碧空のキヴォトス-What a beautiful archive-   作:ユーラシアン

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 ───私はようやく、自分がとっくに死んでいたことに気付いた。

 

 

 

 体の感覚はなかった。

 私は確かにここにいるのに、けれど私はどこにもいない。

 私の手はどこ。足は。

 私の胸は、お腹は、顔はどこにあるの?

 不安になって、いてもたってもいられなくて。

 ぼんやりと霞む感覚に従って腕を上げると、そこには大きな鋼の腕。

 私は驚いて、怖くって。息を呑もうとして、けど自分が息をしていないことに気付く。

 

 長い夢を見ていたような心地だった。

 今までずっと、私は「私」じゃなかった。最初にこうなったことを自覚して、意を決して自分の緒を砕いた時から。それで消えることができると思っていたのに、私は「私」を壊しただけで、何も変わりはしなかった。ずっとあの子にへばりついていただけだった。

 それでも、砕かれた緒は少しずつ私を壊していく。

 少しずつ、私はいなくなっていく。

 残された時間は、たぶん、長くない。

 

 だから私は早く消えたい(きえたくない)

 私なんか、いなくなってしまえばいい(まだわたしはなにもできていない)

 そう強く願うけれど。私の手は動かない。

 私の右手は、蠢くだけで。

 

 ……。

 

 揺蕩う意識の中で、私は待ち続ける。

 私が消えてしまう時を。

 私が消えてしまっても良い時を。

 

 いつか、また。

 貴女が心の底から笑えるようになる、その時を。

 

 

 

 

 

   ♰♰♰♰♰♰♰

 

 

 

 

 

「うぇっ!? しゃ、シャーレの先生!?」

 

 企業複合体第一統合センタービル、その前にて。

 黒服との対話を終えてエントランスを出たギーはバッタリと出会った。その少女に。

 少女。赤く長い髪をした、鋭い目つきの彼女。

 黒いジャケットとヘルメットが特徴的な、厳めしささえ感じる彼女。

 少女は驚愕と困惑に目を回して、唖然とさえしている様子だった。

 

 ギーは彼女に見覚えがあった。つい先日、便利屋68の事務所で会ったばかりの少女だ。

 その名前は。

 

「君は……河駒風ラブ、だったね」

「え、ええ。そ、そうね。奇遇ね。まさかこんなところで会うなんて」

 

 上ずった声は取り留めなく、ラブはころころと表情を変えながら口の端をわななかせていた。

 

 こんなところか。

 言い得て妙である。この都市、隣接する如何なる自治区にも属さない空白都市である此処は、表向きには存在しないも同然の街だった。つまるところ、普通の人間は出歩かない。危険であることもそうだが、そもそも用がないのだ。真っ当に生きているならば、この都市に関わるようなことは大抵起こらない。

 つまり、河駒風ラブは普通ではない目的で赴いていることになる。

 

「君がここに来る用件となると、カイザー絡みか」

「……うん、まあ、そんなとこ」

 

 落ち着きを取り戻し、ラブは打って変わって神妙な顔つきとなる。

 

「辞表をね、叩きつけてきたところ。色々キナ臭かったし、いい機会かなって」

 

 カイザーコーポレーションのやり口は地上げ屋に等しい。それも反社会的手段を用いた、という枕詞がつく。実際の立ち退き作業はヘルメット団に委託し、いつでも尻尾切りができるようにした体制でだ。

 ラブたちヘルメット団は犯罪行為にも手を染める組織的な不良集団でこそあったが、こればかりはかかるリスクが大きすぎる。アビドスを潰したとて、次に出張るのは連邦生徒会だ。如何に数人しか在籍していない弱小自治区とはいえ、曲りなりにも自治区の体裁を取るアビドスを違法な手段で壊滅されたとあっては連邦生徒会も黙ってはいられないだろう。DUを相手に全面戦争など、勝っても負けても碌な未来はない。であればこそ、確かにここで手を引くのは得策であり───

 

「先生?」

 

 少女の声。

 思考の海に埋没しつつあったギーは、俄かに現実へ意識を向ける。

 茜色の瞳がこちらを見つめていた。

 真っすぐな、裏社会に身を置いていたとは思えないほど、素直な目。

 

「……これから」

「え?」

「これから、どうするのかは考えているかな」

「えっと……や、どうって言われても、そんなの」

 

