碧空のキヴォトス-What a beautiful archive-   作:ユーラシアン

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閑話・とある日のカンナ

 

 

 

 

 

【某年4月14日午前2時30分】

 

【カイザービルディング本社最上階】

 

 

 

「我らが現象数式実験は、此処に最大の成果を見た」

 

 嘯く者がいた。

 それは、欲望を積み重ねた巨塔にて偽りの玉座に就く男だ。

 

 聞こえるか。

 善良なるもの総てを蔑む、この嘲笑が。

 

 聞こえるか。

 願いの果てを誤認した、赫き眼の男の声が。

 

 悪意───

 そう、男は悪意を以て都市を睥睨していた。

 

 それは我欲に等しいものだ。

 他者を喰らう欲望こそが世界の真理と謳う者こそ、この男だ。

 

 義を、善を、心を嘲笑う。

 他我など踏みつけ支配するものと盲信した男の声だ。

 

 なるほど、確かに。男は強大な力を手にしている。

 誰も逆らえぬ権力、財力。総ては男の手の中だ。

 その背後に整列する数多の配下、彼らが宿す狂気の眼光。

 誰が男に歯向かえるだろうか。

 

「ゲマトリアより貸与されしエメラルド・タブレットの秘奥!

 今此処に! 我が手において現象数式は一つの窮極へと至る!

 愚かな者共よ、お前たちの願いは何処にも届きはしない!」

 

 誰もいない。

 少なくとも、今までは誰も。

 

 けれど。

 見つめる瞳が、ある。

 揺るがぬ魂が、ある。

 

 今、此処にひとり。

 悪なる者を見つめる、ただひとりの男がいた。

 

「願い、か」

 

 呟く声。

 不遜に、傲慢に。

 

 白い軍服に身を包む男だった。

 それは空を奔る雷電が如き男だ。

 かつて《白い男》と呼ばれた男だ。

 

 雷電にも。

 鋼鉄にも、例えられる男だ。

 

「その玩具を用いて、お前は願いを手にすると叫ぶか。

 ───下らん」

 

 白い男は吐き捨てる。

 ただ短く。

 

 黒い男が垂れ流す言葉の全て。

 漆黒の機械の外装。赫き回路の瞳。世の快楽の全てを味わうと宣う傲慢。

 それら一切を無価値と断じるように。

 

「返してもらうぞ、その娘を。それは貴様ら如きの贄ではない」

 

「は、は。威勢だけは良いのは弱者の常か。

 だがお前など何もできはしまい。無力なりし者、偽りのマン・オブ・スティール!

 愚かにも、都市のすべてを救うとほざいた英雄気取りよ!」

 

 黒い男は愉悦と狂気に足を踏みしめる。

 その足元には、倒れ伏して意識のない少女がひとり。

 誰も歯向かうことのできなかった彼に、挑み敗れた少女がひとり。

 

 白い男は、その全てを見据えて。

 

「お前如き弱者に救えるものなど! この世の何処にもありはしない!

 お前の足掻き、お前の人生。その全ては無意味だった!

 実に! 無惨なまでに、滑稽だった!」

 

 哄笑と共に───

 背後の配下たちが銃を抜く。

 現象数式を模した回路が光を宿す。

 その暴威のすべて、悪意のすべては白い男ただひとりに向けられて。

 

 けれど。

 

「ならば知るがいい、世界の敵よ」

 

 彼の瞳、輝いて。

 

 

 

 

 

「お前たちの忘れ去った《輝き》が、如何程のものであるのかを」

 

 

 

 

 

   ♰♰♰♰♰♰♰

 

 

 

 

 

「連邦学園都市キヴォトスに住まう100万の学生諸君。

 運命に呪われたお前たち、全員」

 

「───私が、この手で、救ってやる」

 

 

 

 

 

   ♰♰♰♰♰♰♰

 

 

 

 

 

【某年4月1日午後3時40分】

 

【ヴァルキューレ公安局】

 

 

 

「転校生?」

 

 ふとした会話の弾みだった。

 溜まりに溜まった書類仕事を終わらせ、コーヒーの入ったマグカップを手に一息吐いた頃。

 副局長の肩書に反した軽薄さを持つ彼女の、やはり軽妙な話口調はそれを話題に挙げていた。

 

「そっすよー。姉御、もしかして知らないんすか?

