あれからどれだけの時がたったのだろう、ボーダーと名乗る組織が出てきたり、
学校が変わったりと、私の周りはめまぐるしく変化した。
でも、私は適応できなかった。 否、しなかった。避難所を出ていってから、
太刀川先輩とも会うことがなくなり、 誰とも話さない日々が続いた。
私の家周辺ははまだ瓦礫まみれで、ほとんど誰も寄り付かなかった。
学校にはいかず、 少し遠出して海を見て、夕陽に目を細めながら家に帰る。
いくら瓦礫があろうと、そこは私の家だった。
今や誰もいなくても、そこは私の家だった。
避難所からもらった毛布にくるまって朝を待つ。そしてまた海に行く。
何も食べない日も多かったが、空腹感は次第に感じなくなっていった。
何もかもが面倒で、何もしたくなかった。
たまにボーダーと呼ばれる人たちが歩き回っていたけれど上手く避け、
怪物…トリオン兵というらしい。がいても感知される前に逃げられていた。
北風を浴びて、夕陽を見て、星を眺める。
毎日のように泣いているからか、日光が煩わしく感じるようになった。
そうやって同じような1日が何回も何回も繰り返す。
今日も夕焼け空の下、私は波打ち際を一人歩く。
足跡一つない砂浜には真っ黒な自分の影が長く伸びていた。
意味もなくそれを見つめてから私はまた歩き始める。
でも、今日は少し違った。
波の音だけが響く静寂の中で聞こえた足音は2つだったのだ。
なんとなく後ろを一瞥してから、また私は歩き始める。
北風が髪をなでるのを感じながら、徐々に傾く夕陽に目を細めた。
私が止まったのを見るや数秒で砂浜に浮かぶ影が躍動する。
私はそれに待ったをかけるように、咄嗟に口を開いた。
「…どうしてここにいるの?」
少し迷ってから出てきた言葉はそれだった。
何て返せばいいんだろう。
何を言われるかも分からないのに、私は身構えていた。
私から話しかけたというのに自分が戸惑うのはなんでだろう。
太刀川先輩は、 「…いつからいるんだ」 とだけ訊いてきた。
質問の答えになっていない。今日もほぼずっとここにいたことを伝えると、
先輩は何も言わずに着ていた上着を私にかけた。
「…寒くねえの?」
一息置いてそう訊かれるけれど答えが見当たらない。
この体の震えが止まらないのは寒いからなのかな。
言われても全く気にならなかった。
今...何月なんだろ。北風が肌を撫でるのを感じながらぼんやりと考える。
しばらく沈黙が続いた。
何かを話す気にもなれなかったし、話して欲しくもなかったから。
突然この重々しい空気が破られる。
なんの前触れもなしに先輩は咳払いをしてからボーダーという組織について話し始めた。
いったい何のつもりだろうか。話が見えず困惑する私をよそに、話は続く。
どうやら彼にとってそこはとても居心地がいいらしく、
一度話し始めたら止まらなくなった。
チームで戦えること、いろんな奴がいること、多くの人を救えること。
話している彼は笑顔だった。ただ同時に少し焦っているようにも見えた。
私に上着を貸したから、寒くて震えているだけかもしれない。
それにしても違和感はぬぐいきれなかった。
本題を避けているような...先延ばしにしているような...
