鴉天狗達と撮った写真   作:ニア2124

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午後四時四十五分 白い世界と眩い世界

 

 

 楽しい時間程過ぎるのは早いもの。時刻はもう四時を過ぎ、最早冬ということも相まってか、辺りはすっかり薄暗くなってしまった。

 

 数時間前までは青空だったと言うのに、早すぎる日の沈みに真はぼんやりと歩を進めながら空を見上げる。口で息をする度に水蒸気化した吐息が白くなり、空へ昇っていった。

 

 寒いな。小さく真は呟いた。自分らの少し前には街灯に照らされた、マフラーを首に巻いた男女や、六歳程の子供をその母と父が挟むように手を繋ぐ光景が見られる。どの人物も悩みがまるで無いような、幸せな表情を浮かべている。

 

 道の端に生えた幾つかの木が、冬の訪れを感じさせるように冷風に吹かれ、枝の先に生やす元の色を脱色した葉を舞い散らせた。最後に一つだけ乗っていこうとでも思ったのか、どのアトラクション遊具も人が並んでおり、白い息を漏らしながら連れに笑顔を向けている。

 

 ゼプラパーカーからタッチ式携帯を取り出す。時刻は4:45分を指しており、どこからともなく懐かしのメロディを鳴らしてくる。ふと子供の頃を思い浮かべた。

 

 小さい頃はどこかしらの山で友人達と秘密基地を作っていたっけな。その秘密基地も今では恐らく、悪ふざけが好きな子供やホームレス辺りに壊されていると思うが。白い息を吐きながら昔の友人を思い出そうとするが、やはり昔のことだからかあやふやとしか覚えていない。

 

 確か小学生の頃はガキ大将気質がある坊主頭の男と、どうでもいいうんちく話が大好きな面倒臭い男と、あと一人居た気がするのだが忘れてしまった。しみじみと感慨深い表情を浮かべながら真は、手に持った携帯をポケットに仕舞う。

 

 まだ、帰るには早いだろう。そもそも、帰ろうと言っても十中八九文が駄々を捏ねることはわかりきっている。右隣を向くと、彼女がゆったりとしたペースで真の隣を歩いていた。風に吹かれる度、冬には似つかない文の桃色のミニスカートや黒の髪が風に靡く。寒くはないのだろうか、そう心配になるがとんだ杞憂だったようで、案外にも本人はケロリとした表情を浮かべている。

 

 寒くはないのに、吐く息は白いのな。鴉天狗(彼女)の構造はどうなっているのだと不思議に思うと、真の視線に気付いたのか文が目を合わせた。

 

 

「どうしたんです真さん?」

「いや、なんでもない」

 

 貴方の体の構造はどうなっているのですか? なんてことを聞ける筈もなく、真は誤魔化すように首を横に振って見せる。

 

 このままただ歩いているだけなのは些か面白味に欠ける。どこか面白そうなものはないかと、辺りを見回すように探し見るそんな中、ふと視線は一箇所に注がれた。遠目で良くは見えないが、ポツンと寂しく立った一本の街灯に照らされているそれは、安っぽいホラーゲームに出てきそうな気さえする。

 

 冷たく吹く冬風はまるで、自分らをその建物に近づかせない為に吹かれるようだった。風に舞い、薄い闇の中をヒラヒラと落ち行く落葉を見てまたも既視感を覚える。一体、どうなっているんだ。真は困惑しながらも一本の街灯に寂しく照らされる建物へ、着実に歩を進めていく。

 

 段々と近づくに連れ顕になっていくそれは、少しだけ寂れたゲームセンターだった。周りにはアトラクション遊具等はなく、あるのは左右対称にゲームセンターよりも少し背の高い木が横に並んでいるのみ。何故こんな辺境の地に寂しく立っているのか、真は疑問を表すように首を傾げた。

 

 

「真さん、こんな寂れた建物に何か用でもあるんですか?」

 

 隣に居る文が訝しげな表情を浮かべながら言ってくる。腰を曲げ、真の顔を覗き込むようにして見せる彼女の赤い瞳には、呆然と立ち尽くす彼の姿が映った。

 

 

「………真さん?」

「あ、ああ。すまんボーっとしてた。なんだ文?」

「だからこんな場所に………ああもういいです。二度言うことでも無いですし」

 

