑って、杖を振った。レストレンジの黒髪は、雨に濡れたのを強引に乾かしたせいで若干モサモサとしていたが、すっきりと整えられた。
「ああ……ありがとう」
「早く行こう。席がなくなる」
「糖蜜パイを取りやすい席、だろ」
私の甘党をすっかり理解してしまったものだ。レストレンジは呆れ顔で首を振った。
「ドラコ・マルフォイはいいのか?」
「最近鬱陶しがられていてね。思春期かな」
「ああうん。まァ弟くんからしたらそうだろうね」
どういう意味だろうか。こんなにも可愛がっているというのに。
「レグルスは弟を些か可愛がりすぎているからね」
「可愛いからな」
「愛って、良いことだけじゃないよな……」
レストレンジはしみじみと言った。私は微笑んで、スッと彼に杖を向ける。
レストレンジの髪が爆発した。
「こら、レグルス」
「原状回復」
「原状回復通り越して悪化だろ!」
➤
「参加条件、ハロウィンまでに成人済——君の誕生日、九月だったよな? やっぱり立候補できるじゃないか」
「ハハハ。ぜったいいや」
➤
マッド‐アイ・ムーディ。アラスター・ムーディ。魔法戦争の最中に活躍した、歴戦の
なにもかもを警戒し、すべてに威嚇して生きる。PTSDをついぞ治さぬままに
「——それで……」
私は言った。愛想笑いは崩さない。【
「これは、そう、いわばあなた流の教育的指導でいらっしゃると?」
「そやつはひとの親を侮辱し、同等の侮辱を返されるやいなや、背を向けた相手に呪いを放った。下劣な臆病者だ」
「なるほど、確かに斯様な行いは、褒められたものではありませんね」
私も後半箇所については目撃していた。具体的には、ポッターの背後から呪いを放ったところは見ていた。攻撃するならばもう少しちゃんと狙いをつけろと思う。前半箇所については見ていないが、まァドラコがそのような言動を行なっていたと言われて、違うのではと返すつもりはない。悲しいかな、私の弟はいろいろと——雑なので。
「それで、あなたはその現場を見て——私の弟をイタチに変えて、何度も床に叩きつけられたと」
「文句があると言わんばかりだな、小僧」
「はて」
首をかしげる。
「私の常識にない教育方法ではありましょう」
「それはそれは」
ムーディは欠けた鼻で笑った。
「さぞぬるま湯に浸かった生活を送ってきたのだろうな」
「ええ」
声音はつめたく、他の色は削ぎ落とされる。もはや誰も笑っていなかった。ムーディと私以外は。
古来——笑みは威嚇より進化したという俗説がある。
未だ震えるイタチの毛並みを宥める意図を以て撫でた。無言呪文による【
「あなたを含め、数々のご先達の尽力の賜物により、なんとも平和な時代が訪れましたからね——それで、貴殿はいつまで戦時下の英雄気取りというわけだ?」
無能は嫌いだ。有能は好きだ。私はそのようにして他者を分別するきらいがある。私自身、自覚している悪癖である。無能を切り捨てることに躊躇いはなく、たいてい、徹底的な不干渉を貫く。
アラスター・ムーディは有能だ。少なくとも
「旧時代に取り残されたおつむで御高説を宣うのは、さぞ気持ちが良かろうな。まったく羨ましい限りだよ」
憎悪に似た嫌悪が流暢に言葉を編み、舌を通じて丁寧に並べられる。なるほど私は、無視できない嫌悪の対象にはこのように振る舞うらしい。ひとつ学んだ心地であった。まるで他人事のように自らを認識する。
「そのような物言いこそが、安寧をのうのうと貪って堕落した証だ、マルフォイ。お前たちの親父をわしはよく知っている、その手法も。先の戦争で甘い汁だけを啜った末路がお前たちだ。平和にあぐらをかいた坊やども」
「知識だけが誠に勝つと愚蒙に信じるならば、それこそ辞書でも食って生きてゆくべきだな、
「ハ! ペンは剣よりも強しなどという妄言を盲信する者どもを相手取るときに、わざわざ人質を取る手間など要らぬわ。それともなんだ? まさかお前は、わしの杖がどこを向いているのか理解もせずに話しているのか?」
「弱い犬ほどよく吠える。弱った犬もまた然り。攻撃の前に警告をくださるとはまたずいぶん御親切なことだな。仮にも戦場を生き延びたとは到底思えん」
夏季休暇中、私は殺意の端緒を掴んだと勘違いしていた。あんなものはやはり児戯、茶番に過ぎなかった。刷新と上書き、学習は常に行われる。澄んだ殺意は冷静に思考を編み上げる。
こいつ、そう——今ここで殺しておくべきだろうか?
