世界がひっくり返って数日。
思いのほか、平穏な日々を送っている。
もっとも、まだ大半が基礎研修のようなものだから、生徒たちの前に立っていないというのもあるだろう。
そして明日は始業式。
新年度のトレセン学園が動き出す日だ。
始業式では、新任トレーナーは壇上で挨拶をすることになっている。壇上に上がると、ざわめきが起こり、声がマイクに乗った途端、静まり返る。
壇上からは、みんなの顔がよく見える。
あ、頬をつねっている子がいる。今時、そんな漫画みたいな表現をする子もいるんだな。
お、マックちゃんもいるじゃないか。久しぶり。前に会ったのはいつだったかな?
以前から関わりのある子たちには、トレーナーを目指していることはずっと話してきたけれど、今年から勤務になることは伝えていない。
まあ、メジロ家とかシンボリ家とか、家同士で繋がりがあるところには、親の方から連絡が行っているとは思う。
でも、彼女たちに連絡が入っていないということは、秘密にされていたのだろう。
名家のトップというのは、意外とお茶目な人が多い。
寡黙で雰囲気のある人ばかりだけれど、その雰囲気を抜きにして言動を振り返ると、ツンデレおじいちゃん&おばあちゃんでしかないんだよなぁ。おそらく、当たっていると思う。
なんたってウマ娘の世界、主要キャラの家にそんな悪い人はいないはず、というメタ読みも多分にあるけれど。
一足先に生徒会室で顔を合わせた会長は、ルナちゃん化した。
『トレーナー試験に合格した男性トレーナーが出たぞ!今年の春に来るぞ!』
という話は聞いていたらしいが、それが私だとは知らなかったようだ。
この世界で高卒トレーナーなんてイレギュラーだしね。
というか、高校卒業してすぐというのは、私が初めてのはずだ。
盛大に歓迎され、最初は姉に用事かと聞かれた。
トレーナーバッジをドヤ顔でアピールしたら、女帝はわかりやすく固まっていた。
ブライアンは特に驚いていない、と見せかけ、ウマミミがあっちこっちにクルクルと動いている。
原作(史実)ではかなり臆病だったらしいからね。さもありなん。
始業式後、LANEの通知が鳴り止まなかった。
いや、真面目にホームルームを受けなさいよ、みんな。
もう個別に返信するのが面倒くさくなって、夕食を一緒に、という名目で食堂へ全員集合させることにした。
「みんなで」という言葉を伏せて誘うあたりは、世界がひっくり返ったゆえの、ちょっとした遊び心である。
姉さんとミークはこちらから誘ったが、来られないらしい。ミーク…察して逃げたな?
君のような勘のいいウマ娘は嫌いだよ。
集まったのは、シンボリ、メジロ、生徒会!加えて、たづなさんもいるぞ!…たづなさん?呼んだっけ?あれ?
理事長に行けって言われた?何かあった時に止められる人が必要?
お気遣いいただきありがとうございます。ご迷惑をおかけしてすみません。
でも、心配しなくても、みんなで夕食をとるだけですから。ほら、みんなニコニコしているじゃないですか。
何ですか、たづなさん、その目は。
見えてませんよ、みんなのウマミミが後ろにぺたーんと垂れているところなんて。
見えてませんったら。
さすが、エリートウマ娘の食を支えるトレセン学園大食堂。
どのメニューも、うーまーいーぞー。
私が選んだのは、ニンジンハンバーグ。
やっぱり、うーまーいーぞー。
…なんでみんな、そんな静かに、もくもくと食事をしているの?
というか、みんなそれで足りる?
マックちゃんとか、前はもっと食べていなかった?
体が資本なんだから、ちゃんと食べなきゃダメだよ。
ほら、ニンジンあげるから。スイーツもお食べ。あーん。
みんなの目が一斉にマックちゃんに向いて草。
【鋭い眼光】発動!
…何が始まるんです?
大惨事(誤字にあらず)ウマ娘大戦だ!
まあ、世界がひっくり返る前から、そんなに嫌われているとは思っていなかったけどさ、これみんな【独占力】を発揮していない?
出会った当初から、みんな将来美人になること間違いナシな美幼女だったので、精神的な年齢差もあり、そりゃあもう猫かわいがりした。
それに加えて、みんな名家のウマ娘だから、トレーナーになった後もお互い真っ当に活躍できれば関わり合いになること確定なので、前世の社畜経験から、がっつり媚びを売っていたせいもあるだろうけど。
ちょっと危機感を覚える反面、彼女たちを振り回すのが楽しくなってきてしまった私もいる。
多感なお年頃に、ほぼ同性だけの環境。
恋愛対象になる異性は存在しない!!
そこに突然現れた、異性の幼馴染のお兄さん。
彼女らの心の三本目の足がピルサドスキーしても、誰が責められようか。
たぶんこれが、前世の美人なお姉さんが、年下の異性をからかっていた感覚なのであろう。
これはクセになる。
しかも、ウマミミとウマ尻尾の感情は隠せないので、いかにも拗ねています、という顔をしていても、ウマミミとウマ尻尾がピーンとなっていたりするのを見ると、なかなかくるものがある。
…魔性のトレーナーに、おれはなる!!!!
