太刀川side
ずっと1人で苦しんでいたんだろう。見ていて胸が苦しくなる。
何て声をかければいいのかわからなかった。
こういうときに気の利いた言葉をかけられればいいのに。
とにかく、一旦落ち着ける場所に行かなければ。
血を吐く勢いで懺悔する凛。俺にできることを必死で探すうちに、
当たり前にやっていたことを思い出す。
こいつは昔から、背中をさすられるのが好きなんだよな。
そうして触れようとした瞬間、俺たちの間に『壁』ができた。
正確には半透明の膜のような物で、薄っぺらい見た目のくせに、
信じられないほど頑丈だった。
俺は思わず目を見開き、それをペタペタと触る。 試しに叩いてみても、
カーンという硬質な音と共に弾かれてしまう。
たった1枚のそれに俺は阻まれた。壁越しに見えたのは、
何が起きているのかわからない。不安に満ちた凛。
一瞬トリオン体となって無理やりぶった斬ることも考えたが、
誤ってこいつを傷つける可能性もある。 (とりあえず本部につれてくか)
反対側…壁がない背中側から凛を持ち上げ、俺はこいつを抱えた。
名前は…お姫様抱っこだったっけ。
「な、何やってんの!早く降ろしてよ!」
「ちょっと黙ってろ、舌噛むぞ。」
いつのまにか、さっきまであった壁はどこかに消えていた。
ギャンギャン騒いでいた凛は諦めたのか俺に身を委ねている。
大規模侵攻のときと比べてかなりやつれており、
かつては喜びを反射して爛々に輝いていた瞳も、今はもう見る影もなかった。
そんな状態のこいつを放って置けない。
久しぶりに会えたのに、またどこかへいってしまいそうな気さえした。
言い訳のような本音を頭の中で何回も反芻しながら、俺は本部へと疾走する。
この判断が吉と出るか凶と出るか...
どっちにしろ、俺がしなきゃならねぇのは決まってる。
足により力を込めて、全力で道を駆けた。
和泉 凛 side
太刀川先輩に連れられたどり着いたのは、医務室のような場所。
今から検査されるらしいが、 当然私は拒否した。理由は単純、お金がない。
それに万が一入院になっても困るからだ。 その後20分にわたる説得を受け、
私はしぶしぶ検査を受けることにした。
結果はすぐに出て、医師らしき人に結果を聞いた。
どうやら私のサイドエフェクトは、
Absolute Terror FIELD (絶対不可侵領域)
通称A.Tフィールドというものを実体化させることができるというものらしい。
要するに強固な壁を他者との間に作れ、ある程度自由に操れるみたいだ。
すべての生命体が持っているものらしく、言語化するとすれば、
『心の壁』
過去にマッドサイエンティストが発見し、おぞましい実験の末、
その性質や汎用性を解き明かしたそうだ。
ただ、サイドエフェクトとしてのA.Tフィールドとは、
若干相違点がある可能性かある。とのことだった。
参考程度にと資料をもらい、お礼を告げて帰ろうと部屋を出る。
帰り道は…どっちだっけ。辺りを見渡すと、すぐそばにベンチがあるのに
廊下の壁に背を預けて立つ太刀川先輩がいた。
それを私は無視した。 無理でした。
無理やり引きずられて、あれよあれよと白い部屋に連れ込まれ、
「さっきのあれ、やってみろ」 とだけ言われた。
先輩はいつのまにか光る刀を持っており、 いつになく楽しそうな視線を向けてきた。
どうやら先輩は、A.Tフィールドの耐久性を確かめたいらしい。
昨日の今日…それ未満であるというのに、使い方なんてわからない。
どうすれば…と悩む私に焦れたのか、
先輩は爆発的な踏み込みと共にこっちに向かってきた。
私は咄嗟に腕で顔を覆い刀が振り下ろされる瞬間を想像して震えていた。
『カァァァァァン!』
でもその瞬間は一向にやってこなかった。
恐る恐る目を開けると、半透明で薄ピンクのあの壁が先輩の刀を受け止めていた。
しばらく刀を押し込もうとしていたが、バックステップで距離をとり、
『旋空弧月』と、刀を一閃。それと同時に2つの斬撃が飛んできた。
さっきよりも数段大きい音が部屋に響いたのだが、
またしてもフィールドはヒビ一つ入らずに残っていた。
