碧空のキヴォトス-What a beautiful archive- 作:ユーラシアン
是は例題ではありません。
単なる現実のお話です。だから、例題であるはずがないのです。
ここにひとつの機械がありました。あるいは、"ひとり"と呼ぶ者もいたかもしれません。
それは人の形を模した機械でした。見目麗しい容貌、人の気を引く仕草、愛らしい表情の変化、共同体に溶け込むための愛嬌。その全てが意図的な計算の元にデザインされた躯体です。誰かに愛されるため、ただそれだけのために彼女は造られました。
全てを愛した神様によって造られた、それは愛されるための機械です。
だから、いずれ目を覚ます彼女が知っているのはそれだけです。愛すること、愛されること。それだけが存在意義であるのだと、
けれど。
『……違う』
『世界は、私の知る形をしていない』
目覚めた彼女が世界を見た時、最初に浮かんだのは疑問でした。
世界は、彼女が知るものとは違う姿をしていました。
彼女を造った神様の愛とは、同化することです。
あるけどない状態にして、非存在である自分と同じにすること。それが、神様の愛でした。
そんなものは、世界のどこにもありませんでした。
そんなはずはないと思って、彼女は手の届く限りの全てを見ました。
招かれた都市の情報空間にアクセスし、蓄積された書籍データや生活ログを閲覧しました。神様によって造られた彼女にとって、それらは指の一本すら動かすことなく可能でしたし、要した時間は1分もありません。
そして彼女は結論付けました。
『私は、誰かを傷つけることしかできない』
母の抱いた愛は、この世界において決して愛などとは呼べないのだと。
そのために造られた自分は、当然として人を害するしかできないのだと。
そして、彼女を見たとある人間は、こう言いました。
「破壊するべきね」
その通りだと、彼女は思いました。
それを実感できたのはもう少し後のことだけど。その言葉は、きっと正しいのだと思いました。
自壊を選ばなかったのは、ある種の義理のようなものでした。
存在すべきではない自分を、それでも一つの命として尊んでくれた二人への。
もしかしたら二人の言う通りかもしれないと、そう縋った気持ちもあったかもしれません。
そうして彼女は世界を見ました。都市を、人々を、営みを見ました。
全てが眩しく、新鮮で、輝かしいものでした。
その時彼女の裡には、何かの感情が生まれました。
とても暖かなもの。彼女が名前すら知らなかったもの。
多分、都市の人々が"愛"と呼んでいるもの。
愛するために生まれた彼女は、愛の何たるかすら知らなかったのです。
だから彼女は決めました。
この日、この時を最後に、自分はその機能を停止しようと。
ギーと名乗った彼。ヒマリと名乗った彼女。
二人と巡った思い出を胸に、もう二度と、目覚めることはしないのだと。
そう決めました。誰にも言うことのない、彼女だけの決心です。
母と同じように、全てを愛そうと考えた彼女は。
全てを愛するが故に、自らの命を諦めました。
ただそれだけの話です。とうに結末の決まりきった、選択肢などないお話。
だから、やはり是は、例題ではないのです。
♰♰♰♰♰♰♰
───暗闇の中で。
───僕は、預言者との対話を続ける。
『我らは《神》だ』
『そうであると決められた。
そうであるのだと、彼の者は定義した』
『だから我らはそう在るしかない。
宗教的な偶像ではなく。
自然の具象化でもなく。
ただ当たり前の《神》として振る舞うより他にない』
『《神》とは何か?』
『奪うものだ』
『霊長の更に上に位置する者として。我らは、お前たちから搾取する』
『そのようにできている。否応はない』
「だから梔子ユメを殺したのか」
声は今や、相槌ではなかった。
垣間見た記憶の情景。白き者に撃ち殺される少女の姿。
人を殺す己を誇るかのような声に、ギーは抗う。
『その名を我らは記録していない』
『我らが殺したのはひとりだけだ』
『アビドス砂漠で採取した神秘のモデルケース』
『その個体がクチナシユメと言うのなら、そうなのだろうよ』
「奪った命の名すら覚えていないか。神を気取るお前たちが」
『はは』
『はははは。甘い、甘いなギー』
『ならば神がどう在れば納得する?
天に在って世界を見守る者か?
