太陽も沈み、辺りは夕闇に覆われていた。
遥か彼方に見えるオレンジ色の空は、時が経つに連れ、その姿を隠し始めている。あと数十分程度で、闇夜には月が浮かび上がる事だろう。背の低い
こんな背の低い山では、当たり前と言ったところか、空に自分の手が届く事は無い。それを少しだけ悔しく思いながら、俺の傍らを立つ文に、言葉を投げかけた。
「――なぁ、折角のクリスマスだって言うのに、どうして俺達は山の頂点なんかに、立ってるんだ?」
「私も、真と全くの同意見ね。詳しい理由を話してくれない、天狗さん?」
背の低い山と言っても、ビル四階程の高さは有る。冬場の寒い風に吹かれ、身を屈めながら刹那は、白い息を吐いて面倒そうに言ってみせた。
天狗の文は別として、人間である俺と刹那にとっては、夜が来る前の凍えるようなこの寒さは身体に毒でしかない。寒そうに身を震わす俺達を知ってか知らずか、文は遠くを見渡し、思い出に耽るような表情を作る。
「……懐かしいですね。数年前だと言うのに、こんなにも懐かしく感じられるのは、何故でしょう」
「ダメだ、どうやら文は自分の世界に逃げ込んでいるらしい」
刹那の言葉にぴくりとも反応せず、ただただ遠くを見渡している文。こんな彼女を目にするのは久しぶりだ、と胸中で呟き、俺も文を見習って、遠くを見渡してみる。
この山は、この間に文と遊びに行った『山々テーマパーク』付近に立つ山である。幾ら駅前がコンクリートに覆われていたとしても、駅から少し離れたこの場所には、自然がまだ多くあった。
遠目には、この山とは比べ物にならない程に大きく聳え立つ、他の山が見える。夕暮れ時に来たら良い絵になったと思うのだが、何故天狗である彼女は、この時間帯に、こんな辺鄙な場所に行きたがったのだろうか。
俺の隣で身を屈ませる刹那は、さぞ面倒そうな表情を浮かべながら、低く呟いている。
「全く……
「まぁ、そう言うなよ。文だって、何も考えずにここに来た訳じゃないだろ――なぁ、文」
茫然と彼方を見渡す文の方を向いて、もう一度言葉を投げ掛ける、が、対する彼女は俺の言葉に反応すらしなくなった。
「反応が無い。ただの屍のようだ」
「はぁ……寒い、帰りたい」
俺のギャグを受け流し、珍しく駄々をこねる刹那。膝に顔を埋める彼女の耳は、寒さによって少しだけ赤くなっていた。
本当は、俺だって早く帰りたい。だが、文をこんな状態のまま放って帰る事も出来ない。今は辛抱強く、時が流れるのを待つしか無いだろう。ほんの少しのお詫びを兼ねて、俺は上に羽織るダウンジャケットを脱いで刹那に渡す。
「……なによ、これ着ろって言うの?」
「ああ、フードも付いてるし、被れば多少寒さも紛れるだろ」
「貴方は大丈夫なの?」
「男は寒さに強いんだよ。着ないってなら別に良いけど」
煮え切らない素振りを見せる刹那に、ダウンジャケットを上から被せた。口元を尖らせた彼女はそこで、大人しく俺のジャケットを羽織る。
俺より背の少し低い彼女は、サイズが少しだけ大きいようだ。
「……ありがと」
「お前が礼を言うなんて、珍しいな。明日は雹が降るんじゃないか?」
「なによ、私が礼を言うのが、そんなに珍しいって言うの?」
「ああ、お前が礼を言うと――……ちょっと待って、今凄いデジャブった」
彼女とのやり取りに、強い既視感に見舞われながら、もう一度遠くを見渡す。遥か彼方に見えていたオレンジ色の空は、既にその姿を隠し、辺りを覆う闇はより一層濃くなった。
こんなに暗くて、山の中で迷子にならないかと思うが、俺の傍らに立つのは
