鴉天狗達と撮った写真   作:ニア2124

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午後七時 傷心の彼女と儚い月

 暗く、深い闇の中。

 

 遊園地の場所で見た、白い世界とは正反対の黒い世界。だけども、何故か恐怖は感じられなかった。何故だろうか、俺は皺の少ない脳みそで考える。

 

 白い世界と同じく、この世界では音も感覚も痛みも匂いも何も感じられなかった。まるで深い深い海の底へ突き進んで行くような感覚。だが、冷たさは感じられず、暖かい温もりを感じられる。それだけが唯一感じられて、俺の心までもを暖かく染め上げるのであった。

 

 炎のような燃える熱さではない。お湯の中で体を休めながら寛ぐ熱さでもない。誰かに抱きしめられる、そんな優しい温もり。

 

 俺はその場でリラックスするように寝転がる。暗い闇の中、地面があるかもわからない。もしかしたら俺は高い場所から地面へと急降下しているのかもしれない。

 

 だけど――それならそれでいいと思った。今はこの、暖かい温もりを感じる。それが最優先だ。目線を上空に向けると、ふと何かが目に付く。それはよく玄関を開ける時に使う、銀色に妖しく輝く鍵だった。上部分の丸には、COALと大きく書かれてある。

 

 何でこんな所に鍵があるんだ。そう疑問に思い、一度立ち上がりながら俺は何気なくその鍵を手で掴み取った。暗い暗い世界の中、反射する光も無いのにその銀色だけが、妖しく煌めいている。

 

 俺はその鍵を一通り眺め終わったあと、ゼブラパーカーのポケットに入れた。ポケットに入れた鍵の重みは、ちょうどいいぐらいで俺の心を少しだけ満たす。

 

 満足げに息を吐き、俺はもう一度寝転がり直す。突然に感じられなかった睡魔が俺を襲い、俺はされるがままにそのまま――――瞳を閉じた。

 

 

 

 

 瞳を開けて見えるのは、白い天井。嗅ぎ慣れた匂いが鼻腔を突き、瞬時に俺は自分が何処にいるかがわかった。上体を起こして辺りを見回すと、案の定と言った所か、毎日のように見慣れた自分の部屋が見える。

 

 

「遅いお目覚めね」

「デジャブを感じられるんだけど、気のせいかな?」

 

 風鈴のような透き通った声。声のする方を向くと、ニットワンピースを着ている彼女がワークチェアに腰を下ろし、さぞ自分の部屋に居るかのように難しい本を片手に、ハートの柄が書かれたマグカップを手に掴んでいた。

 

 彼女は分厚いその本を閉じると、ノートパソコンが置いてあるデスクの上にポン、と優しく置き、俺と向かい合う。二つの瞳から血のような朱は感じられず、少しだけ濁った黒が見られた。

 

 

「その様子を見ると、大した怪我は無いみたいね」

「俺達は……助かったのか?」

「ええ、貴方の所の、鴉天狗さんのおかげで」

 

 ――文の事か。後で礼でも言わなきゃな。そう思ったが、多分調子に乗るからやめておこう。俺は掛け布団を剥ぎ、体を起こしながらベットに腰を掛ける。そうすると、一気に部屋の中の凍えた空気が俺の身を刺した。思わず一度だけ大きく身震いをする。

 

 

「――ねぇ」

 

 そんな俺に、彼女から声を掛けられる。その声にはあまり感情を感じられず、まるで古井戸の奥底に溜まる濁った水のような冷たさを感じられた。顔を俯かせ、絹糸のように細く、美しい長髪は丸型蛍光灯の淡い光を吸い取り、儚げに輝いている。

 

 

「どうして、私を助けたの?」

 

 相も変わらず冷たい声色。だが、その声はどこか震え気味だった。俺はその質問に少しだけ疑問に思いながらも、仕方なさげにゆっくりと答えていく。

 

 

「人を助けるのに、理由なんてないだろ」

 

 彼女の肩が少しだけ震えた。自分の言っているこの言葉は、所詮綺麗事だと思う。だけど、俺は純粋に、人を助けるのは当たり前の行為だと思っているんだ。それが例え子供でも、老人でも。

 

 

「人が死ぬって事は、悲しい事だ。それも、下らない理由で死ぬって事は物凄く、悲しい事なんだ」

 

 何故か俺のこの言葉達は、するりと喉を通して、口から零れる。何が俺をそうさせているのかわからないが、自然と零れてしまう。それこそ、まるで滝を流れる水のように。そんな俺に対し、彼女はただ黙って顔を俯かせていた。

 