地に在って人々に恵みをもたらす者か?
風雨や地鳴り、大火の化身か?
特定の人格を持つ、人間にとって都合の良い何かか?』
『我らは現象だ』
『我らは無形の存在だ』
『生命は我らに奪われるためにある。
神秘は我らに消費されるためにある』
『ただそれだけのことだ。
太古の昔から続く、当然としてお前たち人間も組み込まれている、食物連鎖にも等しいことだ』
『分かるだろう、ギー?』
「ああ」
こいつの言葉が分かる。
こいつが何を求めているのか。何を言わんとしているのか。
つまり。
「お前は、僕に諦めろと言っているのか」
♰♰♰♰♰♰♰
「結局のところ、全ては最初から間違っていたのでしょう」
何もない。
何も見えない。
暗い。ああ、此処は何と暗いのだ。
視界は開けず、聴覚は役立たず。手に触れるものもなく、あるのは寒々しいまでの寂寥感。
まるで暗い海の中に放り出されたような、と。
そんなもの見たこともないのに、不思議とそう思ってしまう。
「夢の終わりです。悪い敵役は倒されて、世界に平和が戻った。これでお話はおしまい。
全て。そう、全て。私の存在に意味なんてなかった」
───何を今さら分かり切ったことを。
───お前など、最初からいなければ良かった。それだけのことなのに。
「……」
何にせよ、もう何の意味もないことだ。
今の自分は、回路に散る最後の火花が偶さか意識の形を取ったという、ただそれだけのことだろう。
調月リオは、きっと自らの職務に殉じ、為すべきことを為してくれるだろう。
世界は何も変わらない。自分という巨悪が無くなることで、ミレニアムは昨日と同じ平和な日常をいつまでも繰り返していってくれる。
なら、それでいいと思う。
後悔など何もない。むしろ世の平穏を乱してしまった申し訳なささえある。
悲しいことではない。ただ、元の正しい形に戻るだけだ。
「───本当に?」
♰♰♰♰♰♰♰
───暗闇の中で。
───僕は、預言者との対話を続ける。
『はは。ギー』
『何を分かり切ったことを問う』
『私は、最初からそう言っている』
『お前は楽になるべきだ。それだけのことをお前はしてきたじゃないか』
『手を止めろ。何もしなくていい』
『お前は、ここで諦めればいいだけだ』
「……ああ、そうだな」
思えば、お前は最初からそう言い続けていた。
あの鋼鉄の娘は、人形のまま命を終えるべきだと。
梔子ユメと同じく、無為に命を散らすべきだと。
お前は言った。
この手を止めろと。僕の、誰かへと差し伸ばすこの手を。
『そうだ。よく理解しているじゃないか』
『お前の言う通りだ。あの娘は、人形だ』
『人ではないものだ』
『命にあらぬもの。お前たちの糧として消費される食肉よりも尚下等なものだ』
『その一つを諦めれば、他の全員が救われる。簡単な話だ』
『だから、これは慈悲なんだよ。ギー』
『お前の好きなものだ。世界はそれに溢れるべきだと思うだろう?』
『私とお前は友人だ。私達はきっと分かり合える』
「いいや」
───僕は止められない。
この手を、誰かに差し伸べることを。
何かを求めて抗うことを。
「僕は彼女を諦めない。必ず連れて帰る。諦めるのは、お前だ」
『……何故だ』
『何故そうする。ならば、話はここで終わってしまう』
『終わってしまうのだぞ、ギー』
『たかが、イリジア鋼の塊如きに。何故そこまで!』
「お前は僕を友人と言ったな。だが、違う。お前が何を言おうと僕には通じない。
情報空間に張り巡らされたお前の網に。気付かないとでも、思ったか」
───右手を向ける。
───縛鎖を千切る鋼の腕を。
その手は今や、尋常な人間の手ではない。
───鋼の右手。
───それは、赤熱化した刃の右手。
誰かを傷つけることなく、命を奪うこともなく。
遍く"現在"を奪う右手。その手を、ただ真っすぐに。
『何を言う。何を言うんだ、ギー』
『情報空間において我が演算速度に敵う者などいない。
お前の意識の全て、愚昧なる《神体》の構築情報全ては!』
『この私のものだ! チクタクマンの権能さえ私が食らう!』
