碧空のキヴォトス-What a beautiful archive-   作:ユーラシアン

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 俺は屑だ。

 俺はその事実を明確に自覚している。

 

 別に犯罪歴があるわけでも、後ろ暗い過去があるわけじゃない。

 代わりに、誇れるようなものもない。

 努力すべき時に努力せず、懸命な人間を陰でせせら笑って生きてきた。

 似たような連中とつるんでヘラヘラと慣れ合う日々に「本当にこれでいいのか?」と思うことは多々あれど、それで簡単に変われるなら誰も苦労はしない。

 決心も痛みも、罪悪感と呼べはしない小さな後悔も、眠って忘れてはいおしまい。

 手の届かない栄達を夢見ながら、所詮夢だと鼻で笑い、羨んでるのに努力はせず。

 単調な繰り返しの日々に大した危機感さえ抱かず、ぼんやりと、なんとなく、その日その日をやり過ごす毎日だった。うっすらとした居心地の悪さを感じはすれど、それをどうにかしてしまおうと行動できるだけの情熱はあいにく持ち合わせていなかったから。

 

 だから自分が今の職にありつけたのは、単純に運が良かったのだろう。

 カイザーPMC。あの有名なカイザーグループの系列会社の一つに木っ端とはいえ滑りこめたのは、俺自身の努力や能力が云々というよりは巡り合わせの面が大きかった。民間軍事会社なんてものに応募してくる人間はそもそも真っ当ではないのだから、俺のような屑でも色眼鏡なしに見てくれたこと。そしてクソのような職場故に、常に人手不足だったからだ。

 

 そこでも俺は変わらなかった。

 学生から社会人になろうと、成人を迎えようと、それで別人になれるわけじゃない。

 ご同類同士でつるみ、下世話な会話と明け透けな欲求、後は上司や世の中への不平不満を愚痴り合いながら業務をこなす日常。自分たちのやっていることが非合法に近いグレーであり、不幸になる人間を量産していることは理解していたが、そんなことは知ったことじゃなかった。顔も知らない人間の人生より、今日の帰りを五分でも早めるほうが何億倍も重要だった。

 

 挑戦などしたくない。成長などしたくない。責任など取りたくない。

 でもそんな自分のまま良い思いだけはしたい。疲れず騒がず傷つかず、そんなゲームのイージーモードめいた日々はずっと続くのだと呑気に信じ込んでいた。

 

 そのはずだった。

 あの、けたたましい雷雨の日までは。

 

 

 

 

 

   ♰♰♰♰♰♰♰

 

 

 

 

 

 そんな都合の良い話なんてない。

 それは最初から分かっていたことだ。誰に言われるまでもなく。

 

「──────ッ!」

 

 頬を掠める熱に振り返ることもなく、ニコは無心で引き金の指を引き続ける。

 引くたびに、視界の向こうで誰かが倒れる。

 その繰り返し。走って、隠れて、飛び出して。後は引き金を引けば勝手に敵は倒れていく。

 ただ、それだけのこと。

 

「……」

 

 力を込めることはない。筋肉の強張りは悪戯に体力を消耗し、動きを硬直させる。

 戦闘においては脱力こそが肝要。そうすると、今度は思考まで弛緩してくる。

 緊張と繰り返しの中で気が遠くなってくるのだろう。日頃の訓練とは、そうした弛緩した意識でも十全に戦えるよう、動きを反射の域にまで肉体に刷り込ませる意図もある。

 深く何かを洞察する必要のない、反射での戦闘。

 

 何も考えなくていいというのは。

 こんなにも楽なことだっただろうか、と。

 

 愚にもつかない思考が浮かぶ。頭とは裏腹に体は勝手に動き、手榴弾のピンを抜いて投擲する。

 数瞬の後、地面と視界を揺らす轟音。腹の底まで伝わる振動を無視し、焼け焦げた空気を肺腑に取り込んで立ち上がる。

 

