碧空のキヴォトス-What a beautiful archive- 作:ユーラシアン
「アンタさ、先生とケンカでもしたの?」
「えっ?」
何気なく問われた。
それが自分に対する言葉だということに、ニコは一瞬気付くことができなかった。
ちらりと周囲を伺い、まばらに居るシャーレの生徒たちはしかし自分たちの会話に加わってもいなければ聞き耳を立てているわけでもないと確認してから、ようやくそれが自分への疑問であることを自覚する。
ニコは「あー」とか「えっと」とか曖昧に呟きながら、ようやく意味ある言葉を絞り出す。
「わ……私が?」
「アンタ以外に誰がいるのよ」
テーブルに頬杖をついて座るラブは、「はぁ」と呆れたように息を吐く。
ニコは何とか誤魔化そうと曖昧に笑って身振り手振りをしようとして、止まる。
何度も口を開こうとするが、そのたびに言葉は出ず、意味を為さない音が漏れるばかりである。
「その……ほ、本当に何でもないよ?」
「それで誤魔化せてるって思ってんならある意味大物よね」
何も言い返せなかった。
彼女にしては珍しく俯くばかりのニコに、ラブはもう一度大きくため息。
「この前二人で遊園地行ってからよね。次の日からあからさまに様子が変だったし」
「うぅ……」
「言っておくけど、あの鈍いアツコにもバレてるわよ。自分も連れてけー、なんて騒いでたあいつが、アンタのしょげた様子見て空気読んでるんだから相当よね」
「あうぅ……」
「時間を置けば元に戻るかと思えばそうでもないし、他の皆も声かけるタイミングなくなって困ってんのよ。ガサツなうちらだけで今までやってきた分、他の連中のデリケートな問題にどうしたら? なんて戸惑ってる感じ」
「返す言葉もありません……」
本当にそう言うしかなかった。
メンタル面のセルフケアは軍属としては最低限の職務だ。今の自分はそれすらできてないということで、しかも隠すこともできず周囲に心配を強いている。
SRTとしてあるまじき怠慢だ。
かつてならそう恥じただろう。けれど今はその資格さえないと分かっている。
だから。ただただ、自分という未熟者が情けないばかりだった。
「で、さ」
「うん……」
「アンタ、先生に何酷いこと言われたの?」
「うん……うん?」
あれ?
「えっと……私が"された"こと前提?」
「そりゃあねえ。アンタが何かやらかすって想像つかないし、先生あれで相当ひどいし」
だってさ、とラブ。
「デリカシーはない、冗談は通じない、人の話は聞かない。
ああ見えて結構ワンマン。頑固だし融通は利かないし、その癖身の回りはテキトー。
普段は一言少ないくせに、肝心な時は余計な一言が多い。
ね、対人関係でいつかやらかすって思うでしょ?」
「え、えっと……」
どう答えたらいいんだろう。
一部同意できる部分はあるけれど、思い返してみれば悪いのは全面的に自分なわけで。
"ニコは悪い人間じゃない"という信頼の目が、どうにも痛かった。
「話しかけづらいってんならさ、うちが言って先生に土下座させるから。アンタだっていつまでもこのままじゃ居心地悪いでしょ?」
「それは……」
そう、なのだけど。
いつまでもこうしていられないことは、自分が一番分かっているのだけど。
それでも。
「ニコ?」
「……だ、大丈夫だから! うん、全然、何ともないから。大丈夫。大丈夫だよ。
心配してくれてありがとうね。でも大丈夫だから、安心して。ね?」
それだけを何とか言い切って、ニコは勢いよく立ち上がり小走りに去っていく。
後ろは振り返らない。ラブがどんな顔をしているのか、何故だか見たくなかった。
合わせる顔がない。
そんな思考だけが胸中に反響して、走り去るニコは他の何も考えることができなかった。
「あー……」
小走りに消えていくニコに中途半端に手を伸ばして、ラブは行き場なく声を漏らす。
「もしかして、うちやらかしちゃった?」
やっちまったー、と頭を抱えるように呟く。そんなつもりでは全然なかったのだけど。
ニコの手前ああ言ったが、ラブはギーが一方的に悪いとは思っていない。
確かに色々駄目な大人だとは思っているけれど。それでも彼は悪戯に人を傷つけはしない。そういうのは彼の持つ性質とは真逆であると理解している。
とはいえそれはニコも同じなわけで。
でもどっちも良い人だとしても、それでも時にぶつかってしまうのが人間なわけで。
「愚痴の一つでも言ってくれたら、なんて思ってたんだけどな」
大局的に見れば何の意味もないことであっても、言葉ひとつで心が軽くなるのなら。
陰口というわけじゃないけれど、愚痴の言い合いでもできたらと思っていたのだけど。
「難しいなぁ……」
人の心は難しい。
そんな、どこかで聞き飽きたようなフレーズを口にする。
同時に、そんなものに日々向き合い続けている人間の偉大さを、ラブは改めて思い知った。
◆
「せー!
