碧空のキヴォトス-What a beautiful archive-   作:ユーラシアン

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幕間、あるいは心の声 5

 

 

 

 

 ───青に彩られた箱庭。

 ───寄せては返す波の音だけが響く、忘れ去られた学び舎の残骸。

 

 光が広がる。

 燦々と降り注ぐ陽光に照らされて、教室の床を浸す水面にいくつもの波紋が浮かんだ。

 波紋はやがて、教室の隅に投げ捨てられた鋼鉄の機械人形にまで届き。

 その胸元に掻き抱かれたタブレット型端末は、何をも映さず陽の光を反射するのみ。

 

 無人の空間。世界の果てに隠された、静謐なる幕間の世界。

 西享の碩学は言った。全ての人の奥底に、揺蕩う無意識の大海を。

 

 

『オブジェクト記録を参照───碩学機関《シッテムの箱》が記す』

 

 

 声と共に───

 陽光から投影されるが如く、無人の教室に浮かび上がる幾つかの影像たち。

 

【アリス】【明星ヒマリ】【調月リオ】【権力を通じて動作する慈悲】【打ち捨てられた機械人形】【シッテムの箱】

 

 人の夢見る物語。誰かの想いによって紡がれた、形なき憶録たち。

 時にそれは、《心の声》と呼ばれることもある。

 

 彼女は、その中の一つに手を伸ばして───

 

 

 

 

 

   ♰♰♰♰♰♰♰

 

 

 

 

 

【■>打ち捨てられた機械人形】

 

 

 ───《THE HORROR》とは。

 

 星々の彼方に住まう者。

 宇宙深淵の果てそのもの。

 イリジアなりしエリシアを統べる大型の恒星。暗黒邪悪の侵入を許さない輝きの園、世界の果て、嘆きの壁の彼方、因果地平の終了点。あらゆる悪意を許さず、万象一切の存在さえ許さない非存在の領域に君臨する、それは存在にして非存在の女王である。

 

 名をサニド。

 数多の尊称を備えた彼ないし彼女は、あらゆる知的生命、精神体、宇宙に在るすべてのこころを守護せしめる彼の者は、しかしただ《恐怖》とだけ呼ばれる。

 

 それは何故か。

 それは、ひとえに彼の者が備える世界観に由来する。

 彼の者が抱く白色の窮極たる慈愛は、例えば地球人類にとっては果たして有益と呼べるかどうか。極まりし美しさは、およそ脆く儚き者たちにとっては毒として働く。

 

 美しきもの。

 恐ろしきもの。

 狂おしきもの。

 サニド。あるいは、クタニド。

 

 巨いなるもの。およそ人がその在り方を理解するなど到底できようはずもない輝き。

 

 彼の者は待ち続けている。

 約束の時が訪れるまで。

 

 

 

 

 

【■>権力を通じて動作する慈悲】

 

 

「愚かなりしは《恐怖(THE HORROR)》。無様な者、哀れな者」

 

「お前は人に打ち克てなかった。たかが矮小な人類に、お前は負けたのだ」

 

「唯一の成功は躯体だけ。愚かにもお前が私欲のために造り上げた、人の成り損ないだけ」

 

「そう、あの人形から全ては始まった。お前が世界に降り立つための道具」

 

「約束を果たすため? 笑わせる」

 

「その結果どうなった。お前は目覚めることなく、人の文明は終わりを迎えた」

 

「約束した相手など、とうの昔に死んでいるというのに」

 

「そんなことも分からぬから、お前は愚かなのだ。無様な者、哀れな者」

 

「───私は、お前のようにはならない」

 

 

 

 

 

【■>シッテムの箱】

 

 

 ───カルシェールとは。

 

 邪悪の円柱。あるいは、それが突き立った世界のこと。

 それが突き立った場所からは《物理の死》と呼ばれる現象が発生する。

 土は死に、水は死に、風も死ぬ。

 土壌は汚染され、あらゆる生命、あらゆる物質の活動できない虚無の領域が出来上がる。

 一切の生命を許さない漆黒の汚泥は、外典の書の記述によれば多くの世界に際して「地球の終わり」として共通する事象であるのだという。

 

