碧空のキヴォトス-What a beautiful archive-   作:ユーラシアン

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 夢を見た。

 一年も前の、まだユメ先輩がいた頃の夢だ。

 

「見て、ホシノちゃん! ここが昔オアシスだったところだよ!」

 

 記憶の中の彼女はいつも同じ顔をしている。

 不安も悪意も無縁であるような瞳の輝き。とびきりの悪戯を思いついた子供のような笑み。

 善意という言葉の指すところの多くを体現したような、美しい人。

 そんな彼女の浮かべる笑顔は、私には、砂漠の中天に坐す太陽よりよほど眩しく映った。

 

「凄いよね、昔はたくさんの人がここで笑ってたんだよ。

 今は……こんなことになっちゃったけど」

 

 でもね、と彼女の唇が動く。

 

「いつかまた、この街をたくさんの人の笑顔で埋め尽くしたいの。

 まるで天国みたいに素敵な場所にしたいって、そう思うんだ」

「先輩……」

 

 記憶の中の私は呆れたように言う。

 

「天国っていうのは死んだ人の行く場所ですよ。縁起でもないこと言わないでください」

「ひ、ひぃん……そ、それじゃあ極楽みたいな場所とか……?」

「それも似たような意味です」

 

 たじたじになった、ちょっと泣きそうにも見える彼女はなんだかおかしくて。

 普段は年上ぶってるくせに、そんな顔をしていると二つも三つも幼く見えた。

 

 記憶の中の私は目を閉じる。ちょっと意地悪だったかな、なんて思いながら。

 でもまあ、と助け船を出してみたりして。

 

「いいんじゃないですか。そういうの。

 仮に先輩の代で駄目だったとしても、その時は私が引き継ぎますよ」

「……ふふっ」

 

 朗笑の声が、頬を撫でる風と共に吹き抜けていく。

 私は目を開ける。

 その光景は、燦燦たる陽光に照らされて、今も私の中に強く焼き付いている。

 

「ありがとね、ホシノちゃん」

 

 ───彼女は笑っていた。

 

 

 

 

 

   ♰♰♰♰♰♰♰

 

 

 

 

 

 目を覚ますと、そこには満面の笑顔があった。

 

「……!? ……ッ!?」

 

 突然のことで思考が止まり、ついでに心臓まで止まるかと思った。

 言葉も出せず驚愕し、次いで混乱と共に後ずさる。

 一体なんだ、誰だこれは。せめて知ってる人間の顔ならともかく、一度も見たことのない顔なのだからたまらない。

 その笑顔を浮かべた誰かは、やはり笑ったまま体を起こして。

 

「───せんせー、アルちゃーん! この娘起きたよー!」

 

 なんて言いながら、ホシノの後ろに手を振ってぱたぱたとどこかへ去っていった。

 ホシノだけが取り残され、場に静寂が戻る。

 

 あれ、本当に誰なんだ、なんて考えながら。

 おぼろげな記憶をひっくり返して、ああそういえばと思い至る。

 

「……あー、銀行で乱入してきた三人組の、だっけ」

「僕が雇った護衛のひとりだよ」

 

 その声は背後から聞こえた。

 緩慢に首だけで振り返れば、そこには見慣れた男の姿。

 

 ギー。シャーレの顧問を名乗る男。

 彼は右手から不可思議な光を放ちながら、その掌をホシノの頭に添えていた。

 

「起きたようだね。調子は……聞くまでもないか」

「……先生」

 

 頭に重く圧し掛かる倦怠感を無視し、ホシノは言葉を絞り出す。

 それだけで現状は大凡理解できた。自分はどうやら、今の今までずっと意識を失っていたらしい。

 覚えている限り最後に見たのは4体目のコピー・ファウストと、自らの背後に佇む鋼鉄の化け物の姿。

 そして、化け物が突如として姿を変え、その頭上にヘイローを浮かび上がらせた光景。

 

 全てが録画された映像記録でも見たかのように、現実感が無かった。

 けれど、全ては現実に違いなかった。

 

 だからこそ、ホシノが言うべきことは一つしかない。

 彼女は口を開こうとし、一瞬だけ食いしばるように躊躇して、しかし確固たる意志の下に言葉を発した。

 

「今まで何があったのか。全部聞かせて」

 

 そうしてギーから聞かされた内容は、概ね予想の範疇だった。

 

 ホシノの従える影が突如として姿を変え、ホシノの制御から離れたこと。

 姿を変えた影から、ヘイローが浮かび上がったこと。

 当初の目標だったコピー・ファウストは姿を消したこと。

 ギーは意識を失ったホシノを抱え、咆哮する影から離れ、アビドス校舎まで退避したこと。

 そして。

 

