彼と私は赤い糸で結ばれている。
別れても再度出会う関係。切っても切れない、運命的な赤。情熱的な赤。最終的には私と結ばれるに違いない。
ラブロマンスにバッドエンドなんか無い。いや、ハッピーエンド以外認めない。
なんだって、ヒロインと結ばれない悲劇的なラブロマンスは、誰も幸せになれないのだから。誰もが後ろめたさ、後悔を背負いながら生きていくなんて悲しすぎる。寂しすぎる。
もし、もしもだけど、彼の小指から赤い糸が解けてしまったら。その場合は多少手荒な方法を取る他ない。私の大切な人が、パッと出の女に奪われるなんて我慢ならないから。
彼は悲しむだろう。嘆き悲しみ、心にぽっかりと空いた穴に私が溢れる程の愛情を注いであげよう。溺れる程の、盲目的な愛。
彼が私以外の人間を見ないように、監視しよう。束縛しよう。依存させよう。その為には多少の犠牲だって必要だ。十、百、千、万、例え億でも、地球人口数を超えてしまうけれど、兆の位でも人を排除して見せる。
地球から彼と私以外の人が消え失せた場合は、私が七十二億人分相応の愛を注いであげる。
狂気的だと言うなら言えばいい。非人道的だと言いたいなら何度だって言えばいい。恋は盲目なのだから。
彼がアダムで、私がイブ。少しポエムみたいだけれど、彼と私は言わばそんな関係なんだ。禁忌を犯してしまえど構わない。大切な彼の為ならばリンゴを齧っても良い。楽園から追い出されたって構うものか。
盲目的な愛情。素敵。彼が私を好きになって、楽しい記憶を、思い出を沢山作ったら、最後には食べてあげる。
どんな味がするのかな。楽しみだな。
♥♥♥
「どーも、お待たせしました彼方です。真君を引取りに来ました」
「待ってません引き取らせません、帰ってください今すぐに」
十二月の後半。あと数日で今年が終わる程の日時にインターホンが鳴ったかと思うと、スピーカー越しに彼方が開口一番にそう言い放った。
文はテレビドアホンの通話ボタンを押しながら、液晶モニター越しに映る彼方の顔を睨みつける。好きじゃないなら居留守を使えば良かったのにと思うのは、俺だけだろうか。
「えー開けてよ。じゃないと何時間でもドアの前に立ち続ける事になっちゃうじゃん」
「絶対開けません。風邪引いてしまえざまぁ」
文。口調可笑しいよ。恐らくこの前見せてしまった、パソコン掲示板の書き込みが伝染ってしまったのだろう。
別にここで、俺が出てしまえば火は消えるだろうが、面白そうなのでこのまま二人のやり取りを見やる事にしよう。ソファに浅く腰掛け、キッチンで作ったミルクココアを一飲み。そしてミニテーブルに置かれた、少し遅めの朝食であるカリカリのトーストを一齧り。
やっぱり美味い。ここ最近朝食は和食ばかりだったので、洋食であるバタートーストがやけに美味しく感じられる。
いい感じに焼かれたトーストの歯応えは抜群だし、バターのまろやかな味が口いっぱいに広がっていく。更に、ぎゃーぎゃーと喚き合う、正確には文が一方的に騒ぎ立てる言い争いは見ていて新鮮だ。
「分かりますか? 私と真さんはたった今朝食中だったんですよ? それを邪魔されて……この気持ちが貴方に分かりますか?」
「まぁ、人の不幸は蜜の味って言うからね。仕方ないよ」
「ほんっと性格悪いですね!!」
ここいらが潮時か。ご近所にも迷惑が掛かるし、止めにかかろう。
フォークにスクランブルエッグを刺して、口の中に放り投げる。そして一緒にトーストも放り込んで、俺は玄関へと向かった。
玄関扉のサムターンを回して、扉を開ける。すると一番最初に彼方の姿が目に飛び込んできた。
寒さに弱いのか、結構な厚着だ。ダスティブルーのニットを上に着て、更にその上にトレンチコートを羽織っている。下は色素の薄いスキニーデニムで、腕にはダスティパステルのバックが掛かっている。妙に大人びた服装だなと言うのが、第一印象だ。
「あ、やっと開けてくれた!! それじゃあ早く出掛けようよ真君」
