ひきこもりと躾のいい犬   作:ChomeemohC

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遠征選抜試験の後を想像したくて書き始めました


ひきこもりと躾のいい犬

 遠征選抜試験の喧騒がようやく収まり、会場には疲れと安堵が混じった空気が漂っていた。巴虎太郎は満足げに息をつく。試験を乗り越えた達成感もあったが、それ以上に胸をざわつかせるのは、これから始まる新たなつながりへの期待だった。

まずは、訓練の約束を取り付けた仲間たちへ。歌川、漆間、空閑——実力者揃いの3人に挨拶を済ませると、虎太郎は少し照れながらも連絡先を交換する。

「これからもよろしくな」1番隊の隊長だった歌川先輩と握手を交わす。

「お前、意外とやるじゃん」自分をこの試験のキーマンと評価してくれたらしい漆間先輩に頭を撫でられる。

「( ≡ε≡ )こたろうくんは強くなるよ」と空閑先輩からはお墨付きをもらった。

三者三葉それぞれの反応に笑顔がこぼれた。

約束は簡単にとりつけられた。訓練に付き合ってもらえるなんて、中学生の虎太郎には夢のような話だ。

「あとは…」

虎太郎の視線が自然と動き出す。試験中、オペレーターとして支えてくれた志岐小夜子を探していた。ふと見ると、彼女はもう片付けを終えて、そそくさと出口に向かおうとしている。小柄な体がちょこちょこと動く様子は、まるで逃げ足の速いリスみたいだ。虎太郎はくすっと笑いながら思う。

(小動物みたいだな…可愛い)

でも、その気持ちにすぐ別の思いが重なる。

(志岐さん、男性が苦手なんだよな…このままじゃ、もう会えなくなっちゃうかも)

意を決して、虎太郎は彼女に近づく。驚かせないように、そっと、でもはっきりと声をかけようとする。

「志岐さん」

「ひぇっ!」

予想通り、志岐は小さく跳ねるように振り返り、目を丸くして立ちすくむ。

「…はい…何?虎太郎くん…」

彼女の声は小さくて震えていたけど、どこか柔らかさがあった。虎太郎は自分の鼓動が速くなるのを感じながら、なんとか言葉を紡ぐ。

「あの、試験中お世話になったんで…挨拶したくて。あと、もし良かったら連絡先、交換してもらえませんか?」

中学生らしいぎこちなさ。でも、その真っ直ぐさが伝わったのか、志岐は少し目を伏せて、

「あ…うん…いいよ」

と呟く。たったそれだけの言葉なのに、虎太郎の顔がぱっと輝いた。

その様子を遠くから見つめる3人。

歌川が穏やかに言う。「微笑ましいな」

漆間はニヤニヤしながら「……やるじゃん」と呟き、

空閑は「( ≡ε≡ )ほう…」と興味深そうに眺めていた

虎太郎は志岐さんと別れた後も、スマホを握り潰しそうな勢いで喜びを噛み締める。

(志岐さんと繋がれた…!)

一方、志岐は少し離れた場所で、頬をほんのり赤くしながら立ち止まる。

「…びっくりしたけど…嫌じゃなかったな」

彼女の小さな呟きは、誰にも聞こえないまま風に溶けた。

 

数日後、巴虎太郎は自室のベッドに寝転がり、スマホを手にじっと見つめていた。

「はぁ…」

深いため息が漏れる。遠征選抜試験で志岐小夜子と連絡先を交換したのはいいものの、それからどうすればいいのかさっぱり分からない。送る文面が思いつかないのだ。

(「お疲れ様でした」とか…いや、遅すぎるだろ。それに堅苦しいし…)

頭の中で何度も文章を組み立てては消し、結局何も送れずにいる。

空閑先輩は玉狛第2に戻って遠征に出てしまったけど、歌川と漆間とは訓練で何度か会って、少しずつ打ち解けてきた。スマホにはそのやり取りの履歴が残っている。でも、同じタイミングで交換した志岐さんとの欄は、真っ白なまま。空白のチャット画面が、妙に胸をざわつかせる。

(志岐さんに何か送りたい…でも、変なやつって思われたらどうしよう)

そんな時、部屋のドアが軽くノックされ、柿崎国治の顔が覗いた。

「虎太郎、どうした?悩み事か?」

穏やかな声に、虎太郎は慌てて起き上がり、スマホを胸に隠す。

「柿崎さん、いや、うーん…」

「?」

柿崎は首をかしげて、いつもの優しい目でこちらを見ている。

柿崎さんは尊敬する先輩であり、柿崎隊の隊長であり、何でも話せる頼れる存在だ。でも——これは違う。恋愛とか、女の子にメッセージを送るなんて相談、めちゃくちゃ恥ずかしい気がする。頬が熱くなるのを感じながら、虎太郎は目を泳がせる。

