私の名前はユリウス・ルフェイ。
誉あるヴォルフガング公爵家に忠誠を誓う
代々公爵家に仕えてきたルフェイ一族の末席に名を連ねる者。
今でこそ誇れる身分ではあるが、私はかつて人間の奴隷商にとらえられていた過去がある。
あれはまだ私が十の年のころ、私は母に連れられてルーヴェリス王国の辺境、人間の国であるデルフォート帝国との国境地帯へ視察に訪れていた。
当時王国と帝国は戦争状態にあり、国境付近で獣人たちが人間に誘拐されているという知らせを聞き、貴族の端くれではあるが、ルフェイ家の当主である母はいずれ自分の跡を継ぐ私に経験を積ませるために、格好の機会だと私を連れていくことを決めた。
しかし、我々が想像するよりも人間たちの科学力は凄まじく、思いのほか戦況は拮抗していた。
争いの混乱の中、母とはぐれた私はまだ幼く、抵抗する力もなかったがためにあっけなく捕らえられ、商品として奴隷商のもとへ渡った。
当時こそ世界を呪わんばかりに己の不運と人間を恨んだが、今となっては感謝すらしている。
そこでこの先お仕えすることになる、レイン様と出会うのだから。
奴隷として捕まった私たちの前に連れてこられたのは、ひとりの
彼は隣に立つ奴隷商の人間とは違いみすぼらいし服に身を包み、まともな食事もとっていないのか痩せこけていた。目の前に立つ二人の人間の違いを怪訝に思っていれば、なんとこの人間の少年は奴隷というではないか。
「お前のような売れ残りは、さっさと処分するに限るんだが、あいにく今は人手が足らん。こいつらがいる間までは世話係として使ってやるからせいぜい感謝しろよ」
自らの同族、それも子供までもを奴隷にする人間の精神性に愕然とした。
それから私たちの身の回りのことはすべて彼が面倒を見た。
私たちの使用人のように働く彼だが、人間への恨みから彼へきつく当たる者は何人もいた。
が、それもすぐになくなった。
彼は一つの大部屋だった奴隷用の部屋を、種族関係なく男女で区切った。風呂も一つしかなかったので時間で男女を分けて入浴させていた。
本来奴隷に男女の区別などない。風呂も部屋も一つしかないのは人間のそういった感性からくるものだろうから間違いない。
にもかかわらず少年は、私たちに配慮してそういう仕組みを作った。
奴隷商には黙ってだ。
当然、奴隷商に余計なことはするなと詰め寄られていたが、獣人にストレスをかけすぎるとストレスで毛がすべて抜け落ちるのだと少年は言い放った。
もちろん嘘である。そんな事実はない。
しかし獣人に詳しくない奴隷商は少年の言葉を鵜吞みにし、すぐさま男女別々の部屋を用意した。
捕らえられていた女性の獣人たちは彼に心底感謝した。
何を隠そう私もその一人である。
見事騙された奴隷商を見ていた彼は、してやったりと悪戯が成功した子供のように笑っていた。
そして次に問題になったのは食事だった。基本的に奴隷に出される食事は質素なもので、一つのパンと野菜が少し入っただけのスープだ。
獣人は肉食、菜食、雑食と種族によって食べるものが違う。
肉食性の獣人たちは日に日に弱ってしまい、中には立つのもやっとというものもいた。
衰弱している私たちを見かねた少年は奴隷商のもとへ行き、床に頭をこすりつけて懇願した。その恰好が人間にとってどれほどの意味があるかは私たち獣人にはわからないが、あの少年にできる最大限の誠意なのだと獣人たちは皆直感した。
「獣人の中には肉食性の者がいます。彼らは肉を食べないと衰弱して死んでしまいます!!無理なお願いなのは承知の上ですが……どうか……」
「ええい!鬱陶しい!部屋を増設してやったばかりだというに、それになんだ肉だと!そんな高級品を奴隷なんぞに渡せるか間抜けめ!少しは考えてものを言え!」
奴隷商はそう言って少年を蹴り飛ばし、怒声を挙げながら、意識をなくした少年をなおも蹴りつける。
後から思い返せばあの奴隷商は、こうは言いつつも肉を用意する気はあったのだろう、毛が抜け落ちては商品にならぬと部屋を用意するくらいだ。
商品が死ぬとなれば黙ってはいまい。とはいえ人間の国では肉はまだまだ高級品。奴隷に配るようなものではないので憂さ晴らしに少年を蹴ったのだろう。
私たちはその様子をどこかぼんやりと眺めていたが、何人かの獅子獣人の男たちがふらふらと立ち上がり彼を守るように奴隷商の前に立ちはだかった。
彼らはついぞ人間を毛嫌いして少年を寄せ付けなかった者たちだ。
屈強だった獅子の戦士だった彼らは、今や衰弱し、非力な人間である奴隷商であっても小突けば倒れる程度の力しか残っていない。