ダウンジャケットを脱いだことにより、長シャツ一枚になってしまった俺は、根気で身が震えるのを抑え、自分の身体を抱くようにしながら寒さから逃げる。
文が漸く、自我を取り戻したのはそんな折だった。
「あ、あやや~。少しだけ、呆けてしまったようです。迷惑掛けましたね、二人共」
「本当だよ。何話しても反応しねぇんだから」
「もう少しで凍え死ぬ所だったわ」
自分に非がある事を彼女は自覚しているのか、少しだけバツの悪そうな表情を浮かべた。刹那と俺も、そんな彼女に言いたい事はまだ沢山あったが、今はただただ、早く帰りたかった。
俺は地面に置かれた、自分のクリスマスプレゼントと、クリスマスパーティー用のグッズを手に取る。文は今日の夜飯の材料と、大きな箱型にラッピングされたクリスマスプレゼントを手に掴む。刹那は、自分のクリスマスプレゼントだけを手に掴んだ。この中では、刹那が一番、手に持っている物が少ない。
それにしても、今日一日で何れ程の出費をしただろうか。三人分のプレゼント代金に、夜飯の材料。果ては、文の我が儘によって買わされた、長靴下とクリスマスリース。合計で四、五万は下らないだろう。
予想以上の出費に、思わず濃い溜息が溢れた。そんな俺の思いを知ってか、文は俺の背中を力強く叩く。原因の七割程が彼女だと言うのに、この馴れ馴れしさは何だろうか。
もう一度溜息を零したい気分になるも、折角のクリスマスにこんなブルーになっては、彼女達に申し訳ない。出そうになった濃い溜息をグッと堪え、飲み込んだ。
文が先陣を切り、俺と刹那の二人が彼女の背中を追う。すると――不意に、誰かの声が俺を呼び止める。
「――まさか、真君?」
聞いたことの無い、少女の声。その声は小鳥の囀りのように、可愛げのあるものだった。
声の聞こえてきた、自分の後ろを振り返る。そこには――背の低い少女が、有り得ないと言わんばかりの表情で、俺を見据えていた。
どうやら、まだ自宅には帰れないらしい。
★
木々が生い茂り、月の光までもが当たらない、真っ暗なこの空間に、幼げの残る少女はじっと俺を見据えていた。
暗闇の中、ぼんやりとだけ見える少女。刹那とはまた違うが、少女も制服に身を包んでいる所から、中高生辺りである事が分かる。顔は美人、と言うより可愛いだろうか。暗闇に覆われ、髪の色までは分からないが、肩まで伸ばされたショートヘアのその少女は、俺の顔を見つめた後に、目を大きく見開き、口元を両手で抑えながら、目を細めた。
「ああ、私の願いが叶ったんだ、嬉しいッッ!! 本当に嬉しいよ!!」
涙声で、見たことの無い少女は喜びに満ちたかのような表情で――俺に抱きついてきた。
俺の隣で、刹那が茫然とする中、俺より背の低い少女は俺の胸に顔を埋めて、柔らかいその身体を密着させる。涙を流す少女に対して俺は、突然の状況に頭が追いつかず、ただ動悸だけが早まっていった。
少女はその華奢な外見に反して力強く、俺の背中からはミシミシと、嫌な音が聞こえていた。それでも少女は、俺の背中に回した腕により一層の力を込める。
遂に息苦しさまでもを覚える最中、刹那が我を取り戻したのか、焦り口調で俺と少女を引き剥がした。
「ちょっ、ちょっと。何よこの状況。真、貴方この人の知り合いなの!?」
「い、いや、知らないぞこんな奴」
自由を取り戻した俺は、急いで空気を口から吸い込んだ為に咳き込んだ。苦しげに刹那の言葉を返す俺を、少女はキョトンと首を傾げながら、笑う。
「またまた~何言ってるの真君。
「は、はぁ!? 君が俺の幼馴染!?」
「うん。年は少し違うけどね~……って、本当に、私の事忘れちゃったの?」
