冷たい空気に体を震わせ、ぼんやりと意識を覚醒させる。目の前には、白い天井が広がっていた。
まだ眠い。うとうととしながら心中で小さく呟くと、寝心地が悪いように体を横向けに倒す。ふかふかのベットと、羽毛布団が強い眠気を誘うが、喉の渇きと部屋の中をひんやりと凍えさせる空気に邪魔をされ、中々寝付けなかった。
愛用の枕の下に手を入れ、再び微睡み始めるも羽毛布団の隙間から入り込む凍えた空気に体を震わせ、しょうがないと言った感じに瞳を半分だけ開く。
もっそりと布団の中から這い出ると、刃の如く鋭い空気が身を突き刺す。その攻撃的な冷たさに、一度だけ体を震わせると窓の外を眺めた。
ガラス製の窓は少しだけ曇り、黒いジャージを上に着る真の姿をうっすらと写した。間抜けそうに瞳を半分だけ開き、寝癖の立ったその姿を。
二階の窓から見る景色は、それ程いいものではなく心は全く躍らない。辺りを青白く染める空は薄い墨汁を零したように薄く濁り、今にも雨が振り出しそうな嫌な天気だった。
窓に指先をそっと触れると、部屋の中に外の風を入れさせないよう努力してくれていたのか、窓はひんやりと氷のように冷たく、指先まで凍えつきそうだ。
すぐに窓から指先を放し、軽く二度三度振ってみせる。空の色の具合から見て今は六時辺りだろうか、青と薄い鼠色が混ざったような空から目を離し、フローリングの床の上に置いてあったタッチ式携帯を手に取る。
手に取った携帯は冷蔵庫に入れてあったのかと思うほど冷たく、携帯の裏側を覆っているプラスチック製の黒い携帯カバーまでもが冷えていた。今日は大分冷え込んでいるな、寒いのは苦手なのに。顔を顰めながらそう言うと、ホームボタンを押す。
予想通り液晶越しの画面は6:20分を指しており、予想が当たったことを少しだけ嬉しく思った。
部屋の中は薄暗く、ドアも締め切っているため光の元は窓から差し込んでくる青白い光しかない。その薄暗闇の中、真はこれから何をしようか、上半身だけを起こし目線を虚空へ向けながら考えていた。
早く起きてしまったせいか、文はきっとまだ起きていないだろう。かと言ってまた寝る気にはならないし………。寝起きで余り纏まらなかった意識も大凡覚醒してきたのか、部屋の中を占める冷たい空気も手伝い、段々と思考がちゃんとした物へと変わっていく。
一先ず、喉を潤してから考えよう。そう思ったのか羽毛布団を片手で剥がし、ベットの向こうへと追いやってから、その重い腰を上げようとした瞬間だった。
金色に輝くレバーハンドルがゆっくりと下に下ろされる。ベットに腰を掛けたまま、訝しげな表情を浮かべ真は扉へと目線を向けた。
ゆっくりと音もなく、静かにレバーが下へと落ち行く。されるがままに少しだけ下方へと下がると、ゆっくりとした動作で今度は、扉が開き始める。
少しの音も立てないその一連の動作には、酷く鍛え上げられたようにも感じられた。扉が半分ほど開くと、一本の白い手がにょきりと現れる。その光景を見て真はただ、ホラー映画の一部始終みたいだな、とだけ思った。
廊下は暗闇に染まり、光の元は先程と変わらず、窓から差し込まれる青白い光しかない。その淡い光は当然、遠く離れる扉までもを照らし出すことは出来なく、暗闇の中その黒色をかき回すように白い腕がわたわたと動いている。
真はその非現実的な光景を、まるで映画を見る観客のような澄ました顔付きで見ながら携帯のホームボタンを押す。慣れた手つきで出てきたロック画面を横にスライドし、パスワードを入力した後ホーム画面へと移った。
その中にある一つのアプリをタップする頃には、扉を静かに開けようと苦戦する主の足までもが扉からはみ出ていた。扉を開けるのにどれだけの時間を費やすんだ。携帯を片手に握り締め、アプリを開いたまま強くそう思う。
やっとこさ扉を音も無く全開すると、扉を開けようとしていた主の姿が、シルエットで映る。その影で大体は誰かわかったが、真は追い打ちをかけるように携帯を扉へと向け、”LED機能を搭載した”アプリのスイッチを押した。
画面に映る、電気スイッチのような赤く妖しく光るスイッチを押すと、携帯の裏側から強い光が発せられた。窓から漏れる淡い光とは比にならない、閃光のような強い光はいとも容易く全開した扉の前に立つ者の正体を晒し出す。