(いや、でも…柿崎さんなら分かるかも。那須隊の熊谷先輩とスポーツしたりする仲だし、女の人と話すの慣れてるはず…)

意を決して、ぎこちなく口を開いた。

「柿崎さん、あの…実は、ちょっと相談があって…」

柿崎の目が少し大きくなる。

「ほう、珍しいな。お前がそんな顔するなんて。で、何だ?」

虎太郎は深呼吸して、恥ずかしさを押し殺しながら続けた。

「連絡先、交換した子がいて…でも、何て送ればいいか分からなくて…」

一気に言い切ると、顔が真っ赤になって俯いてしまった。

柿崎は一瞬黙ってから、くすっと笑う。

「なるほどな。そりゃ悩むよな。相手は誰だ?遠征試験で一緒になった志岐さんか?」

「えっ!?」

図星を突かれ、虎太郎の声が裏返る。柿崎はさらに笑みを深くして、

「那須隊のオペレーターだろ?試験の時、お前が話しかけてたの、遠くから見てたよ。で、どうしたいんだ?ただ訓練の話でもするつもりか?」

「いや、その…もっと、こう…仲良くなりたいっていうか…」

言葉がもつれながらも、正直に吐き出す。柿崎は腕を組んで、ちょっと考えるように天井を見上げた。

「志岐ちゃんは確かに男性が苦手でな。でも、お前みたいな純粋なやつなら、嫌がられることはないと思うぞ。まずは軽く、試験のお礼から入ってみたらどうだ?そこから自然に話が続くさ」

「試験のお礼…ですか?」

「そうだ。『試験中助けてくれてありがとう』ってな。堅苦しく考えすぎんなよ。お前らしく、素直にいけばいい」

柿崎の言葉に、虎太郎の胸が少し軽くなった気がした。

翌日の昼間、虎太郎はスマホを手に、何度も文面を打ち直しながら、ようやく送信ボタンを押す。柿崎さんからは軽くと言われたが、送信ボタンを押した時にはもう日が暮れていた。

「志岐さん、こんばんは。改めてなんですけど、試験の時、オペレーターとしてのフォロー、すごく助かりました。ありがとうございました!」

 

送信音が鳴った瞬間、心臓が跳ね上がる。でも、どこかホッとした気持ちも広がっていた。

(これでいい…のかな?)

不安と安堵が入り混じった感情のまま、虎太郎は眠りについた。

 

 

 

遠征選抜試験から戻った志岐小夜子は、自室にこもって次のランク戦に向けてデータをまとめていた。ノートパソコンを開き、画面に映る戦績や隊員データを睨みながら、頭の中をフル回転させている。

(最後の試合で上位に上がったから、次はB級上位スタートか…二宮隊と玉狛第2は遠征に行っちゃったから、相手は影浦隊、生駒隊、王子隊、東隊…強いところばっかりだよ。対してこっちは茜が抜けちゃったし、後任候補の夏目出穂ちゃんはまだC級…前途多難すぎる)

ひとりで思考を巡らせている時の志岐は、まるで別人だ。男性と関わる時のあの縮こまった姿はどこにもなく、冷静で有能なオペレーターの顔が覗く。指先がキーボードを軽快に叩き、戦術のメモを次々に書き込んでいく。こういう時、彼女は自分が一番落ち着いていられることを知っている。

 

ピコン!

静かな部屋に、突然メッセージアプリの通知音が響いた。志岐の手がピタリと止まる。

(え…?)

那須隊のミーティング以外ではほとんど鳴らないアプリだ。視線をスマホに移すと、見慣れないアイコンが光っている。

「ん?……ひぇ」

画面に映った名前——巴虎太郎。試験のお礼のメッセージだ。

(虎太郎くん…?今?試験から結構経ってるのに…お礼なら当日にも言われたし…何?これ…どういうこと?)

志岐の頭が一気に混乱に包まれる。スマホを手に持ったまま、指が震え始める。

(え、返した方がいいのかな…?でも、男の子に…メッセージ…?ひぇ…どうしよう、どうしよう…)

心臓がドクドクと鳴り出し、さっきまでの冷静なオペレーターの顔はどこかへ吹き飛んでいた。

志岐はスマホを机に置き、両手で顔を覆う。

(試験の時、確かに優しかった…びっくりしたけど、嫌な感じはしなかった…でも、でも…!)