 腰に手をやり、文は肩を竦めながら呆れた表情で首を横に振る。ズキリ。その仕草を見るなり頭に鈍痛が走った。どこかで俺は、先程の一連のやり取りを、したことがある。

 

 自分の頭の中に甲高い音のアラートが鳴り響き始めた。これより先は立ち入り禁止、と言わんばかりの警報に思わず顔を顰める。鼓膜の真隣で鳴り響くソレは耳を塞いでも防ぎきれず、自然と耳を押さえる指元に強い力が入った。

 

 痛い。まるで金属製のバットで頭を殴られているようだ。止まない鈍痛に堪らず真は、耳元を強く塞ぎながら膝下から崩れ落ちる。膝を強くコンクリートにぶつけたせいか、膝元にも鈍い痛みがやってきた。だが、頭の中を走り回る痛みと比べれば優しいもので、膝の痛みには一瞥もくれず彼は耳元を握り締める。

 

 うるさい、痛い。いっそ耳を削ぎ落とした方が楽になれるかもしれない。そう思える程の痛みが走り回る中、風鈴にも似た綺麗な声が聞こえてくる。聞き慣れた彼女()の声だ。彼女の優しい声が耳に入るなり、忽ちに頭をガンガンと強く鳴らす耳障りなアラート音をかき消してくれた。

 

 助かった。息を荒げながら真は、文に礼を言おうと顔を上げる。が、目の前に彼女の姿は無かった。

 

 彼女の姿は疎か、先程まで広がっていた薄い闇と寂れたゲームセンターまでもが姿を消し、周りは色を失ったのかと錯覚する程の白色が広がっている。

 

 右を向いてみる、白だ。左を向いてみる、白だ。後ろを向いてみる、白だ。体全体を動かし辺りを見回すも、白色以外の色は見つからない。一体何が起きているんだ、ここから出してくれ。非現実的な目の前に、真は叫ぼうと腹に力を込め、鋭い声を喉から出そうと試みるが、彼の心中とは裏腹に、喉からは何も出なかった。

 

 何度叫ぼうとも、声は聞こえない。不意に真は苦しそうに咳き込む。だが、音は聞こえない。そこで彼は気付いた、喉は最も、自分の嗅覚や聴覚、触覚すらも使い物にならないことを。

 

 指先に唾を付け、嗅いでみるも何も臭わない。手を強く叩いてみるも何も聞こえない。自分が立っているであろう地に手を擦ってみるも何も感じられない。使い物になるのは”目”と自らの”感情”のみ。唐突な、いきなりの出来事に真は両腕で自らを抱き、体を震わせる。

 

 怖い、助けてくれ。身に襲いかかる絶大なる恐怖に思わず腰が抜ける。足が竦み、一歩も踏み出すことが出来ない。自分は、永遠にこの意味のわからない空間を彷徨うことになるのか? そう考えると気が狂いそうになった。

 

 どれくらいこの状態が続いたのだろう。実際には数十秒の筈だが、真には数日経ったのかと思える程だった。しゃがみ込み、震える身を押さえつけふと上を向く。もしかしたら何かが変わっているのかもしれない、そんな淡い期待を込めるが、目の前は相も変わらず白色が続く。

 

 恐怖と落胆が混ざったような表情を浮かべると、真の頭上に影が差した。思わず身を跳ねさせ、前方にヘッドスライディングのようなダイブを決め込む、痛みは全く感じられなかった。

 

 恐る恐ると言った感じに後ろを向くと、白い景色をバックに、『Keep Out』と黒い文字で書かれた黄色いビニールテープが、何重にも張り巡らされた茶色い扉が見える。どこか年季を感じさせる古臭い木製の扉を前に、真は腰を地に付けながらただ呆然としていた。

 

 警官が現場を隔離する時に使うようなビニールテープに張り巡らされた扉は、近寄りがたい雰囲気を醸し出している。無意識に一歩後退すると、またも脳内にアラートが鳴り響いた。ちくしょう。そう悪態を吐き、一歩前に踏み出すとアラートは止んだ。

 

 チャレンジ オア フィアー(挑戦 か 恐怖)、どちらを選ぶ。野太い声が脳内に響いた。ちくしょう。真は心の中でもう一回そう叫ぶと、黄色のビニールテープに手を掛け、無我夢中に剥がし続ける。

