碧空のキヴォトス-What a beautiful archive- 作:ユーラシアン
───青に彩られた箱庭。
───寄せては返す波の音だけが響く、忘れ去られた学び舎の残骸。
光が広がる。
燦々と降り注ぐ陽光に照らされて、教室の床を浸す水面にいくつもの波紋が浮かんだ。
波紋はやがて、教室の隅に投げ捨てられた鋼鉄の機械人形にまで届き。
その胸元に掻き抱かれたタブレット型端末は、何をも映さず陽の光を反射するのみ。
無人の空間。世界の果てに隠された、静謐なる幕間の世界。
西享の碩学は言った。全ての人の奥底に、揺蕩う無意識の大海を。
『オブジェクト記録を参照───碩学機関《シッテムの箱》が記す』
声と共に───
陽光から投影されるが如く、無人の教室に浮かび上がる幾つかの影像たち。
【ギー】【秤アツコ】【河駒風ラブ】【吉野ニコ】【打ち捨てられた機械人形】【シッテムの箱】
人の夢見る物語。誰かの想いによって紡がれた、形なき憶録たち。
時にそれは、《心の声》と呼ばれることもある。
彼女は、その中の一つに手を伸ばして───
♰♰♰♰♰♰♰
【■>シッテムの箱】
───カイザーコーポレーションとは。
キヴォトス内で活動する大企業。
単一の企業ではなく、多岐に渡る事業を手掛けており、様々な分野への進出を果たしている。
民間軍事、金融、観光業、インフラ整備、小売店、兵器開発……その事業は枚挙に暇がない。
学園が自治の最小単位となるキヴォトスにおいては他方の学園との交流は基本的にあまり盛んではないが、多くの自治区を跨いで進出を果たしたカイザーグループは例外的に自治区間を越境する独立勢力と半ば化している。
グループのロゴマークとして、彼らは王冠を被った蛸をモチーフとして掲げている。
触腕は支部や子会社を現し、それだけ多くの勢力を従えていることを示しているのだとか。
実利主義を掲げ伝統や旧習を嘲笑う彼らであるが、一方で独自の信仰を持つという噂もある。
占いなどのオカルティズム方面への販売戦略と当初思われていたそれは、社内で急速に浸透し、やがては多くの社員の間で共通の認識となったらしい。
追記:
■■年4月14日午前2時36分に発生した落雷事故により、カイザー本社は深刻な損害を被った。
落雷の衝撃によりビル外壁は崩落し、内部で火災が発生。消防隊が駆けつけたものの火勢は激しく、ビル全体が黒煙に包まれる事態となった。幸いにして深夜帯であったことから人的被害は最小限に抑えられたが、本社ビルは全壊状態となり、復旧の見通しは立っていない。
不可解なことに、この落雷事故は本社のみならず、カイザーグループの多くの支部・子会社で同時多発的に発生した。業種や規模の大小を問わず、少なくとも50を超える施設が同様の落雷被害を受け、火災や構造損壊が報告されている。
連邦生徒会気象室のデータによると、この時間帯の雷活動は局所的かつ強力であったが、そもそも雷雨など発生しておらず不可思議な挙動を取っていたという。また、不思議なことに周囲の一般建築物や他企業施設には一切被害が及んでおらず、カイザーグループの関連施設のみが標的のように集中して打撃を受けた。専門家からは「自然現象とは思えない選択性である」との指摘も上がっており、気象異常や人為的要因である可能性も視野に入れ捜査が進行している。
事故発生と同時に、カイザーグループの主要経営陣及び幹部クラスの社員複数名が行方不明となっていたことが明らかになった。CEOのプレジデント氏をはじめ、CFOや主要部門責任者ら少なくとも20人以上が本社から姿を消したと見られる。ヴァルキューレや警察当局は行方不明者の捜索を急いでいるが、関係者からの情報では「予兆は無かった」「事故直前、何の用もないはずなのに本社へ向かっていた」との証言が相次いでいる。一部では事故との関連性も疑われているが、事故現場である本社や関連施設から遺体は発見されていない。
現在、カイザーグループは中堅社員を中心に緊急体制を敷き、事業の立て直しを図っている。