 俺は自然と零れゆく言葉を飲み込み、口を閉ざす。この場を沈黙が支配する。流れる空気は冷たく、体に纏わり付くように重かった。外は完全に闇に覆われ、街全体を照らすのは儚げで弱々しい月光だけ。そんな月を見るなり、俺の心境は不安に見舞われた。

 

 この弱々しく、頼りになりそうもない月の光が消えてしまったらどうなるのだろう。街全体を照らす光はなくなり、人工的な光でしか街を照らせなくなってしまう。俺は窓から空を見て、唯唯この月光が消えてしまわないかが心配になった。

 

 

「……と、まぁそんな訳だ。もうこんな時間だし、飯だけでも食ってくか?」

 

 俺は不安に見舞われる空から目を離し、彼女の方へ向き直る。彼女は先程と変わらず、未だ顔を俯かせていた。重たい腰を上げ、冷たい空気に身を震わせながら俺はゆっくりと立ち上がろうとする。

 

 

「――――私は誰も救えなかった」

 

 ポツリと零した、彼女のその言葉。声色は悲しみと罪悪感に満ち溢れており、酷く痛々しかった。

 

 

「弟も友人もいなくなったのに、私だけが生きている。私は、皆を見捨てて、一人だけ生き残ったんだ。私……だけが」

 

 彼女は自分の着ているニットワンピースを、両手で強く握り締めた。気の強い彼女は消えていなくなり、ポン、とでも押せば崩れ落ちそうな彼女が現れる。その、今にも消えそうな彼女は空に浮かび上がる月のように、儚く、弱々しかった。

 

 肩が小刻みに震えている。そんな彼女に俺は――掛けていい言葉が見つからなかった。俺が悔しそうに唇を噛むと、彼女はハッとしたように声を紡ぐ。

 

 

「ごめんなさい。こんな事言われても、困るわよね。ご飯は遠慮しておく。貴方の所の天狗さんに、迷惑は掛けられないもの」

 

 そう言いながら元気そうに顔を上げ、彼女は唇の端を不敵そうに釣り上げた。だが、僅かにそれは震えており、見栄を張っているであろう事は、目に見えている。

 

 彼女は過去の出来事に囚われているんだ。自分の友人と、弟を助けられなくて、無力などうしようもない自分をいつまでも攻めている。だから俺は立ち上がり、消え入りそうな、空に浮かぶ月のように弱々しい彼女の肩を強く掴んだ。

 

 

「ちょっと、何触っているの――」

 

 彼女の言葉を、俺は全て喋らせなかった。これ以上彼女に喋らせてはいけない。何故なら、近いうちに消えていなくなってしまうかもしれないから。だから俺は彼女が逃げて消えてしまわないように肩を掴み、彼女が元に戻ってくれるよう――――脳天に強くチョップをかます。

 

 

「ほら、元に戻れ。面倒臭いぞ今のお前」

 

 壊れかけたテレビを直すように、俺は少し斜めよりに乱暴なチョップをかます。彼女は小さく痛みに呻きながら、段々と表情を怒りに赤く染め上げていった。

 

 

「……ハエが私にチョップするだなんて、いい度胸してるじゃない。平手で潰されたいのかしら」

 

 重力を無視して逆さに釣り上がる彼女の髪の毛。それらが意思を持つように小さく蠢いている気さえする。彼女が俺の動きを封じ、嬲り殺してしまう前に俺は、早めに言葉を紡ぐようにした。

 

 

「記憶って奴は、酷い奴だ。楽しい出来事ばかりすぐ忘れる(食べる)癖に、苦い出来事はまずいからって、全く食べやしてくれない」

 

 彼女の長く、淡い光を放つ髪が重力に従い、元に戻る。表情は苦虫を噛むような、顰めっ面。俺は脆い、壊れかけの陶器を扱うように彼女の髪を、優しく、諭すように撫でた。

 

 ビクリと、彼女の体が一度震える。数時間前までは、敵やらなんやらと認識していたが、彼女は過去の傷が原因でただ、感情の表し方や話し方が苦手なだけなんだ。本当の彼女は優しく、人より少し脆いだけ。俺をなんやかんやで助けてくれたり、友人を救えなかった罪悪感に今も悩まされているのが、その証拠だ。

 

 絹糸のように細かい髪が少しだけ揺れる。粉雪のように儚く、滑らかな髪の感触が俺の手の平を通じ、心の奥底にまで届いた。俺はまるで、赤ん坊をあやすような口調で、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

 

 

「だけど――それでいいと思うんだ。楽しい思い出ばっかり覚えていたら、これから起きる楽しい思い出が、つまらなく、物足りなく感じてしまう。人はつらい思い出を忘れて元に戻るんじゃない、つらい思い出を乗り越えて、吹っ切れて元に戻るんだ」

