碧空のキヴォトス-What a beautiful archive-   作:ユーラシアン

8 / 42
1-3

 

 

 

 ───瞼を開く。

 

 朝の訪れは感じていた。

 各所が砂に埋もれ木々の緑もない土地でありながら囀る小鳥の声が耳に届き、カーテンに覆われた窓越しの朝陽も瞼越しに眩しく焼き付いていた。後は保険としてセットしておいたタイマーがいつ鳴り響くか、といった具合で。

 アビドスで迎える最初の目覚めは、想定よりも清涼なものだった。

 

「朝、か……」

 

 呟く。喉は枯れていない。

 砂漠化が著しく亜熱帯環境に近しいアビドスだが、住環境は比較的快適であるらしい。

 ギーはベッドから起き上がり、枕元に置いてあった端末を操作して目覚まし設定をオフにする。

 表示された時刻は午前5時23分。アラーム設定の7分前。

 仮眠程度の睡眠時間だが、十分な休息は取れただろう。肉体に掛かる重い倦怠感を無視し、壁のハンガーから外套を取り羽織りながら、真っすぐに廊下へ続く扉へ。向かおうとしたところでふと考え込み、隣を個室にしているアツコへ書置きを残すことにした。早朝に出かけることは昨夜の時点で話しておいたが、念のためだ。

 アツコはまだ、眠りについているだろうか。

 ギーは彼女の寝顔を見たことがない。黒いガスマスクでそもそも顔が見えないということではなく、アツコは他人の前で眠りにつくことがない。警戒心が強いというよりは、他人の前で努めて無防備を晒さないようにしているように見える。生来の性格ではなく積み重ねた習慣。

 その違いは、そう。黒見セリカと小鳥遊ホシノのようにも、ギーには思えた。

 

 セリカは素直な子だ。彼女は偏に「もう自分たちを傷つけないでくれ」と言っている。一見過剰にも思える警戒と拒絶は、今まで自分たちを救わなかった"大人"というカテゴリに対する無条件の反射的反応だ。差し伸べられた手の意図が分からず、"殴られるかも"と救いの手を跳ね除けてしまう。そこに悪意や打算と言った含みは見えない。

 ホシノは違う。彼女は明確な計算の下に動いている。ギーという他人を信用せず、しかし表向きは笑顔で手を取り、対策委員会にとっての利益を第一に行動している。こういった対応は気質ではなく経験に基づくものだ。笑裏蔵刀の人間と相対してきたであろう、経験。

 子供は馬鹿ではない。子供は、自分が子供であることを利用して計算を働かせる。

 だがホシノのそれは、どうにもそういった一般的なものとは乖離して見えた。

 

(笑わせる、道を外れた違法数式医(イリーガル・クラッキングドク)が心理士気取りか)

 

 彼女たちが何を思い、どうあろうとも。

 何も変わらない。僕は僕の為すべきことを為すだけだ。

 彼女たちが諦めない限り。

 彼女たちが、その手を伸ばし続ける限り。

 

 何も変わることは、ない。

 

 

 

 

 

 

 ───アビドス自治区郊外。

 ───砂に埋もれた街並みをギーは歩く。

 

 徒歩。今現在、アビドスでは他自治区へ伸びる中央線以外の交通機関は停止している。

 数年前には鉄道会社による大掛かりな復興工事も計画されていたようだが、それも過去の話だ。

 

 ギーの往く道の上に行き交う人の姿はない。停滞した街。

 今、このアビドスという都市はどうしようもなく止まっていた。

 

「……」

 

 目的地は、アビドス高等学校から徒歩1時間程度の場所にあった。

 地平線から覗く陽光を受けて長い影を落とす廃ビルディングの隙間を潜り抜け、目立たない区画に佇む雑居ビルディングの2階に赴く。砂と汚れに塗れ所々がひび割れたコンクリートの段差を上がり、これまた年季の入った木製の扉をたたく。

 合図はきっちり、ノック3回。あらかじめ提示されていた方法で来訪を伝えると、ややあって内側からカチャリとキーを回す音が響く。

 

「……ああ、先生。思ったより早かったね」

 

 蝶番の軋む音と共に扉が開かれると、そこにはひとりの少女の姿。

 目立つ装いの少女だった。

 パンク系の黒いパーカーとチェックの赤いスカートと、服装そのものに奇抜な要素はない。だが目立つのはその頭部だ。前髪の一房とポニーテール部分だけを黒く染めた白髪は嫌でも人目を惹くだろう。そのツートンカラーは病的な白い肌と黒い服装と合わさっており、白と黒という相反する二色に何か強いこだわりがあるのかもしれないと思わせるものがあった。

