悪の帝国   作:オンドゥル大使

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『イーヴィル・エンパイアⅢ』

 

「わたしが仕事をする流儀、というかポリシーがあってね。それは絶対に他人に干渉しない、という事だ。実体に干渉すれば、それは身の消滅を招きかねない。だからこそ、わたしは生きていた頃以上に慎重になる。とは言っても、生きていた頃の記憶はほとんどない。だから慎重、とは言ってもそれは結局度合いだ。どれだけ相手を注意深く観察するのか、どれだけ距離を取るのか、という度合いになってくる。わたしが相手との距離があると思えば、相手は自分の存在をわざわざ明かす事もないだろう。わたしは、孤独を愛する。人一人分の孤独は、実のところ生きていた頃にはなかなか味わえない、というのが死んでから分かった。生きている人間、実体は群れを好む。これは人間の生まれ持った性かもしれない。どれだけ口で達者に他人との距離を置きたい、独りがいいと言っていても、この情報化の社会で本当に独りになれるのは、死者だけだ」

 そこまで綴ってから、隣にいる少女が声を発する。

「ねぇ、幽霊さん。さっきから何を書いているの? やっぱり幽霊にも備忘録って必要なのかしら?」

 ぼさぼさの髪をした、暗い眼の少女だった。いわゆるゴシックロリータに分類される服飾を纏っており、手には人形がある。

 ジュペッタと呼ばれるポケモンの人形を手にしたまま、少女は続ける。

「でもよかった。こういう人っているのね。あたし、牛乳を売っていただけなのに、まさか幽霊と出くわすなんて。思わなかったわ」

 カルマは日記から視線を外して額に手をやる。

 どれだけ無視を貫いてもこの調子だった。

 カルマは今、精神体の見える少女に付き纏われていた。

 

 カロスでの仕事は簡単であった。

 いつも通りの精神体殺し。怖い家、と名付けられたホラースポットには精神体が実はおらず、いたのはその周辺の沼地だった。

 沼地に三体の精神体がぼうっと突っ立っており、時折実体の人間に話しかけるのだ。

 どうやらこの精神体達はホラースポットに興味を持って訪れる実体の人間に話しかける事を目的としているらしく、そのせいで消える運命を免れているというある意味では奇跡の存在である。

 だが精神体がのさばるのを許していいわけがない。半分点数稼ぎの気持ちで、カルマは精神体を殺した。

 特別な事は何もしていない。

 いつも通り、ゴーストタイプを使役し他のポケモンを追い立てると恐慌状態になった一人が他の二人にすがりつき、結果として三人とも消える事になった。

 あまりにあっけない幕切れにカルマでさえも拍子抜けだったが、案外精神体殺しがいたについてきたのかもしれない。

 殺すのは慣れたし、何よりも調子がよかった。

 いつもより気分がいいので少しばかり遠出でもしてみよう。カロスを一周するのも悪くはない、とカルマは思ってしまった。

 フウジョタウンという田舎町を訪れた際、モーモーミルクを売っている少女がポケモンセンターの隣にいるのが目に入った。背格好は少しばかり猫背で、どうして牛乳など売っているのか、とカルマはちらちら見てしまった。

