バキィッ
拳が振られた瞬間、そんな音と共に醜悪な怪人は青空の向こうへと飛んでいく。空を揺蕩う雲を散らす程の一撃によって命を刈り取られたらしく、悲鳴すら上げることはなかった。
「うし、これで片付いたな」
赤いグローブを付けた手をはたき、汚れを落とす男は、覇気のない顔のまま呟く。身体にフィットした黄色いスーツと風で揺れる純白のマントという目立つ出で立ち。
そしてその服装以上に目立つ、陽光を受けて煌めく綺麗に禿げ上がった頭部。
一仕事終えてスッキリした、と言わんばかりの男、サイタマ。自らをヒーローと名乗り、そしてヒーロー協会という組織に所属している彼。そんな爽やかさを感じさせる彼の周りには、夥しい肉片の数々。爽やかとは無縁の阿鼻叫喚の地獄絵図だった。
場所は、M市の一区画。“怪人”と呼ばれる生きた災害によって人々は逃げ出し、周囲には誰もいない。つい先ほどまで、怪人が群れをなして我が物顔で暴れていた……が、それも数秒前の話だ。
「サイタマ先生!」
不意に、サイタマの頭上から声がかかる。サイタマが気づき、視線を上げる。瞬間、サイタマの目の前に何かが落ちる。ガシャンという金属質な音と共に落ちてきたのは、一人の青年。短い金髪を揺らす青年は、両目の白目にあたる部分が黒く、黒目にあたる部分が金色、さらに両腕が金属でできているという異様な風貌をしていた。
そんな青年は、サイタマの前に片膝を着く形で頭を下げた。
「こちらの怪人の掃討、完了しました!」
「ああ、お疲れジェノス。なんか結構多かったみたいだな」
「いえ、この程度の雑魚であれば何ら問題ありません。先生の方こそご苦労様です!」
「いや、別に苦労もなかったんだけどな……まぁ、ある意味運はよかったかな」
言って、サイタマは片手に下げられたスーパーの店名が記されたビニール袋を持ち上げる。ぎっしり詰まっている中には、入り切らなかったネギの頭部分が飛び出している。
「特売の後でよかったぜ。タイミングによっちゃ、間に合わなかった可能性もあったし」
「そうですね。では急ぎ帰りましょうか」
「だな。今日は鍋にすっか」
「はい、腕によりをかけて作らせていただきます!」
そんな他愛もない会話を常人なら発狂しかねない光景が広がる中でしながら、二人は並んで歩き出した。
これまで多くの敵をワンパンで打ち倒してきた史上最強にしてB級ヒーロー『ハゲマント』サイタマ、そして全身が機械化しているS級ヒーロー『鬼サイボーグ』ジェノス。師弟関係にある二人のヒーローは、今日も今日とて日常を謳歌していた。
「それにしても、最近怪人の出現数多いよな」
「ええ。他の市も怪人による被害が後を絶たないとか。いずれも災害レベル狼か鬼で、レベル竜が出ていないのは幸いかもしれませんが。それでも、街の人々の不安は大きいでしょう」
「だよなぁ……まぁ、出てきたら出てきたで退治しねぇとな。こないだなんて特売してるスーパー、ぶっ壊されたし……」
サイタマの脳裏をよぎる、先日の不幸。ギリギリ特売セールが始まる時間にスーパーに駆け込んだ瞬間、巨漢の怪人が出現、スーパーの一部が破壊され、セールはおじゃん。夕飯の材料が手に入らず、その日はふりかけごはんになってしまった……当然、件の怪人はサイタマにワンパンKOされてもうこの世にいない。
「そうですね。我々ヒーローが、誰かの希望になればいいのですが……いや、先生がいれば誰も不安になんてなりませんか」
「……そんな大層なもんになるか? 俺が」
「何をおっしゃいます、先生程の方がこの世界にいることこそ、我々の光なのですから。先生こそ世界を照らす光そのものです」
「おう、大袈裟に言うのもそうだけど光に例えんのやめろ。なんか気になんだろが」
