碧空のキヴォトス-What a beautiful archive-   作:ユーラシアン

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「ホシノちゃん、私ね……

 あなたと初めて会った時、これは夢なんじゃないかって思ったの」

 

 遠い記憶。欠けた夢。

 もう一年も前のことだ。その時のことを、小鳥遊ホシノは何もかも覚えていた。

 窓から差し込む柔らかな日差し、長く伸びる影、風にはためく白いカーテン。振り返る彼女の佇まい、揺れる髪、僅かに傾けた首の角度。伏せがちの睫毛に、声にならない唇の動き。何もかもを克明に思い出せる。

 

 ただひとつ。

 彼女の表情だけが、靄がかかったように思い出せない。

 

 どんな時も笑っていたあの人。

 きっとその時も浮かべていたはずの笑顔だけが、虫食いのように記憶から抜け落ちていた。

 

「ホシノちゃんみたいな、可愛くて強くて、頼りになる後輩が傍にいてくれる。

 そんな夢みたいなことが、本当に嬉しくて……

 あなたと一緒にいられることが、私にとっては奇跡みたいなことなの」

 

 無意味な夢だ。もうとっくに終わってしまった話。

 幾千、幾万と反芻したところで変えようのない過去。

 "あの時こうしていたら"という、拭うことのできない未練。

 

「……毎日毎日、こうして一緒にいるじゃないですか。

 昨日も今日も、明日もそうです。"奇跡"っていうのは、もっと凄くて珍しいことですよ」

 

 その言葉は間違っていた。

 一緒に過ごすはずの明日は、二度とやってくることはなかった。

 伸ばした手は届かず、そのぬくもりは永遠に失われてしまった。

 

「……ううん、私はそう思わないよ」

 

 ───だから。

 

「ねえ、ホシノちゃん。

 いつかホシノちゃんにも可愛い後輩ができたら、その時は───」

 

 だから、せめて。

 せめて、その約束だけは。

 後輩を守るというその言葉だけは、違えたくはなかったのだ。

 

 

 ───ああ。今日も。

 

 ───視界の端で、いないはずのあの人が泣いている。

 

 

 

 

 

   ♰♰♰♰♰♰♰

 

 

 

 

 

「何か弁明は?」

 

 明くる朝。アビドス高等学校の一教室に、端的な一言が響いた。

 決して大声でもなければ荒くもない一言だ。それでも教室内全てにはっきりと聞こえるほどに響くのは、それだけ周囲が静かだということの裏返しでもある。

 教室。アツコを含めた対策委員会全員が横並びで座っている光景。

 誰もが口をつぐみ、目を泳がせていた。

 ホシノだけは、何も言わずじっとギーを見つめていた。

 

「黙っていては何も分からない。何か弁明は?」

「わっ、私たちは悪くないわよ! 元はと言えばあいつら、が……」

 

 沈黙に耐え切れず身を乗り出してセリカが叫ぶも、途中から勢いを失くし、最後にはか細く途切れてしまった。それでも納得いかないのか、何事かをごにょごにょと呟いている。

 

「セリカ」

「な、なによ」

「つまり君は、相手に非があるから自分たちの行いは正当化されると主張するつもりなのか」

 

 ギーの声に非難の色はない。

 荒げるわけでもなく、詰問するでもなく、淡々と事実だけを聞き出しているといった口調だ。

 代わりに熱も、温情もない。

 返答によっては躊躇なく警察に突き出すだろう。そのことが言外に伝わってくるからこそ、ギーにではなく己自身の罪悪感に気圧されて、セリカはこれ以上何かを言うことができなかった。

 

「……証拠はあの時しか取れなかった」

 

 セリカに代わって口火を切ったのはシロコだ。その目は真っすぐにギーを射抜いている。

 

「カタカタヘルメット団にはカイザーグループの息がかかっていて、私たちはずっと戦う敵を見誤ってた。私たちのやったことが悪いのは分かるけど、こうしなきゃ私たちは何も分からなかったし、証拠も手に入らなかったよ」