んー!
せー!」
扉を開けたら、衝撃が腹部に飛び込んできた。
そのまま尻もちをつくように後ろへ倒れ込んで、何とか後頭部を強打することだけは避ける。
回転する視界と重力に翻弄され目を回し、一体何が起きたのかと視線をやれば、そこには。
「……アリス?」
「はい! お久しぶりです、先生!」
ギーの胴体に抱き着き、鳩尾の辺りに顎をつけて、その少女は満面の笑みを浮かべていた。
アリス。人に非ざる子。かつて名も無き神々の王女と呼ばれ、今は人として在る子。
その体は未だ鋼鉄であるものの。人たる理性と悟性を備えた彼女は、ミレニアムの生徒として籍を置いている。
彼女がここにいるということは、つまり。
「アリスがここにいるということは、君も一緒に来ているのだろうね。ヒマリ」
「ふふ。ええ、その通りですよ先生」
後方に目を遣れば、そこには予想通りの姿。
白磁の車椅子に腰かけた痩身の少女が、嫋やかに笑っている。
明星ヒマリ。彼女もミレニアムに在籍する、ギーにとっても見慣れた人物だった。
ギーがアリスと出会うきっかけになったのも、元を辿れば彼女との契約にある。
デカグラマトン。神を自称する特異存在。その追跡の道程において、後にアリスと名付けられる少女はギーたちと邂逅を果たすこととなった。
思えば数奇な巡り合わせである。そして彼女たちとの縁は途切れることなく今も続いている。
「ところで、今日は何故ここに?」
「具体的な用事がなければ来てはいけないのですか?」
「そういうわけじゃ……」
ギーの言葉に、アリスは一転むくれた表情となって。
「先生はあの時、何と言ってくださいましたか?」
「あの時、とは」
「私の中で色々やってくれた時です」
問われ、ギーは言葉に詰まる。
勿論覚えてはいるのだが、あの時はとにかく余裕がなかったので自分が何を口走ったのか、正直記憶に自信がない。大まかなニュアンスとしてなら分かるけれど。
そんなギーを察してか、アリスは「仕方ない」といった風情で。
「"君ともっと話がしたい、そうする時間はたくさんある"。そう言ってくれたはずです」
「……ああ、確かにそうだったね」
「で、お話してくれましたか?」
「……」
してなかった。
実はギーの側に色々仕事が立て込んでいたということもあるのだが、アリスはどうやら忙しい日々を送っていると風の噂で聞いていたというのもあった。特異現象捜査部に入部しエイミから手ほどきを受けているとヒマリは嬉しそうに言っていたし、ゲーム開発部なる部活に入り浸っているとユウカがやはり嬉しそうに語っていたので、ギーとしても「元気でやってるんだな、良かった良かった」と安心した気持ちがあったのだ。自分がいなくとも楽しく日々を謳歌してくれるならそれに越したことはないと、そう思っていた部分もあった。の、だが。
「先生は嘘つきです」
「……」
「先生。私はちょっと怒っています」
何とも返答のしようがなく、助けを求めて視線をやれば、ヒマリは笑っているばかり。
自分で蒔いた種なんだから自分で何とかしろと言われているかのようだ。
ともあれ。こういう時にやるべきことなど一つだろう。
「……すまなかった。だが決して君を軽んじていたわけじゃないんだ」
「ではどういうつもりだったんですか?」
「その……僕がいなくても大丈夫なんだな、と」
「はい指導」
パシッ、と額にデコピンされる。
不義理をしたのは間違いなく自分の側だから、ギーは甘んじてそれを受けた。
「そうやってご自身を軽視するのは先生の悪い癖です。やめてください。
あなたとの繋がりを重視する人に失礼ですし、その結果約束を破るなんて不誠実ですよ」
「本当にすまない。耳が痛いな……」
アリスは目覚めてひと月も経っていないはずなのだが、そんな彼女に諭されてしまった。
情緒と教養の習熟を喜ぶべきか、至らぬ自分を恥じるべきか。
「けれど、君を無下に思っていたわけじゃないのは本当だ。君のことは色々な人に聞いていたよ」
「本当ですか?」
「ああ。君は特異現象捜査部に入ったと聞いている。そこでの毎日はどうだろうか」
いつまでも床に倒れているわけにはいかないので、アリスと共に立ち上がる。
二人に椅子とお茶請けを用意して、ゆっくり話を聞く態勢を取る。
「充実している……のだと思います。何せこうした営みは初めてのことですので」
「勉強や訓練のほうは順調ですよ。というより、覚えが早すぎてそろそろ教えることが無くなりそうです」
オーバーテクノロジーの産物であり、元々はミレニアム全土の情報を収集・解析可能だったアリスのことだ。確かにそうした技術や知識の習得は速いのだろう。