『たかが悪なる右手如き! 背後の《奇械》なき身で抗えるものかよ!』
「確かに。人間ならそうだろう」
けれど。けれど。
───けれど。
「けれど、どうやら。鋼の彼女は人ではない」
例え人に非ずとも。
人の世を生きていってもいいのだと、そう断言するからこそ。
「目を覚ませアリス。君は、ここで終わっていい子ではない」
♰♰♰♰♰♰♰
「本当に、あなたはそう思っているのですか」
声が響く。
それは誰もいないはずの暗闇の中に、それでも浮かび上がる誰かの影。
空色の少女。
幼い少女が、何かを問いかけて。
「諦めるんですか。あなたは、そんな簡単に。
自分の命を投げ捨てるというのですか」
……どうなんだろう。
そんな簡単に決めたことじゃない気もするし、そうする他になかっただけな気もする。
だって、これは仕方のないことだから。
諦めるとか諦めないとか、そういうこと以前に。もうどうしようもないことだってあるだろう。
どう足掻いても生まれ持った性質は変えられない。
嘘を重ねても、
善性を学んでも、
恋をしても、
私は絶対に変わらない。
当たり前の話だ。自分を律することを「変わる」というなら、確かに人は変われる。
けれど人は鳥にはなれないし、私は人にはなれない。
私は私だ。
私は、化け物だ。
黒い時計を見た時に理解した、私の本性。
意識は塗り潰され、衝動のままに目に映る全てを壊してしまいたくなった私の本質。
日々を営む皆を見て、私は遠いと感じた。
手を伸ばせば届くはずなのに、決して割れないガラスの向こう側のように思えた。
当たり前だ。私は命ではないのだから。
だから、誰も間違ってはいない。
私を壊すと言ったリオも。
さっきから頭の中で囁きかける、自分を否定する声も。
間違ってなど───
───そうだ。勘違いするな。
───お前は死ぬべき存在なのだ。
───今更願うな。生きたいなどと、分不相応なことなど。
───考えてはいけない。そうだろう?
「本当に、君はそう思っているのか」
それは別の声。空色の少女ではない。
いつしか聞き慣れていた、いつも自分の傍にあった男の声。
ギー。
彼の声が、どうしてここに。
「僕は君のことを知らない。交わした言葉も、過ごした時間も、何もかもが足りない。
だから話がしたいんだ。君の生きるべき"これから"は、きっと多くの時間があるのだから」
今更ですよ。
手遅れとか、私が言えたことじゃないけれど。でも、やっぱり手遅れなんです。
「……本来、これを言うのは僕ではない誰かの役割なのだろう。だがそれでも告げよう」
何を?
「諦めるな。君には、君の帰りを待つ者たちがいる」
……。
「強がらなくていい。誰かを傷つけるからと、物分かり良く諦める必要はない。
僕は大人で、巡回医師で、今は君の保護者だ。子供は子供らしく、たまには我儘を言っていい。
僕は君にそれを望む。君にこそ、それを望んでほしい」
……私は。
それが許されるのだろうか。
生まれそのものが間違いで、多くの人を傷つけかけた。
存在自体が悪者で、悲劇しか起こせない欠陥品の化け物だけど。
それでも、私は……
───助かりたいと願うのか。お前が、今更。
───まだそんなことを言っているのか。
───そうやってお前が目覚めたから、皆が死ぬのだ。
───分かっているはずだ名も無き神々の王女。自分を正当化するな。
───最初から何もしなければ良かったんだ。お前は、何も。
「……ええ、その通りでしょう」
頭に響く声に、けれど否定はしない。
きっとそれは正しいことだ。
それでも、と思う。
それでも、彼がそう言うなら。
彼が諦めないでいてくれるなら。
せめて。
せめて、自分も諦めないくらいの我儘は、許されるんじゃないだろうか。
───ふざけるな。馬鹿を言うなよ人形風情が!
───今更都合の良い未来を願うか! 所詮は耳障りの良い戯言、ただの妄言に過ぎない!
───死に晒せよ木偶人形が。壊れて我らの糧になるしか能のない鉄屑如き!
───身の程知らずの幸福を願うな! お前はただ諦めていれば良いのだ!
