碧空のキヴォトス-What a beautiful archive-   作:ユーラシアン

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 それを正しく形容する言葉を、ギーは持たなかった。

 

 既に陽が落ちた夜半。空は漆黒に染まり、煌々たる銀の月光が照らす都市の中心。

 立ち並ぶ超高層ビルディング群の只中に彼の姿はあった。

 遥かインガノックは都市摩天楼ですら此処には及ぶまい。DU中心地にすら匹敵するであろう異常発展を遂げた都市は、漆黒の空を突き刺すが如く連なる巨塔の鈴なりこそがその繁栄を指し示していた。

 

 都市に固有の名はない。空白区域、或いはブランクとだけ呼ばれる。

 その名の通り、各自治区の権力の真空が生み出した、政治的空白地帯でもあった。

 アツコたちが行ったというブラックマーケットと、成り立ちはさほど変わるまい。多くの資源、多くの資金、多くの人口が流れ着く点もまた同じである。

 

 ───企業複合体第一統合センタービル。

 それがギーの目の前に聳えるビルディングの名だ。

 全高三〇〇mを超す巨塔。

 尋常なる自治区であるならばランドマークと称されるだろう超高層建築。

 眠ることを知らぬ不夜の経済都市にあっては、今この時を以ても千を超す企業労働者が出社しているであろうはずのビルは、しかし不気味なまでの静寂を保っていた。

 

 人の気配はない。

 張り詰めた空気の中で、機械的に点灯された蛍光がエントランスを照らしていた。

 

「……」

 

 言葉はない。

 ギーはただ、無感のままに歩みを進める。迷う素振りはない。

 彼の動きを見透かしたように流れる電子音声の案内に従って、エントランス中央の昇降機に乗り込む。ガラス張りの、外の景色が見える仕様のものだった。行き先を告げる階の点灯音を鳴り、一瞬の浮遊感と共に上昇を開始する。上昇する視界はあっという間に周囲のビルディングを抜き去り、無数の電光が織り成す都市の夜景が眼下に広がった。

 情緒的な光景ではあった。だがそこに何かを思うことはない。

 思えるはずもない。これから会うだろう者を前に、まさか感慨などと。

 

 暫くの時が過ぎる。

 やがて、昇降機は動きを止める。目的階に着いたことを知らせる軽い電子音が、張り詰めた静寂の中に空しく木霊した。

 昇降機を降りてすぐ、目に入る扉を開け放つと、拍子抜けするほどあっさりと"彼"はいた。

 

 都市の遠景を臨むオフィスルーム。

 最低限の照明もなく、月明りと街のネオンのみが照らす暗がりの中、玉座とも見紛うエグゼクティブシートに身を預けて、彼は口元を歪めていた。

 

「───ようこそ」

 

 彼───黒服と称される男。

 彼は異形の男だった。

 墨の如き濃淡の頭部に、罅割れ漏れる光が辛うじて人の表情らしきものを形作っている、およそ人とも呼べない男だった。

 

「貴方を歓迎しましょう。涅槃に達したる者、大自在の境地を知る貴方。

 解脱者、到達者、秘儀精通者、崇高の体現者───《現在簒奪者》。

 しかして最も本質的かつ、最も無意味な名で貴方を呼ぶならば」

 

 彼は笑う。戯画的に口元を表現する白光を、まさしく笑みの形に歪めて。

 

「……お待ちしておりました、ギー先生。

 貴方とは一度こうして、顔を合わせてお話ししてみたかったのですよ」

 

 ただし。

 黒服の浮かべる笑みとは、嘲笑と呼ばれる類のものである。

 

 

 

 

 

 

「小鳥遊ホシノとの契約を破棄し、十六夜ノノミの現在地を言え」

 

 冷淡な響きだった。

 ギーは一切の表情を変えることなく、ただ突き放すような口調で告げた。

 黒服は気分を害する様子もなく、興味深そうに笑みを深める。

 

「成る程。何やら行き違いがあるようですが、しかし私に貴方と敵対するつもりはありません。

 むしろ逆です。我々ゲマトリアは───《結社》は貴方の協力を得たいと考えています。現象の支配者、いずれ《ゲオルギウス》の魔名を戴くであろう貴方の」

 

