碧空のキヴォトス-What a beautiful archive-   作:ユーラシアン

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 かつて、ニコは正義の味方だった。

 

 変身したりロボットに乗り込んだりして、街を脅かしたり人々を恐怖に陥れる邪悪な怪人なり秘密結社なりを相手に、正義や絆のパワーを手に立ち向かい、世界の平和を守り続けていた───他の、同年代の幼い少年少女と同じように。

 

 幼い頃の記憶。

 世界には正義があるのだと疑問すら持たなかった、過去。

 多くの幼子に共通するであろう他愛もない経験。

 

 過去の記憶。

 幼少の思い出は既に遠く、実感を以て思い出すことはあまりできない。

 今にして思えば中々に気恥ずかしくて、積極的に思い出そうとも思わない。

 

 けれど。

 確かにニコは、正義の味方だった。

 

 画面の向こう側のヒーローや魔法少女に憧れ、その存在に成り切り、邪悪な怪人なりに義憤していた。当たり前の、どこにでもいる子供のごっこ遊びとして。

 

 ニコが他の子どもたちと違ったのは───

 成長した彼女が、実際に正義の味方と呼べるだけの存在になったことだ。

 

 超常的な力を持つわけでも、優れた科学技術に支えられるわけでもない。

 けれど、確かに、ニコはヒーローとなった。

 本当の意味で正義の味方となった。

 誰かの命を、人生を、尊厳を守る者になった。

 そんな誇りと共に生きることができた。

 

 過去の話だ。

 全ては遅きに失して、残ったものは何もない。

 

 ニコは、正義の味方では、ない。

 

 

 

 

 

   ♰♰♰♰♰♰♰

 

 

 

 

 

「ふわーーすっごい人だかり!」

 

 驚喜の色を滲ませた声が、青空の下を吹き抜けていった。

 きょろきょろと物珍し気に辺りを見回すニコの言葉通り、そこは人でごった返していた。

 絶え間ない人通りのざわめきが充ちる向こう側、視界の先に映るのは大きな、大きな輪。鋼鉄の輪。そして黒い城の姿。

 大型観覧車に、中世期の城を模造した建築物。

 人々が余暇を楽しむためのアミューズメントパーク。

 名を、ボーダーランド遊園地という。

 

「噂には聞いてましたけど、本当に賑やかなところですね。なんていうか彩りも鮮やかで……

 って、すみません。なんかひとりで盛り上がっちゃって」

「構わないよ。君が楽しんでくれるのなら何よりだ」

 

 そもそもニコの提案でやってきた場所だ。彼女が満足できるのならそれに勝るものはない。

 照れくさそうに笑うニコを見て、ギーはそう思考する。

 けれどニコは何やら不満があったのか、上目遣いにギーの顔を覗き込みながら。

 

「そういう先生はちっとも楽しそうじゃないですね。遊園地、実は行き飽きてたりします?」

「いや……」

 

 むしろ来るのは初めてだった。

 機関式遊園地はギーの知る限り、かなり新興の娯楽だった。

 大国では蒸気機関式自動車をはじめとする重工業企業として成功を上げていたフォード社なる企業が展開していたフォードランドが有名であると、西享出身の人間から伝え聞いたことがある。北央帝国ではどうだっただろうか。西享文化の流入はあるものの、王候連合出身の自分にとっては縁遠いものだった。

 

 幻想文学(メルヘン)じみた様相。

 鳴り響く軽快な音楽。

 夥しい数の電光掲示板と、案内の先にある無数の遊具。

 そして何より、人の群れ。

 

 何もかもが初体験ではあった。文化の違いという意味では、ギーも大いに驚いている。

 

「そういうことじゃないんだけどなぁ」

 

 そんな心の裡を素直に打ち明けてみれば、呆れたようなニコの返答。

 仕方ないなぁと、まるで要領の悪い後輩の面倒を見るかのような声で、彼女は言う。

 

「でもまあ、今日はそれで良しとしましょう。先生がぶきっちょなことは重々承知の上ですから」

「そこまで言われるほどだろうか……」

 