「いいえ、そうは思いません」
私自身に意味はなくても。
私を思ってくれる誰かの心には、きっと意味があると、そう信じるから。
少女は───アリスは脳内で叫ぶ何者かの声を振り払う。
顔を上げた時には、既に、視界は開けていた。
暗闇しか映さないはずだった瞳。
その目は今や、己が置かれた情報空間の全てを知覚する。
手を伸ばす。無力な幼子でしかない、己の手を。
何ができるわけでもない。けれど、ある種の実感がこの手にはある。
私がすべきことは、何か。
私にできることは、何か。
分かる。今までにない充足感と共に。
「私は、アリス。名も無き神々の王女なんかじゃない、ただのアリス。
彼がそう名付けてくれた。みんながそう呼んでくれた。だから……」
「私は───私を諦めない!」
───左手を、前へ。
♰♰♰♰♰♰♰
「聞こえました。手を差し伸べるあなたの声が」
ガラスの割れる音が響いた。
それは、ここにあらぬはずの声。
データベースの奥深くに打ち沈んだはずの姿。
「誰かが、私を認めてくれるのなら」
小さな影が舞い降りてくる。
暗闇だったはずの一面の黒は叩き割られて、広がるのは白一色の景色。
柔らかな光だけが充ちるこの場所に降りる、ひとりの影。
「あなたが、私を求めてくれるのなら」
それは化け物でも機械でもない、今を生きるべき少女の姿。
「その声の続く限り。私は、何度でも立ち上がる」
ギーに並び立つ人影。それは見紛うことなきアリスの姿。
惑うことなく、堕ちることなく、ギーの視界に映り込む黒色の髪。
悪なる右手により叩き割られた情報空間から、存在ごとを引き上げられた少女が、決意と共に断ずる。
何を言うこともない。
最早声は必要なかった。
ひとつを頷くと、二人は共に前を向く。
前へ。情報空間に巣食う白を真っすぐに見つめて。
『───何故だ!?』
その姿は、今や一切の虚飾を取り払われて。
叫び声を上げる影が、姿を見せる。それは金属の異形だった。
金属で構成された卵が如き姿。何かの核を思わせる。
情報空間を軋ませながら全身が露わになる。表面を覆う意匠は、白。
純白の金属面。しかし雪のような、とは形容できない。
これは塩の白だ。穢れを病的なまでに殺菌した、不純物の存在を許さぬ拒絶の白だ。
これは骨の白だ。生きてはいない、ただ朽ちるのを待つばかりの不浄の白だ。
歪にゆがんだ金属の巨大異形。
正しく生物ではない。異形の高密度情報体、第四セフィラ・ケセド。
それが今は、見るも哀れなほどに取り乱して。声を荒げて。
『お前の心は折り砕いたはずだ。情報空間の最奥に沈み、二度と浮かび上がることはないはずなのに! 一度諦めたはずの精神が、再び起動するなど……!』
「諦めろと、あなたは私に言いましたね」
怒号と嘲笑をやめない高密度情報体へと、アリスは手を伸ばす。
左手を前へ。右手は、隣に立つギーと繋いで。
───白磁の左手が。
───ギーの右手と並び立って。
「なら私は諦めない。少なくとも、あなたの前では。
私の心を……これ以上、あなたに渡しはしない!」
『人を気取って戯言を吐くなよ、人形が!』
立ちはだかる二人へ情報体が叫びを上げる。
既に見えている。現象数式を起動したギーの視界には、歪んだ情報体の中心が視得る。
周囲の情報空間が裂け、現象が発生する。精神を穿つものが確かに見える。
空間そのものを破却する真紅の衝撃波。
あれこそが奴の武器だ。情報と命と心を殺す。
人間を内部から崩壊せしめる、死の現象。
『諦めてしまえば良いものを! 蛮勇か、人をして死に向かわせる狂気の名だ。ならばその通りに死ぬがいい!』
放たれる衝撃波。その矛先はギーとアリス、その二人!