 行き違い。

 一体どこに、行き違う余地があったというのか。

 

「貴方のことを我々は知っています。

 連邦生徒会長の呼び出したる不可解な存在、オーパーツ《シッテムの箱》の預かり人、連邦捜査部《シャーレ》の先生───そんなことはどうでも良い。重要なのは、貴方が《黄金螺旋階段》を踏破した人間であるということ。我ら《結社》の総帥、瞳に黄金を戴くヘルメース師と同等の位階にまで昇り詰めた存在であるということ。

 ええ、それに比すれば───今現在のキヴォトスのテクスチャに規定された《先生》なる立ち位置さえ然程重要ではないのです」

 

 くつくつと、黒服は感情を含めた笑いを浮かべる。

 感情───それは喜悦なるものか。

 感情───それは嘲りなるものか。

 何に喜び、何を嘲っているというのか。

 

「故にこそ、貴方の辿った軌跡、そして貴方の信奉するものが何であるのかも知っています。

 きっと貴方は、我々がアビドスとそこにいる人間を陥れたのだと考えているのでしょう。

 しかしそれは誤解です。確かに私は小鳥遊ホシノ、十六夜ノノミの両名と契約しましたが、全ては合意に基づくもの。

 そも、この都市に"人間"などいるはずもない。貴方と、我々を除けば」

 

 おっと、と黒服はわざとらしく驚いてみせる。

 言い忘れていた、とばかりに大仰な仕草で。

 

「そういえば自己紹介がまだでしたね。私は……」

「……《黒服》」

「ええ、その通りです。

 私たちは貴方と同じ、キヴォトスの外部の者……ですが貴方とはまた違った領域の存在です」

 

 奇妙な表現だった。

 場所ではなく、世界でもなく、領域。黒服の言葉には相手を煙に巻く迂遠さが含まれている。

 

「適切な名前がありましたので、今はそれを拝借して使っております。私たちのことは《ゲマトリア》とお呼びください。我らは探究者であり、研究者であり、観察者に過ぎません。決して人を殺すことはなく、また傷つけることもないと断言しましょう。その保証を以てもう一度尋ねます。

 ギー先生、我々に与してはいただけませんか?」

「断る」

「それは何故?」

 

 黒服は疑問を呈する。

 本当に、心の底から理解できないといった声音で。

 

「貴方が人道主義の類を掲げていることは知っています。見知らぬ他人であろうとも、その命が損なわれるならば身を挺して救うとも。ええ、私には到底共感できませんが、しかし理屈として理解することはできます。貴方の行動原理とはそういうものであり、我々とは価値観を画していると。そうであればこそ、私としては最大限貴方に歩み寄ったつもりなのですが……何故断るのです? ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 それは確信の籠った言葉だった。

 無言のままのギーに、何を気にすることもなく続ける。

 

「貴方が重要視するのは命とそれを継続させるための人生。あとは尊厳といった程度でしょう。

 しかし彼女たちはそうではない。彼女たちが掲げるのは、廃校を阻止したいという"自己実現"の範疇に留まります。仮に夢破れようと、もたらされるのは一時的な失意のみ。彼女たちの人生は問題なく続いていきます。常識的な範囲で支援するだけならともかく、何故それ以上のことを?」

「問うているのは僕だ。小鳥遊ホシノとの契約を破棄し、十六夜ノノミの現在地を言え」

「答えるつもりはないと? 残念です、貴方とは良い関係を築きたいと考えているのですが」

 

 嘲りしか浮かべないにも拘らず、心底より口惜しいといった様子で、黒服は笑う。

 良好な関係───それこそ何故?

 現状、ギーは自身の価値についてその大半を「シャーレを一任されていること」だと考えている。政治的立ち位置、有する超法規的特権───それらはギーという個人が持ち得る価値を圧倒して然るべきであると。だが黒服は言った。シャーレの先生であることは然して重要ではないと。ならば彼が重視するものとは、いったい何であるのか。

 

「ギー先生。貴方は神というものを信じますか?」

 

 唐突な問い。その真意を図りかねて無言でいると、黒服はやはり笑いながら。

 

