夢を掴むためにターフを駆けるウマ娘。その輝きを支え、共に走り続ける者たちがいる。
「トレーナー」と呼ばれるプロフェッショナルたちだ。
経験と実績がモノを言うこの世界で、数少ない若き男性トレーナーとして歩みだした青年がいる。
彼は女性社会の壁、ただ実績を持って語られるトレーナーとしてのプレッシャー、そして何よりも大切なウマ娘たちの未来を背負い、夢と現実のはざまで日々奮闘している。
華やかなトゥインクルシリーズの裏側、先輩トレーナーたちとのコミュニケーション、ウマ娘との絆、そしてレースにかける情熱。
独りのプロフェッショナルとしての彼の覚悟と、ウマ娘とヒトの交流を描く密着ドキュメンタリー。
まだ夜の帳が残るトレーニングコース。
ヘッドライトをつけたハロー車がダートコースを整地する音が響く。
『夜明け前。この時間から、彼の一日は始まる。鋼のように強靭な肉体と、時にガラス細工にも喩えられる繊細さを併せ持つウマ娘。その可能性を最大限に引き出すため、トレーナーたちは情熱を注ぐ。ここは中央トレセン学園。数多のドラマが生まれる場所』
AM4:30
トレーナー室が並ぶ静かな通路。
ポツポツと各部屋の明かりが灯り始める。
ジャージ姿の男性トレーナーがやってくる。
まだ眠そうな目をこすりながらも、トレーナー室のカギを開け、まだ誰もいない部屋に入る。
「おはようございます。今日からよろしくお願いします」
『桐生院実、18歳。この春、幼いころから憧れていたトゥインクルシリーズの世界に、トレーナーとして飛び込んだばかりだ。彼を迎えるのは、同じように夢を抱いて集まったたくさんのウマ娘と、ほとんどが女性というトレーナー仲間たち』
『彼の朝はチームのトレーナー室の清掃から始まる。ウマ娘が快適に過ごせる環境を整える、派手さはないが重要な仕事だ。額にはうっすら汗が浮かぶ』
ウマ娘たちのトレーニング用シューズを一つ一つ手に取り、蹄鉄の状態や、緩みをチェックし、メモを取る。
「シューズ一つでも、いろんな情報が詰まっているんです。走り方のクセだったり、どこか体をかばっていないか、とか。小さなサインを見落としてケガにつながったら、悔やんでも悔やみきれませんから」
やってきた同僚のサブトレーナーと、水分補給用のドリンクやタオルを手際よく準備していく。
『彼はまだ自身の担当ウマ娘を持っていない。今は経験豊富な先輩トレーナーが率いるチームをまわり、サブトレーナーとして日々学んでいる最中なのだ』
「手伝いじゃないですね、先輩たちのご厚意で勉強させてもらっている、というのが近いです。独り立ちしたら、いつか必ず恩返ししたいですね。もちろん、レースで」
(トレーナーを志したきっかけは?)
「家族の影響が大きいと思います。実家がトレーナー一家なので、物心ついたころからウマ娘は身近な存在でした。小さい時は一緒にかけっことかしてましたよ。…勝てたのかって?いやいや、とんでもない。あの小さな体にあれだけのパワーが秘められているのは本当に不思議ですよね」
(家族からは心配されませんでしたか?特に男性トレーナーはまだ少ないですが)
「表立っては…。まあ内心思っているかもしれませんけど。今はきっと応援してくれてるはずです、たぶん」
実は頬をかき、少し照れたように笑う。
『幼いころからの夢を追い、未知の世界へ。彼の挑戦が、静かに始まった』
AM5:15
トレーナー室にチームに所属するウマ娘が続々と集まってくる。
大きな冷蔵庫の隣にはウマ娘ごとの食事のメニューや量が細かく指示されたボードがある。
実はボードを確認しながらシリアルやドライフルーツを正確に計量していく。
先輩トレーナーからのトレーニング指示を真剣に聴きながら、朝練前の軽食をとるウマ娘たち。
トップアスリートともいえる彼女たちにとって、食事もトレーニングの一環なのだ。
その時、チームを率いる先輩トレーナーが実を呼び止める。
その後ろには、栗毛のウマ娘がそわそわと落ち着かない様子でたたずんでいる。