 この前かなり話題になってたじゃないすか」

「いや……」

 

 実際記憶にない。

 そういう顔を向けてみれば、言葉にせずとも伝わったのだろう。「こいつマジか」と言いたげな顔で、彼女は言う。

 

「ひぇ~、テレビとか見ない人なのは知ってたっすけど……いや、まさかそこまでとは。

 クロノスのインタビューでカメラとマイク占領して、生放送で大演説ぶち上げたんすよ?

 ネットニュースとかでも未だにトレンド載ってるんすから。ほらこれ」

「そうは言われてもだな……」

「しかもスター俳優も顔負けのメロフェイス!

 いやードン・ファンってのはああいうのを言うんすねぇ。

 女子人気も凄くて自治区の垣根を超えたファンクラブまで出来たとか? 頭も良くてミレニアムから声が掛かってるとか? シャーレの先生が来た日に連邦生徒会を襲撃した《災厄の狐》を返り討ちにしたとか色々噂も立ってるっすよー」

「……」

 

 そうは言われても、知らないものは知らないのだから何も言うことがなかった。

 ついでに言えば、色々説明された今でも特に興味が湧いてこない。

 せいぜい騒ぎを起こさないでくれ、というくらいだろうか。

 ああいや、でもひとつだけ。

 

「……そもそも、そいつはなんで転校生と呼ばれているんだ?

 所属学区を変える生徒などいくらでもいるだろう」

「あー、それはっすねー。その人、どうにもキヴォトスの外から来たみたいで。

 それで生徒になったのって歴史上初めてらしいっすよ?」

 

 ま、特定の学校に入ってるわけじゃないっぽいっすけど。と、締めの言葉。

 どう? どうっすか? と期待の目を向けてくる彼女には悪いが、やはり興味は持てない。

 

「ちぇー、姉御ってばこういうノリは悪いんすから」

「職務には関係のないことだ。そら、そろそろ休憩も終わりにするぞ」

「そんな調子だと仕事とケッコンするハメになるっすよー」

「本望だ。そうしたささやかな幸福は、市井の人間が得れば良い」

 

 冗談も通じねー、とぼやきながら、それならばと会話を続行。

 

「それじゃあそれじゃあ、《白い男》はどうっすか?」

「……白い男?」

「そうっす。巷じゃこれまた有名な、ある意味転校生よりホットな話題っすよ。

 ブラックマーケットやら空白地帯やら治安の悪い自治区を騒がせてる怪人、というより。

 いわゆる自警団(ヴィジランテ)って奴っすね」

英雄気取り(ヴィジランテ)、か……」

 

 それを名乗る学生は少なくない。

 真っ先に思い浮かぶのはトリニティの自警団だが、あのようにある程度統率が取れているのならまだマシだ。大抵は自警などとは名ばかりの、無軌道な暴力と勝手な秩序を強いる不良学生崩れに過ぎない。その名は、自分にとっては侮蔑にも等しい意味でしかなかった。

 

「それどころか本物のヒーローって呼び声も高いっすね。ま、あくまで噂っすけど。

 どうっすか? 公安っぽい話題になったでしょう?」

「下らんな」

 

 切って捨てる。本心からそう断言する。

 下らない。ヒーローなどと。

 

「そんな連中が許されるのは子供向けのコミックの中だけだ。

 奴らは高い空の上から人間を見下ろしている。まるで自分は神だとでも言いたげにな。

 ヒーローの正義とやらは、大抵は幼稚で傲慢だ。現実はそう簡単ではない。

 お前もそんな下らん噂話に興じる暇があるなら、一枚でも始末書を減らすことだな」

「へーい」

 

 もしかして地雷踏んじった? という顔で仕事に戻っていく。

 尾刃カンナと志真コノカの、それは何てことない日常の一幕だった。

 

 

 

 

 

 

 ───その噂は本当ですよ。

 

 被害者はいずれも、違法行為に手を染める不良学生か、ブラックマーケットの犯罪者たち。中には骨を折ったり重度の火傷を負った者もいるとか。不幸中の幸いは、怪我の大小を問わず彼らは全員簀巻きにされて病院なり警察なりの玄関前に置かれていることですけどね。

 勿論、我々防衛室やヴァルキューレ警察学校は学生による私刑を認めてはいません。一部の者からは《鋼鉄の男(マン・オブ・スティール)》などと持て囃されていますが、《白い男》は三銃士気取りの単なる不良学生に過ぎません。

 不良学生同士の抗争など、本来我々が手を出すほどの案件ではありません。ですが、今回は事情が特殊でして。ええ、だからこそ貴女にこうして依頼しているのですよ。

 尾刃カンナ、ヴァルキューレ公安局長さん?