「かつて我々はその一端を観測しました。暗がりの主、黒の王。御伽噺のシャドウビルダーなる存在を。細かな状況こそ違いますが、黄金瞳の少女を契機として4つの篝火が灯されようとしている現在、あらゆる神話的符合はゾシーク計画下にあったかつての大英帝国を再現しつつあります」

「何が言いたい」

「物語的文脈こそが絶対的な力を持つこのキヴォトスにおいて、私は漆黒の物語(シャルノス)を再演しようと思案しているのですよ」

 

 漆黒の物語。

 そう嘯く黒服の言に曇りはなく。

 彼は自らの行為が絶対至高であると疑いもなく確信していた。

 

「本来ならば、キヴォトス最大の神秘である小鳥遊ホシノを用い、神秘の反転現象たる《恐怖(THE HORROR)》を観測しようと考えていたのですがね。しかし同種の現象は既にヴァルーシアにおける大規模現象数式実験にて観測されている以上、二番煎じに意味はない……この崇高なる実験は失敗に終わったシャルノス計画を再起し、必ずや栄光の時代を人類史に固定するでしょう。尤も、私は栄光にも人類にも然して興味はありませんが」

 

 高らかに、黒服は嗤う。

 視点は座る彼のほうが低いにも拘らず、高みから見下ろされる感覚。

 支配者の響きはない。

 例えて言うならば、自分が絶対であると確信した者に特有の、余裕と傲慢。

 

「さて、私の真意と目的については全てをお話しました。先にも言った通り、我々には貴方を最高の客人として迎え入れる準備があります。キヴォトスという都市の真実について知りたいのであれば答えましょう。王侯連合への帰還を望むなら協力しましょう。それでも貴方は、私の手を取ってはくださらぬのですか」

「僕の答えは何も変わらない」

 

 一歩、ギーは踏み出す。

 数mほどを置いて離れていた両者の距離が、ほんの少しだけ縮まる。

 

「小鳥遊ホシノとの契約を破棄し、十六夜ノノミの現在地を言え」

「何故? 理解ができません」

 

 一歩、更に踏み出す。

 黒服は畳みかけるようにして言葉を放つ。

 

「貴方は彼女たちの保護者でも、家族でもありません。

 貴方は偶然アビドスに呼ばれ、彼女たちと会っただけの他人です。助ける理由など何もない」

 

 近づく。

 黒服へ歩み寄る。

 

「心を痛めているのですか?

 持つ者が持たざる者から搾取する。知識の多いものがそうでない者から搾取する。

 それは世にありふれた、貴方も見飽きたであろう取るに足らぬ世の在り方であるというのに?」

 

 歩を進める。

 遠かった彼の姿は、今や伸ばせば手が届く距離に。

 

「糾弾するつもりですか?

 確かに私は他者の不幸よりも自身の利益を取りました。ですがルールの範疇です。

 道義的に許されずとも、法的に私は許容されています。それともまさか、博愛こそが大人の責任などとは言いますまい」

 

 立ち止まる。

 ギーは凍てついた表情のままに、告げる。

 

「これで最後だ。小鳥遊ホシノとの契約を破棄し、十六夜ノノミの現在地を言え」

「貴方の言動には正当性がない。法と契約を覆すだけの道理がない。

 ああ、それとも勘違いしているのですか? 果たせなかった貴方の願いを、救えなかった命を、無関係であるはずの彼女たちに投影していると」

 

 黒服は嗤う。

 人の愚かさを嘲笑う、絶対者の響き。

 

「ギー先生。かつて貴方の求めた少女は、この都市の何処にもいないのですよ」

「警告はした」

 

 

 

 ───次瞬、世界がズレた。

 

 

 

 ガラスが砕けるような音と共に、現実が捻じれた。視界が急転したのは錯覚ではあるまい。

 言葉はなく、衝撃もなく、ただただ何かを奪い尽くすように迫る刃。

 それは現実という鏡面を打ち砕きながら突き出され、真っすぐに黒服の首にかかり。

 

「───おやめなさい」

 

 全てが静止した。

 音は止み、再びの静寂が一帯を包んだ。

 異変も、異常も、何処にもない。

 

 ただ一つ。

 ギーの右手だけが変化していた。

 

 黒服の首を掴むように突き出された右手。その手は今や尋常な人間の手ではない。

 真紅の鋼を纏い、赤熱化した五本の刃に変じていた。

 