頭の中で虎太郎の顔がチラつく。あの真っ直ぐな目と、少し緊張した笑顔。男性が苦手なはずなのに、あの瞬間はなぜか逃げ出したいとは思わなかった。

(でも、メッセージって…どう返せばいいの…?)

しばらく葛藤した後、志岐は意を決してスマホを手に取る。震える指でアプリを開き、虎太郎のメッセージを何度も読み返す。

「志岐さん、こんばんは。改めてなんですけど、試験の時、オペレーターとしてのフォロー、すごく助かりました。ありがとうございました!」

 

(シンプル…だよね。うん、シンプル…)

少しだけ気持ちが落ち着く。でも、返信となるとまた別の話だ。

(「どういたしまして」…?いや、それじゃ冷たいかな…「こちらこそ」…?ううん、変だ…ひぇ…)

志岐は立ち上がり、部屋の中をウロウロし始める。小動物みたいにソワソワしながら、結局スマホを手に戻ってくる。

数分後、ようやく短い文を打ち込んで送信ボタンを押した。

「…うん、こちらこそ。頑張ってたね」

 

送信した瞬間、志岐はスマホを机に放り投げ、枕に顔を埋めてしまった。

「ひぃぃ…送っちゃった…どうしよう…!」

顔が熱くて、心臓がバクバクして、でもどこか——ほんの少しだけ——悪い気分じゃなかった。

 

 

メッセージを送ってから半日と2時間。巴虎太郎は柿崎隊の控え室の隅で、膝を抱えて悶々としていた。スマホを握り潰さんばかりに手に持ったまま、画面を何度も確認する。既読マークはついている。でも、返信はない。

(やっぱ変だったか?そうだよな、試験から何日経ってんだって話だし…今さらお礼とか、どう返していいか分からないよな…)

頭の中でぐるぐる考えが回る。

(いや、忙しいだけかも?オペレーターって大変そうだし…でも、既読はついてるしな…うむむむむむ)

そんな時、控え室のドアが開いて、宇井真登華が資料を抱えて入ってきた。彼女は部屋の隅で縮こまる虎太郎を見て、柿崎に小声で尋ねる。

「虎太郎、どうしたの?」

柿崎はちらっと虎太郎を見て、微妙な顔で口元を緩める。

「あー、まぁ今は深く聞いてやるな。俺の口からは言えねぇよ」

男同士の義理を通すような口調に、宇井は「ふーん」と軽く首をかしげるけど、それ以上追及はしない。

その間も、虎太郎はベイルアウト用マットの上でゴロゴロ転がりながら悶えている。

(志岐さん、嫌だったかな…あんなメッセージ送るなんて、俺、調子乗りすぎたか…?)

頭を抱えてうめき声を上げる姿は、まるで子犬がじゃれついてるみたいだ。宇井が入ってきたのにも気づかず、ひたすら自分の世界に没入している。

ピコン!

突然、スマホから軽い音が鳴った。

「来た!」

虎太郎が跳ね起きる。画面を見ると、志岐からの返信だ。

「…うん、こちらこそ。頑張ってたね」

 

短い文。でも、その一言に虎太郎の目がキラキラと輝き出す。

「返信…来た!志岐さんから来た!」

思わず声に出して、スマホを両手で握りながら立ち上がる。顔が一気に明るくなって、さっきまでの悶々とした空気が嘘みたいに消えていた。

その様子を少し離れた場所から見ていた宇井は、資料を整理する手を止めてくすっと笑う。

「表情の変化が面白いわ〜」

事情は全く分からないけど、虎太郎のコロコロ変わる顔が微笑ましくて、つい見守ってしまう。柿崎はそんな二人を横目で見ながら、軽く笑った。

虎太郎は返信を何度も読み返して、胸がドキドキするのを感じていた。

(志岐さん、頑張ってたって…俺のこと見ててくれたんだ)

嬉しさが抑えきれず、マットに寝転がってニヤニヤしてしまう。でも、次のメッセージをどう返そうか考えると、また少し緊張が戻ってくる。

(次は何て送ろう…うわ、また悩む…!)