「不正な手段で入手した証拠は証拠として取り扱われない。そしてカイザーグループのアビドス自治区への介入は、前生徒会の記録から容易に類推することができる。こんな手段を使わずとも、いずれ遠からず判明していたことだ」

「私たちがやったことは無意味だって、先生は言いたいの?」

「それ以前の問題だ」

 

 切って捨てられ、シロコの顔つきがむくれたものに変化する。

 

「事実として君たちの行いは重犯罪だ。捕まれば無期の拘禁は免れない。官憲やヴァルキューレも無能ではない、本格的な捜査の手が入れば早々に発覚するだろう。君たちはその一生を棒に振る、そうしたことは考えなかったのか?」

「あ、あそこはブラックマーケットで、あの銀行だって違法な闇金だったし……」

「だから被害届は出されない、だから凶行に手を染めていいと」

 

 取り付く島もなかった。

 いつも変化に乏しいギーの表情はやはり穏やかなままだった。

 

「問題はそこだ。君たちの行いは法的にも倫理的にも許されることではない。

 被害者なら加害者になっていいという道理はない。決してそこを取り違えてはいけない。

 罪は罪だ。例え罰を免れようと、その事実は変わらない。

 自分たちは正しいことをしたのだと、ほんの少しでも考えているのなら、今すぐその認識を改めるべきだ」

 

 ギーは息を吐いた。自分から伝えるべきことは全部言った、そんな顔だった。

 同時に、場に一種の緊張が走る。ギーは明らかに自分たちの行いに好意的ではなかった。ならば次に彼の取る行動は、ヴァルキューレや連邦生徒会への通報か。いずれにせよ穏当なものではあるまい。

 そう思われたのだが。

 

「ところで、誰も顔は見られていないね?」

「……えっ? ま、まあ、覆面は被ってたし、多分」

 

 思いがけぬ一言に戸惑うセリカを余所に、ギーは続ける。

 

「証拠を残してもいないね」

「……ん、電気は落としたし追跡もされてない。アヤネの後処理は完璧」

 

 妙に自信満々のシロコを見てうなずくと。

 

「強奪した金銭の処遇については、既にホシノから聞いている。

 目的はあくまで集金記録の確認。金銭の盗取は不可抗力の産物であり、1円たりとて所有も使用もしない。

 僕はそう理解した。ならこれ以上言うべきことはない」

「え、っと、つまり……私たちを矯正局に突き出すとか、そういうのは?」

「しないさ。そもそも僕は、君たちがより良い道を歩むために来たのだから」

 

 ギーの言葉に、面々はまばらに顔を見合わせると、やがて差し合わせたように脱力した。

 集金記録の書類と一緒に銀行から強奪した(というか相手が勝手に入れてきた)1億円あまりの現金は、ホシノの指示で投棄されている。

 "今回は悪人だったけど、なら次は?""こんな方法に慣れてしまったら、いつかは平気で同じことをするようになる"。

 そんなホシノの言葉に彼女たちは従った。1億という大金は、借金問題を抱える彼女たちにとっては喉から手が出るほどに欲するものであろう。それでも彼女たちは誘惑を振り切り、倫理とけじめとを優先した。

 あくまで学校を愛するが故の行動であり、そこに他意はないのだと。

 

「ただ、これだけは約束してほしい。もう二度と、こんなことはしないでくれ」

 

 それでも。

 それでも、他の人間はそう捉えない。

 法は極めて厳格だ。そこには私情が挟まる余地などない。表立って法を犯したというその一点を以て、彼女たちの人生はその先を閉ざされてしまうだろう。

 

 そんな未来は避けなくてはならない。

 彼女たちは光あるところを歩いていける人間だ。

 ギーに道徳を説く資格はなかったが、代わりに責任があった。子供たちを導くという、分不相応な責任。

 そうであるならば、泥と悪名は薄汚い人間が被ればいい。ギーという、本来キヴォトスとは縁も所縁もない罪人であるとか。

 