つまり何が言いたいのだろう。太刀川先輩はこういった話し方はあまりしない。
どこか濁しているような彼に薄い苛立ちを覚えた。
「上着、返すよ。私、もう帰るから。」
私は先輩に上着を押し付けるようにしてその場を去ろうと立ち上がる。
居場所がバレたならすぐ移動しなきゃ。
保護とかされるのは何故かすごく嫌だった。
夕陽が沈むギリギリの黄昏時、今日限りで先輩とはもうお別れかもしれない。
そんなとき、彼は私の顔をしっかり見てこういった。
「凛、ボーダーになってくれ。俺と一緒に戦ってくれ。」
さっきとはまるで違う、芯のある真っ直ぐの思い。
一点の曇りのない眼で見られると肯定してしまいそうになる。
笑顔でうなずけたらどんなによかっただろう。
でも...私にはそんな資格はない。
それにせっかく1人になれて、何も考えなくてよい『平穏』を手放すのは惜しかった。
「ならない。大規模侵攻のときはごめん。」
我ながら支離滅裂だがそれしか言えなかった。
心は久方ぶりに荒れ、さっきまで感じなかった北風の冷たさに私は体を震わせた。
さっきとは打って変わって静けさが私たちを包む。
その静寂は、先輩によって瞬時に粉々にされた。
「わかった。また来る」
それだけ言い残して太刀川先輩は歩き出す。
え?いまあいつなんて言った?何もわかってないじゃん!
「あーちょちょちょっと!」
わたしは慌てて先輩を呼び止める。
「ん?」
「また来るってどういうこと⁈」
先輩はムカつく笑顔でそのまんま、とだけ口にした。
街の灯りがない暗闇のなかで、
その笑顔は月光を受けているかのように私には魅せられるほどきれいに見えた。
気付いたら返したはずの上着は私の腕にかけられている。
もう2度と会えないと思っていた先輩と話をした...
正夢だと信じられるただ1つの証拠を身にまとって家に帰った。
「約束...果たせないね...」
すすけたクッションに頭を乗せ、目がいたくなるまで月を眺める。
私が6歳、先輩が8歳の頃だったかにした約束。
「けいくん!私けいくんのカノジョになりたい!」
「ハハッ!大人になったら考えてやるから、それまで待っとけよ。」
「ほんと?!やくそくね!」
「あぁ!!約束だ!!」
...折り紙でパクパクくんを作って、ひらがなだらけの手紙に添えて渡したっけ。
今思えば子供同士の何も考えていないやりとり。
成就するはずのない願い...と割り切って考えられたらよかったのに。
「先輩は優しくしてくれるけど...もう無理だよ...」
次の日も彼はきた、そのまた次も。
学校でこんなことがあった、ジョウソウブに怒られたなど話題は尽きることはなかった。
私はいつも聞き役で相槌を少し打つだけ。
そして必ず先輩は毎回私をボーダーに勧誘してきた。
そのたびに私は断り続け、そんな日々も1週間が過ぎた。
ある日、
「何でここにいるわけ?」
彼はそう訊いてきた。 直後、彼は顔をしかめる。つい言ってしまったのだろうか。
別にどうでもよかった。自分が一番わかってる。
何かしなきゃならないってことぐらい。 慌てて彼が口を開こうとした。
弁明の言葉なんて聞きたくなかった。 だから私はそれを遮って言った。
「私にはもうなにもないし、何にもしたくないの」
口をついてでたのはそんな言葉。
自分でも呆れるぐらい意味がわからないが、心から出たのはそんな言葉。
キモがられたかな。
隣を見ると先輩は真顔で唇を固く結んでいた。
「ここには誰も来ないし、ここでは何もしなくていいから。」
「まあその平穏も崩されちゃったんだけどね。」 自虐的に笑うが返事はない。
そのかわりに彼は立ち上がった。 まだ私に構うつもりなのだろうか。
夕陽がぼやけて見える。涙を流すわけにはいかない。
真っ先に助ければ生きていたかもしれなかった先輩の家族。
私を優先したばっかりに、先輩は大切な存在を見殺しにしてしまったのだ。
私がそれを選択させてしまった。
これで諦めてくれると思ったのに。
こらえきれなかった。泣きじゃくりながらそんなことを口走る。
先輩は黙ったまま、私の肩に手を伸ばす。
触れるか触れないかの瀬戸際、予想もしなかったことが起こった。
『ピニィォォン!!』という甲高い音が鳴り響き、 私たちの間に『壁』ができた。