碧空のキヴォトス-What a beautiful archive-   作:ユーラシアン

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閑話・とある日の

 

 

 ───雨が降り注ぐ。

 

 どれほど時が移ろうとも。この空だけは変わらない。凍てついた寒空。

 光の差し込まない分厚い灰色の雲も、そこからしたたる冷たい銀糸も。

 あの時もそうだった。

 SRTの廃校が決まった時。カイザーが壊滅し、室長から棄てられた時。

 希望が絶える時は、決まって同じ雨が降る。

 モノクロに煙る世界は、私にとっては停滞の象徴だ。

 

 

 

 

 

 

 自分が何をやっているのか、分からなかった。

 目を開けるとそこは薄汚れた路地裏で、ニコは雑多に置かれた廃材の中にもたれ、蹲っていた。

 首筋を雨が伝う。全身が酷く凍えていた。

 立ち上がろうとして、膝が砕ける。激しい眩暈に額を抑えてうめく。

 

 どうやら気を失っていたらしい。

 完全に濡れそぼった制服と骨まで冷えたような感覚から、相当時間が経っているようだった。

 原因は分かる。全身に圧し掛かる鉛のような疲労感と、頭蓋の奥まで響く鈍痛のような倦怠感。

 それはきっと───

 

(何してるんだろ、私)

 

 こんな吹き溜まりで、たったひとりで。

 無様だ。そう言うより他にない。

 何のために技術を身につけた。何のためにつらい訓練を乗り越えた。

 何のため、仲間だった三人と袂を別った?

 

 決着をつけるためだ。それはかつて自分が成し遂げられなかったこと。

 責任を果たすべきこと。

 犯罪に手を染め、正義を捨て、倫理に悖ることを選んできた。

 選んだのは私だ。実行したのも私だ。その責任を転嫁するつもりは毛頭ない。

 だがそれとは別に、そうした外道を提示してきた、あの女だけは。

 今も都市に悪なる行いを為そうとしている彼女だけは、放置できなかった。

 

「そう、だ……」

 

 そうだ、私は。

 

 不知火カヤを、拿捕しようと思ったのだ。

 

「……」

 

 その結果どうなった。

 思い出せない。連邦生徒会防衛室まで乗り込み、執務室に殴り込み、不知火カヤを発見した。

 そこまでは覚えている。銃を抜いた時のことも、問い詰めた覚えだってある。

 そのあとのことが思い出せない。

 

 何があった。何をされた。私は、何を。

 何を、遂げることができた?

 

「……私は」

 

 三人を巻き込むわけにはいかなかった。

 これはクーデターだ。成功しようが失敗しようが、消えることのない汚名が被される。

 目的のために正義を捨て、それがために心を病んだユキノたちに、そんなことはさせられない。

 これは、私だけの我儘だ。

 

 だからひとりで防衛室へ行った。三人を見送ったその足で、最後の我儘を為そうと。

 その結果がこれだ。

 

 何も分からず、何も持たず、鼠のように逃げ回るだけの身。

 それが今の私だった。あまりにも惨めな、何をも為せぬ無意味な存在。

 

 足がふらつき、体ごと倒れ込む。水たまりに落ち、水しぶきが跳ねる。

 起き上がる力はもうなかった。

 

 投げ出される手足にしたたる雨を見つめ、思う。

 なら、これでいいのではないだろうか。

 もう、いいんじゃないだろうか。

 本当ならもう終わっているはずの人間なのだ。それが、今更。

 あるいは、そう。

 

 或いは。

 こんな自分を間違っていると正してくれる、真っすぐな心を持つ人が。

 かつて面倒を見た後輩のような人間がいてくれたら、何か違ったのだろうか。

 

 そんな益体にもつかないことを思いながら。

 意識は、暗いところへ沈んでいって。

 

 

「……おや」

 

 

 けれど。

 

 

「ボロ雑巾……いえ、そんな酷いことは言いませんとも。

 傷つき倒れているのは、つまりそれだけの難行に挑んだという証左。

 懸命の努力、意思の力こそを私は尊ぶ。それ故に、告げる言葉は決まっています」

 

 

 視界に、白い光があふれ出して。

 

 

「傷だらけの貴女、我が希望の灯となり得る者。

 その魂がまだ諦めてはいないというのなら、私の手を取りなさい。

 ───貴女に、戦うための力をあげましょう」

 

 

 

 

 

   ♰♰♰♰♰♰♰

 

 

 

 

 

 変な子。

 そう、変な女の子だった。まだ小さな少女。

 目を覚まして真っ先に視界に飛び込んできた、多分私を助けてくれたであろう彼女。

 ぼんやりと薄暗い中に浮かび上がる姿は、あまりに小さく、か細い。

 