「うへぇ、大丈夫だよ先生。みんなには私からも言ってあるし、ちゃんと分かってくれたからさ。ね、みんな?」

「……ん、確かに軽率だった。ごめんなさい」

「そっ、その……悪かったわよ。もうこんなことしないわ」

「ちゃんと反省しなきゃですね~」

 

 対策委員会の面々は口々に謝っていく中、アツコだけは無言で頷くだけだった。

 分かってくれたのならいい、とギーは咎めることはなかった。

 

「嫌な話はここまでにしよう。今日は火急の予定もないし、今からアヤネのお見舞いに行くとしようか」

「ん、そうする」

「そうしよっかー」

 

 そういうことになった。

 

 

 

 

 

 

 奥空アヤネが倒れたのは昨夜のことだ。

 帰宅していないと連絡を受け、総出で探した結果途中の路地で倒れているのを発見された。すぐさま近くの病院へ担ぎ込まれ、精密検査を受ける流れとなったのだが。

 

「原因不明、何処も悪いところはないはず……ということらしいです」

 

 白い病衣に身を包み、ベッドに横たわったまま、アヤネはそう言った。

 此処はアビドス中央病院。多くの企業・団体がアビドスを去った中、今も唯一運営されている医療施設、その一室である。対策委員会やアツコたちとの談笑を終え、今はギーだけが残っている状態だ。

 カーテン越しの明るい陽射しが病室を照らし、午後の暖かな空気に包まれている。脇を見遣ればお見舞い品として果物のバスケットやら本やらが山積みになっており、それに対してもアヤネは「これどうしようかな……」と曖昧な笑みを浮かべるのだった。

 

「その後、調子はどうかな」

「特には……と言ったら何ですが、本当に痛みとかそういうのはないんです。

 ただ体の感覚が薄くて、上手く動かせないというだけで」

 

 あはは……と困ったように笑うアヤネ。和やかな雰囲気だが、昨夜は相当な修羅場であった。

 何せ意識不明のアヤネに対し、ギーの現象数式による診断も、最新技術を用いたアビドス病院の検査も「原因不明」の四文字しか出せなかったのだ。残された面々は明らかに狼狽し、セリカなどは「どうしようどうしよう」と涙目で取り乱す有様だった。便利屋の面々(特に社長と一番下のハルカという子)も、一時的に監視の目を緩めたタイミングでの出来事だったからか相当に取り乱したようで、カヨコの「ちょっと落ち着かせてくる」というメッセージ以降音沙汰が無かった。恐らく無事であるとは思われるが。

 そうした事情から対策委員会とアツコは昨夜の時点で一旦帰宅させ、ギーだけが残って経過を待つこととなった。明け方になって意識を取り戻し、原因不明なれども命に別状なしと判明したため、アツコたちにその旨を連絡したという経緯がある。

 そして昨日は問い詰められなかった銀行の一件を経て、今に至るわけだが。

 

「怪我や病気、というわけではないんですよね? 正直何がなんだか……」

 

 たとえ身体に異常がないとしても、疲労や心因性という可能性もある。

 その意味で言えば、あまり心配しすぎるというのも考えものではあった。しかし。

 

「倒れた前後のことを覚えていない、ということだったね」

「はい、そうなんです」

 

 伏せられた目。どこか不安の色が滲んでいる。

 失神した人間がその瞬間を覚えていないということは珍しくない。

 だがこの場合、彼女の不安を煽っているのは。

 

「何も覚えてません。けど、何かに追われていたような……そんな焦りみたいな感情が残っているんです」

 

 追われていた。

 一体、何に?