 倒れた人影が見える。黒い迷彩と装甲を纏い、火器を手にした屈強な体躯。

 目の前にも、向こうにも、そしてニコが駆け抜けてきた轍の全てにも転がっている。

 

 倒れる人。

 人。

 人。

 

 彼らが何者であるかをニコは知っていた。

 その装備も、構成人員も、何もかも既知だった。

 

 彼らは───

 

 

 

 

 

 

「カイザーコーポレーション?」

 

 人でごった返すシャーレのロビーにて。

 地下に併設されたシェルターへの避難誘導を行い、人の流れも落ち着いてきた矢先、ギーは傍らの少女にそう問い返した。

 

「はい。厳密には子会社の一つであるインダストリーにおいて製造されている兵器群ですね。ヴァルキューレなどの公的機関で採用されているものよりも性能が高く、かつてのSRTに匹敵する代物となります。徹底的に性能とコストパフォーマンスを追求した型であることから、一部生徒からはゲテモノなどと呼ばれていたようですが」

 

 それはともかく、とヒマリ。

 

「それらは現在では既に製造と取引が中止されています。無論、市場に流れた分まで一掃されたわけではないので多くの装備が流通したままであるのは確かですが、こうまで組織立って運用されているとなると話は変わってきます」

「……あのグループは既に潰れているはずだが」

 

 そのはずだ。最初にギーが知ったのは、アビドスにおける事案を片付けている最中だ。

 ヒマリによって用立てられた10億もの報奨金。それを以てカイザーへの借金返済を代行した時のこと。立ち行った先の従業員は皆慌ただしく、まともな営業など成立してはいなかった。そんな中でギーは淡々と処理を済ませたのだが、その時はまさか同時多発的な壊滅的被害を受けているとは夢にも思わなかった。

 

「ええ。あまりにも出来すぎているため、敵対企業による攻撃という説もあったのですが。50を超える関連施設を同時に、しかも気象を操作して恣意的に破壊したなど現実的ではありません。そんな芸当はデカグラマトンの預言者ですら不可能でしょう」

 

 そうした被害の末、カイザーグループは事業を大幅に縮小。多くの業界から撤退した。

 特に兵器や軍事関連は徹底的に破壊し尽くされた為か、たった一つの企業さえも残らなかったらしい。

 

「そうすると、今暴れてる連中はPMCなりの残党か」

「その可能性が高いでしょうね。目的は不明ですが……追い詰められたチンピラ崩れの似非軍人の足掻きなどいつの世も似たようなものです」

 

 すなわち、雇い主なり世への不満なりへの報復行動。

 彼らの雇い主は皆失踪しているから、今回は後者か。

 誰でも良かったなどと宣う無差別テロ。何とも救いようがない。

 

「ともあれ、現状できることは何もないな。後は……」

「───先生!」

 

 ギーの耳に大きな叫びが届いた。

 振り返れば、そこにいたのは。

 

「……君たちは」

 

 ラブ、アツコ。そして他にも大勢。

 誰もが愛用の銃火器を手に、戦闘用のヘルメットを被り、真剣な顔つきでこちらを見ていた。

 各々が浮かべる表情は、焦り、不安、困惑。そして何より、強い決意。

 シャーレ預かりの二十人ばかりの生徒たちが勢ぞろいして、同調したように声を掛ける。

 

「聞いたよ先生。ニコがあっちに突っ込んでったって」

「……」

「ダンマリしたって無駄よ。こんな時に姿が見えないし、こういう時には真っ先に突貫するタイプでしょ」

「それを聞いて、君たちはどうするつもりだ」

 

 ギーの言葉に、ラブが代表して不敵に笑う。

 

「決まってんでしょ。今からうちらで助けに行くのよ」

「却下だ」

 

 にべもなかった。

 あまりにも間髪のない返答に出鼻を挫かれて、けれど一行のリーダーとしての矜持か、ラブは食ってかかる。

 

「ちょっと、どうしてよ!」

「君たちはシャーレの管轄だ、危険な行動を容認するわけにはいかない。気持ちは分かるがここで待機するように」

「先生、私たちは強いよ。あんまり舐めないでほしいな」

「強さの問題ではない」

 