「でもそれだけじゃありません。先生も聞いているでしょうが、アリスは部活を掛け持ちしてまして」
「確か……ゲーム開発部、だったか」
ゲームと聞くと、ギーとしては旧くからあるボードゲームやカードを思い浮かべるものの。
現代におけるゲームとは電子的プログラムによって構築される最先端の技術体系だ。蒸気機関ではなく電子工学の産物ということもありギーには馴染みがないものの、ウォレス機関情報網をすら超える超技術の産物を扱っていると形容するとその凄さの一端が理解できる。
「私は専らオブザーバーとしての参加なんですけどね。プログラミングの類はユズとライアが行っていますし、イラストはミドリのように個性を出せませんし。モモイのシナリオを修正したり、全体的な日程を調整したりって感じです」
ギーには聞き覚えのない個人名がちらほら。楽しそうに語るアリスの顔は、本当にその部活が好きであることが伺えた。
「ちなみに、先生のことも結構話題に挙がりますよ」
「僕が?」
「はい。自分たちを見捨てた大魔王だってよくモモイが言ってます」
言われ、そういえばと思い出す。どこかで聞いた部活名ではあったが、あれだ。ショッピングモールでユウカに聞いた時よりも更に以前、シャーレのメールボックスにゲーム制作における救援要請が来ていたことがあったのだ。
とはいえ。
「それは良かった。正しい方向に導くための嫌われ役ならいくらでも引き受けよう」
最初に受け取ったメールに書かれていた内容は要領を得なかったため、本人たちへの追加の質問文やミレニアムでの内情視察を行った結果、定例会の無断欠席による通達の未把握、単純に作業をサボって期日間際になった事実が判明した。となるとギーの出番は皆無だろう。自分たちのやるべきこと、自分たちでやれることをまず全部やってみる。その上で尚も助けが必要ならば手を差し伸べる。ギーは自分のスタンスをそう定めていた。
その旨の返信を行って以降、ゲーム開発部からの応答はなかった。アリスの話を聞くに、彼女たちは独力で目的を達成できたのだろう。強い子たちだ、素直にそう思う。
「まあ、モモイも本気で嫌ってるわけじゃなくて、ちょっと不貞腐れたり癇癪を起こしてるって感じなので。そのうち部室に来てはみませんか?」
「……僕が? いや、それはまずいだろう」
本気で嫌われてるわけじゃないというアリスの言葉は嬉しいものの、では親睦を深めましょうとはなるまい。いきなり無関係の部外者が訪れては相手は委縮するし、ギーも何を話していいか分からない。
自分が関わらなくても幸福に生きられる人間は、是非にそうすべきだと思う。
ギーはそう考えている。現象数式という特異な力と、このキヴォトスにおいてはシャーレの持つ権限。自分が他者から望まれるのはその二つに留めるべきだ。そうであるはずだ。目の前のアリスのような例外を除けば、その二つ以外の何かを自分に求める人間はいない。そうであるべきだ。
「その話は追々としてだ。そういえばリオはどうしている? 忙しい身ではあると思うが」
露骨に話を変えたギーに、しかしアリスとヒマリもまた露骨に顔を逸らした。
間違いなく何かがあった顔だった。
「えっと、その……」
「先生、残念ながら……いえ、あのような下水糞煮込みが先生の前に現れないのは残念でもなく当然なのですが。それはそれとしてリオは当分ミレニアムから出られないでしょう」
「……それは、どうして?」
ただならぬ気配に内心恐る恐るとギーは尋ねる。
アリスはこの世の悲痛を体現したかのような表情で、言う。
「リオはバカみたいにセミナーの資金を使い込んでいたんです。その総額……500億」
「今現在分かっているだけでも、ですね。実際はこの数十倍の額を横領しているはずです」
「……? 横領? リオが?」
俄かには信じられない話だ。
何せ彼女の個人資産は膨大の一言に尽きる。ギーが万回生まれ変わったとしても到底稼ぐことはできない額だ。そして彼女は私欲の類とも無縁であるし、そうした不正に手を出すイメージは全く湧かない。
「先生の疑問は理解できます。リオはこの世で最底辺の廃棄孔に等しい下賤の身でありながら、それでも金銭欲に目が眩む人間ではないと仰りたいのでしょう」
「ああ。後半に関してだけ同意する」
「簡単に言うと、リオはアリス……というより名も無き神々への対策を講じていたんです。
機関要塞都市エリドゥ。ミレニアムの最先端テクノロジーを詰め込んだ、攻撃と防衛に特化した都市群。十万都市に匹敵する設備と大計算機と共に、ミレニアムの自治区にも並ぶ大都市をリオは造っていたのですよ」