「君の体は限界だ」

 

 突きつけられる最終宣告もまた、予想できたことだった。

 

「元より決壊寸前ではあったが、現状はそんな言葉ですら生温い。

 できる限りにおいて修復を試みてはいるが」

 

 ギーは視線を落とし、ホシノの頭に添えられた手の起動数式を見る。

 説明をしている間も絶え間なく行われている、現象数式による治癒。

 

「脳髄の急激な置換修復は体組織の崩壊を招く恐れがある。

 僕の数式は無から有を生み出すことはできない。血液や筋繊維を削っての置換には限界がある。

 今この場で君を根治させる術を、僕は持たない」

 

 ギーの言葉は冷静なものであり、聞きようによっては冷淡にさえ映るものだった。

 だが実態はまるで違っている事実は、彼を厭うホシノでさえ理解していた。

 

「君は《奇械》の変化と同時に失神した。神経負荷の増大も同じタイミングで起きたのだろう。

 あれは一体何なのか、心当たりはあるだろうか」

「いや、それは私のほうが聞きたいって」

 

 努めていつも通りに笑おうとしてみたけれど。

 頬が強張って上手く動かせない。喉からは、引き攣ったような音しか出なかった。

 

「……ね、先生」

 

 その声は、常のホシノらしからぬ怯弱が滲んでいた。

 聞きたくないものを、それでも聞かなければならない。そんな思いが滲んだような声。

 ホシノは縋るように、どうかこの推測が外れていてくれと願うように、聞く。

 

「先生はあれ、私に憑いてた奴」

「……《奇械》」

「そう、それ。結構詳しいみたいじゃん。あれが何なのか、教えてよ」

 

 問われ、ギーは口ごもる。沈黙が数瞬続き、やがて口を開いて。

 

「僕も詳細を把握しているわけじゃない。ただ一つ言えるのは」

 

 彼の言葉が耳朶を震わせる。

 それはホシノにとっての決定的な一言。

 

 

「僕の知る限り、《奇械》の全ては死人が姿を変じたものだ」

 

 

 それだけで十分だった。

 バラバラのピースが組み合わされるように。その一言で、ホシノの中で全ての事柄が符合した。

 

 全身から力が抜けるような感覚。それはきっと、神経負荷によるものではあるまい。

 口元の端が僅かに吊り上がる。

 それは、何かを諦めてしまったようにも見える、乾いた微笑。

 

 腕を軽く前へと伸ばしてみる。以前までは感覚的に呼び出すことのできた、背後の機械。

 その気配も感覚も今は消えていた。伸ばした腕は、何も掴めない無力なだけの単なる手でしかなかった。

 

「これから君をDUの医療施設に移送する。君の病状の深刻さもあるが、君がコピー・ファウストと呼んだ脅威からの隔離も含まれる。アビドスの活動可能な生徒は一時的にゼロになるが、シャーレの管轄下に置いて自治区の運営を継続させるから安心してほしい。君は自分の快復に集中して……」

「先生はさ、私たちに良くしてくれるよね」

 

 唐突だった。

 ギーの言葉を遮る声。それは今この場にはそぐわない、世間話のような軽さで。

 ホシノは僅かに笑いながら続ける。

 

「もしかして、誰か好きな娘でもできたー?」

「……君は何を言っている」

「私のオススメはねー、やっぱりシロコちゃんかなぁ。クールに見えて結構寂しがり屋だし、無言で甘えてくることもあってすっごく可愛いんだから。それともセリカちゃんかな? 先生は奥手だから引っ張ってくれるタイプが相性いいかもねー。その点アヤネちゃんもしっかり者だから安心かな。あ、もしかしてノノミちゃん狙いだったりする? 分かるなぁ、あの発育は暴力的だからねー。先生が狙うのも無理はないよ~」

「……そういった感情を君たちに向けることはないよ」

「ならなんで助けてくれるの?」

 

 ホシノの声は冷たく、突き放すような気配があった。

 無感で値踏みするかのような、無機質な視線。

 

「私だってさ、自分たちが客観的にどういう状況かってのは自覚してるつもりだよ。

 先生は私たちを助けてくれるけど、普通に真っ当な大人ならきっとこう言うんじゃないかな。"こんな未来のない学校は忘れて、どこか別の学校に転校しなさい"って」

 

 そんなこと言ってくれる人は誰もいなかったけどね。とホシノは自嘲めいて呟く。

 

「借金は返せない。人は戻らない。朽ちた自治区は再生しない。

 たかだか数人の子供が汗水垂らしたところで何も変わらない。

 そんなことは分かってる。分かってるんだよ、先生」

 

 一つ一つ噛み締めるようにホシノは言う。

 そこにどれだけの苦悩が込められているのか、どれだけの積み重ねがあったのか、ギーには窺い知ることはできなかった。

 