 取り付く島もなくギーは淡々と続ける。

 

「君たちを預かっている以上、僕には君たちの安全を確保する義務がある。

 既に連邦生徒会やヴァルキューレには連絡し、ニコの保護を委任してある。

 ニコ自身も元はSRT生だ、危うくなれば撤退の余地はあるだろう。

 つまり何の心配もいらない。君たちが出撃することによる二次被害のほうが憂慮すべきだ」

「そんなことを聞きたいんじゃないわよ!」

 

 ラブはズカズカと歩み寄り、ギーの胸倉を掴む。

 眼前に突き合わせ、睨む。ギーの表情は変わらない。

 

「アンタはッ!

 今もひとりで無茶してるニコのことが心配じゃないのかって聞いてんの!」

「僕個人の感情と現状への対処に相関性はない。友人を想う君たちの行いは素晴らしいが、為すべきことを見誤ってはいけない」

 

 ギーは静かにラブの手を解く。ラブは信じられないといった顔つきで、一歩、二歩と後ずさった。

 

「君の取るべき行動は待機だ。そしてそれは、他のみんなも変わらない。いいね?」

「……見損なったわ。先生がそんなこと言う奴だったなんて」

「そうか」

 

 ギーの表情は、やはり変わることがなく。

 

「なら君のそれは過大評価だ。僕は元々こういう人間に過ぎない」

「……ッ」

「はい、はいそこまでです。皆さん一度落ち着きましょうか」

 

 パンパン、と。

 小気味よい柏手が鳴り響き、全員の動きが止まる。

 見遣ればそこにはヒマリが、呆れたような困ったような顔で全員を見渡していて。

 

「皆さん頭に血が昇りすぎです。まず先生。

 理屈の上で正しいのは確かに貴方ですが、流石に言い方が悪すぎます。

 わざと悪役ぶっているのなら、似合ってないので止めた方が賢明かと。

 そんな冷淡な物言いでは、聞くものも聞いてもらえませんよ?」

「……」

「そしてシャーレの皆さん。先生の失言で怒るのは当然ですが、言ってる事は間違っていません。

 そもそもまともな指揮命令系統もなく。闇雲に突っ込んで目的を達成できるはずもありません。

 そして貴女方のたったひとりでも怪我をしてしまえば、先生にとっては敗北も同然。

 そのことをどうか分かってください。ね?」

「むぅ……」

 

 渋々といった様子で、アツコや他の皆も逸った手を下げていた。

 ヒマリの言葉には、不思議と人の耳に入り込む特有の魅力のようなものがあった。

 血気に逸る人間を前に理屈や正論など意味を為さない。しかし、彼女の語る声は何故か人を聞き入らせる。

 天性のものか、はたまたそういった訓練の賜物か。

 ともあれ場は収まり、ヒマリは常の愉快気な笑顔で。

 

「それに、確かに心配はいりませんよ。既に頼れる"あの子"が救援に向かっているので」

「あの子……いや、まさか」

 

 思い当たる節は一つだけ。

 そして先程から顔を見せない彼女が、一足先に避難場所に向かったのではないのだとしたら。

 

「あの子は部活を掛け持ちしていると言いましたが、ゲーム開発部だけではないのですよ。

 C&C。ミレニアムが誇るエージェント集団。その見習いとして、彼女は日々訓練を積んでいるのです」

 

 

 

 

 

   ♰♰♰♰♰♰♰

 

 

 

 

 

 心臓が耳の真横に上ってきたかのように、鼓動の音だけがニコの鼓膜を震わせていた。

 もう銃声も風の唸りも聞こえない。聞こえるのは早鐘のような鼓動と、自分の血が流れる音だけだ。

 

 横薙ぎの手斧の一撃を、ニコは身を投げ打つようにして回避した。近接戦における定石、初撃はまず格闘武器、銃はあくまで追撃用。敵は教科書通りの定石を崩さなかった。下手な自己流を交えないやり方は、だからこそ最適化された普遍的な脅威を有する。ありきたりなやり方とは、すなわちそれだけ有用であることの証左だ。