 ふふ、そう硬くならないでくださいな。何も取って食おうなどと思ってはいませんよ?

 これは最早一学生が起こせる規模を超えています。被害者の多くは統率された精強な用心棒であり、中には一自治区の治安維持組織とも渡り合えるほどの猛者もいました。数百を超える構成員が一方的に叩きのめされ、戦車や軍用ヘリがダース単位で破壊された案件などもちらほら。

 そんな芸当が可能な者など、このキヴォトスではゲヘナ風紀委員長や正義実現委員長くらいなもの……貴女ならどうでしょうかね?

 いずれにせよ、そんな力を持った人間が正体を隠し通すのは難しいはず。

 ですがその者は神出鬼没、中々網に引っかかりません。我々の警戒網を躱し、不良学生を叩きのめし、目撃談だけを残して去っていく。ええ、彼は必ず白い服を着ています。それが、《白い男》の由来なのですよ。

 

 

 

 

 

 

【某年4月2日午前1時20分】

 

【DU自治区子ウサギ公園内】

 

 

 

 そうだ、ヒーローなんていない。

 そんな簡単なことも分からないほど、自分は子供ではない。

 

「た、助け……ッ」

 

 懇願の声を切り捨てて、感情を込めず引き金を引く。

 それだけで相手は沈黙した。この公園に不法滞在している、住居不定の浮浪者だ。

 

「局長、制圧完了しました」

「そうか、御苦労だった」

 

 声に抑揚はない。然程難しい職務ではないし、達成感もない。

 そんなものありはしなかった。こんな、現実の汚さに塗れた仕事など。

 

 彼らは悪人ではなかった。法を犯しているという意味では罪人だが。

 ただ住む場所を追われ、食うに困り、庇護を求めて互助コミュニティにやってきただけの弱者。

 それが彼ら不法居住者(スクワッター)だ。貧すれば鈍するを体現し市民からは嫌われているものの、彼らとて生きるのに精いっぱいというだけでしかない。

 

 個人的な感情を言えば、カンナは彼らを嫌ってはいない。

 できることなら何とかしてやりたいとさえ思っている。

 

 けれどできない。

 それは彼女の仕事ではなかったし、そんな余裕もリソースもなかった。

 

 法は彼らを罪人と規定した。故に、法の執行者である自分たちはそれに従うより他にない。

 それだけの話だ。私情を挟む余地などない。

 

 強いて言うならば、浮浪者排除の圧が最近あまりにも強すぎるとは感じていたが。

 

「取り逃がした者がいないか確認しておけ。草の根を分けても探し出せ。

 こいつらは、一人たりとも逃がすわけにはいかないのだからな」

 

 気配はそこらに溢れている。遠巻きに見ている者、隠れ潜む者。

 それら全てを制圧する。否応はない。

 カンナはうちの一つに照準を合わせ、引き金に指をかけて。

 

 

「───おい、そこのお前。その辺で許してやれ」

 

 

 その日、彼女は彼に出会った。

 

 

 

 

 

   ♰♰♰♰♰♰♰

 

 

 

 

 

 ───例題です。

 

 ここに、ひとりの少女がいました。

 正義を志した少女でした。

 彼女は、世に遍く善を知る少女でした。

 

 だから彼女は、その美しさを守りたいと願います。

 自分の知る限り。自分の腕が届く限りの全員に、幸せになってほしいと願います。

 

 けれどそうはなりませんでした。

 少女が愛したみんなは、少女を遠ざけました。

 それはどうして?

 きっかけは些細なことでした。

 少女が怖かったから。その行いが、その顔が、正義を為した時の雰囲気が。

 ちょっと怖かっただけです。誰かを守ろうと必死だった少女は、そのくらい頑張っていました。

 でも、そんなことは、みんなには分かりませんでした。

 だから少女は遠ざけられます。怖いから、危ないから、そう言われて。

 少女は、狂犬と呼ばれました。

 

 ───どうすべきですか?