 勿論、自分を器用だとは全く思ってないけれど。

 ニコの声には朗笑の響きがあった。揶揄っているだけだと分かる。

 

「ともかく。ここは楽しむための場所なんですから、先生も楽しくならないと損ですよ。

 ここは思い切って童心に帰って、私と一緒にはしゃぎましょう?」

「……君は」

 

 何かを言おうとして、しかし寸でのところで抑え込んだ。

 ギーは、自分の不用意な発言が時に場を凍らせることを自覚している。

 

 だから、それは敢えて言わないことにした。

 少なくとも、楽しもうとしている彼女の気持ちを壊したくはなかった。

 

「……いや、僕なりに努力はしてみるよ」

「努力って。もう、そういうことじゃないのに。本当に先生は変わり者ですねぇ」

 

 ニコは笑う。心から楽しそうに、面白そうに、笑う。

 そのように見える、ようにしている。

 だからギーは敢えて口にしない。

 

 

 

「君も、楽しそうには見えない」

 

 

 

 その一言は、決して、口にはしない。

 

 

 

 

 

 

「あははっ、思ったよりはやーい!」

 

 視界が廻る。廻る。手すりのない座席は慣性を殺せず、廻るに任せてギーの体は傾ぐばかり。

 コーヒーカップという遊具らしい。食器のカップを模した乗り物は、床面の回転とは別にハンドル操作でカップ自体を回すことができる。ニコがやっているのがそれだった。彼女は何とも豪快にハンドルをぐるぐると回し、それに合わせてカップは加速度的に回転速度を増していく。その分ギーたちの体も振り回されていく。

 まるで攪拌される鍋の具材のようだ、と。

 最近のシャーレでは見慣れた光景となったユウカたちの後ろ姿が脳裏を過ぎる。

 そんなギーの様子を知ってか知らずか、ニコは黄色い声を上げながら。

 

「そーれ、逆かいてーん!」

 

 同時に、横合いから殴りつけられるギーの体。

 最高潮まで加速していたカップが突如逆回転を始めたのだから、今までの回転速度の分だけ慣性がかかる。こうなると狭いカップの中は大騒ぎだ。あっちへグラリ、こっちへグラリ。景色は二転三転し、像を結ばず横に間延びした色彩の多重線にしか見えなくなってしまう。

 

 何もかも廻る世界の中で。

 同じくカップに乗っているニコの姿だけが、変わらず視界の中央に在った。

 彼女の姿だけが、目に映るすべての中でただ一つだけ完璧だった。

 

「いやぁ、思ってたよりスリリングでしたね」

 

 搭乗時間はものの数分で終わったが、既にギーの体力はごっそり削られていた。

 目が回り、足元がふらつく。対照的にニコは満面の笑み。

 姿勢も所作も全く崩れていない。三半規管もギーとはまるで別物であるようだった。

 

「ねえ先生、次に行きましょう?

 ほらあれ、今度は───」

 

 

 

 

 

 

「なんでここを選んだか、ですか?」

 

 ボーダーランドにも当然として飲食のブースはある。

 メルヘンチックな様式に合わせた店舗はやはり幻想小説にでも登場しそうなコンセプトで。やたら凝った内装に彩られた店内にこれまた凝った見た目の料理が、結構な値段と共に運ばれてきている。

 

 ニコはテーブルに肘を置いて頬杖をついて、指先でスプーンを弄びながら「うーん」と呻いて。

 

「別にそんな大した理由はないですよ。単に初めてだったんです、こういうところに来るの。

 ほら、私ってそれなりに厳しい環境にいましたから。遊びに行く機会なんて全然ないんですよ」

 

 SRTならそうだろう。だがそれ以前の、彼女にも当然としてあっただろう庇護されるべき子供としての期間について、ニコは口にしようとはしなかった。

 

「なので、折角なら先生と一緒にって思ったんです。貴方とはもっと仲良くなりたいなって、前からずっと思ってたんですよ」

「そうか」

「つれないですねぇ」

 