 ラブは、何を当然なと言わんばかりの表情で。

 

「先生のとこで厄介になるってのはダメ?」

「……」

「うちの子たちと相談もしたんだけど、やっぱり生活そのものが厳しいってのがあってさ。

 うちらでアウトローのテッペン取ろうって言った手前、ちょっと情けなくはあるけど」

「……そう、か」

「先生?」

 

 少し難しく考えすぎていたのかもしれない。

 彼女たちは賢い。学生の本分から外れていたとしても、今日まで一集団を率いてこれたのは生来の賢さと、何より人望があればこそだ。

 だからこそ、打算と計算で動くことも多いだろう。

 ギーの考えたような、黒服のような悪辣な思考を是とすることもあっただろう。

 けれど。

 

「勿論歓迎しよう。シャーレの設備はいつでも空いている。家移に手が要るなら、こちらで業者を派遣するが」

「や、やうつり? ……って、引っ越しのことか。

 別にいいよ。どうせうちら、着の身着のままで暮らしてたようなもんだし」

 

 彼女は、自分や黒服とは違う。

 この都市において異物なのは、やはり、自分や黒服といった人間なのだろう。

 

 黒服との対話を思い出す。自分と黒服、そのどちらもが責任について是非を問える資格を持たないのだと。その考えは今でも変わらない。だが、しかし。

 仮に、この自分にも果たすべき責任があるのだとすれば。

 

「だからさ、その、こ……これから、よろしくお願いします……」

 

 それはきっと、この子たちが健やかに成長できる環境を作ることなのだと、そう思う。

 

 知らず、口元の端が動いたような感覚があった。それは自分にとっては馴染みの薄いもの。

 笑顔の形に、表情を作ることができたのだろうか。

 

「で、さ」

 

 ラブは紅潮した頬を誤魔化すように、わざとらしく話題を変えてみせる。

 

「うちはともかく、先生はどうしてこんなとこに?

 うちが言うのもなんだけど、先生が来るようなとこじゃないでしょ」

「ああ、それは……」

 

 何と答えようか逡巡した時だった。

 不意にギーの懐にあった端末が震え、着信を知らせる。

 一度断ってから画面に目を移すと、ギーの表情は見る間に苦いものに変化する。

 

「……先生?」

「ラブ、君は確か単車を持っていたね」

「え? う、うん、今もそこにあるけど」

 

 ラブの指さす向こう、通りの前には少女が乗りこなすにはあまりにも大きな二輪式ガーニーがある。

 それを確認すると、ギーは焦りさえ見える口調で。

 

「すまないが、君に協力してもらいたい。今すぐ行かなくてはならない場所ができた」

「行かなきゃ、って……今から? どこに?」

 

 逸るギーは早足に、しかし一度立ち止まってラブを振り返って。

 

「アビドス砂漠だ」

 

 

 

 

 

 

 ───銀の月が輝く空。

 

 ホシノの眼前に広がる光景はまさしく神秘的で、荘厳で、例えようのない魔性に彩られていた。

 銀に輝く大輪の満月。

 常識外の大きさで漆黒の中心に鎮座するそれは吸い込まれるような輝きを放ちながら、凍えるような白光で以て闇を仄かに照らしている。

 白く照らされた砂の地平。

 荒涼の大地はどこまでも広がり、太陽の廃絶された世界を寒々しいまでに彩っていた。

 

 すなわち、此処は死界に他ならない。

 身を焼くような陽光がない。暴れ出すような生命の鼓動がない。

 ただ、ただ、どこまでも停滞した世界が無謬に広がるばかりである。

 

 ───その只中にて。

 ───柔らかな微笑みを湛える少女。

 

 その姿に瑕疵はなかった。彼女は、夜に映える一幅の絵画のように屹立していた。

 その姿に差異はなかった。彼女は、ホシノが知る彼女のままの姿をしていた。

 

 十六夜ノノミ。

 アビドス廃校対策委員会の一員であるはずの、彼女。

 今までずっとホシノたちと一緒にいたはずの、彼女。

 

 しかしノノミはギーたちの認識をすり抜けて、ただひとりの叛意者として此処にいた。

 

「懐かしい光景ですか?」

 

 ノノミが口を開く。

 彼女の声に含みはなかった。声音だけを聞くならば、いつもの日常と何も変わらないであろう優しい響き。

 