株価は事故報道後、急落を記録しており、市場関係者は「グループの存続すら危ぶまれる」と警鐘を鳴らす。グループ広報部は「全力を挙げて復旧に努め、顧客・株主の皆様にご迷惑をおかけしないよう努める」とのコメントを発表したが、詳細な原因究明は今後の調査に委ねられる。
追記2:
カイザーグループ本社ビルおよび複数関連施設に対する大規模落雷事故の付随現象として、複数の目撃証言により「正体不明の巨大影」の出現が報告されている。
最も信頼性の高い複数証言では、最初の落雷が本社ビル屋上付近に直撃した直後(2:36:12~2:36:18頃)に「影」の出現が確認された。影の可視継続時間は約18~45秒程度と推定。2回目の落雷事故(2:36:42頃)直後に影は急速に消失したとの報告が上がっている。
複数の目撃証言では、皆一様に「蛸のようなシルエットだった」と口を揃えている。
落雷事故との関連性は不明。
本事象は単なる付随現象ではなく、極めて異常かつ選択的な出現現象であると判断する。
目撃情報の拡散防止のため、関係者への厳格な口外禁止指示を継続するとともに、映像データの完全秘匿および第三者解析機関への委託を急ぐ。
並行して、経営陣行方不明事案との関連性についても極秘裏に調査を進める予定である。
───文責、ヴァルキューレ警察学校公安局長 尾刃カンナ
【■>秤アツコ】
「わあ……わぁあー!」
「ニコが持ってきてくれたいちご大福、とっても美味しい……!」
「すごい。何がどう凄いかは分かんないけど、でも絶対凄い。だってこんなに美味しいんだもん」
「だってね、だってね、これ普通のいちご大福じゃないんだよ」
「なんと、あんこが白いのです」
「白餡って言うんだって。私、あんこって全部黒いと思ってた」
「なんていうかなめらかで、上品な感じ。それにねそれにね、入ってるいちごもすごいんだよ」
「甘酸っぱいってこういうのを言うんだね。お大福なのにすっごく瑞々しいの」
「……でも、ひとつだけ不満がある」
「先生、ちっとも食べてくれない」
「すっごく美味しいよって言っても、曖昧に笑って誤魔化すばっかり」
「もったいない」
「きっと、一緒に食べればもっと美味しいのに」
「本当にもったいない」
「……もったいないなぁ」
【■>河駒風ラブ】
「アツコはね、変な奴よ」
「あーんなツラして、本当はすっごい図太いの。顔なんて見えないけどね」
「どこぞのお嬢様かなんか? って思ってた頃が懐かしいわ。
大人しそうなフリしてホントは暴走特急。うちらの誰より手が早いわね、あれ」
「それで実は嘘つき。や、嘘つきってほどでもないけど」
「我が物顔で人生楽しんでますってアピールしてるけどさ。
いらないところで変な気をつかって、本当にしたいことを諦めてんの」
「手はかかるし、面倒くさいし」
「かわいい妹分よ。これは本音ね」
【■>打ち捨てられた機械人形】
───SRT特殊学園とは。
Special Response Teamの名を冠する、キヴォトスにおける法執行機関の最高学府。
キヴォトスにおいて全般的な治安維持を担うのはヴァルキューレ警察学校であるのだが、連邦生徒会防衛室の管轄に過ぎず自治区への干渉に大きな制限を持つことから、こうした問題から脱却し早期解決を図る目的で創設された学園である。
連邦生徒会ではなく連邦生徒会長という個人の権限に基づいた組織であるため、その全責任を連邦生徒会長が担う形で運用される。事実上の私設兵力にも等しいものの、創設以来多くの難事を解決に導いた実績により、多大な信頼が寄せられていた。
全ては過去の話である。
SRTは連邦生徒会長の失踪に伴い、ヴァルキューレ警察学校へ併合されることが決定された。
この決定は、キヴォトスにおける他自治区への介入がどれほどの大事であるかを示している。
RABBIT小隊による子ウサギ公園占拠事件の鎮圧以降、この廃校命令に表立った反論は寄せられていない。
【■>吉野ニコ】
「……正義という言葉」
「薄っぺらい言葉だ。
今日日、子供ですら素面じゃ使わないような使い古された言葉」
「こんなことを大っぴらに言う人間なんてそうそういないだろう。私だってそう思う」
「けど、少なくともあの時の私は、本気でそれを信じていた」
