碧空のキヴォトス-What a beautiful archive-   作:ユーラシアン

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テウメッサの狐編
3-1


 

 

 

 

 

 忘れるという言葉は、大抵は否定的な意味で使われる。

 忘れたっていいものなんて、叶わない夢くらいなもの。

 

 それでも、

 私は、

 

 

 

 

 

   ♰♰♰♰♰♰♰

 

 

 

 

 

 その日は朝から慌ただしかった。

 ラブたちヘルメット団の面々がやってきてからのシャーレは随分と賑やかになっていたが、今回は少々性質の異なる忙しなさだった。いつものような、各々が好きに騒いでいるような賑やかさではない。張り詰めたような、どこかそわそわとした空気。そんな緊張でもしているかのような気配が、元ヘルメット団の生徒たちに蔓延していた。

 

 とはいえ、何か大仰な予定があるわけではない。

 面接を行っただけだ。それも合否を決めるような厳格なものではない、形式だけのもの。

 それでも方式張ったものに慣れていないのか、多くの生徒がガチガチに緊張していた。当人たちにとっては笑いごとではなかっただろうが、傍から見れば何とも微笑ましいものである。

 

 ともあれ。

 

「お疲れ様。流石にこの人数だと長くなってしまうね」

「いえいえ、先生こそお疲れ様です。先生が付き添ってくださったおかげで、彼女たちもずいぶんリラックスして話せたみたいですよ」

 

 応える声は快活に。

 卓上に広げていた書類を丁寧に纏めながら、奥空アヤネは朗らかに微笑んでいた。

 

「そうだといいのだけどね。如何せん、人の心に寄り添うのは難しい」

 

 苦笑し、ギーは席を立つ。後を追うようにアヤネも続いた。

 今日執り行われたのは、アビドスへの編入希望者21人の面談だった。

 シャーレで行われていた学習支援は、あくまで一時的な支援に過ぎない。2級学生の身分を保証し社会的なセーフティネットとして機能させていたが、ここで学生生活を終えるのは好ましくない。元ヘルメット団の生徒たちについても編入可能な自治区を広く探していた、のだが。

 

『ミレニアム? あたしらベンキョーとか全然できないッスよ?』

『いやー、いくらなんでも毎日抗争してるところは流石に……』

『体動かすのは好きだけど、じゃあスポーツでテッペン目指すかっていうと、うーん……』

『週一でクーデター起きるとこは無理ッス』

 

 などなど。

 キヴォトスの学園自治区は個性的なものが多い。そう言えば聞こえは良いが、特定の方向性に異様に特化した学園が非常に多いのだ。本人の資質や思い描く将来のヴィジョンに合致していれば問題ないが、そうそう上手い話はない。

 ヘルメット団のメンバーとなると更に話は難しい。彼女たちは今までその日暮らしの傭兵めいた、言葉を選ばずに言えば犯罪者スレスレの生活を送ってきた子供たちである。受けてきた教育水準は極めて低く、秀でた一芸は学業では評価されないものばかり。そうなると、所謂"普通の学校"でも馴染めるかは微妙なところであり、編入する自治区の選定には非常に苦慮したものだった。

 そうして選ばれたのが、アビドス自治区だったというわけである。

 

「でも本当に良かったのでしょうか。アビドスは、その……あまり魅力的とは言い難いと言いますか」

 

 もちろん私達は大歓迎なのですけど、と付け加えるアヤネに、ギーはあくまで穏やかな声で。

 

「何より彼女たち自身の希望だし、僕としてもアビドスの雰囲気は彼女たちに合っていると思う。自由が多い分、自分で考えて行動する力が求められるから、彼女たちもすぐに馴染めるだろう」

 

 それに、と一言。

 

「最近は良い方向に進んでいると聞いているよ」

「それは……はい、その通りです」

 

 アビドスの噂は、遠くシャーレまで届いている。

 驚くべきことに、ネフティス社による投資が再開したというのだ。

 あくまでハイランダー鉄道学園との共同で、砂漠横断鉄道事業を一部再開したに過ぎないが。

 借金が無くなり自治区としての信頼も取り戻した現在、人口の流出は抑制され多くの人間が出戻りしているのだという。

 アビドスの復興は、ギーの予想を超えて進行していた。

 