「桐生院くん、君が私の下にいる間、この子を君がメインで担当してみてほしい。ブリッジコンプだ。今日はこのメニューで頼む。明日以降のメニューは、一度自分で考えてみてくれ。前日までに見せてくれれば確認するから」
「はい!わかりました!ありがとうございます!これからよろしくね、ブリッジコンプさん」
「よ、よろしくお願いします…」
まわりのウマ娘もミミを絞って、心配そうな目を彼女に向けている。
『新人トレーナーである彼にとって、初めて任されるウマ娘。喜びと同時に、大きな責任を感じる瞬間だ。ウマ娘との信頼関係をゼロから築いていかなければならない』
AM6:00
トレーナー室のベンチにブリッジコンプを座らせる。
『トレーニングの前に彼女の脚を入念に確認する。爪は割れていないか、筋肉にこわばりはないか、関節を一つ一つ丁寧に動かし、状態をチェックしていく。顔を寄せ、体調に問題がないかを聞き取っていく。ウマ娘のわずかな体の不調にいち早く気づくための重要な時間。トレーナーとウマ娘との、大切なコミュニケーションの時間でもある』
「…んっ。あっ♥」
脚に触れられるたびに、ブリッジコンプの肩が小さく跳ねる。
『彼女も初めてのトレーナーと一緒のせいか、まだ緊張しているようで表情が固い。打ち解けるにはいましばらく時間が必要だろう』
「よし、準備オッケー。えーっと…まずはダートを一周軽く流しましょうか」
ブリッジコンプを連れ立ってコースへと向かう。
『初めて担当するウマ娘との、初めてのトレーニング。人バ一体となって駆ける、その第一歩。彼の本当の挑戦が、ここから始まる』
「じゃあウッドチップに移動して、8割ぐらいで行ってみようか」
「はい、トレーナーさん」
リズムよく駆け出すも、後半になると頭が安定せず、体が左右に寄れる。
ブリッジコンプも必死にフォームを保とうとするが、苦戦しているようだ。
「顔を上げて!視線は前!腕の振りをもう少し大きく意識してー!」
『経験の浅い彼にとって、個別のトレーニング指導は最も神経を使う仕事の一つ。ウマ娘の動きの変化を注視し、的確な指示を送る。新人だからという言い訳は通用しない。トレーナーとしての資質が問われる真剣勝負だ』
AM7:30
「おつかれさま、ブリッジコンプ。頑張ったね、疲れたでしょ?」
タオルでブリッジコンプの顔や首筋を優しく拭いてやると、彼女は少し恥ずかしそうに顔をそらしてしまう。
トレーナー室のベンチに腰掛けさせ、トレーニング用のソックスをゆっくりと脱がし、脚の状態を確認する。
「脚、痛いところはない?」
足先から、足首、ふくらはぎ、膝、トモとマッサージしつつ状態を確認していく。
『激しいトレーニングの後、体をケアすることは、怪我の予防だけでなく、ウマ娘との信頼関係を深める上でも欠かせない。労いと感謝の気持ちを込めて、丁寧に触れ合う。言葉以上に伝わるものがある』
「うん、問題なさそうだね。じゃあ、また放課後のトレーニングで。疲れていても授業はちゃんと受けなきゃダメだよ」
軽く頭を撫でると、ブリッジコンプは小さく頷いた。
トレーナー室の入り口で待っている友人のウマ娘たちに向けて背を軽く押して送り出す。
AM8:00
彼が朝のトレーニング後の後片付けを終えたころ、チーフトレーナーがコーヒーカップ片手にやってくる。
「お疲れ様、どうだった?初めての担当ウマ娘とのトレーニングは」
「あ、先輩!いえ、なかなかうまくはいかないですね。反省点ばかりです」
「ははは、最初から完璧にやられちゃあ私の立つ瀬がないよ。まぁ一つ一つだよ。ウマ娘の声や表情、仕草、そして体の声をよく聴くんだ。そうすれば少しずつできることが増えていくさ」
「…はい!ありがとうございます!」
先輩の言葉に、少しほっとした表情でコーヒーを啜る。
『ベテランの言葉には、厳しさの中にも温かさがある。経験豊富な先輩の存在が、時に心の支えとなる』
AM10:00
『ウマ娘たちが授業を受けている間もトレーナーの手は止まらない。今後のトレーニングメニューの検討、出走候補レースの調査、併走トレーニングの予定調整など、デスクワークも山積みだ』
デスクに向かい、PCの画面と真剣な表情で向き合う実。
(なにをしているんですか?)