「特別に貧乏なのか? あるいはそういう家系なのか?」

 思わず口に出してしまったその時、あっ、と向こうが口を開いたのだ。

「あなた、誰……?」

 カルマは困惑した。当然、自分以外の実体に話しかけているものだと思ったのだ。

 だが近くには実体は存在せず、カルマを指差して少女は口にする。

「誰なの? 何で、あたしにしか見えていないの?」

 まさか、とカルマは後ずさった。

 あり得ない話ではない。だがルールにあったはずだ。

 実体は精神体に干渉出来ない、と。

 だから祈祷師やその他諸々の連中は存在しないのだ。

 だが少女は明らかにカルマに気づいて歩み寄ってきた。

「まさか、幽霊さん?」

 そこでカルマは、終わった、と感じた。

 精神体だとばれてはいけない理由はないが、どうしてだかこの時、とんでもない間違いを犯したのだと思ったのだ。

 実体である人間を呼ばれれば逃げにくくなる。そう感じていた矢先、少女は羨望の眼でカルマを眺めた。

「幽霊さんなら、お願い。あたしを連れて行って」

 開いた口が塞がらなかった。

 一体何を言っているのだ。

「ずっと思っていたの。あたしには特別な力があるはずだって。なのに、こんな仕事……。もうたくさんよ!」

 牛乳を抱えていたのを全部叩き割って少女は近づいてきた。

「幽霊さん、自由なんでしょう? だったら、あたしも自由にして」

 カルマは無視して歩き出そうとしたが少女は後ろをついてくる。

 どれだけ駆け足になろうとも関係がなかった。

 バスに飛び乗ってようやく振り切ったかと思えば、しっかりと隣に座っているのである。

 カルマは日課である日記帳を綴りながら自分の精神状態を保っていた。

「でも、嬉しいわ、幽霊さん。あたしの前に現れてくれて」

 これは何かの間違いであろう。

 だが少女は問題ないように続けるのである。

「あたし、アザミ。トレーナー登録では、オカルトマニアってなってる」

 アザミと名乗った少女のほうをずっと見ないようにしていたが、彼女が突然バスの中で立ち上がったものだから仰天した。

「……幽霊さん。あたし、幽霊さんの行くところについていくわ。連れて行って」

 会話をしてはならない、と無言でいるとアザミは泣き出した。

「……やっぱり、幽霊さんまであたしを否定するのね」

 咽び泣く少女にバスの乗員達が目線をちらちらと向ける。これ以上目立つと降りにくくなる。カルマはようやく口を開いた。

「……精神体なんて、実体の人間が見えるもんじゃない」

 その言葉にアザミは顔を明るくする。

「やっぱり! 幽霊さんなのね!」

 カルマは額に手をやって、「座ったらどうだね」と声にした。

 アザミは座り込み、嬉しそうに顔を綻ばせている。

「嬉しいわ、幽霊さんから話しかけてくれるなんて」

「話しかけなければわたしとしては不都合だった。それだけだよ。しかし、君もおかしな人間だ。精神体……いいや、幽霊に話しかけるなんて」

「あたし、ずっと夢見ていたのよ。幽霊さんが目の前に現れるのを」

 どうやら随分と夢見がちらしい。カルマは一呼吸置いてから、「そりゃなんとも」と返す。

「幽霊なんて追いかけるもんじゃないよ」

「でも、幽霊さんは答えてくれた。あたしの言葉に」

「……答えざるを得ない状況を作っておいてよくそんな」

 恨み言をぶつけても仕方あるまい。カルマは唇の前に指をやって声にする。

「一つ、わたしの声は普通のものには聞こえない」

 はっとしてアザミが口を噤む。おかしいと思われればそれだけ動きづらくなる。

「だからこのバスの中ではイエス、ノーを首を縦に振るか横に振るかで答えて欲しい」

 アザミが首を縦に振る。カルマは、「よし」と話し始めた。

「今まで、わたしのような者が見えた事は?」

 ノーである。カルマは偶然という線を捨てて話を続ける。

「では、ゴーストタイプに特段に好かれた事は?」

 これもノーであった。あまりの手応えのなさに怪訝な顔を作る。

「……では、最後だが。わたしの声も、姿も、ハッキリ見えるのだね?」 

 これにはイエスだった。カルマは参ってしまう。

 今まで精神体の見えた事のない人間がいきなり見えるようになってしまう。それはあり得ないケースではない。

 現実にそういう事があってもおかしくはないのだが、それは精神の磨耗した人間の見る幻影か、あるいは幻覚の類だと思っていた。

「……おかしいな。わたしが見えるはずがないのに」

 アザミはノーの意思表示をする。

 何故、見えるのか。カルマはとりあえず降車ボタンを指差す。

「わたしにはボタンとかは押せないんだ。実体に干渉した動きは出来ない。だから押してくれないか。次の停留所で降りるよ」

 アザミはイエスの意を示し、ボタンを押した。

 声も、言っている言葉の意味も分かっている。

 ではこの少女は何者なのか。その疑問に突き当たった。

 

「あたし、ずっと幽霊さんが見える、って言ってきたの」

 どういう経緯か、カロスの大都会、ミアレシティをカルマは歩いていた。

 これほどの大都市となればちょっとおかしい人間が一人いても誰も気にすまい。そう考えての行動だった。

「それはまた、何で?」

「特別になりたかったのよ。何かの特別に。だから居もしない幽霊さんをずっと居るって言い続けて、それでオカルトマニアのトレーナー資格も取って、ずっと自分を取り繕ってきた。有り体に言えばキャラを作ってきたの」

 それはまた災難だ、とカルマは感じた。

「でも、あたしには何の能力もなかった。だから実家の稼業を継いで、やりたくもないモーモーミルク売り……。来る日も来る日も、ただただ牛乳を売るだけ。目立ちたくってポケモンセンターの隣で売っても、誰も気にも留めない。あたしの格好なんて、その辺にいるもっと頭の沸いた奴に比べれば普通なんだって、ようやく気づいたのよ」