 ニコは若干ふてくされたような様子でストローへ口をつける。

 グラスの中の色鮮やかなジュースが見る間に嵩を減らすのを見ながら、ギーは続ける。

 

「そう言ってくれるのは嬉しいけどね。単位や支援が目的でないなら僕に接触する意味などないだろう」

「あら、先生って結構人気だったりするんですよ? 陰のあるところが素敵とか、よく見ると中々イケメンとか。SNSじゃたまにトレンドに載ることだってありますからね」

「それこそ笑えない冗談だ」

「先生、元から全然笑わないじゃないですか」

 

 ほらと差し出される携帯端末に映るSNSのページをまともに見ることもなく、ギーは嘆息する。

 シャーレの職員という立場がそうさせるのだろうか、あまり活動的でない自分を話題にする人間がそれなりの数存在するというのがそもそも予想外だった。情報監視社会という揶揄もあながち間違いではないかもしれない。

 

「話題になるというのなら、僕よりシャーレで定めた学生支援制度を挙げて欲しいんだが」

「広まりやすいのはどうしてもゴシップのほうですからねぇ。不良学生なんかも彼らなりの生活基盤を築いてる場合が殆どですし」

 

 そもそもそういう層は真面目な募集用件なんて見ませんから、とニコが締め括る。

 

「つまるところ広報不足ってことです。先生、そこらへんはちゃんとしましたか?」

「……ぐうの音も出ないとはこういうことか」

「反論を諦めるのが早すぎですよぅ」

 

 高度に情報化されたキヴォトスでは情報の更新は著しく、量も膨大だ。

 そのことは分かっていた……つもりではあった。しかし1か月半という僅かな時間では、肌感覚としては未だに慣れないというのが本音である。そもそも広報活動に熱心で敏感な性格だったら、かつてのギーは巡回などせずとも診療所で座っているだけで多くの患者が押し寄せてきたことだろう。

 

 そうはならなかった。

 だからこの話はここでおしまいだ。ギーという人間は、そもそもそういう性格ではなかったというだけの話だ。

 

「何の話をしてるんでしたっけ?」

「君がこの遊園地を選んだ理由」

「ああ、そうでした。まあ要するに、先生とのお近づきの印ということで。

 素直に受け取ってくださいね、先生?」

 

 そういうことになった。

 ヒマリといい、どうしてか自分の周りにはロマンス的な言い回しを好む生徒が多いなと。

 そんなことを、ふと思った。

 

 

 

 

 

 

「バイバイ、お姉ちゃん!」

 

 風船を掴み手を振って離れていく子供を、ニコと二人で見送った。

 ニコは控えめに手を振り返していて。その笑顔は心からのものに思えた。自分に対するものとは違って。

 

「いやー、泣き止んでくれて良かったです。一度気持ちが昂ると中々落ち着きませんから」

「君の慰め方が良かったのだろう。子供の相手は慣れているのか?」

「うーん、まあ接する機会はそれなりにありましたけど……」

 

 照れたように、満更でも無さげにニコは言う。

 

 事のあらましはこうだ。

 大声で泣きじゃくる子供がいた。見れば、頭上の木陰には引っかかった風船の姿。うっかり手を離して取れなくなってしまったのだろう。大人から見れば微笑ましい光景、けれど当人の子供にしてみれば涙を浮かべてしまうほどの事態。それを目にしたニコは、声をかける暇もなく一目散に駆け出して。

 

『よっ、と』

 

 大きく跳ね飛び、そのまま風船を掴んで着地してみせた。

 実に見事な跳躍だった。理想的なフォームの、陸上選手として遜色ない動作。そうした競技に疎いギーから見ても、一瞬見惚れてしまうほどに。

 ニコから笑顔で風船を手渡され、ぽかんとした顔の子供は、しかし次の瞬間には破顔して。

 

『……ありがとう』

 

 そういうことがあった。

 小さな親切だ。

 けれど、涙を浮かべる子供にとっては、どれほどの救いであるのか。

 それを知ってか知らずか、ニコは肩を竦めて。

 

「……聞きましたか? 私、"テルミットホワイトみたい"だそうです」

 