控え室に響く小さな笑い声と、虎太郎の新たな葛藤が始まった。

 

最近、志岐さんとのメッセージが少しずつ続くようになってきた。最初はぎこちなかったやり取りも、虎太郎が思い切ってゲームの話を振ってみた日から、びっくりするくらい話が弾むようになった。

(志岐さん、意外とゲーム好きなんだ…!俺が『あのボスの攻略むずかったよね』って言ったら、すぐ『あそこは罠に気をつけないとね』って返してきて…!)

スマホの画面を見るたび、ちょっとしたドキドキが止まらない。

でも、ある日ふと思った。

(このままもっと仲良くなって…仲良くなって?どうするんだ?俺、志岐さんとどうなりたいんだ?)

頭の中で言葉がぐるぐる回る。

(仲良くなって…お付き合い?…それから…キ、キス!!?とか…)

瞬間、虎太郎の頭に志岐の顔が浮かんだ。目を閉じて、少し頬を赤らめた志岐さんが、そっと近づいてくるイメージ——。

「うわっ!」

慌てて頭を振ってその想像を振り払う。

(いや、いやいや!飛躍しすぎだ!何だ!?今の!)

顔が真っ赤になって、思わずスマホを胸に押し付けてうずくまる。

そんな虎太郎の様子を、柿崎隊の控え室で宇井真登華と照屋文香が見ていた。

宇井が資料を手に持ったまま、くすっと笑う。

「虎太郎、また何かで悩んでるみたいね。顔がコロコロ変わって可愛いわ」

隣に立つ照屋も、優しい目で頷く。

「うん、メッセージ見てるとき、パッと笑うのとか…ホッコリする」

二人は実の姉のよう に微笑ましく見守りながら、そっと目を合わせる。

虎太郎はまだ自分の気持ちに気づいていない。志岐さんとの距離が縮まるのが嬉しいのに、それが何を意味するのか、どうしたいのか、頭の中はぐちゃぐちゃだ。

(とりあえず…ゲームの話、続けよう。うん、それでいい)

そう決めて、スマホを手にまたメッセージを開く。

「志岐さん、次のステージってどうやってクリアした?俺、詰まっちゃって…」

 

送信ボタンを押すと、また胸がドキッとする。でも、そのドキドキが嫌いじゃないことに、虎太郎はまだ気づいていなかった。

 

 

 

遠征選抜試験からしばらく経って、あたしのスマホには、なぜか虎太郎くんからのメッセージが頻繁に来るようになった。最初は試験のお礼だけだったのに、今では毎日のように通知が鳴る。

(最近の中学生ってこんな感じなんだろうか…?それとも、虎太郎くんが特別人懐っこいだけ…?)

志岐は首をかしげながら、画面に映る彼の言葉を眺める。

でも、不思議と嫌じゃない。むしろ、あたしが好きな話題ばかりで、話しやすいものばかりだ。

(思えば、選抜試験の時からそうだった…。虎太郎くん、空閑くんもだけど、年下なのに気遣ってくれて…)

あの時は頭がいっぱいいっぱいで気づかなかったけど、彼らの優しさが少しずつ自分を変えてくれた。男性が苦手で、いつも縮こまっていた自分が、試験中、少しだけ言葉を紡げたのは、きっとそのおかげだ。

ある夜、志岐はスマホを手にベッドに寝転がりながら、虎太郎とのやり取りを読み返していた。ゲームのボス攻略の話から、ちょっとした日常の話題まで。自然と口元が緩む。

そして、ふと——。

「顔、見たいな」

自分の口からこぼれた言葉に、志岐はハッと目を見開く。

(え…?何!?今、私、何て…!?)

引きこもりで、男性恐怖症の自分が、そんなことを思うなんて。信じられない。慌てて枕に顔を埋めるけど、心臓がドキドキして止まらない。

すると、頭に浮かんだのは試験最終日、連絡先の交換を申し出てきた虎太郎の顔。あの時の彼は、期待と緊張と、試験後の疲れが混じった表情をしていた。少し汗ばんだ額、ぎこちなく笑う口元——年下らしい、どこか可愛い顔。

志岐は胸がギュッと締め付けられるのを感じた。

(私…虎太郎くんの顔、見たいって思ってる…?)