 

 ヘルメット団などの暴徒や不良生徒の動きが無かったことは確認済みだ。

 アビドス砂漠に多く集まるというドローンやオートマタは市街地までは入ってこない。

 あの夜。アヤネを追うような何かは、いないはずだ。

 

「それと、これは私にもよく分からないんですけど」

 

 うつむいたまま、アヤネは言いづらそうに。

 

「何か大切なものが無くなってしまった……そんな感覚があるんです」

 

 知らず握り締められた拳は、如何なる感情の発露だったのか。

 目を伏せたままのアヤネは、自分でも理解できない喪失感に打ち震えながら、辛うじて言葉を絞り出したのだった。

 

 

 

 

 

 結局、その日はそのまま解散となった。

 アヤネが欠けてしまったのもそうだが、そもそも何もやることがなかったのだ。ヘルメット団の装備の質への疑問とそれを確かめるためのブラックマーケットへの立ち入り、更には銀行とカイザーローンとヘルメット団の癒着を証明する証拠の確保。ここまでを一日でやってのけた行動力にはすさまじいものがあったが、ではカイザーローンに対して何ができるかと言えば口をつぐむしかない。

 ギーの提示した依頼の成功報酬が最も現実的である以上、彼女たちはこれ以上動けなかった。資料整理の手伝いも、最も適任であったアヤネが入院してしまった現在は邪魔にしかならないだろうという判断で、各々には自由に過ごしてもらっている。

 

『アビドス砂漠の実地調査がしたいところですね』

 

 資料室、その一角。

 放置されて久しい机の上に紙束を置けば、舞い上がった埃が日差しに反射してキラキラと瞬いた。ギーは一息つき、資料束の隣に置いてある端末へ目を向ける。

 

『やはりと言うべきか、現在のアビドスからは完全に資料が散逸してしまっているようです。

 このまま時間を浪費するのは得策ではありません。少々賭けにはなりますが、新しく人員を派遣して砂漠を直接捜査するのが賢明かと』

「ヒマリ」

『はい、なんでしょう』

「君はこのことを知っていたね」

 

 沈黙が、二人の間に降りた。

 数瞬、あるいは十秒ほどだろうか。それだけの時間をかけて、端末の向こうのヒマリが答える。

 

『このこと、とは?』

「カイザーグループによる不正、アビドス自治区への干渉。これらが年単位で行われていた事実だ」

『何を根拠に?』

「部外者の僕でさえ数日調べれば分かったことを、まさか君が知らないはずはないだろう」

 

 漏れ出る朗笑の声。音声通信故に顔は分からないが、明らかに面白がっている。

 

「三大校の、それも経済と流通を重視するミレニアムにあって諜報を担当するヴェリタスの長。

 それが君だ。各自治区の情勢については徹底的に調べ上げているだろうことは分かる」

『仮にそうだとして、知った上で放置した私を、先生は軽蔑しますか?』

「いいや」

 

 何の迷いもない否定だった。微かに驚いたような吐息、そして知らず笑みの色が深くなったような気配。

 

「残念だが、こうしたことはキヴォトス全域で見れば数えきれないほど起きているのだろう。

 それに逐一対処してはキリがないし、そもそも他の自治区への干渉は余計な軋轢を生む。

 他人のために身を滅ぼせと、君に強制する権利は誰にもない」

 

『嬉しいお言葉ですが、私とは少しだけスタンスの違いを感じますね。

 才能には責任が、能力には義務が生じるものと私は捉えています。

 優れた才覚を持て余すのはそれ自体が罪深いものです』

 

 その点、この病弱清楚系の現身たる私は稀なる才能を遺憾なく発揮している天才の鑑なのですが。と続けたところで。

 

『では先生は何がご不満なのですか?』

「君がアビドスを放置するのはいい。だが何故僕に伝えなかった?」

『その意味がなかったからです』

 

 ギーと同じく。

 ヒマリもまた、迷いのない否定だった。悪意ではなく、諦観でもなく、単純に事実を告げるだけの声。

 

『知ったところで出来ることは何もありません。カイザーコーポレーションとアビドス前生徒会の取引は合法的なものでした。たとえそれが、子供の無知と焦燥につけこんだものだったとしても』

 

 子供が大人と対等に取引ができる。たとえ子供の側に知識も経験もなく、ただ搾取されるだけで終わろうともそれを防止し保護するための法はない。

 そんな歪んだ、けれども厳然たる事実をヒマリは淡々と述べていた。

 

