ハロー、我が愛弟よ。
今日も元気にカドショでストレージを何時間も漁っていますか?
姉は元気です。
なんか、よくわかんない世界に来ちゃったけど。
私の故郷は日本、神奈川県伊勢原市のとある民家だ。公用言語はれっきとした日本語で、外国人もほとんど見ない。
ましてや、頭や背中に触手が生えた見た目グロッキーな怪人も……当然。
「だというのに、なんだぁここは……」
霧がどこからか湧いているビル街、看板や地面に落ちた新聞紙は全て英語。道ゆく人は80%が人外、おまけにどこからか聞こえる怒号と悲鳴。
学校の近道にといつもの路地裏を通った先は、異国に繋がっていた。
「お前昨日ゼラクニファ焼き奢った金返せよ」
「なんだっけ、8ゼーロ?」
「12ゼーロだよふざけんな」
「おーい、あっちの露天商がドクター=キドニッチ全巻売ってたぞ!」
「マジか! 腹裂かれてでも買いに行くわ」
「あー、この前の事件でアニキが死んじまってよー」
「そりゃお前、
こっそり盗み聞きした会話内容も意味不明。一応聞き取れるイングリッシュで、言語圏は人界を逸脱していないようだ。
霧とイングリッシュだけならここはイギリスか? と思えるのだけれど、人混みに溢れた人外がその思考の邪魔をする。一体ここはどこなんだ。
「あー……んん、
「なんだい嬢ちゃん」
「このあたりの地名を教えていただけますか? 具体的にどこの国にあるかとかも」
「なんだい記憶喪失かい? まぁこの街は何が起こっても不思議じゃないからなぁ」
たまたま通りかかった人の形をしたおじさんに、なんとか同族の同情が残っていることを期待して話しかけた。
あれやこれや持ち前の世渡りフェイスと拙い英語を駆使して、得られた情報は以下。
ここはヘルサレムズ・ロット。元
一晩にして都市が再構築され、異界と交わり、人間科学と異界科学、そして魔術呪術その他不思議なものいっぱいと物騒な銃火器を積み込んだ異郷。
いつだってトラブルや事件、事故が起こり、どんなことに巻き込まれても文句は言えない。なぜならヘルサレムズ・ロットだから。
ああ、私の愛しき日本よ、どこへ消えたっていうの。いつの間に神奈川の路地裏から遠路はるばるニューヨーク・シティ(元)に?
しかも普通じゃない現象のおまけ付き。のし付けて返したい。
つまり、私は学校までの道をスキップするどころか世界線までスキップしてしまったようだ。愛弟よ、これが現実だと信じられますか。
「それにしても嬢ちゃん、タッパは無いがなかなかかわいい顔してるじゃないか。どうだい、今夜俺のマグナムと一晩共に──」
突然手首をがしりと掴まれて、ふとももを撫でられた。寒気のするセリフに頬を引き攣らせると、その科白を全て聞き終わる前に目の前に閃光が走った。
一瞬の出来事だった。
そして視界が元通りになると……そこには地面が小規模に抉れた跡しか残っておらず、セクハラ親父は私に触れていた両手すら消えていた。ほんのりと錆臭い匂いがする。
「ひっ人が消えたぁあああ!?」
「おめー、見えたかよ」
「いや、あの姉ちゃんがケツ触られてる次の瞬間にはお陀仏だったね」
「あの姉ちゃんとんでもねーな!」
遅れて、抉れた後に若干……本当に若干であるが赤いシミができていることに気づいた。一人分の穴は歩行者通路のど真ん中にぽっかりと空いている。
何が起こったのか定かではないが、私の目の前で人智どころか人外智も超える何かが起きたのは間違いない。私は怖気が残る手首を腰回りをさすった。
「マジでなんなんだ……」
愛弟よ、どうか私の無事と私の貞操の無事を祈ってて欲しい。
空想の弟が困惑の表情で固まってしまったが、ひとつ腹を括るしかないかもしれない。
*
「おい! 女ァ! 俺とヤらせろ!!」
「そこのお嬢さん、ちょっとこのクスリ吸ってみない? 天国が味わえるよ」
「おっ上玉はっけーん、おい、商品として掻っ攫え」
「金をよこせ」