男性が苦手で、いつも距離を取ってきたはずなのに。引きこもって、自分の殻に閉じこもってきたはずなのに。

(でも、彼なら…大丈夫、かも)

その思いが、ほんの小さな芽みたいに、心の奥でそっと育ち始めていた。

スマホを握り潰しそうなほど手に力を入れ、志岐はしばらく動けなかった。でも、どこかで、その気持ちを認めてしまってもいいような気がしていた。

 

ランク戦の新シーズンが始まり、那須隊は数試合でB級中位に落ちてしまった。スナイパーだった日浦茜の抜けた穴は大きく、那須玲と熊谷友子の2人だけでは、影浦隊や生駒隊といった上位チームから点を奪うのは至難の業だ。それに、中位帯の弓場隊や鈴鳴第一がガンガン点を稼いで上がってくる状況では、上位キープはやはり厳しかった。

志岐小夜子はオペレーター席でモニターを見つめながら、内心で冷静に分析する。

(当たり前といえば当たり前だけどね。分析するまでもないよ。出穂ちゃんがB級に上がってくるまでは、仕方ないかな…)

とはいえ、中位でランクを下げ続けるわけにはいかない。那須隊のプライドもあるし、何より自分がしっかり支えなきゃという責任感が、志岐の背中を押す。

今日の試合は、柿崎隊、諏訪隊、そして那須隊の三つ巴だ。どのチームもスナイパーがいない構成だから、射程の有利はトリオン量とバイパーの技術に優れる那須先輩がいる那須隊にある。

(ここで点を稼げれば、中位で踏ん張れる…!)

志岐の指がキーボードを素早く叩き、戦況予測を立てていく。

その時、ふと——。

(柿崎隊…)

頭に巴虎太郎の顔がよぎった。あの試験最終日の笑顔、メッセージでの優しい言葉。最近、ゲームの話で盛り上がる彼の声が、なぜか頭の中で響く。

「っ…!」

志岐は小さく首を振って、その考えを振り払う。

(ダメダメ!今は試合中だよ、集中しなきゃ!)

頬が少し熱くなるのを感じながら、彼女は目の前のモニターに視線を戻す。

「那須先輩、左側のビル群に諏訪隊の気配があります。柿崎隊はまだ中央付近で様子見みたいです」

冷静な声で指示を飛ばす志岐。那須が「了解」と短く返し、熊谷が「援護頼むよ」と応じる。

ランク戦の緊張感の中、志岐は自分の役割に徹する。でも、心のどこかで、柿崎隊の動向を追うたびに、虎太郎の顔がちらつくのを止められなかった。

 

 

柿崎隊の控え室では、試合を前に、いつもの穏やかな空気が流れていた。柿崎国治が隊員たちを見回しながら口を開く。

「今日は諏訪隊と…久々の那須隊との試合だが、虎太郎、大丈夫だな?」

その言葉に、ニヤリと笑みが浮かぶ。巴虎太郎の“想い”は、もはや柿崎隊全員が知るところとなっていた。隊室であれだけの百面相を披露していれば、当然の結果だろう。

宇井真登華と照屋文香も、顔の緩みを抑えきれず、くすくす笑いを堪えている。

虎太郎は慌てて声を上げる。

「か、からかわないでください!大丈夫ですよ!」

顔が赤くなりながらも、なんとか気合を入れ直そうとする姿が、また愛らしい。

柿崎は内心で思う。

(つっても、最近の虎太郎はキレキレだ。志岐さんの話を聞いた時は集中力に影響がないか心配したもんだが…)

歌川や漆間との訓練のおかげもあり、虎太郎の実力はメキメキ伸びていた。新フォーメーションで戦力を分散させても、ガンナーとして単独でしっかり点を取れるようになっている。試験後の成長ぶりは、隊長として素直に頼もしいと感じるほどだ。

照屋が宇井に耳打ちする。

「那須隊が中位に落ちてから、更に動きが良くなったよね」

宇井も小さく頷いて返す。

「好きな子が見てると思うと頑張っちゃうタイプだ~」

二人のヒソヒソ話に、虎太郎の耳がピクリと反応する。

「〜〜〜っ!作戦会議しましょうよ!」

耐えきれず声を張り上げると、控え室に笑い声が響いた。

柿崎が咳払いして、場を引き締める。

「まぁ、冗談は置いといて、今日の三つ巴は油断ならんぞ。諏訪隊はトリッキーだし、那須隊は那須の射程が脅威だ。虎太郎、お前は中央で初動を抑えてくれ。照屋と俺で左右から挟む」

虎太郎は真剣な顔で頷く。

「はい、分かりました!」

頭のどこかで、志岐さんがオペレーター席から自分を見てくれているかもしれないと思うと、自然と気合が入る。

(絶対、かっこいいとこ見せたい…!)