 

 どけ、邪魔をするな。扉を塞いでいたビニールテープは姿を消し、無残に地へと舞い散った。荒い呼吸を吐きながら、金色のドアノブに手を掛ける。

 

 もう、どうなってもいい。そんな気持ちで自棄糞にドアノブを回し、扉を開け――――

 

 

「真さん!!」

 

 目の前には、真の名前を呼ぶ文の姿があった。

 

 

 

 

 息苦しい。目の前が滲み、コンクリートの地面には幾つかの水滴が滴り、ポツポツと鼠色の地面を黒く染めていた。頬に手をやると、自分が泣いていることに気付く。

 

 文の後ろを通る通行人の大体は、真の姿を奇異の目や好奇の目で見ており、少しだけ彼らに目をやると、興味を失ったように道の向こうへと消えていった。先程に見た白色の世界は消えてなくなり、目の前には心配そうな、今にも泣き出しそうな文の姿に、薄暗い闇と、闇を照らし出す街灯と、寂れたゲームセンターが見える。

 

 ああ、自分はこの世界に帰ってこれたのか。そう気付くまで数十秒掛かった。

 

 

「大丈夫ですか、真さん」

 

 心配そうな表情を浮かべ、文がしゃがみこんでいる真の顔を覗く。

 

 

「ああ、大丈夫。心配かけてごめん」

「そう………ですか。ならいいんですが」

 

 真の言葉が見栄を張っていることは一目瞭然だった。顔は青白く染まり、手は震え、肩を震わせ何度もしゃくり上げ、彼の黒い瞳には大量の涙が流れ落ちているのだから。

 

 余計な詮索はせず、そっとしておく。それが文の出した結論なのか、少しの溜めを作りそう言った。文の適切な気遣いを感謝しつつ真は目元を手で拭う。

 

 色を取り戻した世界は美しく、思わず見入ってしまう。数分の出来事だと言うのに、白以外の色を見るのは酷く久しぶりに感じられた。呆然と地に膝を付けたまま、辺りをじっと見つめる真を、文は何も言わずに目を細めている。

 

 ひんやりと冷たい風が頬をなぞる。自分の体を冷やそうと努力するその風は、心地が良かった。空を眺めると薄らと雲が見え、今にも闇の中へと消えて行きそうだ。

 

 あの世界はなんだったのだろう。雲も風も色も人も何もない空間。あったものは自分と、ビニールテープが張り巡らされた茶色い扉。突然の非現実的な世界は、自分の何かを示しているのかもしれない。

 

 流石にそれはないな、と思う。恐らくあの世界は自分の見間違いだったんだ、きっともう出てこない。今はそう信じたかった。

 

 本日で最大級の溜息を零すと、真は頭を掻きながら立ち上がった。涙はもう流れない。赤く腫れ上がった瞳をうざったそうに手で拭くと、肩掛けカバンの中からポケットティッシュを取り出し鼻をかんだ。

 

 

「最後に観覧車でも行くか、行こうぜ文」

 

 真がそう笑顔で言うと、文は安心したような笑顔を咲かせる。

 

 

「観覧車ですか、いいですね。それじゃあ今すぐ行きましょう」

 

 本当は礼を言いたかった。でも、どこか気恥ずかしくて言えない。真は礼の代わりに文の頭を優しく叩くと、彼女は少しだけ驚いた表情を浮かべ、また笑った。

 

 嬉しそうなその笑顔に、思わず顔を背けてしまう。今の自分の顔はどうなっているのだろうか、きっと赤くなっているのだろう。バレなければいいのだが。

 

 恥ずかしそうに顔を背けると、一本の街灯に照らされ、シャッターの降りているゲームセンターが見えた。

 

 それにしても、と思う。一つだけ気がかりなことがあった。その疑問は小さな物だが、小さな物なだけに気になり始める。まるで歯の間に挟まった小骨のような。

 

 もし、あの扉を開いていたら(・・・・ ・・・・)どうなっていたのだろう。それだけが、酷く気がかりだった。

 

 

 

 