既に数えきれない人権軽視のセリフを聞いているが、全てこの1時間での出来事である。
ある時は背後から突然人外の男に抱き抱えられ、ある時は体がよく見えない露天商に絡まれた。ある時は巨躯のヤクザもんみたいな怪人に網を向けられ、ある時は青い顔した青年に銃を突きつけられた。
物騒のオンパレード、一般人なら100個はバッドエンドルートが浮かぶ単語の数々。低俗ながらに武装したり用心棒を付けている輩たちは、私の謎の閃光? によって全て地面のシミとなった。
なんなんだマジで、これは。助かっているけども。
危険な目に遭いそうになったら視界が真っ白になり、その瞬間には危険要因が消えている。相手が何人いようが全員土の模様になってオサラバ。鉄錆の匂いは血が土と一緒に焼ける匂いだと気づいた。
流石にここまでされると、この謎の光は私を守っているのだと気づく。
「と言っても、私自身はか弱い一般女性のままなんだけど……何かの特殊能力に目覚めた?」
しかし自力で閃光を出そうにもサッパリだった。適当に暴漢引っ張ってきたら一瞬で塵にされたわけだが。
さてさてこのヘルサレムズ・ロット、どうやら独自通貨が発達しているらしく、今の日本円は全く通じない。単位はゼーロらしい、1ゼーロ何ドル? 1ドル今何円? わからん。
一先ず家族に連絡だけでも取れないかとスマホを出せば、遊戯王ニューロン以外のアプリが全て消されていた。いやなんでニューロンは残っとんねん。
「金無し、宿無し、伝手も無し……」
婦女として心許ないどころか人間として危ない。さっき路地裏に人が飲み込まれて骨になって出てくる光景を見たのだ。呑気なホームレス生活なんてこの街じゃ夢のまた夢だろう。
ここまで後ろ盾が無いと、逆に楽しくなってくる。気分としては酔っちゃいけない場面で酒を飲んでしまったあの感覚に近い。静謐な場で昨日観た爆笑コントのネタを思い出すような、腹筋に力が入るあの感覚だ。
私としては、テキトーな店に無理やりでもいいから就職し、地道に金を稼ぐのが得策と理性が言っている。しかし今の私は住所不定ビザ無し保証人無しか弱いレディ。
明るい店はまず雇っちゃくれないだろう。
「いっそ身体を売るか……?」
「お! なんかオジョーチャン金に困ってそうだね〜、良い店紹介しようか? 本番アリなら割と手軽に稼げ──」
「この力がある感じ無理そうなんだよなぁ」
私の呟きに反応したのか、寄ってきた触手頭の男が地面のシミとなった。本日十何人目かの犠牲者だ。人攫い集団あたりで私は数えるのをやめていた。
おそらくだが、この閃光はもし私が客を取るようなことになっても発動する。マジでおそらくだが、客が私に触れ、性的な言葉を発した時点でベッドに穴が開く気がする。なんなら触れた時点でビカッだ。
女性という強みを活かした仕事はこれでは就きにくいだろう。
既に生命が地面のシミになる瞬間を何度も目にしていながら、私は未だ現実感が湧かない気持ちで霧の街を歩いていた。
公園や水飲み場など穏やかそうなところは穏やかだし、人と人外が仲良く会話しているベンチだってある。
この街では物騒なことに囲まれながらも経済が回るくらいには人がおり、異形と共存できる文化の近さがあり、また欲もあるようだ。
「まずは金……なるべく真っ当に稼いだやつ……。あと拠点、なるべく雨風凌げるところ。で、もうちょっとこの世界について調べる! っはぁ〜、忙しくなってきた……」
私は腰に下げたデッキケースを撫でる。そこには愛用のファイアウォール・ドラゴンデッキが収まっていて、私の左腰をほんの少しだけ重くしていた。
たまたま休日のくせで着けてきてしまったが、正解だった。決闘者が肝心な時にデッキを家に忘れてきましたなんて言い訳にもならないのだ。
「せっかくの異郷ヘルサレムズ・ロット生活、がんばるぞー!」
「うるせぇぞクソアマァ!!」
また一つシミが増えたが、ここはひとつ閃光からの激励だと思うことにした。