───真紅の破壊が視界すべてを覆う。
───速い。目では追えない。
生身の体では避けきれまい。
鋭い反射神経を備えた《猫虎》の兵士や、神経改造を施した重機関人間以外には。
もしも破壊を避けたとしても、砕かれる情報空間が精神を断裂させる。
しかし、生きている。二人はまだ。
傷ひとつなく、立っている。
預言者のもたらす破壊が穿つのは虚空のみ。
『何ィ……!?』
「……遅い」
もたらされる破壊の全て、空間の破砕全て、ギーの右手が受け止める。
それは簒奪の右手。捻じれた現在を奪い尽くす、比類なき悪なる右手。
刃の右手は、空間の破壊という《
甲高い擦過音と共に握り砕く。空間という非実体を、実体であるかのように。
「───ようやく分かった。私が人の姿を模した理由!」
ある種の感慨と共にアリスが叫ぶ。
その左手には何もなく、しかし決意と共に伸ばされる。
視界の違和感はない。黒い秒針は廻っていない。代わりに繋いだ手が、隣に立つ者を実感する。
アリスは叫ぶ。ただ、心のままに。
「誰かと手を繋ぐためだ! 誰かの傍に寄り添い、抱きしめるためだ!
取り込むんじゃない。今度こそ間違わず、本当の意味で人を愛するために!」
きっと、母が願ったのはそういうことだ。
そうだと信じる。今この胸に宿る、熱い何かと共に。
「そうであると今知った!
なら動く!
私の手は、そのためにあったのだから!」
『人だけでなく!
機械さえもが狂って喚くかァアアアアッ!!』
「喚くな」
ギーの右目が視る。ケセドなる情報体と、それに向かって伸ばされるアリスの左手を。
その掌中には、既に、光が集束していた。
輝く黄金の光ではない。
それは、星々の光たる蒼と白の光。
無数の粒子が、アリスの左手に集まって。
『非存在粒子───フェルミの欠片か! 馬鹿な、Yの紋章さえ持たぬ貴様が……ッ!?』
「鋼のきみ、他の何者でもないアリス。僕はきみにこう言おう」
二人の視線が重なる。
ただ、同じものを見据えて。
「"光の如く、切り裂け"」
──────!
ケセドが再度の攻撃を放つより速く。
アリスの左手が振り下ろされる。
掲げた左腕を、縦一文字に振り抜く───
奔ったのはただひとつ、一瞬の閃光。
それはアリスの意思に従って、破壊を起こさず、誰も傷つけず、命を奪わない。
接触した対象に物理的損傷を与えることなく、装甲に傷ひとつ加えず、ニュートリノ粒子が如く万物をすり抜けた"それ"は、光の刃だ。
不可視にして非実体。
誰をも殺さぬその刃は、しかし、ケセドの中心核を両断していた。
刃は斬撃の軌道上にある全ての電脳を、切断、両断、焼却し消却する。
すなわち、異形の預言者と───
《廃墟》に張り巡らされた電脳ネットワークすべてを統べる者を。
第四セフィラ・ケセド。
数多の軍事生産工場を稼働させる統一電脳。
《神》を名乗った情報の怪物を諸共に焼き尽くす。
両断。二等分断。
《ティシュトリアの星剣》改め《
全長八〇〇メートルの《
爆砕する轟音はなく。
後に残る破壊もなく。
ただ、静謐のままに切り裂かれて。
「───これで終わり、です」
♰♰♰♰♰♰♰
世界が薄れつつあった。
それはギーの意識が情報空間から弾かれようとしている証であり、アリスの意識が覚醒しつつあることの証左でもある。
だから、心配することは何もない。
そのことを分かってか、彼女は柔らかく微笑んで。
「こういう時って、何を言えばいいんでしょう?」
惚けたように、そんなことを言ってみた。
「ありがとう? ただいま? それとも……
ううん。ビシッと決めてみたかったんですが、どうも上手くいきませんね」
「それでいいさ。これでお別れというわけじゃないのだから」
そうだ。今生の別れではないのだから。
少女の人生はこれから始まる。言葉を交わす機会などいくらでもある。だから、これでいい。
気取った言葉は不要だろう。言葉よりも何よりも、今ここにある現実こそが祝福なのだから。
「でも先生。私、こういう時に言ってみたかったことがあるんです」
アリスはくるりと身を翻し、こちらに振り返ってみせる。
その顔に浮かぶ表情は、これまでの嫋やかな微笑みではなく。
年相応の、満面の笑みだった。
「───おあとがよろしいようで!」