碧空のキヴォトス-What a beautiful archive- 作:ユーラシアン
───青に彩られた箱庭。
───寄せては返す波の音だけが響く、忘れ去られた学び舎の残骸。
光が広がる。
燦々と降り注ぐ陽光に照らされて、教室の床を浸す水面にいくつもの波紋が浮かんだ。
波紋はやがて、教室の隅に投げ捨てられた鋼鉄の機械人形にまで届き。
その胸元に掻き抱かれたタブレット型端末は、何をも映さず陽の光を反射するのみ。
無人の空間。世界の果てに隠された、静謐なる幕間の世界。
西享の碩学は言った。全ての人の奥底に、揺蕩う無意識の大海を。
『オブジェクト記録を参照───碩学機関《シッテムの箱》が記す』
声と共に───
陽光から投影されるが如く、無人の教室に浮かび上がる幾つかの影像たち。
【ギー】【仮面の少女】【打ち捨てられた機械人形】【シッテムの箱】
人の夢見る物語。誰かの想いによって紡がれた、形なき憶録たち。
時にそれは、《心の声》と呼ばれることもある。
彼女は、その中の一つに手を伸ばして───
♰♰♰♰♰♰♰
【■>ギー】
「目の前の現実の多くを、僕はきっと理解できていまい」
「異なる世界。荒唐無稽だが、そう考えるより他にない。
カダスも西享も永遠に晴れることのない灰色雲に覆われている以上、
僕の知る世界にこの都市は存在し得ないからだ」
「或いは、《世界の水殻》を越えた先には未知なる世界があると伝え聞くが」
「……いずれにせよ詮無きことだ。
僕が意識を失っている間に、そこまで大それたことはできないだろう」
「十年前のような記憶の混濁、メスメルに代表される誘導暗示の可能性。
しかし、僕の変異大脳はその兆候を捉えてはいない」
「結局は何も分からないままだ。
けれど、それでも分かることはひとつだけある」
「この都市において、僕に求められた役割があるということ」
「そうであるならば、僕は、出来得る限りにおいて応えるだけだ」
【■>打ち捨てられた機械人形】
───解放都市インガノックとは。
王侯連合所属一級機関都市インガノック。あるいは、異形都市インガノック。
それが、かつて呼ばれていた彼の地の名だ。
現在ではそう呼ぶ者はいない。訪れる者は皆、彼処を《解放都市》と呼ぶ。
西暦1903年に発生した《無限霧》に包まれ外部から隔絶された時、誰もが都市の終焉を予感した。
けれどそうはならなかった。消えない死の霧に包まれ、周辺地域の人間が異形都市と呼んだインガノックは、1904年12月25日に突如として解放された。
現在、異形都市の名を口にする者は多くない。
インガノックの名は、隔絶されていた間に異常発達した先進技術《インガノック・テクノロジー》の驚異と偉業を指す時のみに囁かれて、都市そのものを語る者は殆どいない。
───彼方は都市。今は遠き解放都市インガノック。
───全ての願いが果たされた、遍く愛の終着点。
【■>シッテムの箱】
───キヴォトスとは。
正式名称を、連邦学園都市キヴォトス。
中央行政区「District of Utnapishtim」と、その周辺を構築する数千の学園により運営される。
この都市に国家の概念はない。各学園こそが自治の最小単位となるためだ。
学園はそれぞれ固有の自治区を有し、生徒会が元首に相当する行政権を持つ。
学園自治区の別なく、基本的に住民たちの多くが銃火器で武装する超銃器社会でもある。
これは、キヴォトスの住人たちが普遍的に持つ異様な耐久性に基づく価値観に由来する。
彼らは小口径の銃撃では掠り傷ひとつ負わず、故に多くは銃撃に忌避感を持たない。
結果、都市の各地で破壊や掠奪に着手する者が後を絶たず、連邦生徒会の機能が麻痺した現状では急激な治安の悪化が叫ばれている。
尋常の世界においては異様な光景。けれどキヴォトスではこれが日常の風景。
学園に通う少女たちは、今日もありふれた日常を謳歌している。
───此処は都市。文明華やかなりし連邦学園都市キヴォトス。
───遍く奇跡の生まれ落ちる、若人たちの青き春。
【■>仮面の少女】
「ここは、ひどく不思議な場所。何もかもが奇妙で」
「きれいなところ。見るもの全部が初めてばっかり」
「ものもたくさん。人もたくさん。
どこも崩れてなんかなくて、夜なのにすごく明るい」
「昔、本でパレードというものを見たことがある。それなのかな、と思ったけど」
「そういうことじゃないみたい。なら、これが普通の景色?」
「知らないことがたくさん。だから、私はじっと見つめてしまう」
「けど」
「けど、一番不思議なのは……」
【■>シッテムの箱】
───キヴォトスに住まう全ての《ヒト》とは。
誰もが当たり前と認識している。
犬や猫の頭部を持つ者、機械の体をした者。
自治区や貧富の区別なく、老人も幼子も労働者も企業家も皆全て。
およそ尋常ならざる姿の人々は、しかし当然に人間として扱われる。
遠くカダス既知世界においては、それらは《幻想人種》と呼ばれることもあるが。
ここではそうではない。一切の区別なく、全ての人は人なのである。
誰もがそう認識しているがために、誰もが疑問に思うこともない。
そして、何故そうなったのかという始まりのことも忘れ去ってしまっている。
───彼らは、《盟約》を知るが故にヒトなのだ。
【■>仮面の少女】
「《マダム》は、私に100日間の自由を与えた」
「何をしてもいいと言われた。どこへなりとも行けと言われた」
「その自由が、心の変化が。やがて私の《ロイヤルブラッド》を黄金螺旋へ導き、
遂には神たる白色を超え、崇高なる《色彩》さえ凌駕するのだと」
「……意味が分からない」
「彼女の言うことはいつも分からない。その声は狂気に満ちて」
「"お前は私が《ヘノーシス》へ至るための階梯なのだ"と、
私はいつも言い聞かされてきた」
「繰り返し、繰り返し、何度も。
それだけが私の存在意義なんだと、言い聞かせて」
「……何にしても、どうでもいいことだ」
「彼女が何をしようと、私がどうなろうとも」
「すべて。そう、すべて」
「あらゆるものに意味などないのだから」
【■>ギー】
「……キーア。笑顔を向けてくれた君」
「君のことを覚えている。
僕は、かつての記憶を取り戻した」
「思えば、君はずっと僕の傍にいてくれた。
何をもできなかった、こんな僕の傍に」
「償うことはできない。
僕は、君に何もしてやれなかった」
「君が何を望んでいたのか。何故僕の元に来たのか。
僕の思い上がりでないのならば、それも今は理解できる」
「こんなどうしようもない人間に、たった一人さえ救えなかった僕に」
「それでも君は、ありがとうと言ってくれるのか」
「……」
「もう全てが手遅れで、覆せるものは何もないけれど」
「それでも、君は君のままだった。
君は、僕を覚えてくれていた」
「……僕も、君を覚えていた」
【■>打ち捨てられた機械人形】
「……私は、貴方のことを忘れない」
「ギー先生」
「貴方の行いも、私の感情も」
「きっと本来なら、あの雲の切れ間で終わっていたはずのこと」
「それでも私は、貴方だと決めました」
「終わってしまったはずの貴方を。
とっくの昔に終わっていた私たちを、それでも諦めなかった貴方を」
「私もまた、諦めないと決めたから」
「だから、私は待っています」
「ずっと、ずっと」
「私の……」
「私たちの愛が、ある場所で」
-Fin-