その人物は眩しそうに目元を手で覆い隠した。露になったその人物の正体は、上下花柄のパジャマに身を包んだ”射命丸文”だった。寝起きからあまり時間は経っていないのか、絹のような髪が逆さに立っており、足元は少しだけ宙に浮き、何故か片手には古ぼけた写真機を掴んでいる。
「何してんの文?」
怪訝な目線を送りながら真がそう言うと、文は目元を手で覆い隠しながら体をビクリと震わせた。
――――少しの静寂が訪れる。部屋のひんやりとした空気は、廊下の空気と一体化し、更に部屋の中の温度を下げたような気がした。時間が止まったような静寂の中、文は真の言葉には答えず。
――――そっと、扉を閉めた。
あの後、真は文の後ろを追いかけず、部屋の電気を付けるとどうでもいいと言わんばかりにパソコンの電源を付けた。
黒色のワークチェアにゆったりと、居心地が良さそうに背中を預け凹凸の激しいキーボードに手を掛けると、気の済むがままにネットサーフィンを始める。
その殆どはオカルト系の、「友達の友達から聞いたんだけど」なんて文章から始まる与太話だった。創作だと分かっていても、眠気覚ましには丁度いいぐらいの怖さで真の背筋を凍らせる。
人間の怖い話から、異世界の怖い話、メジャーな幽霊から祟られた、や心霊スポットでの恐怖体験等と、時間を潰すために目に付いた物を片っ端から漁り、読んだ。
部屋のひんやりとした温度と、真の背筋を逆撫でするような、気味の悪い何処ぞの誰かが作った恐怖体験は、彼の乾いた喉までもを凍えつかせた。
ふと一つのページに目がいった。何気なくそのページを面白半分でクリックすると、パソコンの画面が黒く染まり、白い文字が浮かび出てくる。
中々、雰囲気が出ているじゃないか。最も、贅沢を言うなら画面の端に写る広告も消して欲しいけどね。真は嫌な笑みを浮かべながら画面と向かい合う。
文章の一番初めの上段に赤色の文字で書かれてあるのは、恐怖体験の題名らしき一文だった。
その題名は―――――天狗の悪戯。
このお話は、私が実際に体験した出来事のお話です。ショックも大きく、小さな頃に体験した出来事なので曖昧な部分もあると思いますが、宜しくお願いします。
私が小さな頃住んでいた場所は、本当に何もなくて、コンビニに行くだけで徒歩で一時間程掛かりそうな田舎でした。
見渡す限り緑ばかりで、空気も美味しい場所です。だけども、本当に自然ばかりで若い人達の殆どは都会に出て行ってしまいます。そのせいか老人ばかりで子供も少なく、いつも遊ぶメンバーは決まっているような物でした。
その頃小学生だった私が良く遊んでいた友達は、同じ年のAちゃん、私の三つ年下の弟のB、そして二つ年上の中学生、C君と遊んでいました。私の行っていた学校は子供が少ない為か、それとも予算の為か小中学生一緒の学校です。
自然が多いだけあって、都会での遊びとは少し違ってきます。沢での水かけ合いや、神社での鬼ごっこ、山での探検などと言った遊びを毎日のようにしていました。
だけど、田舎の常か、色々と迷信じみた話もあります。雨の日に沢へ行くと下流の方にある深い池に誘われ、溺死する。夜に神社へ行き、その鳥居を潜ると呪われる。特に山の奥の方へは絶対に行くな、と大人達から耳にたこが出来る程言われました。
中学生のC君は、どうせ大人達が危ないから行くな、って言っているだけだろ? とその噂を一笑していました。自分達より年上なC君がそう言うなら、それくらいの物だろう。と私達も噂をその程度にしか見ていませんでした。
だからでしょう、私達がその噂を蔑ろにしてしまったから――――私の弟は死に、Aちゃんは連れて行かれてしまったのだと思います。
辺りも肌寒く、緑の自然が赤く染まる辺りの頃です。何時もの学校の放課後、小さな子供らがランドセルやカバンを持ち、木製の廊下を音を立て楽しそうに走り回っていました。
今日は何をして遊ぼう。そんな事を頭の中に思い浮かべながら教材をランドセルに入れていると、毎日のように聞き慣れたC君の低めな声が聞こえてきました。
「私ちゃん、今日暇?」
「うん、暇だけど。何? なにか面白そうな物見つけたの?」
C君の後ろには、弟のBとAちゃんが楽しそうに会話をしていました。何時もよりも高いテンションの二人を見て、自分までもが目を輝かせたことを覚えています。
「うん、山で探索でもしようかな、ってね」
「え? 何時もと変わらないじゃん、何か隠してるでしょ?」
「いや、何も隠してないよ」
歯切れの悪いその物言いに、私はすぐに何かを隠していると感じ取りました。私がじっとC君を見つめると、観念したように口を開きます。