 表情と抑揚に乏しい中、ひと際鋭く細められた視線がギーを射抜く。

 気の弱い者が見たならば、それだけで威圧感を憶えるだろう容姿。

 しかしギーは何ら気後れすることもなく、同じく表情と抑揚に乏しい顔で。

 

「昨日連絡した通り来させてもらったよ。今は大丈夫かな、カヨコ」

 

 そう口にしながら、便利屋68の事務所へと足を踏み入れるのだった。

 

 

 

 

 

 

 インガノックで生活を送る上で、常識とも言うべき考えがある。

 "長く出歩くなら荒事屋を雇え"というものだ。

 

 兎角、あの都市は治安が悪い。通りを歩けば物漁りに人攫い、正気を失った薬物中毒者に差別主義者の大型幻想人種が闊歩する、犯罪者のオンパレードだ。世の平和を守る官憲など望むべくもなく、いるのは死の都市法の執行官か、下層民を殺すしか能のない上層機関兵くらいなもの。石を投げれば犯罪者に当たる、などという冗談もあの都市においては冗談では済まされない。自衛の適う戦闘能力に優れた《猫虎(プセール)》や《熊鬼(オーガ)》に変異できたならともかく、そうでないなら荒事に慣れたプロの護衛は必須だった。

 翻って、ギーはキヴォトスでもその定石に従うことにした。

 インガノックとはだいぶ毛色が違ってはいるが、身を守る手段を持たないギーにとって危険な場所であることは変わらない。比較的治安が良く官憲の目も光るDU周辺ならまだしも、都市機能の麻痺したアビドスへ赴くのに丸腰というわけにはいかなかった。

 対策委員会からの支援要請を受諾して空輸を実行してから直接アビドスを訪ねるまでの五日間、行ったのは徹底的な現地の調査と有力な荒事屋の捜索だった。結果白羽の矢が立ったのが、この便利屋68だったというわけである。

 ちなみに依頼料その他は全て連邦生徒会付けのシャーレの経費で落としている。リンに個人的な感謝と好意はあったが、それはそれとして録に動かず現場に益をもたらさない上層部には責任と支出を押し付けるのが、インガノック時代から変わらないギーのやり方だった。

 

「早朝から悪かったね。他の3人は?」

「いつも通りアビドスの子たちの監視と護衛。ここは私ひとりで十分だったから」

 

 淡々と行われる、二人の会話。

 余計な情感は交えず、けれど嫌悪や拒絶もない。確かな信頼に基づいたビジネスライクな会話だった。既に便利屋68のメンバーとは複数回の交渉ないし交流を重ねている。所長である陸八魔アルの方針から手付金こそ支払っていないものの、必要経費を全額負担の上に、追加の依頼を託す度に最終的な成功報酬に上乗せしているギーは、彼女たちにとっては疑う余地もなく上客だろう。

 昨夜の一件に関してもそうだった。

 当初の"ギーとアツコの護衛"という依頼に追加しての、アビドスメンバーの監視と護衛という依頼。遅くまでバイトを続けひとり帰宅したセリカを付け狙う集団を周囲に悟られず鎮圧したと連絡を受けたのは、つい8時間ほど前の話だった。

 

「昨夜の段階で向かえたら良かったのだけどね。流石に深夜の単独行動は、アツコたちにも言い訳ができない」

「先生も大変だね。ま、こっちは報酬さえしっかり払ってもらえるならいいけどさ」

 

 会話しながら、二人はすたすたと歩を進める。

 事務所の片隅、恐らく格納庫として使われているだろう一角に繋がる扉。その脇の端末にカヨコが手早くパスワードを打ち込むと、ロックが解除され、扉が音もなくスライドした。

 扉の開閉に伴って、向こう側の暗がりに光が差し込む。見えるのは無機質なタイルと、壁に立てかけられた銃火器の数々。奥にはしまい込まれた段ボール箱がいくつか。

 そして、縛られて床に転がるひとりの少女。

 

「彼女が?」

「そ、昨日の襲撃の首魁。周りの連中から隊長って言われてたし間違いないよ。

 ああそれと、先生の要望通りちゃんと人道的に扱ってるから安心して」

 

 トイレとか食事とかね、というカヨコの言葉。

 見れば確かに、無造作に転がされてる少女の下には厚手のマットが敷かれている。

 ……口を塞がれ呻きながらこちらを睨む少女からは怒気しか伝わってこないが。

 