「——スリザリン五点減点。マルフォイ、些か言葉が過ぎます」
怜悧な一喝、とともにてのひらが肩に置かれた。マクゴナガル教授。グリフィンドール寮監。厳めしく顔をしかめた彼女の杖が振られて、ケナガイタチの身体が輝いた。一瞬あとには、ヒト型の弟が、私の腕に掴まるようにして立っていた。髪はほつれてローブが乱れている。腕に食い込んだ指先が痛く——ヒトらしく長い手指がきちんと片手に五本あることを示している。
「ムーディ
「それでは、そのようにするとしよう」
ムーディがドラコの腕を掴む。私の腕にはドラコの指先がさらに食い込んだ。「兄上——」「スネイプ教授のもとであれば、問題ない」努めて、声音の柔らかさを意識する。
「あとで迎えに行く」
髪を整えてやり、てのひらを剥がして見送る。
マクゴナガル教授も彼らの背を見つめていたが、ふと私に向き直った。
「先程の治療は優れた無言呪文でした。スリザリンに五点」
「……不要です」
「ええ、そうでしょう」
同じ点数の足し引き。拒絶を示した私にマクゴナガル教授は短く顎を引いた。彼女は私と違って愛想笑いのひとつも浮かべていなかった。
「それでも与えます。
私がかろうじて佩いていた笑みも消えた。
「……幾度も同じ手は通用しない」
「そうでしょうとも。ゆえにこの一度きりです」
女史の目が私を射抜いている。
「私が、起こさせません」
舌打ちをこぼして踵を返す。マクゴナガル教授は私を呼び止めなかった。階段途中でポッターどもを追い越したが、彼らは私に話しかけては来なかった。べつに彼らには怒っていない。目に余る口喧嘩は言葉通りに目に余るが、しかしいつものことで、大抵はドラコが先に仕掛けている。さぞ溜飲が下がったことだろうよ。好悪は人類平等ではなく、私は他者の感情の差異と機微を肯定する。ゆえに——私の怒りもまた、肯定されるべきである。そのように思考する。
ドラコ(イタチ型)を抱えるために鞄を置いてきてしまったと気づいたのは、大広間、スリザリンのテーブルにつく直前でのことである。取りに戻るのも面倒だが【
どうするべきかなと思っていると「鞄〜」レストレンジが追いついてきた。浮遊呪文で浮かせている方の鞄は私のものだった。監督生になってからというもの、ほとんど頼まなくなったので、久しぶりに運ばせてしまった。
「ありがとう」
「いいもの見られたからね。……いやあ、ほんと、喧嘩の売り方がすごいよ、
「そうだな」
もちろんわかっている。
それで。
それはなにか理由になるのか?
それは家族が痛めつけられているところを見過ごす理由になりえるとでも?