試合開始が近づく中、柿崎隊の空気はほどよく緩みつつも、戦いへの準備が整っていた。

 

 

 

 

試合が終わり、控え室に戻ってきた巴虎太郎は、ベイルアウト用マットに腰を下ろして今日の戦いを振り返っていた。

(今日の試合も悪くなかった…結果的には那須隊の勝利だったけど、単独で諏訪さんを落とせたのは大金星だった)

頭の中で試合の流れが再生される。元々使っていたダミービーコンに、歌川先輩や漆間先輩に教わった奇襲戦法を組み合わせたのが効いた。今まで隠し玉として温存していた手札だったから、諏訪隊の諏訪さんに綺麗に刺さった。

(諏訪さんがビーコンのフェイントに引っかかった瞬間、背後から一気に仕掛けて…決まった!)

その後の流れも鮮明に思い出される。諏訪さんを落とした直後、笹森先輩に片腕をやられたけど、その隙を突いて熊谷先輩が笹森先輩を斬り倒していた。残った堤先輩を3人で囲んで仕留めたものの、柿崎さんが相討ちに。最後は自分と照屋先輩で挑んだが、熊谷先輩に守られた那須先輩にはどうしても届かなかった。相変わらずあのバイパーの軌道は恐ろしい。

虎太郎は少し息をついて、満足げに頷く。

(でも、諏訪さんを落とせたのはデカい。歌川先輩たちのおかげだな…)

成長を実感できる試合だった。それに、試合中ずっと頭の片隅にあったのは——志岐さんだ。オペレーター席から自分の動きを見てくれていたかもしれないと思うと、いつもより気合が入った気がする。

でも、ふと気になることが頭をよぎる。

(試合中、俺の位置だけ異常に那須隊に掴まれてた気がする…あれ、気のせいだよな?)

ダミービーコンで攪乱したはずなのに、那須隊の動きがやけに的確だった瞬間が何度もあった。特に終盤、熊谷先輩に追い詰められた時、自分の位置がバレバレだったような…。

(まさか、志岐さんが…?)

一瞬、彼女が自分の動きを特に注意深く見ていたんじゃないかという考えが浮かぶ。でも、すぐに自分で打ち消す。

(…ダメだ!自意識過剰はダメ!そんな訳ないだろ!)

顔が熱くなって、慌てて首を振る。

(志岐さんが僕のこと特別に見てたなんて…いやいや、ありえないって!)

そうは思うものの、心のどこかで「もしそうだったら」と期待してしまう自分がいて、虎太郎は思わずマットに寝転がって天井を見つめた。

(試合後、何かメッセージ来てないかな…)

スマホを手に取る手が、少しだけ震えていた。

 

 

 

試合後、那須隊の控え室では、勝利の余韻が穏やかに漂っていた。那須玲がモニターの前で伸びをして、志岐小夜子に声をかける。

「小夜ちゃん、お疲れ様。」

熊谷友子も笑顔で近づいてきて、肩をポンと叩く。

「小夜子〜、ナイスオペだったよ!」

志岐は二人に軽く頭を下げて、ホッと息を吐く。

(上々の結果…良かった…)

内心で試合を振り返る。柿崎隊と諏訪隊が上手くやり合ってくれたのが大きかった。試験の時に漆間くんが見せていた隠密行動の戦略を参考に、少人数部隊の戦い方のイメージを膨らませていたのが功を奏した。結果、熊谷先輩が漁夫の利を得て、柿崎隊が諏訪隊を壊滅させてくれたのだ。さらに、柿崎隊長が相討ちで落ちてくれたのも助かった。人数不利がなくなれば、那須先輩と熊谷先輩のコンビはそうそう負けるものじゃない。

熊谷がふと思い出したように、志岐に目を向ける。

「そういえば最後、虎太郎くんの奇襲によく反応してくれたよね。あれ、どうして分かったの?」

志岐の手がピタッと止まる。

「……な、なんとなく、かな」

少し目を逸らして、小さく答える。

熊谷は目を丸くして、すぐにニコッと笑う。

「そうなの?試験で一緒だったから直感が働いたのかな。何にせよ助かったよ、小夜子!」

「う、うん、良かった…」

志岐は曖昧に頷きながら、内心で冷や汗をかく。

(言えない…オペレーションはちゃんとやってたけど、虎太郎くんのことは特に注目してた、なんて…)

試合中、確かに全体の戦況を把握していた。でも、虎太郎の動きには無意識に目が行っていたのだ。ダミービーコンで攪乱してきた時も、彼の癖——試験で何度も見たあの少し大胆な動き方——を覚えていたから、すぐに位置を特定できた。あの奇襲が決まっていれば、熊谷先輩がピンチだったかもしれない。