「チームに所属しているウマ娘の記録の整理ですね。行ったトレーニングメニューとタイム、食事内容、その日のコンディションや他に気づいたことなどをデータとして管理しているんです。それと今日から新しく加わった仕事が、ブリッジコンプさんのご家族への連絡です」
「レースを走っている姿を見ているとつい忘れがちではありますが、彼女たちはまだ学生で、親元を離れて寮生活をしている子が大半です。ご家族とのコミュニケーションはとても大事なんですよ。私が担当するのは短い間ですが、しっかりお話をして、信頼していただけるようになりたいですね」
PM 1:15
トレセン学園大食堂。
ウマ娘たちの賑やかな昼休憩の後が、トレーナーやスタッフの昼食の時間だ。
多くのスタッフがトレーや食事を持って行き交い、食事をとっている。
そのほとんどが女性で、グループになって楽しそうに談笑している声が響く。
実は一人、窓際のテーブルで黙々と食事をとっている。
周りの賑やかさとは対照的に、彼の周りだけ少し静かな空気が流れているように見える。
『女社会のウマ娘業界。まだ新人であり、数少ない男性である彼にとって、この環境に完全に溶け込むには、もう少し時間が必要なのかもしれない』
PM 2:30
放課後のトレーニングに向けての準備が始まる。
朝と同じように部屋の清掃、備品のチェック、シューズの確認と、迷いなくてきぱきと進めていく。
『華やかさはないが、こうした地道な作業の積み重ねが、ウマ娘の健康と安全を支えている。単調に見える仕事にも、プロとしての丁寧さが求められる』
PM 4:30
授業を終えたウマ娘たちがトレーナー室に集まってくる。
放課後のトレーニングは基礎トレーニングに加え、併走やゲート練習など、より実践を意識したメニューが組まれることが多い。
自分のチームだけではなく、他のチームとの合同で行われることも珍しくない。
「今日はよろしくお願いします」
「おう、よろしく」
「私、ゴール前でタイム計りに行きますね」
練習相手のトレーナーに挨拶し、ストップウォッチを手にゴール板へと向かう。
『レース場ではライバルであっても、トレーニングコースではともにウマ娘を支える仲間。トレーナーとウマ娘、トレーナー同士、さまざまな絆がウマ娘の走りを支えているのである』
PM 9:00
トレーニングの後片付けを終え、食堂で遅めの夕食をとる実。
「実、おつかれさま」
『桐生院葵トレーナー、実の一年先輩であり、初年度から担当ウマ娘のハッピーミークをGⅠ勝利に導き、最優秀ジュニアウマ娘に育て上げた新進気鋭のトレーナー。そして、彼女は実の姉でもある。』
「姉さんもおつかれ。ミークは一緒じゃないの?」
「見たいドラマがあるからって、さっさと部屋に戻っちゃいました。そういえば担当持つって聞きましたよ。どんな子なんですか?」
「まあ、今のチームでお世話になってる間だけだけどね。砂・芝両方走ってもらったけど、砂はちょっと苦手そうかな」
「へえ、じゃあ今度ミークと併走とかしてみます?」
「もうちょっと彼女の性格がわかってからでよろしく。メイクデビュー前の子をクラシックの注目株にいきなりあてて折れちゃっても困るし」
「ふふ、なかなかトレーナーっぽいこと言いますね」
「いやトレーナーだから」
ちょっとムキになって言い返す実を見て、姉は楽しそうに笑っている。
(お姉さんとは仲はいいんですか?)
「どうでしょう?悪くはないと思ってますよ」
(昨年はすごい活躍でしたね)
「一年目でGⅠトレーナー。自慢の姉ですが、同時に、私にとっては最も身近で、最も高い目標ですね」
(トレーナー一家ならではのプレッシャーも?)
「プレッシャーか…あまり考えないようにしています。私だけでは逆立ちしたってかなわないかもしれませんが、私の担当ウマ娘は勝ちますよ。いや、勝たせてみせます」
(トレーナーをやめようと思ったことはないんですか?)