「アビドスへの執拗な襲撃。確か、カタカタヘルメット団と言ったか」

「正確にはジャブジャブヘルメット団だね。カタカタのほうは数日前にアビドスの子たちに壊滅させられてるから、より上位の派閥が出張ってきた感じかな」

 

 冗談のような名前の集団だったが、ギーが考えるよりも余程大きな組織であるらしい。

 ギーは数瞬だけ逡巡し、ややあってカヨコに向き直り。

 

「彼女と話がしたい。口枷を外してやってくれないか」

「別にいいけど……多分良いことはないよ」

 

 そう言ってカヨコは少女の口を塞ぐ布を解く。一瞬だけ反抗的な目を向けてきた少女だったが、その動きが自身の枷を外すものであることを察すると、その時だけは大人しくするのだった。

 そして。

 

「───ちょっと! 何すんのよアンタたち!」

 

 耳を劈く大絶叫。

 ビリビリと空気が震えるほどの怒声に、生理反応として顔が硬直する。

 ふと横を見遣れば、カヨコは聞き飽きたと言いたげな呆れた様子で首を振る。

 

「一事が万事こんな調子。ま、一山いくらの不良崩れにはありがちだけど」

 

 カヨコの言葉を後目にギーは屈んで視線を合わせる。少女はそれを鼻で笑って。

 

「……なによ。尋問でもしようっての? 目的でも吐かせようって?」

「いや、それは必要ない。大方カイザーコーポレーションかその系列の差し金だろう」

「んなッ……!」

 

 少女の顔に咄嗟の驚愕が浮かび、次いで無理やり表情を抑え込む。半ば確信してのカマかけだったが、今ので完全に確証が得られた。

 彼女が驚いたことに、ではない。驚きを隠そうとしたことにだ。

 的外れな言葉に困惑の代わりに驚きを浮かべる人間はいる。だがそれを必死に隠そうとする行いは、裏返せばギーの言葉が正しいことを表していた。そこまで含めて演技の可能性もあるが、その場合はそもそもヘルメット団がアビドスを狙う理由自体が存在しなくなる。

 

 だが、そうした思考の全ては、今は二の次だった。

 ギーが彼女に聞きたいのはそういうことではない。

 

「君は何故、ヘルメット団にいる?」

「……は?」

 

 少女は、ギーの言葉が本気で理解できないという顔をしていた。後ろのカヨコも同様だろう。

 突拍子もない質問。だがギーにとって、これは避けては通れないものだった。

 

「自治区に所属していれば身分と生活は保証される。金を稼ぐにしても、割の良い労働はいくらでもある。よほど突出した実力でもない限り、キヴォトスの定める法に背くことはデメリットしかないはずだ。にも拘らず、君は違法行為に手を染めている」

 

 ここでようやく理解が追い付いてきたのか、少女の顔に侮蔑の色が浮かび上がった。

 そして、隠しきれない憤りも。

 

「なによそれ、ここまで来てお説教? アンタ、ガッコの先生か何か」

「特定の学園に所属しているわけではないが、シャーレに赴任している都合上僕は先生と呼ばれている」

「いや知らないから」

 

 吐き捨て、少女は無知を嘲笑うように続ける。

 

「そんなに聞きたきゃ教えてやるわよ。アンタ、"2級学生"って知ってる?」

 

 諧謔味の強い少女の口調には、嫌悪と憤り、そして諦観の色があった。

 どうせ何も分かってもらえない、ただ見下され罵倒されるだけと諦めている表情。

 何にも期待しない、失望の目。

 

「ここは学生の街。だから学生じゃなくなった連中は"いなかったこと"にされるわ。学籍が無きゃどこも雇ってくれない、寮にも入れない。住む家はない、家賃なんて払えない。今日のご飯だってまともに用意できない。そんなうちら2級学生に、他にどうやって生きていけってのよ!」

「そうか」

 

 短い返答。ギーには思い当たる節があった。

 生徒によって都市が運営されるキヴォトスにおいて、ならば学生であることを剥奪された人間はどうなるのか。

 自治区消滅や合併による転校ならば問題はない。だが素行不良や成績不振による退学勧告を受けた生徒は、どうなるのか。

 連邦生徒会のセントラルネットワークにそうした者たちの記録は一切残されていなかった。ヒマリは、ただ物憂げに瞳を伏せるばかりであった。

 その時点で、彼女たちの末路は火を見るよりも明らかであり。

 