ふらふらと揺れる体を気合で押さえつけながら、黙って少年の前に立って動かず、ただ奴隷商を睨み続けた。
十秒ほどその状態が続いたのち、どこか狼狽した様子の奴隷商は何も言わず、舌打ちをしてその場を後にした。
獅子獣人たちは奴隷商が消えたのを一瞥すると、意識を失ったままの少年を抱え上げ、奴隷用の部屋へ連れ帰った。
結局その日、少年は目を覚まさなかったが、獣人たちは彼を囲むように自分たちの中心において眠りについた。
次の日から食事に肉が出るようになった。
決して満足な量とは言えず、質も悪い粗悪品だったが、ないよりも遥かにましではあった。
獣人たちは、目を覚ました少年に感謝を伝え一緒になって喜んだ。
それから二月ほどたったが、いまだに獣人たちは一人も買われていない。
私たちが捕まった国境付近から帝都とやらまではかなりの距離があるらしく私たちの買い手を探すのに難航しているらしい。
とはいえこれも時間の問題かと思ったのもつかの間、少年がまた奴隷商の新聞をくすねて私たちのもとへ大慌てで走ってきた。
肉の一件から彼と仲を深めた獅子獣人のガルフという男が少年を出迎えた。
「おう、どうしたそんなに慌てて?ってお前また新聞盗んできたのか!お前今度こそただじゃすまされないんじゃないか?」
「うっ……そ、そんなことより!ほらこれ!見なよ!」
そういった少年が私たちに見せつけるように広げた新聞の一面をみてみんな目を剥いた。
「戦争終結!デルフォート帝国へ多種族の奴隷の返還命令だって!」
一瞬、何を言っているのか理解できなかったが、少年の言葉が何度も頭の中で反芻されるにつれ、皆の意識が戻ってくる。
「……返還…返還だって!?家に、家族のもとへ帰れるのか!?」
ガルフがそう叫んだのを皮切りに他の獣人たちも状況を理解した。
「やった!家に帰れる!」
「ああ、よかった…本当に良かった……」
泣いている者、歓声を上げる者、反応は様々だが皆一様に喜んだ。
そんな中、今まで仲間と騒いでいたガルフが急に静かになり、彼の仲間たちが怪訝そうに彼を見つめる。
「おい、どうしたよガルフ!急に黙りこくって」
「そうよ!せっかく解放されるのにどうしたのよ、そんな浮かない顔して」
仲間に聞かれて、考え込んでいた様子のガルフはようやく口を開く。
「……俺たちが、解放されたら…あのガキは、どうなるんだ?」
その一言で獣人たちは一気に静まり返った。
「どうなるってそりゃあ、今まで通り…奴隷として……っ!」
そこまで言って彼の仲間も気づいた。というより思い出した。
あの奴隷商の男が最初、少年に何と言っていたのか。
『お前のような売れ残りは、さっさと処分するに限るんだが、あいにく今は人手が足らん。
そう、私たちがいる間まで。
私たちが返還された後、あの少年がたどる未来は想像に難くない。
「どうしたの?みんな?」
そう獣人たちに問いかける少年に誰も答える勇気はなく、ガルフが重々しく口を開いた。
「言いにくいことだが……俺たちが解放されるということは……その、お前は…」
自分の状況を分かっているのかいないのか
「そんなこと気にしないでよ、もう」
と少年は苦い顔で笑って気まずそうに部屋を後にした。
もう素直に喜べる者は一人もいなかった。
それから一週間後、もともと王国と帝国の国境沿いで停留していた私たちは、早くも返還の目途が立ち、何事もなく返還のその日を迎えた。
私たちの身元引受人になったのは、なんとあの由緒正しい狼獣人の大貴族、ヴォルフガング公爵家のレイヴェル・セリオス・ヴォルフガングその人であった。
レイヴェル様の近くには、彼女の執事として帯同している母の姿もあった。
レイヴェル様のお姿を見た獣人たちはかなり高揚していた。
仕方のないことだとは思う。
かのお方はルーヴェリス王国でも二大貴族と讃えられる獅子獣人のラインハルト家と肩を並べてその一翼を担う超が付くほどの大貴族だからだ。
そう誰かが少年に説明すると、彼は笑って
「じゃあ安心してみんなも帰れるね」
「お前は、自分の心配だけしていろ!」
なおも私たちの身を案じる少年にガルフは呆れたように彼の頭を小突いた。
その後特に問題はなく返還は行われ、私たちは晴れて奴隷の首輪から解放された。奴隷となった者たちの家族も各地から集まっており皆ひとしきり再会を喜んだ。
皆が再会を喜ぶ中、獅子獣人のガルフがレイヴェル様のもとへ足早に向かていった。母がレイヴェル様の近くに控えていたため、私も彼の後ろについていく。