弟子であるジェノスは、住まいにまで押しかけてきて共に暮らす程にサイタマを崇拝に近いレベルで尊敬しているため、サイタマを神格化するのは今に始まったことではないにしても、その例え方には何か引っかかるものがあったサイタマはやや強気に窘めた。どこを見て光と言っているのか。悪意が無い分、余計性質が悪い。
(にしても、光なぁ……)
ふと、ジェノスの言う光、つまり希望というものについてサイタマは考える。
ヒーローは、戦えない人々にとっての希望なのは間違っていない。そのためにヒーロー協会はあるのだから……と言っても、サイタマ自身、自分はそんな器じゃないことは百も承知だ。
ヒーロー協会に身を置いてるのも、ヒーロー活動するために置いてるだけだ。組織にあるしがらみも、ヒーロー同士の足の引っ張り合いにも興味はない。大体、サイタマは自分がそんな人気のあるヒーローでないことはわかっている。見てくれが強者のそれでないということもあり、その強さはインチキだと今でも道行く人に後ろ指さされて陰口を叩かれるなんてざらにある。だが、そんなことサイタマにとってはどうでもいいし、気にも留めない。
そう、サイタマは誰かの希望になるとかそんなのどうでもいい。ヒーローは趣味だ。趣味ができれば、それでいいのだ。だからこれまでもこれからも、変わらずサイタマはヒーローを続けるのだ。
「……やっぱガラじゃねぇな」
自身を称える声も喝采も欲しくはない。そんなのはオマケ程度、あったら嬉しいなくらいのもの。そう考えているサイタマはボソリと呟くのだった。
そうして、サイタマとジェノスは誰もいない道を歩く。住まいのあるZ市まであと少し、という時。
二人の前にあるビルが、爆発と共に崩れ落ちた。
「あ」
思わず立ち止まる二人。別に恐怖とかではなくて『なんか爆発した』程度の驚き。そんな二人の前に、粉塵やら爆炎の煙やらが立ち昇るビルの跡からのっそりと現れる影。
『ヒャハハハハ! どうだ驚いたか!! 俺様は爆破解体の快感に目覚めて爆弾を作りまくって爆破しまくった挙句に怪人化した『ボ〇バーマン』様だぁ! 災害レベルは神! この世のありとあらゆる物全てを爆破解体してやるぜぇぇぇぇ!!』
露わになった影は、身長3m程の大男。目元のみ出ている白いマスクにハイレグのような青いぴっちりとした服を着た男は、目元からわかる醜悪な笑みで二人を見下ろしていた。
「……なぁ、著作権とか大丈夫なのかこれ?」
また怪人が現れたということにげんなりしつつ、サイタマは先日友人と一緒にプレイした俯瞰視点のゲームのキャラに似た風貌の大男、もとい怪人に、どこかズレた不安を抱きながら言った。目の前の怪人はというと、サイタマとジェノスが己におびえて立ち竦んでいると判断した怪人は、にやけた目元をより一層歪める。
『お前ら、光栄に思え! お前らが最初の人間を対象にした爆破解体第一号だぁ!!』
「……先生、お下がりください」
「ん、任せた」
調子づいている怪人に一歩、ジェノスが近づく。サイタマはジェノスが持っていたビニール袋を代わりに持ってやると、言われた通り下がった。
『あぁん!? なんだぁテメェ!? 一人で何ができるって』
「焼却」
『おぼっ』
怪人が言い切る前に片手を突き出したジェノスの掌から噴き出す照射状の炎。鉄を溶かす1000℃以上の熱を至近距離からまともに食らった怪人は、上半身を真っ黒こげにして仰向けにゆっくりと倒れ込んでいった。鈍い音と共に怪人の身体がアスファルトに沈む。
怪人が現れて一分もかからず退場。戦いとすら呼べない、呆気ない幕切れであった。
「終わりました」
「お疲れさん。流石だな」
「いえ、まだまだです。けれども、ありがとうございます!」
軽く怪人を退治したジェノスを称賛しつつビニール袋を返すサイタマ。それを受けて、謙遜こそしつつ内心は歓喜に溢れたジェノスの口が僅かに緩んだ。
「んじゃ今度こそ帰るかー」
「はい!」
再び歩き出す二人。後に残されたのは、崩れて瓦礫となったビル。そして上半身が炭化して事切れた怪人。