 それは別れ際、あの子供がニコに感謝と共に伝えた言葉。

 この遊園地で舞台演劇が開催されている演目、魔法少女ヘヴィキャリバーの主役の名だった。

 

「いいんじゃないか? それだけ格好良かったということだろう」

「それは……まあ、そうかもしれませんが。でもヒーローとか正義の味方とか、そういうのは流石に子供っぽすぎるといいますか。もう魔法"少女"って歳でもありませんし」

 

 努めて軽く言う。しかしそこには、照れや子供らしさへの反発とは別種の拒絶が滲んでいた。

 

 少なくとも。

 ギーには、そのように聞こえた。

 

「まあ小さな子供の言うことですので。ここは素直に受け取っておくことにします」

「……君は」

 

 正しいことは正しく行い、陳腐な言い回しと腐すこともないと思っていた。

 そう言いかけた言葉を、ギーは口には出さず呑み込んだ。ニコは怪訝そうに振り返って。

 

「先生、どうかしました?」

「いや……」

 

 思えば。

 昨日スズミと話してから少しおかしい気がしなくもなかった。正義と理想についての話。

 

「何でもないよ」

「そうですか? 変な先生ですね」

 

 それだけ。

 ただそれだけの話だった。

 

 

 

 

 

 

 そうして時間は過ぎていく。

 ニコは楽しんでいた。少なくとも、表面上は。

 彼女はよく笑い、よく動き、よく喋った。まるで年相応の少女であるように。何の憂いもなく、ただ休日のひと時を過ごす子供であるように。

 

 本当に───

 この瞬間を、楽しんでいるかのように。

 

 それでも時は来る。

 中天に坐す太陽は傾ぎ、青空は赤く、そして昏く染まっていく。

 

「もうこんな時間なんですね」

 

 すっかり忘れていた、と言うような声音。

 ニコは後ろを振り返り、試すような笑みを浮かべて。

 

「どうします? 先生としては、もう遅いから帰るようにって言っちゃいますか?」

「そうだね。付け加えるなら、夜道は気を付けるようにと言い含めるだろう」

「やっぱり。先生は変に生真面目なのが長所で欠点ですよね」

 

 ニコは笑う。穏やかな目元も、暖かな気配も変わることなく。

 

「普通ならもうちょっとこう、今からパレードでも見ていこうか、なんて気の利いたセリフを言ってくれるものですよ?」

「それは僕以外の人間と来た時に言えばいい」

「それ、本気で言ってるならちょっと軽蔑です。女の子が二人きりで異性を誘う意味、ちゃんと分かりますよね」

「君が本気で言ってないからね、僕も本気では返さないさ」

「あら、バレちゃいました?」

 

 ニコは後ろ手に組んで、照れ隠しであるかのようにくるりと回る。

 ギーに背を向けて、その表情は伺うことができず。

 

「なら最後に一つだけ。先生、一緒にアレに乗りませんか?」

 

 そうやってニコが指さすのは、大きな城を背にして聳え立つ、これまた大きな鋼鉄の輪。

 

「観覧車か」

「ええ。この遊園地で一番高いところ。一番、空に近いところ」

 

 既に黒く染まりつつある、星が見え始めた空を見上げながら。

 

「ゆっくり話せたらと思ってたんです。レストランもいいですけど、如何せん人の声が多いので」

「……」

「良ければ、一緒に来てはもらえませんか?」

 

 中途半端に伸ばされた、ニコの手。

 遠慮がちに差し出され、けれどすぐさま引っ込められる。

 ギーはその手を握ることはせず、ただ一言。

 

「なら、そうしようか」

 

 そういうことになった。

 

 

 

 

 

 

 観覧車にはすぐ乗ることができた。

 アトラクションの類は大体順番待ちが常なのだが、幸運にも列は空いていて。

 すんなりと乗り込めた。丸い形の、数人が入ればいっぱいになる程度のゴンドラ。

 

 扉が閉まり、ゴンドラはゆっくりと地上を離れていく。

 ゆっくりと、おおよそ人が歩く程度の速度。

 地を歩く人々の顔が遠く判別できなくなるくらいの時間をかけて、ニコは口を開く。

 