 

 少女は、それを受け入れるべき?

 狂犬という呼び名の通り、狂ってしまうべき?

 それとも、心を痛め、その場で泣き崩れるべき?

 

 ───それで、どうなりましたか?

 

 誰かに受け入れられましたか?

 認めてくれる人はいましたか?

 それとも、ひとりきりになってしまいましたか?

 それとも───

 

 

 

 

 

   ♰♰♰♰♰♰♰

 

 

 

 

 

「……誰だ貴様は」

 

 努めて平坦な声で、威圧するようにカンナは問う。

 

 彼は───

 夜闇に浮かび上がる、純白の男だった。

 遠い異国の軍服にも見える、どこの自治区にも該当しない制服を着た男。

 彼は呆れたように息を吐いて。

 

「私はこの都市の人間だ。善良な一般市民だ。だが、どうにも見ていられん」

「そうか。だが公務執行妨害は立派な犯罪だ。知らなかったか?」

「生憎、官憲の類は嫌いでな」

 

 男の視線の先、カンナの足元には複数の人影が倒れている。その周囲のヴァルキューレ生もまた同じ。手ひどく痛めつけられた不法居住者(スクワッター)の姿がいくつも、いくつも。

 

「若者は血気に逸るものだ、喧嘩のひとつもするだろう。だが何事にも限度はある」

「権力の犬などと歯向かってきたのは彼らの側なのだがな。まあいい」

 

 大仰に肩をすくめて言い放つ。

 すべて、すべて。下らない芝居にも劣ると言いたげに。

 

「その通り、私は狂犬だ。間違いを、悪なるものを許さない。狂った犬だ。

 お前は、どうだ?」

 

 すなわち、公安に逆らうのかどうか。

 今すぐ去れば見なかったことにしてやる。カンナは暗にそう言っている。

 それを察してか、男はやはり鼻で笑って。

 

「そうか。職務に忠実なのは美徳だが、仰ぐ上司を間違えたな」

 

 そして。

 鋭い眼差しを、こちらへ向けて。

 

「若くして官憲に身を窶した少女よ。それは決して、お前の輝きではない」

 

 

 

 

 

   ♰♰♰♰♰♰♰

 

 

 

 

 

 え、局長でありますか?

 とても立派な方ですよ。尊敬していますとも!

 

 

 

 ま、真面目な人ではあるよね。

 でももうちょい肩の力抜いてもいいんじゃないかなーって。

 そうすれば、あんなに勘違いされることもないのにさ。

 

 

 

 姉御はあれで可愛い人っすよ。あ、本人には内緒にしてくださいね。

 自分のことはさっさと諦めて、本当にやりたいことはどうでもいいんだって言い聞かせて。

 素直じゃないっすよね~。ま、あんな風にさせちゃったのは私らの責任でもあるっすけど。

 ままならないっすよ。本当に。

 

 

 

(ヴァルキューレ公安局長尾刃カンナについてのインタビューより抜粋)

 

 

 

 

 

   ♰♰♰♰♰♰♰

 

 

 

 

 

 一瞬だった。

 たった一瞬。それだけで、全ての決着はついていた。

 

「さて。まだ抗うか、幼子よ」

「貴様、は……!」

 

 まず最初に、光が奔った。

 雨でもないのに雷が落ちたかのような心地だった。それで、部下は全員沈黙した。

 文字通り雷に打たれたようにその場に倒れ伏して。息はある、ただ気絶しているだけだ。だがどうしてそうなったのか、まるで見当がつかない。

 そうしてカンナは銃を構えて、躊躇なく発砲した。

 銃弾は届かなかった。

 彼は右腕しか動かさなかった。何かを掴むようにして手のひらを閉じ、開いた指の間から受け止められた銃弾が零れ落ちた。まるで悪い夢のような光景。呆然とした隙を突かれ、接近した彼の手で私は打たれた。

 無造作な掌底。決して強い力を込められていないそれは、しかし内腑を抉るような衝撃を与えて。

 

 そして私は倒れている。彼の足元で、無様に這い蹲って。

 

「無理はするな。後遺症など残さんが、暫くは動けまい。

 良い機会だ。両日中はベッドの上で猛省するといい」

「ふざ、け……るな……!」

 

 それでも意志は折れない。

 それだけは折ってはならない。そうだと決めた。

 それはいつ?