S級ヒーロージェノスの一撃は、サイタマ程ではないにしても、並の怪人ならまともに食らってはただではすまない。今回の怪人もまた、そのジェノスの一撃を図れなかった故に敗北を喫したともいえる。
『……グ、グギギ……!』
が……ジェノスもまた見誤っていた。
『よ、よくも……よくもやりやがったな……!』
退治した筈の怪人の、予想以上の生命力を。
『た、ただじゃ死なんぞ……お前らも、道連れだ……!』
かろうじて生きていた怪人は、倒れ込みながら懐を探る。取り出したのは、光沢を放つ真っ黒いボール状の物体。己の顔程大きいそれには、生えるかのように短い紐が付いており、怪人は同時に取り出したライターを着火、紐に火を灯した。
それはまさしく、ゲームで見かけるような爆弾のよう……いや、
『死ねぇ……!』
爆弾そのものだった。
「……ん?」
「先生?」
仰向けのまま、離れていくサイタマとジェノス目掛けて爆弾を放り投げる怪人。直後、力尽きて手が地面に落ちた。
爆弾は、怪人の遺志が宿ったかのように地面を転がっていく。その音にいち早く気付いたのは、サイタマ。超人的聴覚が聞きなれない音を捉えて振り返ると、自分たちに迫る黒い物体が視界に入ってきた。
それにサイタマは見覚えがある。丸くて、黒い物体。紐に点いた火は空気が抜けるような音をたてながら火花を散らしつつ、紐、もとい導火線を消していく……まさにゲームで見た物と同じ光景。
「あ、やべ」
この後に待ち受ける展開に想像がついたサイタマは、咄嗟にジェノスを庇うように立つ。ジェノスはサイタマの行動がわからず目を見開いた……直後、閃光が走る。
そして、半径4mを吹き飛ばす程の爆発が二人を襲うのだった。
―――――パリィン
「………………あれ?」
閃光、爆音によって真っ白になった視界と一瞬の静寂。次に目を開いた時、サイタマの視界に飛び込んできたのは、先ほどの光景とは一変した景色だった。
サイタマの頭上を覆うように広がる深緑の葉。そこから差し込み風と共に揺れる優しい木漏れ日。耳に届くは揺れる木々のざわめき、小鳥の囀り。
ゆっくりとサイタマが身体を起こせば、周りは木々に囲まれ、足元には草が生い茂っていた。風が運んでくる草の香りに、サイタマは目を瞬く。
「……どこだ、ここ?」
立ち上がり、見回すサイタマ。先ほどまでM市の、都会のど真ん中にいた筈なのに、なんでこんな自然豊かな場所にいるのだろうかと、サイタマは頭を掻いて途方に暮れる。というか、立っていた筈なのにいつの間に仰向けに倒れていたのだろうか。
と、ここでサイタマは思い立つ。
「あ、なるほど。爆風で吹っ飛ばされたのか」
そういうことかと、サイタマは納得した。先ほどの怪人の爆弾の威力は確かに強かった。サイタマにダメージこそはないが、衝撃まではどうにもできず、成すがまま吹っ飛ばされたのだろう。それで都会から遠く離れた森に落ちた……そんなところか。
「ってなると、ここどこだ? つか、M市にこんな場所あったっけ?」
自然公園かどこかかと、サイタマは見回す。人工物らしき物は見当たらず、動物の気配はすれど人の気配もはない。
まいったなと、サイタマは頭を掻く。
「今日買ったやつ、早く冷蔵庫に入れたいんだけどなぁ」
手に持つビニール袋に入っている生鮮食品の数々。特売セールを勝ち抜いて手に入れた白菜に卵6個、その他諸々。気温は高くないとはいえ、長く外に出していると品質が変わってしまう恐れがある。
「どうしよっかな~。なぁジェノス、ここどこかわか……あれ?」
弟子である彼の意見を聞こうとする、が、今になって気付く。
ジェノスがいない。一緒に吹っ飛ばされたものと思っていたが、影も形も見当たらなかった。
「ジェノスー? おーい」
手を筒にして呼びかけるが、返事がない。何度か繰り返すも、待てど暮らせど変わらない。サイタマが呼べばすぐに飛んでくるサイタマバカの彼から反応がない、ということは……。