「思えば、話す機会なんて今までいくらでもあったんですよね。シャーレでも、もちろん今日も」

 

 夕焼けの、赤と黒が入り混じった濃淡の光に照らされて。

 真正面に座るニコは、幽玄にも感じられる微笑みを湛えながら。

 

「最近はゆったり過ごせる時間が増えました。なんだか楽しくて、居心地が良くて。

 それもこれも先生のおかげです。ありがとうございます」

「……いや」

 

 何と答えたら良いのだろう。

 自分は彼女に何もしていない。ニコがそう思うことができているのなら、功労者はきっと。

 

「心境の変化があったのならば、それは君自身の変化だろう。僕は何もしていない」

「もう、人からの感謝は素直に受け取ってくださいな。これ、前にも言いましたよね?」

 

 どうだろう。

 自分はその手の文句は言われすぎているから。あまりにも今更な話だった。

 

「それで、二人で話したいこととは?」

「ムードもへったくれもないですね。まあいいですけど」

 

 そうしてニコは口火を切る。

 

「ねえ、先生」

 

 それは、多分。

 

 

 

「先生は、RABBIT小隊を知っていますか?」

 

 

 

 ───彼女が自分に対して向けた、初めての本音の言葉。

 

「……いや、初耳だ」

「……そう、ですか。いえ、そうでしょうね。先生はそういう人ですもの」

 

 言葉からは、徐々に親しみの色が薄れていっていた。

 今まで貼り付けていた親愛の塗装。それが、急速に剥がれ落ちて。

 

「私の後輩です。SRT時代の後輩。

 月雪ミヤコ、空井サキ、風倉モエ、霞沢ミユ。

 みんな優秀で、真面目で、私たちの可愛い後輩だった」

 

 言葉は過去形だった。

 今はもういない人間を語る声だった。

 

「先生は、彼女たちがどうなったかも知らない。そうですよね?」

「……どうも、ヴァルキューレに転校したというわけではなさそうだが」

「お察しの通りです。でも私みたいな根無し草になったわけじゃないですよ」

 

 ニコは笑う。出来の悪いコントを見た時のような、馬鹿馬鹿しいと鼻で笑うような声で。

 

「全員逮捕されました。彼女たちは今、矯正局に収監されています」

「……」

「まあ当然の話です。彼女たちが何をしたか分かりますか?

 SRTの廃校に抗議したんです。でもそのやり方が間違っていた。

 DUの公園を占拠して、立て籠もって、無差別に発砲して、公安局と警備局に攻撃して……

 デモどころかテロルですよね。法執行官としてあるまじき暴挙です」

「……君は、それを不服に思っているのか。或いはシャーレの権限なら免罪できると」

「まさか」

 

 ニコは笑う。笑い続けている。

 こんなバカなことがあるのかと、嘲笑にも似た響き。

 

「どう言い訳しようが彼女たちの行ったことは言語道断の蛮行です。SRTとしてどころか、人として、社会の構成員として絶対に超えてはいけない一線を踏み越えた、許されざる犯罪者です。逆に聞きますが、先生は彼女たちを許すべきと思いますか?」

「思わない」

 

 返答に時間はかからなかった。

 ギーは変わらず無感の表情で、淡々と言葉を続ける。

 

「もちろん、僕は今君から聞いた以上のことは知らない。だがその限りとして言うならば、彼女たちに情状酌量の余地は見当たらない。極刑やそれに類する刑罰を科せとまでは言わないが……公然と法を犯してしまった以上、相応の対応を受ける必要はあるだろう」

 

 ギーはその場におらず彼女たちのことも知らない以上、彼女たちが抱えていたであろう諸々の事情や心情については何も言えないにせよ。この案件はギーに庇える範疇を逸脱しているし、庇う気もなかった。或いは、テロルを起こすより前に相談を受けていれば話は別だろうけれど。

 

「社会人として百点の回答ですね。私も大体同意見です」

「……」

「でも同時にこうも思います。どうしてあの子たちは、そこまでやっちゃったのかなって」

 

