碧空のキヴォトス-What a beautiful archive- 作:ユーラシアン
───青に彩られた箱庭。
───寄せては返す波の音だけが響く、忘れ去られた学び舎の残骸。
光が広がる。
燦々と降り注ぐ陽光に照らされて、教室の床を浸す水面にいくつもの波紋が浮かんだ。
波紋はやがて、教室の隅に投げ捨てられた鋼鉄の機械人形にまで届き。
その胸元に掻き抱かれたタブレット型端末は、何をも映さず陽の光を反射するのみ。
無人の空間。世界の果てに隠された、静謐なる幕間の世界。
西享の碩学は言った。全ての人の奥底に、揺蕩う無意識の大海を。
『オブジェクト記録を参照───碩学機関《シッテムの箱》が記す』
声と共に───
陽光から投影されるが如く、無人の教室に浮かび上がる幾つかの影像たち。
【ギー】【秤アツコ】【ベアトリーチェ】【空色の少女】【打ち捨てられた機械人形】【シッテムの箱】
人の夢見る物語。誰かの想いによって紡がれた、形なき憶録たち。
時にそれは、《心の声》と呼ばれることもある。
彼女は、その中の一つに手を伸ばして───
♰♰♰♰♰♰♰
【■>シッテムの箱】
───サンクトゥムタワーとは。
キヴォトスの中枢であり、連邦生徒会の本部を兼ねる重要施設。
起源も建造時期も不明であり、オベリスク状の塔の頂点から上下対称の巨大構造物が浮かぶ。
タワーを中心にキヴォトス上空には巨大なヘイローが浮かんでおり、巨大都市世界であるキヴォトスの各地から視認可能なことから、その影響範囲の広さが伺える。
その詳細な構造と役割について市井に明かされていることは少ない。
とうの連邦生徒会ですら原理不明のまま活用しており、その本質を理解していないとさえ。
連邦生徒会長が都市を去った今、それを知る者はいない。
一説にはシッテムの箱、シャーケードの杖に並ぶオーパーツとも、《歪み》とも言われるが、詳細は不明である。
【■>秤アツコ】
「……私は、そうだと決めていた」
「最初はどうでもよかったんだ。だって私の末路はもう、他の人に決められていたから」
「でも、ギー先生。
あなたと出会って、みんなと出会って、広い世界のほんの一部を見ることができて」
「私は……私の意思で、そうするって決めたんだ」
「最後まで我儘でごめんなさい。私、上手くは言えないけど……
みんなに会えて、良かったって思ってるの。本当だよ」
「だから……」
「ギー先生。あなたと過ごしたあの場所には、花を遺していこうと思うの」
「その花を見るたびに、私を思い出してくれるように」
「いつか花が枯れたなら、私を忘れてくれるように」
【■>ギー】
「……アツコ」
「君には今まで黙っていたことがある。理由があった訳じゃないが」
「君と共にいる時間。君と言葉を交わす度に。
僕は、この冷たい体にささやかな充足感を得ていた」
「知る者のいないこの都市の中で、ただひとり放り出されて。
僕が今日まで過ごしてこれたのは、君がいてくれたからだ」
「それはきっと僕のエゴなのだろう。だから、口にはしなかった」
「アツコ。僕にとって、ただひとり生徒と呼べるであろう君」
「君がシャーレに来てくれた時。何もかもが分からず、生きる意味さえなかった僕は」
「……嬉しかった」
「嬉しいと感じていたよ。ありがとう」
「……ありがとう、アツコ」
【■>空色の少女】
「ここは───」
「……」
「……ああ、そういうこともあるのか」
「なら、私は……」
「……」
「私は、追憶しよう」
「あの日、あの時、何があったのかを」
「私が───」
「私たちが、何を選んだのかを」
【■>打ち捨てられた機械人形】
───黄金螺旋階段とは。
その全貌を知る者はいない。
かつて西亨で研究された錬金術の究極。人類文明の極地を示す光の階段とされるもの。
黄金とは物質のそれではなく、錬金術における真理を示す言葉とされている。
かつて異形都市インガノックには、その最奥に大侯爵の作り上げた階段があると言われた。
都市の頂へと延びる螺旋階段。その先には愛のかたちがあるとさえ。
しかし。
その行き着く果てを知る者はいない。大侯爵は既に死した。昇り切った者は誰もいない。
姿を消した、巡回医師を除けば。
【■>ベアトリーチェ】
「ロイヤルブラッドと呼ばれる血筋」
「搾取することを、私は躊躇などしない。総ての神秘は我が糧だ」
「資本家が労働者を搾取するように。大人が子供を虐げるように」
「それは普遍的な世の理のひとつでしかない。私がより高次へと至るための階梯」
「ロイヤルブラッドから神秘を搾取する。黄金螺旋階段という《勝利の塔》を昇るための条件を、私のものとする」
「そのためなら何でもしよう。狂気さえ私には些事でしかない」
「かの《色彩》を凌駕するためならば」
「私は、西享人の崇める神でさえ殺してみせよう」
【■>シッテムの箱】
───アリウス分校とは。
三大校のひとつトリニティにかつて自治区を有した、数ある分派のひとつ。
諸派の統合に向けた「第一回公会議」において唯一反対の立場をとり続けた結果、連合を果たしたトリニティ総合学園の格好の的となり、激しい弾圧を受けて自治区を追放された過去を持つ。
この分校の存在を知る者は少ない。その限られた者たちも、アリウスを既に過去と捉えている。
アリウスに関する情報は準禁書と位置付けられ、徹底した情報統制が敷かれた結果、今は存在しない歴史上の存在として認識されているからだ。
しかしそうではない。
アリウスは今も存続している。