『法的に問題はない。故に遡及して取引そのものを覆すことはできません。

 そして対策委員会には既に我々から10億の譲渡を提示している以上、事態の解決はその方面で行えばいい。つまるところ、ビナーの情報を得てアビドスに報奨金を手渡す以上のことを私たちは実行できませんし、する意味もないのです』

 

 無論、とヒマリは続ける。

 

『それもカイザーが一切の不正を行っていない場合に限ったことですが。

 実際には犯罪集団と手を組み秘密裡にアビドス自治区への攻撃を行っていた、と。

 ええ、まさかここまで短絡的な暴挙に出ていたとは、私も予想していませんでした』

「つまり?」

『私の決めつけと判断ミスでしたごめんなさい』

 

 再びの沈黙。しかし今度はギーの側が気まずい面持ちで。

 

「……いや、君を責めたかったわけじゃないんだ。すまない、知らず君の聡明さに寄り掛かり、依存していたようだ」

『そこはむしろもっと寄り掛かりつつ褒めていただければとても嬉しいのですが?』

「考えておくよ」

 

 気を使われたのか、それとも本心からの言葉なのか。

 ともあれ生返事で適当に流し、続ける。

 

「そう言ってくれるなら、ひとつ頼み事をしたい」

『……ふふっ』

「ヒマリ?」

『いえ、早速の出番に浮足立ってしまったもので。

 ええ、私の天賦の才は隠しきれなかったということなのですね。

 この美貌に負けず劣らずの才覚は先生をすら魅了してしまった───と』

 

 何やらひとりで納得している様子だが、あながち間違いでもないので何も言わないでおくことにした。

 

『それで、この儚くも咲き誇る天才美少女の理想たる私への頼み事とはなんでしょう?』

「カイザーローンの帳簿と通信履歴の開示」

 

 すなわち、私企業のデータベースへの不正アクセス。

 

「頼めるかな?」

『私を誰だと思っているのです?

 私は《ヴェリタス》の元部長であり、ミレニアム最高峰の病弱美少女にして《全知》たる天才なのですよ。ええ、ちょっとしたきっかえさえあるならばその程度は容易いことです』

 

 今回の案件をカイザーローンという子会社単体の行動とは当然考えない。

 本社の側でアビドスの土地を多く簒奪している以上、カイザーコーポレーションはアビドス自治区そのものに執着していると考えたほうがいい。それが一体何であるのかの類推材料になる可能性も高く、そもそもが明確な不正の証拠を掴むための行動でもある。

 

『ですが良いのですか? 子供は手を汚すなと、不正に得た証拠は何の役にも立たないと言ったのは先生ですが』

「僕が手を汚す分には何も問題はないだろう。不正は不正とバレなければいい。それに」

 

 ギーは敢えて試すような口調で。

 

「君ならこの程度、何の尻尾も掴ませずやり遂げられると思ったんだが……違ったかな?」

『そうまで期待されたなら応える他にありませんね。ええ、分かってるじゃないですか。

 この報酬は先生への貸し一つということで構いませんよ。お返し、楽しみにしてますね?』

 

 それを聞いて、ギーはやや閉口した表情になった。

 対策委員会の銀行襲撃に際して電子系から干渉できる全範囲での映像記録と証拠の抹消を頼み、既に大きな借りを作っていることを改めて思い出したからだ。

 

 

 

 

 

 

「うへ、ノノミちゃんの膝枕は柔らかくてサイコーなんだよー。私だけの特等席だもんねー」

「もう、先輩ったらそんなこと言って」

 

 午後の一時。穏やかに流れる時間。

 見下ろした先、自分の膝元に頭を預けるホシノはゆったり鼻歌を歌ったりして、くすぐったそうに顔を綻ばせている。

 

「久しぶりにのんびりできる時間だねぇ。今はみんな、やりたいことをやってるのかな?」

「そうですね……セリカちゃんはアルバイト、シロコちゃんはトレーニング。アツコちゃんは……なんでしょう?」

「ノノミちゃんは学校の掃除と教室の整頓をやってくれたよねー。うへ、みんな真面目だなー」

 

