朝起きると、隣に先輩の寝顔が…なんてことはなく、無事に新居での朝を迎えた。
上体を起こし、そばにあったデジタル時計をつかんで液晶に目をやる。
今の時間は午前6時、ランニングの時間だ。
ボーダーになってからもう完全に習慣となっているため、半自動で体が動く。
黒を基調にピンクのラインが入ったランニングウェアを着て、
昔から使っていた小銭入れを持って準備完了。鍵を持って外へ出た。
玉狛支部にいたころのランニングコースは当然使えない。私の場合、
公園とかを利用するよりは、本当に適当に走ってなんとなく戻ってこれればいいや、
というスタイルなので別に困ったわけではないのだが。
薄い霜が原っぱに降りているのを見て、すごく忙しかった怒涛の日々を思い出す。
大規模侵攻によって家は瓦礫と化し、ボーダーの寮からは
1日で迅さんに連れ出された。玉狛支部で安定したと思えば、
先輩との同居生活になるし…
サイドエフェクトによって寿命が削られることも含めて、
私に平穏なんてものはないのかもしれない。
などとごちゃごちゃ考えていたが、走り始めてからは頭はクリアになった。
落ち込んでいても、悲しくても、悩んでいても、
いつだってランニングはそれらを頭から追い出してくれる。
自分の息遣い、あたたかな日差し、体に徐々にたまる疲れ、
そのすべてを感じているのは気持ちよかった。
ある程度走ってから自販機を見つけてスポーツドリンクを飲む。
これがいつものルーティンだ。疲れをいやしながらゆっくりして
再び立ち上がって走ってきた道を戻る。同じ道なはずなのだが、
見え方が明らかに違うのはいつだって慣れない。でも、それがいい。
自室に戻ったころにはすでに30分がたっていた。そっと先輩の部屋をのぞくと、
布団を抱くようにして寝ている先輩がいた。やはりまだ寝ているみたい。
なるべく音をたてないように会談を降り、キッチンの引き出しを開ける。
レトルトのスープとか食パンくらいしかないが、
朝はこのくらいあればなんとかなるだろう。
スープを2パック使用してお湯を注ぎ、食パンを一口サイズに切っておく。
切り終わるころには、クラムチャウダーが出来上がっており、
ミルキーないい匂いがキッチンに満ちていた。
レトルト食品の進化は本当にめざましい。ラップをしようとしたが、
2階から物音が聞こえる。それから少しして、先輩が1階に降りてきた。
「おはよ」
寝ぼけていて、目がいつもより細くなっている。なぜだかいつもより幼く見えた。
「…そんなにめずらしいか?」
自覚はあまりなかったが、じろじろ見ていたのだろう。それもしかたがない、
ボーダーに入ってからの先輩は一気に大人になったみたいで、
私たちがお泊り会とかしていたころとは雰囲気が違いすぎる。
やっと隊服姿は見慣れるようになったが、
ジャージを着てけだるそうにしている先輩なんて本当にしらない。
動揺したまま食べた朝ご飯は普通においしかった。
先輩も気に入ってくれたみたいで、それが何より私をほっとさせる。
共に完食してしばらく憩いの時を過ごした後、
先輩は大学に行くと言い残してこの家に私1人となってしまった。
「6時くらいになったらフライパンとか買いに行こう」
言い忘れたように、そんなメッセージが届いた。了解の意を伝えようとしたが、
一つの着信がそれを妨害する。画面に映ったのは知らない番号。
恐る恐る電話を受けると、わりかし聞きなれた声が耳を撫でた。
「風間だ。太刀川から聞いていると思うが、俺が修行相手になることになった。
隊室で待っていてくれ。」
へ?