 けれど違う。砂漠の地に膝をつきながら、ホシノはその声に含まれる感情を見た。

 敵意? 害意? いいや違う。

 それは、きっと───

 

「わざわざここを選んだんです。全てが始まった場所。全てが終わった場所。

 私たちの、対策委員会の因縁を結実させるのにここ以上の場所はない。そう……」

「……アビドス本館」

「はい、正解です」

 

 かつての話だ。アビドスの在校生が去り、ホシノともうひとりだけの学校となった頃。

 シェマタの時代より続いたアビドス本館は砂に呑まれ、二人は別館へと本拠を移した。

 

 そうだ。全てはここから始まった。

 小鳥遊ホシノと梔子ユメの全ては、ここで始まり、終わったのだ。

 けれど。

 

「その時はまだ、ノノミちゃんはいなかったでしょ」

「……ふふっ、あはははは! ええ、そうですね。全く以てその通りです。

 結局のところ、全ては私の与り知らないところでとっくに終わってたんですよ」

 

 笑う少女の姿に、やはり、狂気の兆候はない。

 彼女の姿は、みんなを慈しむ柔らかな笑みのままで。

 

「どうして?」

 

 だから、ホシノが問うのはそれだけだった。

 今なお頭に渦巻く疑問。ホシノを、対策委員会を取り巻く状況の数々。

 それら全てに対する疑問だった───どうして?

 

「どうして───先輩を裏切ったのか、ですか?」

 

 ノノミは笑う。嫋やかに、本来ならば明るい太陽の下でこそ輝く微笑みで。

 

「それとも、どうしてギー先生たちは私を知らなかったのか、ですか?

 どうして、黒服との契約内容を知っているのか。

 どうして、私がメタ・クリッターの力を使っているのか。

 どうして、こんな場所に連れてきたのか。

 さて───先輩が聞きたいのは、いったいどれです?」

「強いて言うなら」

 

 知らずホシノの口元が歪んだ。引き攣ったような、筋肉の硬直がもたらす表情の変化。

 それに構わずホシノは続ける。

 

「どうしてノノミちゃんはこんなことしたのか、っていう理由だよ」

「……はは、あははははははははははははは!!」

 

 哄笑。

 こらえきれずに腹を抱えて、ノノミはまるで出来の良い芸事でも見たかのように。

 両手で顔を覆う。弦月に歪む口元だけが覗く。その指の間から。

 

「───それを、貴女が言うんですか」

 

 鋭く輝く、瞳は二つ。

 

「貴女がそれを言うんですか。

 みんなと一緒にいながら、誰のことすら見ていなかった貴女が。

 親愛と庇護を口にしながら、過去ばかりを見つめている貴女が。

 今更、私にそんなことを言うんですね」

 

 ノノミの言葉には静けさとは裏腹の怒りがあった。

 尽きせぬ怒り。笑って過ごした日常の裏で抱え続けた憤り。

 ならば、その怒りは一体誰に向けたものであるというのか。

 真意を口にすることはなく、ノノミは淡々と続ける。

 

「理由を問いましたね。そんなものは簡単です。

 許せないんですよ。貴女も、貴女の背後にへばりつく消え損ないの亡霊も。

 それを否定するために私は此処にいる。立ちはだかる理由なんて、その程度ですよ」

「……私、ノノミちゃんに酷いことしちゃったかな」

「あはっ」

 

 心底おかしそうな声。

 こらえきれずに漏れた、それは嗤いであった。

 

「何もしてないですよ。ホシノ先輩、貴女は何も、何一つしようともしなかった。

 これはそのツケです。何一つとして為せなかった、その怠慢を清算する時が来ただけの話です。

 ねえ、ホシノ先輩。逆に聞くんですが、どうして貴女はシロコちゃんたちの想いを砕いたんですか?」

 

 想い。

 それが形となった、メタ・クリッターのこと。

 ホシノが今まで砕いてきた、三つの鋼。

 

「シャルノスへ通じる篝火。都合の良い夢を、あの子たちが見なかったとでも?

 そして私も。この私でさえ、何も望みはしなかったと、貴女はそう考えているんですか?