「ですので、今はどこも人手不足でして。うちに来てくださるのなら、正直いくらでも来てほしいというのが本音です」

 

 困ったように笑うアヤネは疲労の色を見せながら、しかし気落ちした様子は全く見えない。

 忙しいことには忙しいが、嬉しい悲鳴という奴なのだろう。

 

「本当はアツコちゃんにも来て欲しかったんですけどね。あの子は……」

「私の話?」

 

 ひょっこりと顔が出た。

 アヤネは「ひゃあ!?」と声を上げ、ちょっとだけ飛び退いてしまって。しかしそれが見知った人物だと悟ると、すぐに佇まいを直して。

 

「もう! あんまりビックリするようなことはしないでよアツコちゃん!」

「ふふ。まだまだ修行が足りないね、アヤネ」

 

 何やら得意がっているが、普通に行儀が悪いので軽く注意しておく。

 さておき、アツコがアビドスに編入できないのは当然の話だ。忘れがちだが、彼女は元の自治区から一時的にシャーレへ来ているだけなのだから。

 

 元々どこに所属していたのか、何故ここにやってきたのか。

 未だ彼女は口にしようとはしない。

 それでも構わないとは思う反面、そこまで信用されていないのだろうかという思いはあった。

 

「でもちょっと寂しくなるね。せっかく賑やかになってたのに」

「別に会えなくなるわけじゃないだろう。少し……いやかなり遠いが、アビドスにはいつでも行ける」

「そういう問題じゃないんだよ」

 

 ならどういう問題なのだろうかと問えば、アツコはぷいとそっぽを向いてしまった。

 

「あはは……私達はいつでも歓迎するから、好きな時に会いに来てね」

「ん……そうする」

「アツコちゃん、なんだかシロコ先輩に似てきました?」

 

 などと言っている間にシャーレの執務室が見えてきた。

 ギーは先んじて扉を開け、二人を中に招き入れる。

 そこには、

 

「おー、待ってたよみんなー」

「やっぱりちゃんとした設備ばっかよね、うらやま……って先生!?」

「ん、久しぶり」

 

 馴染み深い面々が、それぞれ思い思いにくつろいでいた。

 アビドスから離れて一か月も経っていないはずなのだが、どうも懐かしい思いに駆られてしまう。それなりの大騒動だっただけに、やはり思い出深いのかもしれない。

 

 ホシノはソファに寝そべり、セリカは併設されたカフェの備品を興味深そうに見ていた。シロコは早速アツコと向かい合い、ビシバシと何やら通じ合っている。

 それはいい、のだが。

 

「……」

 

 視線を感じる。

 奥まった隅っこから、何やらじとっとした気配。

 どうしたことかと見遣れば、そこには。

 

「……」

 

 十六夜ノノミが、どうにも居た堪れない様子でカーテンの影に隠れているのだった。

 

 

 

 

 

 

「ごめんね先生。ノノミちゃんってばずっとこんな調子でさ~」

「シャーレに行くって話になってから明らかに挙動不審なのよね。何がどうしたのよ」

 

 などと呑気だったり困惑した声が上がるが、当の本人は無言。

 言葉もなくじっとこちらを見ている。

 じっと。

 じっと。

 

「……」

「……」

「ああもう! 二人揃ってお地蔵さんみたいになってるんじゃないの!」

 

 そういうことになった。

 ギーとしても何もしないわけにはいかず、とりあえず自前の席に座ってみる。

 するとホシノがおもむろに起き上がり、とてとてと歩み寄ってきて無言でギーの膝に座った。

 

「……」

「……えへへ」

「……?」

「ああもう! なんか喋りなさいよアンタたち!」

 

 そういうことになった。

 とりあえずホシノを膝の上から離すと、真っ先に気になったことを尋ねてみる。

 

「ノノミとは仲直りができたのかな」

「うーん、まあぼちぼちかなぁ」

 