まず口火を切ったのは、マックイーン。
「こほん。それで、どうして言ってくれなかったんですの?」
「とても驚きましたわ」
「少々他人行儀が過ぎるのではないか?」
アルダン、ルドルフ、そんな一斉に迫るのはやめてくれ。皆、顔がよすぎるんだ。
「いや、合格したのは一か月前で、進路変更の手続きとか忙しかったんだ。受かる可能性が全くないと思っていたわけじゃないけれども、倍率考えると普通にトレーナー学校行くんだろうと思ってたから、こっちもバタバタしていたんだよ」
「あら〜?トレーナーさまが試験を受けていらっしゃることは、わたくしお伝えされていましたかしら〜?」
「いや、受験したって言って落ちたとか伝えるの、恥ずかしいし…」
「それが水臭いってんだよ。気に入らねぇな」
「昔から知ってる妹分のみんなにはさ、ちょっとカッコつけたい気持ちもあったんだって」
「ふむ…そろそろ妹分という立場は卒業したいところだが。それはさておき、もう少し私を信じてくれてもよかったのではないか?そんなことで君に失望したりはしないさ。少なくとも私と君とはそんなに浅い関係ではないだろう」
おーっと、ルドルフ、会話の流れをコントロールしてマウントをとっていくぅ!
食堂にいるウマ娘のウマミミが動く音が聞こえるようだ。
まあ、もう10年以上の付き合いだからね。ここにいるほとんどの人がそうだけど。
「そうね。たとえ貴方がどんな無様を晒しても、私だけは隣にいてあげるわ。貴方が、あの日の夜に言ってくれたこと…そのまま貴方にお返し致しましょう」
ラモーヌさんの【切り返し】。意味深な言い方をしているけれど、それメジロの別荘の敷地でかくれんぼしていて迷子になった時のあれですよね。
顔を歪めて泣き出すのを必死で我慢しているラモーヌちゃん(5歳)を安心させるために言ったよ、言ったけどさぁ~。
分が悪い!三十六計逃げるに如かず。【出力1000%】で【脱出術】じゃい!
「直接言わなかったのは悪かったって。でも、メジロ家もシンボリ家にも話は行ってたはずだよ?」
悪いのはおばアサマと総帥ですぅ~。僕悪くありません。
「まあ、なんだ、とりあえず今日からトレーナーとしてよろしくってことで。新米のペーペーだから、お手柔らかに頼むよ」
「…フン。まぁいい」
「ええ、これからの話の方が大事ですわね」
これからの話とは?
「…もう担当が決まっているかどうか。去年の桐生院トレーナーとミークのように」
ふむ。…突然静かになるのやめようか。
ここに集まっている子たちだけじゃなくて、食堂全体から音が消えているから。
ぐるっと食堂を見回してみる。
みんなピタッと動きを止めているの。ウマミミだけガッツリこっちを向いているの。こわい。
「いや、決まってないよ」
そう言った瞬間、すごく色々なところから視線が飛んできているのがわかる。
刺すような視線って、こういうことを言うんだろうな。
困惑してみんなに視線を振る。
何か理解したような顔で頷いてくれるのはいいけど、何をする気?
…視線が和らいだのは助かるけど、みんなして【八方にらみ】をするのやめなさい。
メジロ組とかシンボリ組とか言われちゃうから。
普段は相争っているのに、外に対しては協力し合うの、マジもんっぽいから。
「というか、一年目で担当持つって普通なんですか?たづなさん」
一人背景に徹してお茶を飲んでいる緑の人、…逃がさん…お前だけは。
「持つ人もいるって感じですね。というか、実績も何もない新人トレーナーのスカウトを受ける生徒って多くないですから。一生に一度のトゥインクル・シリーズ。生徒側も真剣ですし」
まあ、それはわかる。
試験に通っている以上、最低限の知識があることは保証されているけど、言ってしまえばそれだけだもんな。
「優秀な生徒さんほどトレーナーを選びます。トレーナーなら誰でもって生徒さんもいらっしゃいますが、そういった方にはあまりスカウトが行きません。桐生院トレーナー…実さんのお姉さんのケースは特殊ですね。よくご存じだとは思いますが、あの二人の場合はどちらかに問題がなければ担当契約すると入学以前から話がまとまっていたようですから」
名家だからこそのケースだよね。お互いの実力が信じられるなら、入学前から信頼関係を築けていた方が間違いなく有利だし。
ミークからすれば、新人とはいえ、名家のある程度の実力が担保されたトレーナーを確保できる。
桐生院家からすれば、一年目から経験をしっかり積める。
「葵姉さんは入学前からミークの走りを見てましたしね」
ある程度の能力があるのにトレーナーがいなくてデビューできないってことはないけど、そういう子が最後に頼るチームは出走登録のためのチームで、最低限無理して怪我しないように手綱は引いてもらえるけど、個人に合わせたトレーニングまではしてもらえないし。
華やかな世界の世知辛い現実ってやつだ。
今周りにいる子たちは、前世で名の知れた優駿なので、選ぶ側の立場になるんだろうけど、私が担当してもろくなことにならないだろう。
うぬぼれじゃなければ、彼女たちは私が昔馴染みの「男性」トレーナーだから、こんなことになっているんだと思う。
昔馴染みってだけで担当してもらいたいなんて考えるほど、彼女たちのレースに対するこだわりや情熱が薄いわけではないはずだ。
茹だった頭でした判断が必ずしも間違いとは言えないけれど、たいてい後悔して終わるからね。
加えて、アプリで超人のように描かれている姉のように、自分にトレーナーとしての才能があると信じきれないし。
前世の記憶を持っているだけの一般人であるからな!