「なるほど」

 スペシャルでいたいと思った少女の悲劇、というわけか。実際のところアザミは何の特殊な能力もなく、どこまでもただの少女であった。

「でも、ようやく……ようやくよ! 幽霊さんが見えた! という事は、あたし、本物なのよ! 本物のオカルトマニアなんだわ!」

 どこまでも嬉しそうにアザミは語る。しかしカルマからしてみればそれは不幸であった。

 特別になりたい少女が、ようやく凡人だと思えた瞬間に、自分は最悪の出会いをしてしまった。

 ある意味では道を歪めた。

 実体に干渉したも同然だ。

 上から消されるかもしれない。いや、それよりもこの少女に一瞬でも抱きつかれれば自分は消滅の危機だ。

「……アザミ、とか言ったね。何をそんなに、特別であろうとするんだ? 君は、別にいいじゃないか。凡人である、という証明があれば。何で、そんな……中途半端な能力は不幸だ。能力を中途半端に持ってしまえば、目的がなければ生きていけない」

 自分のように悪人であるのならば、それは仕方のない道なのかもしれない。だがアザミはただ騙っただけだ。幽霊が見えると。それは重罪でも何でもない。ただのよくある、はしかのようなものだ。

 アザミは目を見開いてカルマを見つめた。

「……何でそんな事言うの? 幽霊さんが見えてはいけないの?」

「見えないほうが幸せだ。特別であってもそれは同時に不幸を、悪徳を背負い込む覚悟がいるんだよ。悪い事は言わない。幽霊が見えたほうがいいなんて冗談はやめるんだ。わたしが、どうして人間なんてものに希望を抱いていないかと言えば、それは誰しも特別ではないからだ。特別な人間など、一億分の一に過ぎない。その一はスペシャルじゃない。孤独だ。だから割を食っているのだと納得出来る。特別な人間は特別に孤独なんだ。だから、それで世の中は回っているのだと、理解出来るんだ。世の中の仕組みとして、特別は特別な罪を背負わない限り、不幸なだけだ」

 カルマの言葉にアザミは呆然としていたがやがて嗚咽を漏らし始めた。

「どうして……。どうして、幽霊さんまでお父さんや、お母さんみたいな事を言うの? もういいじゃない! 特別で何が駄目なの? 何が悪いって言うの!」

「違う、わたしの言いたいのは――」

「幽霊さんなんて嫌いよ! 大っ嫌い!」

 アザミは駆け出してしまった。

 カルマは帽子を傾けて思案する。

 今のは自分が悪いのか。だが幽霊など、見えないほうが幸せなのだ。どう考えても精神体の殺しなどに付き合わないほうがいい。

「馬鹿だな、わたしは。ガラにもなく熱くなってしまって……」

 あの少女に殺し屋、だとは名乗れなかった。

 あそこまで夢を見て、理想を描けている人間にそんな酷い事は言えない。

 死んだ後も同類殺しをしなければならない運命があるなど。

 そのような惨い行いを許している存在がいるなど。

「……彼女は、あれで幸せなのかもしれない。わたしなどが現れないほうが、幸せなのかも……」

 アザミの飛び込んでいったビルを見やった。

 瞬間、全身が総毛立つ。

 気配だ。

 圧倒的な気配が自分を押し包んでいる。

 これは同じ種類の存在を感知した時のものだ。

 精神体、それも特別に巨大な何かがこのビルにいる。

 カルマは躊躇した。

 まだ殺しの依頼は来ていない。もしかすると、殺さなくてもいい精神体なのかもしれない。

 だとすればこれは徒労だ。自分はやらなくていい事までやるほどお人好しでもなければ、人間に希望を見出しているわけでもない。

 だが、それでも――。

「……ああ、くそっ! わたしは、格別に馬鹿だな」

 実体の人間を利用してビルへと入り、エレベーターに飛び乗った。

 気配の位置は二階だ。だが、とエレベーターの階層ボタンを目にする。

「二階なんてない……」

 意図的か、あるいは人知れずなのか、二階層で止まるボタンは精神体にしか見えないように細工がされていた。

 もしアザミが二階で降りたのだとすれば。自分しか助けられない。

 しかし先ほど言ったばかりではないか。

「精神体は実体に干渉すればダメージを負う……。だが、わたしは……。わたしの役割は……」

 二階層のボタンを押す。同乗していた人間が怪訝そうに眉をひそめた。

「二階? 何で止まったんだろ」

 どうやら意識圏の外らしい。

 開いた一瞬のうちに二階に飛び出したカルマも目に入っていないようだ。

 当然の事ながら、このビルを実効支配する精神体の事も。

「あなたは、違う……」

 いつの間に背後に立たれていたのか、アザミと同じ格好をした少女が浮かんでいた。

 アザミは、というと恐怖で足が竦んでしまったらしい。この場所へと吸い寄せられたもののそれ以上はこの精神体に束縛されている。

「自縛霊、という奴か。わたしは今まで、数々の精神体を殺してきた。その中にはもちろん、君のような害を成す精神体もいたが、ここまで強力なのはいなかったな。空間の実効支配、時間静止、どれも違うか……。実体の人間の動きを支配するなど、まともな精神体のやる範疇を超えているよ」