「まだないですね、なったばかりですし。これから先、壁にぶつかって、そう思うことはあるかもしれませんが。でもきっとそう思ったら、この番組の録画を見直すことにしますよ。初心を思い出すのにちょうどいいでしょ」
カメラに向かって、彼は少し悪戯っぽく笑った。
『華やかな世界の裏にある厳しい現実。誰もが通る葛藤の道を、彼もまた、悩みながら、それでも一歩ずつ進んでいくのだろう』
『彼がブリッジコンプとコンビを組んで一か月。試行錯誤の日々だったが、彼女のタイムは順調に縮まっていた』
「コンプおつかれ!ゆっくりクールダウンしたら戻っておいで。あとでトレーナー室で脚のチェックね」
「はいっ、トレーナー!」
以前より、少しだけ声が明るくなった気がする。
(もうすっかり、いっぱしのトレーナーですね)
「いやおだてないでください。まだまだですよ」
そう話していると、彼を先輩トレーナーが呼ぶ。
「ブリッジコンプ、調子よさそうじゃないか」
「はい、フォームも安定してきましたし、今までやってきたことが実を結び始めてる時期だと思います。これから、どんどん伸びていきますよ」
実の言葉に、先輩トレーナーは頷き、考え込むような表情を見せる。
「ふむ…よし次の模擬レースにブリッジコンプを出すぞ。左回りの芝1400」
「えっ!?」
「フォームが固まったなら、メイクデビューに向けてそろそろ実戦を経験させるのもいいだろう。レースまでの調整、当日の指示は任せる。ウチで学んだことを、存分に生かしてくれ」
「はいっ!頑張ります!」
「まぁもちろん。このままウチに残ってくれるって言うなら、もちろん大歓迎だけどな」
先輩トレーナーが冗談めかして笑う。
『担当ウマ娘のレース出走決定。それは、トレーナーにとって、一つの目標であり、日々の努力が試される瞬間でもある。ブリッジコンプと実の、最初の大きな挑戦が始まる』
模擬レースの3日前、日が傾き始めるトレーニングコース。
これから、出走予定のウマ娘たちの「追い切り」である。
「コンプ、これがレース前最後の調整だ。きっちり追い込もう。併せだけどかかりすぎないように、自分のリズムで走るんだよ」
「はいっ!」
『レース本番を想定した実践的なトレーニング「追い切り」。チームメイトのウマ娘の半歩先を、ブリッジコンプが力強く駆け抜けていく。しかし、直線に入るとわずかに力みが見える』
予定の距離を走り切り、ゆっくりとスピードを落とすブリッジコンプ。
ブリッジコンプの体からは湯気が立ち上っている。
「タイムは良かったけど…。ちょっと最後、掛かり気味だったかな?」
実がストップウォッチから目を上げて尋ねる。
「ごめんなさい…」
「でも、それに自分で気づいて修正しようとしたのは良かったよ。レースになったら自分で考えて判断しなくちゃいけないからね。いい経験になったはずだ。じゃあしっかりクールダウンしよう」
ブリッジコンプの背を軽く叩き、クールダウンへと送り出す。
(彼女の調子はどうでしたか?)
「いいと思います。緩みすぎないように、手放しで褒めることはしませんでしたけど、今日掛かり気味だったのは単純に経験不足から来たものだと思いますし、レースに向けて修正できる範囲です」
(じゃあ、レースの方も期待していいですかね)
「それはどうでしょう。あくまで模擬レースですからね。もちろん勝ってくれるに越したことはないですが、一番は無事に走り切ってくれること。次に本番に活かせる経験を積んでくれること。勝ちにこだわるのは、まだ先でいいと思ってます」
『まるで我が子を送り出すような気持ち。担当ウマ娘への深い愛情と、レースへの複雑な想いが、彼の言葉に滲む。初めてのレースはすぐそこにまで迫っている』
模擬レース当日の朝。
「おはようございます」
日が昇る前のいつも通りの時間。
(模擬レースの日なのに早いですね)
「もう少し寝ていてもよかったんですけどね。なんか目が覚めちゃって」
(緊張してます?)