「いや、いきなりそう言われても困るんだけど……。せめて支度くらいはさせてくれ」
「はーい。何時間でも待ちますね!!」
バタンと玄関扉を閉めて、突然の来訪者の為に支度を始める事になった。後ろを振り返るとむくれた態度の文が俺を睨みつけている。
「……なんだよ」
「別になんでもありませーん。真さんが最近私にあまり構ってくれなくて寂しくなんて、思ってませーん」
「なんだそれ」
妖怪は皆寂しがり屋なのだろうか。思えば最近、文と二人きりで何処か出掛けた事が無かったかもしれない。
別に彼女彼氏と言う関係でもないが、俺と文は親しい仲なのだ。たまには二人きりで何処か出かけるのも、楽しいかもしれないが――。
「よし、分かった。今度何処か出掛けようか。良さそうな心霊スポット見つけたんだ」
「いやいやいや。チョイス可笑しいでしょう!? 私行ってみたい所が有るので、今度
「分かったよ。それじゃあ今日は出かけるから、留守番宜しくな」
はーい、と間の抜けた返事を返す文。どうやら損なわれかけた機嫌は治ったようだ。
俺はそのまま二階に上がると、今日着る服装を決める事にする。仮にも女性の隣を歩くのだ、ファッションには気をつけなければならない。
タンスの下から二番目の所を開けて、ダメージジーンズを取り出した。
多分年下である、彼方があんな大人びた服装なんだ。俺も少しだけ派手な服装にしようかな――。
☼
二階から一階へと降り、リビングに戻ると文がソファに腰掛けながらテレビを見ていた。
随分とこの世界の生活にも慣れてきたものだと思う。幻想郷たる世界がどのような世界観なのか、俺は知らないが――文から聞いた話によると、この世界より大分科学の進歩やらが著しく遅れているそうだ。
科学の進歩が遅いと言うことは、戦争が滅多に起こらないと言う事。向こうの世界、幻想郷に住んでる人らはどのような生活を、構造をしているのだろうかと気になって仕方無い。
俺の存在に気付いたのか、文が俺の方を振り向いた。
「あ、真さん。なるべく早めに帰ってきてくださいね。暇なん……で――」
後ろの方の語気が不意に弱まり、すると物珍しいものでも見るかのような表情を、文は作った。
口は半開きだし、目は少し見開いている。文が愛用している花柄のパジャマ姿も相まってか、非常に間抜けな光景だった。
「なんだよ。そんな変な格好か? 今の俺」
滅多に着たことの無い、新品同様のダメージジーンズと
格好付けた、言うならば少しだけチャラい服装。ワックスもかけてみようと思ったが、流石にキャラじゃないので止めといた。
「いえ、別に格好良いとは思いますけど……。そんな格好の真さん見たこと無かったので。多少面食らっただけですよ」
「本当か? 心の奥底で笑ってるんじゃないだろうな?」
「どうしてそう後ろ向きな思考なんですか。似合ってますよ、本当に」
なら良いんだが……。道行く通行人に奇異の目で見られるのは耐えられないからな。ぶっちゃけ半引きこもりに、このような格好つけた服装で街中を歩き回るのは、難易度高いかもしれない。
綺麗さっぱりと食器の片付けられたミニテーブルに目をやって、ついこの間一ダース程衝動買いしたドクターペッパー(文の口には合わなかったようで、俺専用と化した)を飲み干す。
その後に口臭を気をつけて、ミンティアを半分程貪り食った所で、リビングに置かれた財布と肩掛け鞄を持ち上げる。ここまで実に十分程。男の支度は早いのだ。
「それじゃあ、留守番宜しくな。空き巣が来たら退治しといてくれよ」
「ええ。空き巣は兎も角、
「おお。頼もしいな。それじゃあ頼んだぞー」
文の作った偽物の笑顔を悲しく見つめながら、俺はそっと踵を返した。
☼
駅のホーム内は、がやがやと賑わっていた。
通勤ラッシュが通り過ぎたとは言え、京王線やらJR線やらが開通した駅のホームには、まだ人が大勢居る。多少の息苦しさや肩身の狭さを体験しながら、ニコニコ顔の彼方は俺の腕を掴んだ。