 見た目は非常に幼かった。中等部どころか、初等部と言われても納得できるだろう。

 小柄で華奢。胴も二の腕も枯れ枝のように細い。抱きしめたら折れてしまいそうだ。

 膝丈まである黒いロングコートは年と背格好を鑑みれば不格好にしかならないはずが、どうしてか彼女にはよく似合っている。紳士然、或いは芸術家然とした容姿と振る舞いは、どこか気品さえ感じられて。

 

「値踏みは済みましたか?」

 

 気付かれている。

 こちらの動作を見抜くのか。背後から、視線を向けることなく。

 

「疑うのも無理はありません。私は現状、貴女にとっては得体の知れぬ怪人物に過ぎない。

 施しを受けたとて警戒を解かない用心深さは好感に値します。

 まあ、貴女とは真逆の無垢さもそれはそれで嫌いではありませんが」

「……信じる信じないはまた後として、とりあえず色々説明はしてほしいかな」

 

 例えば、何故自分を助けたのか。

 という本題に入る前に、ひとまずジャブを打つ。

 

「ここはどこで、君は誰か、とかさ。

 ……ううん、それよりお礼が先だったね。助けてくれてありがとう」

「礼など不要ですよ。あの死地を逃れたのは偏に貴女の実力が故であり、そもそも私は貴女を助けてなどいません。むしろ巻き込む形になります」

 

 巻き込む。

 何に、加担させるというのか。

 

「戦争ですよ。レディ、これは私達と都市の戦争です。

 私闘ではなく、学生同士のつまらない抗争でもない。

 命と尊厳と命運を賭けた、互いに殺し殺され合う闘争に他ならないのです」

「……革命戦士か何か?」

「ほむ。惚けるにしても発想が安直すぎませんか?

 まあ構いませんが。私が貴女に頼み置くのは肉体と精神であり、その頭脳には一切期待していませんので」

「……」

「怒りましたか? 馬鹿にされて憤る程度の自尊心は残っていたと?

 いいえ、そうではありません。私がテロリストなら多くの人を巻き込んでしまうからでしょう。

 そうはさせないと貴女は誓っている。そうした誇りを取り戻している。

 自身の穢れを自覚しながら、貴女の行動原理は常に他者の安寧にある。

 実に理想的な人材です。矯正局へ突き出すにはあまりにもったいない」

「随分私のことに詳しいみたいだね」

「それなりには。吉野ニコ、元FOX小隊所属の遊撃担当。

 SRT廃校後には防衛室長不知火カヤの私兵となり、表沙汰にできない多くの案件をこなす。

 その内容については……言わずとも貴女が一番よく知っていることでしょうね」

「……」

 

 話は大体見えてきた。

 少女が語る目的、私という人材の適性と期待、余人なら知ることのないであろう過去の開示。

 この状況、このシチュエーションでそれらを語る理由はひとつ。

 

「スカウト……というには少し強引だね。私が素直に従うとでも?」

「貴女が私を快く思うかについては、当然ながら否でしょう。

 ですが貴女は戦うより他にない。そうせざるを得ない。

 なぜなら……そう、貴女にはアレを、不知火カヤを捨て置く選択肢など存在しない。

 見て見ぬフリができるのなら、貴女はとっくに他の三人と共に矯正局へ出頭しているでしょう」

「……」

「貴女には随分と驚かされました。

 異能を持たず、現象数式を扱えず、緑の石もイーリディームすら持たず。

 ただの生身でアレを退ける人間がまさか本当にいたとは。ええ、心から褒めていますよ?

 本体ではない顕現の類、それもあくまで一時的な依代の破壊に過ぎないとはいえ、フォン・ホーエンハイムでさえ成し遂げられなかった正真の大偉業なのですから」

「……ホントによく知ってるね。私の傷を治したのも、似たような手品なのかな?」

「手品、ええその通り。つまらない手品に過ぎませんとも。

 私のアブラメリン数式など、所詮は演算を外部に委託したまがい物。

 本物の現象数式、例えばシャーレの先生が持つそれには遠く及ばない手品でしかない」

 

 少女の語る多くをニコは理解できていない。

 だが分かることはある。

 すなわち、自分がすべきことは、何か。

 ただ死に行くのみだった自分が命を繋いだ。ならば、できることはまだある。

 その一点についてのみ、ニコは眼前の少女と同意見だった。見過ごすことは、できない。

 

「そういえば、自己紹介がまだでしたね」

 

 ニコの目を見て、少女は笑う。

 そこに何を見たのか。意志、或いは何かの光か。

 それがために、彼女は笑う。

 彼女もまた同じ意志を秘めているが故に。

 同じ瞳で、告げる。

 

「私は《教授》。この学園都市に訪れたる欺瞞の全てを暴き、否定する者。

 名などなく、ただ教え授ける者。

 私は有能な協力者を必要としています。そう、貴女の力が必要なのです」

 

 少女は、手を伸ばして───

 