「それはもう。この間のトレーナー試験の受験日より緊張してるかもしれません」
実は困ったように苦笑いを浮かべる。
模擬レース前、コース近くの臨時控室。
ブリッジコンプが落ち着かない様子で、部屋の中をぐるぐると歩き回っている。
「うう~、う~」
「ほらそろそろ準備しないと。そこに座って。レース用のソックス合わせて、シューズの調整をしようか」
実が優しく声をかける。
一通りの準備を終えても、まだ落ち着かない様子のブリッジコンプ。
実は彼女の後ろへとゆっくりと回り、肩に手をかける。
「もし自分を信じられないなら、私を信じてくれないかな?私の初めての担当ウマ娘は、決して弱くない」
「ちょっと!そこは「強い」って言うところでしょ!」
ブリッジコンプが顔を上げ、少しむっとした表情で言い返す。
「キミの強さ、それをこれから私に、みんなに見せてくれ」
気持ち強めに、ブリッジコンプの背をパンと叩く。
彼女は小さく頷き、控室を出ていく。
『レース直前の最終準備。限られた時間の中で最高の状態で送り出さなければならない。トレーナーの腕の見せ所だ』
選抜レースでも使用されるコースのスタンド最前列。
ゲートの中に進んでいくウマ娘たちを、固唾を飲んで見守るトレーナーたち。
『始まる、わずか数分間のドラマ。これまでの日々の努力が、この一瞬に凝縮される。彼の想いと一緒にブリッジコンプはターフを駆ける』
ゲートが開く。
ブリッジコンプは好スタートから先頭に立つ。
軽快なペースで逃げ、最後の直線へ。後続を引き離しにかかるが、ゴール手前、外から一頭、鋭く伸びてくるウマ娘がいた。
必死に粘るブリッジコンプ。
二人はほとんど同時にゴール板を駆け抜けた。
「あぁー…」
ブリッジコンプは最終直線まで先頭で逃げるも、最後にかわされクビ差の2着。
掲示板もう一度振り返り、俯きながら涙をこらえて控室に戻っていくブリッジコンプ。
一方、スタンドに駆け寄り、満面の笑みでラチ越しにトレーナーとハイタッチをする勝ちウマ娘。
『勝っても、負けても。全力を尽くした者たちのさまざまな姿が、そこにはある。この経験が、彼らをさらに強くする』
(残念でしたね)
「悔しいですね。なんていうか、その、もっと自分にできることがあったんじゃないか考えてしまって」
(今日この後は?)
「控室に戻ってブリッジコンプの脚の状態の確認と、軽い反省会ですね。といっても、今何を言っても悔しさで頭が一杯でしょうから、明日のビデオをチェックしながらの反省会の前に、彼女に考えてほしいことを少し振っておく程度ですが」
『レースは終わったが、彼らの歩みは止まらない。結果を真摯に受け止め、次への糧とする。この反省と分析が、未来の勝利へと繋がるのだ』
模擬レースから3日後、チームはいつも通りの日常を取り戻していた。
このチームでの彼の仕事も終わりが近づいてきている。
午後の業務が落ち着いたところで、彼はコーヒーを片手に、無人のトレーニングコースを物憂げに眺めている。
(レースを振り返ってみて、いかがでしたか?)
「やっぱり悔しいですね。数日経って、冷静になったことで反省点が明確になって、その気持ちは強くなってます。コンプは本当に頑張ってくれたんですけど、私の力が足りなくて…勝たせてあげられなかったのが、本当に申し訳なかったです。でも、最後まであきらめずに走ってくれたコンプを見て、もっと頑張らないといけないなって思いが強くなりましたね。それと、トレーナーはウマ娘を支える、確かにそうなんですが、同時に、トレーナーもウマ娘に支えられているんだと感じました」
『勝っても負けても、大きな経験となった初レース。喜びも悔しさも、彼を成長させる貴重な一歩となった』
(取材をはじめてからもう一か月以上が経ちました。振り返ってみて、なにかありますか?)
「もうそんなになるんですか。あっという間だった、というのが正直なところです。短い間でしたけど、ブリッジコンプに、そしてチームの皆さんに、少しでも何か残せていたら嬉しいですね」
そして最後の日、別れの時間が近づいてきた。
「今日まで、本当にお世話になりました!」
実が深々と頭を下げる。
トレーニングも終わり、トレーナーからウマ娘まで、チームメンバー全員がトレーナー室に集まっている。
「まあ、同じトレセン学園内にいるんだ。何かあったら遠慮なく顔を出してくれ。こいつらも喜ぶ」
「そーそー、いつだって大歓迎!」
「というかうちのチームに正式に残りなよー!」
先輩トレーナーに続いて、ウマ娘たちがはやし立てる。
いつのまにか、彼と彼女たちの間には、もう壁は存在しないように見えた。
「…私たちを選ばなかったこと、絶対に後悔させてやるんだから!バーカ!バーカ!このクソボケトレーナー!」
実のはじめての担当ウマ娘、ブリッジコンプが顔を真っ赤にして叫ぶ。
「素直じゃないなー。コンプちゃん。そこは「私を選ばなかったこと」じゃないの?」
トレーナー室が温かい笑いに包まれる。
トレーナー室を後にする実。
夕焼けに染まるトレーニングコースでは、まだ数人のウマ娘が黙々と汗を流しているのが見える。
『彼の挑戦は、まだ始まったばかり。これからも、数えきれない困難や喜びが待ち受けているだろう。しかし、彼の瞳には、揺るぎない決意の光が宿っている。夢に向かって、彼は明日もまた、このトレセン学園という場所でウマ娘と共に駆け続ける』