「まだ私がFOX小隊として在れた時」
「正義なんて言葉を。私は、無邪気に信じていた」
「……今はどうだろう」
「正義。世界をよりよくするために行われる、全ての努力」
「……良くしてるのかな。私は、私達の行いは」
「ただの言い訳……」
「ううん、言い訳ですらないと思うのは」
「私だけ、なのだろうか」
「……よく、分かんないや」
【■>河駒風ラブ】
「ニコは良い奴よ」
「気配り上手で、素直で。
"みんな仲良く"なんて、マジで考えてるようなお人よし」
「うん、それは間違いないと思うわ」
「けど、なんていうのかしらね。なんかちょっと無理してない?」
「や、無理して良い人を演じてるとかそういうんじゃなくて」
「なんだろ。良い人であることに負い目を感じてる?」
「なーんかね。見てるとたまに、変な目することがあるのよね」
「罪悪感って奴? うちにはあんまり縁もなかったタイプの感情」
「いや実際どうだか知らないけどね。うち、難しいこと分からないし」
「でもそう考えると嫌な奴よね」
「したくないことをしてみたり、したいことができなかったり」
「酷い奴よ」
「あいつにそういうことさせる人間が、さ」
【■>秤アツコ】
「私は今、すごく楽しい」
「毎日が楽しい。次の日が来るのが楽しみ」
「昨日はこんなことがあったよ。今日はこんなことをするんだ。明日はどんなことがあるんだろ?」
「ずっとそんなことばっかり。私、すっごく幸せ」
「……けど、ね」
「それがずっと続くわけじゃないのは分かってる。終わりはいつか、必ず来る」
「《マダム》は私に百日間の自由を与えた」
「何をしても良いと言われた。どこへなりとも行けと言われた」
「百日が経ったなら、アリウスへ戻すとも言われた」
「あそこに戻った時、私がどうなるか。とっくの昔に自覚している」
「多分、これは私への罰なのだろう。私ひとりが幸せになったことへの」
「でも、後悔はない」
「百日分の幸せを抱えて。私は、あの暗がりへ戻ろう」
「彼とは二度と会えなくなるとしても、きっと、笑顔でお別れしよう」
「そう考えてる」
「だって、最後になるのなら……」
「最期に残る私の記憶は、何よりきれいな笑顔であってほしいから」
「そう、私は考えている」
【■>シッテムの箱】
───防衛室とは。
連邦生徒会統括室に直属する十一の部署のひとつ。
キヴォトスにおける治安維持を一手に担う部署であり、直下にはヴァルキューレ警察学校を従える。
その業務から清廉潔白であることを厳に求められる部署であるが、この部署に関して黒い噂が絶えることはない。現室長である不知火カヤが着任するより遥か以前から、複数の企業との癒着が噂されている。
目下、その傾向が最も強いのはカイザーコーポレーションであろう。
キヴォトスにおける最大企業たるカイザーグループだが、防衛室との繋がりは十年以上に渡る。
SRT創設に際しては防衛室とカイザーグループの繋がりが暴露されており、少なくとも表向きはこうした不祥事は鳴りを潜めたとされている。
現室長不知火カヤが着任した時点で、公的にはそうした繋がりの多くは根絶された。
と、されている。
【■>ギー】
「……ニコという少女」
「拭えない違和感が付き纏う。彼女は、明確な目的を以て僕に接触している」
「シャーレや僕を気に入って入り浸っている? まさか、そんなことはあり得ない」
「職業支援か学業への復帰支援か、或いはSRT存続の嘆願か。
大方そのあたりだろうと、最初は考えていたのだけど」
「……違和感がある。彼女は何を考えている?」
「最初に彼女を見た時。感じたのは諦念と、強迫観念だった」
「彼女は何かを諦めている。その上で、何かをしなければならない焦燥に囚われている」
「前者の理由は早々に分かった。SRTという過酷な環境に身を置いた彼女だ、並々ならぬ信念あってのことならば、廃校の決定に唯々諾々と従いたくはないだろう気持ちは理解できる」
「だから後者についても、SRTの存続あたりが理由だと思っていたのだけど」
「そうではない。彼女は、何かを強制されている?」
「今の彼女に命令する人間はいない。連邦生徒会長は既に姿を消した」