 和やかな会話。ぱっと見は、何とも呑気な光景に見えることだろう。

 

 これは機嫌が悪いな、とノノミは思った。

 

 小鳥遊ホシノはいつもそうだった。彼女はいつも、自分の激情を誤魔化す時は安穏を装う。

 昼行燈、楽天家。世は全て事もなし。

 まるでそう自分に言い聞かせているように。

 後輩たちに、それが一番良いのだと伝えるかのように。

 

「……ホシノ先輩」

「んー? ノノミちゃん何か言ったー?」

「いえ、何でもないです☆」

 

 現状できることは何もない。それが分かっているから、彼女は今こうしているのだろう。

 何もできない、歯がゆさ。

 理解できているつもりではいた。それは対策委員会の全員がずっと感じていたことだから。

 

「よいしょっと。ふあぁ~、ずっとこうしてたいのは山々なんだけどさー。ちょっと先生に呼ばれてるんだよね~」

「先生に、ですか?」

「うん。色々積もる話があるのさー」

 

 努めておどけながらホシノは大きく伸びをして、ゆっくりとノノミから離れる。

 振り返り、にへらと笑いながら。

 

「アヤネちゃんのことは心配だけど、でもきっと何とかなるよ。

 最近は良い流れになってきてるしさ、もうすぐ全部解決する。そんな気がするんだ」

 

 すべては希望的な楽観だ。そして多分、この人はそんなこと心にも思っていない。

 教室のドアの向こうに消えていくホシノをじっと見つめながら、ただひとり残されたノノミは呟く。

 

「ええ、きっともうすぐ解決しますよ。

 全部終わるんです。全部……」

 

 

 

 

 

「や、先生。待った~?」

 

 ゆるゆると手を挙げながら、締まりのない表情でホシノが空き教室に入ってくる。

 脱力した体、緩んだ雰囲気、頼りない足取り。

 笑顔の形に細められた、全く笑っていない瞳。

 

「いや、大して時間は経っていない。君は……」

「うん?」

「君は、今日も眠そうだね」

 

 言われ、ホシノは破顔し。

 

「ま、おじさんも年だからねぇ。まだまだ若い先生にはこのつらさは分かんないか」

「……さて、どう答えたら良いものか」

 

 ホシノなりの冗談なのは理解しているが、どうにもユーモアのセンスに欠けているのが、このギーという人間だった。上手い返しなどできないし相手も期待していないだろうと、そのまま流しつつ。

 

「それじゃあ約束を果たさせてもらう」

「うん、よろしく~」

 

 言葉と共に───

 ギーの右目に光が灯る。青と白色の、ネオンライトにも似た柔らかな光。見る者が見れば、その光が回路にも似た複雑な幾何学模様を描いていることに気付くだろう。

 

 ───現象数式(クラッキング)

 それは脳に刻まれたある種の数式によって物理を改竄する"科学技術"だ。

 質の悪い冗談のような、つまらない手品。ギーの大脳は歪んでこの技術を扱えるようになった。十年前に。

 触診と"右目"がホシノの肉体情報を伝える。脳の中に認識が広がる。

 

「……うへ。それどうなってるのさ、昨日も見たけど」

 

 クラッキング光を見慣れていないのだろう、ホシノは驚きと好奇の入り混じった目でこちらを見遣る。

 

「すぐに終わる。大したことはないよ」

 

 そう、大したことはない。

 大抵のものはどうとでもなる。物質の解析と置換に特化したギーの現象数式は、医療に用いれば既存の病はほぼ全て修復することが叶うだろう。数式の目で見るホシノの体は、彼女たちが共通して持つ異様な耐久性とは裏腹に通常の人体と全く同一だった。内臓の位置も性質も、構成物質に至るまでもが同一。故に修復が叶う。たとえ末期の細胞変異であろうとも、内臓が機能障害を起こしていようと関係ない。これが既存の病であるならば。

 ホシノの場合、"そうでない"からこそ厄介だった。

 

