碧空のキヴォトス-What a beautiful archive-   作:ユーラシアン

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 いつも通りの一日だった。

 

 少し早く起きてシャーレへ向かう。正面ホールを抜けて上階へ。歩き慣れた通路を少し行けば、そこは新しく友達になれた皆が寝静まっている居住区。できるだけ音を立てないように忍び足で、でもちょっと驚かせてやりたいな、なんて考えながらてきぱきと朝食の準備。SRT時代から慣れたもので、皆が続々と起き上がってくる頃には全員分の用意が出来上がっていた。

 メニューはいつも通り。受け取る皆の表情も、いつも通り。

 食事の合間に他愛もない話をして、些細な変化に笑い合って。そんな、ありふれた朝の風景。

 片付けが済んだ後は自由時間。アツコの戦闘訓練に付き合ったり、ラブや他の皆の勉強を見てあげたり、逆に最近の流行とかトレンドを教えてもらったり。時間が経つにつれて、なんだか重くなってしまった瞼に、少しだけうたたねをしてみたり。

 

 頬をくすぐるタオルケットの感触に、目が覚める。

 ニコはソファの上に身を起こし、自分以外に誰もいなくなった部屋をぼんやりと眺めた。

 ふと目元に手を伸ばし、塗れた感触に驚く。手のひらで何度も目元を拭い、傍らの窓を見遣る。

 真っ白な昼光は、いつの間にかほんの少しの赤みを帯びつつあった。

 夕焼けになりきらない斜陽の黄金が、ぼやけた視界に滲んでプリズムのように煌めく。

 何も言葉を出すことなく、小さく息を吐く。

 

 懐かしい夢を見ていた。

 連邦生徒会長が失踪し、SRTの存続が危ぶまれた時期の記憶。

 たった数か月前の出来事が、今では遠い昔のことのように感じられる。

 

 ずっと忘れてしまいたかったこと。都合よく書き替えられた「もしも」の夢。あの時言えなかった、「もうやめよう」の一言。たったそれだけが言えなかったために、FOX小隊の皆は止まることさえできずに走り続けてしまった。

 

 あの時もっと違うことが言えたなら、私達は笑えていただろうか。

 そうすれば、結末は変わっていただろうか。

 子供じみた正義感を、今も信じることができていただろうか。

 

「……もう、行かなきゃ」

 

 呟き、体を引きずるようにして立ち上がる。

 この部屋と、キッチンと、それから色々。私物を回収し、元からあったものはキレイに整頓し、汚れがあれば掃除する。この二週間ばかりでシャーレに増やしてしまった、自分の痕跡を消していく。

 ここからいなくなるために。

 もう二度と戻ることのない、この場所から忘れてもらうために。

 

 然して時間はかからなかった。物はそう多くはなかったし、そもそも自分は大したものを持っていなかったから。

 さっきまでとは打って変わって静かな廊下を歩く。人の気配はない。今の顔を見られたくなかったから好都合だった。誰にも会いたくはなかった。せめて、ここを去るまでは。

 

 そうして正面ホールまで降りて。後はドアを出ていくだけだった。

 なのに。

 

「もう帰るのか」

 

 声が響く。

 その声に思わず足を止めてしまって。無視して歩き去れば良かったのに。

 振り向いた先には、予想通りの人がひとり。

 熱の通わない視線をこちらへ向けて。相変わらずの仏頂面で。

 ほんの少しも優しくなんてなかった彼に、私は努めて平静に返す。

 

「……先生。今日はずっと戻ってこないって聞いてたんですけど」

「予定より早く終わってね。隙間時間ではあるが、少し休んでいた」

 

 本当なのだろうか。

 彼の性格を考えれば、さっさと執務室に戻って仕事でもしていそうだけど。

 そう思うけれど、口には出さない。そう言うんなら、そうなのだろう。

 

「それなら───」

 

 ニコは彼のもとへ近づく。

 彼と同じくソファに腰かけて、隣同士に座る。

 そうして、横の彼へ笑いかけて。

 

「少しお話しませんか? せっかくですし、最後に話しておきたいこともあるので」

 

 そういうことになった。

 

 

 

 

 

   ♰♰♰♰♰♰♰

 

 

 

 

 

「以前に少し話した通り、私が先生に近づいたのはSRT再興のためでした」

 

 語るニコの口調には、焦燥や憤り、悲壮感といったものはなかった。何でもない世間話でもしているかのような、平素の声音。

 ガラス張りの正面から差し込む、色彩を帯び始めた陽射しをぼんやりと眺めながら。うっすらと笑みを浮かべるニコの表情はまるで夢でも見ているかのようだった。

 

「厳密には私達の雇い主の意向だったんですけどね。カイザーではなくもっと別の……まあ、もう言ってもいいか。防衛室の室長です」

「確か……不知火カヤと言ったか」

 

 朧げな記憶の中からその名前を引っ張り出す。連邦生徒会防衛室、ヴァルキューレ警察学校を統括する直属の部署。以前ミリアから伝え聞いた、情報のピースが合わさっていく。

 

「あんまり驚いてないですね?」

「そうでもないさ。けれど、一度廃校が決定された連邦生徒会所属の学園を再興できる人間は限られている」

「大凡想像はついていた、ってところですか。可愛くないなぁ」

 

 本当にそう思う。結局最後まで可愛げのない人だった。

 懐かしい後輩たちやシャーレのあの子たちみたいに、ころころと色んなリアクションを取ってくれたらよかったのに。

 

「SRTの問題点は責任を取ってくれる人の不在。そうなると、次に頼るべきは統括室か防衛室の人間でした。でもリン代行はそれどころじゃなかったし、そもそも連邦生徒会自体がリソースの大半を生徒会長の捜索に当てています。私達の話を聞いてくれるのは、カヤ室長しかいなかった」