そして、ガルフは、レイヴェル様のもとへたどり着くなり、彼女にあるお願いをしたのだ。
「ヴォルフガング卿、この度は我らの身元引受人になっていただき、感謝申し上げます」
そういってガーフは普段の粗暴さには見合わぬ礼をする。
「ふむ……其方、ラインハルトに名を連ねるものだな」
返還されるにあたってガーフのもとに返された獅子の紋章が施された鎧を見てレイヴェル様はラインハルトといった。
「はっ、いかにも私、ラインハルト家の近衛騎士団の末席を拝命しております、ガルフと申します」
「して、ガルフよ何か用向きがあるのであろう。申してみよ」
レイヴェル様に促されたガルフはとんでもないことを言い出した。
「どうか、あの奴隷商に連れられている少年を買っていただきたい!」
「!貴様、レイヴェル様に奴隷取引をしろと申すか!」
近くに控えていた母がガルフを叱責するが、ガルフは動じることなく、レイヴェル様から目をそらすことなく続けた。
「当然!浅学な私めも奴隷取引が三国の条約によって禁じられているのは承知しております!!助けていただいた身で無礼を申していることも重々承知しております!!ですが!あの子は、私たちの恩人なのです!!このままではあの少年は奴隷商の手によって殺されてしまう!!私があの奴隷商人を殺し、あの子を連れていけるのならそうします!ですがそれは新たな戦争の火種になってしまう!今頼れるのはヴォルフガング卿しかいないのです!……いかなる罰も受ける所存です!何卒……!」
一息に言い切って、あの時の少年と同じように地面に打ち付ける勢いで頭を下げるガルフに母もレイヴェル様も唖然とした様子だった。
「……ユリウスよ、この者が申しておることは真か?」
しばらく黙って考えていたレイヴェル様は自らの従者である母の娘である私に向かってそう問いかけてきた。
あの少年としゃべる機会はガルフほど多くはなかったが、返しきれない恩があるのも事実。意を決して、私もレイヴェル様に頭を下げた。
「はい、彼の言っていることは本当です。あの少年のおかげで、助かった者は多くいます。私も彼も、ここにいる全員が彼のおかげで生きています。……レイヴェル様、私からもどうかお願いします」
後ろで母が驚嘆する声が聞こえるが無視する。私とガルフが頭を下げたのを皮切りに様子をうかがっていた他の獣人たちも家族を置いてこちらへやってきた。
「公爵様!俺からもお願いします!あいつは俺らのために、無理をして肉を用意させたんです!そのおかげで俺たち肉食獣人は生きてる!!俺たちはまだあいつに恩を返してない!お願いです!」
「彼は人間だけど、わたしたちの傷を優しく手当てしてくれたし、部屋も清潔にするように奴隷商に頼み込んでいました。どうか公爵様、ご寛大な措置を」
「俺も……」
「私も…」
そういって奴隷となっていた獣人たちがレイヴェル様のもとへ集い頭を垂れた。
「……ふむ、であるか」
顎に手を当て何かを考えるような仕草を見せるレイヴェル様だったが、何かに気づいたのか、ふと顔を上げて帝国領のほうを見やる。
つられるように皆もそちらを向けば、少年の胸ぐらをつかんだ奴隷商は、短剣を振りかざし今にも少年を差しぬかんという状況だった。
奴隷商が何を叫んでいるのかは分からないが、獣人である私の聴力をもってしても聞き取れない距離だ、あの状況から間に合うだろうか。
「!ンの野郎ッ!!」
そう叫んだガルフが辛抱ならんと飛び出すよりも速く、白い風が吹いた。
「待て」
その場にいたすべての者の動きが止まった。集まっていた獣人たちも、走りだそうとしていたガルフも、怒り心頭で短剣を振りかざしていた奴隷商人でさえもピクリとも動けなくなった。
見れば、奴隷商と少年のすぐ隣にレイヴェル様のお姿があった。
彼女はこの場の誰よりも速かった。
獣人の聴力で声が聞こえるかどうかといった距離を瞬きのうちに詰めていたのだ。
その後何言か奴隷商と交わしたのち、見たことないほどの金貨でいっぱいの袋を奴隷商に投げ渡したレイヴェル様は少年と手をつなぎこちらへゆっくりと歩いてきた。
なにを話したのかは分からないが状況からして、あの少年を買ったのだろう。それもかなりの大金で。
レイヴェル様に手を引かれて王国領に入った少年を、獣人たちが取り囲んでもみくちゃにしていた。
よかった、よかったと全く似合わない大粒の涙を流すガルフにつられ、少年も解放された獣人たちもみんなが泣いていた。