 一番最初の記憶。ヴァルキューレを志したその日から。

 

「大上段から説法か……力なき者を救うヒーローを気取るか、何とも気持ちの良いことだな。だが貴様に何の権利があるというのだ。怠惰な平和を貪るだけのお前に、何が分かるという……!」

「それはお前が最も理解しているのではないか。尾刃カンナ、抗う者よ」

 

 言葉の意味は分からなかった。

 だが、今の自分がやるべきことは分かる。

 

 震える手で、懐より一つの刃を取り出す。

 それは彼女に与えられたもの。

 防衛室長不知火カヤよりもたらされたもの。

 

 刃。銃火器の発展した都市においては、儀礼用以上の意味を最早失ったもの。

 その柄には、緑色の小さな石が施されて。

 

「現実は綺麗事では成り立たない! 貴様らが安全圏から理想論を語る間に、汚い現場でどれだけの妥協に塗れてきたと思っている! そうだ、私は───」

 

 姿が歪む。

 獣に歪む。

 認識が、視界が、感覚が歪んでいく。

 地獄の底から響くような唸り声が。

 口から零れる死臭が。

 何より全身から湧き出る殺気が。

 尾刃カンナを新生させていく。

 

「ティンダロスか。厄介なものに憑かれたな」

「私は、罪を許さない! 過ちを、不正を、許しはしない!」

 

 それは痩せた狼を思わせる。

 宇宙の邪悪を凝縮したかのような、痩せさらばえた異形の猟犬。

 燃える隻眼は愛を知らず、吐息には屠った獲物の死臭が漂う。

 

「断罪の、時だ……!」

 

 そして。

 少女の刃、煌めいて。

 

 

 

 

 

 

 何が───

 何が、罪か。何が許されざるものであるのか。

 それは、都市の果てに座る者が決める。

 それは、都市の最奥に潜む者が決める。

 それは、都市最後の超人を自称せしめる者が決める。

 妙なる声明を響かせて。妙なる歌声を響かせて。

 裁定する。見つめ、裁き、そして見下ろすのか。

 罪あるものを決める。殺されるべきものを決める。

 それは、いと高きところに在る者が。

 この、都市の最果てで。遍く奇跡を失った終着点で。

 嗤うのか───

 

 

「少女。人間。神秘なる者よ」

 

「罪深き者たちよ」

 

「さあ。そろそろ、時間ですよ」

 

「あなたの怒りを見せてください」

 

「あなたの嘆きを見せてください」

 

「幾百万の悲劇すべてが」

 

「私に、力を与えてくれるのですから」

 

 

 遥か高みの塔にて。

 今も、君臨する者は囁く。

 今も、君臨する者は嘯く。

 

 嗤い続ける月の瞳そのものの双眸で。

 血の涙を、流し続けて。

 

 

「反転せし神秘たちよ」

 

「我が救済たる超人の施しを受ける者たち」

 

「比類なき、学園都市の、青きメモリーたち」

 

「果てなきものなど」

 

「尊くあるものなど」

 

「すべて。すべて」

 

「あらゆるものは意味を持たない───としても」

 

 

 

「すべての願いを、諦めては、いけない」

 

 

 

 

 

 

 異常なる角度から迫る剣閃。

 死角より放たれし絶速の一撃は、例え人間の限界たる反応速度を以てしても避けられるものではない。が、しかし。

 

 それでも白い彼には届かない。

 まさしく電流が如き流れ───雷電回避。

 そして間髪入れずの。

 

発雷(イグニッション)!」

「笑止!」

 

 光芒一閃。否、閃きは二つ。

 雷光、白刃。ぶつかり爆ぜる。

 

 獣と化した女は健在。その四肢も、刃を握り締める爪の手も。牙が覗く相貌も、変わらず。

 

「我が雷電を斬るか。《結社》の武装ではないようだが」

「知ったことか。貴様を打ち倒せるならどうでもいい、総てが」

 

 嘲笑ひとつ。

 獣の吐息に合わせて、周囲の空間が揺らめく。

 轟音。踏み込みの強さに地面が砕ける。

 轟音。放たれた弾丸の如く少女が駆ける。

 