言われ、ギーも納得する。デカグラマトン、そして名も無き神といった外的要因に対して、リオは神経質なまでに気にかけていた。それは自治区を治める為政者としての責任であり、他者のために自らを犠牲にする彼女の優しさでもあった。
「まあ、私やリオであれば半年もあれば工面できる額ではありますが。今回の場合は単純に時間が足りなかったのでしょう。彼女の懸念とはまた別に、実際アリスが目覚めたりしていますからね」
「そういうことで、悪事がバレたリオはユウカと一緒にお説教部屋に消えていきました。出てくるにはもう少しかかるでしょう」
遠い目をしながらアリスが締め括る。
大凡の事情は理解できた。何が何だか分からないが、とりあえずは分かった。
ギーから言えるのは、一つだけ。
「……いつも大変だな、ユウカは」
それだけは間違いない事実だった。
◆
アリスとヒマリを連れ立って、ギーはシャーレの廊下を歩いていた。
外は陽が傾きつつあった。夕方には少し早いものの、二人が来てからそれなりの時間が経っている。せっかくの来客なのだから、せめて見送りくらいはするのが礼儀と考えたのだ。
「デカグラマトンの預言者は、今のところ動きは見られません」
ヒマリの口調は明日の天気でも話すように軽かった。
実際、彼女にとってこの話題はそのくらいの認識なのだろう。執務室での談笑はあくまで談笑だけで終わった。今回の来訪に際しては、そちらのほうが本命だったのだ。
「捜索と警戒は続けていますが、これに関しては続報待ちですね。こちらから動けることはありません」
「ああ。また僕の手が必要になったら連絡してくれ。その必要は、もうないのだろうけど」
そのはずだ。アリスの一件でリオとヒマリは本当の意味で連携することが可能となった。更には二人を繋ぐ鎹とも言えるアリスが、いずれエイミすら超えるであろう戦力を以て加入している。となれば、もうギーの出る幕はない。精々がシャーレの権限で他自治区への介入を容認する程度だが、それくらいならば手段を選びさえしなければヒマリたちならいくらでも代用が利くはずである。
自分はもう必要ない。
ギーにとって、それは福音ですらあった。かつて異形都市を彷徨っていた時と違い、この都市における自分は異物であると自覚している。そんな自分を必要としない社会は、それ自体が一つの理想でもあった。
「うーん……」
「どうかしたか、アリス」
「いえ、またあの時みたいな目になってるな、と」
じっとギーを見上げるアリスは、責めるような無表情で。
また何かをしてしまったのだろうか。そう考えるけれど心当たりは特になく。
そうこうしているうちにアリスは続ける。
「まあいいです。先生が言って聞かない人なのは知っています」
「……否定はしないが」
「だから別にいいです。また自分を投げ出すようなら、リオと一緒にぶん殴ると決めているので」
「……」
返す言葉は特になかった。
こんな自分にかかずらう必要はないよ、と言いたかったが、それを言ったが最後どういう反応を返されるかは目に見えていた。
好きにすればいいと思う。
少なくとも、今まで散々自分の好きにやってきたギーに、それを否定する権利はなかった。
そんなことを考えながら歩いていた。
その時だった。
「……」
「あっ……」
ばったりと出くわしてしまった。
それは、ここ一週間ほどで見慣れてしまった少女の姿。薄桃色の髪も、大きな獣の耳も、鍛え上げられた痩身も、鋭くも表情豊かであるはずの目元も、何もかもが見慣れた姿だ。
吉野ニコ。
彼女は驚愕と居た堪れなさを滲ませた表情で、固まったように立ち尽くしていた。
「……」
「……あの、先生。こちらの方は?」
「……ああ。最近シャーレに来る子でね。良ければ仲良くしてやってくれると有難い」
そう言って、ギーはニコの隣を通り過ぎようとする。
何かを言うことはない。自分が言うべきことは全て言い終えている。
その上で、彼女がやはり自分を許せないと言うのならばそれでいい。自分は甘んじて受けるのみだ。
一歩、一歩とニコに近づく。彼女を見ることもなく、通り過ぎようとする。
けれど。
「待ってください」
声が上がった。
それは静まり返った廊下に、やけに明瞭に響いた。その場の全員に否応なく聞こえる声。
アリスは、ギーの歩みを押しとどめるようにして、言う。
「違ったならすみません。でも言います。
お二人は喧嘩しているのですか?」
「それは……」
どうなのだろう?