太刀川先輩は刀をしまって、しばし考えているような仕草を見せた後、
とても晴れやかな笑顔で、もう何度目かもわからない勧誘をしてきた。
「凛、ボーダーにならないか?」
いやだ。そう口に出すより先に、先輩はこう言った。
「自分に何もないんなら、行く宛もないんだったらさ、
1つずつ作ってけばいいじゃん。ここでなら、お前なら作れるぜ」
そのためだったら何でもする、彼は確かにそう言った。
そんな根拠がどこにある。保障なんてどこにもないくせに。
頭ではそう思っている。でも心は違った。
先輩の言葉は不思議と自分に受け入れられ、
気持ちが和らぐような、そんな気がした。
ボーダーになることをあれだけいやだと思っていたのに、
今の私はやってみたいとさえ思った。太刀川先輩が近づいてくる。
そして展開したままのフィールドに手を当てた。そのままなでるように手をすべらせ、
それに呼応するようにフィールドはとけていくようにして消えた。
A.Tフィールドは心の壁。その意味がなんとなく分かった気がした。
私は、先輩の言葉を受け入れて、ボーダーになることを決めた。
まだ震えている腕を落ち着かせ、呼吸を整えた後、 私は覚悟を決めて前を向いた。
それと同時に強い頭痛を感じたが、耐えて必死に言葉を紡ぐ。
「私は……ボーダーに…な…る…」言葉が途切れる。視界が揺れ、 足がぐらつく。
瞬時に先輩が腕を伸ばしたのをとらえた直後、私の意識は途絶えてしまった。
どうしたと声をかける先輩の顔も、霞ががって消えていった。
目が覚めたらそこは電気が消えた薄暗い部屋にいた。
半年ぶりのベッドに感動したのも束の間、
自分のすぐそばで寝息を立てている 太刀川先輩を発見した。
頭がおなかに乗っていて窮屈だったので起こすことにした。
ただし先輩は、声をかけたり、肩をゆすったりしても、ものすごく起きるのが遅い。
しかし、耳を触られることに対してとても敏感であり、すぐに飛び起きるのである。
小学校の登校班の集合時刻にしょっちゅう遅刻していた彼を起こすのは私の役目で、
ついには先生にもお願いされてしまったのを思い出す。
まあ嫌ではなかったので気にするほどのことではなかったのだが。
耳を指でそっと撫で上げると予想通り彼は飛び起きた。
まだ眠いのだろう、 気だるそうに私を見る。
「寝起きで悪いけど、話聞いて」 今しか話せないと思った。
私は彼の目を見つめ、姿勢を正して話し始める。
大規模侵攻で家族を失ったのは私だけではない、 太刀川先輩もだということ。
そしてそれは私の両親を優先したからかもしれない。
私はお母さんの顔を見ることができた。思い出を思い出す一瞬の猶予があった。
先輩にもその自由はあったはずだ。少なくとも時間はあった。
でもその時間を私のために費やしたせいで、彼とその家族とは断絶されてしまった。
私のせいだから償わせてほしい。
時間をかけて、ゆっくりと言葉を紡ぐ私を、先輩は待っていてくれた。
「凛のことを優先したのは俺の勝手だ。お前のせいじゃない。」
真剣な顔つきで、そう口にする先輩。
たぶんそれはホントなのかもしれない。あの時は誰にも余裕がなかったから。
半年でずっと考えた。このままじゃいけない。前に進まなきゃって。
でも、どうやって? そこに太刀川先輩は、方法を提案してくれた。
1人も知り合いのいない学校よりは、1人でもいるボーダーのほうがマシだ。
そこまで言い切った私の背中を、先輩はやさしくさすってくれた。
こうして私は、その日のうちにボーダー試験を受けた。
事前に太刀川くんが知らせていたらしい。
筆記から面接までを終え、 無事合格を言い渡された。
その後、ランク戦、トリガー、昇級制度などが記載された書類に目を通し、
電気の消えた薄暗い部屋(どうやら医務室らしい)で今日も寝ることになった。
明日は先輩の知り合いに自己紹介をしたあと、
トリガーという要するに自分の武器や装備を試して自分に合った組み合わせを探るらしい。
知識はだいぶ増えたが 正直言って不安しかない。
病院食の優しい味からいちごの歯磨き粉に味覚が順応したころ、
私は知らない天井を眺めてから目を閉じた。