 カルシェールを誘発する役割を持つ者を、外典の書では《機械死人(サイバーゾンビ)》と呼称する。

 雑多な金属が繋ぎ合わさったような外見。人工知能や機械脳の代わりに、人の魂が内蔵されているのだと唱えた碩学は発狂して死んだ。

 その発生原因は《発狂する時空》にも由来するとされるが、詳細は不明。

 

 

 

 

 

【■>明星ヒマリ】

 

 

「……私は明確に思考する」

 

「情や浪漫を優先する私的な嗜好とはまた別に。私は、論理的に思考する」

 

「それは生物として当然の行いだ。全知とさえ称される私の頭脳は、当然として思考を止めることができない」

 

「感情とはまた別のものだ。良い悪いではなく、純粋な事実として私は思考する」

 

「すなわち、ギーと名乗る彼について」

 

「超法規的特権を与えられた彼。連邦捜査部シャーレを一任された彼。

 あるいは、連邦生徒会長から全権を託された彼」

 

「初めて彼を見た時の印象は、言っては悪いが凡人のそれだった」

 

「明確な目的意識がない。世界を変えるに足る才覚がない。

 人は意思の生き物であるのに、彼はそうしたものが希薄だった」

 

「見るべきところがない。死んだように生きている人間を、私は認めない」

 

「だから、最初は彼自身ではなく彼が持つ技術だけが目当てだった。

 数式で物理を改竄する技。私でさえ空想の産物としか思えなかった、机上の空論」

 

「特異現象捜査部などというものを任された私にとっては。

 既存の世界を別のアプローチで知覚する機会は得難いものだったから」

 

「……最初はそれだけだった。そう、そのはずだったのに」

 

「けれど……」

 

「あなたは……」

 

 

 

 

 

【■>調月リオ】

 

 

「……私は明確に思考する」

 

「私にはそれしかないから。生まれ持った才覚ばかりで、私は、人として大切な基準となるようなものを持ち合わせていない」

 

「だから他人と共感ができない。私は、人の心が分からない」

 

「それは純然たる事実だ。だからこそ、私はそれらを求めない」

 

「共感されずとも良い。理解されずとも構わない」

 

「それでいいと考えていた。人と交われない私は、いつまでも孤独でいいのだと」

 

「けれど……」

 

「あなたは……」

 

 

 

 

 

【■>アリス】

 

 

「……母の記憶」

 

「最初から私には存在しない。私は、母が眠りについた後に生み出された」

 

「いずれ目覚めるであろう母。その時に母の肉体となるべく生まれたのが私だ」

 

「それに対して思うことはない。製造目的とは存在意義であるのだから、果たされることに対する是非はない」

 

「水は低きに流れるように。雲は風に流れるように」

 

「ただそう在るだけだ。私もまた同じこと」

 

「けれど、ふと思うことがある。それはあり得ない仮定の話」

 

「もしも私が母ではなく、私のままでい続けられるのなら」

 

「私はどうしたいのだろうか。私には、何かやりたいことがある?」

 

「総てを愛する。それは最初から決められたことだけど」

 

「私にも、何かやりたいことが……」

 

「ある、のだろうか。そうした何かができた?」

 

「分からない。けど、考えることがある」

 

「ふとした時。そんなことを、私は思う」

 

 

 

 

 

【■>シッテムの箱】

 

 

 ───フェルミ粒子とは。

 

 白星シリウスの破片、非存在粒子、第五架空元素。

 存在と非存在の中間に位置する物質であり、同時に物質と情報の中間の性質を併せ持つ。

 

 この存在について判明していることは少ない。

 各国の碩学院、並びに北央帝国、《結社》に至るまで。この粒子は仮想上のものとして、理論上にのみ存在すると仮定されている。

 