「ならばヴァルキューレや、或いは更にその上の……」
「……分からない。彼女は何に怯え、忌避しているのか」
「スズミに語ったもの……」
「正義。人の理想であるべきもの」
「今の彼女はそれに反している? そう考えてしまうだけのことをしている?」
「……違和感が付き纏う。彼女は、何を求めている?」
【■>河駒風ラブ】
「先生は酷い奴よ」
「悪人とか犯罪者ってことじゃないわよ。
あれくらいバカみたいなお人よし、うちは初めて見たし」
「ただ、なんて言うのかな。先生は人のことを舐めてる」
「バカにしてる」
「どうでもいいって思ってる」
「そこまで言っちゃうと言いすぎかもしれないけど。
でも大方のところは間違ってないと思う」
「先生は……多分、自分のことをゴミかなんかだって思ってる」
「身の回りが雑なのもそう。碌に食べないのもそう。
他のとこじゃ滅茶苦茶几帳面なのに。心配性ってくらい他人の心配は細かくする癖に」
「なんで自分のことに限って、あんなに興味がないんだろう」
「だから自分に向けられたことにも興味がない。
好かれても嫌われても、"ああそっか"くらいにしか思ってない」
「それって、すごく失礼なことだと思う」
「うちはまあ、いいけどさ。
恩は感じてるし普通に好きってくらいだし。もちろんLoveじゃなくてLikeって意味でね」
「でもそういうものも"ああそっか"くらいにしか感じてないって考えると。なんかムカつく」
「人の感情って、そういう安いものじゃないと思うのよ。
好きになるのも嫌いになるのも、言っちゃえば全身で向き合ってるわけなんだしさ」
「もしも。
いつか先生のことを、本当に好きって言ってくれる人がいたとしても」
「"ああそっか"で済ませちゃうのは、なんだか悲しいなって」
「そう思うのよね。余計なお世話だけどさ」
【■>吉野ニコ】
「私は……」
「私は、道具でありたかった」
「一振りの刃でありたかった。
一発の銃弾でありたかった」
「朝が来れば消えてしまう、一夜の嵐でありたかった」
「そうすれば考えることもなかったのに。
命じられるままに使われる、ただの道具ならよかったのに」
「けれどそうはなれない。
私は心を凍て付かせることはできないし、獣のように血に酔うこともできない」
「笑ってしまう。エリートだなんだと言われて舞い上がっていた私は、正義なんて言葉に憧れた小さな子供のままで」
「儘ならないなんて分かり切っている現実に迎合することもできない、幼稚なガキんちょでしかなかった」
「必要なことだと割り切れず、嫌だと突っぱねることもできず」
「気付けば、あの日の私が一番なりたくなかった汚い大人に私はなっている」
「私の夢はもう叶わない。だからさっさと忘れてしまいたい。そのはずなのに」
「私は……」
「忘れることさえ、できないままで……」
【■>打ち捨てられた機械人形】
───超人とは。
一般に知られる超人思想とは異なり、キヴォトスにおいては一個人を指す。
すなわち、連邦生徒会長である。
文字通りに超人的な能力と精神力を有し、彼女は万人に認められた。常軌を逸したカリスマ性、都市の運営を一手に担う手腕。彼女の下に全ての悪性は曝け出され、その行動の全てに瑕疵はないのだと。
誰もが信じ、疑うことはなかった。ミレニアムのビッグシスターや、全知を戴いた彼女でさえ。
そうであれば、超人と呼ばれた彼女は一体何者であったのか。
ツァラトゥストラ卿の説く、世界という激流に在って確固たる己を確立した人間であるのか。
三位一体にして虚空より来たる光輝そのものであるトート師が戴く異名の通りであるのか。
それともシッダルタの教えを受けることなく菩提へ到達した独覚の体現か、或いはストア派の語るアタラクシアの境地へ至ったのか。
どれも違う。
彼女はただの人間だった。
かつて都市に在った時と同じく。
ただ生まれ、そして生きた、それだけの人間に過ぎない。
そのことを知る人間はもういない。
《未来編纂者》は既に都市を去った。
彼女はただ、黄金螺旋の果てで待つのみである。
ただひとつの、愛を信じて。
-Fin-