 

 家族の記憶を、名前を忘れてしまった自分が、何を言っているんだとつくづく思う。だけど、過去の出来事にいつまでも、ウジウジ考えて、悩まされるってのも、何かおかしいと思うんだ。

 

 外の景色は、先程と変わらず闇に覆われている。だが、月の淡い光のおかげで、これ以上は酷くならない。だから俺は、彼女のそのかろうじで心を繋いでいる糸を、離さない。離してしまうと、彼女の心に月が消え、暗い暗い闇に覆われてしまうから。

 

 糸を手操り寄せるように、俺は彼女の長い髪を撫で続ける。彼女はまたも顔を俯かせ、どんな表情をしているのか、俺にはわからない。いや、わからなくていい。

 

 

「だから、お前も過去の出来事引っ張らないで吹っ切れちまえよ。そうした方が楽だぞ」

 

 そう言って、俺は彼女の頭をポン、と優しく叩き、リビングに行くべく彼女に背を向けた。すると、後ろから小さな、押し殺せきれないような、嗚咽が聞こえる。泣いているのだろうか、少しだけ気になり、後ろを振り向くと彼女は顔を俯かせ、手で俺をしっしと払う。

 

 いつまでも、強気だな。心中でそう呟き、俺は彼女から背を向けなおすと、思い出したかのように言葉を紡ぐ。

 

 

「遅れてもいいから、飯食ってけよ」

 

 そして俺は、レバーハンドルを下に倒し、後ろ手で扉を閉めた。

 

 

 リビングへ足を運ぶなり、何かを炒めるような音と、香ばしい匂いが鼻先をくすぐった。俺は上に羽織るゼブラパーカーのファスナーを下ろし、ソファに座ると同時に背もたれに掛ける。

 

 ミニテーブルの上に丁寧に置かれたテレビのリモコンを掴み、徐に電源のスイッチを押した。瞬間チカチカとした弱々しい光が目に付き、辺りを照らし出す。番組表を開き、何時かを確認すると、午後の七時ちょうどだと言うことがわかった。

 

 何か面白そうな番組はないかと探してみるが、やはり七時だと言うこともあり、魅力的な番組ばかりが目に付く。俺はその中でも一番に興味を持った、面白映像百連発、と言う何とも在り来りな題名のコメディ番組のチャンネルに合わす。

 

 

「今日は、災難でしたね」

 

 可愛らしい犬が変顔をしている辺りで、文がミニテーブルの上に山なりに炒飯が盛り付けられた皿を置く。炒飯は早く食べてくれ、と言わんばかりに狼煙のような真っ白い湯気を上げていた。

 

 

「ああ、文が助けてくれたんだっけな、ありがとう」

 

 やはり、礼を言わないと失礼だろうと思い、俺は素直に頭を下げた。そうすると文は鳩が豆鉄砲を食らったような表情を浮かべ、俺の額に手を合わせる。

 

 

「……熱は無いようですが、一応風邪薬飲んどきましょうか」

「なに、そんなに俺が礼を言うのっておかしい訳?」

 

 文の手の温もりは暖かく、彼女とはまた違った優しさを感じられた。

 

 

「そうですね、真さんが礼を言うと噴火や地震が起きます」

「成る程。俺が礼を言うと天変地異が起きるのか」

「はい、そりゃあもう。夏の季節に雪が降り、秋の季節に年間最高気温が予測され、冬の季節に向日葵が咲き誇り、春の季節に紅葉が咲き乱れるぐらいに珍しいですね」

「長い説明ご苦労様。一発殴っていいですか?」

 

 何故俺が礼を言うと生態系がおかしくなるのか。俺が強く握り締めた拳を文に見せると、文は両手をぶんぶんと勢いよく振りながら「冗談ですよ」と笑って見せた。その間にも淡々と、料理をミニテーブルの上に乗せる彼女の手際の良さに、俺は少しだけ関心する。

 

 

「ああ、そうだ。夜飯三人分用意してくれない?」

「え、何でですか? まさかあの人も一緒に食べるんですか?」

「ああ、俺が誘っておいた……って。なんだよ、その露骨に嫌そうな顔」

 

 眉を寄せ、文はこれでもか。と思う程の顰めっ面を俺に見せた。その表情を見て、俺は何か問題でもあるのか、と慌てながら言葉を紡ぐ。

 

 そう言うと彼女は、深く溜息を吐きながら物凄く嫌そうな表情を浮かべ、ありませんよ。とだけ言いキッチンへもう一人分の夜飯を作りに行った。何故か後ろ姿は悲しげに見え、足付きはフラフラと危なげない。