「か、風間さんですよね?」
「そうだが」
「あの…何も聞いてなくて…」
しばらくの沈黙の中で軽いリップノイズ舌打ちが聞こえたが、たぶん幻聴だろう。
「…まあいい、本部についたら連絡をくれ」
「わかりました。急ぎますね」
電話を切り、表示されている名前を不明から風間さんに設定した。
「ここから近いのは…36番ケイジかな」
最低限身なりをととのえ、トリオン体に換装する。
朝のランニングとは比にならないスピードで警戒区域内を駆け抜け、
NO.36と書かれたマンホールのような場所に立つ。
登録されたトリオン体だと認識されてふたが開き、中に降りて四角いケイジに入る。
警戒区域内の移動をよりスムーズにするために作られたこの設備、
通称警戒区域内遊走用特殊通路ポートレールを利用すれば
場所によっては3分程度で本部基地にたどり着くことのできる代物だ。
ここからだと7分かかる。私は先輩にメッセージを送ることにした。
「さっき風間さんから修業のこと初めて聞いたんだけど、先輩は知ってたの?」
意外にもすぐ既読が付き、数秒もたたないで返信が来た。
「言ってなかったけ?話変わるけど冷蔵庫ん中のプリン食っていいぞ」
記憶には一切ないが、まあ見逃すことにした。決してプリンにつられたわけではない。
その後もやりとりをしていると、ブザーが鳴ってケイジが止まる。
どうやらついたみたい。スマホの電源を切って、ドアを開けて降りる。
急いで太刀川隊作戦室に直行して風間さんと合流した。
「すみません…遅れました」
「いや、伝達ミスもあったようだし問題ない」
ひとつもいやな顔をせずに淡々と答える風間さん。大人感があふれている。
こっちだ、先導され、たどり着いたのは風間隊作戦室。
「入れ」
「おじゃまします」
言われた通りに部屋に入ると、
そこにはすごくきれいで片付いている光景が広がっていた。
(太刀川隊とはおおちがい…)
自身が太刀川隊なのにも関わらず、不覚にもそう思ってしまった。
「三上、仮想戦闘モードで頼む」
「了解です、風間さん。そちらの方は…」
黒髪ボブカットのオペレーターさんが私に視線を向ける。
「和泉凛、太刀川隊アタッカーです。今日はありがとうございます!」
「がんばってね!風間さん昨日からずっとそわそわしてたのよ。」
聞き返そうとしたが、その前に仮想空間に押し込まれる。
戦闘開始のブザーが鳴って、若干躊躇しながらスコーピオンをナイフ形に形成する。
「とりあえず俺から10本とってみろ、手加減はしない」
私がこくりとうなずいたのを合図に、風間さんの姿が消える。
やみくもに攻撃をしたところで当たる確率はすごく低い。
私はすみっコに移動し、風間さんの攻撃を待った。
壁により上か正面からしか有効打を加えることはできないはず。
ほどなくして透明化が解けた風間さんの横なぎが私の首を狙う。
スコーピオンでそれを受けた…と思ったが、それはそのまま空を切り裂いていく。
直後にもう1つの刃がおなかを両断し、私は敗北した。
「フェイントだ。精度を上げれば格上にだって通用する。」
トリオン体の再構築の間に風間さんがそう口にした。
「もちろん君は格下だけどね」
不意に上から声が降ってきた。聞いたことのない声だ。
「菊地原!すみません、こいつ口が悪くて…」
「歌川、菊地原、ヤジを飛ばすな。三上、抑えてろ」
知らない名前が合計2つ。聞いてみれば、風間隊のアタッカーらしい。
その後も戦闘は何度も行われ、
私はATフィールドを何度も使いかけたが、すんでのところでこらえていた。
ただ、そうしていると必然的に意識が逸れ、スキが生まれる。
ただでさえ明確に実力差があるというのに、このままでは勝ち星なんて到底拾えない。
「少し休もう」
そう言われていったん廊下に出る。
「お前…何をしている。集中力がまるでなかったぞ」
「すいません…気を付けます…」
はぁ、とため息をついてから、風間さんが口を開く。
「サイドエフェクトのことは聞いている。だからこそ、
己の技能のみで戦う力をつける必要があるだろう。」
ごもっともすぎてぐうの音もでない。というか風間さんも知ってたんだ。
「これはお前自身の問題だ。本気で取り組め、以上」
そう言って風間さんは私に背を向ける。すぐに後を追って、隊室に入った。
示し合わせたように戦闘が始まり、互いに前へ出る。
スコーピオン同士が火花を散らし、キィンと音を鳴らしてぶつかった。
風間さんはスコーピオン2刀流、対する私は1本のみ。
ハンドガンを装備する暇なんて一切ない。
眼前の刃がうねり、首を切り裂きにかかる。
(ATフィールドが使えたら…)そう思った。この直感はまだ使える。
「はっ!」
とっさに刃を割り込ませ、斬撃を止める。
流れるようにもう片方に強襲を仕掛けられたが
その切っ先めがけてスコーピオンを振るい、太刀筋をつぶす。
そしてそのまま逆袈裟を跳ね上げ、ついに刃は風間さんをとらえる。
それは左腰から右肩をがっつり削り、直後にアナウンスが鳴る。
「戦闘体活動限界、リザルト更新9-1」
なんとか勝利をおさめたが、まだたったの1勝。集中して冷静に…
ほっと息をつく私には、好戦的に笑顔を浮かべる風間さんは見えていなかった。