(でも、そんなの…ただの偶然だよね。うん、偶然…)

自分に言い聞かせるけど、頬が少し熱くなるのを感じて、志岐は慌ててモニターに視線を戻す。

那須がそんな志岐を見て、くすっと笑う。

「小夜ちゃん、疲れたなら少し休んで。次も頼りにしてるから」

「うん、大丈夫だよ…」

志岐は小さく笑って返すけど、心の中では虎太郎のあの真剣な顔がチラついて、ドキドキが収まらなかった。

 

 

 

試合後の柿崎隊控え室。疲れと達成感で少しだらけた空気の中、虎太郎はベイルアウト用マットに寝転がってスマホを手に取ろうとしていた。すると、宇井真登華がのんびりした声で話しかけてくる。

「そういえばさ〜」

虎太郎が「ん?」と顔を上げると、宇井は意味ありげに目を細めて続ける。

「ランク戦だから、志岐ちゃんも今日はボーダーにいるってことだよねぇ。流石に家からオペはできないからねぇ」

その言葉に、虎太郎の手がピタッと止まる。

(志岐さんが…ボーダーにいる…?)

頭の中でその事実が反芻され、心臓が少し速く打ち始める。

すると、すかさず柿崎国治がパスを受けたように反応する。

「あ、そうだ!熊谷に新しいフットサルコートの情報聞きに行くんだった。那須隊の控え室に行ってこないと」

さらっと言ってから、ちらっと虎太郎に目をやる。

「虎太郎、ちょっとついてきてくれないか?」

「えっ?」

虎太郎はガバッとマットから跳ね起きる。

「あ、は、はい!行きます!」

慌てて立ち上がる姿に、緊張と期待が混じった声が漏れる。志岐さんがボーダーにいるなら、もしかして会えるかもしれない——そんな思いが頭をよぎり、顔がみるみる赤くなる。

その様子を、宇井が「…」とニヤニヤしながら見つめる。隣に立つ照屋文香は、優しい笑みを浮かべて小さく呟く。

「柿崎隊長…優しい」

ポッと頬を染めるような口調に、控え室の空気が一気に温かくなった。

柿崎はさりげなく咳払いして、先に歩き出す。

「ほら、行くぞ。熊谷に用があるのは本当だからな」

虎太郎は「はい!」と元気よく返事をして後を追いながら、内心ドキドキが止まらない。

(志岐さんに会える…かも?いや、でも変な顔しないようにしないと…!)

スマホを握る手に力が入り、期待と緊張で胸が一杯になっていた。

 

 

コンコン。

那須隊の控え室のドアを軽くノックする音が響く。柿崎国治がドアを開けて、穏やかな声で挨拶する。

「失礼します」

中から那須玲が柔らかく応える。

「あら、柿崎さん…と巴くん、いらっしゃい」

部屋の中では、試合後の片付けを終えた那須隊の面々がくつろいでいた。

柿崎はさっそく目的を切り出す。

「クマ、いるか?」

熊谷友子が「あー、ザキさんいらっしゃい」と気軽に手を上げて応じ、二人はすぐに取り留めのない話を始めた。フットサルコートの話題から、最近の訓練の愚痴まで、和やかな空気が流れる。

一方、巴虎太郎は控え室の入口にポツンと立ち尽くしていた。柿崎に付いてきたはいいものの、どう動けばいいか分からず、ただキョロキョロと視線を彷徨わせる。

(志岐さん…いるかな…?)

胸がドキドキして、足が妙に重い。

すると、部屋の奥から、恐る恐るといった様子で志岐小夜子が顔を出した。柿崎がいるからだろう、出てくるのをためらっている様子が伝わる。彼女の小さな姿が視界に入った瞬間、虎太郎の顔がパッと明るくなる。思わず小さく手を振ると、志岐がそれに気づいて目を丸くする。

(虎太郎くん…も来てる!?)