 

 例えそれが、彼女の私欲から来る勧誘の言葉であったとしても。

 

「結局彼女が何を考えていたのかは分かりません。最初は、連邦生徒会を乗っ取って自分が生徒会長にでもなりたいんだろうなと思ってたんですけど、途中から人が変わったようになってしまって。最初はシャーレを潰すとか色々意気込んでたんですけどね」

「……そうか。そうなると、準備していたものは無駄になってしまうな」

「準備、って……」

 

 声が一瞬上ずってしまう。

 まさか、と思って。

 

「もしかして、シャーレを潰せばーとか私の言葉を真に受けてたり……?」

「ラブたちの受け入れ先も見つかったことだし、ちょうどいいと思っていたんだが」

「そんなわけないでしょ! 何考えてんですか!?」

 

 思わず頭をはたいてしまった。彼は心外とばかりにこちらを見てくるが、悪いのは絶対そっちのほうだ。

 

「……まあ、無駄と分かってもらえたようで何よりです。はい、シャーレを潰しても結局どうにもならないんですよ。会長に匹敵する権力を持つシャーレを潰してそれを足掛かりにっていうのがカヤ室長の目論見であって、別に私達に直接恩恵があるわけじゃありません。なので辞職とかそういうのはやめてくださいね、冗談じゃないですからね?」

「君は僕を何だと思ってるんだ」

「考えなしの自殺志願者。違いますか?」

「別に死にたいわけでも、自傷癖があるわけでもないよ」

 

 どうなんだか、と思う。彼の言葉に嘘はないのだろうけど。

 でも、似た部分はあると思う。今の私と共通するもの。

 彼はきっと裁かれたがっている。今の私と同じように。

 全部私の勝手な想像に過ぎないのだけど。

 

「結局のところ、全部ご破算になっちゃったんですけどね」

 

 全ては最初から終わっていた。

 ニコがギーと出会うよりも遥か前に。権力支配の後ろ盾となるカイザーは潰れ、カヤはFOX小隊を見限った。全ては無意味、ハッピーエンドは失われた。

 だからこれは、どう足掻いても正道には戻れなかった私達の、無様でどうしようもない後日談。

 

 それでも、例え何の意味もなかったのだとしても、ニコがギーに会いに来たのは───

 

「……ねえ、先生」

 

 ニコは一度視線を落とし、しかし意を決したように顔を上げる。

 

「先生は、感情が訴える事と、理性が考える事。それが裏腹だった時、どっちが正しいと思いますか?」

 

 ニコの問いかけ。

 ギーは即答した。

 

「理性だ」

「……」

「正確には、思考だと考えている。直感も思考の延長。思考と直感がどちらも理性に基づくものならば、人のあるべき姿はそこにある」

 

 迷いも逡巡もなかった。

 言葉は、断言に等しかった。

 

「僕が言ったところで説得力はないけどね。結局、僕は自分の感情に抗えなかった弱い人間だ。そのせいで、十年を無駄に苦しんでしまった」

「そうですか。なら───」

 

 ニコは立ち上がる。

 ソファから腰を浮かし、一歩、二歩と足を踏み出す。

 その足取りは軽やかなほどで。彼女は振り返り、ギーと向き合う。

 その顔には、眩しいまでの笑顔が浮かんでいた。

 

「私はそうしましょう。駄目だったあなたに代わって、私は私の為すべきことを果たします」

 

 ずっとそれを見誤り、今まで間違いを繰り返してきたからこそ。

 最後くらい正しいことをしよう。正義に憧れた自分に恥ずかしくないように、やったことには責任を取ろう。

 そう思う。感情とは裏腹の、理性が思考する正しさに従って。

 

「……今更だって、笑いますか?」

「いいや。ようやく、本当の君に会えたような気がする」

 

 上っ面の笑みを浮かべていたニコではない。

 本心からのそれを浮かべる彼女に、ギーは初めて出会えたのだと感じた。

 

「アツコちゃんやラブちゃん達には、先生から上手いこと言っておいてください。私は所詮、アルバイターの根無し草ですから。もっと割の良いバイトを見つけてどっか行ったとか、まあそんな感じでお願いします。ギー先生───」

 

 ニコは歩く。シャーレの出口へ、眩しい光が差し込むほうへ。こんなにも晴れ渡った心と共に。

 彼女はギーのほうへ顔を向けることもなく、滔々と言葉を紡いでいく。

 

「ありがとう、私と出会ってくれて」

 

 そうでなければ、私は私の罪と向き合えなかった。

 

「ありがとう、私を突き放してくれて」

 

 そうでなければ、私はきっと自分の感情に甘えていたから。

 

「ありがとう、私を許してはくれなくて」

 

 あなたがそうしてくれたから、私は私のやるべき事を今度こそ成し遂げられる。

 

「私は───」

 

 あなたのことが───

 

「あなたのような大人が、大嫌いです」

 

 ニコは振り返る。あまりにも澄んだ、一切を削ぎ落した心からの笑みと共に。

 

「さようなら。もう二度と会うことはないでしょう」

 

 そうして、彼女は歩いていく。

 二度と振り返ることはなく。

 二度と迷うこともなく。

 

 歩いていく。

 一点の曇りもなく晴れ渡った、青空の下を。

 

 

 

 

 

 

 全ては彼女の言う通りとなった。

 ニコとは、二度と会うことはなかった。

 

 後日。数名の元SRT生が矯正局に出頭したという記事は、連邦生徒会防衛室長の失踪というセンセーショナルなニュースに押し流され、関心を向ける人間は殆どいなかった。

 

 

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