 腹這いになったニコの後頭部目掛けて銃弾が放たれる、瞬間には既にニコの姿は敵の眼前から消失していた。片手を軸に発条だけで旋回、敵足元の後方まで滑り込んで即座にナイフを一閃。脹脛の腱を切り裂く。立ち上がる悲鳴を無視し、倒れ込んだ敵の脳天へトリガー。意識を失ったことを確認するとすぐさま次の敵へ取り掛かる。

 

 何人を無力化しているのか、三十を超えたところでニコは数えるのをやめていた。

 数えることに意味などなかった。どうせ最後は同じことだから。

 

 敵陣への単騎突撃という愚策。相手か自分が全滅するまで終わらない泥沼。

 どうしてそんな馬鹿を選んだかと問われたら、八つ当たりとしか答えようがなかった。

 

 そう、八つ当たり。

 使命感や正義感や義憤ではない。必要だったからでもない。

 単にムカついたから、気に入らなかったからという短絡的な行動。

 

 Q.なら誰に当たっているの?

 

 A.

 

 そんなこと考えてもいなかった。

 衝動的に飛び出しただけだ。

 それでも無理やり答えを出すならば、それはたぶん。

 

「……ほんと、ヤになるなぁ」

 

 この不条理な世界だ。

 SRTが廃止されて尚、悪党がのさばるこの都市だ。

 そうした全てを厭んでいながら、逃避の果てに何をも為せなかった自分自身だ。

 

 だからこれは単なる八つ当たりであり、

 自分が自分のために行う我儘でしかない。

 

 正義を嘯きながら誰をも救えなかった私には、何ともお似合いじゃないか。

 

「はっ───」

 

 嘲るような呼吸を吐いて、ニコは前方へと滑り込むように身を投げ出す。連続する銃撃が半瞬前まで自分がいた箇所を次々と打ち抜き、削られる地面がまるで足跡のように前へと続いた。照準もせず引き金を引き、悲鳴と何かの落ちる音に振り返りもしない。見なくても分かる、どうせ命中しているのだから。闘争への最適化は思考をクリアにしていく。人間性など排した、ただ効率的に駆動するだけの端末に己を変えていくプロセス。それは平時には尊ばれる心ある人間などでは辿り着けない、道具としての境地。

 

 ぞろぞろと手勢を引き連れて路地の角から、向こうから、飽きもせずに現れる彼ら。

 彼らの行動は捨て身だった。「先」のない人間に特有のものだった。未来を考えてない、生産性など思い浮かべもしない。今この瞬間に何かを壊すことだけを考えている、そんな人でなしの捨てがまりだ。

 

 私と同じだ。

 未来を想う資格などない、屑でしかない我が身と同じだった。

 

「だから、こんなに厄介なのかな」

 

 独り言でしかないニコの呟きに答える者は当然いるはずもなく、無機質な銃弾だけが飛来する。

 袋小路に誘い込まれていたことは勘づいていた。既に自分は包囲されており、今までの快進撃は進路を固定化するための布石であるのだと。

 そんなことは自分とて理解している。

 理解した上でこの道を選んだ。捨て身なのはこちらも同じだ。

 

 こんな自分など。

 もっと前に、消えてなくなれば良かったのだ。

 

 銃口から覗く黒い輝きが見える。それが周囲一帯から自分を狙っているのが分かる。

 それらを全て理解して、尚もニコは足を踏み出し。

 

 ───青い閃光が奔った。

 

 閃いたのは、ただ一瞬の光。

 閃光弾の爆発的な光でもなく、レーザーポインタの伺うような照準でもなく。

 それは何も傷つけることなく走り抜けた。誰をも殺さぬ無害な光。

 起こった異常はひとつだけ。敵手の弾丸は放たれず、動揺した気配がそこかしこから上がる。

 彼らが手にした最新式の銃火器、AIによる半自動化が施された決して狙いを外すことのない銃は、何故か一様に機能を停止して。

 