 人体の構成情報を仮想的に数列へ変換。1と0の無限構造の中に紛れて2や3になっている部分を見つけ、それを元に戻す。たったそれだけ。それだけの作業で物理的な異常や欠陥、欠損を補う。ギーの現象数式とはそういうものだった。

 乱れた神経系を整え、負荷を和らげる。苦痛と倦怠感とを取り除き、身体機能を通常値に引き戻す。

 

「……お疲れ様。今日の分は終わりだ」

 

 電灯の明かりを落とすように、ふっとクラッキング光を消失させて、ギーが言う。

 ホシノは感触を確かめるようにぐるぐると腕をまわし、にへっと笑って。

 

「おぉ~。ありがとね、体が軽くなったよ」

「……ホシノ」

 

 何でもないように、大したことない怪我を治してもらったように笑うホシノをギーは見る。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()彼女を。

 

「その神経負荷は普通に起きるものではない。現象数式も他者の脳だけは十全に修復できない。

 ホシノ。君はなぜ、そんな……」

「先生」

 

 返されたのは、たった一言だった。

 激高したわけでも、強い言葉を使ったわけでもない。それでも明確に理解できるほどの、拒絶の言葉。

 

「昨日も言ったはずだよ先生。他言無用、私の事情に踏み込まない。それが先生の治療を受ける条件だって」

「だが、しかし……」

「あんまりしつこいと嫌われちゃうよ?」

 

 わざとらしく、悪戯っぽく笑う少女。その体は重要な神経系が酷使されまともに意識を保つことさえ難しい有様であるはずなのに、そんな様子はおくびにも出していない。

 ギーでさえ。その事実に気付いたのは昨夜のことだ。アヤネを診療するために起動した数式の目、その残り香でホシノたちを見た時に発覚した身体の異常。

 その異様さに驚愕した。何故平気な顔をして日常生活を続けてられるのかと。

 

 人より多く昼寝をし、だらけている素振りの彼女。

 その実態が、壊れかけの肉体を辛うじて動かしているものとは夢にさえ。

 

「ま、そんなに心配しないでよ。私だって死にたいわけじゃないんだし。

 今はそれよりやることがあるってだけだから、それが終われば病人らしく大人しくするよー」

「……いよいよ危なくなったら力尽くでも療養してもらう」

「できる? 先生にさ」

 

 なんてね、と笑みの形に表情を作るホシノ。

 彼女は決して愚かではない。現状を理解していないわけでも、楽観しているわけでもない。

 ならば、自分の身よりも優先する目的とは何なのか。

 

(ホシノ、君は……)

 

 銀行を襲った際、奪った金銭の放棄を提言したのはホシノだった。

 このような手段で復興を遂げても意味はない、それより悪行に慣れてしまうことのほうが問題であると。

 その言葉は間違っていない。倫理の面から見れば理想的な答えと言えるだろう。

 だがそれは、9億という非常識な額の借金を抱え、返すアテもなかった状況で。

 犯罪はおろか他校や連邦生徒会、地域企業の融資さえ拒絶して理想を追うその姿はまるで。

 

(君は……叶わぬ理想の途中で野垂れ死ぬことを望むのか?)

 

 かつての自分にも似た危うさがあると、そう思わずにはいられないのだった。

 

 

 

 

 

 

「あ……」

 

 ばったりと。

 廊下でセリカと対面した。彼女は挙動不審に、しどろもどろに視線を泳がせて。

 元々人見知りの気があり、そして自分を嫌っているであろう彼女だ。二人きりで何かを話すということもないだろう。

 そう思い、軽く会釈だけしてすれ違おうとして。

 

「ちょ、ちょっと待って……!」

 

 引き留められた。

 少し驚いた。果たして、何か用事でもあっただろうかと。

 振り返った先の彼女は明らかに緊張していて、言葉を詰まらせながらそれでも何かを言おうとして。

 

「えっと、その……今までごめんなさい!」

 