 比類なき、鋼の刃。

 それらは黒服の首を掻き切る寸前で止まり、擦れ、リュートの如き金属音を発しながら。

 

「もう一度言いましょう、お止めください先生。その手は、その《悪なる右手》だけは、都市の誰も耐えることができない。私のような者とはいえ、人を殺したくはないでしょう」

「お前が人間であると?」

「ええ、人ですとも。

 私はこの都市において数少ない人間であり。

 同時に、私はこの都市において最も正気であるのです」

 

 そして両者の間に沈黙が降りる。

 1秒、2秒と時が過ぎ、刃の軋む音だけが室内に反響した。

 

「……訂正しよう。二つだ」

 

 口火を切ったのはギーだった。彼は鉛の重量を持つ言葉を浴びせる。

 

「一つ目。お前は小鳥遊ホシノの生命を保証しない。

 お前は誰も殺さないと言ったが、姦計と契約を以て人を死に追い遣るだろう。

 ただ自分の手を汚さないだけだ」

 

 言葉と同時に。

 この場において初めて、ギーの表情が変わる。嫌悪に満ちた瞳。

 それは、侮蔑の感情だった。

 

「二つ目。僕もお前も、そもそも責任について論じられる立場にはない。

 お前は社会秩序の法に依存しながら無秩序を得意がっているだけだ。それは大人の賢さではなく、お前は無責任な大衆の一人に過ぎない」

 

 黒服はただ、じっとギーを見つめている。

 表情の伺えない顔。白光は物言わず、揺らめくのみだった。

 

「……成る程」

 

 黒服は得心したように呟く。

 

「交渉とは善意のみでは成り立たない。武力か、武力を背景とした言葉のみが相手の譲歩を引き出す。ええ、道理ですとも。そこだけは、貴方の前任者たる《未来編纂者》ですら例外ではありませんでした。ギー先生、比類なき悪なる《現在簒奪者》。貴方は人倫を説きながら、しかしどうしようもなく他者から奪うことしかできない」

「聖人になどなったつもりはない」

「その言葉を教皇庁が聞けば嘆き悲しむでしょうね」

 

 黒服は手元の端末を取り、何某かの操作をする。

 程なく作業は終わり、彼はお手上げと言わんばかりに両手を挙げた。

 

「……貴方の端末に十六夜ノノミの位置情報を登録しておきました。彼女は今、アビドス高等学校の旧本校舎にいます。ホシノさんとの契約は最早意味を為さないでしょう。ですがお気をつけて。ノノミさんはホシノさんの、貴方の敵かもしれません」

「そうか」

 

 それだけを言って、ギーは手を離し、踵を返す。

 もうこの場には何の用もなく、興味もないと言わんばかりに。

 

 その背に向かい、黒服は届くかもわからない言葉を放つ。

 

「残念ですよギー先生。背後に《奇械》はなく、《大人のカード》さえ持たぬ貴方。

 貴方の《崇高》があったなら、我らは神なる白色すら凌駕し、黄金にさえ至れたというのに」

 

 ギーは言葉もなく扉の向こうへ消えていく。

 声は交わらず、黒服の言葉はただ虚空へ溶け消えていくのみだった。

 

「ギー先生。繋がりの力を持たず、未来を紡ぐことのできない貴方。

 《ゲマトリア》は貴方を見ていますよ。貴方が再び、螺旋の果てへ行き着くまで」

 

 

 

 

 

   ♰♰♰♰♰♰♰

 

 

 

 

 

 水底から浮かび上がるような息苦しさと共に、ホシノの意識は覚醒を果たした。

 ぼやけた頭に飛び込んでくるのは強化チタンの武骨な内壁と、合皮製シートのお世辞にも座り心地が良いとは言えない感触。そして、ヘリコプターのブレードが織り成すけたたましいスラップ音だった。

 アビドス自治区上空、高度500m。連邦生徒会から派遣された移送ヘリ内部にいるのだという事実が、遅まきに実感として澄み渡っていった。

 

「……ホシノ、起きた?」

「ん~、ちょっと眠っちゃった……ごめんねアツコちゃん、今どんな感じ?」

「大して時間は経ってない……と思う。今は砂漠の上で、もうすぐ隣の自治区だって」

 