 後はもう語るまでもないだろう。

 武器を失った烏合など取るに足らず、ニコは淡々と、一人ずつを処理していった。

 

 始まりとは打って変わった、あまりに呆気ない幕切れだった。

 

 

 

 

 

   ♰♰♰♰♰♰♰

 

 

 

 

 

「こ……んのっ、ドアホ!」

 

 保健室に轟く大声に、ニコは曖昧に笑うことしかできなかった。

 

 あの後、事態は呆気なく終息した。

 ニコの見立て通りカイザーグループの下部組織の残党が起こした衝動的なテロルであったらしく、後追いでやってきたヴァルキューレによってテキパキと後処理が終わり、背後関係の洗い出しが行われた。彼らは厳密には既にカイザーグループとは無関係の、言ってしまえば追い出された元社員であるらしい。今のカイザーは強硬派の幹部を軒並み失い穏健派の中堅社員による立て直しが行われている最中だから、ああいった暗部組織は切り捨てられたのだろうというのがヴァルキューレの見解である。

 

 まあ尤も、全身傷だらけで保健室送りになったニコにはあまり関係のない話ではあった。

 ようやく終わったーとか、流石に体が鈍ってるなーとかぼんやり考えてはいたのだけど。見知った面々が次々と血相変えて保健室に殴り込んできた時は先の戦闘以上に肝が冷えた。

 

 だって全面的に私が悪いのだし。

 言い訳の余地なんてないのだし。

 

「何考えてんのよアンタはっ! みんなで避難だって思ってたらアンタだけ飛び出したとか言われるし、何かよく分かんないし、戻ってきたら傷だらけだし、何がしたかったのよ本当に!」

「返す言葉もありません……」

 

 平身低頭、ただ謝ることしかできなかった。

 ラブの後ろには同じく難しい顔をしたみんなが勢ぞろいで、どれだけ心配をかけてしまったかは一目瞭然だった。

 

「お疲れ様だったね、ニコ」

「アツコちゃん……」

「おめでとう、これでニコは立派な問題児になった……お説教されるに相応しい愉快な悪ガキになった」

「アツコちゃん……!?」

 

 なんて感じで。

 わーわーとみんな思い思いの言葉をかけていった。

 

「これに懲りたらもうやめなよ」「マジでビックリしたよなー」「ニコ……糞。私らに相談もなかったんや」「しっかり反省して欲しいっスね。忌憚の無い意見って奴っス」

 

 そんなこんなで周りも落ち着いたころになって。

 

「もう具合は大丈夫だろうか」

「……先生」

 

 その人はやってきた。

 

「それで、何か得るものはあったかな」

「……理由とか聞いたりしないんですか?」

「聞いてどうなるものでもないだろう。この行いがどの程度無謀だったか、一番分かっているのは君自身だ」

 

 薄情な言葉だな、と思いはするものの。その冷たさが今はありがたかった。

 多分、理由を聞かれたところで上手く説明はできないだろうし。

 

「それで、先生は心配していらっしゃったんですか?

 いやー、ちょっと照れますね。誰かに想われてるというのは」

「調子が戻ったようで何よりだよ」

 

 明らかにそうは思っていない口調だった。まあ実際その通りなのだが。

 

「経過の観察は当然あるけどね。ここに来たのは案内のためだ」

「えっと、案内?」

「きみ、もう入っていいよ」

 

 最後のセリフはニコに向けたものではなかった。

 控えめに扉が開いて、声をかけられた誰かが入ってくる。

 それは───

 

「……お姉ちゃん」

「君は……」

 

 見覚えのある子だった。

 それはつい最近。まだ精神的に余裕のなかったころ。

 そうだ、この子は。

 

「確か、遊園地で会った……よね?」

 

 風船を手放した子だった。

 すれ違い様に見たニコが、片手間に取ってやった。ただそれだけのやり取りがあっただけの子。

 その子が、どうしてここに。

 