 意図の読めない言葉だった。

 何故、彼女たちはそのような暴挙に及んでしまったのか。

 それは───

 

「あの子たちは、それだけSRTのことを愛していた」

 

 それ以外に理由などありはしないだろう。

 

「誇りも居場所も失い、何をしていいかもわからず、ただ闇雲に当たり散らすしかなかった。

 不毛で無様で見苦しい。けど、頭で分かってても心が言うことを聞かない。

 それはSRTを本当に想っているからこそ。理性で抑えられる感情なんてきっと偽物なんだ」

 

 ニコはギーを見る。射抜くような視線。

 

「なら、私は?」

 

 声には熱が籠り始めていた。感情がもたらす熱量。

 

「本当にSRTのことが好きだったなら……私はこんな状況に耐え切れず、とうに狂っているべきだとは思いませんか?」

「……」

「SRTのことは好きでした。でも現実に耐えて生きていることを思えば、それを疑わしくも思えます」

 

 ニコは立ち上がる。ゴンドラを揺らすことなく、ゆっくりと。

 一歩、一歩。踏みしめるようにして近づいてくる。

 

「私はずっと悩んでいました。本当はどうすべきだったのか。SRTとしてどう在るべきだったのか。でも話は簡単でした。そもそも理性的に考えること自体が間違っている、だってSRTの廃校は正しいのですから。正否を問うた時点で前提が違っていたんです」

「結局のところ、君は何が言いたいんだ」

「こういうことですよ」

 

 ニコは腰のホルダーから拳銃を引き抜き、まっすぐとギーの額へ照準する。

 突き付けられる、真っ黒な銃口。

 

「SRT復活こそ我が悲願。シャーレ廃絶こそ我らが使命。何を迷うこともなかった、最初からこうしていればよかった」

「……」

「ここに誘い込めたのは好都合でした。外部から助けも呼べない、誰も来れない密室。警戒心が無さすぎるんですよ、あなたは」

 

 語気が荒くなる。口調が早くなる。

 荒事に手をつけることによる否応のない興奮が、精神を支配し始める。

 

「どうしました? 驚いて声も出ませんか?

 ああそれとも、私に裏切られてショックでしたか?

 残念でしたね、あなたが言ったことじゃないですか。

 "何か目的がなければ接触してくる意味がない"。ええ、全く以て同感ですよ」

 

 向けられた銃口はブレない。引き金が引かれたら、その瞬間にギーの命はないだろう。

 それは自明だった。ギーもそのことを過不足なく理解していた。

 だから。

 

「何か言ってくださいよ。それもできないくらい腑抜けましたか?」

「……そうだな」

 

 ギーの言うことなど、最初から決まっていた。

 

 

 

「撃つといい。それで君の目的が達成されるなら」

 

 

 

 何を言っているのか分からなかった。

 疑問も悪態も吐くことができず、ニコはただ、無言で彼を凝視するしかなかった。

 だって、それは。

 

「何を……言って……」

「撃てばいい。君が何を目的とし、僕を殺した後どう切り抜けるかは知らないが。

 あらゆる全てを考慮して尚その結論を導いたのなら、そうすればいい。僕は否定しない」

「だから、何を……!?」

「ああ、けどできるならあと一週間ほど待ってほしい。まだラブたちの転入手続きが済んでいないからね。アツコの返校についても進めておきたい。心残りといえばその程度だから、それが済めばあとは君の好きなようにすればいい」

 

 何を気負うこともなく、事もなげにそう言って。

 ギーは、変わらない無表情でニコを見つめ返した。

 

「どうだろうか?」

「バカじゃないですか」

 

 にべもなかった。

 一周まわって落ち着きを取り戻したのだろう、ニコは努めて冷たい声音で返す。

 

「何を言ってるのか分かってるんですか。それとも私を動揺させるつもりですか?」

「どうもこうもないが……一応言っておくと僕も積極的に死にたいわけじゃない。

 君の目的がシャーレの廃絶というのなら、そうしても構わない。別に惜しむものではない」

「だから……!」

 

 ニコの声は再び荒げ始める。心底理解できない、そう言いたげに。

 

「それがおかしいって言ってるんですよ!