 そっかー、とだけ答えて、ホシノは窓の外を見る。空は真っ黒に染まり、点々と星々が瞬いていた。青空も何もないな、と視線を彷徨わせて、そんな当たり前のことを考えている自分に思わず苦笑してしまう。

 あれからギーの行動は早かった。口早に移送ヘリの派遣を依頼したかと思えば、ホシノの連絡端末を受け取ってさっさといなくなってしまった。ホシノとしては色々問い質したかったのだけど、感情はともかく理性では彼の行動が正しいということは理解しているから何も言えなかった。

 

 誰の目にも明らかな、疑う余地のない異常事態。

 今までずっと同じ時間を過ごしてきたはずの人間が「いなかった」などという事実は、ホシノを混乱の淵に追い込むには十分すぎた。

 

「……ね、アツコちゃん。もう一度聞くんだけど……アビドスに来て、アツコちゃんは誰に会った?」

「うん。ホシノ、シロコ、アヤネ、セリカ」

 

 忘れるはずもない、アビドスの大事な後輩たちの名前。

 そして。

 

「ヒフミ。あと、ラーメン屋さんの人」

「……そっか。そう、だよね」

 

 そうとしか言えなかった。

 訳も分からず、他に何を言えばいいというのか。

 

 十六夜ノノミの存在が幻だったとは思わない。自分だけでなく、シロコたちとて彼女と会話はしていたのだから。

 だが、だとすれば。

 

 恐らくは意図的にギーやアツコの認識から外れていたノノミは、一体何の目的があるのか。

 

 分からない。

 分からないからこそ、何もできない。

 

 思考はぐるぐると堂々巡りを繰り返し、袋小路に追い込まれては益体もつかず結論を出すこともできない。

 

 私はどこで選択を間違えたのか。

 私はどこかで選択を間違えたのか。

 

 自縄自縛の思考の中に自罰さえも浮かんできて、どうしようもなく惨めな気持ちになって。

 

「───見てられないわね、覆面水着団」

 

 それらを吹き飛ばすように、横合いから声が聞こえた。

 聞き慣れない声。不遜にして傲慢の、大上段からの声。

 だがそこに侮蔑の響きはなくて。

 

「目には目を、歯には歯を。無慈悲に、孤高に、我が道の如く魔境を往く。

 それがあなた達覆面水着団のモットーじゃなかったの?」

「ワインレッドちゃん……」

「いや、その呼び方はやめてあげて。うちの社長調子に乗っちゃうから」

「ツートンちゃん……」

「マジでやめて」

 

 そこにいたのは冷たく見下ろす赤毛の少女───陸八魔アル───と、その後ろで困ったように頭を抱えている鬼方カヨコであった。

 ギーの雇った護衛であると説明は受けていたが、ホシノとしては闇銀行を襲撃した際に現れた謎の助っ人三人組の印象が強かった。ちなみにリーダーであるアルはワインレッド、更に後ろで腕を組み得意げに微笑んでいる浅黄ムツキはグレイ、隅っこのほうで縮こまっている伊草ハルカはノワールというコードネームを(その場で)命名されている。カヨコのはさっき付けた。

 

「何を悩んでいるのかは知らないけどね。何をすればいいのか分からない、どうすればいいのかも分からない。やる事為す事失敗に終わり、全部無駄になってしまう……だから何なのよっ!」

 

 凄まじい暴論だった。

 明日をも知らぬ根無し草の物言いに、元気づけてくれてるのかなぁと思いつつもホシノは若干引いてしまう。けれど。

 

「仲間がみんな倒れてこのままじゃ学校の危機……そんな時にくだらないこと考えて、このまま全部失って、それで納得できるわけ!? あなた達は、私が憧れたアウトローは、そんな情けない集団だったの!?」

「いやいやアルちゃん、この子普通に病人だから勘弁してあげなって。体が弱ってる時って結構気弱になるもんじゃん?」

「え、えへへ……病気じゃなくても心が弱い人はいますけどね。あ、余計なこと言ってごめんなさい……」

 

 アツコちゃんと雑草談義に戻りますね……と離れるハルカを余所に、アルの口調は更にヒートアップしていく。

 