 いきなり頭を下げた。

 ギーの表情が今度こそ驚愕に染まる。あまりに突然のことでリアクションが遅れてしまう。

 そのまま1秒、2秒と時間が過ぎて。セリカが恐る恐るといった様子でこちらを見上げてきた。

 

「あ、あう……やっぱり、許してもらえない……?」

「いや、そもそも何に謝っているのか……」

 

 言ってから相当皮肉っぽい言い方になってしまったことに気付く。決してそんなことを言いたかったわけではなく、本心から何故謝られているのか分からなかった。

 若干混乱気味の頭を回し、どうにかそれっぽい理由を探す。

 

「今朝のことならもう終わったことだ。君たちの心情も理解できる、なんて知った口はきけないが、道を踏み外さないよう律してくれるならそれでいい」

「えっと、その……それもあるんだけど、そうじゃなくて」

 

 セリカはやはり言葉に窮した様子で、やがて意を決したように。

 

「信用できないとか、変な大人とか、そういう酷いこと言って……その、ごめんなさい」

「……ああ、そういうことか」

 

 自分の中で得心して、ようやくセリカの真意を理解する。

 

「それこそ謝ることはない。僕が信用ならない人間だと考えるのは当然のことだろう」

「うぅ、だから私の言いたいことはそうじゃなくて……ああもう!」

 

 それまで遠慮がちだったセリカが、吹っ切れたような声と表情で叫ぶ。

 

「私が! 素直に! 謝ってるんだから!

 アンタも素直に受け取りなさいよ! このダメ大人!」

「あ、ああ……すまない」

 

 息継ぎなしで叫んで肩で息をするセリカに若干気圧される。

 言ってることはメチャクチャで、ならどうするべきだろうかと思う部分もあるものの。

 けれど、やはり。

 やはり、黒見セリカという少女は、優しい子なのだと思った。

 

「……先生、今ちょっと笑った?」

 

 怪訝そうな顔でそう聞かれる。

 さて、表情を動かしたつもりはなかったのだけれど。

 

「さっきの奴、ちょっとだけ取り消し。やっぱり変な大人よアンタ」

「そうだね。そういう君は優しい子だ」

「いきなり何言ってんのよ!?」

 

 兎角表情のコロコロ変わる子だった。

 そういえば出会った頃のアティもそういうタイプだったなと思う。ギーは本物の猫を見たことがなかったが、仮にいればこういう生き物なのかもしれないとひとり感慨に耽るのだった。

 

「はあ、なんか怒るのも謝るのもバカらしくなってきたわ。もう今更だし」

 

 そういうセリカの顔つきは晴れ晴れとしたもので、良い意味で吹っ切れることができたのなら、ギーとしても冥利に尽きるというものだった。

 ひとり納得している様子のギーに対し、セリカはじとっとした視線を向けて。

 

「あとこれアドバイスだけど、アンタあんまり勘違いされるというか、悪く思われても放置するのやめたほうがいいわよ。色々損してきたんじゃない?」

「それは……まあ、否定はしない」

 

 微妙な声音になったギーにセリカは破顔し、「仕方ないわねぇ」と言わんばかりに。

 

「それじゃ仲直りってことで。そうだ、今度柴関ラーメンに来なさいよ。先生だったらたくさんサービスしてあげるから!」

「そう、だね。機会があったら頼む」

 

 明確に約束はしなかった。できないことは明言しない、というより行ったところでどれだけ食べられるか分からないからだ。それでもセリカは嬉しそうに。

 

「約束よ? じゃあまた明日、対策委員会の教室で会いましょ!」

 

 そう言って、ぶんぶんと手を振りつつ去っていく。

 ともあれ元気なのは良いことだと、ギーは思った。かつての都市ではああいうタイプの人間は中々見なかったから、新鮮というか、心が洗われる気分になる。

 心地の良い時間だった。

 

 

 

 また明日。

 その約束が果たされることはなかった。

 翌日、セリカが対策委員会の教室に顔を出すことはなかった。

 セリカが倒れたという知らせを受けたのは、その夜のことだった。

 

 

 

 

 

 

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