「だから先生のこともそんなに信じてなかったんだよ。

 最初は取引なんて言ってたくせに、こっちの問題に首突っ込んで色々やってくれて……正直何やってんだこいつって思ってた」

「そうか」

 

 あまりにも短い返答。

 それが悪意や不満に因るものではなく、この男はそもそも自己評価があまりにも低いのだと、ホシノも勘付いていた。

 

「先生との取引が満了すれば借金問題は解決する。頼めば多分、色々口利きとかもしてくれるんじゃないかな。でもさ、なら先生はどこまでやってくれるの?」

「……」

「先生は、いつまで、私たちを助けてくれるの?」

 

 それはかつて、ヒマリから突き付けられたものと全く同じだった。

 シャーレの顧問という立場も責任も度外視して、一体いつまで彼女たちに付き合うのか。

 この未来のない砂漠都市に、どれだけ労力をかけるのか。

 

 かつてギーは明確に答えた。そしてその答えは今でも変わらない。

 すなわち。

 

 

「君たちが全てを諦めるまでだ」

 

 

 その言葉を聞いて、ホシノは笑った。

 安堵ではない。

 親愛でもない。

 納得と失望から来る笑みだった。

 

 自分がこの男に抱いていた嫌悪感の正体が、今ようやく分かった。

 これは───

 

「そっか……そうかー。

 つまり先生は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()って思ってたんだね」

 

 ───これは、同族嫌悪だ。

 

「私たちがアビドスを復興できるなんて、最初から信じちゃいなかったんだ」

 

 言葉はすらすらと出てきた。なぜならそれは、ホシノがいつも考えていたことだから。

 対策委員会での活動。アビドスを復興させようという、愚かしいまでの無垢さ。

 その裏でホシノが抱えていた、嘘偽ることのない本音。

 

「先生は私たちが絶対に失敗すると思ってて、その時に私たちが次の道に進めるように背中を押してくれるつもりだったんだね」

 

 言葉は止まらない。駄目だと分かっていても、責めるような、嘲るような声は洪水のように溢れ出て。

 自分と同一視していたギーを通じて、ホシノは自分自身へ言葉を放つ。

 

「……最低」

 

 結局のところ、それは視点の違いなのだと思う。

 自分以外の対策委員会の四人は、アビドスの問題に対し、夢とか努力とか困難とか、そういうニュアンスで挑んでいた。

 

 彼は違った。

 このギーという男は、人生であるとか生き死にのレベルで「助ける」という言葉を使っていた。

 夢ではなく命を見ていたのは、自分とギーだけだった。

 

 ホシノは笑う。考えてみれば当たり前のことだった。

 だって小鳥遊ホシノは、この世で一番小鳥遊ホシノのことが嫌いだから。

 ギーに対する怒りとは、すなわち自身が抱いた共感の裏返しによる八つ当たりでしかない。

 

 なんて子供めいた癇癪だろう。

 そう思うと、今までの自分の行いのなんと滑稽なことか。

 理由も分からない嫌悪感の正体は、自分の単なる勘違いだった。

 それが分かっただけで、今まで降り積もった負の感情が霧散していくようだった。

 

「……僕のことは嫌ってくれていい。事が済めば二度と会わないとも約束しよう。

 だが僕に君たちを害する気がないことだけは信じてほしい」

「いや、そこは疑ってないというか……うーん」

 

 ホシノはバツが悪そうな表情をして。

 

「二度と会わないとかそういうこと言わないでよ。セリカちゃんとか寂しがるだろうし。

 私も、ようやく先生のこと好きになれそうなんだからさ」

「……?」

「まあまあ、オトメゴコロは複雑なんだよ」

 

 本気で困惑した様子のギーを見て、ホシノは笑った。

 今までのような誤魔化しや自嘲ではない、本心からの笑みだった。

 

「先生はさ、これからどうするの?」

「君が黒服なる人物と結んだ契約を破棄させる」

 

 迷いなく断言する。

 ギーはホシノへの置換治療を続けながら、表情の一つも変えずに。

 

「君がこうして行動不能になった以上、契約の続行は不可能だ。

 それを以て契約を破棄させる。ともすれば、君がコピー・ファウストと呼んだ異常実体との関わりも断ち切れるかもしれない」

「希望的観測だよね~。アテはあるの?」

「君から聞こうと思っていたんだが」

 

 まあ確かに、それしか手はないだろう。

 ホシノは曖昧に表情を変えて、ギーに告げる。

 

「私の個人用ロッカー……あ、場所は生徒会室ね。そこに連絡用の端末があるから勝手に使って。

 黒服のことは……ごめん、正直何も分からない」

 