「吉野ニコ。貴女には英雄となってもらいます。

 闇を切り裂き光をもたらす、学園都市における正義のヒーローに」

 

 

 

 

 

   ♰♰♰♰♰♰♰

 

 

 

 

 

 断片化された記憶が想起される。

 ノイズ混じりに脳裏をよぎる、それは過去の記憶。

 ありふれた日常。友人たちと過ごした青い春。もう戻れない、黄金の日々。

 全てを失ったあの時。全て失ったと誤認して、残されたわずかな矜持さえ自分たちの手で汚し尽くした愚かな毎日。

 出逢い。気付き。安寧の揺り籠を去った日。

 そして。

 

「何をも為せぬ哀れな者よ」

 

「貴女の声は届かない」

 

 ───笑っている。

 

 ───顔の無い貌が、赤い瞳で嗤っている。

 

 

 

 

 

 

「……どうしました? まさか眠っているわけではありませんよね?」

「……ううん。ちょっと思い出してただけ」

「物思いですか。まあいいです。さ、こちらですよ」

 

 人目につかぬ地下の道。

 軋んだ音と共に降りる昇降機。地下の更に地下へと降りる。

 視界が開ける。広い、地下の空間。

 

「ようこそ、我が名も無き書斎へ」

 

 書斎。確かに、その呼び名通りの空間だった。

 素人目にも年季が入っていると分かる木造のクラシカル様式。機関灯の仄かな光に照らされる重厚な内装は、エイジング加工のような作り物ではなく本物の年代物であることが分かる。暗く、厳かで、どこか暖かみのある空間。まるで往年の探偵小説にでも出てきそうな、ノスタルジーさえ感じさせる。

 そしてそれとは対照的に、鎮座する巨大な人工物。

 

「それは大計算機(オルディナトゥール)Moriarty。玩具のようなものですが、数理の神に抗するにはこれくらいなければ釣り合いません」

「完全オフラインの環境……のはずだよね、ここ。ミレニアムに伝手でも?」

「蛇の道は蛇という奴ですよ。ともあれ、今日からここが私達の秘密基地となります」

「秘密基地? 何のための?」

「それこそ愚問」

 

 教授と名乗った彼女は、その名とは裏腹の年相応のあどけなさを垣間見せる所作で。

 

「闘うのですよ。私と貴女で、都市の悪と」

「悪……」

「ええ、貴女も目にしたでしょう?

 現在のキヴォトスにはああした存在が蔓延っているのです。不条理なことに。

 それを倒すのですよ。貴女が、私の英雄として」

「……悪を許さないというのなら、私はその筆頭だよ。

 プロパガンダに過ぎないとしても、そんなことをするのは三人に顔向けできない」

「では諦めるのですか? 取り逃がしたあの無貌を放置すると?

 できはしないでしょう、貴女には。無論私も認めはしない」

「……」

「貴女が悪というのなら、私とて悪。我らは悪を喰らう悪となる。

 そのために手段を揃え、機を待ち、《七囚人》さえも解放した。

 獣が如き貴女、吉野ニコ。約束通り、貴女には相応しい力を手に入れてもらいます」

 

 そう言って彼女は傍らを指さす。

 立てかけられているのは半端な人型。機械的な装甲。

 流線形の、暗がりで見れば黒いスーツにさえ見える流麗。

 

「これは……鎧?」

「強化装甲服です。ですがこれほどのものはミレニアムとて有してはいませんよ。

 先代の《全知》が遺せし秘奥。雷帝の遺産にも匹敵する暴れ馬です。

 言うなれば、《臨戦装備》とでも呼ぶべきでしょうか」

「私にこれを扱えと?」

「ええ。出力が高すぎて、普通の生徒では使いこなせませんからね。

 本来なら《伝説のスケバン》に使ってもらう予定だったのですが、生憎断られてしまいまして。

 試験運転ではレスリング部の強化選手が危うく全身骨折で死亡退学となるところでした。それ以来、使える者がおらず死蔵していたのですよ」

「笑えない冗談だね」

「普通の人間では耐えられないというだけです。貴女ならいけます」

 

 根拠のない信頼という名の無茶ぶりを笑顔で宣う。

 普段なら断っていただろう。だが、良い。死に損なった身だ、あれを打ち倒せるなら、構わない。

 

「……いいよ、やってあげる。でもひとつだけ条件を言わせて」

「はい、何なりと」

「ヒーローとして祭り上げるのなら、私は二度と名乗らない。この名前は使えない。

 だから、私はもう吉野ニコじゃない」

「よろしい。では僭越ながら、私が貴女の名付け親となってあげましょう」

 

 そして彼女は、神託を告げるかのような面持ちで。

 

 

 

「貴女は、ゾロ。《奇傑》ゾロ。比類なき仮面のトリックスター。

 いずれ本物の英雄となる者よ、私は此処に告げましょう。『待て、しかして希望せよ』と」

 

 

 

 

 

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