 何とも不明瞭な答えだ。

 視界の端ではシロコがノノミに近づき、何やら不思議そうに尋ねていた。

 

「ノノミ、調子でも悪いの?」「そういうわけじゃ……」「?」

 

 抱えた事情が事情なので複雑な心境になるのは分かるが、ギーに手助けできることは何もない。当人なりに折り合いをつけてもらうしかないだろう。

 ホシノはふにゃっと笑いながら。

 

「でも心配はいらないよ先生。ノノミちゃんも皆も良い子だからさ、話せば分かるってもんさ」

「それならいいが……」

 

 この辺り、ギーとしては本当にどうしようもない問題だ。だから渦中の人物であるホシノが心配いらないと言うのなら、それを信じるより他にない。

 

 視界の端では、シロコがアツコを連れてノノミの元に歩み寄っていた。「ほらノノミ、アツコだよ。久しぶりだよね」「……ノノミ? はじめまして、かな」「……ん?」「えっ?」「あうあうあうあうあう」

 

「けどホシノ、今日の面談をアヤネに丸投げしたのはどうかと思うよ」

「アヤネちゃんはうちの期待のホープだからね~。未来の生徒会長として、色々経験を積んでもらわないといけないのさー」

「せ、先輩! 私にそういうのはまだ早いというか……」

「謙遜しないの。私がいるうちは諸々やるけど、あと一年もないわけだしねー」

 

 照れたようなオドオドしたように焦るアヤネに、ホシノはあくまで笑いながら諭している。

 生徒会の代替わりは、確かに差し迫った問題の一つだろう。成人してから馴染みは薄くなるが、学生時代とは濃密ながらも短いものだ。実際、実直で聡明なアヤネはそうした役職にはうってつけの人物であるとはギーも思う。当人は一年生ということもあり、やはり気後れしている様子ではあるが。

 

「カバディ」「カバディカバディ」「「カバディ」」「う あ あ あ あ あ あ あ あ あ あ あ 」「うぁぁぁシ……シロコ先輩とアツコちゃんがノノミ先輩の周りを練り走ってる!」シロコとアツコが凄まじい速度でノノミの周囲を旋回し、ノノミはこの世の終わりみたいに混乱していた。何をやっているのだろうか。

 

「ところでさ、先生」

 

 ずい、とホシノが顔を突き合わせてきた。笑顔の中に何かを期待しているような、そんな気配が滲んでいる。

 

「先生は私に何か言うことがあるんじゃないかな~?」

「そう……なのか?」

「えっと、私に聞かれましても」

 

 アヤネはいつものように困ったような笑みを浮かべて、しかしギーには思い当たる節がない。

 何のことだろうと考え、ホシノと交わした会話を記憶の中から探り寄せて。

 

 

『君たちが全てを諦めるまでだ』

 

 

「……ああ、そうだったね」

 

 ギーは得心し、ホシノに向き直る。真摯にその言葉を伝える。

 

「どうやら僕の目は節穴だったようだ。アビドスの未来は閉ざされてはいなかった」

「そういう自虐が聞きたいわけじゃないんだけどなー」

「……ああ。君たちは、凄い子だ」

 

 聞いて、ホシノは笑う。心の底からの笑顔だった。

 

「先生はさ、私達が諦めるまで付き合ってくれるって言ったよね」

「ああ」

「諦めないよ。私は、私達は、ずっと。だから」

 

 袖を引かれる。

 手は握らず、ただ袖の布地をぎゅっと握って、ホシノは言う。

 

「約束だよ。ずっと一緒にいてね、先生」

「それは……」

 

 どう答えたら良いのだろう。

 ギーとしては確約できなかった。キヴォトスに骨を埋めるつもりはない以上、インガノックへ戻った自分が再びキヴォトスに来れるのかさえ。

 自分がシャーレに着任している間にアビドスの全問題を解決できるかというと、それもまた難しい。

 

 だからギーとしては、こう答えるより他になかった。

 

「……どう、なんだろうか?」

「だから私に聞かないでください」

 

 アヤネの声は、心なしか少し冷たかった。

 ホシノはずっと笑っていた。

 