——心を畳んで仕舞い込む。殺意を閉じて収納する。深く息を吐いた。空腹は人に焦燥を齎す。視野は狭く、思考を制限する。サンドイッチでも包んで、ドラコの迎えに行かねば。その間にこの苛立ちを沈めねばなるまい。このままでは、また顔を合わせた瞬間杖を抜いてしまう自信がある。
ドラコのこと、スネイプ教授は取り成してくださっていらっしゃるだろうか。あの人は、スリザリンに、そしてマルフォイに甘い。そうだといいが……。
「失礼します、教授。レグルス・マルフォイです——」
「入りなさい」
ムーディはいなかった。ドラコの隣に空の椅子が既に用意されていた。ドラコは先程よりも落ち着いたようではある。ぐしゃと髪を撫でてサンドイッチを差し出すと「……ありがとう」か細い声の礼が述べられた。
「座りなさい」
スネイプ教授が指し示すとおりに腰を下ろした。
「結論を簡潔に述べる。
「——内訳としては?」
「次はなにをしでかすかわからん」
湯気の立つマグカップを手渡される。ハーブティーのようである。匂いからして鎮静効果か。……今の私、キレた狂犬ぐらいに思われている可能性があるな。マァありがたくいただこう。
「マッド‐アイ・ムーディ。数々の
無罪放免を勝ち取った父上も当然その筆頭だ。
「取り逃がした獲物がたとえば子を作ったとして。過去の妄執と戦争に囚われた狂人の認識は、こうだ——次なる悪の芽を摘めなかった」
おおよそ予想の付く思考ではある。また一口、カップに口をつけた。
「レグルス。私の話が理解できるな?」
「理解できます」
「ならば指示を聞けるな?」
「はい」
私は本心から肯定した。
「時と場合によっては」
内に秘めておくつもりだった言葉までするりと吐き出されて、思わず口を抑えた。
スネイプ教授は頭も痛そうにこめかみを抑えた。
「——これだから生粋のスリザリンは。身内狂いなど学生であろうとも手に負えんのだ!」
「スネイプ教授今私に
「
「無茶言わないでください兄上が僕の言うこと聞いた試しありますか!?」
あるだろ。たまには。
そんなことがあったのが昨夜の話。
そしてこちら、本日は未だ
試練が過ぎるな。
「授業を始める。教科書は必要ない。仕舞え」
始業のベルとともにムーディは訪れた。義眼が教室中をねめつけて、奇妙な青い虹彩は私を二秒ほど睨んだ。
「六年生——魔法省曰く、違法な、害をなす呪文を実際に見せる、その許可が下りる妥当な時期だそうだ。わしに言わせれば全く遅れに遅れているがな。ともあれ——許可が降りているならば大手を振って、だ」
かたんと置かれた大口の瓶には大きな蜘蛛が三匹ほど詰められていた。
「五年次に魔法法律を習っただろう。復習だ。かの法にて規定される違法な呪文の中で、最も厳しく罰せられる三種。答えられるものは——モンタギュー。ひとつ言ってみろ」
「あー……死の呪文」
インパクトが強く、真っ先に上がるだろう呪文だ。「その通り」瓶から蜘蛛を取り出したムーディが杖を向けた。
「【
絶命。
死神の鎌は、刹那の緑の閃光として可視化され、一瞬にして消え去った。
「無傷ながらにして完全な死を迎える。おまえはどうだ、レストレンジ」
「……そうですね、たとえば、磔の呪文?」
レストレンジは皮肉気に片方の口角を吊り上げた——聖28一族、レストレンジ家。彼の家系で現在もっとも有名な人間は、ロドルファス、ラバスタン、そしてブラック家からの嫁入りをしたベラトリックスの三名でタイだ。
「ああその通りだ。お前はよく知っているだろうな。【
次に取り出された蜘蛛がひっくり返ってジタバタと暴れた。直に力尽きかけて、痙攣を繰り返す。
「それで、マルフォイ——」
「——服従の呪文」
楯突くな、とは、スネイプ教授。また異なことを仰られますね。
私が楯突く前に、あちらから喧嘩を売られている。
「【
蜘蛛が器用にもタップダンスを踊る。まるで関節にそぐわない動きのように見えるが、果たして、どこまで意図して統制されているのだろう。
「——以上三種だ。知らねば対策もとれないとは言うが、しかし、これら三種はほとんど防ぎようがない。ゆえにこその許されざる呪文よ。アバダケダブラに至ってはこれを受けて生き残った者はただ一人だ。二学年下の
ムーディは蜘蛛たちを死体ごと元通りに瓶に詰めた。
「さて、O.W.L.を勝ち残った六年生諸君の実力を見せていただこうか。——机を除けて場所を作れ」
「なにを」
「ほとんど防ぎようはないが——この三種のうち、服従の呪文には抗うすべがある。強固な意志は誘惑に抗う力を与える」
ムーディは残った肉眼の方で生徒たちを見渡した。
「先だってのワールドカップを直に観戦した者は? ブルガリアはヴィーラを応援に出したと聞いているが——あれと服従の呪文は、本質としては同根だ。抗いがたい魅力を提示する。魅了をはねのけるほどの強き意思こそが抵抗の要となりうる。各々、抗えるようになるまで——練習だ」
義眼は未だ私をとらえていた。まったく逸らそうともしない。
「服従の呪文で従わされていました、などと、世迷言を二度と吐けぬようにな」
なるほどな。私は内心、きわめて冷静に相槌を打った。ところで——目の前の御大層な教授とやらを今すぐ縊り殺したい、という確固たる殺意は、強い意思として、抵抗の力になりうるだろうか?