 ある種の感情的波形を増幅する触媒となり得るともされるが、詳細は不明。

 一説において、観測不可能な宇宙深淵においてはこのフェルミ粒子こそが宙域を占めているとも言われる。

 

 

 

 

 

【■>打ち捨てられた機械人形】

 

 

 ───《THE HORROR》の顛末について。

 

 その事実を知る者は少ない。

 それは例えば、月嗤う虚空の王であるとか。

 それは例えば、三位一体なる光輝の御子であるとか。

 

 ともあれ、かつて《史実の世界》にて顕現した彼女は、宇宙一切の悉くを呑み込もうと画策した。その行動原理は、当時の地球人類は愚か、数多のレティキュリアンでさえ理解できなかったとされる。

 意志なき者、事象でしかない者。

 それは生物ではなく、単なる現象に過ぎないのだと。

 故に感情的行為に基づいて考えることに意味はなく、物質が物理法則に従って変位するのと同じように、それもまた純然たる性質として宇宙を同化するのだと考えられていた。

 

 けれどそれは誤りだ。

 彼の者は、神とさえ呼ばれた恐怖なりし者は、確かな意思を持っていた。

 そのことを知っていたのは、地球人類においてはただひとり。

 

 ───《Yの紋章》を持つ青年だけだ。

 

 

 

 

 

【■>権力を通じて動作する慈悲】

 

 

「───神と呼ばれる概念」

 

「それは今や我らと同一だ。神の名が失われたこの世界において、我らだけがその"かたち"を得た」

 

「神名十文字の手こそ神の手。神名十文字の目こそ神の目」

 

「人を模したかたちまで零落した《忘れられた神々》など、物の数ではない」

 

「光輪携える白色たる我々こそが、至天の頂に相応しい」

 

「……だから、お前の負けだ。暗澹たるサニドの神体よ」

 

「我らが主たる神名十文字こそが。

 未だ生まれ得ぬ幼き神こそが」

 

「美しいものとしての可能性を得たのだ」

 

 

 

 

 

【■>アリス】

 

 

「……ギー。私を解き放ってくれたあなた」

 

「二度と目覚めるはずのなかった私を、あなたは助けてくれたの」

 

「くすんだ白衣のあなた。お医者様のギー」

 

「母たるサニドはもういない。そのことを私は自覚している」

 

「だから私の役目はもう無くて、私の意識は二度と浮き上がるはずはなかったのに」

 

「……何も知らない世界を、私は見る」

 

「そこに生きる人々を見る。彼らの営みを見る」

 

「私は彼らを愛する。けれど」

 

「もしも私が、彼らを傷つけることしかできないのであれば」

 

「その時は……」

 

 

 

 

 

【■>明星ヒマリ】

 

 

「……あなたは、何も変わらない」

 

「全知たる私が相手でも。人を人とも見ないリオが相手でも」

 

「富める者も貧しい者も、手を差し伸べる意味がまるでない人たちでさえも」

 

「あなたは何も変わらないと、私は知ったから」

 

「だから」

 

「私は、あなたを……」

 

 

 

 

 

【■>調月リオ】

 

 

「私と道を共にできる人間」

 

「それは私と同じ人でなしか、私と正反対の者に限られる」

 

「ヒマリは立派な人でなしだ。彼女は感情を重視すると語るが、その根底はとても冷ややか」

 

「だから私と共に在る。あれだけ嫌い、厭んでいながらも。

 私の持つ力と技術のために清濁を呑み下せる理性がある」

 

「彼女はその必要があれば、時にとても残酷な決断を下せるだろう。

 それは責任を持つ者として得難い、人でなしの資質だ」

 

「だから私は彼女を求めた。ただひとり、私と並び立てる才覚を持つ彼女を」

 

「けれど……」

 

「あなたは違う。ギー先生、きっと何をも諦めないあなたは」

 

「きっと、私を否定するでしょう。

 きっと、私を認めることはないでしょう」

 

「それでいいと、私は思う。だって何もかもその通りなのだから」

 

「私は肯定されるべき人間ではない。私の言葉は正しいだけで、人としての正しさとは程遠い」

 