彼女らの人生を左右することにもなるから、努力を惜しむつもりはないけれど。
「うーん。その辺り、学園側に相談させてもらうことってできますか?ご存じだとは思いますが、私はトレーナー学校すら卒業してないので、自分だけで考えると生徒さんにも迷惑かけそうなんで」
「確かにその方がいいかもしれません。理事長と相談しておきますね。多分学園側も実さんにお願いしたいこともあるでしょうし」
秘技、問題先送りの術。
「その辺はお手柔らかにお願いします。ということだから、今年担当持つかは未定かな」
「そっかー、なんか困ったことがあったら聞いてよ。トレセン学園では私の方が先輩だから」
「頼らせてもらうよ。歳は近いとは言っても、ウマ娘とトレーナーだと感じ方も違うだろうし」
「お代はスイーツ一個で手を打ってあげよう!じゃあ私はそろそろ部屋に戻るね。明日からもまたよろしく、実トレーナー!」
こうやって空気を読んで気遣いしてくれるパーマーさん、ほんとしゅき。
「そろそろいい時間だから、私も部屋に戻るよ。明日の準備もあるし。みんなもあまり遅くならないうちに戻るようにね。たづなさんもありがとうございました」
「いえいえ、実さんには学園側も色々と期待してますから。先ほどの件については、また別途連絡しますね」
ぞろぞろと連れ立って食堂を出る。
いや、残る子いないの?
なんか医療ドラマの教授総回診みたいになっているけど。
というか、どこまでついてくるの?
トレーナー寮の建物に生徒が入れないわけじゃないけど、男性トレーナーのフロアにはさすがに入れなくなっているぞ。
フロア入り口に24時間体制で警備ウマ娘が詰めている。
この世界では、通い妻をする女帝やネイチャは存在しえないのだ。
トレーナー寮の入り口でみんなと別れて、男性トレーナーフロアへ。
「おっ、今帰りか?新人トレーナー」
「あれ、今から外出ですか?」
フロア入り口で沖野さんと遭遇。
「いやー、うちの担当が熱心すぎてな。止めなきゃいつまでも走ってるから、そろそろ止めに行かねーと」
「遅くまでお疲れ様です」
「なに他人事のような顔してるんだ。お前さんだってすぐにこうなるさ」
後ろ手に手を振りながら去っていく沖野さん。
普通にいい人だよね。とんでもないトモフェチだけど。
部屋の方に目を向けると、開いたドアからこちらに向いている一組のウマミミ。
沖野トレーナーの奥さんですね。
「奥さんも遅くまでお疲れ様です」
「あの人もたいがいなウマ娘バ鹿だからね。そこもいいところではあるんだけど。トレーナーってウマ娘のためならどんな無理でもしちゃうから。キミも無理しないようにね」
奥さんと呼ばれて耳がピーンとなっているの、隠せてないですよ。
「あと、ウマ娘にも気をつけなきゃダメだよ。最初の担当はよく考えてスカウトするようにね」
それは体験談でしょうか?
沖野さん、絶対競争率高かったよね。
沖ハナ?(この世界には)ないです。
「あはは、気を付けます。それじゃあおやすみなさい」
ちなみに、警備ウマ娘は全てにおいてデカいことが多い。
実装キャラで警備ウマ娘に見劣りしない体格を持つのは、ヒシアケボノぐらいである。
前世での馬の品種のように、ウマ娘がサラ系、アラ系、日本輓系などと分類されるわけではないが、北海道では力自慢のウマ娘を集めて、ばんえいのようなレースも行われている。
世界がひっくり返る前には、さぞたくさんの少年の性癖を歪ませたことだろう。
余談ではあるが、世界がひっくり返る前は、ウマ娘を集めた大人向けのお店も存在したし、大人向けのコンテンツも多数存在した。
世界がひっくり返ったことで、非常にニッチなものになってしまったが。
もしかしたら、このひっくり返った世界では、たまげたトレーナーもいるのかもしれない。
このひっくり返った世界は、そんな世界なのである。