「少し……森の奥の方に行こうと思って、さ」
「やっぱ私行かない」
「いいじゃん、面白そうだしさ」
怖い話を私が嫌いなのを知っていて、わざと言葉を濁したな。そう思い少しだけむっとしました。ぷい、と私が顔を背け、話を聞かない体制をとっても、C君は頭を下げてきます。
流石にしつこいと思った私は、渋々と言った感じに首を縦に降りました。すると、C君AちゃんBは手を上げ喜ぶ物ですから、私も少しだけ嬉しくなってしまいます。
ですが、今思えばその選択は間違っていた。と心の底から悔やんでいます、今でも、ずっと。私が泣きでもして山に行くことを拒否したら、きっと何も起きなかったに違いません。
触らぬ神に祟りなし。ですが、好奇心が旺盛な私達はその神に触れてしまいました。天狗と言う名の山の神に。
何時ものように自宅へは帰らず、四人で山に一直線でした。先生からは山の奥に入るなよ、と言われましたが。今日その約束を破るのです、少なからず、怖い話が嫌いな私までもが胸を躍らせました。
きっと、喜々として犯罪を犯す人もこのような気持ちなんでしょう。自分は法律を破る、自分は特別だ、と。
いざとなってその、目的の山を目の前にすると流石に息を呑みました。何時も見る山のその景色は、違うものに見えましたから。
三人を見回すと、三人も同じく私同様山を目の前にして、一歩も踏み出しません。今ならまだ間に合う、ここで帰ろう、今日は神社でかくれんぼをしようよ。と言っておけば、きっと三人は頷いたでしょう。ですが、私はその言葉を口にしませんでした。
生ぬるい嫌な風が頬を過ぎりました。ごくり、と生唾を飲み込むとC君が覚悟を決めたように声を上げます。
「よし、こんな所で立ち止まってないで、さっさと山に行こう!!」
やはり、C君は自分達よりも年上だな。と思いました。私達も強く首を縦に振ると、山の中へと歩を進めます。
その山は、それ程高くはなく多くの登山を経験した人なら朝飯前だろう、と思える程の低い山です。ですが、まだ子供の自分達にはキツく、何度も休憩を挟み、柔らかい土の上に座り水筒の中のお茶を飲みました。
山の奥の方――――どれほどの時間を登ったのか、日は既に傾き、あと数十分程で辺りを闇に染めようとしていました。流石に今日は諦めよう。そう思った矢先にソレは現れました。
山の奥をまるで隔離するように張られたしめ縄。それは小さな自分達よりもよっぽど高い場所で、木の端から木の端へと長く横に張られていました。
日は西に沈み、しめ縄の向こうをオレンジ色に染めています。生ぬるい風が吹き、木の枝が自分達をおいでおいで、と手招きするように大きく揺れていました。
酷く不気味に思った、ですがそれと同時に美しい、とも思いました。木々の隙間を漏れるオレンジ色の日色はいとも容易く、私達の心に溶け込みました。
もうすぐ日が暮れ夜が来る。何時もならこの辺りで解散になっていたのですが、きっと自分、いや、自分達は魅了されていたのでしょう。何に、とは言いませんが。
C君を初め、同じ年のAちゃん、弟のBがしめ縄を潜ります。それに釣られ、私も無意識的にしめ縄を潜りました。
皆の表情に浮かんだ色は喜色。その赤にも似た色は西に沈む夕暮れの色と交わり、明るい色に変えています。私はその時、その顔に浮かぶ明るい色は自分らの心境を表すウキウキとした色なんだろう、と解釈していました。
だけど、今になって考えると違います。その色は、自分らの―――――鮮血を表した朱色だったのですから。
真はそこで一旦ノートパソコンの画面から目を外した。
思いっきり、創作話じゃないか。もう少し頑張れよ。心中でそう呟くとワークチェアに背を預け、後頭部を抱えた体制を取る。
なんで、曖昧だと思いますが、とか言っているのにそんなハッキリと覚えているんだ。物語を批判するようにニタリと、いやらしい笑みを浮かべ、悪態を吐く。
まぁ、面白そうだからもう少し見てやるか。上から目線な態度を取り、画面に目を通す。
ザー、と音量の小さい砂嵐のような音が外から聞こえてくる。そこに目をやると、結構な雨が天から地へと降ってきていた。
ひんやりとした部屋の空気は、湿ったようなじめじめとした空気へと変わっている。その嫌な空気に顔を少しだけ顰めると、真は思う。
ああ、自分は雨音にも気づかない程、この話に夢中になっていたのか、と。