 血涙を振りまいて。軋む骨、遂には罅割れる。

 人体の限界を超えた速力。膂力。威力。

 彼女にもたらされる、理外の力。

 

 振り回されているに過ぎない。これは、彼女が体得した力ではない。

 操り人形に過ぎない。今の彼女は、異形の力を現実に出力するための端末でしかない。

 

 人を、道具に貶める。

 外道の技だ。彼はそれを知っている。

 

「───見事だ。尾刃カンナよ。

 正義を志した輝ける者よ! だが───」

 

 迫る剣閃を受け流す。

 その腕には、武骨な金属の籠手が纏われていた。

 円の動きを円で逸らす。

 受け流したその先では、周囲一帯の空間が捻じ曲がり、その只中には構える少女の姿がひとつ。

 

 いいや。いいや。

 今やその姿は、いくつも重なって。

 あらゆる鋭角より飛来せしめる多重の顕現。

 その全てが、白い彼ひとりを照準して。

 

「何度でも私は言おう。それはお前の輝きではない!

 命の使い時を見誤ってどうする。お前は───」

 

 雷電さえ両断する刃の群れが、殺到して。

 

「此処で倒れていい人間ではない!」

 

 ───すべてが、旋回する光の剣に阻まれて。

 

「若人を惑わせて何とする、都市を睥睨する者よ。

 この少女は決して、お前の我欲を満たす道具ではない。

 続けるならば、私が相手をしよう!」

 

 ───光が。

 

 ───深淵に呑まれた意識にさえ届く、眩しい光が。

 

 ───カンナの視界を埋め尽くして。

 

「電刃───《電位雷帝の剣先(ヴァジュラ・ニードル)》!」

 

 

 

 

 

   ♰♰♰♰♰♰♰

 

 

 

 

 

【某年4月9日午後2時50分】

 

【DU自治区集中医療センター】

 

 

 

「あ、起きたっすかー?

 ここはどこ? 何がなんだか分からない?

 まあそうっすよねー、なんせ一週間も眠りこけてるんすから。

 それで、ちゃんと頭は冷えたっすか?

 ……いや、何ハトが豆鉄砲食らったみたいな顔してんすか。

 何があったか、こっちはちゃんと分かってるっすよ。

 らしくないことしたっすよね姉御。

 まあ確かに、公安や警備局に苦情は殺到してたっすけど。

 でも別に、それで装備を新調するために汚いことするとか。マジでらしくないっすよ。

 軽蔑したかって? いや別に。

 そんなこと言ったら、あたしなんて素直になる魔法どんだけかけたことやら。

 犯罪者を捕まえるためなら何でもする。それがあたしら公安って奴っすよ。

 でも、それでもらしくないっすよね。

 だってこれ、姉御が一番大嫌いなやり方じゃないすか。

 ああいや、別に責めてるわけじゃなくてですね……あー、何て言えばいいのか。

 というかこっちはお見舞いに来てるんすから。湿っぽい話はやめやめ!

 姉御もいつまで落ち込んでるんすか! ちゃんとお土産も持ってきたんで喜んでくださいよ!

 え、それは何かって?

 いやだからお土産で……はい、姉御の好きな奴で……

 やー、やっぱ入院中は暇になるっすからね。ここはマンガでも読んで暇を潰して……

 え、そんなの好きなわけない? いいから持って帰れ?

 いや何言ってんすか。姉御大好きじゃないですか、ヒーローコミック。

 え? もしかしてバレてないと思ってたんすか?

 ぶっちゃけみんな知ってるっすよ? こそこそ買いに行ってるのバレバレっすからね。

 姉御のベッドの下にはスーパーマンの、しかも初版が山積みにされてるって専らの噂で……

 あ、ちょ、やめっ、姉御が本気で投げるとマジで冗談じゃ済まないっすよ!

 あーもう。何でそんな恥ずかしがるんすか。別にいいじゃないですか、スーパーマン。

 弾丸より速く、砲弾列車より強く、ビルディングもひとっ飛び。

 この通りあたしは体育会系っすからね。やっぱ憧れるっすよ、そういうの。

 ……ねえ姉御。こうは考えらんないっすか?