「マジかぁ……完全にはぐれちゃったのか」
連絡しようにも、通信端末を持たないサイタマにそんな手段はない。いつも一緒にいた弟子の存在が感じられないことに、サイタマの中にも寂しさが生まれる……
「しょうがねぇ、とりあえず歩くか。そのうち見つかるだろ」
こともなく。ジェノスなら大丈夫だろうという根拠はないが自信を持って言えるサイタマは、ひとまず歩き出すことに決めた。
排気ガスの臭いがしない、新鮮な空気を吸う。こんな場所があったんだなぁと、まるでピクニックに来たかのような呑気な思考のままスーパーのビニール袋片手にサイタマは森の中へと進んでいくのであった。
「アウラ様、リーニエの魔力探知に反応がありました」
日中であるにも関わらず、薄暗い廃墟の城。唯一の光源は窓から差し込む太陽の光のみという、その奥まった場所にある広い部屋のさらに奥、城の主が座る玉座に二つの影があった。
一つは玉座の前に立つ、灰色に近い長い髪を持つ長身の男。その男の前、玉座に足を汲みながら座るのは、紫に近い赤の髪を6本に編み込んだ独特な髪型の女。男は女の前で恭しい態度で報告すると、対するアウラと呼ばれた女は尊大な態度で「ふーん」と返す。
「私の魔力探知には反応なかったけど? 数は?」
「一人です」
「一人? たった一人で乗り込んできたっていうの?」
僅かに目を見開いて驚く反応を見せるアウラに、男は続ける。
「はい。しかし、どうも奇妙なのです」
「奇妙?」
「魔力の反応が小さすぎるのです。魔法使いではない人間よりもさらに少ない、ゼロに等しい程に……そんな存在だからなのか、探知に長けたリーニエも反応するのが遅れてしまい、この城の近くにまで来てようやく気付けた次第です」
「……へぇ?」
男からの報告に、アウラは意外だとばかりに小さく笑う。
「如何いたしましょう?」
「そうねぇ……」
アウラは顎に手を添え、逡巡する。ここがどういった場所なのかわからない愚か者が迷い込んできたのか、或いは……そう考えたところで、アウラは小さく、不敵に笑った。
「グラナト伯爵領に攻め込む前の準備運動にはなるかもね……リュグナー」
「は」
「そいつがこの城に来たら、あなたたちが相手しなさい。あなたの目から見てそれなりの戦士だと判断した場合は、五体満足で私の前に連れてくること」
「では、使い物にならなさそうだと判断した場合はどうされますか?」
「そんなの、聞くまでもないでしょ? 首切り役人としての役目を果たしなさい」
「……御意に」
アウラに言われ、リュグナーと呼ばれた男は再び恭しく頭を下げ、後ろへ下がって踵を返した。
「行くぞ、リーニエ、ドラート」
「はーい」
「わかりました」
暗がりから二人の声。一人は少女。ゴスロリ風の服を身に纏い、桃色の髪を二つに結わえている。もう一人はくすんだ緑の髪をした少年。二人は前を歩くリュグナーの後ろを追従する。
窓から差し込む日の光が、三人を照らす。眩い光に反射する三人の髪……その両側頭部からは、山羊を思わせる鋭い角が生えていた。
三人が部屋から去り、一人残されたアウラは玉座に掛け直す。アウラにもまた、湾曲した二本の角がある。
「さて……たまたま森に迷い込んだのか、それとも私たち“魔族”に、この私に単身挑みに来たのか……まぁ結局どっちもバカだけど」
ゆっくりと左手を持ち上げる。その手に持っているのは、金色の天秤。
「使えるバカか使えないバカか、確かめさせてもらおうかしら」
アウラは嗤う。城へ近づいてくる愚か者の末路を思って……天秤が音を鳴らしながら傾いた。
「…………勝手に入ったら、住居不法侵入になるよな……ヒーローとしてそれはダメだよなぁ……」
「我々魔族の根城に迷い込んできた、哀れな人間よ」
「くたばれハゲ頭」
「随分と好き勝手やってくれたじゃない」
「き……貴様は、何者だ……」
「俺は“ヒーロー”をやっている者だ」