 黒服。

 正体も所属も不明の怪人物。

 本当にキヴォトスの人間であるかどうかさえ。

 

「結構前から傭兵業にスカウトされてはいたんだけどさ。ここ最近になって別の案件を持ち掛けてきたんだ。それが」

「コピー・ファウストの破壊」

「そういうこと」

 

 正体と同じく、目的もまた意図が不明であった。

 コピー・ファウストなる怪異の破壊が何の益に繋がるのか。それを果たすのが何故ホシノでなければならないのか。

 訝しむギーを余所に、ホシノは話を続ける。

 

「私だって身売りなんかゴメンだったから断ってたんだけどね。危ない目に遭うのは私だけって考えたら、もう一つの依頼のほうは受けちゃってさ。今考えるとかなり短絡的だったなぁ、って思うけど」

「過ぎたことを言っても仕方ない。間違えたと君が思うなら、これから正していけばいい。君に残された時間は多いのだから」

 

 自己を度外視した思考。それはギーにとっても馴染みの深いものだった。

 自分の生に意味を見出せない。自分の存在に価値を感じられない。

 だからこそ自らを犠牲にする選択を迷わない。その行いは時に美徳として捉えられるが、ギーはそれを尊いとは思わなかった。自他の違いこそあれど、誰かの犠牲を容認した愚者の理屈だからだ。

 ホシノたちにそんな道を歩んでほしくはなかった。彼女たちは光ある未来へ歩んでいける。

 とっくに手遅れな自分とは違って。

 

「……私はさ。多分本当なら、自分ひとりで何もかも背負おうとしたと思うんだよ」

「……」

「私には責任があるから。私にしかこれはできないから。

 そういうことを言って、でもみんなはきっと止めてくれるんだろうなぁ。それでも私は振り切って、たったひとりで突っ走っていくんだと思う。だって私は馬鹿だから」

 

 そうすることしか知らないから。

 梔子ユメが死んで、ホシノひとりになって。それでも集まってくれた皆のために、できることはそれしか思い浮かばないから。

 

「でもさ、今はみんなだけじゃなくて、先生もいるんだよね」

「……」

「……信じても、いいよね?」

「ああ」

 

 ギーは言う。アヤネに託された時とは違い、誤魔化すことなく断言する。

 

「任せてくれ」

「……うん。ありがと」

 

 そうして場に沈黙が下りた。

 十秒、二十秒と無言の時が続く。元来ホシノは口が回る方ではないし、ギーは言うまでもない。

 沈黙。でも気まずいとは思わなかった。

 恐らくは、ギーがアビドスを訪れてから初めて。

 ホシノは、ギーといる時間を心地よいと思えた。

 

「……あーあ。でもこれでしばらくはアビドスともお別れか~」

「それほど長くはならないだろうさ。君の治療には僕も携わる。これ以上の悪化がなければ、すぐに復帰できる」

「うへ、そこはちゃんと信じてるよ~先生」

 

 にへら、と気の抜けた笑顔を浮かべる。今まで張り詰めていた空気はいつの間にか弛緩していた。

 

「それよりもみんなのことをお願いするよー。シロコちゃんたちも心配だし、まだアビドスにはノノミちゃんも残ってるしさ~」

 

 わだかまりは無くなり、事態は解決に向かうだろう。未来はまだ分からないが、少なくともその希望は見えた。

 そう思ったからこそ、ホシノは脱力して後を任せられる。

 

「……前々から疑問ではあったんだが」

 

 そのはずだった。

 けれど。

 

 

 

「───ノノミとは、いったい誰のことだ?」

 

 

 

「……………………え?」

 

 心が凍り付く心地だった。

 何を言われているのか、一瞬理解できなかった。

 

「え、いや、先生……流石に冗談にしてもそれは笑えないんだけど……?」

「冗談は言わない。僕は真面目に聞いている。

 君が度々口にする"ノノミ"なる人物のことを、僕は知らない」

 

 ギーの顔は真剣そのもので。

 でもそんなわけはない。だって、十六夜ノノミはずっと一緒にいたのだから。

 ギーとアツコを出迎えた時も。

 柴関ラーメンにみんなで行った時も。

 アビドスの校舎で日々を過ごしていた時も。

 ブラックマーケットで銀行を襲撃した時も。

 

 ずっと、十六夜ノノミはここにいた。

 そのはずなのに。

 

「もう一度聞く。君の言う"ノノミ"とは、一体何を指している」

 

 ホシノは何も言えなかった。

 自分の信じてきた何かが、崩れるような感覚があった。

 

 

 

 

 

 




ギーとノノミ、アツコとノノミの間で会話や意思疎通が成立したことは一度もありませんでした
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