少なくとも、ニコは自分に対して明確に嫌悪と悪意を向けている。
その是非はともかくとして。なるほど確かに、自分は嫌われて当然の人間ではある。
それだけの話だ。嫌われて然るべき自分を、彼女が嫌っているというだけの話。
ニコは戸惑ったように、或いは慌てたように。アリスへ語り掛ける。
「えっと、その、違うの。そうじゃなくて。
君が誰かは知らないけど……あ、初めまして?
うん、でもそうじゃなくて。先生とは別に喧嘩してるわけじゃなくて、ね?」
「いえ、あなたはいいです。問題は……」
にべもなく切って、アリスはつかつかと歩み寄る。
その対象は、ギー。
「先生です。あなたは何をやっているのですか」
「僕?」
「どうして逃げてるんですか、彼女から」
ギーの動きが今度こそ止まった。
端的な言葉だった。だからこそ否定はできなかった。
「駄目ですよ先生。そういうのは、駄目です」
アリスの言葉は静かで、責める気配はなかった。
代わりに彼女は必死だった。どうしてかは分からない。けれど確かに、彼女は決死の思いで言葉を紡いでいた。
それは。
「お二人がどういう関係なのか、どうして気まずいことになっているかは分かりません。けど。
そういうのは駄目です。向き合わないのは駄目なんです。
相手に失礼とか、そういうのもあります。けど、それよりもっと重要なのは……
先生が逃げているのは、向き合わないのは、自分が嫌われて当然とか考えているから」
そうですよね? というアリスの言葉に。
ギーが返事を発することはなかった。何もかもがアリスの言う通りだった。
アリスはギーを掴む。その袖を、ぎゅっと抱く。
「そうやって自分を捨てるようなことは、絶対駄目です」
アリスは知っている。そういうあやふやなものを、人なら誰もが持っているはずのものを切り捨てて、恐ろしく鋭くなることを願った人を知っている。
それはかつての調月リオの理想だ。彼女がそう在ろうとして、遂にはなれなかった姿だ。
リオはそうならなかった。それは何故か。
ギーと出会ったからだ。そのことを、アリスは知っている。
「それは、駄目です。人は自分を大切にするものなんです。
先生のそれは優しさなんかじゃなくて。他人を使って自分を突き刺しているだけです」
アリスはギーから離れる。
ギーは、アリスの視線から逃げることはなかった。
「そんな悲しいことは、しないでください」
その一幕を目にして、ニコは。
「……なんだ」
どこか吹っ切れたように笑いながら。
「先生、色んな人から好かれてるじゃないですか」
大嫌いと言った自分に、同感だと言ってのけたこの大人は。
そんな自認とは裏腹の人間関係をしているようだった。何とも滑稽なことである。
「えっと……ごめんね? その」
「アリスです」
「うん、ごめんねアリスちゃん。そしてありがとう、先生のために怒ってくれて。
でも大丈夫。というか先生は悪くないの。悪いのは全部、私」
実際問題その通りでしかないだろうと思う。
何せいきなり押しかけて、理由も経緯も言わずに銃を突き付けて脅して、挙句の果てに殺そうとまでしたのだ。客観的な視点を持つまでもなく、ギーは完全なる被害者である。
その上で。
「大丈夫だよ。私はちゃんと向き合うし、先生もきっと逃げないから」
「……君はそれでいいのか」
「今更じゃないですか?」
色々と言いたいことも、あるにはあるけど。
それらは全部後回しだ。それより先にやるべきことがあるだろう。
そう思うことができたから。ニコは真っすぐにギーと向き合って。
───外で、大きな爆発音が木霊した。