 

 

 

 

   ♰♰♰♰♰♰♰

 

 

 

 

 

「でもまさか、アビドスの連中が受け入れてくれるなんてね」

 

 時は過ぎ、夕方。

 執務室から喧噪は消え失せ、ギーの他には二人ばかりが残るだけとなっていた。

 アツコと、ラブ。

 ここ一か月ほど変わらない、いつもの風景である。

 

「そんなに意外だった?」

「そりゃね。だってあそこ、カタカタヘルメット団から嫌がらせされてたんでしょ? うちらは違う所属ではあるけど、ヘルメット団には違いないわけだし」

 

 ラブは椅子に座り、自前のヘルメットを磨いていた。研磨剤に使っているのはクルミの殻である。話を聞くに実戦用と服飾用にヘルメットを使い分けているらしく、今は実戦用のヘルメットをわざとガサガサにしているのだそうだ。どれも同じでは?と口を滑らせたところ、えらく怒られてしまったことを思い出す。個々人の拘りや専門外の事への口出しはやめておいたほうが賢明であると、改めて思い知った一幕だった。

 

「むしろそういう経験や実績を買っているらしいよ。今アビドスに必要なのは、とにかく現場仕事のできる人材だからね。その点君たちは傭兵業の経験は豊富だし、DIYもお手の物と来た。彼女たちからすれば、喉から手が出るほど欲しい逸材だろう」

 

 ラブたちはこう言ってはなんだが長らく貧乏生活を送ってきた一団である。それも個人ならともかく、貧乏なままで集団を維持してきたスペシャリストだ。日曜大工から家庭菜園、自炊、修繕、ハンドメイド、撤去に発破と何でもござれ。これほど適任な人材はそういまい。

 ヘルメット団の気質とも合致していた。今更お行儀よくお勉強なんて、と思っている生徒が多かった中、今までの経験を活かすことができて手に職付けて活動できる自治区はうってつけだったのだ。破れ鍋に綴じ蓋というと聞こえは悪いが、どんな人間にも相応しい場所というのがあるのだろう。

 

「ま、そう言われると悪い気はしないわね。正直、先生をここに残していくのは心配でならないけど」

「安心して。私がしっかり付いてるから」

「アンタはアンタで気が気じゃないわよ、うちは」

 

 得意げに親指を立てるアツコに、ラブは呆れたように返す。

 ほんと先が思いやられるわ、とため息をついて。

 

「で、今日の夜ご飯はどうする気よ。ほら早速アンタたちの心配じゃない」

「……」

「先生、まさかまた抜かすつもりだったとは言わないわよね?」

「……一日くらいは平気だと思うんだが」

「んなわけないでしょうがっ」

 

 叱られると申し訳なくなるのだが、しかし現実問題として未だに固形物が受け付けない身としては、毎食口にするのは結構つらいものがあるのだ。

 今朝のメニューはコーヒーと切り分けられたリンゴを一切れ、昼はなし。今夜は栄養補給ゼリーでも無理やり流し込んで終わりにしようと思っていたのだが。

 

「こんな生活続けてる人間が心配しないでもらおうなんて百年早いのよ! ほらアツコ、アンタも先生のこと捕まえなさい!」

「私の心配もしてくれるんじゃないの?」

「アンタは放っておいても勝手に色々食べるでしょうが!」

 

 ぎゃーぎゃーと騒がしくなり、しかしこれが日常の空気。知らず頬の緩む気配があった。

 

「そうですよ、食事は体の資本なんですから。これを疎かにしてはいけません」

「良いこと言うじゃないの、先生も見習って……って、うん?」

「あれ?」

 

 騒がしかったラブとアツコの動きが止まる。今耳に届いた、明らかに聞き慣れない人の声。

 どういうことかと振り返ってみれば、そこには。

 

「どうもこんばんは。FOX EATSです」

 

 屈託なく笑う、その少女。

 狐の耳を生やした薄桃色の髪の少女は、いつの間に入室していたのか、当たり前のようにして笑っていたのだった。

 

 

 

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