……結論から言うと、なった。教授としても有能なご様子である。ゆえにこそ尚のこと、腹立たしいことこの上ない。
「マルフォイ」
授業終了後。さっさと退室しようとした私をわざわざ呼び止めるこちらの御方。
もはや振り撒く愛想も底を尽き、私は、なにもかも削ぎ落とした無表情で振り向いた。
「なにか」
「昨夜の言葉はわしの口が過ぎていたようだな」
ムーディは昨夜の狂人めいた物言いとは打って変わって、ごく冷静な振る舞いであった。
「なるほど、確かに、平和な時代に生まれたわりには——お前は警戒と殺意を知っている」
殺意に関しては主にあなたのせいだが。
「あれだけ啖呵を切ったあたり、ただの臆病なわけでもないようだ。父親とは異なるか?」
素っ気なく頭だけを下げて、私は今度こそ退室した。「マルフォイ激ギレ」小声で茶化したのはデイビースだ。ちょうど次の授業はレイブンクローの六年のようで、デイビースは今まさに教室に入るところだった。鞄で殴るか一瞬迷った。一瞬だったのは実際殴ったからである。
扉の横にて呻いて崩れ落ちた男を他所に、さっさと私は歩を進めた。周囲からは勝手に人が捌けた。
➤
普段は週末に行う焚火を週半ばの休み時間に焚くことにした。
「やあ」
焚いていたらばディゴリーがやってきた。
「この間の弁論大会はまた開催するのかな」
「縊るぞ」
私は低く唸った。
ハッフルパフの監督生が現場に居合わせていたことは覚えている。暴挙を引き起こしたのがよりによって新任の教授であったゆえ、さすがにどうしようかの顔をしていた覚えもある。
「それは勘弁。……思ったよりもまだ、怒ってるな。ごめんね」
ディゴリーは少し弱ったような表情を浮かべた。彼としては単なる軽口のつもりでしかなかったのだろう。
私とて、多少は我慢するつもりだった。多少は。スネイプ教授直々に、兄弟でも私だけ釘を刺されたことであるし。実際、高名な元
「あの狂人に言え。事あるごとに父上の件を擦ってくる」
ああもちろん
——ちくちくとつつかれて、比較されて、怒りを募らせる心境にもご理解いただきたいところである。先日の如く噛みついてないだけ私は従っているつもりだ。つもりだが。
「私の忍耐にも限界がある」
「君の忍耐、もともとそこそこないよね?」
黙ってアッシュワインダーをつついていると「……大変だね」と、ディゴリーはつぶやいた。
「……事実の評価は受け入れるべきだ。それはわかっている」
私はちいさく弁明した。
「父上は無罪放免だったが、嫌疑がかけられていたのは事実だ。ワールドカップののちに
うまく笑おうとして失敗した。
「——法廷以外で罪を追加で裁くなど、私刑でしかない。そして何事にも程度があり、度を超えれば過不足として謗られる。あの子が行なったことは正しく悪であろうが、しかし
だからマクゴナガル教授が止めに入ったのだ。先に私が激怒して乱入したせいで、半分ぐらいは冷静になっていたが。ムーディへ諭す言葉にはそれでも怒りが含まれていた。
「まして——私が、父上とは違う?」
炭が弾けて飛び散った。魔法力の暴走だ。咄嗟の盾の呪文は二人とも間に合った。アッシュワインダーは抗議の威嚇をして、焚火から逃げ去った。
「どのような意図であろうとそれは侮辱だ。私にとって、常に」
ディゴリーが杖を振って、砕けた炭の破片を消し去った。
「……君、弟くんへの愛情も大概だけど、お父さんのこと好きだものね」
「……それもあるが」
母上のことももちろん愛しているとして。
それは今はいいとして。
「そもそも、
「ストップ、ストップ。君そんなこと言われたのかい」
ぐちぐちとぼやいていたらディゴリーに言葉尻を聞きとがめられた。
「授業で服従の呪文をかけるくだり、私の番では私があまりに激怒していたせいか、まるで効かなかった。おそらくその件だろうな」
「本当に待ってくれ、ムーディの防衛術ってそんな感じなのか」
いよいよディゴリーは弱りきった顔をした。なんだ、知らなかったのか。
「ハッフルパフの六年は次の時限が初めてなんだけど」
「是非とも頑張っていただきたいところだ。あの男が驚愕するさまはきっと痛快だろうとも」