「大凡の事情は理解した。カヨコ、彼女の拘束を解いてやってほしい」

「いや、先生……それは」

「構わない」

 

 知らず語気が強くなっていたのかもしれない。

 押し切られる形となったカヨコは、大げさにため息をついて少女の後ろへ回った。

 対して、たまらないのは少女のほうである。

 彼女はギーの言葉と行動が心底何も分からないといった顔で、ぽかんとこちらを見つめていた。

 

「アンタ、何考えて……うちがここで暴れたらとか、そういうのは」

「確かに、やろうと思えば君はいくらでも抵抗できるだろう」

 

 彼女は既にカヨコたちに鎮圧されている身であり今は丸腰だが、拘束を解いた隙を狙ってギーを人質にする、ということは不可能ではない。そこから交渉に持ち込むなり対価を要求することも、或いは腹いせにギーを悪戯に攻撃する可能性とてあるだろう。

 ギーもそれは理解している。そのうえで。

 

「君に攻撃されたら、僕は死ぬ」

「…………は?」

 

 二度目の驚愕は、一度目より長い沈黙があった。

 カヨコも手を止め、目を見開いてこちらを見ていた。

 

「事実だ。僕には君たちのような肉体的頑強性は存在しない。

 撃たれたならば銃弾は肉を貫通し、骨を砕き、内臓をズタズタに引き裂くだろう。

 小口径の拳銃でも即死だ。ホローポイント弾を受ければ、肉体は原型を留めない」

 

 ギーは言葉を続ける。淡々と、明日の天気でも話すような口調で。

 

「足止めや牽制、示威行為による末端への攻撃も同様だ。

 腹に受ければ消化器官の破裂により、漏れ出た消化液が周囲に広がりながらゆっくりと死ぬだろう。一発の銃弾であれば約15分、僕は生きながらにして内臓を溶かされる苦しみを味わいながら死ぬ。

 腕や足にも重要な神経や血管が多く密集しているから、ここを撃たれても生存は叶うまい。

 運が良ければ出血多量、悪ければ骨の損傷による複数の感染症を合併して苦しみながら死ぬ」

 

 少女の顔色は見る間に悪くなっていく。ギーの言葉は止まらない。

 

「素手であっても同じことだ。君たちの膂力は僕のそれを遥かに凌駕する。

 個人差もあるだろうが、大抵の生徒ならば僕の手足を素手で引き千切ることが可能だろう。

 殴られても当然死ぬ。捕縛術に心得がある者ならば話は変わってくるだろうが」

「な、何言ってんのよアンタ! し、死ぬって、そんな、えぇ……?」

 

 少女の声には怯えが含まれていた。

 恫喝や威圧を受けてのものではない。それは、自らの行いで簡単に人死にが出ると言われたことへの恐怖と忌避感。

 

 キヴォトスにおいて、死とは遠い存在だ。

 何せ住民のほぼ全てが並外れた耐久性を保持しているのだから、人が死ぬ事態というのは寿命や病気を除けばまず起こらない。

 起こり難い事象であるからこそ、常以上に人の死は忌避されていた。過剰なほどに、簡単に引き金を引ける暴力性とは裏腹に、だ。

 

「……すまない。配慮を欠いた物言いだった」

 

 だからこそ、ギーは彼女たちを見捨てられない。

 なぜならば、彼女たちは不法滞在者(スクワッター)に身を窶しながら、どうしようもなく普通の善性を持った少女であるからだ。

 

 誰かの死を厭う。誰かを殺すことを忌む。

 あまりにも当たり前の、インガノックではとうに失われてしまった善性。

 この少女はそれを持っていた。かつてギーの前に現れたキーアと同じくして。

 故にこそ。

 

「シャーレの名義で、特別支援プログラムの開始を予定している」

「……え、いや、いきなり何を」

「学籍の有無を問わず募集をかけるつもりだ。身分と学生証、当座の居宅は保証される。労働契約の書類審査も通るようになるだろう。DUの法規に従ってもらう必要はあるが」

 

 あまりにも色々なことがありすぎて最早声を張ることもできなくなったのだろう少女は、最初は戸惑いと困惑、理解が及び僅かに気色ばみ、次いで不信の表情へと変化していった。

 

「……信じられない」

「当然の感情だろう。僕も無理強いすることはない。決めるのは君だ」

 

 きまり悪く目を背ける少女に、ギーは僅かに表情を変えながら。

 