「えっと、その……」

 

 その子はもじもじと言葉を濁して、けれど傍らの先生が声なく続きを促す。

 それに後押しされてか、その子は、私に。

 

「───ありがとう、お姉ちゃん!」

 

 ……何がなんだか分からなかった。

 どうしてお礼を言われたのか。どうしてその子が笑顔なのか。

 分からない。私は何もしていないはずだ。何も。

 

「シャーレは一時的に避難場所として運用した。その子も避難者としてやってきた一人だ。尤も、だいぶ終わりの頃に差し掛かった、言ってしまえば逃げ遅れてしまった子なのだけどね」

 

 先生の語る注釈は私の耳をすり抜けて。

 ただ、その子が浮かべる笑顔だけが、訳も分からず目に焼き付いていた。

 

「暴漢に襲われかけていたところを、君に助けられたそうだ。直接お礼がしたいということで連れてきたんだ」

「うん!」

 

 柔らかに頭を撫でる先生の手に微笑みながら、その子はニコに駆け寄る。

 屈託のない、眩しいばかりの笑顔。

 

「ありがとう、お姉ちゃん。お姉ちゃんのおかげで僕も、お母さんも無事だったよ。

 今は何も持ってないけど……でもどうしてもありがとうって言いたくて」

 

 少年を前に、ニコは動けない。

 だって、その感謝は、違う。

 違う。だって、私は。

 

「ありがとう。強くて優しくて格好良い、僕たちのヒーロー」

 

 私は、そんなんじゃない。

 あなたを助けるために戦ったわけじゃない。

 私は自分勝手に八つ当たりして、好き勝手暴れてすっきりしたかっただけで。

 市民のことなんて、何も考えていなかった。

 

 だから、その感謝は違う。

 私はヒーローなどではない。

 君に感謝されるような、立派な人間じゃない。

 

 私は───!

 

「君が守った笑顔だ」

 

 その言葉は、びっくりするくらいするりと耳に入ってきた。

 振り向いたその先で、真っすぐな眼差しが、胸を張れと告げていた。

 

 どれだけ呆然と見ていたのだろう。

 ニコは、恐る恐る、少年の差し出された手を取る。

 笑顔。

 満面の、ニコを疑いもしない眼差し。

 

 ニコはその視線を真っ向から受け止めて。

 熱い雫がひとつ、頬を伝い落ちた。

 

 ひとつ、またひとつ、零れ落ちた水滴が自分の手の甲に当たって弾けた。男の子が不思議そうにこちらを見つめ、途端に瞼の裏が熱くなった。

 目に映るもの全てが、ふやけて崩れた。

 しゃくりあげるような音が自分の喉から出たものだと気づいた途端、何もかもが止まらなくなった。

 

 小さな嗚咽は途切れることなく、ニコは少年の手を掴んだまま、声を殺して涙を流す。

 少年は言葉もなく心配そうにニコの頭を撫で、その暖かさに声は激しさを増した。

 

 感謝されたことにではない。

 認めてもらえたことにでもない。

 ただ、この手を繋いだ小さな命が、自分に笑いかけてくれたことが。

 その笑顔を守れた事実が、何か尊い奇跡のように思えて。

 

 正義ではなく誰かのために。

 生まれて初めて、少女は泣いた。

 

 

 

 

 

   ♰♰♰♰♰♰♰

 

 

 

 

 

 時を少しだけ巻き戻す。

 

「初めましてだな、不知火カヤ」

 

 防衛室の執務室に、無機質な声が響く。

 男の声。それは、女生徒によってのみ構成される連邦生徒会には似つわしくない声だ。

 

 男の声には怒りがあった。彼自身も正当性などないと断じている類の怒り。

 それはたぶん、八つ当たりと呼ばれるもの。

 

「どうした、挨拶もなしか? 今まで散々尽くしてやったじゃないか。

 礼の一つでも言ってくれたって罰は当たらないぜ」

「……カイザーグループの食べ残しが一体何の用で?」

 