「あなたは、違う……」

「そうだろうさ。わたしは違うよ。精神体の、殺し屋。悪の側面だ。このビルに巣食う悪しき精神体、ここで滅殺する」

 だが武器も何もない。ポケモンも手離してしまっている。

 この場で唯一、自分の武器となるのは、一つだけだった。

「アザミ。君だけだ」

 名を呼ばれてアザミは肩を震わせる。

「あた、し……?」

「わたしに向かって抱きついてきて欲しい。それだけでいい。君の勇気があれば、この精神体に勝てる」

「幽霊さんが、この子に勝てるの……?」

「ああ。わたしが、勝つ」

 少女の精神体の呪縛が強くなる。

 膝をついてしまい、もうこの場から離れられなくなってしまった。

 だがアザミならば。もしかすると可能性はある。

 アザミは立ち上がった。よろよろと危ない足取りではあったが、カルマは身体を開く。

「来るんだ! 君が来れば、わたしは勝てる!」

 アザミは目を瞑って駆け出す。

 それが幸いした。

 アザミの抱きつくギリギリのところでカルマは身をひねる。

 すると自分を抱きつくはずだったアザミの手が抱いたのは、後ろに立つ精神体だ。

「ルールの一つだ。実体が精神体に触れれば、その力の差で、精神体は敗北する」

 少女の精神体がアザミの腕の中で消え去る。

 この場に降り立っていた重圧が消え、カルマは立ち上がった。

 帽子を目深に被り、精神体の最期の声を聞く。

「まさか、こんな形で消えるとは思わなかっただろうな。ずっとこのビルを根城にしていたらしい」

 ある意味ではお手柄だ。カルマはアザミを呼びかけた。

「勝ったよ。アザミ。こっちを向いてくれ」

 しかしアザミは惑ったように視線を彷徨わせる。

「あれ? 幽霊さん? どこに行ったの?」

 カルマは目を見開く。真正面にいるのに。

「アザミ。わたしの声が、聞こえなくなって……」

「幽霊さん。どこ……」

 アザミは所在なさげに呟き、自分の傍を通り過ぎる。

 カルマは、「……そうか」と理解した。

「そういう事か。わたしを恨む世界は、こうして、わたしにまた孤独を味わわせる……」

 これは天罰なのかもしれなかった。

 自分は精神体を殺し、殺されの世界でしか生きられない。

 甘い夢を見ていたのは、自分のほうだ。

「そういう罰で、わたしを責め立てるのだな。世界よ」

 孤独など感じる暇はなかった。

 だがアザミとの、無垢なる少女との一瞬の邂逅は自分により深い絶望を感じさせる。

 この世に自分の居場所など一つもないのだと。

「そうだろうさ。わたしは悪党だ。――だが、こんな仕打ちは! 世界よ! 貴様をわたしは恨むぞ! わたしだけならばまだよかった。貴様は、彼女をも愚弄した!」

 独りは自分だけで充分だ。

「きっと! わたしは悪党だろう。この世でも許されざる、そういう存在かもしれない。だが、悪には悪の終わり方がある! 希望を掴ませておいて、こうして手離すのならば、お前らのほうが悪だ!」

 カルマは振り返る。

 実体に触れれば、精神体は消滅する。

 アザミへと最期の包容を。

 彼女には伝わらないかもしれない。それこそ自己満足かもしれない。

 だが、自分は……。

 悪である自分は、愛に消滅したい。

 抱きかかえようとした瞬間、意識が途絶えた。

 

 ハッとして、カルマは目を覚ます。

 どうやら自分は上役を前にして居眠りをしていたらしい。

 我ながら太い神経だな、と自嘲しようとすると、どうしてだか手の甲に水が滴ってきた。

 違う、と目元を擦る

 ――涙だ。

 どうして自分が涙など。

 わけも分からず、自分でも不思議であった。

「そうだ。わたしは、日記帳を、新しいものが欲しくなって」

 上役に頼みに来たのだ。今までの日記帳を開く。

 日記帳の最後のページは小さな文字が記されているだけだった。

「愛」と、一文字だけ、隅っこに書かれている。

 意味も分からない。

「カルマ、どうした?」

 上役の声にカルマは首を傾げる。

「分からない。わたしは、何なのだろう」

「殺しを遂行せよ。新たな精神体を殺すのだ」

 そうだ。それこそが自分の、死んだ目的。

 踵を返そうとすると声が投げられた。

「カルマ。お前の信じるものは」

 そんな質問。知れている。

「我が身の、(カルマ)だけですよ」

 

 

『悪の帝国』 完

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