「だが、君が少しでも現状を変えたいと思うのならば。いつでもいい、シャーレを訪ねてほしい。

 もちろん支援を受けずとも、他の用事であっても構わない。僕は君を歓迎する」

「うちは……」

 

 少女は目を伏せ逡巡し、何かを言いかけて口をつぐみ、やがて意を決したように。

 

「……うちを慕って付いてきてくれてる連中がいる。あいつらを見捨ててうちだけ抜けることはできない」

「何人だろうが構わない。正直なところ、シャーレの過剰な収容設備を持て余していてね、できれば使ってやってくれるとありがたい」

 

 努めて何でもない風にギーは言う。相手が要らぬ気づかいをしないように。

 

「そういえば、まだ名前を聞いていなかったね」

「ああ、うちは……」

 

 拘束を解かれ立ち上がった少女は、バツが悪そうに黒いヘルメットを目深に被り。

 

「河駒風ラブだ。アンタの話は……まあ、一応考えとくよ」

 

 

 

 

 

 

「先生はさ」

「うん?」

 

 少女───河駒風ラブが事務所を立ち去って幾ばくか。

 備え付けのソファに座り備品の手入れをするカヨコは、おもむろに話しかけてくるのだった。

 

「さっきみたいなこと、ちゃんと考えて言ってるわけ?」

「……ああ、仲間を引き連れて報復に来られる可能性か。

 すまない、君たちに余計な迷惑をかけてしまうかもしれないな」

「いや、あんな連中いくら来ようと返り討ちにするだけだからいいけどさ」

 

 そうじゃなくて、とカヨコ。

 

「2級学生の支援が云々って奴」

「それは一応、どの自治区の法規にも引っかからないよう調整してある。

 学習カリキュラムも簡易にだが作成済みだし、後は実地での微調整次第かな。それを考えなしと詰られればその通りだが」

「だから、そうじゃなくて」

 

 ああもう、と若干苛立ったような声。

 要領を得ないギーの返答に、ではなく。

 無茶をする人間を必死になって引き留めようとしているような、そんな声だった。

 

「学籍がなくて学校からあぶれてる人間が、キヴォトスにどれだけいると思ってるの。

 先生はそういう子たちを、片っ端から受け入れる気?」

 

 キヴォトスは兎角広い。

 数千以上存在する自治区ごとに法も風土も価値観も異なり、当然ながら学校に馴染めず自ら去る生徒も少なからず存在する。

 ラブのように傭兵や賊に身を窶す人間は、千や二千ではきくまい。

 どう考えてもシャーレの受容できるキャパシティを超えている。ギーがいくら粉骨砕身しようが、全員を救うことは叶わない。

 

「確かに、際限なく続ければいずれ破綻するだろう」

 

 けれど、いいやだからこそ。

 

「けど、それは今じゃない」

「……はぁ~~~~~」

 

 呆れ果てたと言わんばかりのカヨコへ、ギーは文字通りに苦笑した。

 

 かつてギーは言われた。シャーレに明確な目的はなく、やりたいことをやればいいと。

 やりたいこと。己の人生にさえ目的を見出せなかったギーにとって、これ以上の難題はない。

 だから考えた。自分の目的、欲求、願望。そもそも自分は、何故巡回医師などやっていたのか。

 

 その答えがこれだった。

 現実を直視できない子供の我儘、善行になり得ない単なるエゴでしかない。

 全員を救うことは決してできない。それでも。

 それでも、ギーは目の前で苦しむ誰かを放っておくことができなかった。

 これはただ、それだけの話だったのだ。

 

「一応、ヘルメット団全体をこちらで雇い直すなり、懐柔するなりの目算もあってのことだったんだが」

「明らかに後付けでしょ、それ」

 

 ギーは何も言い返さずただ曖昧な表情で応えた。カヨコは追加でもうひとつため息。

 

「けど、アビドスの子たちも何を相手にしてるかと思えば、まさかカイザーとはね」

「知っているのか」

「むしろ知らない子のほうが少ないでしょ。金融にインフラに小売りに観光、その他諸々を牛耳ってる巨大企業。ゲヘナ(うち)はともかく、トリニティやミレニアムにも進出してるって話だよ」

 

 キヴォトスに来て日が浅いギーはつい先日まで全く聞き覚えのない企業だったが、聞けば聞くほどに常識外れの大企業であることが伺える。空想小説に登場する秘密結社が如き、と内心で思ったりもしたものだった。

 