 コミックのヒーローは確かに無力かもしれない。けど、私達はそうじゃない。

 誰をも救うヒーローには確かになれないかもしれない。けど、できることは確かにある。

 そんな小さなことを積み重ねて、誰かと手を取り合って。

 そうしていけばいつか何かに繋がるかもしれない。

 少なくともあたしが……力任せに暴れるしか能がなかったあたしがここにいられるのは。

 あの日、あなたが私に手を差し伸べてくれたからです。

 きっと、誰もがヒーローになれるんすよ。

 ねえ。姉御はどうして、狂犬なんて自分から名乗るようになったんすか?」

 

 彼女はそう言って、手を伸ばして。

 

「あたしにとってのヒーローは、スーパーマンは、間違いなく貴女です。

 鋼の貴女。強くて優しいあたしのヒーロー。

 あたしは、何度でもこう言います。『待て、しかして希望せよ』と」

 

 

 

 

 

   ♰♰♰♰♰♰♰

 

 

 

 

 

 そう、誰もが───

 

 

 

 

 

   ♰♰♰♰♰♰♰

 

 

 

 

 

【某年4月14日午前2時06分】

 

【カイザービルディング本社最上階】

 

 

 

「血迷ったか、下賤な雇われの番犬風情が」

 

 冷めた目で見下ろす男がひとり。

 彼は、名をプレジデントと言った。

 支配者を自認する男だった。

 この世の全て、俗人が想像するおよそ全てを手に入れた男だった。

 金、地位、権力、女、部下、名誉。

 そうしたものを何より愛する男だった。その名の通り、他者を統べるために生まれてきたと盲信する男だった。

 

 彼の視線の先には、惨状が広がっている。

 報告を聞いて最初は驚いたものだった。本社ビルが襲われているなどと。

 それもたったひとりにだ。

 配備された警備員の悉くを打ち倒して、一個大隊に匹敵する警備ロボさえも破壊し尽くして。

 それを為したのが、同盟相手の子飼いの犬だと知った時は失笑が漏れたものだった。

 

 だが、それも終わりだ。

 所詮たかがひとりに為せることなど知れている。

 何某かの理由で叛意を示した子供の刃は、結局自分には届かなかった。

 それだけの話だ。

 いつも通り、自分が勝って終わるだけの話だ。

 

「部下はどうした? お前ひとりで勝てるなどと、まさか思い上がっていたわけではあるまい」

「……こんなことに巻き込めんさ。勝ち目のない、八つ当たりになど」

「分かっているじゃないか」

 

 そうだ。こんなものは、八つ当たりだ。

 何の意味もないことだ。

 勝ったとて、暴走したテロリストとして牢獄に繋がれるだけだ。

 カイザーの不正は暴けない。

 巨大な組織はゆるぎない。

 たかがひとりに為せることなど、何もない。

 

「愚かなものだ。小娘、巨大な力に媚び諂うしか生きる道のないお前たちは実に愚かだ。

 だが何よりも愚かなのは、そうした自分の分を弁えず、幼稚な正義感に酔ったことだ」

 

 プレジデントは歩み寄る。配下の者に抑えられ、首を垂れた愚かな娘へと。

 その耳先に、嘲る言葉を吐き捨てて。

 

「何かを為せる気でいたのか、寄り集まってもゴミ屑にすらなれない犬如きが。

 この私を相手に何か変えられる夢想でもしていたと?

 これは現実だ。下らないガキ漫画の主人公を気取っていたのならお笑い種だな」

 

 彼は胸倉を掴み、引き起こす。顔を突き合わせ、告げる。

 

「これからお前がどうなるか分かるか?」

「……さあな。殺すならそうするがいい」

「殺す? おいおい冗談はよしてくれ。この法治世界で人間ひとりを始末するリスクがどれほどのものか知らんはずじゃないだろう? まあ失踪はしてもらうがね。お前には生贄になってもらう。ちょうど肉が欲しかったところなのだ」

 

 その言葉の意味を、カンナは理解できなかった。

 生贄。何かの比喩か、それとも。

 

「喜べよ。所詮は日銭を稼いで死んでいくだけのつまらない人生を送るだけだったお前が、我らの崇高なる目的を果たす一助になれるのだ。歓喜と共に死んでいけ」

 

 そうして。

 彼女の意識は、閉ざされて。

 

 

 

 

 

 