 

 変な奴。俺は小さくそう呟いて、淡い光を放つテレビへと目を向けた――――。

 

 

 

 ガチャリと、リビングのドアが音を立てながら開いた。

 

 テレビから目を離し、俺はそこへ目を向けると、やはりと言った所か彼女が現れる。ただ、あまり人の家にお邪魔した事がないのか、態度はどこか落ち着きがない。

 

 キョロキョロと落ち着きなく辺りを見回す彼女に、俺はソファに腰を下ろしながら手を振って見せた。そんな俺の存在に気づくと、彼女はまたも落ち着きなさげな、ぎぐしゃぐとした動きで俺が座るソファへと歩みを進める。

 

 そのロボットのような歩き方に、俺は苦笑いを零すしかなかった。そして、やっとソファに座ると思ったら、今度は俺から一定の距離を取り、ソファの一番端に腰を降ろす。

 

 

「……お前友達いないだろ」

「なっ――――何言ってるの。居るに決まってるじゃない」

 

 そう言いながら彼女は腕を組み、頻りに頷いて見せる。最早その妙な仕草から、私は友達がいません。と言っているようなものだった。

 

 ソファに座りながら、彼女は辺りをキョロキョロと、ソワソワと見回している。顔を振るたびに、彼女の長い黒髪が大きく靡く。あからさま過ぎるだろう。俺は言葉にはせず、心中で小さくそう呟いた。

 

 

「まぁ、それはそうと」

 

 ごほんと、彼女はわざとらしそうに咳をする。本当に、忙しい奴だな。俺はそう思いながらそっぽを向く彼女に耳を傾けることにした。

 

 

「さっきは、ありがとう。おかげで少しは楽になった」

 

 そっぽを向く彼女の表情は見えなかった。だが、素直に礼を言うのに彼女は慣れていないのか、声は少しだけ小さめで聞き取りづらい。俺はテレビの音量を少しだけ小さくしながら、どう致しまして。とだけ短く返す。

 

 リビングの空気は、俺の部屋と比べて比較的暖かいものだった。俺は氷の入ったプラスチックカップにお茶を注ぎ、徐に一飲みする。やはりあの騒動の後だったからか喉は乾ききっており、いっぱいに入れたお茶はすぐになくなっていた。

 

 音量の少しだけ小さいテレビ番組に、嗅げば嗅ぐほど腹の虫が鳴き始める、香ばしい匂いを漂わせた夜飯。暖かい空気がこの場を支配した。

 

 

「ねぇ、貴方って――――」

 

 突然に隣に座る彼女から声が掛かった。だが、彼女のその言葉は途中で強制的に区切られる。俺が理由ではない、もう一人分の夜飯を手に掴んだ文が、わざわざソファの裏側から体を乗り出しミニテーブルに料理を置いたからだ。

 

 

「夜ご飯出来ましたよ、二人共」

 

 俺と彼女の顔を交互に見やり、何故か二人、という言葉を強調した文。不機嫌そうに頬を膨らませながら、ドスンと音を立てミニテーブルの傍に座った。

 

 

「何むくれてんだよ、文」

「むくれてなんかいません。真さんが浮気者だから怒っているだけです」

「意味わかんねぇ」

 

 やれやれと言った感じに俺は頭を掻く。隣の彼女に目をやると、彼女までもが仕方が無いと言ったような表情で、苦笑いを浮かべていた。俺は銀色に輝くスプーンを手に取ると、彼女の言葉の続きが気になり、口を開く。

 

 

「さっきの続き、何なんだ?」

「二度も言うことじゃないし、もういいわよ。それより自己紹介がまだだったわね」

「ああ、そうだったな。俺は天田 真(あまた まこと)って名前。宜しく」

「変な名前ね」

 

 彼女の言葉に俺の心は、刃で切り刻まれたように痛んだ。そんなに俺の名前は、珍しいのか。そう呟き、俺は名前も知らない名付け親を、唯唯呪った。

 

 そんな涙目な俺を見てか、彼女はクスリと微笑む。その微笑みには、不気味さやら冷たさなんてものは感じられず、心の底からの暖かい微笑みのように見えた。彼女の長い髪は、天井に取り付けられた丸型蛍光灯の光を吸い取り、儚くも力強く輝いている。

 

 

「私の名前は茅ヶ崎 刹那(ちがさき せつな)。忘れたら、殺すから」

 

 

 

 

 




やばい……他の小説の内容忘れた。

次回は恐らく、もう一つの方を書くと思います(多分)

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