「どうしよう。さすがに許されざる呪文は自習に取り入れられないし、君の激怒を真似するにはちょっと感情が強すぎるし……」
頭を抱えてウンウンと唸っている。全く可哀想なことである。優等生のお悩みはさておき、火元を消して、燃え残りを片付ける。そろそろ休み時間が終わる。
「そういえば、コンパートメントでラヴグッドに遭遇したのだが、焚火会を褒めていた。楽しかったと」
「ありがとう……うん? それ、今?」
そういえば入学式から半月近く過ぎていた。伝言を預けられてからも、半月過ぎたということである。
「焚火会、今年開催できるかはちょっと怪しいよね……」
後片付けを始めた私に合わせて、ディゴリーもまた立ち上がる。ローブの裾についた枯葉や砂埃を払った。
「僕、トーナメントの代表に立候補するつもりなんだ。もうじき誕生日が来るから」
「ふうん。おまえとて名声だのに興味があったのか」
「君は興味なさそうだね」
肩をすくめてみせた。なにせ名声は金で買える。
「ハッフルパフに栄光を! ……なんてね」
ディゴリーが拳を突き出して、それから悪戯っぽく笑った。
「あと——なんて言うかな。僕は……みんなが思うほど、優しくて強いわけでもないから」
その瞳が不意にかげる。
「もともと、みんながそういうふうに思う理想のために、背伸びをしているんだ」
「……公明正大監督生殿」
「はは」
ずいぶんと実の入っていない笑い方である。
「……ちゃんとした実績があると、なんだろう、もっと自分に自信が持てるような気がする。僕が思う理想のひとに、中身を伴ったように……」
ディゴリーは言葉を切った。「……父さんが思うような、理想の息子……」ちいさくつぶやかれた声は聞こえないふりをしておいた。
先の同情に伴っていた質感をふと想起し、反芻する。すなわち内訳は
「——それに、千ガリオンあったらいろいろと使えるだろ?」
「……ああ、賞金」
「もっとも、代表に選ばれて——更に勝ち抜かなきゃならないわけだけど」
そうか、そういえば、千ガリオンか。
「書庫用の倉庫を買えるかな」
何気なくつぶやいた私に、ディゴリーが途端に動きを止めた。
「……そういえば君こないだ成人で。……もしかして僕、今、ライバル増やした?」
「さてなあ?」
「ちょっと」
立候補するつもりは相変わらずないとしても。まァ千ガリオンともなれば、できることはそこそこある。
残った焚火の痕跡を雑に靴底で掃いておく。本当に休み時間が終わる。
「兄上、ケナガイタチに変えるとかいう脅迫は教授として如何なものかと思わないか? やっぱり魔法生物飼育学には然るべき人間が派遣されるべきだろう?」
「ハグリッド教授に変身術に関する技量はそこまではない。せいぜい尻尾を生やす程度だろうよ、既存の器官を作り変えるのは苦労するが存在しない器官をとりつけるのは簡単だからな」
「うすうす思ってたけど、兄上、実はけっこうあのウスノロ気に入ってるだろ……なんであんな巨人もどきを教授呼び……」
「能力には相応の評価がされるべきだ」
「あっそう……」
「ちなみに尻尾爆発スクリュートは世話という名目で思う存分観察しておいた方がいい。昨今、新種などそう簡単には見られないよ」
「……。あれ新種なのか?」
「マンティコアとなにかを掛け合わせたことまでは突き止めた。マンティコアは確定でいいと思う。魔法省分類XXXXXの生物をよくもまあ次々と飼育できたものだな……」
「……新種開発って違法じゃなかった?」
「人工的な新種開発は違法だが、つまりそれは呪文かけて特質抽出して試験管で混ぜて発生だとか、そのたぐいだ。彼の興味関心の範疇外になる。大方、森で遊ばせていたら卵を抱えて戻ってきただの、一緒のところに置いていたらなんかできてただの、そういう偶発的産物だろうな」
「……兄上の言う通りだとすると……禁じられた森には少なくとも、マンティコアが棲んでることにならないか?」
「マンティコアの分類XXXXXは、つまりバジリスクとアクロマンチュラと同等の危険度という意味だが、おまえは一昨年の件を忘れたのか?」
「僕もう寮から出ない」
「弟君をいじめてやるなよ」
「いじめてないが……本当にいじめた覚えがないが……」