 返事は簡素なものだった。

 男の視線の先、不知火カヤと呼ばれた少女は、こちらに背を向けて座っている。

 

 不知火カヤ。その名を知る者は多い。

 誉れ高き連邦生徒会、その統括部署の長に坐す彼女は、まさにこの都市の支配者と言っていい。

 故に彼女の声は冷淡なものだった。人の情など解さない、支配者の響き。

 

「随分なご挨拶だな。言ったろ、散々尽くしてやったろって。

 アンタの野望のために俺たちは戦った。パシリみてーにこき使われたよなぁ?

 邪魔な奴らをぶっ潰して、要らん連中も追い出して。馬車馬のように働いてやった。

 その見返りがこの仕打ちってのは───流石に話が違うんじゃねえか?」

 

 返答はない。

 カヤは壁に向かい、微動だにしない。こちらに返されるのは無言の背中だけだ。

 

「だからさ、今日は文句のひとつでも言いに来たんだ。ここまで来るのは楽だったぜ?

 流石に警備がザルすぎるだろ、ってのは野暮か。盛大に陽動やった結果だもんな。

 ここは素直に、俺の先輩方が上手くやってくれたって言ったほうがいいか」

 

 クーデターにも等しい暴挙。だが彼らに明確な目的意識などありはしない。

 政治犯的な動機などあるはずもない。

 彼らの頭にあるのは、明日の飯とちっぽけなプライドだけ。

 馬鹿にされた、舐められた、だから目にもの見せてやる。そんな、道に外れた者の道理だけ。

 

「で、だ。本題と行こうぜ不知火カヤ。てめえ、どうして俺たちを切り捨てた」

 

 自分で言ってて笑いそうになるのを男は我慢できなかった。

 どうして、などと。そんなこと分かり切っている。もしも立場が逆なら、自分たちだって不知火カヤを切り捨てたはずだ。所詮この世は実利がすべて。分かってる、分かってるさそんなこと。

 けれど、自分たちがやるのはいいが、やられるのは気に食わない。

 そうだ。今の自分たちは被害者なのだから、それ以外の人間に対して何をしたっていいのだ。

 

「どうしたよ、何か言えよ。跪いて頭下げて、ごめんなさいって許しを乞えよ。

 間違っていたのは私ですって、俺らの正しさを証明しろよ」

 

 統制を失った外れ者の末路などこんなものだ。

 カイザーグループの不幸は、本来ならつまらない街のチンピラ程度で終わっていたはずの連中に、何故か国家転覆級の力が渡ってしまったことだった。

 どんなバカでも身の程は知っている。今まで自分たちがやっていたことが返ってきただけと、自分の不幸を噛み潰してグレードの下がった日常へ帰還する程度の知性は大半の人間は持ち合わせている。

 けれど彼らにそれはなかった。

 なまじ力を持っているから、自分の不快は力づくで打ち壊していいのだと。歪んだ認知は一度の没落程度では矯正されることはなかった。

 

 ムカつく相手へのお礼参り。

 それが今回の暴動を引き起こした理由だった。

 

「……おい、黙ってないで何とか言えよ。マネキン甚振ってもつまんねえだろうが、泣いて詫びろよ下衆野郎」

「要は」

 

 遮るように声が響く。

 怒りはなく、嘆きもなく、混乱や困惑もなく。

 文書に記された文言を機械的に読み上げるだけの、熱のない声。

 

「証明さえ為されればいい。そう考えていました」

「はあ? てめえ、一体何を」

「実在でも不在でもいい。カイザーには、不在の側を期待していました。

 絆を知らぬと踏み躙るのも人の描いた可能性。そうであれば、彼らはこの都市における不在証明の一助になるかもしれないのだと」

 

 カヤの言葉、何を言っているのか分からない。

 訝し気に押し黙る彼とは裏腹に、カヤの声は淡々と続く。

 