 シャーレを捨てていい? 何バカなこと言ってるんですか!

 シャーレですよ、シャーレ! 連邦生徒会長からあらゆる超法規的特権を与えられた、キヴォトス勢力図における単一の特異点! それをあっさり捨てられる人間が、一体どこに……!」

「僕はシャーレにも、それに付随する権限にも特に価値を見出していない。取り潰したいのならそうすればいい」

 

 ギーの表情は何も変わらない。

 彼は嘘を言っていない。

 自分の命も、シャーレの権限さえも、本当に無価値と断じている。

 

 そのことが分かってしまったから。

 

「……なんで」

 

 ニコは、

 

「どうして、あなたは……」

 

 震える声で、

 

「どうして……っ!

 私達が全部捨てても欲しかったものを、ゴミみたいに言うんですか……!」

 

 言葉は止められなかった。

 ニコは拳銃を投げ捨て、両手でギーの胸倉を掴む。乱暴に引き寄せ、顔を突き付けて叫ぶ。

 

「あなたに何が分かるんですか! シャーレの、SRTの持つその価値の、何が!」

「……」

「二つは同一の管轄で運用されていた、どっちも連邦生徒会長の権限で成立していた!

 なのにSRTは廃校になって、シャーレはのうのうと活動を続けて!

 その分際で何の価値もない? いつでも捨てていい?

 ───ふざけるなッ!」

 

 掴んだシャツが千切れるほどの握力で握り締め、言葉に合わせてギーに叩きつけた。ギーの体は前後に揺れ、背は座席のシートに強かに打ち付けられてゴンドラが揺れるけれど。彼の表情は何も変わらない。それを知ってか知らずか、ニコは忌々しげに顔を歪めて、そして。

 

「それにどれだけの価値があるかも分からないくせに! 私達がどれだけ求めたのかも知らないくせに! 私達が、どれだけ……ッ! 地べたに這い蹲って、何もかも裏切って! みんなで誓った約束さえ、自分で踏み躙ってまで取り戻したかったそれを、お前は……!」

 

 ニコの言葉からは整合性が失われていた。

 脈絡のない叫びには背景を類推できるだけの情報はなく、要領を得ない吐露から零れ落ちた単語を繋ぎ合わせて推測するより他にない。

 

 つまるところ、彼女は。

 

「汚職にでも手を染めたか」

「ッ! ええ、ええそうですよ。SRTを再興できるなら誰でもいい、そう縋りついて私達は……!

 自分たちは道具だからと、意志のない銃に過ぎないからと、心を殺して……それなのに」

 

 癇癪に近い怒声は徐々に鳴りを潜めて、震えが混ざり始める。

 ニコは睨むようにギーに向き合って、そして。

 

「壊滅しちゃったんですって! 私達を雇ってたところ、私達に約束した連中が、いつの間にか! 知らないうちに! 綺麗さっぱり消えてなくなっちゃったんですって!」

「……」

「そんなの、もう笑うしかないじゃないですか。正義のためにと私達が捨てた誇りも矜持も思い出も何もかも、何の意味もなかったんだって。そんなの……」

 

 胸倉を掴む腕は、いつしか縋りつくばかりとなって。

 ニコは項垂れるように顔を埋めて、嗚咽にも近い吐息を吐くばかりで。

 

「そんなの、あんまりじゃないですか……」

「……」

 

 返答はなかった。

 何の言葉もなかった。

 何かを言う権利がないとか、そういうことではなく。

 本当に、何も言うことがなかったのだ。

 

「……私は」

「……」

「私は、あなたのような大人が、大嫌いです」

 

 絞り出すように呟かれたその一言に、ギーは。

 

「同感だ。君はよく人を見ている」

 

 軽口にも等しいその答えに、項垂れるニコは何も返さなかった。

 沈みかけた夕日が差し込んで、ゴンドラの中に暗い影を落とすばかりだった。

 

 

 

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