外界と遮断され、誤った価値観を刷り込まれ、独自の信仰と共に生きている。
その信仰とは何か。
空虚。一切は空であると説くその教えは、ただ一柱の《神》に由来するのだという。
「vanitas vanitatum. et omnia vanitas.」全ては虚しいというその教え。
それはかつて降り立った、時計が如きかの音からもたらされたのだと。
【■>秤アツコ】
「……私は、あなただと決めた」
「ギー先生。私と出会ってくれたあなた」
「今まで私がいた場所は、ずっと灰色で。
空も地面も建物も、全部私を縛る檻でしかなかった」
「でもね、先生」
「あの日、あなたが見せてくれた空は」
「こんなにも……」
「こんなにも、綺麗な空だったんだよ」
「私はあなたと、もう一度あの空を見てみたかった」
「それはもう、決して叶わない夢だけど」
「……ありがとう」
「ありがとう。私を、広い世界に連れていってくれて」
【■>打ち捨てられた機械人形】
───現象数式体とは。
クラッキング・ビーイング。
現象数式により形作られたもの。故に認識によって存在し、認識によっては姿を変えもする。
幻想として認識される《ふるきもの》とは異なり、こちらは《あたらしきもの》と呼ばれることもある。既に人類文明の光に追い遣られ姿を消した旧き幻想とは異なり、この時代における最新の幻想であるのだと。
故に彼らは既存の概念のかたちを取ることもある。
観測上においては、砂漠都市ヴァルーシアにおける天使型ホラー、機関都市ロンドンにおける妖精や怪異の形を取ったメタ・クリッターなどが記憶に新しい。
伝承、概念、信仰。あるいは、噂話。
それらを核に姿を得ることもあれば、人の想いに呼応するともいわれる。
【■>空色の少女】
「そもそもの話をすれば、私がこの都市に生まれ落ちたこと自体が間違いだった」
「それは存在が罪とかの詩的な話ではなく、ただ単に生まれる場所を間違えたというだけのこと」
「でもそんなことは、8年も前に分かっていたことで……」
「……」
「考案したのは全部私だ」
「全部私に責任があるんだ」
「いっそ、直接会ってすべてをぶちまけることができたら……」
「……なんて。そんなのは冗談だけど」
「そんなの今更できるわけないって知ってるけど」
「私はお膳立てされたハッピーエンドより、皆頑張ったトゥルーエンドのほうが好きだよ」
「そんなこと言っても、どうにもならないんですけどね」
【■>ギー】
「……アツコ」
「不思議な少女。仮面を被る君。
未だに君の身元は不明のままだ」
「君が何故自分のことを語らないのか。僕は、それを聞こうとは思わない」
「君は賢い子だ。必要であれば、きっと話してくれる」
「僕は、そう信じている」
「……けれど」
「それで、いいのだろうか」
「人は声だけで言葉を伝えない。かつて僕の背後にいた彼のように」
「声なき言葉は存在する。それは仕草であったり、表情であったり」
「僕は、何か見逃していないだろうか。アツコのことを……」
「僕は、本当に理解できているのだろうか」
【■>ベアトリーチェ】
「私は、私の目的のためだけに行動する」
「《ゲマトリア》さえも踏み台のひとつだ。探求も真理も知ったことじゃない」
「彼らが崇める《総帥》とやらも知るものか。とうに《結社》を離れた伝説上の人間など、いないも同然だ」
「命は喰らわれるためにある。
神秘は消費されるためにある」
「私は捕食者であり、私は消費者だ。そして同時に創造者でもある」
「伏して崇めよ蒙昧共。
お前たちの願いは叶わないが、私の願いは叶うだろう」
「故に、私の勝ちだ」
「今や盲目ですらない巡回医師よ。我が生贄を黄金へ錬磨するための道具に過ぎぬ男よ」
「お前の死と、我が贄の死を以て、私は今度こそ《黄金》へ到達する」
【■>秤アツコ】
「……どうして、こんなことになっちゃったのかな」
「ごめんなさい……」
「謝っても意味なんてないけど。でも、ごめんなさい……」
「普通に生きたいなんて思って、ごめんなさい」
「希望があるなんて思って、ごめんなさい」
「みんなと一緒にいられると、一瞬でも期待して、ごめんなさい」
「ごめんなさい……」
「先生……」
【■>空色の少女】
「……ギー先生」
「あなたは……」
「あなたは、何も変わってはいなかった。
8年前と同じくして」
「きっと、あなたは気付かないのだろうけど」
「ねえ、ギー先生」
「あなたは、きっと、また……」
【■>ギー】
「僕には後ろ向きな理由しかなかった」
「生きる理由も、待つ人間も、救うべき誰かも。僕にはもう何もなかった」
「この都市に来て、僕は……何もない荒野の只中に捨てられたような感覚があった」
「これほど人も物も溢れているのに、おかしな話だろう」
「それでも、君がいてくれた」
「君がいたから、僕はここまで命を続けることができた」
「どこまでも僕のエゴでしかない、自分勝手な理由に過ぎないけれど」
「それでも、僕は」
「君に出会えて、本当に良かった」
「……心から、そう思っているよ」
【■>秤アツコ】
「……今更になって、ようやくわかった」
「この不器用で、口下手で」
「こうと決めたことには頑固で」
「しつこくて」
「素直で」
「手が冷たくて」
「コーヒーばっかり飲んで」
「大事なことほど話してくれなくて、なのに欲しい言葉だけはくれて」
「どこか寂しい目をしていた、先生のことを」
「私は……」
「こんなにも……」
-Fin-