「くっつくな。暑苦しい」
「えーいいじゃん、恋人なんだからさ」
「誰が恋人だ、誰が」
暑苦しいし、なにより気恥ずかしい。これじゃあある意味、好奇や奇異の目で見られてしまうじゃないか。
いや、と言うより、割合的に表すと二割が好奇の目線。一割が奇異の目線。そして残りの七割が怨念やら憎悪の篭った目線だ。非リア充共、見苦しいぞ。
確かに、彼方は可愛らしい顔の持ち主だ。そこいらの安っぽいアイドル顔負けの、渋谷や池袋の駅前を歩いていたら即スカウトされるような少女。
けれど、性格が恐ろしい。あの文ですら手に余るような、悪魔のような少女なのだ。諸君、勘違いをするな。コイツは外見こそ可愛らしいが、蓋を開ければその中には多くの毒虫が蠢いているのだ。
重苦しいあのクリスマスの日を忘れてはいけない。だが思い出してもいけない。あの日の記憶は鍵の付いた扉に仕舞っておこう。
「それにしても、クリスマス楽しかったよね~」
「はぁ!? 何処が!? 重苦しいったらありゃあしなかったぞ。お通やかよって感じだったぞ。と言うか思い出させるなあの忌々しい日の記憶を!!」
夜飯なんて、殆ど喉を通らなかった。文は暗く澱んだ瞳でケンタッキー(共食いとは言わせない)を齧っていたし、刹那に至ってはずっと彼方の顔を見つめていた始末。だと言うのに、俺の隣に立つ女は彼女ら二人の気力やらを全て吸い取ったかの如く、和やか顔だったのだ。
溜息が無意識に溢れる。もう一度言おうか。この女は可愛らしい少女の皮を身に纏った、悪魔なのだ。その内に角やらが生えるに違いない。
悶々と考え事をしていると、電車が耳の中に響くような音を立てやって来た。各停行きの車両の中には、あまり人が乗っておらず、所々座席も空いてる。
二人して六両目の車両に乗ると、暫く経ってから電車が発車した。
俺は格好の付けた服装だ。更に、彼方の髪色は鮮やかな赤。これじゃあまるで、人生を舐めきったチンピラカップルのようじゃないか。
どうにか腕だけは開放されたい。それに、ついさっきから肘の辺りに柔らかいものが当たっているんだ。
「さ、流石にそろそろ腕組むのやめないか? 恥ずかしいからさ」
「やだ」
簡潔かつ、即決で拒否された。だが、ここで諦めたら男が廃るというものだ。
「頼むよ。あとで好きなもの奢ってやるからさ」
「それじゃあ、私真君が欲しいな」
「残念ながら、非売品です」
じゃあ離さない。と彼方は更に深く腕を絡めた。最早二の腕全体に柔らかいものが当たっている気がする。女の子って、柔らかいんだね。
頭の中に巣食う雑念を必死に振り払うと、彼方は何を思ったのか突然に、絡めていた腕を解けさせた。どうしたんだと戸惑う俺を尻目に、少女は意地の悪い笑みを作って見せる。
「なんでも奢ってくれるんだよね」
「ああ。だけど、余りにも高いものと天田真君は買ってあげないからな」
「うん。それでいいよ。私ロケットペンダントが欲しいな」
予想斜め上の注文に少し戸惑う。と言うより、ロケットペンダントって高い気がしてならないのだが。
「高くないか? ペンダント」
「骨董品でいいからさ。ね、その代わりに私も何か奢るからさ」
「まぁ、別にいいけど」
やった、と彼方は小さくガッツポーズをした。可愛い、と思ってしまったのは、俺だけでは無いはず。
やはり彼方は、小さな女の子なんだなと思う。小さな女の子と言っても、俺とほんの何歳か違いなのだが。
ここで会話を絶やしてしまうのは勿体ないので、俺は更に更にと質問を彼女の投げかけることにした。
「そういえば。俺の記憶によると、小さい頃の彼方の髪色黒だったんだけど、そこの所どうなの?」
「ノーコメントで」
「えっ。じゃあさ、文のこと知ってたみたいだけど、どんな関係なのお前ら二人」
「それもノーコメントで」
「…………」
前言撤回。可愛らしい、小さな少女では無くコイツは――人をからかうのが好きな、生意気少女だったんだ。この悪魔め。