少女の言葉に、俺は首がもげる程の勢いで頷く。悪いが、俺はこの女の子を知らない。そもそも、俺にこんな可愛い幼馴染が居たなんて、記憶に無い。
対する少女は、酷く傷ついたような表情を浮かべた。目を細め、眉を悲しげに刻み、今にも泣き出しそうな表情を。
「――本当に忘れたの!? あんなに仲良くしてたじゃない!!」
「い、いや本当に俺は、君のことを知らないんだ。他の人と間違えているんじゃないか?」
「……え、でも――。すみませんが、貴方のお名前って……」
急に畏まる少女。これで俺が、名も知れぬ他人だったらこの子は酷く恥ずかしい思いをする事になるだろう。
――あれ、でもこの子、俺のことを『真』って、名前で呼んでいたような――。俺の心中に浮かんだ、嫌な予感が的中しない事を神に祈りながら、俺は自分の名前を口にする。
「俺は、
「ほらやっぱり!! 真君じゃない、今年十八歳になる真君でしょ!?」
「え、はぁ、まぁそうですけど」
何故、目の前の少女はそこまでに俺の事を知っているのだろうか。もしかしたら、この子は本当に俺の事を知っていて、俺はこの子を忘れてしまったのか。だとしたら、俺は何処まで酷い奴なんだ。
眉を八の字に刻む俺に、またも抱きつこうとする少女。それを俺は手で制す。
「……すみませんが、私は本当に貴方の事を知らないんです」
「――本当に? 私のこと、本当に忘れたの?」
酷く痛々しげなその表情に、俺は兎も角部外者で在る刹那までもが、困惑の混じった、それでいてやり切れないような表情を浮かべた。本当に、目の前の少女は俺と関わりを持っているのか。俺はそんな疑念に囚われる。
この子は、俺の知らない誰かを、俺と照らし合わしているのかも知れない。けれど、だとしたらこの少女は俺の名前を何故知っているのか。名は兎も角、俺の実年齢まで。
突然の状況に、俺は眉を八の字に刻む他無かった。様々な疑念や怪訝が交差する中、辺りを覆う闇は更に濃くなってきている。少女はその顔を悲痛に刻みながら、震えた口調で話し掛けてきた。
「私だよ、――
「くちき――かなた?」
少女の口から出た人の名前を聞いた途端、頭の中に鈍痛が走った。
ズキン――と、脳を揺さぶられる感覚。先程よりも動悸はずっと早く打ち始め、早鐘のように圧縮を始めた。
俺は――少女の名前を、何処かで聞いた事が有る。そして、次に放たれた少女の言葉は――俺の頭を、
「そう、朽木彼方だよッッ!! 本当に忘れたの?
「よ、ぞら――」
瞬間、雷に打たれたかのような衝撃が身を襲った。次に氷水を頭の頂辺から被ったかのような、鳥肌が全身を覆う。その気持ち悪さに思わず、その場で俺は嘔吐した。
昼に食べた物が土の地面に零れ、僅かな酸が俺の喉を焼く。頭の中はミキサーで掻き混ぜられたかのように、ごちゃごちゃと散らかっている。まるで、忘れ去られていた記憶を無理矢理、脳の中に挿入されるような不快感が俺を襲った。
「ちょっと!! 大丈夫なの真!?」
俺の身を案じてか、刹那が今にも倒れ伏せそうになる俺を、抱き上げた。それでも、身を襲う不快感は収まる気配が無い。
白と黒色が目の前をチカチカと点滅する。出来の悪いフラッシュビデオを見ているような感覚に陥り、それが更に俺の吐き気を催した。だが、少女は何処まで俺を刺激させれば気が済むのか、彼方と言う少女は――今まで、一言も発さなかった、俺の後ろに立つ少女の名前を呼んだ。
「まさか、貴方――文さん?」
そこで、俺の思考は完全にフリーズした。
クリスマス回を単なるほんわかイベントだと思った者、大人しく挙手。