「アビドス前生徒会の会計記録から分かった。今現在、アビドス自治区の土地の大半はカイザー系列の所有となっている。資金難に付け込まれて不要な土地を売却、という流れを何回か繰り返したようだ。今では本校舎周辺しかアビドス所有の土地は残っていない」

「……それ、もう自治区として崩壊してるんじゃないの?」

「名目上、自治区の主体が生徒会である以上、副会長の小鳥遊ホシノがいる限り行政権は失われない。とはいえ生徒会も機能不全に陥ってるから、カイザー側もさらなる土地の売買交渉を行えなくなったのだろう。ヘルメット団を雇っての武力行使はそのためだろうね。生徒会長不在だったことが逆に功を奏した形になる」

 

 何故そこまでアビドスの土地にこだわるかは分からないが、とギーが締めたところで。

 

「小鳥遊ホシノ、か」

「何か気になることでも?」

「いや、そういうわけじゃないんだけど……一歩間違えてたら私たちもカイザーに雇われてアビドスと敵対してたかも、って考えるとね。正直、アビドスとはやり合いたくない」

 

 知らず、カヨコの表情は鬼気迫るものとなっていた。愛用の火器を握る手に力が入る。

 

「昨日先生がアビドスに行った時、当然私たちも先生の護衛として後方で待機してたわけだけど。

 小鳥遊ホシノは私の監視に気付いてたよ。500m先のスコープ越しにはっきりと目が合った。

 あの感覚は風紀委員長に追われた時以来だね。はっきり言って勝てるビジョンが欠片も思い浮かばない」

 

 だからさ、と。ほんの少しだけ弛緩した口調で。

 

「これでも先生には感謝してるんだよ。割の良い仕事にもありつかせてもらったしさ。だからってわけじゃないけど」

 

 笑み。

 口元の端を僅かに上げて、言い含めるように。

 

「死ぬとかそういうの、あんまり言わないでよね。ただでさえここ最近、アビドスは鋼鉄(クローム)の化け物が出るとか色々変な噂が立ってるんだから」

「……すまない、善処する」

「ま、他人の事情には首突っ込まない主義だけどさ」

 

 約束する、とは言えなかった。

 確約できないことは断言しない。それが自身に定めたルールだった。

 とはいえ、事態は徐々に収束に向かっている。そうギーは思っていた。

 アビドスに巣食う問題の根幹が見え始め、当座の解決法は既に提示されている。

 このままいけば或いは、と。そう思いたかったのかもしれない。

 

 問題が発生した。二つだ。

 その後、アビドスへ戻ったギーのもとへ二件のメッセージが寄せられた。「うちの社長がやらかした」というカヨコからの謝罪と、どこか愉しげな文面によるヒマリからの通達だった。

 曰く、ブラックマーケットの銀行に数人の強盗が押し入ったという情報。

 当該銀行の監視カメラをハッキングしたと思しき添付画像には、見覚えのある黒いガスマスクの姿もあって。

 ギーは思わず天を仰いだ。

 

 そしてもう一つ。

 その夜、奥空アヤネが倒れた。

 理由も原因も、何もかもが不明のままである。

 

 

 

 

 

   ♰♰♰♰♰♰♰

 

 

 

 

 

 ───巨大な機械が駆動する重低音。

 ───装甲部の隙間が擦れる金属音。

 ───そして、断続的に響き渡る巨大な破砕音。

 

 夜の暗がりに在って。

 漆黒に閉ざされた小道を走る小さな人影があった。小柄な体躯、少女のようにも見える。

 少女は走る。何かから逃れるように、或いは何かを求めるようにか。

 

 ───ハっ、ハァっ、ハァっ、ハっ。

 

 規則正しく漏れる少女の吐息は、夜の冷たい空気に溶けて消える。

 それは同時に響く轟音───積み上がった瓦礫を砕く巨重の前脚に比すれば、あまりにも小さな音だったから。

 

 鋼鉄の怪物(クラック・クローム)

 そう噂される存在がある。夜な夜などこかに出現し、不運な生徒を襲うのだと。

 ならばこれがそのフォークロアなるものなのか。

 真偽は知らず、だが事実としてその鋼鉄は暗がりの瓦礫をいとも容易く破砕していた。

 

 少女の吐息。

 鋼鉄の轟音。

 二つは徐々に、徐々に近づいていく。

 やがて二つの距離が完全に狭まり、重なったその瞬間。

 

 

「────────────!!」

 

 

 夜の街に、甲高い悲鳴が木霊した。

 聞き届けた者は、誰もいない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。