 中点の辺りにまで上がったゴンドラは、大体の建物を見渡せた。地面がゆっくりと離れていくその面白さは、ジェットコースターと似た面白さがあるかもしれない。

 

 遊園地の離れに見える高層マンションは、殆どの明かりが灯りとても綺麗だった。自分の家は見えないかと探してみるが、一軒家の二階建てなど多くの数があり、途中で挫折してしまう。

 

 ゴンドラの中に取り付けられた小さな机に真は頬杖を立てながら、何気なく文の方を見てみる。すると、彼とは反対側の窓にべったりと体を密着させ、外の世界を眺める彼女の姿が見える。その姿は物凄く滑稽だった。

 

 

「文、何もそこまでくっつく必要はないんじゃないか?」

「なにを言っているんです。こうまでしないと、良く見えないでしょうが」

 

 嗜めるようにそう言うと、文は真の方を向き、逆に注意するように人差し指を立てながら顔を近づけた。何故、俺が怒られるんだ。そう理不尽に感じるも、どこか懐かしい気分がする。

 

 またも窓にくっつき始める文の姿を見て、苦笑いが零れた。ゼブラパーカーのポケットから携帯を取り出すと、ホームボタンを押す。ロック画面の上辺りには4:49分を指しており、それを見てそろそろか、と思う。

 

 ゴンドラが頂点に着きそうな辺りに、それは起こった。

 

 パァ、と一斉に遊園地から眩い光が放たれる。この遊園地での醍醐味である、五時に起きる一斉ライトアップだ。パンフレットをよく見といて良かった、と心底思う。

 

 蛍光灯から発せられる小さな灯火などではなく、様々な色の明かりが遊園地全体を照らし出す。だが、真が遊園地全体のライトアップに目をくれたのはほんの少しで、すぐに目を離すと文の方に目線を移した。

 

 さて、どんな表情をしているかな。そう気になり、密かな笑みを作りながら見やると、文は窓に体をくっつけさせ、付けられた机に膝を乗せながら呆けた表情を浮かべる、何ともシュールな彼女の姿が見えた。

 

 思わず真は口に手をやりながら吹き出してしまう。やばい、予想以上だ。本当は今にも大笑いしたい所だが、流石に失礼だろうと思い、心の中で笑い声を上げ、忍び笑いをして見せる。

 

 ゴンドラが頂点に着き、右へ落ちようとする辺りに文は、圧倒されたような表情を浮かべながら大人しく席を着く。この表情が見たかった。真は心中でそう呟き、嬉しそうな笑みを浮かべながら口を開く。

 

 

「只今の心境はどのような感じで?」

「…………何とも言えない、ノーコメントで」

 

 そんな言葉を呆けた表情で言うものだから笑ってしまう。右手で口に手をやり、左手で太ももをつまみ笑い声を抑制する。最近では彼女に振り回されっぱなしだからな、たまには仕返しでもしないと、損ってものだろう。

 

 写真を撮りたい気持ちを抑え込み、視点を遊園地の方に戻す。そこには、先程と変わらない綺麗な光景が映っていた。

 

 

「真さん」

 

 ポツリと文が真の名前を呼ぶ。なんだろう、と気になり彼女へと顔を向けると、外の世界とは比べ物にならない程の笑みを浮かべていた。

 

 

「物凄く綺麗でした、本当にありがとうございます。あの日(・・・)真さんと出会って、心底良かったと思えますよ、これからも一緒に、どこか出かけましょうね」

 

 ―――――反則だろうが。

 

 そんな笑みを浮かべられても、困るんだが。真は顔を恥ずかしげに俯かせ、そう思った。今の自分の顔は、彼女には見せられない。顔を両手で押さえながら心中で弱々しげに、そう呟く。

 

 このままダンマリというのも悪いと思い、目だけを上げ、震える口調で真は言った。

 

 

「…………そうですか、まぁ、俺も少しはそう思うかも」

 

 最後の方は恥ずかし過ぎて、殆ど聞こえなかったと思う。だが、文は真の言葉を一言一句聞き逃さなかったらしく、ポカンとした表情を浮かべると、酷く嬉しそうな笑みを浮かべた。

 

 

「ありがとうございます、嬉しいですよ、真さん」

 

 ―――――反則だろうが。真はもう一度、心中でそう呟いた。

 

 

 

 


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