 現実からは逃れられない。

 どんなに心、強くとも。

 どんなに心、正しくとも。

 決して抗えぬ力はある。

 力に善悪は関係ない。

 逃れられない。逃れられない。

 ヒーローなど、世界の何処にもありはしない。

 

 だが。

 それでも、お前の心が本当は諦めてはいないのなら。

 

 選べ。

 その厳然たる事実を受け止めて。

 人は、何を、求めるのかを。

 

 

 

 

 

《暗闇》

 

《輝き》

 

 

 

 

 

   ♰♰♰♰♰♰♰

 

 

 

 

 

【某年4月14日午前2時36分】

 

【カイザービルディング本社最上階】

 

 

 

 崩壊したビルディング。

 如何なる法理も意味を為さない至高の権力が支配する玉座にて。

 崩れ落ちる男の前に、彼はいた。

 

 その身、雷電を纏って。

 その瞳、輝きを纏って。

 その手、目を閉じる少女を抱いて。

 光の剣を、その喉元に突きつけて。

 

 活劇の英傑のように。弱き者を守る騎士のように。

 

 崩壊した壁、天井。倒れ伏す数多のカイザー社員たち。

 その中央に、自らも雷電に打たれ片腕を失くし取り乱す男がひとり。

 プレジデントは、目の前の現実を受け入れられずに。

 

「……虫けら、如きがァァァ!」

「悪なる者よ。私もまた、こう言おう」

 

 静謐に歩み寄る。

 その姿は、決して揺らぐことなく。

 

「お前の声は、何処にも届かない」

 

「言わせておけばァァァ……!」

 

 プレジデントは這いつくばり、藻掻きながらもそれを掴む。

 緑色の石。固い水にして柔らかい石。

 それさえあれば何とかなると、淀んだ輝きが目に宿って。

 

「我らが糧になるしか能のないキヴォトス100万のカス共!

 貴様ら全員、この私が食らい尽くしてやるとも!」

 

 ───そうして。

 ───影が、広がっていく。

 

 それは巨大な影だ。

 至近距離から見れば、固まった霧が如き肉塊にも見えただろう。

 それは現実に受肉する虚構だ。

 それは現実にはあり得ざる死した神性だ。

 

 かつては水に揺蕩う美しき神体と呼び称されたもの。

 憤怒王の玉体より零れ落ちしもの。

 

 遂には怪奇作家の天啓により地球に飛来することなく、太古に蕃神により鏖殺されたもの。

 

 それは急速に肥大化し、増殖し、二人の頭上さえも覆い尽くして。

 この世ならざるおぞましき音と共にそれは来る。異形の、恐怖そのものの形として。

 

「ゲマトリアから与えられた最後の力! この世界では神さえも私のシモベだ!

 さあ大いなる水の神性《C》よ! あの忌々しい男を殺せェ!」

 

 100フィートを超す異形の、大きく開かれた顎の前に。

 彼は立つ。その瞳が見据えるのは、ただひとり。

 その胸元に抱き寄せられた、今は意識を失ったひとりの少女。

 

「───輝きか」

 

 

 

 

 

   ♰♰♰♰♰♰♰

 

 

 

 

 

 ───例題です。

 

 ここに、ひとりの少女がいました。

 狂犬と呼ばれた少女でした。

 彼女は、ひとりきりになってしまいます。

 恐ろしいから、危ないから。

 少女は、狂っているから。

 そう言われ、誰もが彼女を遠ざけます。

 少女はひとりきり。

 でも、少女は泣いたりしません。

 少女は、恐ろしい鉄面皮となりました。

 少女は、銃を構えました。

 少女は、"狂犬"を名乗りました。

 

 ───どうしてですか?

 

 みんなが言う通り、恐ろしい人間だからですか?

 その名の通り、とっくの昔に狂っていたからですか?

 自分を遠ざけたみんなのことを、恨んだからですか?

 それとも───

 

 

 

「私は狂犬だ。悪と見れば噛みつく気狂いだ」

 

「その姿を恐ろしいと遠ざけられるならば。

 私が悪に抗う限り、他の誰かが悪の餌食になることはない。だから───」

 

「───私は、狂犬だ」

 

 

 

 

 

 

「……それでも」

 

「私は何度でもこう言おう。

 尾刃カンナ。運命に抗ったお前を、今こそ」

 

「───私が、この手で、救ってやる」

 

 

 

 

 

 

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