驚きで固まった彼女は、数秒悩んだ後、頬を赤らめて——そして、そっと虎太郎に手招きした。

その様子を横で見ていた那須が、目を丸くする。男性恐怖症のはずの志岐が、自分から誰かを呼ぶなんて。視線を虎太郎に移し、柔らかく微笑んで促す。

「どうぞ、行ってあげて」

その言葉に背中を押され、虎太郎は慌てて頷く。

「あ、はい!」

少しぎこちなく歩き出し、志岐のいる奥へと近づいていく。志岐は手招きしたものの、いざ虎太郎が近づいてくると、また少し緊張したように視線を泳がせる。でも、逃げ出すことはせず、じっと彼を待っていた。

 

志岐小夜子が小さな声で呟く。

「い、いらっしゃい」

虎太郎が控え室の奥に足を踏み入れると、そこには大きなパソコンと複数のモニターが並ぶ一角があった。オペレーションルームだろう。データや戦況マップが映し出された画面が、静かに光っている。

(志岐さんの…城、って感じだ)

虎太郎はそう思うと同時に、緊張で喉がカラカラになるのを感じた。この空間に立ち入るなんて、自分には少し場違いな気がしてくる。

志岐がそっとモニターの横に立つ姿を眺めながら、虎太郎は内心で焦る。

(よ、呼ばれたはいいけど…)

何を話せばいいのか分からない。そもそも、柿崎に付いてきた理由すら、頭の中でまとまらないままここまで来てしまった。試験以来、ずっとメッセージでやり取りしていたけれど、直接顔を合わせるのは初めてだ。

(ずっと…志岐さんの顔が見たかった。ただ、それだけなのに)

頭の中では、話したいことが山ほどあるはずだった。メッセージじゃ伝えきれなかったこと、聞きたいこと。

でも、いざ目の前に志岐が立つと、言葉がまるで出てこない。

(あるはずなのに…言葉が、出てこない…っ!)

胸がドキドキして、頭が真っ白になる。

 

・・・

 

目の前に巴虎太郎が立っている。

志岐小夜子はモニターの横に立ちながら、内心でパニックに陥っていた。

(よ、呼んじゃった…けど…)

(なんで?なんで呼んだ?話がしたかった?メッセージで毎日やり取りしてるのに?何を話すの?どうして?)

頭の中がぐちゃぐちゃだ。ただでさえ男性が目の前にいる状況に慣れていないのに、自分から手招きしてしまった意味不明な行動が、動揺をさらに加速させる。指先がモニターの縁を無意識に擦り、心臓がバクバク鳴る。

(どうして?どうして?どうして?)

 

その時、虎太郎から緊張した声が聞こえてきた。

「あ、あの…志岐さん、今日の試合、すごかったです!」

ぎこちない、でも真っ直ぐな言葉。

その瞬間、志岐の緊張がピークに達して——そして、頭にふと答えが浮かんだ。

(もう一度、虎太郎くんの顔が見たかった)

シンプルで、でも確かな気持ち。試験以来ずっとメッセージで繋がっていたけれど、彼の表情や声、試験最終日のあの笑顔を、もう一度ちゃんと見たいと思ったのだ。

気づくと、志岐の顔に笑みが浮かんでいた。それは、男性に対するいつもの愛想笑いや緊張した作り笑いじゃない。自然とこぼれた、本当の笑顔だった。

「…うん、ありがとう。虎太郎くんも、すごかったよ」

小さな声。でも、いつもより少しだけしっかりした響きがあった。

虎太郎がその笑顔を見て、少し目を丸くする。志岐は慌てて視線を逸らすけど、心の中はどこか温かくて、混乱がゆっくり溶けていくのを感じていた。

 

 

 

那須隊の控え室の片隅で、志岐小夜子が虎太郎に混じりっけのない笑顔を向けている様子を、那須玲と熊谷友子がじっと見つめていた。すると、二人の目から突然、ダバダバと涙が溢れ出す。

那須は感極まった声で、柿崎国治にすがるように言う。

「柿崎さん…ありがとう…!」

熊谷も鼻をすすりながら、肩を震わせて続ける。

「ザキさん…ありがとう…!」

二人とも、まるで長年の夢が叶ったような大げさな反応だ。志岐の男性恐怖症が少しでも和らいだ瞬間を目の当たりにして、感動が止まらないらしい。

柿崎はそんな二人を見て、苦笑いを浮かべながらも、ある程度その涙の意味を理解していた。

「いやいや、そんな大袈裟に泣かなくても…」

と軽く突っ込みつつ、心の中で呟く。

(虎太郎、応援してるぜ)

目の前で繰り広げられる志岐と虎太郎のぎこちなくも温かいやり取りに、隊長として、そして仲間として、そっとエールを送る。

一方、那須と熊谷は涙を拭きながら、まだ少しヒックヒックしている。

那須「小夜ちゃんが…あんな笑顔を…」

熊谷「虎太郎くん、いい子だね…!」

 

母親のような心持で見守る二人に、志岐と虎太郎本人は全く気づいていないのだった。

 

 

 

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