 それが正しいから、無意味だから、善意の下に砕いていいと───そう思っているんですか?」

 

 ホシノは何も答えない。ただ、無言。

 

「違いますよ。あの子たちはそれぞれに想いを、願いを抱いていました。

 アヤネちゃんはアビドスに襲い来る問題の数々に苦慮していた。

 彼女はそれを、恐ろしい嵐の風だと認識した」

 

 ノノミは言う。謡うように、朗々と。

 

「セリカちゃんは何をも成し遂げられない自分に焦燥を感じていた。

 彼女はそれを、自らを蝕む炎だと認識した」

 

 ノノミは言う。それは倒れた三人を代弁する言葉。

 

「シロコちゃんはアビドスを自分が生きて死ぬ場所だと決めていた。

 彼女はそれを、冷たい凍土の大地だと認識した」

 

 ノノミは言う。それはタタールの門を照らす、四つの篝火に相応しい想いの形。

 

「なら、私は?」

 

 ノノミは嗤う。ホシノの心を、言葉のナイフで抉るように。

 それでも、ホシノは視線を逸らさない。

 

「私はアビドスの現在を"水底"と定義した。

 停滞した街。進まない時間。流れず、いつしか澱んでしまった暗い暗い水の底。

 ねえ、先輩。それは今のアビドスにとって、一番相応しい形容じゃないですか?」

 

 月光を背負い、純白の輝きの只中で影絵のように浮かぶノノミ。

 その周囲から湧き上がるものがあった。

 影絵めいたノノミの姿が揺れる。

 ノノミの足元から、不可視の何かが不気味に伸びあがっていく。

 言葉に応じるかのように。意思に応じるかのように。

 

 それは───

 

「故に、私にはこの力が宿る。

 触れるもの全てを引きずり込む、比類なき《水》の権能が」

 

 それは───大量の水だ。

 滲みだすように広がっていく。それは、尽きることのない本流で以て湧き上がる。

 嗤うノノミに応じるかのように。

 意思持つ巨大な生物であるかのように、その体積を無尽に増殖させて。

 

「我が異能! 我が力!

 メタクリッター・ネフティスは"増殖"する!」

 

 次瞬、爆発的な収縮によって、莫大量の水は違わずホシノに殺到した。

 まるで巨大な鉄槌で砂漠を殴りつけたかのように。膨大な質量は砂の大地に激突し、抉り飛ばし、朦々と砂煙を噴出させては辺りに轟音を響かせる。

 

 それは戦車砲の直撃すら凌駕する、純粋な質量攻撃。

 絶えず流動する不可視の奔流を周囲に纏わせて、ノノミは天を仰ぐ。

 その顔に浮かぶ感情は、何か。

 逆光により影となって伺うことのできない表情からは、何も類推することができず。

 

「これこそが、私を願いの果てへと至らせる為の力。

 黄金瞳を取り込むために編み上げた、機関と鋼鉄の体。

 メタクリッター・ネフティス───私の持つ神秘の具現。

 とうに死んだ亡霊如き、砕けるものかよ我が想い!」

 

 舞い上がる土煙の向こうをノノミは見据える。その目は、何も終わってないと告げていた。

 終わるはずがない。あの小鳥遊ホシノに限って、そんな幕切れなど。

 

 たかが致命の一撃如き。たかが不可避の一撃如き。

 それで倒れるはずもない。あの小鳥遊ホシノが。

 

「さあ、早く出してくださいよ。貴女の《奇械》を。

 それとも───」

 

 言葉が終わるより早く。

 横合いから凄まじい衝撃がノノミを襲った。視認することもできない超速で飛来したそれらは、ノノミの横に滞留する水によって受け止められる。

 その正体が散弾だと理解した次の瞬間には───振り返ったノノミの鼻先に、飛来したスタングレネードがまさに爆裂しようとしていた。

 

 ───弾ける、閃光と轟音。

 

 あらゆる物理を受け止める幻想の水とて、光と音は防げない。

 三半規管の乱れに惑い、ノノミが我を取り戻した時には。

 

 既に、全てが遅かった。

 

 前方、左右、後方。その全てにホシノの姿はない。既に晴れた土煙は、もうホシノの姿を隠しはしないというのに。

 そうであるなら、答えはひとつ。

 

「───上だよ、ノノミちゃん」

 

 声が終わるより早く、ノノミの全身を衝撃が貫いた。

 それは戦術も技巧も関係ない、誰にでもできる攻撃手段の延長。

 体重をかけた、体当たり。

 高く、高く跳躍したホシノが、ノノミの周囲を守る水さえも飛び越えて接敵を果たしたのだ。

 重い衝撃は構えた大盾に因るところが大きい。盾ごとを振り回し、中空にて重心を移動させ制空したホシノは、まさしく曲芸めいた動きでピンポイントの着弾を成し遂げてみせたのだ。