「目を開けて、心は熱く、頭は冷静になりなさい。

 あなたが腑抜けたというのなら───いいわ、私たちが真のアウトローの戦い方っていうのを見せつけてあげるから!」

「いやまあ、これ以上誰かと戦うってこともないとは思うけどね。いざとなれば対風紀委員会用の戦術とかもあるけど」

 

 カヨコの言葉で締められる。

 最後までいまいち決まりきらなかった啖呵。だが、しかし。

 何故だろう。今のホシノには、なんだか心強いものに聞こえて。

 

「……うん、そっか。ならおじさんもくよくよしてらんないな~」

「……ふんっ。分かればいいのよ分かれば」

 

 不遜に、或いは気恥ずかし気に顔を逸らすアルを見て、ホシノは笑う。

 本当に、心からの笑顔だったと思う。

 そう思いたかった。少なくとも、今この時は。

 

「ま、とりあえず病院に行って……あとは先輩とノノミちゃん探しからかな」

 

 現状打つ手はない。だがやれることはある。

 ホシノの場合、それが自分の療養に徹することだった。

 

 もちろん感情としては認められない気持ちも、今すぐに飛び出していきたい気持ちもある。けれどそれでは何も解決しないのだと、心のどこかで納得している冷めた自分もいる。どちらが正しいか、なんて考えるまでもなかった。

 

 ホシノもう一度窓の外を見遣る。今もギーが奔走しているであろう、アビドスの方向。

 解決の糸口が見えない問題が積み重なっているけれど。

 それでも、あの人がいてくれるなら何とかなるんじゃないかな、なんて。

 そんな都合の良いことを考えながら。

 

 

 

「今更、未来に目を向けるんですか?」

 

 

 

 ───瞬間、ヘリ内部に()()()()()()

 大量の水、指向性を持った。それらが一気に溢れ出して、ホシノを包んで。

 一瞬のことで抵抗もできず、水中に歪む視界の向こうでアツコや他の面々が驚き手を伸ばすけれど。

 その手は届かない。ホシノを覆った水に触れる直前、水はホシノごと床面に引きずり込むように掻き消えてしまって。

 後にはもう何も残らなかった。中途半端に伸ばされた手の向こうには、誰もいなくなってしまった虚空が佇むばかりである。

 

 

 

 

 

 

 上から───下へ───

 

 降りていく。否、落ちていく。

 失う感覚。何もかも。落ちて、零れていく。

 大切なもの。暖かなもの。私が私でいられた、大事な記憶。

 それら全てを置き去りにしながら。

 

 私は、落ちていく。

 

 

 

「……ッ」

 

 肉体に感覚が戻り重力に囚われたことを自覚した瞬間、ホシノの体はしたたかに地面に打ち付けられた。

 だが痛みは弱く、恐らく怪我もない。地面は柔らかい、というより衝撃を吸収してくれた。とても馴染みのある感覚。そこは、砂の上だった。

 

 即座に身を起こし、周囲を確認する。

 目の前に広がるのは荒涼とした砂漠。地平線の向こうまでが砂丘に覆われ、銀月の光が真っ白に地面を照らしている。

 凍り付いたような、砂の大地。

 

 その向こうに、彼女はいた。

 

 少女は笑っていた。

 いつもと変わらない雰囲気で、口を開けばお昼寝でもしましょうなんて言いそうな顔で。

 

 けれどホシノは知っている。少女はもう、自分の知る彼女ではない。

 彼女は───

 

「こんばんは、ホシノ先輩。

 愛しい人。誰よりも報われるべき貴女」

 

 少女は笑う。屈託なく、柔らかな微笑み。

 その裏に抱えた情念を、おくびにも見せることなく。

 

「私が───私こそが、貴女の運命ですよ」

 

 ホシノの前に立ちはだかるように。

 銀の月を背に、十六夜ノノミは告げるのだった。

 

 

 

 




今回の独自解釈:悪なる右手はポルシオンではなくギー先生の拡大変容と解釈しています。
悪なる右手と善なる左手は奇械ではなく時計人間の権能であること。
能力発動に際してはポルシオンのみならずギー先生の右手も変容していること。
同じく終期型であろうトートは能力自体は変化していなかったこと。
後に生身で善なる左手を使うレオが登場していること。
これらを以て本作ではこのように設定しています。ご容赦ください。
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