「期待外れでした。面白くはありましたが、ここまで呆気ないとは。

 私のもとにやってきた貴方にも期待しましたが、予測を外れるものは何一つとしてなかった」

 

 そして気付く。

 彼女は、会話しているわけではなかった。

 こちらに向けて話していたわけではなかった。

 虚空に向かい、何の意味もない独り言を呟いていただけに過ぎない。

 だが今、彼女は「貴方」と言った。

 明確にこちらを認識した。

 だから、彼女はこちらを見る。

 

「果てなきものなど。尊くあるものなど」

 

「すべて。すべて」

 

「あらゆるものは意味を持たない」

 

 カヤはこちらに振り返りつつあった。

 今まで背を向け、真っすぐ壁を見ていた貌は、ゆっくりとこちらへ振り返ろうとしていて。

 

「故に私は、唯一無二なる愛の実在証明を求める」

 

 ゆっくりと。

 軋む音を立てて。

 首が動く。だが体は一切動かない。

 今や()()()()()()()()()()()()()()()()()、ぎりぎりと音を立てて。

 

 見てはいけないと本能が叫ぶ。

 彼女の顔、表情は影になって伺えない。

 見えない。それが見えてはすべてが終わると理屈ではない直感が叫ぶけれど。

 体は動かない。荒い呼吸だけが空しく木霊する。

 

 いいやそもそも。

 ()()()()()()()()()()()()

 

「けれど」

 

 見てはいけない。

 見てはいけない。

 

 見るな、

 見るな、

 見るな、

 

「あなたは」

 

 見るな、見るな、見るな、見るな、見るな、見るな、見るな、見るな、見るな、見るな、見るな、見るな、見るな、見るな、見るな、見るな、見るな、見るな、見るな、見るな、見るな、見るな、見るな、見るな、見るな、見るな、見るな、見るな、見るな、見るな、見るな、見るな、見るな、見るな、見るな、見るな、見るな、見るな、見るな、見るな、見るな、見るな、見るな、見るな、見るな、見るな、見るな、見るな、見るな、見るな、見るな、見るな、見るな、見るな、見るな、見るな、見るな、見るな、見るな、見るな、

 

 見るな。

 

「愛が、足りない」

 

 見た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……あ」

 

 彼は、ただそれを見ていた。

 見ていた。

 口から漏れ出るのは悲鳴だ。それは生命の危機に際した本能の声であるのか。

 いいや違う。彼は歪んだ表情をして、そこに込められた感情は、恐怖。

 

「あ、ああ、あ───あああああああああああぁぁぁぁああああぁぁぁああぁぁああぁぁッ!?」

 

 彼はその一点を見つめ、ただただ悲鳴を上げていた。

 声と共に腕が跳ねあがり、構えた銃が狙いさえ付けず乱射された。

 彼は死に物狂いで発砲して、視点を固定したまま、叫び続けた。

 彼の顔は歪んでいた。

 彼の見つめる先に何がいるのか。

 彼は、何を見たのか。

 

 その瞳には、燃えるような三つの目が、太陽のように輝いて───

 

 

 

 

 

 

「カヤ室長!」

 

 焦ったような声が、執務室に飛び込んできた。

 連邦生徒会の末席を務めるその少女は、息を荒げて扉を開けて。

 背を向けるカヤの姿を見つけると、慌てたように声をかける。

 

「シャーレ前での暴動は激しさを増してます! カヤ室長も至急避難を……!」

「はい、そうですね」

 

 裏腹に落ち着いた声。慌てた様子は見られない。

 その様子に毒気を抜かれたのか、ほんの少しだけ平静を取り戻した少女は、しかし何か違和感を憶える。

 

「あの、室長……先程、何かあったのですか?」

「いいえ」

 

 カヤと呼ばれたそれは、やはり振り返ることもなく。

 

「何もありませんでしたよ」

 

 

 

 




たまには後書きコーナーをやります。
ギー先生から生徒への好感度が一番高いのはぶっちぎりでリオ、次いでユウカとスズミ。三番手にラブが来て、あとは大体同じです
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