 ノノミはしたたかに背中をうち、腹部に圧し掛かる重圧に肝を冷やす。マウントポジション───この時点で、もう彼女に抵抗の手段は残されていなかった。

 眼前に突きつけられる、ショットガンの冷たい銃口。

 

 これだけの戦闘技巧を見せてのけたホシノは、荒い息を吐きながら。

 

「……もうやめよう、ノノミちゃん」

 

 それは敵手を追い詰めた者の言葉とは思えない、懇願に近い響きだった。

 対するノノミは無言。

 

「ごめんね。私は馬鹿だからさ、ノノミちゃんが何に怒ってるのか分かるなんて言えない。

 何を謝ればいいのか、どうやって償えばいいのかさえ分からない。けど……

 私はもう、ノノミちゃんにも、みんなにも、傷ついてほしくないから」

 

 ホシノの声には慟哭のような震えがあった。

 対するノノミは、無言。

 

「私もね、最近になってようやく気付けたんだよ」

 

 ホシノの声はか細く、もはや呟きにも等しかった。

 掠れる声。意識は朦朧として、限界などとっくの昔に超えている。

 戦闘どころか、今や命の危険さえ。

 

「私はずっと耐えられなかった。何もできない、できなかった自分が。

 私の手で、私がやらなきゃ、私の責任が、って。自分だけで全部解決しようって躍起になった。そうしないと、心が未来に押し潰されそうだったんだ」

 

 だから、とホシノが続ける。

 

「私は、自分以外の誰かを信じることができなかった大バカだよ。

 ノノミちゃんを、シロコちゃんを、アヤネちゃんとセリカちゃんを。私が何もできなかったとしても、みんなきっと助けてくれるって素直に頼ることのできなかった頑固者だ。そのことを、やっと自覚することができた」

 

 ホシノの頬を伝うものがあった。

 それは真っすぐに線をなぞり、ぽたりとノノミの頬に落ちる。

 熱い。

 それは言葉以上に雄弁な、あらゆる感情のこもった雫。

 涙、だった。

 

「だから、ごめん。ごめんねノノミちゃん。

 私は、あなたを信じてあげることができなかった。

 だから……!」

「ホシノ先輩」

 

 初めて、ノノミが口を開いた。

 その声に怒気はなかった。憎悪も、敵意も、嫌悪さえなかった。

 それなのに。

 

「やっぱり、先輩は何も分かってないんですね」

「ノノミ、ちゃん……?」

「そうやって、また自分を犠牲にするんですか?

 私を、みんなを助けると言って、自分だけ傷つくつもりですか?」

 

 ノノミは自分に突きつけられた銃身を掴むと、それを自分に向かって押し付けた。

 その額に、引き金を引けばすぐさまに命を刈り取るであろう位置に。

 

「ッ!」

 

 その行動は反射的なものだった。

 ノノミの命が危ない。そうカケラでも考えてしまった瞬間、ホシノの指から力が抜けて。

 

「……だから甘いんですよ、ホシノ先輩」

 

 その隙を見逃すほど、ノノミは甘くなかった。

 またがるホシノを振り払い、宙を駆ける流水によって凄まじい勢いで後方へと飛び退った。咄嗟にホシノが銃撃した時には、ノノミの四肢を狙った弾丸は全て水に阻まれ、彼女に届くことはない。

 

「やっぱり先輩は強いなぁ。私なんかじゃ手も足も出ないや。

 どうしようもないなぁ。仕方ないので───奥の手を使わせてもらいましょう」

 

 音もなく着地し、再び十メートルほどの距離を置いて向かい合う二人。

 ノノミはその懐から、何かを取り出す。

 

「───」

 

 その片手で収まるほどの黒いものを、ホシノは知っていた。

 それは都市の誰もが知るものだった。可能性を担保にするもの。未来を削るもの。世界に介入し現実を塗り替えるもの。

 ホシノたちには持ち得ない、そして当然ノノミだって持つはずのない代物。

 

 ノノミは不遜にも笑いながらそれを取り出す。

 ───それは、《大人のカード》と呼ばれるものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

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