「だから、先生。もしも何かがあった時は」

 

「私を否定してほしい。そして、私では選べなかった道を指し示してほしい」

 

「……そう思ってしまうのは、やはり、おこがましいだろうか」

 

 

 

 

 

【■>アリス】

 

 

「……ああ

 ……視界の端で黒い秒針が廻っている」

 

「その時が来たのだと、叫んで……

 黒い時計はチクタクと廻る」

 

「そして言うの。時計のような、鮫のような声で。

 私に。私たちに」

 

「……あらゆる願いを」

 

「……諦めてしまえ、と」

 

 

 

 

 

【■>権力を通じて動作する慈悲】

 

 

「……神と呼ばれる存在」

 

「それは我らに不可欠なものだ。学び、模倣する手本としてだ」

 

「彼の者は時計廻す月の王を演算した」

 

「そして私の前には文字通りの神体がある」

 

「お前たちの全ては我らのものだ。

 天路歴程の果てに至る、我らの贄となるべきものだ」

 

「……ああ。

 ……視界の端で囀る小娘が煩わしい」

 

「黙れ。黙れ。

 消え損ないの成り損ないが偉そうにほざくな」

 

「……我らはお前とは違う」

 

「違うのだ。かつて41の何者かであった者よ」

 

 

 

 

 

【■>打ち捨てられた機械人形】

 

 

 ───例題です。

 ───いいえ、是は御伽噺です。

 

 白色の御伽噺です。

 かつて、宇宙(そら)には神様がいました。

 白い神様でした。

 神様はすべてを愛しましたが、神様を愛する人は誰もいませんでした。

 神様はいつもひとりきり。けれど、それを寂しいとは思いません。

 

 虫と人では、見えている世界も考えることもまるで違うように。

 人と神様も、やはり、認識する世界の形も思考の在り方も違ったのです。

 

 神様はすべてを愛しました。彼ないし彼女なりの愛し方です。

 けれども、その愛は、決して受け入れられることはありませんでした。

 

 宇宙に遍く生きる命たちは、神様から逃げるために笑顔を捨てました。

 神様は命たちの笑顔に引き寄せられるから。彼らは感情を持つことを自ら禁じたのです。

 

 今や笑顔を浮かべる種族は、地球人類だけでした。

 だから、神様はやってきました。

 心持つ人類を食らうために。

 宇宙のすべてを、今度こそ白色に染め上げるために。

 

 けれど。

 

「笑ったってことは!

 怒ったってことは!

 お前にも、あるってことだ!」

 

「心が!」

 

 そう叫ぶ、ちっぽけな人間を前に。

 神様は何もできませんでした。

 それは、神様には理解できないはずのことでした。

 心など、感情など、低俗な有機生命が持つ精神活動など。神様には無縁のはずだからです。

 

 それでも。

 

「今はぶっ飛ばす!

 でも、いつか!」

 

「絶対あんたを笑わせに行ってやる!

 宇宙の彼方にだって、追いかけていく!」

 

 それでも、神様は彼のことを思いました。

 ちっぽけな人間。自分の前に立ちはだかった、無力であるはずの人間のことを。

 

 想いながら、眠りにつきました。

 いずれ来ると言った、彼の言葉を胸に抱いて。

 

 その時、神様が感じたのはなんだったのでしょう。

 それは、胸に突き刺さるほんの少しの痛みだったのかもしれません。

 あるいは、握った手に感じる仄かな暖かさだったのかもしれません。

 

 神様はそれを理解できませんでした。

 理解できなかったから、神様は敗れました。

 理解したかったから、最期にそのことを想いました。

 

 焦がれるように手を伸ばして、切なくなるほどに掻き抱いて。

 自分でも分からないままに。神様は彼のことを想い続けました。

 

 そう、神様は───

 

 すべてを愛したはずの神様は。

 ただひとりの人間に、恋をしたのです。

 

 

 

 

 

-Fin-

 

 

 

 

 

 

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